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ソルド  作者: 安三里禄史
二章 闇に揺らめく狂気
5/9

 外はまだ雨が続き、避けきれぬ水たまりが靴を濡らしていく。この雷雨が赤子の泣き声を消してくれるだろう――トゥーニスは無事に逃亡できることを願いながら黒い外套をはずし、アニカの体にかけた。

 騎士館を出たときの騒々しさは落ち着いていた。町中を探し回っていたのであろう数人の騎士が、駆け足で最上層への坂道を移動している。身重のふりをしてゆっくり歩くようアニカに言い、トゥーニスも最上層を目指した。

 崖沿いにまがる坂道を進んでいると、第2層を足早に横切る男が見えた。騎士の男だ。トゥーニスは気にせずアニカに歩調を合わせて歩く。すると、そのうちに男が追い付き、声をかけてきた。

「アニカさまですか?」

 緑の外套の男に声をかけられたアニカは顔をあげ、頷いた。

「わたしも、ともに行きます。アニカさま、お辛ければ言ってください。無礼は承知ですが、歩かずに済むようお抱えする力くらいありますから」

 屈強な体つきとは言えないそのロンファーニアの騎士はトゥーニスには目もくれず、アニカの隣で励まし続けていた。が、このロンファーニアの男はトゥーニスの友人だった。友人のあからさまな態度の原因はこの黒い外套なのだ――トゥーニスはそう思い、気付かれるまでわざとらしく相手の顔を見ていた。

 その無言の視線に苛立ったロンファーニアの騎士は相手を睨み返す。と同時に、「おまえだったか、トゥーニス! 先に言え」こう言って友人の肩を小突いた。

「態度に出すな、グニエフ」トゥーニスが忠告する。

「レイムゲルドの奴らは気に食わん」

「腹立たしい気持はわかるが態度には出すな。冷静に考えてくれ」

「おまえのように毎晩ちゃんとしたベッドで寝てりゃあ冷静にもなれるさ。おれはどこで寝てると思う? 納屋だぞ、納屋。納屋で藁を敷いて寝てるんだ」

「アニカさまは使用人の部屋で過ごされていた。みな窮屈な思いをしている」

「糞なんですよ、レイムゲルドは」アニカへの待遇も快く思っていなかったグニエフは吐き捨てるように言う。「あの野郎、なにを考えてやがる」

「言葉にも出すな。どこでだれが聞いているかわからない」

「まわりにだれもいないだろう」グニエフは周囲を見渡す。

「おれはレイムゲルドの騎士だ」非情の雨がトゥーニスの頬を伝う。

「なんだ、裏切るのか?」と、グニエフ。

「そうではない。それくらい慎重になれという話だ。いくら勇猛な男とはいえ、孤立した状態で反旗を翻すとは思えない。内情がわかるまでおとなしくしておいたほうがいい。目立つことはするな」

 坂をのぼりきったかれらは、物々しくそびえたつ城門棟を抜けた。崖の上に一定間隔に城塔を備えた石造の城壁内の中庭の、主塔のわきにある居住館が目的地である。14日前、最上層の北門から避難してきた日に通り過ぎて以来、この場に足を踏み入れることのなかったグニエフは、中庭の中央奥に建つ、巨大な八角形の主塔を、黒雲に染まる灰色の主塔を、雨粒に目を細め、ながらく見上げていた。

 主館の入口にはレイムゲルドの騎士が4人立っていた。入口を通る際、かれらはアニカの腹部を一瞥し、「2階の広間へ急げ」と言った。

 2階への階段は多くの騎士で混雑していた。トゥーニスはひとをかきわけながら先へ進んだ。広間にはいりきれず廊下にあふれる騎士たちから、かすかな笑い声が届く。無言で進むふたりの奥からむけたグニエフの視線の先の男たちの外套は、黒かった。

 廊下と広間を遮るものは列柱のみだったので、中の様子はひと目でわかった。広間の隅には5、6人の死体が積まれており、中央には王の親族たちが後ろ手に縛られ、両膝を床につけて座っていた。広間の壇場側に、第一の妻ヴィルマとその子たち3人がいた。かれらはこの主館の3階にいたため、だれよりも先に連れてこられたのであろう。そのすぐ後列にいる第2の妻ダーナと5人の子たちは主塔の居住階に、さらに後ろにいる第3の妻オーレリーと3人の子たちは、主館の屋根裏に寝具をあつめ、寝床としていた。ほかにも見知らぬ者の姿があるが、妻たちの親きょうだいや、その配偶者であろう。先程トゥーニスが騎士館で見送った第4の妻シュゼットは、最後列で幼い子たちと身を寄せ合っていた。あつめられた親族は66名。それを取り囲むように黒、緑様々の騎士たちが立ち並ぶ。廊下側から見て左奥の壇場のすこし脇に、短剣が胸に突き刺さったままの王の遺体が置かれ、壇の中央には赤い布張りの肘掛け椅子があり、ベルダムはそこに座っていた。

 広間には異様なにおいが充満していた。それは血や雨と混ざった涙、屈服の汗、恐怖の喘ぎ、毒悪の淀みのにおいだった。

 ひと目に晒されている王の遺体を見ると、アニカは嗚咽をもらし、いままで堪えていた涙を流した。ベルダムはアニカめがけて直進し、乱暴に腕をつかんで騎士たちの囲いの中へ引きずり込んだ。アニカは腹部にいれたシーツがずれぬよう手で支え、おとなしく従った。

 無礼な扱いに腹を立て、グニエフが駆け寄る。と、すぐにベルダムの視線が動いたため、トゥーニスはとっさに友人の前に出た。「体調を考慮していただきたい」

「だれに口を聞いている?」ベルダムはトゥーニスの服を、破れそうなほどの力で掴んだ。

「よいのです、さがっていてください」広間にいたレイムゲルドの騎士に両手を縛られながら、アニカがトゥーニスに伝えた。

「レイムゲルドの騎士か」ベルダムがトゥーニスの持っていた黒い外套に目を向けると、「まあいい、さがっていろ」と言って、軽く突き飛ばした。

 縛り終えた騎士の男が立ち去ると、アニカはベルダムから離れて床に座ろうとした。だが、ベルダムは女の顔を両手で覆うように持ち上げ、侮りの表情でこう言った。

「産まれる前で良かったなあ?」

 アニカは無言で顔を逸らそうとしたが、ベルダムはそれを許さなかった。怯えた小動物を保護してやるといった哀れみの微笑を浮かべ、もてあそぶように女の濡れた頬を親指で拭い、弱りゆく意地を眺め、悦に入っていた。

 ゆるやかにうねるアニカの長い黄金色の髪からはいまも水が滴り、冷たい墓石の上でしおれる花のように、衰弱していた。

 グニエフを含むロンファーニアの騎士は、アニカの屈辱を見ていられず、大半の者が自身の足元を睨みつけていた。緑の外套のなかで剣を握りしめる者は、多くいた。

「かわいそうなことをしたなあ? 陛下はおまえが一番かわいいと言っていた。おれもそう思うぜ?」ベルダムは神経を逆撫でする目的で女の唇を親指でなぞった。

 アニカは目の前の男を蹴りつけてやりたかったが、我が子を想い、耐えた。

 やがて、騎士に連れられた親族とみられる男女がふたり広間へはいると、ベルダムはアニカへの関心を捨て、肩を押さえつけて座らせた。

「これで何人目だ?」ベルダムが、男女の手を縛るレイムゲルドの騎士に聞く。

 69人、と騎士が答えるとベルダムは労いの言葉をかけ、広間の奥の壇場へ移動し始めた。

 そのとき、窓際を我が物顔で歩くベルダムの前に、茶色の口髭を整えた騎士が立ちはだかった。かれはロンファーニアの騎士、近衛兵長オディロン、長年王に仕えた男だった。

「解放を要求する」

「悪いなあ、いまそんな時間なくてよ。明日にしてくれないか?」ベルダムは相手を冷眼視する。

「おまえの所行はあまりに非道、悪逆の極みである。この惨状をこれ以上捨て置くわけにはいかぬ」オディロンは剣を抜く。

「おまえはたしか父親も騎士、7つのときから宮廷に仕官していたな? 14で騎士の称号を受け、親子で陛下のお近くにおられた。20年くらい経つのか? 悪かったなあ、おれのほうが厚遇されて。おれのほうからすり寄ったわけではないのだがなあ。この城をおれにくれたのも、陛下おひとりの意向ではなかった。ここにいるだれかがおれを推してくれたらしい。感謝の言葉しかでないな」

 剣を持つ近衛兵長の肩を叩き、ベルダムは通りすぎる。

 オディロンは再度、「解放を要求する」と言い、相手の行く手を阻んだ。

「おれが応じると思うか?」

「ならば決闘を。セザン人であれば断れるはずがない」

「いいだろう」

 言うと同時にベルダムはオディロンの首を右手で掴み、壁に押し付け、左手で相手の右手首を握りひねり、剣を捨てさせた。ベルダムはそのまま力ずくで男を引きずり、王の遺体を横切り、列柱を通り抜け、廊下にあふれるレイムゲルドの騎士の群れに突入した。避けきれずにぶつかる騎士たちにかまわず、ベルダムはオディロンを廊下の手すりまで追い込んだ。首を掴むベルダムが手に力をいれると、オディロンは苦しそうに相手の腕を離そうともがいていた。

「だれか! ちいさい刀を持っていないか!」

 ベルダムがだれにともなく叫び、左手を宙に突き出す。周辺にいたレイムゲルドの騎士が短剣を渡すが、「これじゃあ大きすぎるなあ、髭を剃りたいんだよ」と言って、髭のない自身の口元を人差し指で払うしぐさをした。

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