8.
クリスティーナとひと時を過ごしたスノウは、温まったのか頬を桃色に染めて自室へと送り届けられた。
「さぁ、スノウ様もお勉強の時間ですよ」
こくりと頷いた彼女は、抱きしめていたぬいぐるみを長椅子にそっと置いて、垂れた耳をモフモフと堪能してから教師が来る勉強用の部屋へと赴いた。
クリスティーナが突如部屋に訪れてから、スノウの全てが変わって行った。
服が可愛くて素敵なものに変わって、たくさん増えた。帽子も貰えたから嬉しかった。
ずっと同じ人が1人側にいるようになった。
勉強は本を与えられていたけれど、教える人が来るようになった。
難しいけれど、文字をちゃんと書けるようになれば、クリスティーナへとお手紙を書けるかも知れない。また「偉いわ」って言って貰えるかもしれないと思うと、少しずつやる気が湧いた。
あの日クリスティーナが言っていたことは、勉強をする内になんとなく理解し始めていた。
スノウは何故自分がここに居るのか、誰も側に居てくれないのか、どうして嫌な目をスノウ自身、特に髪に向けられるのかがずっと分からなかった。
部屋から出てはダメと言われていたけれど、あの日はとても天気が良くて、どうしてもちょっとだけでも外に出てみたくなったのだ。
皆んなと違う髪を隠したら大丈夫、ちょっとだけ出てすぐ帰ればと自分自身に沢山言い訳した。クローゼットの隅に落ちていた布を手に掴んで被ると、そっと部屋のドアノブを掴んだ。
人を避けてウロウロしているうちに庭に辿り着き、陽の眩しさに目を細めて綺麗な花や初めて見る虫に夢中になった。
いつの間にか庭の奥までたどり着き、東屋の中へと足を踏み入れると、小鳥が舞い降りて可愛い声で鳴いた。その時だった、─ コツリ─と靴音が聞こえて驚いて振り返ると、クリスティーナが驚いた顔をして立っていた。
小鳥に夢中になって気付かなかったスノウは、また嫌な目で見られる、部屋から出ていて怒られると、パニックに陥った。どうしようもない震えが伝わったのか、頭から布がハラリと落ちた。
咄嗟に布を追って掴んで、部屋に戻らなきゃ、という一心で一生懸命に足を動かして走り去った。
なんとか戻ってこれた自室で上がる息と胸を押さえながら、スノウは扉を背にその場でしゃがみ込む。なんとか落ち着いてきた息を整えて握りしめていた布に顔を埋めた。
あの人は嫌な目を向けなかった。そんな事をぼんやりと思い返しながら。
勉強は文字の勉強と国の名前と身分社会、道徳、基本マナーがメインとなる。
学ぶうちに、クリスティーナが王妃殿下である事を教えられる。そんな凄い人に面倒を見てもらえているが、まだ5歳のスノウには理解し辛かった。ただ、彼女の中で小さな感情が芽吹く。
「おね…………さま。おか……さま。おかあさま。……?」
親代わりと言ったクリスティーナを、家族の名前で呼ぶなら何になるのだろうと、道徳の教科書の中に書かれていた絵を見ながら考えた。
お母様だったら良いのになぁと、教科書の文字をそっと指先で撫でて、クリスティーナが柔らかくて抱いた感触に思いを馳せた。
王城は年末に向けて目が回るほどの忙しさで、誰も彼も足早に行き来していた。
と言うのも、以前までは毎年年末に行われていた恒例の夜会が久方ぶりに盛大に行われるからである。
前国王、前王妃の死去という暗い報せが続いていたので、夜会が取り止められていたり去年は控えめだったが、まだ年若い国王が後妻を無事娶り、初めて正式に貴族への披露目となる。
「王妃の我儘で大量に解雇された」「国王の権力を使って好き放題している」「ユイマール家の変わり者の醜女」と言う解雇された一部の者の悪意ある逆恨みたっぷりな噂がひっそりと流れる中、人員整理で認められて昇進した者や、横暴な上司から救われた者、国王の侍従達近衛騎士を始めとした新王妃派が噂を吹き飛ばすべく全力投球の構えで準備に励んでいたのだった。
「スノウ元気かしら……」
「お美しい王妃殿下、少し休憩になさいますか?」
「そうねぇ……コホン、ねぇ、前から思っていたのだけど、その必ずつける美辞麗句やめてもらえないかしら?」
王妃の執務室で書類が山積している机を前に、椅子の背もたれに脱力しながらもたれかかったクリスティーナはミラに声をかけた。
「いえ、これは失礼いたしました。前王妃様のご命令の名残りでございます」
ハッと口元を押さえたミラは、丁寧に頭を下げて謝罪する。
「はぁー。色々ぶっ飛んでいる方とは思っていたけれど、使用人にそんなこと言わせてたの?私は必要ないから言わなくて良いわ」
「承知いたしました。しかし、以前は義務のように口にしておりましたが、今は自然と出てきておりました」
「……ありがと。けど、何だかこそばゆくなっちゃうから」
「本当にお美しいですわ」
「っもういいから」
最後には苦笑しながらツッコミを入れたクリスティーナ。しかし、ストーリー回避のためには無闇矢鱈と吐かれる褒め称える言葉を止めたかったのだ。
ストーリーが童話ベースと知った日から、王宮の把握と称して色々な部屋を見て回ったが、不思議な鏡なるものは見当たらなかった。
そもそもこの世界には、ちょっと凶暴化したくらいで“魔物”と称される動物は居るが、大それた魔法を使える者はそういない。使えるのは賢者と呼ばれる遠い国のご老人。森の奥深くに住むと言う魔女は呪術と薬学がメインだとか。
複雑な儀式や陣が必要な魔術の開発・解析と対策や、薬草に宿る微弱な魔素と効能の研究をする魔術研究所なるものがあることはあるが、魔物から出た魔石や貴石に効果をつける事ができても、鏡がしゃべっちゃうようなチートマジックアイテムなんぞどこにもなかった。
そこでふとスルーしていたが、さっきの様に挨拶のようにかけられる言葉に注目した。
「女神のように美しい王妃殿下」
「花も恥じいる美しさでございますね王妃殿下」
「国で一番お美しい王妃殿下」
あ……れ?
もしかして実はでっかい鏡の後ろに使用人がいた的な話だろうか?と考えていると、初夜の翌朝の言葉を思い出した。
『使用人は家具でございます。感謝を述べていただく必要はございません』
家具……家具。鏡って家具か。と思った瞬間にクリスティーナはピシャーンと雷に打たれたような衝撃を受ける。
鉄壁無表情侍女ミラ。
自身を家具と言い放つクリスティーナに生涯の忠誠を誓った使用人の鑑のようなミラ。忠誠を誓った主には、嘘偽りを口にしないのではなかったか。
……鏡は前世だが、英語でミラー
お、おまえかぁぁぁぁぁぁぁぁ!
やぁっと解けなかった謎が解けたクリスティーナは、心の中で大絶叫した。そして衝撃を乗り越え、毎度の如く掛けられる称賛スイッチをOFFにすべく、何気なさを装ってツッコミを入れたのだった。
ミラにツッコミを入れた方、感想ください(笑