第三章׳ה:狂い始める現実
「着いたぞ」
I-8ダンジョン、裏口。
近くの木々は音を立て、私の心を落ち着かせた。
「グレゴワールちゃん……大丈夫かな?」
そんな中、真っ先に思いつくのは彼だった。
母と共に私を育ててくれた、言わば私のお爺ちゃん。
今は冒険者で、頼りある仲間でもある、あのお爺ちゃん。
それを思い浮かべているうちに、私はまたお母さんのことを思い出して涙を流しそうになる。
駄目だ。
初対面のこのルイという男の前で、涙を見せてはいけない。
そうは分かっていても出そうになるのだ。
ロランはそんな私にこっそりとハンカチを渡す。
ルイは気付いていない様子だった。
「しかしアニー、気をつけて。ミシュやグレゴ、マチは大丈夫だが、
俺たちが死んだらそれも意味が無いから」
ロランの一言。
私はそれに違和感を覚える。
一人称はまだ、警戒心によって変わっているにしても、何であの三人が大丈夫と言えるのだろうか。
「え? あ、うん」
取り敢えずそれしか言えなかった。
一歩、足を洞窟に進ませる。
相変わらず一瞬温度差に体を震わせるが、すぐ慣れるこの感覚が心地よい。
「ルイ。これでも着ておけ」
一方明らかに寒そうな恰好をし、寒そうにしているルイに差し出すロラン。改めてミシュリーヌが惚れる理由が分かる気がする。
だって優しいもん。
まあでも、私には想い人が……。
と思ったがやっぱりいないようだ。
「え……と、有り難……」
「アニー、体を温めることを兼ねて走るぞ!」
ルイの感謝の言葉を遮りながら、ロランは言う。
多分照れくさいのだろう。
だから私も敢えてそこは触れずに、微笑みながら、答えた。
「うん!」
微かな、虫の音色と共に、私たちは走り出す。
不吉な雰囲気に気付かずに。
ー ー ー ー ー ー ー ー
「うわ!」
激しい闘いが繰り広げられる。
あれから様々な魔物が、私たちに襲い掛かってきたのだ。
私の声もすぐにかき消され、更に戦いは続く。
「残り……た、多分5体かと」
「有り難う」
この声はルイとロランの声。
そう。ルイは五感がすごく、残りの敵数を把握し、アドバイスをくれているのだ。
まあ全然強くはないけど。
でも、それだと違和感を覚える。
だったらなぜ、氷の魔法があの時使えたのだろう、という違和感を。
「ま、それも今はいっか」
呟きながら、また一回転、二回転と周りの敵を薙ぎ払う。
攻撃は高く跳んで回避。
風転翔流、それが私の流派なのだ。
「アニー!!」
「okちゃん!」
ルイの声に反応して、足を踏み出す。
そして回りながらルイの周りの敵を斬る。
その速さ、0.2秒。
……さて。今のところ見えている敵を全部倒したんだけど、さっきルイが言ってたのと一体足りないな。
そう思ってルイを見ながら左に進むと、ルイは真剣に叫ぶ。
「右だ!!」
ルイに向かって右、つまり私にとって左。
なるほど、私の勘は当たっていたようだ。
「ここから先は危ないよ」
一応ルイにそう言って、先に進ませないようにして、私は敵を見つめた。
黒い煙に包まれたその魔物を。
その間どうやら、ロランとルイは何個かやり取りをしていたようである。
そして……。
魔物が、動き出した!
私に襲い掛かるか?
それともロラン?
そう思っていたが、襲い掛かられたのはルイ。
私は警戒してなかったので、反応が遅れる。
「まずいちゃんね!」
私は動き始めるが時既に遅し。
何かが、飛び散っていた。
それは……血であったのだろうか。
それとも、何だったのだろうか。
私はこの時、自分が色を見分けられなくなっていることに気付く。
かと思うと、私は倒れてしまった。
ー ー ー ー ー ー ー ー
気が付いたのは……ロランの膝枕の上。
何かを思い出した気がして。あとミシュリーヌに悪い気がして、目が覚めた。
「……起きた、か」
近くに、ロラン以外の姿はない。
だが、ロランの声は冷たかった。
「ロラン……ちゃん」
起き上がる。
それと同時に、冷たいような暖かいような液体が、落ちてきた。
指で触り、そして見る。
紅に染まったこの液体を。
「ね、ロランちゃん。これって何?」
私はロランに訊く。
いや、聞かなくても分かっていた。だが、信じられなかった。
だってこれは、どう見たっても。
「……血だよ」
ロランの言葉。
私が立ち上がったその瞬間、体は凍る。
……血? 何で、血??
「さっきの……坊主……だけどどうしたの?」
ロランは笑いながら、そう言う。
坊主……さっきのルイって人のこと?
それを訊こうとする。
だが、聞けなかった。
彼は、その後も喋り続けたのだ。
「……一緒の……魔法だよね? 思わず……おろいちゃったよ」
「……おろいたって、何ちゃんなの」
やっと出た言葉だった。
平坦に、笑顔で喋るその姿は、本当に恐ろしかったのだ。
「殺した……あ、噛んだよ?」
噛み殺した……?
私は思わず足を踏み出さずにはいられなくなる。
というか、自分がこの状況を呑み込めていることが、怖くなってもいた。
「何でそんなことちゃんを!? 何でやっちゃったの!!??」
ぐちゃっ。
足を踏み出した先はまた、何物かがある。
いや、元の形が分からないがそれが何か分かった。
死体だ。
人間の死体だ。
「何を言ってるの? ……当たり前だよね」
一方ロランは、その死体を見てしまっている私にこう言った。
冷淡に、そして残酷に。
更にロランは続ける。
「お母さんのこと怒って……ない?」
何で、ロランちゃんに私ちゃんは怒らなきゃいけないの!?
質問を重ねる。
「え、どういうこと?」
殺したのは、僕じゃないか。
彼は言葉を発するのを、ここでやめた。
でも言葉で発しなくても、私は彼が何を言いたいかが分かった。
その事実も、ロランも如何にも不気味で、それを感じるとともに……
怒りが、芽生えた。
「……お母さんも、あのルイって人ちゃんも、他にもここで死んでいるこの人ちゃん達も……皆ロランちゃんが殺したの!?」
私は問いただす。
「え? ちょっと待って??」
それって、悪いことなのかな?
ロランは言う。
とても冷たく。
私はそれを、許せなかった。
「何で? 何で? 何でそんなことを」
「皆殺すしかないんだよ。じゃないと僕は……」
「何!? 『じゃないと僕は』どうなるの!?」
ロランは答えなくなる。
もう、怒りが堪えられない。
涙や嗚咽よりも、怒りが堪えられないのだ。
だからついに、私は襲い掛かった。
ロランの流派は、光突貫流――。
主な動きは光属性の物質生成システムを使用しながら行う、突き攻撃。
それが分かれば十分だったのである。
「ロラン。私ちゃんは貴方ちゃんを許しはしない」
そして私の短剣は、ロランの胸元に襲い掛かった。
と、思われたが。
「何をするんだ、アニー。僕は何がなんだか分からないよ」
ロランは笑いながらそれを守った。
バリアだ。
恐らく金属製の。
「嘘ちゃんはよくないよ!」
言葉を返し、次の攻撃を考えながら一旦後ろに退く。
そうか、次は……。
「ん?」
私は風の魔法でロランの頭上へ急いだ。
そうはさせまいと、ロランはそれを狙って矢を放つ。
その軌道を読み取り、私はそれを避け、
涙を流しながらこう叫んだ。
「風転翔流、アニー。私ちゃんは貴方に仇討ちをします!」




