第五章׳ב:昨日
それからしばらく、時は経つ。
女中がまた来たことに気付くと、俺はアニーを押し入れに再び閉じ込め、急いで女中に付いていった。
そして食事場として案内されたのは、和室である。
綺麗な畳。何か書かれている掛け軸。
そして――どう考えても一人以上のために用意されたと思われる広い部屋。
大体八畳くらいありそうだ。
「どうぞ、こちらでお待ちください」
どうやらビュッフェではなく、コース式の旅館らしい。
「さて……それで」
再び俺は考える。
まあ何を考えるのか? と言われると、考えるものが多すぎて答えきれないのだが。
思いつく限り並べてみると
・「須尭様」や「龍」とは誰か
・アニーはどうして異世界転移をしたのか
・この旅館の古臭さは何か
……大体今日だけで三つだ。
そして他にもここ四日間で謎は沢山できた。
例えば、オンナと名乗るあの女性。
そしてその周りに居た集団。
我々は、貴方の仲間です。
彼女はそう言っていた。
あとは、シャルロットも謎である。
あの発言の数々は、俺にはさっぱり理解できなかった。
しかも、彼女は……。
あれ? 彼女は何だっけ??
「……」
たまによくある。
考えかけていたことが、よく分からなくなることが。
この現象の名前は何だろうか。
俺は一瞬考えるが、そんなの思いつくはずが無い。知っていないのだから。
「お待たせしました。先付の三品、左から……」
懐石料理、か。
俺はその言葉を聞いて、察する。
だとしたらこの世界の俺は金持ちだ。それか、偶然今日だけ豪華にしたか……。
――いや、そうだったら抑ものところ、一人でこんな場所来ないはず。
やはり金持ちである線だろう。
「そしてお客様、お連れの方がいらっしゃってますが」
俺が奇妙に思う暇も無く、ガラッと障子が開いた。
入ってきたのはアニー。
これは……この世界のアニーだろうか。
全く分からない。
「へえ、美味そうちゃんじゃん」
そうニッコリと笑うアニーは、明らかに俺の朝食を狙っている。
……このままでは奪われかねない。
俺は立ち上がり、彼女の目の前に仁王立ちしてそれを阻止した。
「? どういうこと? ルイちゃん」
「これを渡す訳にはいかない……」
ハッキリ言って、通りは無い。
だが俺は、これを全て食べたかったのだ。
「へぇ、そーなんだ~~」
「ああそうだよ! お前にやってやるものか!!」
流石にここまで言うのは何かなと躊躇ったが、それでも俺は続ける。
食い物関係の因縁は恐ろしい、改めてそう思う。
だが、決してその意志に背かないのも俺である。アニーの眼光にも全く動じず、彼女を向こうへ行くように睨んで促す。
だがアニーもここは譲らないようだ。
「……ねえ」
ここでアニーが言葉を放った。
何だ? そう思う前に、アニーは土下座する。
「お願いちゃん! 勝手に部屋離れたのは許して。そして私ちゃんにも食べ物頂戴!!」
本当に、食い物で人はこうも変わるのかと、俺は嘆息をついたのであった。
ー ー ー ー ー ー ー
話してみたところどうやら彼女、昨日の世界のアニーらしい。
つまりこのアニーはあれからこっそり部屋を抜け出し、俺の客と偽り女中に呼びかけ、ここに案内させたのだ。
正直言って、なぜそこまでしてここに来たのか、と問いたいぐらいである。
まあそう訊いたら
「そっちには数十分押し入れに入れられる人の気持ち分かる!?」
などと言われてしまったのだが。
例えそれが嫌だったとしても、それではなぜわざわざここに来た?
一瞬それを問おうともしたが、それは当たり前なのでやめておいた。
そうだ。彼女は一番確実に食料を得る方法をとったに過ぎない。
ここが別世界――。それは彼女でも流石に分かると思う。少なくとも、自分が生まれ育った時代の、自分が生まれ育った国の、自分が生まれ育った場所とは思わないだろう。
そんなここで持っている通貨が使えるか、そもそも言語がちゃんと通じるかは分からないのだ。
流石にアニーはそれを分かったのだろう。
「さてそれで、これからどうするつもりちゃんなの?」
アニーは俺に訊く。
この時にはもう、アニーは俺が知っている状況を完全に把握していた。
異世界転移のこと、毎日同じ人物と会っていること、そして……
――俺が何も知らないこと。
彼女にはこれがよく分かったと思う。
「どうするって……」
俺のための一人前の料理を次々と食しているアニーを見ながら、俺は呟いた。
結局、アニーにあげることにしたのだ。
何せ冷静に考えると俺は少食だ。こんな食べられるわけが無い。
結局、アニーにあげない理由などなかったというわけだ。
それにしては、いい食べっぷりである。
俺は自分と同じ人種だと思えない。ここまで人間には食欲の差があるのか、と思うほどである。
「何も、決めてないの?」
アニーが、訊いてきた。
俺はなぜか狼狽える。
虚をつかれた、気がした。
「えっと、いや、その、違うぞ? これから俺はゆったりとこの街を……」
「それじゃ、この毎日の異世界転移ちゃんからは脱却ちゃんしないってこと?」
え。
「ああ、そうだ。別にどうでも」
「なら、ルイちゃんは、何の目的もなく、唯々毎日を過ごしているってこと?」
「えっと、それは何かおかしいか?」
今までずっとそうだった。
学校に行かず、ゲームをして、大きな目標を持たず、ゲームの中すら目的を持っていなかった。
ただ、暇を潰せば良い。
何でそうするかと訊かれれば答えられないが、まあ簡単に言えば、どうでもいいからだ。
とある人曰く、「人生とは死ぬまでの暇つぶしである」と。
俺はそれを通しただけである。
「おかしいちゃんよ。少なくとも、元の世界に帰りたいとか無いの?」
「無いと言えば無い。逆に毎日が明るい感じだ。何か、その、いつも違う世界でさ」
何も考えずに俺は言った。
考えたら、そんなこと言えなかったと思う。
だって考えてしまうと……。
ミシュリーヌとロランの死体が思い浮かんでしまうのだから。
あの惨劇は、恐ろしかった。
昨日の、アンリ急襲によって、俺は非日常を見た。
自分を見た。アニーを見た。アンリを見た。他人を見た。
夜の森に、幾千もの火が付く。
ボー、ボー、ボーと。
俺は今でもあれを思い出せるのだ。
「嘘か」
俺を見透かしたように、アニーは言った。
苦笑いをしながら。
「少なくともルイちゃんは普通とは違うけど、それでも昨日のあれちゃんを見て、何ちゃんも思わなかった訳ないと思う。それで毎日が明るいちゃん何て言えるはずないもんね」
……。
俺は何も言えない。
思わず取り繕うとするが、言葉が発せなかった。
「図星ちゃん、か。少なくとも昨日ちゃんは、そうだったよね」
アニーは最後にそう言うと、この世界の俺の持ち物であるらしい、トランクの中を探し始めた。
そして何かを見つけ、俺にこう言った。
「この世界にも私ちゃんはいるんだよね? だったら、同一人物だってことを隠さなきゃ。これ、借りるよ」
アニーが出したのは、茶色のフード。
それを羽織り出入り口を開き、そして俺に訊く。
「早く出よ。この旅館、今日までに出発予定ちゃんだったらしいから」




