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ソルド  作者: 安三里禄史
三章 踵を打ち鳴らす
8/9

「だがすこし人数が多い。それに」

 と言ってベルダムは、イニアスの無言の非難を無視し、乱れた親族の群れのなかへ入り、ある男の前で立ち止まった。男は妻と幼い子どもと身を寄せ合っていた。

「誰だ、おまえは」

 くすんだ黄金色の髪の男は問われ、すこしだけ顔をあげたが、恐怖でベルダムの顔は見られなかった。つま先をこちらへ向けるベルダムの靴と、血の付いた剣先が見える。もしかしたら自分以外の者へ質問しているのかもしれない、と疲れ果てた頭でぼんやりと考え、誰かの返答を待っていたが、雨の音しか聞こえない。妻に肩で体を押され、男はようやく口をひらいた。

「モーリス・バンフィールドと申します」

「聞き及ばぬ名だ。なぜ連れてこられた?」

「わたくしの妻が、ヴィルマさまの妹君のご夫君の、妹であります」

「出身は? ロンファーニアか?」

「ザリルにございます」

 数回軽く剣先を床に打ち付けてから、ベルダムは問う。「坑夫か?」

「いえ、わたくしはザリルの鍛冶屋でございます」

 モーリスの緊張は最高潮に達し、体中から大量の汗が吹き出ていた。ベルダムをよく知らないモーリスにとっては、今朝からつづくこの非常事態を理解することがまず困難であったし、自身の言動のなにが過失とみなされるか気が気でなかったのだ。

「なぜレイムゲルドにいた?」

「友人を訪ねておりました。かねがね、レイムゲルドの広大な街並みを見たいと思っていたこともあり、たまたま訪れていたのです」

 モーリスは先刻の自分の判断をひどく後悔していた。友人の家に泊まっていたかれは、王の親族を探す騎士たちの騒々しい声で目を覚まし、遠い縁ではあるが名乗り出るべきかと迷った挙句、友人宅の玄関を自ら出たのだ。こんな事態になると知っていればだまっていたものを。素知らぬふりをし、ザリルへむけて出発していれば、今頃ラーミナス川に架かる橋を渡っていたであろう。雨でたいそう濡れる災難には見舞われるが、この惨状と比べればなんとささやかな災難であろう!

「そうだったか」ベルダムはモーリスの肩を力強く叩いた。

 モーリスはあまりに驚いて、目を閉じ、首をひっこめた。

「拘束して悪かったなあ、おまえは帰っていい」ベルダムは男の縄を切った。

「ですが……」

 予想に反するベルダムの態度にモーリスは混乱する。ベルダムに肩を押され帰るよう促されたが、ひとりで帰るわけにはいかなかった。

「ベルダムさま……いえ、陛下。わたくしには妻と娘がおります。妻の出身はロンファーニアでありますが、15のときにはもう家を出て、それからずっとザリルで暮らしています。わたくしはもちろん、妻もブロウ家とは関係のない人間であります。どうか、妻と娘も御赦し願えないでしょうか」

「いいだろう」ベルダムはあっさりと許可し、モーリスの妻と娘を立たせ、レイムゲルドの騎士に縄を切らせた。「だがな、ひとつ頼みがある。これからはレイムゲルドに住んでくれ。もちろん住む場所は提供してやる」

 モーリスは思わず、えっ、と声を漏らした。「ですが、それでは……」

 言いかけた夫の腕を強く掴んで、妻は発言を制止しようとした。余計な一言によってベルダムの機嫌を損ねたくなかったからだ。

「なんだ、なにが気になっている? 仕事も与えるし、相応の報酬も出す」

「いえ、そのことでは……」

「言ってみろ」

 モーリスはベルダムの前に跪き、こう答えた。「ザリルにわたくしの年老いた両親がおります。わたくしどもがいなくなれば、両親はふたりきりで生活をするようになるのです。父はまだ働けますが、母は足が悪く、立つこともままならない状態です。父ひとりで母の世話をさせるのはとても心苦しく、心配でなりません。その問題さえなければ、わたくしは陛下のために骨身を惜しまずはたらくつもりでおります」

「父親も職人か?」

「はい、わたくしの技術はすべて父から教わったものでございます」

「ならば両親もここへ連れてくればよい。なに、心配するな、手配はしてやる。おまえたちはしばらく騎士館にでも泊まればいい。空き部屋はあるだろう」そう言ってベルダムは、レイムゲルドの騎士にこの家族を案内するよう命じた。

 モーリスの妻は去り際に広間にいる兄を見たが、無言で目を逸らし、娘の手を握りしめ、早々と階段を降りて行った。恐怖と、自身のおこないから発生したわけではない罪悪感から一刻もはやく逃れるように。

「ほかに遠戚の者はいるか? 場合によっては解放してやる」

 ベルダムは言いながら親族たちの周囲を歩きはじめた。気にとめてもいなかったが、イニアスは母ダーナの膝に頭を乗せて横たわり、すでに息絶えていた。

「ああ……お赦しを、お赦しを……陛下……」

 肌を這う蛇のような老婆の嘆き声があがる。

「だれだ、声をあげる者は」ベルダムは拘束している者たちに目を配る。

「わたくしでございます、陛下。わたくしでございます」

 体をふたつに折るように深く項垂れていた老婆が顔を上げ、擦り膝でベルダムへ近づく。

「おまえも一応は縁者か?」みすぼらしい身なりの老婆をベルダムは怪訝そうに見る。「どう申し出てここへ来た?」

「むりやり連れてこられたのでございます。わたくしは違う、と申しましたのに」

「違うと? おまえは王の親類ではないと申すか」

「ええ、ええ! さようでございます! わたくしが、わたくしのような者が王家のご親族だなんて、そんなことは滅相もない! そんなはずはありえません」老婆は目を見開いて、背後に焚かれた火から逃れるようにベルダムににじり寄る。

「むりやり連れてこられたとはおかしな話だ。だれがおまえを連れてきた?」ベルダムは暇を潰すように老婆の相手をした。

「誰か、とはわたくしは存じ上げません! 知らぬ男です、騎士の男です! わたくしは訳もわからぬまま連れてこられ、嫌だと言っても腕を強く引っ張られ……男の力には敵いません! 抵抗なんてできるはずもございません! なぜわたくしはここへ連れてこられなければならなかったのでしょうか……ベルダムさま? ここへあつまっているのは前の王さまのご親族なのでしょう? わたくしは無関係の者でございます。この場にいることは恐れ多いことでございます。わたくしは一般庶民でございます。ですから陛下はわたくしには用のないことと存じます。どうか、解放してくださいまし。むりやり連れてこられただけなのですから」老婆は涙ながらに訴えた。

「それは気の毒であった。騎士の男とはどちらの騎士か。レイムゲルドか、ロンファーニアか」

「わかるはずもございません」

「外套の色は? 黒か、緑か」

「暗かったものですから……黒、いえ、わたくしは目が悪いのです。この歳になれば皆悪くなるものです。ですから黒、いえ、緑のような……もう忘れてしまいました。あまりにおそろしかったものですから、騎士さまの外套の色は覚えておりません。黒のようにも見えましたし、緑のようにも見えました」

 ひれ伏すように頭を下げている老婆には、相手を小馬鹿にするベルダムの表情は見えていなかった。

「さぞ、恐ろしかったことであろう!」ベルダムは笑いながら言う。「だがむりやり連れてこられたとはおかしな話だ」

 ベルダムと老婆のやりとりの最中、階段の中程にいたロンファーニアの騎士が恐る恐る、一段一段、階上へあがっていた。どうやら自分が関わる案件のようだったからだ。手すりごしに広間の様子が見えるところまで来ると、かれはしばらく死の淵に立たされた者のような顔で、ふたりの会話を聞いていた。ベルダムが老婆の話を信じれば、該当しない者を連れてきたと過失を責められ、罪に問われるかもしれない。事実をいま申し上げるべきか、ひとまずふたりの会話が終わるのを待つべきか――ロンファーニアの騎士はその場で階段を一段上がっては下り、上がっては下り、昇降を繰り返していた。

「この老婆を連れてきた者は誰だ!」

 ベルダムの声は階下まで届くほどだ。ロンファーニアの騎士がちょうど階段をあがったときにベルダムの声が響いたので、「わたくしでございます!」と、かれはそのまま勢いで階上へ進み、名乗り出た。

「親族ではないのにむりやり連れてこられたとこの女は言っている。なぜそのようなことをした?」

「正直に申し上げます。わたくしは、無理にその女を連れてきたわけではありません。そもそも、わたくしのほうから声をかけたわけではありません。わたくしはその者に呼び止められ、話を聞いてやったんです。その者はわたくしに――自分はシュゼットさまの身内のようなものであるから、陛下の親類だ――と言い張ったのです。その者はシュゼットさまの姉上さまのご主人の、弟さまの、たしかその奥方のほうの母上だとか、と申しておりました。もしかしたらその奥方のごきょうだいの奥方の母上だったか……。その身なりではさすがに嘘だと思いましたが、ひとの素性は身なりだけでは推しはかれない暗い事情があるものかもしれないと思い、そして事実であってもベルダムさまの指示に当てはまる親族かどうか、つまり、縁者というにはすこし遠いような気もして――判断しかね、一応連れてきたのです。間違いであったならば連れ戻せばよいと安易に考えておりました」

 ベルダムは、この騎士が名を上げたシュゼットとその姉を注意深く観察していたが、姉妹は不快な顔つきで老婆を見ていた。

「嘘でございます! そんな……! まったくのでっちあげでございます! あの騎士さまはわたくしに何の恨みがあってそのような嘘を言うのでしょう! こんなつまらない年寄りを見世物にして、なにが楽しいというのでしょう! 陛下、わたくしは陛下の邪魔をするつもりはございません、わたくしは場ちがいな人間でしょう? ですから陛下、こんな用なしの年寄りをはやく帰らせてくださいまし」

「あの騎士が嘘を言っているというのか? それが真であれば捨て置けぬ。では皆に聞く」ベルダムは広間の脇の廊下に立つ騎士たちの前を歩く。「この件でほかに証言できる者はいるか? どちらが嘘を言っているのかを知りたい」

「わたくしであれば」と、すぐに緑の外套を着た男が名乗り出た。

「言ってみろ」

「わたくしもその老婆に声をかけられました。まずはじめに――大勢の騎士が町中をうろついているが、なんの騒ぎか――と問われたのです。わたくしは伝え聞いていた指示を、陛下の親族を探しているのだと老婆に教えました。すると老婆は、自分も該当するはずだから連れて行ってくれ、とたしかにそう言いました。そのときも、先ほどのかれの説明と同様、シュゼットさまの姉君のご夫君の弟君の……それ以降は忘れましたが、そのなんとかの母なのだと言っていました。わたくしは嘘だと思い、また事実だとしてもあまりに遠い縁者なので、連行は不要と判断した次第でありますが」

 ベルダムは軽く頷いて、「ほかには?」と男たちに聞く。

「わたしはその現場を見ております」と、黒い外套の男。「どちらの騎士とのやりとりだったかまでは覚えていませんが、老婆が必死にロンファーニアの騎士に訴えているのを見ました。騎士の男は大変困っているようすでしたが、老婆のほうはどんどん詰め寄り、たしかにこうも言っておりました。シュゼットさまの幼いころには自分も世話をしたのだ、と。たしかに言っておりました。やはりシュゼットさまの姉君の……なんだかんだと言って、そのだれだかの母だと言っておりました」

 騎士の話を最後まで聞くと、ベルダムは再び老婆の前に戻った。

「ばあさんよ、なにか言うことはあるか?」

 老婆はしきりに、「嘘だ、嘘だ」と呟いていた。

「ああそうだ、ばあさん、嘘は良くない」ベルダムが言う。

「嘘だなんて! ああ! 世の王が聞くのは騎士の言葉だけ! 庶民の訴えなど聞く耳も持たない!」老婆は叫びながら泣き崩れた。

 黙って老婆を見下ろしているベルダムの元へ、レイムゲルドの騎士が寄る。そして、「この女には前科があります。詐欺、窃盗、暴行」と耳打ちした。

「うまい話にありつけると思い、飛びついたというところだろう。もうこの話は終わりだ。おい、ばあさんよ、そんなに騒いでくれるな。おまえが真に潔白な人間であれば、運命が助けてくれるだろうよ」ベルダムは老婆から離れ、窓の外を見た。

 わめく老婆を無視していると、その近くにいた老人がよろめきながら立ち上がった。助けを懇願してくるのだろう、急にベルダムは目の色を変えた。狙った獲物を仕留める寸前の快楽の色、歪んだ狂気の色――


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