ムヨウノキオク
真紅の髪の子供が無邪気な微笑みを浮かべ、庭を彩る花を摘む。
「アージュ様、兄君様が、フレス様がお探しになっておりますよ。」
真紅の髪の幼い子供はぴたりと花を摘むのを止め、笑みを消し、探しにきた侍女を恐れるように見る。
そして子供、アージュはクルリと方向を変え逃れるように森に向かい走り出した。
「アージュ様っ! アージェスター様っ! お待ち下さいましっ!」
「どうかなさいましたか?」
藍色の髪を束ねた少年が、幼い少年に怯えるように逃げられて混乱する最中の侍女に声をかける。
振り返った侍女は必死に自身の混乱を抑え、少年を上から下まで見て彼が誰であるかを思い出そうとした。
紺色のきっちりした士官学校の制服に薬学部の白い上着を羽織っている。
いまいち記憶にない。こんなことでは宮仕え失格だ。ただでさえ、仕えるべき相手に怯えられ、逃げられると言う失態を目撃されていた。
侍女はそんな時に弾けるように『思い出した』。
「ソルファス様……。実はアージュ様をお探しするようにとフレス様に申しつかったのですが……、わたくし、どうしたら……。」
相手をわからないと言う失態。役割をまっとうできていないと言う失態。ふたつの失態がなぜか靄に包まれていく。恐れるべきことではなく、ただ少し困惑を誘うことのようにしか感じられなくなっていく。それでも対応には困り、おろおろとする侍女に彼は微笑みかけた。
「私が探してみましょう。ありのままをお伝えすればよろしいのですよ。フレス様もお慣れになっておられますからね。」
侍女はその言葉にほっと胸をなでおろし、お辞儀を一つしてそそくさと行ってしまった。
しっかりとそれを見送った彼は森に足を向け歩き出した。
(本当に皇子ときたら困った方だ。たまには兄上方につき合っても罰はあたらないだろうに……)
何の役にもたたないことを考えながら手入れされた場所から手入れの悪い蔦や雑草の茂る森に踏み入る。
「アージェスター様。アージュ様。侍女殿は行っておしまいになりましたよ。」
「ここ、ココだよ。ソルス。」
木の上からプラプラと無邪気に揺れる足が見え、ソルスは内心苦笑する。
「フレアスター皇子がお呼びだそうですよ。たまには兄君にお顔を見せて差し上げてもよろしいのでは?」
「ヤだよ。それに夕食会で顔はほとんど毎日合わせてる。どうせ、フレス兄様ならお勉強会でしょ?」
ひょいっと軽がる木から飛び降りたアージュは指先をソルスに突き付ける。
アージュの身長はソルスの胸元にも届かない。
「人を、指さしちゃいけませんよ。」
「ソルスだからいいんだよ。ソルスはボクの手足となって動くシャドウ・ナイトなんだから。」
つんっとアージュはソルスの胸をつく。
シャドウ・ナイト。沈黙の闇に生きる騎士。その命を仕える方に預け、その命を捨てる存在。
にっこり笑うアージュのその無邪気げな表情の奥底に潜む暗鬱とした暗き世界を垣間見ることを不幸にも許されてしまったソルスはぞっとした。
ソルスは一族の特性として生まれ持った能力がある。その能力自体はソルスに限ったものではなく強弱こそあれど一族すべてが持つ力だった。
ソルスが生まれ持った能力は精神感応。他者の心を、身体情報を読み取り気付かれることなく思い通り作用させる。対抗能力のない者を操ることは容易いであろう能力だ。
しかしソルスは実行しない。物心ついた頃より能力を封じて、見せずに過していた。幼い身には諸刃の刃な能力だった。
対し、アージュの能力は精神系にかけては抵抗値以外はからきし。その抵抗値でソルスの才を看破し、並外れた物理能力を持ってソルスを支配下に置いた。便利そう。ただそれだけの意思で。
「王様なんて兄様達がいるもん。ボクには関係ないよ。でしょ。ソルス。お勉強も武術も先生が教えてくれるのを覚えるだけでいいとボクは思うんだね。ソルスもそう思うでしょ?」
答えを決めつけているアージュの様子にソルスは溜息をついてしまいたい心境を押え込んだ。
『浮島』の王位は前王など関係無くその時強い者が『浮島』の王になるというルールだ。
その為に事有る毎に剣武会や魔術試験が存在する。
それでも、血の濃いものの方が強い力を有している。強者は強者であるだけで支配力を持つ。
強いものこそが『浮島』を支え守り、管理する。時として命を賭して、時として我が子を切り捨ててでも。
「そうですね。殿下は十二分に力を有する素晴らしい方ですから。」
ソルスの目の前にいる赤毛の少年。アージュは現王の末子にして、かなりの潜在能力を持ちながら、権力には無関心。甘やかされることを厭いながら、甘やかされるのを当然と考える子供だった。
ソルスも、アージュも実力を持ちながら無能者を決め込んでいる者同士だった。
◇◇◇
そこは赤と緑の天蓋の内。
彼は傍らに控える自らが友に微笑みかける。
「リーツルード。私はまだ良き伴侶を見つけられないよ」
笑いながら話しかける彼にはその事に何も感じていないことが知れる。
「良い方が見つかりますよ。我が君」
控え目な配下であり友である者の答えに彼はまた軽やかに笑う。
「ああ、そうだな。リーツルード。ま、縁が有るように神殿巡りにでも行くか。留守の間、国のことを頼むからな」
「我が君様! お独りでなどと!」
彼は友の慌てぶりに苦笑を洩らす。
生れ落ち、たまごの殻を破ったその日より自らを庇護してくれている大切な友だった。
「最良の伴侶を得るが為に祈りを捧げる。それに保護者同伴で。などと前例が有るまい。それに私はそこまで子供か?」
苦笑をごまかしながら彼は真面目に答えそうになっているリーツルードを見る。
「葉竜リーツルード。成竜である其方から見れば私はまだ子供なのかも知れないが、これから私が成竜になれるかどうかもわからないのだし、伴侶を得る努力を怠るわけにはいかないのだよ。国をあけるなどと言うのは其方を信じているからだ」
不安を湛えたリーツルードの目を彼は覗き込んで明るく笑う。
彼はどこまでも友であり、守役であるリーツルードを信頼していた。
しかたなさそうに息を吐いたリーツルードはなんとか微笑みをこぼす。
「ちゃんと、神殿巡りなさって下さいね。良き竜姫に巡り合えるように」
「ああ、もちろんだとも。焔の竜皇ファリューザムの名にかけて。いってくるよ。リーツルード、ミリエーラ。国を任せたよ」
緑の天蓋が応えるように緩く風に揺れた。