12.
夜会終えて、後軽く湯を流したクリスティーナ。
まだ「今日のスノウちゃん報告」を聞いていないなと思い、ミラに声をかけた。
「ミラ、アトリは?もう休んでしまったかしら?」
「そう……ですね。クロルと交代して報告に来るはずですが。報告せず休むことはないかと。確認させます」
「ええ。もし休んでしまっていたのなら、残念だけど明日でいいわ」
「畏まりました」
様子を見に行かせ、ミラの淹れたお茶に舌鼓を打っていると、見に行かせたクロルが慌てて戻ってきた。
「殿下っ……!大変でございますっっ!あ、ミラ様っ」
「どうしたのクロル、落ち着いてご報告なさい」
「はい、確認に行きましたところ何故かいつも居る騎士が居らず、中を確認するとその騎士が3名中で縛られた状態で……!アトリの姿もですが…………スノウ様のお姿もございませんっ」
「何ですって?!どういう……?!」
「分かったわ。ミラ、近衛騎士に報告して捜索するように手配を。クロルは近衛騎士を連れてスノウの部屋に行って縛られた騎士を解放して事情を聞いて。ラケルは供を。私は陛下にこのまま報告にあがります」
「「「はいっっ」」」
緊急事態にも関わらず、慌てずテキパキを指示を出すクリスティーナを見る侍女たちの目に尊敬の光が一層強く宿る。見習わなくては!と皆頭を振ると、クリスティーナの指示通りに動き出す。
当のクリスティーナは……
(えぇぇーーー?!スノウたーん?!!私動いてないのにどこ行ったのぉぉぉ?!!強制力?!早くない?!どういうことーー!)
表面に出さないだけで、心の中では大号泣だった。
私室から一旦廊下へ出てアシェリードの部屋の扉へ向かうと、近衛騎士が見える。
どんな時でも動じない彼らは、クリスティーナの姿を認めると、先に中へ来客を知らせ入室許可を取ってくれた。小さく黙礼すると扉前に辿り着いた時には扉が開かれて、クリスティーナを中へと誘った。
「陛下、お休み前に申し訳ございませんっ」
少し慌てた様子のクリスティーナに、軽く湯を浴びたアシェリードがソファーに腰掛けていた。
「クリスティーナ?どうした」
「スノウと私の専属侍女1名が行方不明です。また、付けていた護衛が縛られた状態で捨て置かれていたと報告が」
「なに……?それで指示は」
「ミラに近衛騎士へ捜索報告、現場にはクロルと近衛騎士数名を」
「そう……か。では報告を待とう」
「ええ。ここはお任せしますわ。私はスノウを探します」
報告だけして踵を返そうとしたクリスティーナをアシェリードは咄嗟に呼び止める。
「待て、闇雲に動いたところで」
「大丈夫ですわ。こんな事もあろうかと、準備はしておりましたので」
「準備……?」
「えぇ、なので失礼しますわねっ」
「待て待て待て待て、どこへ行くっ」
尚も部屋を出て行こうとするクリスティーナを、アシェリードは堪らずその腕を取って引き留めた。クリスティーナは扉に体を向けたまま、顔だけアシェリードを振り向いた。
「私の執務室です」
「待て、もし城外だった場合どうするつもりだ?」
「追いますわよっ」
「しかしもう夜中だ、陽が昇るまで待て。それにそこまでして何故探すのだっ」
アシェリードの心の中を重く沈める原因はクリスティーナも理解している。国王陛下だって聖人君子でない事くらい頭でわかっている。だからこそスノウの件でクリスティーナが何をしようとアシェリードの耳には入れなかった。
歩み寄れなどと言えないし、住み分けて平穏が保たれるならそれでいいと思っている。
しかし、それをクリスティーナにも同調しろというのは違うんじゃないだろうか?と折角皺を寄せずに頑張っていた眉間にジワジワと皺が寄る。そして彼女の大好きな美幼女の深夜失踪にという事実が、通常よりもやや細いよね?と言われる堪忍袋の緒をスパーンと切れさせた。
「国の父と称す男が、幼女を見捨てる発言してんじゃないわよっ!!あの子はどんな生まれだろうと、この国に生きる一国民!そうでしょう?!大の大人が小ちゃい子相手にいつまでもウジウジしてんじゃないわよっ!三行半突きつけられたくなかったら、この手を離してドーンと構えて座って待ってなさいっ!」
盛大にキレ散らかした愛しき妻を至近距離で初めて見たアシェリードは、思わず背筋を正して掴んでいた手を離してしまった。動き出す彼女にハッとした時には扉を開けたところだった。
「っっ!クリスティーナっ!」
「あぁ?」
「す、すまないっっっ!しかしっ!」
クリスティーナの鋭さが増した眼差しに射抜かれたアシェリードは、意を決してブリザード吹き荒ぶ幻視の中、口を開いた。
「……せ、せめて城内はミラと騎士を。城外なら詳しいものをつけてくれ」
「そ。分かったわ。こっちはよろしくね」
そっけない返事を残して扉の向こうに姿を消したクリスティーナを、未だ呆然としながら見つめ続けたアシェリードは、暫くしてようやっと元のソファーへと腰を下ろした。
頭をガツーンと殴られた気分だった。
何もかもを決められた人生。
それこそ言葉運びから仕草ひとつまで、完璧を求められ、完璧像を押し付けられ続けたアシェリードの人生の中で、唯一自分で選びとり我儘を通して人生の伴侶とした女性。
その裏切りの象徴である子。
彼女との出会いは、執務を一人で任せられるようになった時。未だアシェリードが17歳になったばかりの頃だった。
淡々、淡々と日々を決められた中で過ごす中、ふとノックの音が響き顔を上げると扉で侍従が何かやり取りをしている。
机に置いてあった時計に目を向けると、休憩までには未だ少し早い時刻だった。
ドアの隙間から香ばしい香りが運ばれて、アシェリードの意識が再び扉向かい、長く応対している侍従に声をかけた。
「よい、早いが休憩にしよう」
その一言で侍従は頭を下げて、扉を大きく開かせた。
執務机の上を簡単に片付けていると、カチャンっと音が鳴る。視線を向ければ、「しまった!」と言いそうな顔で、それでも笑顔を浮かべる彼女が「失礼いたしました」とペコっと勢いよく頭を下げた。
ふわふわとした金髪を両サイドで結んだ髪が、その動きに合わせて宙を楽しげに踊るのが印象的な行儀見習いのご令嬢だった。
アシェリードは今までそんな無作法を目にしたことが無かった。完璧を求められる環境には、粗相という物がほぼない。
だからだろう、失敗しても「えへへ」と笑う彼女に持ったのは不快感ではなく、興味だった。
お茶の準備を窓際に備えられた丸テーブルに用意し終わった彼女に促されて、席に座るといつもの香り高い紅茶と、サンドイッチと言った昼食が並べられて、いつも通りに手をつける。ふと視線を上げるといつもと違う景色が目に入った。窓から見える綺麗に整えられた王宮の庭と、雲ひとつない青空が紅茶の香りとともに胸に広がっていく。
「良い天気ですよねぇ。是非一緒に味わって下さい。ピクニック気分が味わえませんか?」
警護が厳しいアシェリードは勿論ピクニックなど経験した事はない。だけど、こうして景色を味わう物なのかもしれないと思った。そしていつもと違う景色が見えるように、椅子を動かしたのが彼女であるという事に気付くと自然と彼女に目が吸い寄せられた。
「そうか……ありがとう」
「っ、はいっ!」
彼女の周りだけ、色が鮮やかに見えた。
それが彼女との初めての出会いだった。
城内で見つけるたび目で追って、休憩中に内緒で薔薇の迷路に挑戦して。2人の短い時間を積み重ねた。
彼女が笑って怒って泣いて。色んな感情を見せて教えてくれた。極彩色の世界が彼女から広がっていった。そうして過ごしたある日、想いを彼女から告げられた。
「ごめんなさい、こんな事言っちゃダメだってわかってる。貴方には婚約者が居るのだもの。けど……私…………貴方を愛してるのっ」
涙を浮かべて切ない想いを吐露して、胸に縋り付く彼女に初めてアシェリードは胸の中に宿る想いに名前がついた気がした。
あぁ、自分もいつからか彼女を愛していたのだと。
こんなにも愛しい。
初めて心の自由を教えてくれた彼女と共に歩んでいけたら……そう思った。
だから初めての我儘を叶えるべく、自分のために根回しをした。最後に最難関であると思われた婚約者であったエリザベートと公爵家の説得は、拍子抜けするほどあっさりと承諾されてしまい、逆に何か有るのではないかと疑心暗鬼に陥るほどだった。
父を説得して、元老院を一人一人説得して頭も下げた。駆けずり回ってやっと婚約者として彼女と笑い合える日が来た─── 筈だった。
何が間違っていたのだろうか。
彼女に教養と正しい振る舞いを求めた事だったのか?
いつまでも終わりが見えてこない、最低限まで下げた王妃教育?
花の盛りの終わりが近くなっても、婚姻が認められなかった事?
偶には息抜きがしたいとせがむ彼女に、南の商人を呼び寄せ宝飾品を選ばせた事?
あぁ、違う、違う。
(我儘を言ったことか……)
アシェリードの敬愛する父が亡くなった矢先、これ幸いと攻めてこようと不穏な動きを見せる東の隣国との緊張状態も重なり、皆が疲弊していた中の出来事だった。
何故だと責め立て細首を締めてしまいたい激情を、城の奥深くに閉じ込め目に入れない事でなんとか押さえ込んだ。
調査と処分は保安部の統括者に判断を任せることで目を背け、先ずは国内の安定化を図るべく仕事に埋没した。
彼女の処遇が決まっても目を背け続けて、安定化を、隣国との新たな条約締結を、日々の膨大な公務を優先させた。
そして子供をどうするかの判断を後回しにし続けてきた。
── 幼い子供だ
(分かっている)
── どんな子であれ慈しみ育てるべき子供だ
(そんな事は分かっている!)
『……どう処分しましょう、陛下』
険しい顔をした父の代からの重鎮の言葉が耳を掠める。あの時アシェリードは目を背けた為、保留となっていた。
──裏切りの証
──初めて愛した人の忘れ形見となった子供
どう判断すれば良いか、自由を知ってしまった心では答えが出せなかった。
今になっても二の足を踏み続けているのは、クリスティーナの言う通り「うじうじ」していると言われても仕方ないのかもしれない。
何せ子供はもう5歳になるらしい。いい加減決断するべき時だ。
自嘲の笑みを口の端に乗せたアシェリードは、回顧する頭を緩く振って現実へと目を向ける。
それにしてもと、アシェリードは思う。
「…………ミクダリハンって何だ?」
きっと突きつけられるくらいなのだから、恐ろしい物なのだろうか。まずは冷静に何が起こっているかを見て判断しなければ。
国王の顔を被り直したアシェリードは、執務室に向かうべく侍従に声をかけた。
そろそろストック切れです(^_^;)
応援して下さいませぇ(´*ω*`笑