第五章׳ג:愛衣
「お発ちですか?」
「はい」
そう言って、和服美女の女中に金を払おうとする。
だが、トランクの中には金らしきものがない。
「えっと」
「はい、受け取ります」
俺が言葉を発する前に、女中は俺がトランクから取り出した、左手に持っていたものを取る。
いや待て。その玩具で大丈夫なのか?
俺はそう訊こうとするが、すぐやめた。
女中のこの言葉を聞いたからだ。
「確かに一両頂きました。それではどうぞ、お出でになって大丈夫ですよ」
……一両?
そう、俺が持っていたのは小判。
これで俺は、気になっていた全てのことが分かった気がした。
そうか。
ここは昔の日本なんだ。
「一両?」
アニーは首を傾げて訊いてくる。
そうか、アニーはこの時代を知らないのか。
……。
…………。
ここで更に疑問が浮かんだ。
あれ? じゃあなぜテレビがあるんだ? と。
俺は女中さんに訊こうとするが、やめることにする。
そんなこと、恥をかいてお終いだ。ひょっとして教わるより前に病院か何かに行かされるかもしれない。そう思ったのである。
「アニー。行くよ」
俺はアニーの手とトランク、というかこれもトランクでは無いのかもしれない。
とにかくアニーとトランクらしきものを引っ張って旅館を出た。
――強い日差し。
ここは、どこだろう。
どんな場所だろう。
それは段々と分かってきたのである。
ここは日本で、ここは中世。
いや、近世だな。
その文明開化が行われている最中のような場所。
瓦の屋根、散切り頭と丁髷――。煉瓦の家も少しだけ。
テレビは気になるが、大体はそうである。
「……」
アニーは驚いているようだった。
やはりこの場所が、新鮮なのだろう。
俺はと言えば、時代劇に出られた気がして少しワクワクしている。
「かっこいい」
アニーが呟いた。
そうか、アニーにはそう見えるのか。
やはり生まれた環境でこの光景がどう見えるか、違ってくるのだろう。
俺はアニーを見る。
アニーは俺を見ていた。
「格好いいか? この風景」
「え……。あ、うん」
いきなり喋られたからかアニーは驚いたような声で反応する。
そうか、やっぱりそうなのか。
俺はそれを確認して、得意げになってしまう。
予想が当たったのだ。
「ねえ、ルイちゃん」
アニーが俺を呼ぶ。
「何だ?」
「ちょっと、路地裏に行こうよ」
「路地裏?」
アニーは向こう側にある、路地裏を指す。
なるほど、あそこか。
「で、何でだ?」
「いや少しちゃん、行って欲しいんだ」
「行って欲しい?」
意味が分からない。行って欲しいとは。
俺は首を傾げながらも、アニーに引っ張られ、路地裏へ足が動く。
「いや何でだよ!」
俺はそこを踏みとどまる。
謎だ。謎過ぎる。
俺はそこを離れなかった。
「いや、こっちこそ気がつかないの?」
アニーは更に路地裏を指す。
人影……。
こちらを伺っている、人影があった。
そして一瞬、その姿が見えた。
「……! アニー」
俺は今度、アニーのされるがままにした。
そう、その人影は。
「おはようございます、リュイ」
路地裏に着き、緑髪にして袴姿の美少女が俺に話しかける。
俺は彼女を見て、また昨日を思い出してしまう。
そう、彼女は。
「ミシュリーヌちゃん、この人が誰だか、分かるの?」
ミシュリーヌ。
昨日の世界のアニーは彼女に、俺を知っているのか尋ねていた。
ー ー ー ー ー ー ー
沈黙の後に、ミシュリーヌは昨日の世界のアニーに訊く。
「あの、貴方はアニーなのですか?」
フードを被っていても声、そして姿で分かったのだろう。
ミシュリーヌはアニーの問いに答えず、質問を重ねていた。
「そ、それは……」
アニーが言葉を躊躇うのも無理はない。
この世界に自分ではないアニーがいるのか。それが分からないのである。
俺と同じ条件だったらいることはない。だが、アニーは条件が違う可能性もあった。
「えっと」
「違うちゃんよ!」
アニーが言いかけた時、どこからかアニーの声が木霊した。
主はどうやら、このアニーでは無いらしい。
「利那ちゃん、まずその名前で呼ばないで。私ちゃんはこっち。こいつは違う」
どこからかアニーが舞い降りて、その場に入る。
どうやら浮遊していたらしい。
それにしては、今聞きなれない名前が聞こえた気がするのだが、気のせいだろうか。
「でも、貴方とは瓜二つな気がしますが。声といい、格好といい」
「ねえリュウちゃん! この人は誰!?」
この世界の住人らしきアニーは、俺に強く問いかける。
もうここまで言われたら、もうわかる。
そうだ、この世界で俺とアニーらは知り合いだ。
そして、アニーは昨日の世界のアニーを知らないのだ。
「……俺の、知り合いだ」
全く、俺は本当にコミュニケーション能力が少ないらしい。
咄嗟に出た言葉がこの言葉なのだ。
もっと良い設定があったものの。
「知り合い? こんな人いたっけ?」
アニーは俺の後ろに隠れ、俺は必死に説明を試みる。
私はここから逃れる良い案が思いつかない。を表しているのだろうと思う。
……駄目だ。頭が真っ白になって、説明ができない。
「……とにかく顔ちゃんを見せてみてよ。そう隠れてないでさ」
この世界のアニーが言う。
昨日のアニーは俺の後ろにいながら、俺に助けを懇願するような気を発してくるような気がする。
しかし、俺だって思いつかないのである。
「とにかく、ついさっき会った知り合いだ」
「えっと、その分かりづらい表現をよしてくださいね」
「え、御免な。でもその、知り合いって言っちゃ知り合いだろ?」
よし、我ながら良い誤魔化しようだ。
これでいける。俺はそう思った。
「じゃあ、名前は何ていうんですか」
……そうか、そう来るか。
俺は悩みかけるが、その前に後ろにいるアニーが言う。
「……先にそっちの自己紹介ちゃんをしてくれないかな?」
ミシュリーヌは先程からのちゃん付けに少し勘付いた感じだったが答えた。
「私は水純利那、こちらが栃谷雅海です。皆からそれぞれ、ミシュリーヌ、アニーと呼ばれています」
……え?
俺は唖然とする。
待って、それって本名じゃなかったのか? ということだ。
「あなたはアニー、って言ってませんでしたっけ?」
……!
ミシュリーヌの言葉に、俺は更に驚いた。
「え? 私ちゃんの名前? どういうこと??」
まずい。まずいぞ。このままどう転がるか分からない以上、ここは……
「いや違う!!」
俺は叫ぶ。
「じゃあ、何ちゃん?」
「アイだ」
「……え?」
俺と共にいたアニーが驚く。
「愛するの愛に衣と書いて、アイだ」
何でここで和名にしたか、それは勘であった。
今言った彼女たちの名前、それは和名の様だったからだ。
この世界は和名が普通であるということを。
愛衣と名付けられた彼女は、ただただ俺を見つめていた。




