17.
コトリと音を立てて、クリスティーナの前に皿が置かれる。
その皿には先ほど彼女が「毒林檎」と言ってしまった、赤黒くて表面がツヤっとした林檎が鎮座している。
どうやらじっくり煮込まれているらしいそれは、甘く独特な香りを漂わせてクリスティーナの鼻をくすぐってくる。
渡されたフォークで恐る恐る表面を突くと、フニャリと柔らかい感触を返しながら突き進んでいく。
「わぁ、柔らかいっ」
フォークの側面で一口大に切り分けると、中もうっすらと透けながらも赤く色付いている。「えいやっ」と思い切って口に入れてみると、柔らかな食感とほのかに蜂蜜が香る甘味と鼻から抜ける華やかな香りが堪らない逸品だ。
「この赤みはワインですか?それにシナモンもお使いなのですね」
「丁度貰いもんがあってね。十分煮込んでるから酒精は飛んでるだろ」
「えぇ、美味しいわ!スノウも手伝ったんですって?偉いのねっ」
あの後直ぐに気を取り戻したスノウは、クリスティーナの隣で褒められたことで照れて俯いた。
耳まで真っ赤なスノウの可愛さにデレデレしながら、姫林檎の赤ワインコンポートを完食したクリスティーナは、スティラに先程の非礼を詫びて感謝した。
「毒林檎なんて言って、ごめんなさい」
「まぁあんたの格好見りゃ、一晩探したって分かるんだ。気が動転してるヤツに真面目に取り合うほど、浅い人生送ってないさね。気にせんで良い」
今は外套は脱いだとはいえ、飛び込んだ時の格好は割と薄汚れていた。必死に子供を抱き抱える姿を見て、スティラもホッと一安心したものだ。
クリスティーナはスティラに感謝を述べると、今度はリビングで寛ぐ子供達に近寄り目線を合わせるために膝をついた。
「貴方達がスノウを見つけてくれたのね。本当にありがとうございました」
「良いって、当たり前の事をしただけだから」
サロを始め、子供達は照れ臭そうにしながらはにかんだ。
「スノウが無事で本当に良かった。私の準備不足が悪いのだけれど」
「?」
隣に座るスノウの髪を優しく耳にかけてやると、クリスティーナは真剣な顔をスティラ達に向けた。
「実は、この子は迷子になった訳じゃないのです」
「── え?どう言うことだ?」
即座に声を上げたのは臨時リーダーと名乗ったサロだ。他の子供達はまだ理解が追いついていない顔で、スティラは静かに見通す様な瞳を向けている。
「昨夜何者かに部屋から連れ去られてしまって……幸運にも生きて見つけることができました。本当に皆様には感謝しています。
会ったばかりでこんな事を言うのは心苦しいのですが、スノウを暫く此方でお預かりしていただけないでしょうか?」
「!!」
スノウがその言葉に驚いて、バッとクリスティーナを仰ぎ見る。その目は悲しみでいっぱいの目だった。
「寂しい思いをさせてごめんね、スノウ。
まだ犯人が見つかっていないの。そんな中に貴女を簡単に戻せないのよ」
「わ、私は平気っ!だから」
「ううん、私が平気じゃないの。犯人を見つけてぎったんぎったん……ゴホン、安全を確保できないと…次も起こったら。それこそ国外に連れて行かれでもしたら……」
スノウもクリスティーナの目に後悔と悲しみの色を見つけたのか、徐々に諦めるかの様に目を伏せて俯いてしまう。クリスティーナがそっと小さな肩を引き寄せると、俯いたままのスノウを優しく抱きしめた。
そんな2人の様子をじっと見つめていたスティラは、小さく溜息を吐いた。
「まぁ……いいさね。その子は手際もいいしね。助手代わりでも置いてやるよ。護衛も置いていくんだろ?」
「えぇ、護衛と……ラケル、お願いできるかしら?」
「はい、畏まりました」
「男には薪割り頼むとしようかね」
使える人手は助かると、ニヤリとした笑みを浮かべ、スティラはクリスティーナへと了承の返事を返した。
「ありがとうございます。このお礼はもちろん致します。
……スノウ、早く解決して戻るから、待っててくれる?」
「…………」
躊躇いがちに小さな手がクリスティーナの背に回って服をキュッと握り込んまれる。
スノウは、ややあってからクリスティーナの腕の中でコクンと小さく頷いた。
「任せてよクリスティーナさん、スノウは俺らの妹だ。皆んなで守って待っててやるよっ」
サロの心強い言葉に子供達も同調する様に頷き、クリスティーナは「お願いするわ」と微笑んだ。
お昼頃にクリスティーナ達が城に戻るために出立するまでの間、ラケルは子供達の家に年長組と行って必要なものがないかを確認しに行き、クリスティーナはここでの生活の話をスティラとサロと聞いて過ごした。
スティラは“森魔女”と呼ばれる薬学界でそれなりに名の知れた人物であり、薬学研究のために森の奥を好んで住み着いている事は耳にしたことがあった。
「でもまさか、こちらにお住まいだったなんて」
「10年前くらいさね。この家は木こりをやってた老夫婦から貰ってね。木こりの孫がその子らさ」
「そうなの……あの、貴方達のご両親の事をお聞きしても?」
「父さんと母さんは……」
言いにくそうに口籠ったロブに、クリスティーナは口元を手で押さえて聞いてはいけない事だったかと顔色を悪くした。
「ゴメンナサイ」と言いかけたまさにその時、あっけらかんとした声を出したのはナットだ。
「お母さんは街で子供を産むんだって〜」
「えっ」と口元を押さえたまま小さく漏らしたクリスティーナは目を瞬かせた。
7人の小人がまさかの7人兄弟だった事に、世界は違えど「昭和かよっ」と大家族にビックリだったが、親が健勝であることよりも「まだ増えるんかぃ」と言う脳内ツッコミが止まらない状態である。
「父ちゃんは心配でついて行って、兄ちゃん達はついでに薬を卸しに行ってるんだ」
「立て続けに産んじゃいるけど、流石に高齢出産に入るからね。大事をとって早めに街に行って、医者の近くの宿で備えておけって私が追い出したのさ。薬は作れるけど、流石に産婆はした事ないからね」
「薬以外で頼られても困るんだよ」と、スティラはブツブツと文句を口にする。それを見てケラケラとロブとナットが笑い出す。いつもの事らしいことが伺えた。
「『今度こそ女の子が欲しー!』って言ってたからね〜。妹かな〜」
「僕は弟でも良いな〜」
スティラと薬学の話も出来、いよいよ城へと戻る時。
クリスティーナはスノウの手を取ってチャームに触れた。
シャラリと音を立てるとチャームには飾りが一つ増え、それごと両手でスノウの手を包む。
「早く迎えに来られる様に頑張るから、スノウも頑張って待っててくれる?」
ハの字になっているスノウの眉の下には、涙が今にも溢れそうな目が潤んでクリスティーナを見上げている。
キュッと結ばれた口は涙がこぼれない様に顎に力を入れたせいで山を作っていて、我慢の度合いを表している。
感情を少しずつ 出す様になった5歳のスノウが精一杯我慢をしている。なんて健気で愛らしいのだろうとクリスティーナは緩んだまま微笑みを向けた。
「護衛とラケルが守ってくれるけど、それでも万が一何かあった時、これを引っ張ってね?」
スノウは目元を擦って、クリスティーナが示した追加されたチャームを見つめる。
「フィナ……」
「ふふ、スノウのウサギちゃんと同じ形。可愛いでしょ?」
コクンと頷いて理解した事を示したスノウを優しく抱きしめて、額にキスを落とすとクリスティーナは馬に跨り城へと戻って行った。