竜殺しの騎士。2
氷原の魔素高濃度地帯から野営地へ戻ったヴィルジールとフランツを、仁王立ちで待ち構えていた男が居た。
「おうコラ小父貴! オレを置いて行くたぁどう云う了見だよ!」
「ただの様子見でしたから」
がうがうと噛み付いて来た彼の方を、ヴィルジールは慣れた調子で宥める。彼の後ろへ控えた近衛騎士と侍従らはおろおろしていたが。
美しく長い黒髪はマフラーへ雑に巻き込んで、ヴィルジールらと似たような防寒具に身を包み、荒い足取りで近づいて来る姿はとても皇族には見えない。
しかし間違いなくこの方は、グロワール皇国第二皇子ギュスターヴ殿下であった。
「様子見なら危なくねーじゃん。連れてけよ、こっちは暇なんだから」
「無茶を仰る」
「一人で居る時は全部一人でやるから退屈しねーのに、こう云う時は周りが勝手にやっちまうからマジで退屈なんだって。でだ、小父貴」
腕を組み、こちらを挑戦的に見上げて、ギュスターヴは強気な笑みを浮かべる。
グロワール皇族に多く現れる煌めく紫の瞳は、楽し気に輝いていた。
「行くなら当然、オレも連れて行くよなぁ?」
「置き去りにした所で勝手について来るでしょう。ならば一緒に向かった方がまだマシです」
「よく分かってんじゃねぇか! おうお前ら、聞いたな。早くオレの準備も済ませろ!」
片手を振って命令を下すギュスターヴに、周囲はざわめいた。特に侍従らの顔色は最悪で、漂白した紙の如く血の気が引いている。
五人いる侍従の中、最も年齢の高い男が歩み出た。
「で、殿下、何卒御考え直しを。危のう御座います!」
「喧しい。危険なんざ始めから百も承知だボケ。早くしろ」
「殿下!」
ヴィルジールと同年代だろう男は、広くなった額にびっしり汗をかきながらギュスターヴへ懇願する。しかし皇子はにべもなく、侍従の願いを切り捨てた。
美しい顔から表情が消える。皇妃によく似た冷たい美貌は女性と見紛うほど整っているが、その分真顔は恐ろしい。ギュスターヴが振り返った途端、周りの者たちはその顔を見て怯え肩を揺らした。
「オレが行こうが行くまいが、しくじれば全員死ぬんだよ」
息を飲む音と「ひっ」と引き攣れるような悲鳴が聞こえる。だが、ギュスターヴの云う通りだ。
氷原の真ん中にいる【竜殺し】をどうにかしなくては、我らが国に明日はない。
「逃げたい奴ぁ逃げてもいいぞ。どうせ死ぬけどな」
「殿下」
「うるせぇ、こんな時にまで周りに合わせるな。普段通りに呼べ、小父貴!」
「……ギュス様」
「なんだ!」
「手心を何卒。みな、怖いのは同じです」
「……」
侍従らへ向けていた顔が、ヴィルジールへと戻る。拗ねるように下唇を突き出したその顔は、年齢よりずっと幼く見えた。と云うか、昔と変わらない。「剣をおしえろ!」とヴィルジールにねだり、転がされまくって泥だらけになり不貞腐れていた、幼かったあの頃と。
年を重ね、二十歳の青年となり、今やもうヴィルジールより遥かに強くなったと云うのに。それでも変わらない彼の本質を可愛らしいと思う。思って目を細めて微笑めば、ギュスターヴはますます下唇を尖らせ、ぷいとそっぽを向いた。それから舌打ちをして、再度侍従らへ檄を飛ばす。
「おら、問答してる時間も惜しいんだよ! さっさとオレの装備まとめて来い! それがお前らの仕事だろが! やんねぇならオレが自分でやんぞッ!」
「た、直ちに!」
侍従らは深々と頭を下げると、慌ててギュスターヴ用の天幕へと走って行く。近衛騎士たちも騎士敬礼を取ると、持ち場へ戻って行った。
彼らは天幕から飛び出したギュスターヴの護衛をするため、わざわざ付いて来てくれたのだろう。いくら武力に優れすぎた皇子でも、護衛なしでうろつかせる訳にはいかないからだ。後の事はヴィルジールに任せるべきだと理解している彼らは、とても優秀である。
フランツもまた頭を下げ、自分達の装備確認のために専用の天幕へ向かう。その途中心配からだろうか、ちらりとコチラを振り返ったが、ギュスターヴが「さっさと行け」と云わんばかりに手をひらひら振って追い払っていた。
仮初の二人きりになると、ギュスターヴは肩を竦め力を抜いた。
「……で、だ。小父貴」
「なんでしょう」
「どうにかなると思うか?」
「どうにかしなくてはなりません」
「根性論とか希望はいいんだよ。小父貴から見てこの状況、どう思うよ?」
「……率直に申し上げて」
「おう」
「無理ですな」
「だよなぁ」
はぁー、と大きなため息を着きながら、ギュスターヴが背中から倒れ込んで来る。彼の後ろへ控えていたヴィルジールは、当然それを受け止めた。ギュスターヴの後頭部が胸にあたる。普段なら鎧で頭を痛める所だが、今は寒さ対策に金属製の鎧を脱ぎ、分厚いコートを着ているため問題なかった。
軽く受け止めてはいるが、別にギュスターヴが小柄とか華奢と云う訳ではない。単にヴィルジールが無駄にでかいだけだ。ヴィルジールと比べれば小さく見えてしまう人は多い。
「情報なさすぎ。これ、軍事行動じゃねぇよな」
「皇王陛下の勅命による軍事行動です。が、お気持ちは分かります」
「この一週間が怒涛すぎてさぁ……」
「僭越ながら、同意致します」
ヴィルジールの手をにぎにぎしながら、ギュスターヴが愚痴る。相変わらず年齢の割りに甘え方が分かり易い。見た目は母親似だが、やはり中身は皇王似だ。
「一週間前に【堕ちた竜】が東方で確認されて、前回が七年前だったから「有り得ない」つって大混乱になって」
「【堕ちた竜】は約五百年毎に現れる災厄ですからな」
城の如き巨躯、それを美しく輝く硬質な鱗が覆い、雄大な翼と天を突く角を持つ生き物を我々は「竜」と呼ぶ。
「竜」とは威容を誇る山脈、荒れ狂う嵐、全てを呑み込む洪水、灼熱の死を与える溶岩、大地を割る地震など、そう云った“概念”が生き物の姿を取った存在だ。
世界そのものの具現とすら謳われる「竜」たちは完全無欠であるとされるが、時折、どう云う訳が、“堕ちる”個体が現れる。
何故「竜」が堕ち狂い、人々を殺し文明を破壊するのかは分からない。人族程度にそれを理解する事は叶わない。【堕ちた竜】が現れた時、人々はただ逃げ惑い、怯え、殺されるだけだ。
その【堕ちた竜】が祖国グロワールに出現した時、ヴィルジールは逃れられぬ死を覚悟した。そして、仕える皇族をどうすれば救えるのか悩み悶えたのだ。
けれど、その苦悩は三日で終わった。
「いつの間にか派遣されてた特務騎士団が【堕ちた竜】討伐を報告したのが二日後、その翌日に……『聖地』から【堕ちた竜】の討伐と【竜殺し】の出現を確認したってなぁ知らせが世界へ向けて流されて」
「『聖地』の言葉は天の言葉。間違いはありえません」
「天使でも降臨したんかね。知らねぇけど。で、まぁ、一昨日、【竜殺し】が森を凍らせてそこから出てこねぇって連絡が特務騎士団から入って、オレらが到着したのが今日」
「居残った特務騎士らの話によれば、ギャフシァ卿が部下を伴って氷原へ突入したのが今朝との事。彼らからの魔導通信が途絶えてから、約七時間経過しております」
「……死んでんじゃねぇの?」
「確定ではありませんが、氷原があのような様子では生存の可能性は低いかと」
「……はーぁ」
またため息をついて、ギュスターヴは全身の力を抜く。放っておくと座り込んでしまう事になるので、脇の下から両手を入れて抱える事にした。
ギュスターヴの長い足が、足元の小石を蹴り上げる。軽く跳ねた小石は何かへぶつかる事も無く、また地面へ転がった。
「小父貴はさぁ」
「はい」
「周りが云うように、親父殿がオレらを“逃がすため”に命令したと思うか?」
「まさか」
何を云うのかと、ヴィルジールは目を軽く見開く。確かに、自分たちへ【竜殺し】の元へ向かうようにと勅命が下った際に、そうした言葉が囁かれたものだが。
「どう足掻いても皇国は終わりだから、一番気に入りの息子と股肱の臣を逃がすために、嘘の勅命を下したんだってもっぱらの噂ぁ」
「……不敬でありますが。皇国が終わりだと陛下が確信したならば、むしろ我らをお傍から離さないと思われます」
そう云う方である。本当に大事なものは仕舞い込んで誰にも見せず、宝物を手放すくらいなら自らの手で壊す。グロワール皇国現皇王はそう云う性質のお人だ。
僭越ながら、ヴィルジールは皇王に大切にされている自覚がある。同年の幼馴染みで、机を並べて共に学び、彼の方の手で自分は騎士となった。此度の出陣前にも私室へ呼び出され「生きて帰れ、死ぬな」と散々云われたのだから。
「……だよなぁ」
ヴィルジールの言葉を聞いて、ギュスターヴがにやりと笑うのが見えた。
「オレらならどうにかするって親父殿は信じた。なら、その信頼に応えなくちゃぁ男が廃るよなぁ」
「はい」
「……なんとかするさ。なんとかして帰らねぇと、兄貴も姉貴も弟妹達も泣くからな」
そう云うとギュスターヴは体に力を入れて、「よっと」と軽い掛け声と共にヴィルジールから離れて一人で立つ。マフラーからこぼれた黒髪が、風を孕んで軽く舞った。
「ここに来てあの森と氷原を見た時には「あ、終わった」と思ったけど、まぁ、小父貴もいるし。やるだけやろうぜ」
「全力を尽くさせていただきます」
「全力尽くして死なれちゃオレが親父殿に殺されるから、帰るための余力は残しとけよ」
「はは……承知いたしました」
ヴィルジールが略式の敬礼を取ると、ギュスターヴもへらっとゆるい笑みを浮かべる。
しかし次の瞬間、その綻んだ顔が瞬時に引き締まり、足元へ視線が落ちた。つられて同じ場所へ目をやって、ヴィルジールはひゅっと乾いた息を飲む。
この野営地は例の【竜殺し】に氷漬けにされた森と氷原から三百メートル以上離れた場所にある。少しでも寒さから逃れるため、土が露出している所を選んだのだ。先ほどまで、ギュスターヴが石を蹴り転がした時は確かに、そこは土の地面であったのに。
――ほんの数秒のうちに、自分たちの足元が薄い氷に覆われていた。パキパキと軽い音がする。今も氷がこの地へ浸食している証拠だ。
顔を上げれば、ギュスターヴもこちらを見ていた。すでに戦場へ立つ戦士の顔をしている。
「……急ぐぞ、小父貴」
「御意」
皇子に従って、天幕を張ってある方へと向かう。連れて行く騎士達を急かし、準備を早めなければならなくなった。
急いだところで解決の目途が立つ訳でもないが、のんびりしていては自分たちごとこの一帯も凍り付けになると確信したが故に。