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ソルド  作者: 安三里禄史
一章 14日後
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ロンファーニアの災害から14日後、どよめく雷鳴にその朝は始まった――

「愛しているのだ、ベルダム」

「ええ、おれもです。それに、ロンファーニアの民もみな、陛下を愛しておりますよ」

 王の視線が依然暗闇のなかにあると知ると、ベルダムはふたたび宝石箱に目を落とし、もっとも輝く指輪にキスをした。横目で見ると、王はまだ朝日の照らすベッドの上で頭を抱え、悲しみに打ちひしがれるように項垂れていた。

「ロンファーニアか。一瞬にしてすべて消え去った。神罰が下ったのだ。数百年もかけて築いてきた歴史ある都市を、わたしが滅ぼしてしまった」

「あれがご自身のせいだとでも? まさか。ただの水害ですよ。セザンに神などいません、自然の脅威というやつでしょう。お気になさらずに。それに陛下、あなたは家族を失ってはいない。流されたのは下層に住む者だけです。寝室にまで悲しみを持ち込まなくても良いのでは? 民の前で涙を流せばそれで十分でしょう」

 14日前の災いにより避難してきた王のために用意した寝室の、肘掛け椅子に座るベルダムの関心は宝石にあり、そのひとつひとつを丁寧に指でなぞるように触れていた。

「宝石が欲しいのか、ベルダム。どれでも気に入ったものを持っていけばよい。そんなものはいらないと言ったのだが、ここへ来るとき誰かがわたしの私物を全部運んでくれたのだな。かがやくばかりの石が何の助けになる? その石がロンファーニアをよみがえらせるわけでもあるまい。わたしには必要ないものだ。好きなものを選ぶがよい。おまえの望むものならなんでも与えよう」

「宝石には興味ありませんよ。陛下のおっしゃりとおり、この石はロンファーニアはおろか、人命でさえもよみがえらせはしません」宝石箱の蓋をしめ、ベルダムは同情を装ってみせた。

「わたしはレイムゲルドに救われた。この都市があったからこそわたしたちは路頭に迷うことなく、寝食に困ることもない。だが多くの民の命は奪われた。神罰ではないと? ロスカの神が海を越え、このセザンをかき乱したのだ。わたしは神の唸り声を聞いた。その唸り声に大地は怯え、震えあがり、海から現れた大きな神の手によって、ロンファーニアは海に飲み込まれたのだ。ロスカの神は我々をどこまで苦しめるおつもりか」王はベッドに横たわり、顔にかかった黄金色の髪を耳にかけた。

「あそこの神はセザン人のみお見捨てになられましたからね。我々はよほど嫌われているのでしょう。神ともあろう者が率先して人類を選別なさっている。結構なことです。ところで陛下、これからどうなさるおつもりで? この館は宮殿のように住みよくはない。住居としては少々窮屈で不便でしょう。ロンファーニアの生き残りの者は全員城下町のほうへ受け入れはしましたが、まだ路上や広場で寝るしかない者もいます。増設は進めておりますが」

「いまその話はやめてくれ。ベルダム、それを」

 指示された宝石箱を王に渡すと、ベルダムは肌着の上に裾の長い上衣を着用し、レイムゲルドの騎士が着る黒い袖なし外套を身に着け、王冠の置かれた台の前に移動した。

「朝はなにも考えたくない」指輪を選びながら王がつぶやく。「ここは王の呪縛から唯一解放される場所なのだ」

「生き残った者は現実を生きなければなりません。ロンファーニアの民はあなただけが頼りなのです。現実逃避はいけません。陛下、王冠をこんな雑に置いてはなりませんよ」ベルダムは王冠を向け直した。

「その王冠がわたしの頭をしめつけるのだ。望むのなら、それだっておまえにやろう。わたしはそんな黄金の冠よりも、軽い布の、羽飾りがついたような帽子をかぶりたい。ロンファーニアがなくなったのであれば、わたしは王でなくなるのではないか? わたしはいったいどこの王なのだ? あの災いはわたしに平民になれという運命がもたらしたものではないのか? ちょうどよい、赤い外套も飽きたところだ」王は選んだ指輪をはめては外し、同じ動作を繰り返していた。「そうだ、ベルダム、わたしの服を取ってきてくれ。今日は町へ行く。民の声をじかに聞きたい。あまり派手なものはよそう。皆、着るものにも困っているだろう? 足りなければわたしの服を譲ろうと思ったのだが、ヴィルマが反対する。妻たちにも協力してもらいたいのだが、どうもこの話をすると機嫌が悪くなる。ダーナもだ。オーレリーとシュゼットはおとなしいものだが。どうやらアニカだけは侍女に身の回りのものを持たせ、民に渡しているようだがな」

「そう心配することもないでしょう。資源が枯渇しているわけではありません。織工は悲鳴をあげているでしょうが、着るものに関しては、時間があれば解決しますよ。民の心配は住居に関してです。このままレイムゲルドに留まるのか、いずれロンファーニアに戻るのか、まるきり別の土地に王宮を建てるのか。それだけは決めておかねば、民は不安から解放されないでしょう。服を取ってきますよ」

 ベルダムはとなりの衣裳部屋にはいり、蓋付きの大箱にある滑らかな生地の服を興味深く眺めた。質素な服などあるものか、と思いながら、底のほうにあった小箱を調べ、中の宝飾品に見入っていた。

 衣裳部屋にはいってしばらく経っても王はベルダムを窺いに来なかった。常日頃からこうだった。露ほどもベルダムを疑わないのだ。それをベルダムは承知していた。いまここで衣裳部屋を漁り、ひとつふたつの宝石を盗ったところで王は気付かない。盗ろうとしていることさえ感付かない。いまごろまだのらりくらりと指輪を選んでいるのだろう。優柔不断な男なのだ。ベルダムは自身に寄せられる王の信頼を知っていた。頼られるにはそれなりの理由があった。

 ベルダムは小箱を片付けた。いま探している物は宝石ではない。となりにある別の大箱をあけると、ふたの裏側に、革帯で固定された紫色の布が目にとまった。革帯を外し、布に包まれた物を取る。中身は短剣だった。鞘の部分に、細かな石で象られた星の形から、これはロスカの星の王国タハトージエにゆかりのある短剣だと推測できるが、この際剣の価値などどうでもよかった。

 ベルダムは短剣を腰帯に差し、色味のすくない王の服を適当に選んでようやく寝室へもどった。王はまだベッドに肩肘をついて、横になったまま宝石箱を覗いていた。

「これでよろしいですか?」ベルダムは、黒い外套の内に潜ませた短剣に気付かれぬよう注意して、服を見せた。

「そこに置いておいてくれ」王は服を一瞥しただけで、自身の足元を指さした。

 指示通りベルダムはベッドの上に服を置いて、向かいにある肘掛け椅子に腰かけた。

「ロンファーニアを再建したいと思ってはいる」王の唇が憂鬱に動く。「だがあの地にはもう近寄らぬほうが良いか。繰り返す脅威が不安だ。まだ子どもたちは怯えている。それでも、わたしはロンファーニアに戻りたい。沸き立つ劇場で煌びやかに踊る俳優たちを愛で、にぎわう音楽堂でうつくしい歌に聞き惚れ、熱狂する闘技場で剣闘士たちの勇姿を称えたい。活気あふれる広場も、見事なまでの庭園も、すばらしき宮殿も、消え失せた。ロンファーニアは永遠に失われたのだ。がれきと化したのだ。巨人に踏み荒らされたかのごとく、握り潰された果実のごとく、殴り殺された獣のごとく、いまではもう見る影もない。あのかがやかしい光の一粒でさえ残ってはいない。再建など何年かかる? わたしはもう二度とロンファーニアへは戻れぬのだ。あの優美な生活にはもう二度と戻れぬのだ」

「いまこそセザンを統一すべきとおれは思いますがね、陛下」

「セザンを統一?」王は宝石箱のふたをしめ、顔をあげた。

「セザンを統一し、ロンファーニアの王からセザンの王へ」ベルダムは甘い微笑をうかべた。

「ずいぶん大胆な意見だ」王はうつろに起き上がり、服に袖を通した。「気が進まない。セザン全土を、どのように? わたしにはできない。おまえにはできると言うのか? 方法を知っているのか? わたしには無理だよ、第一、わたしはロンファーニアのそとを知らない。わたしはそこで生まれ育った。このレイムゲルドでさえ、わたしはよく知らなかった。セザンを把握せぬ者にセザンの支配など到底無理だ」

「ロンファーニアはセザンの最北西にあります。広大な都市でしたが、セザン全土からすればごく一部の地域にすぎません。ロンファーニアの南東は山で閉ざされ、他の地域へ陸で行くにはこのレイムゲルドを通るほか道はありません。南の、ロンファーニア側ではない山の中腹に建つレイムゲルドの城塞は、ロンファーニアへの進入を防ぐために築かれたと言われています。ロンファーニアは、ロスカで地位ある身分だった者たちの手で造られたらしいですからね。同じセザン人でも下層階級の者は立ち入りさえ禁じられたのでしょう。そして、レイムゲルドの東に流れるラーミナス川をずっと南へ行くと海にでますが、この辺りには海賊どもが住み着いています。それから、レイムゲルドから東に、ラーミナス川を渡ってすぐ北には坑夫たちの村ザリルがあり、さらにずっと東にはレストという村があります。ここがセザンの中央あたりです。このあたりを流れるロドレ川を、レストから北へ行くとジェダという村が、東へくだるとサンセベリアという漁村があります。ラーミナス川より東の地域は容易く手にはいるでしょう。かれらは武器を持っていませんから。少々厄介なのは海賊どもです。ああいう連中にはまともな話が通じません。当然従わぬ者もいるでしょうが、そのときは力でおさえます」

「力で? 荒々しいやり方は同意できない。傷つくのは民ではないか。同じセザン人同士で争うなど、すべきでない。そうまでしてわたしは領地を望んでいない」

「おれの言う力とは武力のことではありません。昔から、セザン人の決着のつけかたは決闘と決まっています。一対一の決闘です。むろんおれが戦います。相手が何十人であろうと、何日かかったとしても、おれひとりで戦います。陛下はよくご存じのはずですよ、おれはこれまで戦いに敗れたことはありません。おれは力で負けはしません」

 王は安堵の息を漏らす。「そうであった。おまえの力は皆の知るところ。おまえは何者にも屈しはしまい。頼りにしているぞ、ベルダム、わたしはおまえだけが頼りなのだ。わたしの心を知れるのはおまえだけだ。おまえが去ったロンファーニアでわたしは孤独だった。孤独がゆえに享楽にふけた」宝飾品のはいった小箱をひろい、ふたたびベッドに体を横たえ、こう続けた。「ベルダム、おまえは気付いているか? この城にいるふたりの敵を」

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