序章׳ג:洞窟
「ふう、ふう、ふう」
やはり体内時間と実際掛かった時間は別である。
そう。あれから俺は一日中笑い声の主と鬼ごっこをしていたと思っていたのだが、実際財布の中に入っていた時計を見ると、たった六時間程度である。まあ正確に言うとコンビニに行くため、家を出発した時間からであるが。いや、「たった」とは言えないか。
ついでにこの時計が合っているか、それについては大丈夫である。この時計は電波などをあてにはしていないのだ。
さて、笑い声と足音はというと、大分距離は取れたはずなのにまだ聞こえてくる。
だが俺は息切れをして動けなくなっているから、もうこれ異常距離を離すことは無理といえよう。
それと同時に息切れの所為で、さっきより距離が把握できないことも問題である。
あの笑い声は、どれだけ迫っているのだろうか。
そもそも追いかけてきているのだろうか。
俺は近くにあった岩に隠れ、元来た道を振り返って様子を見た。
大丈夫だ。まだ奴は見えてない。
俺は休息をとることを決めた。
その刹那、
見ていた方向と反対方向で、その獣の鳴き声は木霊した。
俺は思わず肩をすくめて後ろに目を向けた。
見るとそこは……。
――大きな怪物がいた。
生物名などはすぐに分かった。龍、紅色の龍である。
完全に油断した。
全く怪物に会わなかったからすっかりこの洞窟には怪物はいないものかと思っていた。
そうじゃ……なかったのか?
そういえばさっきの場所とは違い、照明が松明ではなく、街灯になっている。つまり人間の開拓地のはずだ。
それなのに、そんな安全エリアっぽい場所で初怪物って……。
と嘆いている暇はない。
このままではすぐにやられてしまう。
冷や汗が吹き、戻りかけた心拍数もまた上昇する。
が、そんなことは無視せねばなるまい。これは緊急事態なのだ。
取り敢えずここは冷静に判断すべき。
グァオオ!!
って訳にもいかないですよねえ。
龍は今にも襲いかかるような姿勢をとる。
俺は考えに考えを重ねながらその龍を威嚇するしか出来ない。
「なるほどな、LEVEL1でも容赦しないってか! だがこの世の中は神ゲー。俺が送られてきたってことは相当俺に適した世界だ。だったらお前に勝ち目は無いんだよ!!」
無論、異世界転移したという証拠はない。
しかし今出来ることは一つ。このように威嚇して俺は殴りかかることだけだ! 俺は次、拳をかため、殴ろうとした。奇跡を信じて。
が、
殴れるわけがないのである、この怪物に。
グァオオ!!
「ぐがっ!」
龍は勢いよく俺を抑えつける。
遂に角行飛車落ち王手、といったところか。
俺はあらゆることを考え、一つの結論に辿り着いた。
俺には無理だ。
勝てる訳がないよ。
俺は逃げ道を探す。が、押さえられて動けなかった。
その時。
龍は足を一回上げ、俺の方に振り下ろした……
のだが。
「今です!」
少女の声が響き渡った。
瞬間、明るい緑色の髪の美少女が颯爽と現われた。
微笑し、鵺に自らが持った剣で攻撃をかける姿は、まさに一つの芸術作品で、彼女がその時繰り出した剣技に俺は……すっかり見入ってしまう。
――斬撃音。
やったぜ、ギリギリで助かるあのイベントだ。
俺はそう意味分かんないことを思いながら、気を失って倒れかけた。
そして咥えていたあたりめと持っていたレジ袋が……洞窟の地面に落ちた。