表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

織田先生はなぜ授業参観を休んだのか

作者: 下鴨哲生

 その日、事件が起きた。

 といっても、そこまでの大事というわけではない。

 だが、我々生徒にとって、ひいてはこの学校に関係する教師から保護者から要員さんから。そのような人たちにとってこの出来事はまさしく事件と言って相違ない。

 これを読んでいる人たちによっては「恐ろしくどうでもいい」と言うだろうが、そんな方々には、これはあくまでも我々にとっての事件なんだとご理解いただきたい。


 実はある日、倫理の織田(おだ)先生が学校を休んだのだ。それも、授業参観の日に。


     〇


 授業参観が行われたのは七月の第一土曜日。休み返上で決められた参観日の朝は誰もが得をしない苦痛の朝であった。

「なんで授業参観が土曜日なんだ……どうせ、一・二時間しかやらないんだから、平日の午後とか使えばいいじゃん……めんどくさい」

 俺は窓際の自分の席でただただうなだれていた。俺の席の前には、同じ新聞部の進藤(しんどう)の席がある。

 進藤は俺のほうへくるっと向きを変え、背もたれに腕を置いて顎をのせた。机にふせっている俺と顔の高さが同じになる。

「しょうがないだろ?文句言ったところでどうにもならないんだしさ。それにお前だって、そんなこと言って学校に来ているじゃないか」

 メガネの奥の瞳が、俺をあざ笑っているのがわかる。どこまでも芯が読めない男だ。

「進藤だってわかってるだろうが。今日の授業参観の科目は――」

 今日の授業参観の科目は「倫理」だ。その科目だけでも小難しくてとっつきにくいというのに、加えて倫理の担当は"あの"織田先生。休めるわけがない。

「まぁそうだなぁ。俺でも休まないわな」

 それだけ言うと、進藤は前に向きなおった。一時間目が始まるにはまだ時間がある。一時間目が始まっても時間はある。授業参観は四時間目。まだまだ時間はある。

 ということで、俺は暖かい日の光を浴びながら、習慣の深い眠りへと落ちていった。


     〇


 異変が起きたのは三時間目と四時間目の間のなか休み。俺が目をさましてから五分ほどたったときである。

 織田先生が俺たちの教室に来ないのである。

 もちろん、今は休憩時間であり、授業が始まるまでにはあと十分ほど時間がある。それでも、教室内はざわざわと騒がしくなり、クラスメイトたちは口々に織田先生の名前を口にしていた。

 

 織田先生は何事にも準備万端である。いつも授業が始まる十分前には教室に入り、準備を整えている。その準備はいつも静かである。織田先生も、生徒も一言も発せず、静かである。授業前の休憩時間、教室内は決まって喧騒に包まれるが、織田先生の授業前だけは異質であった。


 その異質が今日は訪れないという異変。


 その異変は、教室内に入ってきた保護者へも伝染していった。保護者間でも、織田先生の存在は有名なのである。

「なんで織田先生がいないの?」

「なに?休み?ありえなくね?」

「えー休んだら殺されると思ってデート断ってきたのにー」

「あら、織田先生がいないのねぇ。いつも早く来すぎてるって話だったのにねぇ」


 教室内が、織田先生の話で埋め尽くされる。

 この間も、時計の針は順調に進んでいた。


     〇


 あと一分。あと一分である。授業が始まるまであと一分まで迫った。

 ここに来て、教室内のざわめきがすっと消えた。決定的瞬間である。

 無遅刻無欠席無早退。完全無欠な織田先生の記録が今、この瞬間、静かに崩れていった。


     〇

 

「なるほど、それは確かにスクープね」

 新聞部部長の岩上(いわかみ)先輩が静かにつぶやいた。彼女は俺の二つ上の三年生だ。黒髪のロングヘアーで顔も美人ではあるが、俺はこの先輩のことがある理由で苦手である。

 授業参観日の午後、新聞部の部室でたいそう豪華な部長席へと座った岩上さんに、進藤が詰め寄っていた。

「でしょう!織田先生がこれまで授業を休んだことはありません。しかし、今日。織田先生は授業参観を休み、学校まで休んでいるそうです。どうです?これ。調べる価値があると思いませんか?」

 進藤さんは織田先生が学校を休んだ一件を調べ上げ、新聞に掲載したいと申し出た。

 岩上先輩は、椅子の背もたれに大きくもたれかかりながら悩んでいた。そして、自分のデスクで顔を伏せている俺を見つけると、じっと俺を見つめてきた。

「ねぇ、どう思う?このネタ。記事にするべきだと思う?」

 またこれだ。岩上先輩はいつも俺にネタを取り上げるか聞いてくる。部長は自分だというのに、彼女は俺の意見を聞きたがるのだ。

「どうでもいいと思いますよ。織田先生だって休みたいときぐらいありますよ。もしかしたら寝坊とかそんなおちゃめな理由かもしれない。取り上げてもなにかでてくるとは思えませんけど」

 俺の言葉を受けて、岩上先輩は小さく「そうねぇ」とつぶやいていた。

「待ってください!先輩!もう校内では織田先生の話でもちきりです!この話題を取り上げなければ、新聞部の名が廃りますよ!」

  

 進藤の話はごもっともである。

 織田先生が学校を休んだという話は秒速で校内を駆け巡った。ものの一時間で生徒ほぼ全員へと知れ渡り、学校内は騒然としていた。


 そういえば、なぜここまで織田先生が有名なのかを説明していなかった。

 織田先生が無遅刻無欠席無早退。これがまず、織田先生の前提である。彼のすごい所は、その無遅刻無欠席無早退が連勤三百六十五日ということにある。

 休日祝日はもちろん、冠婚葬祭までも休みをとったことはない。親の葬式でさえも、定時である十七時まできっちり勤務したうえで向かったそうである。

 生徒や他の教師すらも登校しない大型台風直撃の日に、ひとり学校で宿直をしていたという話まである。


 要するに、労働基準法など考えたこともない傑物なのである。


 その傑物加減は性格にも現れており、織田先生は常に硬派だ。怒りっぽいわけでもなく、怖い叱り方をするわけでもないが、銀縁メガネの奥の瞳は鋭く、それでいて妙な威厳を持っている。その威厳は、校舎裏にいるような不良たちでさえ押し黙るようなものだった。


 織田先生が一日学校を休んだ。

 それは学校全体の一大ニュースなのだ。


「うん。やっぱり調べましょうか。これを逃すなんて新聞部じゃないわよね」

 あぁ、そうなりますか。この展開は何となく読めていた。学校全体、もしかしたら地域全体に轟くかもしれないとっておきのネタを、この人が逃すわけがない。

 岩上先輩は席を立ち、そのまま俺のほうへ寄ってきた。そして、俺の両肩に手をかけると、俺の目と鼻の先まで顔をグイっと近づけてきた。

「ねぇ。今回の取材、私に協力してくれるわよね」

 先輩は俺に協力を求めてきた。俺は体を起こして、その協力を全力で断る。

「いやです!イヤイヤイヤ。大体、俺は文字の打ち込みだけやってくれればいいって言うからこの部に入ったんです!なのに、なんで取材があるたびにどっかに連れていかれて散々こき使われるんだ!約束が違う!」

 俺は岩上先輩に全力で抗議した。

 もともと俺はあることがきっかけで先輩に無理やり入部させられたのだ。そんな活発に活動しなくてもいいから、データの打ち込みなどを手伝ってくれと言われて。

 しかし、これだけで先輩が引き下がることはない。

「そんなこと言っていいのかなぁ……"あのこと"をバラされたら困るんじゃないかなぁ」

 岩上先輩が俺の耳元でつぶやく。そのささやきで俺の全身の毛が逆立った。

 それはまずい。非常にまずい。先輩が知っている"あのこと"が学校に知られれば、俺は学校にいられるかどうかわからない。

「先輩お願いします。そのことだけはどうか内密に……」

「じゃあ決めなさい。働くか、バラされるか、私の恋人になるか」

 なぜ選択肢が増えているのか、そして増えた選択肢があまりにも強烈だったことはさておいて、こうなってしまってからの俺の答えは決まっている。

「わかりましたよ……働きます。えぇ、働きますとも。働かせてください」

 こうして、俺は織田先生が学校を休んだ理由を調べることとなった。


「ちなみに、バラされるか恋人になるかだったらどっちを選ぶ?」

「前者を選びます」

 俺は即答した。


     〇


 "二年生、コギャル女子からの情報"


 織田っちが休むとか超やばいよね(笑)

 私の友達も超騒いでてぇ、SNSとかでいろいろ調べてるっぽいんだけどぉ。

 なんかぁ噂ではぁ、織田っちが事故にあったとかぁ、事件に巻き込まれたとかぁ、なんか警察沙汰で来れなかったってさぁ。

 まぁ、織田っちがそんなことするのかなぁって思ったけどぉ、実際になんか織田っちが血まみれで商店街を歩いてたって話もちょっと聞いてたからぁ、ほんとに殺人事件起こしちゃったのかなぁなんてぇ。まぁ冗談だけどぉ(笑)


 ところでなにぃ?みんなもおだっちのこと調べてるのぉ?あっ、新聞部?そっかぁ、やっぱりおだっち有名だもんねぇ。

 ところでさぁ、私おだっちのこと以外にも色々ネタしってるんだけどぉ……

 

     〇


「どう思う?」

 岩上先輩が俺たちに聞いてくる。まずは進藤からだ。

「警察沙汰というのが本当であれば、騒ぎはこんなことで済まないでしょうし、先生方からもなにかあるでしょう。可能性は捨てきれませんが、なしと考えて良いんじゃないでしょうか」

 進藤は自分の意見をはっきりと答え、岩上先輩はそれを受け止め、小さくうなずいた。

「じゃあそっちは?」

 次は俺の番である。

「織田先生なら無表情で人殺しそうですけどね」

「たしかにね」

 俺の言葉を受けて、岩上先輩はクスクスと笑っていた。


     〇


 "高校教師男性からの情報"


 織田先生?今日は休みだよ。さっき連絡があってね。病欠だって。

 声?別に普通だったな。まぁ喉にこない風邪ってのもあるからね。あ、もしかしたら風邪じゃないのかも。もしかして、結構深刻な病気で、そのショックで学校にこれなかったとか……なんてな。


 そんなことあるわけナイナイ

 あぁでも、織田先生の電話の奥でなんか電話の奥で波の音がしてたな。

 海に行ってたのか?でも、この町に海なんかないし、第一体調が悪いのに何で外に……


 あっ、ごめんごめん変にひとり語りしちゃったね。

 君たちは新聞部だったか。やっぱりね。織田先生が休むなんて一大事だもんね。これは是非記事にしなくちゃ。ところで――


     〇


「あーん!部費用減らされちゃったぁ……慰めてぇ」

 岩上先輩が俺に抱き着いて締め上げてくる。ハイムリック法並みの愛の抱擁は完全に俺を絞め殺しに来ていた。

「いたたたたたたぁ!はなれろはなれてはなれてくださぁい!大体当然じゃないですか!実績もなんも上げてないんですから部費下げられてもしょうがないですよ!」

 慌てふためく俺を見て、進藤は腹を抱えて爆笑している。この腐れメガネが。

「だってしょうがないじゃない。うちの新聞部は三人しかいないの。そのなかのひとりは打ち込みしかやりたくないっていうぐーたらだし、私の恋人になってくれないし」

 最後のは全く関係ないと思うんですが。

 

 岩上先輩をなんとか引きはがし、織田先生の話へと戻る。

「病気って線はなくはないですね。だとしても、風邪はありえないでしょう。織田先生が風邪ごときで休むことはありません。もし風邪なら防護服を着てでも登校しますからね織田先生は」

 進藤は冷静に情報を分析している。

「つまり、病気だとしたら、それなりに重いものだってこと?」

 岩上先輩が何事もなかったかのように進藤に問いかけた。ちなみに俺はこの間、この二人の横で腹をおさえながら悶えていた。

 しかし、この二人はそんなことを気にせずに分析を続ける。

「昨日病気を宣告されてあまりのショックに今日学校を休んだ。というのはありえますね。織田先生も人間ですから、命に関わるとなればさすがに動揺するでしょう」

 進藤の話を聞いたあと、岩上先輩は少し考え込んだ。これはただの推測であって、なんの信憑性もない。ときおり、こういった不確かな情報のまま新聞にするというがいるが、残念ながら我が新聞部はいつだって真実以外は記事にしない。

 岩上先輩は、悶えている俺の顔を覗き込んでどう思うか聞いてきた。この人は数分前に俺にしでかしたことをすでに忘れている。

「え?なんですか?病気?あぁもうあれですよ、痔とかですよきっと」

 正直、この瞬間の俺に色々考える余裕はない。ただただ腹の中から何かが出そうなのを堪えるばかりである。


 その後、俺たちはいくらかの生徒に質問をしたが、これと言って面白そうな情報はなかった。最終的にやはり、本人から聞いてみるのが一番良いという結論に至った我々は、本日の調査を負傷者一名という形で終えたのだった。


     〇


 翌日、日曜日。

 休日であるというのに呼び出された俺は、自分のデスクに顔を伏せって苦言を呈した。

「なんで日曜に呼び出されるんですか。休むときはきちんと休むことによって健全な学校生活が――」

 こんなことを言ったところで無駄なことは重々承知である。しかし、ここで抗議することをやめてはいけない。もし、こういったことを受け入れてしまえば、今の境遇よりもさらにエスカレートする可能性が出てきてしまう。

「"健全"な生活っていっても、お前はどうせ部屋から出ないだろ?漫画読むかゲームするかして、一日中ぐーたらするだけじゃないか。そんなんだったら部の活動に付き合った方がまだ"健全"さ」

 進藤が憎まれ口をたたいている。残念ながらその憎まれ口は的を射ているため、俺としては反論できない。

「そういえば、君の家ってどこにあるの?」

 岩上先輩が不吉なことを聞いてくる。もちろん俺に教えるつもりはない。

「こいつの家ですか?えっと……」

「シャァラップ進藤!ポッキーおごるから!」

 進藤の裏切りを俺は全力で阻止した。岩上先輩は明らかに不機嫌そうな顔をしていた。


「ところで、なんで日曜に召集かかったんですか?」

 俺は岩上先輩に尋ねた。

「なんでって織田先生のことを調べるために決まってるじゃない。織田先生は土日もきちんと出勤してくるような人なのよ。だとしたら、今日は織田先生来てるかもしれないじゃない」

 どんなところよりも早く情報を仕入れる。まぁそれは新聞部としては大切だとは思うが、そのせいで俺の休日が一日潰れたことを俺は一生忘れないでいようと思う。

 そしてなにより、織田先生がこの日学校に来ていなかったことで、つぶれた俺の休日は無駄だったという結論に至る。


     〇


「二日連続で休みか……前代未聞だな」

 進藤が自分の手帳を見ながらつぶやいた。

「いや、なにが前代未聞だよ。休日は普通休むもんだろ」

 俺の言っていることはド正論だと思う。しかしなぜか俺は進藤と岩上先輩に総スカンをくらった。

「その普通が織田先生にとっては普通じゃないんだよ。土曜だろうと日曜だろうと、国民の祝日だろうとゴールデンウィークだろうと、織田先生は学校に来るんだ。仕事をしにな」

 あらためて聞くと異常としか思えない。なぜそこまできっちりかっちりした生活を送らなければならないのか。

「織田先生って部活の顧問でもしてたんですか?だって部活動でもなければ休日出勤する意味なんてほぼないに等しいでしょう?多少、仕事はあるにしても」

 俺は二人に織田先生について尋ねた。すると、岩上先輩が自分の胸ポケットから小さなピンクの手帳を取り出し開いた。

「織田先生はなんの顧問も受け持ってはいないわね。でも生徒会の担当教師は織田先生みたい。生徒会が休日に集まることもあるし、それに教師の仕事っていうのはやり切ることができないくらい無数にあるわ。やろうと思えば休日にやれることもいっぱいあるはずよ」

 その話を聞いて、俺は少しだけ織田先生に感服する。

「かわいい手帳ですね」

 俺は岩上先輩の手帳を見・・ながらそう言った。

「きゃぁ。かわいいって言われちゃったわ。私うれしい」

「かわいいって言ったのは手帳のほうです」

 俺は先輩の言葉を冷静にバットで打ち返した。


 その後、俺たちはネットで情報を集めることにした。生徒のSNSや学校の掲示板など、真偽のほどは定かではないが、情報はいくらでも転がっている。

 しばらく作業をしたあと、進藤がパソコンを操作しながら「あっ、これは……」とつぶやいた。

「先輩!ちょっとこれ見てください」

 呼びかけられた先輩が進藤のパソコンを覗きにいく。それにつられて、俺も進藤の隣に駆け寄った。なんだかんだ言って気になってしまうのが人間のさがというものである。


     〇


 "一年生女子。SNSからの情報"


 十一時三十七分、織田先生発見!

 女子高生ぐらいに見える女の子と商店街を歩いてる!

 まさかのえ…えん…きゃー言えない!

 学校休んだのもこれが原因かな?


     〇


「これ、今日の午前中だよね。ほら、写真もついてる」

 岩上先輩がパソコンの画面を指さした。SNSの投稿には画像が添付されている。その画像には、織田先生らしき人物とだいぶ若い女の子が腕を組んで歩いている。

「この女の子、ずいぶん若いな。だいたい俺たちと一緒か……すこし上かな」

 投稿通り、織田先生と一緒にいる女の子は高校生ぐらいに見える。定かではないが、もしそのような女の子と付き合ってるのだとすれば、それはいわゆる犯罪になる可能性がある。

「合成の可能性は?」

 岩上先輩が進藤に尋ねる。

「その可能性は低いですかね。よく見ると、似たような投稿がいくつかあります。それに、このような合成写真を作る場合は、光の加減や影の形が不自然になることが多々ありますが、この画像はごく自然な形になっています。もし、これが本当に合成だとすれば異常に良いつくりの合成写真です。普通の女子高生に作れるものではないですね」

 進藤はこの手のプロである。以前岩上先輩からの依頼で、俺と先輩が一緒にデートしている画像を作ってほしいと依頼され、見事にそれを作って見せた。

 そのせいで俺がどんな目にあったのかは思い出したくもないので察してほしい。

 そんな彼が偽物ではないというのならば、きっとこの画像は本物なのだろう。


「でもそれだけで犯罪だと決めつけるのは無理があるよな。よくある妹展開とかは?」

「たしか、織田先生には妹はいなかったはずよ。それにいたとしても、織田先生は今年で三十五歳。もし、高校生ぐらいの妹がいたとしたら二十ぐらいの歳の差があることになるわ。ありえないでしょ?」


 有力な情報ではあるが、さらに謎が増え、織田先生が犯罪に手を染めているかもしれないというなんとも気分の悪い展開になってきた。


     〇


 "生徒会の会長からの情報"

 織田先生がそんな犯罪に手を染めるなんてことはありません!

 織田先生は倫理の教師としていつも節度を持った行動を心がけており、私たち生徒会もそれに準じて節度ある行動を普段から行っています!

 たとえ地球がひっくり返ったとしても、いや、実際にはひっくり返ることはあり得ないのですが、もし!イフ!そんなことが起こったとしても織田先生が犯罪に手を染めることなどないのです!

 今回、織田先生が休まれたというのは私たち生徒会一同も困惑をしているところではありますが、織田先生が中途半端な理由で動くことがないのは、いや、実際には動かず休まれたのですが、とにかく!よほどの理由があったと、私たち生徒会は考えています!


 間違っても、織田先生のそんな不埒な情報を新聞に載せたりしないように!生徒会から断固新聞部へ自粛を求めます!以上!

 それでは、仕事がありますので、どうかお引き取りを!


     〇

 

「画にかいたような生徒会長さんね」

「うちの生徒会長あんなんでしたっけ」

 俺がこの学校の生徒会長を見たのは初めてかもしれない。

「お前は朝礼とかも居眠りしてるからな。そりゃあ見覚えがないだろうよ」

 その通りだが、その言い方は不本意である。体力の温存と言ってほしい。

「まぁ、生徒会長さんのことはさておいて、内容に目を向けましょう。織田先生は言うなれば品行方正といった先生よ。その振る舞いは生徒のみんなが知っている。そんな織田先生が犯罪を犯すなんてことはやっぱり不自然なことなのかしら」

 岩上先輩は顎に手を当てて悩んで見せる。

 内容が内容なだけに進藤もここでは分析に苦心しているようだ。

「まぁ、人間なんてものは測りしれませんからね。いくら外見がちゃんとしていても、部屋がメッチャクチャ汚いみたいなことはよくあることですよ」

 俺は今思える自分の意見を発言した。

 俺の言葉を聞いて、進藤は口を尖がらせて苦い顔をしていたが、岩上先輩は俺のほうを見てクスッと笑った。

「ええ、そうね。私はそういう君の少し悟ったようなところが大好きよ。なんにせよ、私たちは正しいことを書く。もうちょっと深く調べてみなきゃね」

 先輩はそう言って、新聞部の部室へと戻っていった。


     〇


 翌日の月曜日。この日は授業参観日の振り替え休日であったが、予想通り俺は新聞部に呼び出された。

 しかし、結論から言おう。この日の収穫は何ひとつない。

 聞き込みを行って出てきたのは、病気、事件、事故、犯罪。色々な情報を手に入れたが、そのどれもに確信はなかった。

 おまけにこの日も織田先生は休みということで、校内では「本当に織田先生は大丈夫なのか」という話が渦巻き、先生方は騒然。その日は部活動も中止を余儀なくされ、俺たちも活動を中止した。


 そして、その日の夜、俺は学校の生徒のSNSをチェックしていたとき、衝撃の投稿を見ることになる。


     〇


 "三年生男性。SNSからの情報"


 #織田先生

 今日、商店街で織田先生を見た

 女の人と一緒に歩いていたぞ

 気になってつけてみたら、なんと織田先生はその女性と一緒に産婦人科医院に入っていったんだ

 正直俺はこれを投稿するかすごい悩んだが、確かなことが知りたい。情報求む


     〇


 翌日、火曜日。普通登校の日である。

 織田先生が登校してきた。

 何人もの生徒が織田先生に詰め寄っていたが、織田先生はいつもと変わらないシュっとした顔で学校を歩いていた。

 そして、倫理科目の時間。何事もなく終わった。

 いつもと変わらない普通の授業であった。ひとつ違うことは俺がちゃんと授業を受けていた点である。織田先生の授業は寝るとなにを言われるのかわからないため居眠りは自粛していたが、実際、起きているだけできちんと授業を受けたことはなかった。しかし、今回のことをうけて、織田先生の話を一字一句漏らさないようにと気を付けているうちに、だんだん倫理の話が面白く思えてきたことを俺はここに告白しようと思う。


 そうして、今日一日の授業が何事もなく終わり、俺たち新聞部は部室に集合した。

 そして、織田先生が待つ、理科準備室へと足を運ぶのだ。


     〇


 理科準備室のドアを開けると、中には木の椅子が上に乗った大きな黒いテーブルがある。壁沿いには、実験器具などが詰められた棚がいくつもある。

 織田先生は、窓際の日が当たる部分に気の椅子を下ろして、そこで小難しい本に読みふけっていた。

 岩上先輩が先生に向かって「織田先生」と呼びかけた。本に集中していた織田先生は声に反応して俺たちを見る。そして少し目をひそめるとやっと俺たちに口を開いた。

「君たちは新聞部だったね。名前は確か――」

 織田先生は俺たちのクラスと名前をピタリと言い当てた。言っておくが、俺たちはそんなに織田先生と喋ったことはない。岩上先輩にいたっては、倫理の授業の担当が違うため初対面に近いはずである。

「よく名前がわかりましたね」

 俺は言った。

「あぁ。もちろんだ。この学校の生徒のクラスと名前は全員把握している。一応、教師だからな。ちなみに、君が居眠り常習犯だということも知っているよ。私の授業で見たことはない。集中はしていないようだが」

 織田先生には俺がまったく授業を聞いていなかったことがバレていたようだ。先生はなぜ私の居場所が分かったのかと俺たちに問いかけた。進藤が前に出て、それに答える。

「先生方に聞きました。織田先生がいつもここで本を読んでいると。それに今は、織田先生はときの人ですからね。そのやじうまを避けるためにもここは最適だと」

 進藤の話を聞きながら織田先生は小さくうなずいていた。そして最後まで話を聞き終わると、手に持っている本をパタりと閉じてテーブルに置いた。

 織田先生がテーブルの上の椅子を下ろし始める。三つほど下ろし終わったところで、そこへ俺たちを座らせた。

「君たちが聞きたいのは、私が学校を初めて休んだことだな。いいだろう、ここを突き止めた君たち新聞部には包み隠さず話すことを約束する」

 そう言って、織田先生は俺たちをまっすぐ見つめた。


 岩上先輩が胸ポケットからあのかわいい手帳を取り出して、取材を開始する。

「では、織田先生。織田先生は完全無欠、品行方正と言った言葉を体現しているかのような先生です。その織田先生が授業参観日を休まれたことで、校内は騒然としています。こちらで仕入れた情報では、病欠、重い病発覚による心身疲労、事件や事故に巻き込まれた、女子高生との違法なお付き合いなど、さまざまな種類の理由が推測されています。織田先生が女性と産婦人科医院に入っていったとの情報もあります。しかし、我々新聞部はあくまでも本当のこと。真実を伝えなければいけない義務があります。どうか、織田先生が学校を休まれた本当の理由を聞かせてくれませんでしょうか」

 岩上先輩はさすが部長と言わざるを得ない口ぶりで織田先生へのインタビューを開始した。織田先生はただじっと先輩の言葉を聞いている。そして、全ての言葉を聞き終えて、ふぅと一呼吸おくとついに織田先生はついに、我々が探し求めていた情報を話し出した。


「私が学校を休んだ理由は"寝坊”だ」

 

 そのとき我々が文字通り、拍子抜けをくらったのは言うまでもない。

 さらに織田先生は続ける。

「私が産婦人科医院に女性と行ったのは本当だ。一緒にいる女性は私の妻だ。それとおそらく、私が女子高生と一緒にいたというのも本当だろう。そっちは私の義理の(・・・)妹だろうな」

 少しの間、俺たちは言葉が出なかった。妹というのは正解だったが、正確には義理の妹であったのだ。

 言葉が出ない俺たちを見て、織田先生はさらなる話が必要だと判断し、これまでの詳細を語り始める。


     〇


 "織田先生からの証言"


 妻とは七歳の歳の差がある。以前勤務していた学校で出会い、私のほうから告白し、私のほうからプロポーズをした。

 しかし私は、妻を顧みず仕事をし、見限られてもしょうがないとまで思っていたが、そんな私を彼女は献身的に支えてくれた。


 そして、授業参観日の前日の夜。

 仕事から帰った私は、妻に話があると言われた。

 私はおとなしく妻の前に座り、言葉を待つ。そして妻から衝撃の告白があった。

 子供ができた。その話を聞いたときに、私の心はこれ以上ないくらいに高鳴り、無意識に妻を抱きしめていた。

 その日、私は胸の高鳴りを隠せないまま床に就き、布団の中で久しぶりの夜更かしをした。


 翌日、授業参観日であるというのに私は寝坊をした。十分の寝坊だ。いつもは六時五十分に起きているというのに、あろうことかその日は七時に起床したのだ。

 たかが十分と思うだろう。だが、私にとってその寝坊は教師人生で初めての寝坊だった。


 私は朝食と身支度を済ませ、駅へと向かう。そして、一本遅れた電車へと飛び乗った。

 そこでふと気づく。いつも見ている人たちではない人たちが電車に乗っている。一本違う電車に乗っただけでと思うかもしれないが、私はそのとき確かにそう思ったのだ。


 そして、私は電車の席に着き、なぜか学校最寄りの駅には降りなかった。電車が次の駅、次の駅へと進んでいく。

 私が降り立ったのは今まで下りたこともない駅で、周りは山に囲まれ、うっすらと海が見える土地だった。

 すぐに戻ろうかとも思ったんだ。だが、なぜか、私の足はその土地をただ歩いていた。

 

 山の空気や田んぼの景色、通りすがりの知らない年配の方々。そして、ついに海へとついたとき、私の目にはなぜか涙があふれていた。

 そして、落ち着きを取り戻したとき、私は学校に何の連絡をしていないことに気が付いた。そこで一本の電話を入れ、電話を切ったときに私のお腹がグーと鳴った。私は道端の初めて入る民営のそば屋で昼食をとり、そのまま家へと帰り、妻に怒られた。


 次の日も学校を休んだ。もともと休日なのに休んだというのも変だが、私にとってそれは初めて意図的にとった休みだった。

 妻は妊娠の報告を自分の妹にもしていたらしく、なるべく妻には安静にしていてほしいと思った私は駅に義妹を迎えに行った。

 ああ、言い忘れていたが、私の妻は教師を辞めてからは実家の肉屋を継いでいてね。私もよく手伝っている。肉の解体は手が血まみれになることもあるんだ。大変な仕事だよ。

 その肉屋は商店街にあるから、そのとき写真をとられてSNSにアップされたんだろう。

 その日は義妹と妻と私でささやかだがお祝いをした。


 振り替え休日の日には妻と一緒に産婦人科医院に受診しに行った。

 エコーで妻のお腹の中を見てみると、本当に小さくはあるが、ちゃんと動いている心臓が見えた。私は二日ぶりにまた泣いてしまった。私につられてか、妻も目に涙を浮かべていた。


 そして、私は思った。自分に子供ができてやっと理解できた。

 倫理の教師として、生徒に手本とならなければと仕事に打ち込み、様相もきちんとしてきたが、本当に手本となるということはこういうことではないのだと。

 子供には、そうやって固く、縛られて生きることを教えるのではなく、人として本当に大切なものをもっと自由に考えて、自由に生きてもらうのが一番なのだと。

 それこそが、本当の倫理なのだと、私は思った。


 今まで私が考えていた倫理より、さらに難題になってしまうが、きっと、それだけの価値がそこにあるのだ。


     〇


「私が学校を休んだことで、学校はざわめき、あらぬ情報が飛び交っている。しかし、そんな中で君たちは情報の真偽を疑い、考え、真実のみを新聞に書き記そうとした。そして、それによって今まで居眠りばかりのぐーたらであった生徒が授業に集中できるようになった。私が今まで教えてきた方法よりも、今回私が休んだことのほうがはるかに得るものが多かったんだな」

 先生はそう言って、初めて俺たちに微笑みを見せた。その微笑みは教師というより、父親の優しい笑顔と呼ぶべき微笑みであった。


     〇


「先輩。今回の記事、どう書くんですか?」

 理科準備室を出た廊下で進藤が岩上先輩へと尋ねた。

「そんなの決まってるじゃない。書くべきものを書くだけよ」

 そう言い放った岩上先輩は一足先に部室へと帰っていった。その後ろ姿を美しいと思ってしまった自分を俺は悔しいと思っている。


「そういえばさ、岩上先輩が知っているお前の秘密ってなんだったの?」

 進藤が俺のほうへ向いて手帳を構えた。

 本当は話したくないが、まぁ、今の気分であれば別に話しても後悔はないだろう。

「俺が入学したてのころ、電車で痴漢の冤罪をかけられそうになったんだ。別の高校の女子高生に。もちろん全力で否定したけど、相手にされなかった。周りの人たちが俺を汚らしい目で見てくる中、岩上先輩が俺を守ってくれた『その子の右側にあなたがいたんだから、右手にスマホを持っているその子に痴漢ができるわけないでしょう』って。そのおかげで俺は助かったけど、その見返りに新聞部の入部を強制されたんだ。『入らなければ、このことに尾びれ背びれをくっつけてばらまいちゃうわよ』って脅されて」

 俺は全てを包み隠さず話した。

 しかし、進藤はなにひとつメモをとっていない。そしてただ一言。

「そんなことか」

 そうつぶやいた。その言葉を聞いて、俺はクスっと笑って見せる。そして言い放った。

「ああ。そんなことだよ」


     〇


 その後、昇降口前の掲示板に我が新聞部の校内新聞が掲示された。

 その内容はめんどくさいので省略させてもらうが、ひとつだけ言うことがあるとすれば、その新聞の影響で校内の疑惑の喧騒がお祝いの喧騒へと変わったということである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ