②
ベルダムは王に視線をむけ、すこし前屈みになって、外套のなかの短剣に手を添えた。「いえ、おれは勘が鈍いようで」
王はまだ宝飾品を漁っている。「そうか、だが無理もない。おまえがロンファーニアを去ったのは2年前のことだからな。その頃からだよ、敵が姿を現しはじめたのは。死んだレイムゲルドの城主の後任におまえが選ばれたとき、わたしも適任だと思った。だが、いま思えばお前を強く推薦していた者がいる。わたしはこうおもう。おまえの力を恐れる者がいる。わたしからおまえを遠ざけたいとおもう者がいる」
「その者を突き止め、本性を暴きましょうか」ベルダムは短剣から手を外し、姿勢を戻した。
「老人には死がつきまとう」
「亡き者にしたいと?」
「ロンファーニアの災いはなぜ、かの者らを連れ去ってはくれなかったのか」王は独り言のように呟いた。
「だれのことかわかりませんが、老人ふたりなどおれにはたやすいことです。老人の影に隠れる蠅がどれほどいようとも、おれにはたやすいことです」
「そうであったな、おまえにはたやすいことだ。あの災いはわたしに危機を知らせるものだったのだ。混乱の前触れだったのだ。老人の手に絞め殺される前に、お前を頼れば良かったのだ。おまえほど忠実な者はいないのだから」
「陛下には恩がありますからね。剣闘試合で名をあげれば、おれのような者でもあわよくばロンファーニアの市民権をもらえると思っていましたが、あなたはおれを引き立て騎士の称号まで与えてくださった」
「そうであった。おまえが16のときだ」王は過去を見つめて微笑んだ。
「なんでもしますよ、陛下のためなら」
5年間言い続けたこの台詞通り、ベルダムは王に徹底して服従し、信頼を得た。だが、出自不明の男が地位ある立場にいることを不愉快に思う者もいた。ベルダムは小蠅を気にするような男ではなかったが、あまりにもうるさいときや自身の機嫌が悪いとき、相手を高所の窓から投げ落としても素知らぬふりができるような男ではあった。また、ベルダムは王の好みを熟知しており、事をなす場合、死んでもさほど問題にならぬ者を選んでいた。歩くのに邪魔な小石を蹴りどかすくらいの心持でいたので、そのようなおこないに罪悪感を抱いたこともなかった。それゆえ、妨げになる人間の始末など、かれにとっては能力的にも心理的にもたやすい仕事であった。
「頼りにしている」
「だれなんです?」ベルダムは返す。
「その前に、おまえに渡しておきたいものがある」王は木箱を脇へ置き、身を起こした。「称号を受け取ってほしいのだ」
「称号を? おれはもう騎士の称号を受け取っています。それ以上の称号はありませんし、もういりませんよ。称号など頂かなくても、おれは誠心誠意、陛下のために働きますから」
「新たな称号をつくったのだ。同時に剣を授ける。その剣が、その称号を持つ者の証となるように。すでに用意はしてある」
ベルダムはさも興味がない、といった態度で話を聞いていた。それよりも、ふたりの敵をはやく知りたかったのだ。だが、王の関心が称号のはなしから離れないので、「なんです? その称号というのは」と、調子を合わせた。
ベルダムは、壁にかかる星印の腕章を付けた兵士の柄のタペストリーを見ていたが、王の答えに耳を疑い視線を動かした。
「それじゃあ陛下、王と同じ意味ですよ、混同します」
「それでいい。明確に示しておきたいのだ。何と言われようが、その称号を持つ者が、わたしに認められた者であると。その称号を持つ者のみが、わたしの後継者であると」
表情からしてふざけているようには見えないが、大体この男は冗談を言うような男ではない。「陛下、何をおっしゃっています? 意図がわかりませんが」
王はある方向を指し、「わたしの次にそれをかぶる者はベルダム、おまえと決めた」と言った。
綻びそうになる口元に注意しつつ、ベルダムは王の指すほう、棚の上の台座にある王冠を見る。「賛同する者がいるとは思えません。陛下には適当する息子がいくらかおりますでしょう」
「後継者はひとりでよい」
「すぐれた者を選べばいいだけのこと」
「じきにアニカも子を産む」
「女であれば数にはいりません」
「もし、男ならば」王はおもむろに立ち上がり、王冠のまえに移動した。「ベルダム、わたしには息子が7人いる。ヴィルマにふたり、ダーナに3人、オーレリーにふたり。みな等しく愛情をかけてきた。すぐれた者をひとり選べなど……」
「次男以降は数にいれなくていいでしょう。ランドルフさまか、イニアスさまか、オークスさまか、ですよ。みな等しく? ほんとうですか? 一番気に入る者に決めたらいいんですよ」
「だからおまえに与えると言っている」王は王冠をベルダムに渡す。
「陛下は武勇にあこがれている。選び方を変えてみたらどうでしょう」ベルダムは王冠をテーブルに置いた。
「選び方か。ならば一番武勇にすぐれた者にするとしよう」
「そうなると、おれということになります」相手のよろこびそうな返事をする。
「では、こうするのはどうだろう」王は機嫌よく笑う。「ベルダムよ、おまえが我が子と戦い、おまえに勝利した者に王位を渡すというのは」
「だれのときに手を抜けば?」金の王冠に埋まる3つの宝石を見ながらベルダムが聞く。
「おまえが勝っても問題ない」
「王冠をかぶるおれに毒を盛りに来るのはだれです?」
軽く笑うベルダムの問いに王は黙り、該当する人物を思い浮かべているような目つきになった。「どちらかであろう」
あきらかに王位を狙う者が存在する、と確信を得たベルダムは王冠を元の場所に戻した。王が唐突に打ち明けたふたりの敵とは、その存在を指しているのか? 知る必要がある。
「だれなんです?」
と聞くベルダムの声が届いていないのか、王はちょうど顔の高さにあるちいさな窓を覗いていた。
「もう日が沈んだのか? 朝が逃げ去った。まるで夜のようだ。災いの前触れであろうか。ロスカの星神は災いを起こすとき、かならず日を隠すという。14日前の災いもこうであったか? あれは真夜中であったろうか? 何も起こらなければ良いが……」
「ふたりの敵に気を付けなければなりません。だれなんです?」
「そのはなしはあとにしよう。いまはアニカの子を待ちたい。アニカの子が男であれば……いや、口にするのはよそう。だがベルダム、わたしはオーレリーの子に王位を譲るつもりはない。臆病がゆえ剣もまともににぎれぬのだ。わたしに似ているが、だからこそ譲るべきではないと思うのだ」
「ではランドルフさまかイニアスさまか、ですね。どちらも勇猛果敢、民にも人気があります」
「アニカの子を待ちたい。女であれば仕方がない。だが男であれば……」
どうもこの男はあの踊り子を贔屓にしているが、その子どもに本気で王位を譲るつもりであろうか。1番目の妻であるヴィルマの出身ブロウ家も、2番目の妻ダーナの出身エヴェルス家も、セザン人がまだ大陸にいたころのロスカで代々聖職に就いていた家と聞く。それに比べアニカは一介の踊り子にすぎず、ロスカでの出自も不明の女である。市民権もないのにロンファーニアにいたのであれば、労務に服する部類の人間だ。民のなかにはあの踊り子が魔術を使い王を誘惑したのではないかとささやく者もいるが、まだ産まれてもいない子に王位を渡そうとするほどだ、どうやら魔術の効果は未だに切れていないらしい。そもそもランドルフとイニアスを差し置いて身分の低い女の子どもに王位を譲るなど、両家が黙っておかぬだろう。アニカを魔女だのなんだのと難癖をつけ、子もろとも追い出すにちがいない。この男はそこまで考えているのか? どちらにせよ、あの女がどうなろうが知ったことではないが。
「アニカさまの子が苦境に屈せぬ知恵をお持ちであればよろしいのですが」
「それをおまえに頼みたい。さすがにおまえが近くにいれば、だれも手出しできまい。あの14日前の災いはこのためだったのだ。アニカの子が敵の潜むロンファーニアで産まれぬよう、レイムゲルドでおまえに守られるよう、導かれたのだ」
「女が産まれれば、なにも問題ありません」
「そうだ。アニカの子が女であれば、ランドルフかイニアス――だが男であれば、やはりアニカの子をおまえに頼みたい」
「それでは陛下をお守りする者がおりません」
「もう護衛はいらない。わたしは隠居する。ランドルフかイニアスか、などどちらでもよい。どちらも立派に育ってくれた」
「それなら歳の順で決めたらどうです? ランドルフさまは17、イニアスさまは16.年齢で決めたと陛下が言えば、文句もでないでしょう。イニアスさまに不服があれば、ふたりに決闘させればいいんです。セザン人は強者に従いますよ。どちらが勝ったとしても、みな納得するでしょう。心配ならおれが勝ったほうにお仕えしましょうか? おふたりの母上はおれを嫌っているようですがね」
「ランドルフか、イニアスか……」王はベルダムに背を向ける位置でベッドにすわり、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
なにをいつまでぐずぐずしているのだ――いつのまにか降りだした雨音に遮られて王の独り言をうまく聞き取れず、ベルダムは苛立つ。どちらでも良いならさっさと決めればいいものを、よほどあの踊り子を気に入っているようだな? 大体、はじめはおれに称号と王位をなどとぬかしていたが、その話はどこへ行った? 己の跡継ぎも決められぬとは、優柔不断なうえになんと愚鈍な男であるか! まさか愚鈍のふりをしておれを警戒し、真意を探っているのでもあるまい。おれに背を向けているほどだ。このまま跡継ぎを決めずに奴が死んだ場合、内紛が起こるだろう。それを待つのもいいが、気になることがある。見当違いであってはならぬ。もうすこし探る必要がある。
「陛下、アニカさまにはそのお話を? あの方はご自身の立場をよく理解していらっしゃる。賢いお方ですから、王位など嫌がるはずですよ。アニカさまの子が苦労なさる。陛下が望まれるならおれがアニカさまとその御子をお守りしましょう。おれはアニカさまと境遇が似ています。高貴な身の上の人間はおれのような者をきらう。アニカさまの苦労はおれにはわかりますから」ベルダムは王のそばへ寄り、やさしく声をかけた。
「頼りにしているぞ、ベルダム。わたしにはおまえだけが頼りなのだ。ヴィルマもダーナも、おまえの明確でない出自を責めているわけではない。おまえの力を恐れているだけだ。やはり王位はおまえにやるのがいい。アニカの子が産まれる前に、おまえの叙任式をやろう。まずはあたらしい称号を受け取ってくれ。内輪もめするくらいならよそにやるのがいい、わたしはそう考えたのだ。ロンファーニアを失ったいま、あの王冠になんの意味がある? わたしはもうなにも考えたくない、なにも決めたくないのだ。ランドルフかイニアスか、などもうどちらでもよい。ベルダム、おまえが決めてくれないか? わたしはなにも口出ししまい、どちらでもよいのだ、ベルダム、おまえがなってもかまわない。ヴィルマに急かされるのも、ダーナに詰め寄られるのも疲れたのだ。そのうえおまえまでセザン統一などと言う。わたしはもうなにもしたくないのだ。おまえがやれば良いではないか」