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ソルド  作者: 安三里禄史
三章 踵を打ち鳴らす
7/9

 静寂を消す雨音と、暗澹たる支配だけが残った。

 ベルダムは広間を横切り、窓を覗いた。雨ははげしさを増していた。これでは都合が悪い。しばらくやむ気配のない雨に一旦見切りをつけ、男は雨がやむのを待った。

 第1の妻ヴィルマの長男ランドルフは、高壇にある椅子にベルダムが座りに来ると、立ち上がった。「ベルダム、わたしたちがこのような仕打ちを受けなければならない理由を問う。強者を尊ぶ精神は多くのセザン人同様わたしの中にもあるが、父に対するおまえの行動はもっとも卑劣な反逆行為。とうてい認められるものではない。その王冠はいますぐ外すべきである」

 ベルダムは肘をついて座り、横柄に返す。「この状況でおれに物申すか。さすがはロンファーニア随一の若き勇士と謳われるほどの度胸がある。父の名を借りずとも、おまえは太陽の神のごとく自身の光で輝いている。それゆえ寒さに凍える人びとは暖かさを求め、その光に手をかざす。だがおまえの輝かしい栄光の息の根をとめるのは唯一、父の名だ。陛下もおまえを気に入っていた。残念だったな、陛下の子でなければ、おれもおまえを気に入ったであろうに」

「わたしの評価など不要。気に入られる筋合いもない。わたしの問いに答える気がないのか?」両手を縛られながらも、ランドルフの気勢は衰えていなかった。ベルダムへの怒りと、目先にある父親の嘆かわしい亡骸が、若き勇士を奮い立たせていたのだ。

「なによりもまず、敷地の節約をしなければなあ? 未曽有の水害のせいで、いまレイムゲルドはひとであふれかえっている。ちょうどこの広間のように窮屈だ。だからといって罪のないロンファーニアの民に、受け入れ先もないまま出ていけというのも酷だ。気が引けるよなあ? かわいそうじゃないか」

「我らに退去を求めるというのか? ただそれだけならば拘束する必要はないはずだ。この中には体力のない者もいる。その者たちだけでも縄をといてほしい。これではまるで捕虜ではないか」

「扱いはおれが決めること。まあ座ってろよ、吠えてもなにも変わらないぜ」

 ランドルフの足元にいる母親ヴィルマはあまりの恐怖に泣きはらし、いまでは失神したようにすこしも動かなかった。最前列にいるランドルフのうしろには、第2の妻の子イニアスがいる。かれは観念しているのか、苦しみに耐えているのか、ランドルフには加勢せずにじっと座っていた。その後方では、自分の陥った状況もわからず母親の膝にもたれる子どもや、雨で冷えた体を震わせる者、標的にならぬよう持病の咳を我慢している者、死体のように白い老人に寄りかかられても文句を言う気になれない者などが、抵抗もできず、希望を見失った牢人のような顔で、死よりも重い苦痛に耐えていた。

「縄をといてもらいたい」屈するつもりのない若き勇士の声が広間に響く。「不正でうばった王冠に価値があると思っているのか、ベルダム!」

「どんな方法で手に入れようが、王冠は王冠だろうよ」ベルダムが返す。

「もっとも恥ずべき方法であろう! その地位でいられたのも、父上の肩入れあってこそ。その父を裏切るとは悪辣無比の所行!」

「もっとも恥ずべきお方がその父上だろう?」ベルダムは亡骸を軽蔑の指でさす。「いいか? 大体おれは力ずくで王位をうばったわけじゃない。元々おれにやるつもりだったんだと。嘘だと思いたいよな? だが陛下はおれに王位を譲るためにあたらしい称号までつくっていた。今朝それを聞いた。ロンファーニアが消滅し、陛下は気力を失っていた。陛下は心の内をすべておれには打ち明けた。この状況は陛下が望まれたことよ」

「自ら死を選んだというのか? 死者の横で作り話をするな!」

「自ら死を? さあ、どうだったかな、だがもっとも恥ずべき死に方だよな? 明け方の寝室で、男に刺されるなんざ」ベルダムは踵を床に打ち付け哄笑し、「よかったよなあ? 服を着たあとで!」と追い討ちをかけた。

「黙れ! それほどまでに下劣な男であったか、ベルダム! 縄をとけ!」ランドルフは前にでる。

「威勢がいいな、ランドルフよ。そんなに怒ることか?」椅子に深々と座るベルダムは、悠長に笑う。

 ランドルフは終始黙っている窓側の騎士たちのほうへ行き、「だれかこの縄を切ってくれ! あの者と決闘する、はやくしてくれ、なぜみな黙っている? あの男に従うつもりか? 騎士ともあろう者が情けない! よもや父とともに享楽にふけり精神が弛んだのではあるまいな!」眼前を往復しながら憤っていた。

「兄さん、落ち着いてください」激高する異母兄を心配したイニアスが腰を浮かせて声をかけた。

「イニアス、おまえもだ! なぜ黙っている!」ランドルフは詰め寄る。

「無謀だからです。決闘を受けるも受けないもベルダムの自由。兄さんはいま自由の身ではないのです。拘束された状態であることを忘れないでください」

「言いたいことは言えよ、ランドルフ。おれは聞いてやるぜ?」ベルダムが退屈しのぎに煽る。「おまえの父親の悩みだっておれは聞いてやってたんだ。おまえらがあまりに優秀なもんで疎ましいんだとよ。すこしは愚鈍のふりして気をつかってやれよ、無様じゃねえか」

「黙れと言っている! それ以上の侮辱は許さぬぞ。決闘の申し入れを拒むつもりか? 恵まれた武勇がゆえ力の頂点に立つ者よ、正々堂々戦ってみせろ!」

「いいだろう!」王冠を椅子へ投げ置き、ベルダムは腰にさげていた短剣を手に、若き勇士へ近づいた。

 周囲の者は急変した男の行動に、また惨劇が繰り返されるものと思い、瞬時に目をそむけたが、ベルダムはランドルフの縄を切ると、前方へ激しく突き飛ばした。そしてすぐに近くの騎士たちから適当に2本の剣を抜きとって、一方をランドルフの足元へ投げた。

「無茶です、兄さん! いくらなんでも勝てるわけが」

「立ち向かわぬことが敗北だ!」

 イニアスの忠告を遮り、ランドルフは剣を拾って突撃する。すぐさま両者は剣を交え、広間は不穏な争いに騒々しくなった。ベルダムが所かまわず剣をふるので、壁際に立つ騎士たちは一斉に避け、王の親族たちも悲鳴をあげてなだれるように遠ざかった。

「イニアス、おまえも加勢するか?」ベルダムはランドルフを相手にしながら、もうひとりの勇士へ剣を差し向ける。

 ランドルフは、真剣に向き合わす余所見をしているベルダムに腹を立て、抗議する。ふたりの戦いを止めようとイニアスは叫び続けるが、悪霊にでも取りつかれたかのように、ランドルフは敵への攻撃を緩めなかった。

 ランドルフが疲弊するまで戦いは続いた。息切れすらしていないベルダムは、ついに膝をついたランドルフの肩を蹴りつけ、腹ばいにさせた。

 亡き父の哀れな姿を目の前に、ランドルフは死を覚悟した。かれは相手の力量をはかれぬほど愚かではなかったが、封じ込んでもにおいたつ父への軽蔑を振り払うには、ベルダムへの怒りに集中するしかなかったのだ。

 ランドルフの息の根をとめ、背中を押さえつけていた足をどかしたベルダムは、王冠を拾い席に着く。ヴィルマは泣き崩れ、愛する息子にすり寄った。深く斬られたランドルフの首から流れる血を、ヴィルマのローブが吸い取っていく。

「見せしめのように殺さなくても……!」ヴィルマは咽び泣いている。「どのみち全員殺すつもりでしょうに! いつまでこのようなことを続けるおつもり?」

「火をつけるつもりでしょう!」第2の妻ダーナが声をあげる。「わたしたちにいっせいに火をつけて殺すつもりなんでしょう! だから待っているのよ、雨がやむのを!」

「もしそうなら抗うか? イニアスよ、おまえの兄のように」

 ベルダムが剣をむけるとイニアスは顔をあげた。「剣を交えるよりもまず、話し合いに応じてほしい」

「兄ほどの意気地はなかったか。話し合いなど時間の無駄だ」

「おまえが我々を粛正しようとする理屈はわかる。ならば男子だけで事足りる。この中には王家と関わりが浅い者もいる。その者たちだけでも解放してくれないか」

「言ったろう? それを決めるのはおれだ」ベルダムは席を立ち、血の付いた剣先でイニアスの顎を持ち上げる。

「ベルダムよ、王冠の前面に埋めてある3つの宝石のうちのひとつ、赤い宝石の意味を知っているか?」

 父親に似るイニアスの黄金の瞳の輝きがベルダムを苛つかせる。「それがなんだという」

「3つの宝石は、王冠をかぶるにふさわしい人物が身に備えるべき3つの心をあらわしている。おまえが王だというのなら、その心を持ち合わせているということを示してほしい」いまにも食い込みそうな喉元の痛みを堪えてイニアスは言う。

 ベルダムは剣先をさらにあげる。「答えてみろよ、持ってるかもしれないぜ」

 イニアスは、「慈悲」と答えた。

 耳を澄ましている広間の者たちにその言葉が届いた直後、イニアスの周辺から悲鳴があがった。ベルダムが剣を乱暴にふりあげ、イニアスの顔面を斬ったからだ。

「くだらねえな」

 誰しもが、歩きまわるベルダムの靴の行方を目で追っていた。標的にされてはたまらない。恐れおののく者は皆、呼吸ですら気配を消すように、頭を垂れて縮こまり、目を合わさぬようにしていた。

 床に倒れたイニアスは身を起こし、左の目でベルダムを見据える。イニアスの顔の右側、首から額にかけてできた傷からは、真新しい血がとめどなく流れ落ちていた。

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