⑨
「わしも少々場違いな立場だと存ずる」
立ち上がったこの老人は、第1の妻でありランドルフの母であるヴィルマの祖父の弟、ブレソール・ブロウだった。
「だれが場違いだと?」ベルダムはブレソールの襟首を掴んで膝をつかせたあと、足で背中を乱暴に押さえつけた。「元凶はきさまだろうよ」
怨恨の渦から生まれた竜巻のようなベルダムの口調に、わめいていた老婆も押し黙った。死んだランドルフに付き添うヴィルマは迫りくる災いの再来に怯えるように肩越しに覗き込み、イニアスの頬に悲痛の涙を落とすダーナは滅亡の影に飲み込まれ、終始目を閉じていたアニカでさえ、落雷に裂ける大地から身を守るように、ベルダム一点を注視していた。
「元凶だと? 陛下の死とわしにどんな関係があるというのだ」床に額をつけるブレソールが言う。
「それときさまもだ」斜め前に危坐しているイニアスの祖父ギスランの頭部を、ベルダムは剣先で小突く。
ギスランは振り返りもせず、無言でいた。
「身に覚えがないと言うか?」ベルダムは戻した剣をブレソールの頭の傍に突く。「陛下が精神を病んでしまわれたのはきさまらのせいだというに。おれが何も知らぬと思ったか? 一族の名誉のために王冠に手を伸ばすその者にいつか殺されるだろう、と陛下は怯えていたのだ。きさまらは陛下に金や石材といった恩を売り、見返りに王位を求めた。ランドルフとイニアスはきさまらが陛下を脅迫していたことなど知らぬだろうに。かわいそうなことをした。きさまが欲のために陛下を混乱させなければ、王位はブロウ家出身であるランドルフに渡っていたであろう。きさまがランドルフの栄光を潰したのだ」
背中を押さえつけている右足に力をいれると、ブレソールは呻き声をあげた。
「わしは何も知らぬぞ、脅迫などと、ばかな。わしは陛下とは一度も会ったことがないというに……脅迫などと!」
足元で苦しむブレソールにかまわず、ベルダムは前方のギスランの肩に剣先を乗せた。
「若きふたりの勇士の死の原因はきさまにもある、ギスラン。嘘がおれに通用すると思うなよ? 星神の災いがふりかかるなどと怯えさせ、エヴェルス家の発展のためにイニアスへの譲位を要求した。イニアスもまさか己の死を招いたのが実の祖父の欲望とは思わぬだろう。哀れな奴だ。あのふたりは仲が良い。部外者が口出しさえしなければ、王になれずとも、兄とともに輝かしい道を歩めたであろうに。そして陛下も無様な死をまぬがれ、きさまらもこのような目に遭わずとも済んだであろうに。ギスラン、身に覚えがあるというのならきさまも頭を下げよ。ここにあつまった親族どもに詫びる必要があるだろう」
老齢のギスランは、腐りゆく枝が折れるように頭を垂れた。ベルダムはすかさず地に額をつけさせるべく、ギスランの襟首に足を乗せ、力強く押し付けた。
ギスランは声を絞り出す。「かの大陸を追われてから数百年と時が経ち、セザン人は信仰心を失いつつある。もとは我らもタハトージエに生まれた種族。星神への祈りを忘れてはならぬと進言したまで。王位を欲していたのはおまえさんであろうに」
「だからおれをこの地へ追いやったのであろう」ベルダムはギスランの頭部を乱暴に踏みつける。「きさまらは陛下に、前の城主は病に倒れたと伝えていたようだが実際は殺されたらしいな。はじめからおれを追いやる計画があったのだろう。残念だったな、おれがレイムゲルドへ来なければこんなことにはならなかった」
いつのまにか窓の外では薄日が差していた。ギスランから足を離すとき、ある女の姿がベルダムの視界にはいった。なにかを思い付き、ベルダムは目のあったその女へ微笑みかけ、王座へ腰をおろした。
「オーレリー、おまえは自由にしてやろう!」名を呼んだ女は王の第3の妻。「おまえには世話になった。縄をといてやれ」
ベルダムが指示すると、近くにいたロンファーニアの騎士が縄を切る。解放されたオーレリーのそばには12歳の長女、11歳の長男オークス、そして2歳の次男リュファスがいたが、彼女は真っ先に次男だけを両手に抱え、こう言った。
「子どもたちにも慈悲を!」
「おまえひとりだけだ」と、ベルダムは返す。
「この子だけでも、どうか、この子は」オーレリーは必死に訴えようとするが、言葉を詰まらせる。
「助けるのはおまえひとりと言っている。子まで面倒を見るつもりはない。不服ならここへ残ればいい。話は終わりだ」
ベルダムが席を立とうとすると、「でも、この子は……」オーレリーは膝立ちになり何度も目配せをした。
「そういや言っていたな」王座に深く座り直し、ベルダムは王を指した。「ろくに部屋に来なかったおまえが知らぬ間に子を産んでいたと。いったいだれの子か、と陛下は言っていた。さすがにおれだとは言えなかったが、真実はおれにもわかるまい」
ベルダムの快活な笑い声に、オーレリーは両手で顔を覆って床に崩れ落ちた。
「だからあれほど言ったろう? たまにはあいつの部屋に行っておけと。だが訪ねた日にはかならずアニカが部屋にいたか?」ベルダムは身を乗り出し高らかにわらう。「それともおれが邪魔したか!」
不名誉なおこないを口外され打ちのめされる母親を、次男のリュファスは見つめている。長男のオークスは呼吸が乱れるほどむせび泣き、長女は涙の枯れ果てた鋭い目つきで母親を睨んでいた。
「どちらでもいいが、はやく決めてくれ、場所を移動する。子どもらと残るならそのまま泣いていろ。おれに従うつもりなら立て」
オーレリーはゆっくりと身を起こす。子どもたちの視線から隠れるように、涙を拭うふりをして、立ち上がった。
「そこで待ってろよ」ベルダムは奥の寝室を指す。
オーレリーは断ち切るようにリュファスから一歩はなれ、顔を覆ったまま後退する。そのようすをベルダムは興味深く観察しており、オーレリーが体の向きを変えたとき、さらなる欲を満たすため、女を呼び止めた。
「あいさつくらいしていけよ!」
広間に響くベルダムの声にびくつき、オーレリーは振り返る。長時間拘束され、心身ともに疲弊していた女は何を言われたのかおぼろげにしか理解できず、ただちにベルダムの足元へ跪き、その膝に口付けをし、あらゆる恥から逃れたい一心で広間を去った。
ついに次男のリュファスが兄の涙につられて泣き出すなか、長女だけは呪いをかけるように、逃げ去る女の背を睨みつけていた。その敵意に満ちた嫌悪の視線は侮蔑の刃であった。
女が消えるとベルダムは踵を打ち鳴らして吹き出した。「おれはせめて子どもらにあいさつをしろと言ったつもりだったんだがなあ! おれにキスしやがった。あれでも母親か?」
レイムゲルドの騎士たちはおろか、一部のロンファーニアの騎士たちも、上機嫌なベルダムに阿諛追従の笑みを捧げるようになっていた。