③
「陛下、思い詰めてはなりません。おれの言うことは気になさらずに。思いつきの軽い提案です。ですが、このままではみな満足な住居が望めません。ロンファーニアから来た騎士の中には、まだ広間で寝るしかない者もいます。セザン統一は少々大袈裟でしたか? それでもロンファーニアに代わる都市をつくるべきとおれは思いますよ。陛下はお疲れでしょうから、任せてもらえればおれが全部やります。レイムゲルドの騎士に、たしか建築家の父親がいる者がおります。ロクシアンという者ですが、その者に頼みましょう。ご安心ください、ロンファーニアに劣らぬ都市をつくらせましょう。闘技場も、劇場も、音楽堂も、ロンファーニアに劣らぬ都市をつくらせましょう」
「ヴィルマが何と言うか」
「ランドルフさまの勇姿を待ち望む民は多いです」
「ダーナは享楽にふけるわたしを責めるのだ」
「イニアスさまの歌声は民の心の慰めになります」
「それでふたりを説得できるか」
遠雷の音が聞こえ、ベルダムは窓に寄る。採光のためのちいさな窓から中庭を望めたが、いまは人影なく、そこには災いの前触れのような、真夜中に似た不気味な静けさが漂っていた。
「おふたりですか? ほかの奥方は陛下のお味方ですか?」
「シュゼットの子はみな娘だ。本人もわかっているのだろう、口を出す立場にないと。昔はよく話したものだが、最近は、次女が産まれてからだろうか、口数も少なくなった。オーレリーの長男はわたしに似て武勇の才がない。オーレリーも愛情を持てないのだろう、自分の子だというのに、次男が産まれてからはそちらばかりをかわいがっているようだ。近頃、あれがわたしの部屋へ来ることはなかったが、いったいだれの子か。アニカは奔放な娘だ。柱の上にいる彫刻はだれかだの、この壁画はどんな場面を描いたものかだの、何でもわたしに聞いてくる。宮殿がめずらしくて仕方ないのだろう。たいしたことのない話でも、教えてやると次々と質問してくる。子どものようにな。だれにも言えないが、本音を言えばアニカが一番かわいい」
「だからアニカさまの子に王位を?」
「ベルダム、さっきおまえは毒を盛りに来るのはだれかと聞いたな? なんの話だったか、忘れたが、たしかに毒の話をしていた。毒を飲むのはわたしだろうよ、きっとわたしだ。そしてわたし亡きあと、その王冠がランドルフの手に渡ればランドルフが死に、イニアスに渡ればイニアスが死ぬ。わたしは我が子がかわいい。どちらも不幸な目にあわせたくはない」
「アニカさまの子が男であれば、おれがお守りしますよ。ヴィルマさまもダーナさまも、自分の子の近くにおれを置きたくないでしょうからね、守りようがありません。ところで陛下、先ほどからやけに思い詰めていらっしゃる。どうにもふたりの敵が気になっているご様子。老人だと言いましたか、王位を狙う者ですか? その者の名さえわかればおれがなんとかしますよ。指示はいりません。名さえわかればなんとかします。陛下の知らぬところで」ベルダムは王の前に跪いた。
「ヴィルマの祖父の弟に、ブレソールという者がいる。あの男は当然ランドルフが王位を継ぐべきと主張している。ロンファーニアにある重要施設の改築費用はほとんどブロウ家が出したのだから従えという態度になり始めた。ダーナの祖父ギスランは、王位はタハトージエと繋がりのあるエヴェルス家の者に継がせるべきだと言う。ロンファーニアの増設した市壁の石材はタハトージエから手配したもの。従わぬのであれば星神の災いがふりかかろうぞと脅してくる。ブロウ家に従えばわたしは星神の災いに襲われ、エヴェルス家に従えば莫大な金をブレソールに支払うはめになる。14日前の災いはなぜ、かの者らを消し去ってくれなかったのか」
不幸に嘆く王の膝元で、ベルダムはどよめく雷鳴に耳をかたむけた。あの音は悪業の笑い声だと言えば信じてしまいそうなこの男は、セザンの統一など頭の片隅にも思い描いていないのだ。この男の耳を満たすのは花ふぶく歓喜! この男の視界に住まうのは舞い狂う黄金! ロンファーニアにこもり道楽に生きてきたこの男には変革を成し遂げる能力はないのだ。レイムゲルドの騎士たちは領地を欲しているという声を、いつまで捨て置くつもりでいるか。レイムゲルドの騎士たちの反乱を抑えてやっているというのも、この男は死ぬまで気付かぬのだろう。あのままロンファーニアにいれば屈辱にも甘んじてやったかもしれぬが、ロンファーニアが滅び状況が変わった。はじめにこいつはおれに王位をやると言っていたではないか。ならば望みどおりにしてやるのがいい。が、王冠がおれの手に渡ったところでブロウ家とエヴェルス家の奴らはおれの命を狙うだろう。元々ヴィルマとダーナは目障りな存在ではあったが、ブレソールとギスランの話ははじめて聞いた。奴らの目論見通りランドルフかイニアスに王位が渡ればおれを冷遇するのは目に見えている。アニカの子を待つ? そもそも女であれば無意味である。運に頼っている暇はない。あの水害でロンファーニアの兵力が失われたいまが勝機と外堀を埋めるつもりでいたが、気が変わった。王冠に手を伸ばすやつらをひとりひとり潰していくのは面倒だ。一度に殺してしまえばいい。
ベルダムは黒い外套のなかで短剣を握り、王の膝に唇を寄せた。「陛下、おれはね、ひとつだけ望みがあるんです。いままで遠慮して言わなかったんですけどね、ひとつだけ欲しいものがあるんですよ」
「言うがいい。ベルダム、おまえの望むものなら何でも与えるつもりでいる。なんだ? おまえの望みとは」
「それは」握っていた短剣を引き抜き、ベルダムは言う。「王の見る世界ですよ」すばやく相手の右肩を掴んでベッドに押し倒し、頭上高く掲げた短剣を、その一点めがけて勢いよく振り下ろした。
非力な抵抗むなしくベルダムの凶行は相手の胸深く突き刺さり、シーツに滲む真紅の愉悦が王の悲哀の死を告げた。
死神の指のようないびつな笑みを口元にうかべ、ベルダムは突き刺した短剣をそのままにして王冠のある台へ近づいた。かれは王冠を満足そうに眺めてから頭に乗せ、死体にむかってこう話しかけた。「お言葉に甘えて、いただいておきますよ」
ベルダムは黒い外套を脱ぎ捨て、衣裳部屋にしまわれていた王の赤い外套を身に着けた。そして広間へ出ようとしたが、寝室と広間を繋ぐ応接室でかれは立ち止まった。飾り気のない壁に寄せられた机に置かれた、長方形の黒い木箱に目がとまったからだ。中身は黄金の剣だった。新たな称号とともに剣を授けると言っていた、これがその用意していた剣なのかもしれない。ベルダムは剣を鞘から抜き、応接室の扉をあけた。
主館の2階の広間では複数の騎士が床に横たわり、体を休めていた。水害に逃れてきたロンファーニアの騎士のための寝床が足りず、王の好意でこの広間を使わせていたのだ。
広間へ出ると同時に顔をあげた騎士たちにベルダムは、「あれをそこへ運べ」と言い、寝室にむけていた剣先を広間の奥へ動かした。
その赤い外套から、はじめはロンファーニアの王だと勘違いした騎士たちも、黒鳶色の髪を見てすぐにベルダムだと気づき、不穏な足取りで応接室へはいって行った。
「その奥だ」
事態を把握できずに応接室をうろついている騎士たちにベルダムが言うと、開け放しにされた寝室の扉の奥を覗いた騎士が驚愕の声をあげ、死体に駆け寄った。「ベルダム、きさま、陛下になにをした!」
「見りゃあわかるだろ、それが自殺に見えるか?」
「気でも狂ったか、ベルダムよ!」べつの騎士が叫ぶ。
「おれが常に正気だとでも?」ベルダムは嘲笑う。
騎士のひとりが王のために剣を抜き、ベルダムに襲い掛かる。だがベルダムはたやすく剣をはじき返し、姿勢を崩した相手の片目を貫いた。
男はその場に倒れ、のたうち回る。顔面を押さえつける両手が赤く染まる男の叫び声が響き渡り、薄暗い広間にいる19人の緑色の外套を着たロンファーニアの騎士全員が、なにごとかと立ち上がった。
王の配下であるロンファーニアの騎士たちが、極悪無道のベルダムを討ち果たすべく次々に攻めかかるも敵う者おらず、切り刻まれた死体が散らばり、広間は惨状の場と化した。
一度は柄を握った者も、ベルダムの圧倒的な強さに怯み、その手を離し、「どこへ置けばいい?」と降伏した。
「あそこへ置け」ベルダムは広間の奥の壇場を指し、「それと、ロンファーニアの騎士を全員ここへあつめろ」血みどろの剣を騎士たちの眼前に突き付けながら、広間を歩き回る。
この場にはもう、ベルダムに反抗しようとする者はいなかった。かれが単に武勇にすぐれているという理由のほかにひとつ、騎士たちの気勢を打ちのめすものがこの男にはあった。それは武術でも、気概や精神力といった曖昧なたぐいのものでもなく、大抵の人間ならば生まれつき持っていると信じたいものがこの男には欠けている、と言ったほうが正しいかもしれないが、その欠点によって騎士たちの心に得体のしれない恐怖が淀み、闘争心を挫かせるのだ。元々剣技において勝てる見込みがないうえに、慈悲を持ち合わせていない怪物相手に真っ向から対立するのは命取りとなる。かれらが恐れるベルダムの欠点とは、この男が殺傷にたいするためらいが一切ないことであった。
「こいつらを端へ寄せておけ」ベルダムは騎士の死体を足で蹴り転がした。
ロンファーニアの騎士たちが、おとなしくかつての仲間の体に手をかけて広間の隅に運びはじめるなか、ベルダムは無情の目つきで指示を続けた。
「あいつの親族をひとり残らず連れてこい。妻が5人、その子どもらが13人、妻の両親、祖父母、兄弟姉妹、ひとり残らずだ。ひとりでも欠けていればおまえらの命もないと思え」荒々しく剣を振り、騎士たちを急き立て、悦楽を味わうかのようにこう言い放った。「今日からこの地の王はおれだ。言うこと聞けよ?」