惚気の藁人形、深夜の決戦。
カンッ――。
日本には、呪いという1つの文化が存在する。
カンッ、カンッ、カンッ――。
それは人間の欲、恨みなどの後ろ暗い感情を糧として、今日まで伝わってきた。
カンッ、カンッ、カンッ、カンッ、カンッ――。
今日もここに、黒くて暗くて後ろ向きな。極めて捻じ曲がった悪意が、ひっそりと開花する。
おはようございます、宿女宥嘉です。
女々しい名前と言うことなかれ。これでも立派な成人男性である。
ただいまの時刻、午前2時20分。
先ほどまでグッスリと眠っていたのだが、何処からか聞こえる甲高い金属音に叩き起こさたのだ。
カンッ、カンッ――。
未だに止まぬ異音の音源は、どうやら家のすぐ近くから聞こえてくる。
そのまま放置しておくには煩いので、上着を羽織って玄関から外に出た。
「寒……!」
月明りすらない新月の夜。
もう立派な夏とはいえ、まだ6月。ひんやりとした夜風に身が震える。
さて、どこから聞こえたものなのか。
耳を澄ますと左側から、金属音が響いてきていることが分かった。
玄関を背にして左側からということは、家の右側。
家の右側ということは、生い茂る雑木林の中から聞こえてくるものらしい。
カンッ、カンッ、カンッ――。
音はまだ鳴りやまない。
念のために極力、足音を殺して音のする所へと向かう。
すると1本の木の下に、灯りのついた懐中電灯と、白い何かが……。
「うぉぉぉぉおおおぉぉぉぉぉぉッ!?」
「――ッ!?」
そこには、幽霊がいた。
驚き過ぎて口から悲鳴が出たことにより、幽霊の方がビクッと揺れる。
そう、幽霊がそこにいた。白い着物を纏った、長い黒髪の幽霊がそこにいた。
「――ッ!? ――ッッ!?」
幽霊は未だにこちらには気づいていないようで、ビクビクと周りを見回していた。
「君、こんな夜更けに何をしているんだい……」
「ゆ、宥嘉様ですか!? 何処に居られるのですかっ!?」
「こっちだよ、紗結ちゃん」
「宥嘉様!」
ジャリジャリと最早隠す必要のなくなった足音を出して、こちらから幽霊に近づいていく。
随分と背丈の小さい幽霊は、純粋そうな瞳でこちらを見返している。
まあ、幽霊というよりは生霊、というか生身の少女なのだが。
「それで、こんな所で何を……」
ふと視線をやった先には、藁人形があった。
その藁人形は哀れなことに、釘で木に打ち付けられている。
「えぇっと、これは……?」
「藁人形です!」
「いや、それは分かっているんだけどねぇ」
これは所謂アレだろうか。
恨めしい相手に、呪いとかをプレゼントしちゃうアレなのだろうか。
「聞きたくはないんだけど、一応……お相手は?」
「昼間のアイツです!」
「アイツって、昼間の?」
「昼間のアイツです!」
昼間のアイツ。その言葉から思い当たる人物が1人。
性は天児、名は祝詞。
随分と長い付き合いのある、我が友人のことだった。
「そっかぁ、アイツかぁ」
「あの男は私の敵です!」
「敵って……酷い言われ様」
言われて思い出す、昼間の出来事。
『そういえば宥嘉、オマエってさ』
『なんだい?』
『どう足掻いても男には見えないよな』
『…………』
『絶対スカート履いたら似合うと思うんだ』
『死ね』
あっはっは、と豪快に笑う祝詞。
そして、そんなやり取りへと物陰よりジトっとした視線を送り続ける紗結。
その後彼は、その顔面に向けて放たれた幾つもの右ストレートをいなしつつ、帰っていった。
「あんなヤツ、滅びればいいのです」
「滅びって、そんなことの為にこんなことをしていたのかい」
「いえ、これには末代までドライアイであるように。そんな呪いを込めました」
「エグい! いや思ったより深刻じゃないけど地味にエグいよっ!」
そんな微妙なことの為に、わざわざ真夜中に藁人形を打っていたのか。
なんというか、彼女は思っていた以上にバイタリティに富んだ子だった。
「そんな過激思想は捨てて、お家に入ろう。ほら?」
「っぅぎゅう!!」
「っふぐ!?」
両手を広げて彼女へと向けると、すぐさま抱き着いてくる。
ふわっとした、どこか子供っぽい匂いが鼻をくすぐり、容赦のない圧力が腹部を締め上げる。
「ちょっ、力強い……紗結ちゃん力強いっ!」
トントンと彼女の肩を叩くと、臓物を絞り出さんとするような圧が無くなった。
もう面倒なので、このまま家の中へと連れ帰ることにしよう。
藁人形は……明日片付けることにする。
家に入ると、今まで忘れていたかのように眠気が再び襲いかかってきた。
「宥嘉様ぁ、一緒に寝ましょうよ~」
「ダメです。しゃんと1人で寝なさいな」
部屋に戻って眠りたいのは山々だが、彼女がコアラかナマケモノさながらに、なかなか離れてくれなくて困っていた。
「ほら君メイドなんだろう? どこの世界にご主人様にしがみ付くメイドがいるんだい」
「前に読んだ少女漫画にいました」
「ああ、いたのね……」
彼女は普段、メイドを自称している。
その癖、朝に弱く家事もイマイチと、メイドとしてのスキルはほぼ壊滅していた。
もうほぼほぼメイドの要素などないのだが、そこに突っ込むのはご法度である。
「じゃあキスしてください。一緒に寝てくれないなら、お休みなさいのキスです」
「はいはいキスね。お安い御用さ」
そう言って1つキスをする。ただし自分の右手の甲に。
「違いますっ、私の唇にです! バードでライトなのでいいですから!」
「百歩譲っておでこ、それ以上は譲れないね」
「分かりました、おでこで手を打ちます!」
「じゃあ、失礼して……」
右手で、彼女の切り揃えられた前髪を上げて、おでこを晒させる。
そこに渋々、顔を近づけ――。
「てりゃあ!!」
「――甘いッ」
顔を近づけた時、おでこの位置が勢いよく代わり、目の前に目がやってきた。
が、そんなことは既に読めていた。
素早く左手で彼女の顎を抑え、両手で彼女の顔を捕まえる。
そして唇と唇を合わせる代わりに、額と額を合わせながら言う。
「おふざけはおしまい。もう寝なさい」
「ひゃ、ひゃい……!」
彼女は積極的だが、ここぞという時の度胸は持ち合わせてはいなかった。
つまり、結局は奥手だった。
そこからは簡単なもので、彼女の部屋の前まで運んでやると、大人しく部屋へと帰っていった。
余談だが、次の朝まで紗結は眠れず、体内時計が思い切りズレたのだとか。