レヴァノイト到着
ヤグーとは。この世界に生息する羊の体にヌーの頭を着けたような生物で体長が二メートルほどあり、その体毛は寝具などに使用され、革は衣類や鞄の素材に、角は美用品や薬品などに使用され、肉は食用という、まさに一度に四度おいしいこの世界になくてはならない家畜である。
小高い丘から見えた街レヴァノイトに向かう道すがら、見慣れない動物がいたので尋ねてみるとオサナメが得意げに説明してくれた。
ちなみにレヴァノイトは畜産業が盛んで、街から伸びる舗装された道の脇には牧場が建ち並び、木製の柵の中にヤグーが放牧されている。本当はもっと聞きたいことがあったのだが。オサナメの異世界ツアーが始まってしまったので口を挟むこともままならない。
それにしても道行く人たちは僕の制服姿を見るなり皆一様に顔を歪めて足早に去っていく。確かにこの世界と僕のいた世界とでは文化が違うし、海外を歩いたとしてもこの服装を見れば似通った反応が返ってくるかもしれないが、明らかに露骨過ぎる。街に着いたらまず服装を変えるべきなのかもしれない。
隣を歩くオサナメも同様に僕に対して好奇の向ける。
「なあクルス。そっちの世界ではみんなそんな暑苦しい服を着てるのか?」
しかし質問の内容よりその言葉遣いの方が気になってしまう。オサナメは僕と会話し始めてから終始タメ口である。どうやらオサナメは僕に対して敬語を使う気はさらさらないようだ。まあ、相手は子供なので腹も立たないが。名前を呼び捨てにするのだけは勘弁してもらいたい。それに僕の名前はクルス・ハーヴェイではないし、クルスはファーストネームではなく名字だ。
色々指摘したいこともあったが僕はそれらの不満を胸の内に収めると質問に答えた。
「これは制服といって、学生は登校する際この服を着用する義務があるんだ」
「ガクセイ?」
「学生というのは学校に通う人のことだ」
「ガッコウ?」
僕が何か言う度にオサナメが疑問の表情を浮かべる。うーむ、どう説明するべきか。もしかするとこの世界には学校という機関自体がないのかも知れない。ただ、オサナメの喋る知識などから察するに教養を身につける場はあるはずだ。だとすれば、仕組みについて述べるほうが彼にとっては理解しやすいのではないだろうか。
「すなわち知識を学ぶ所へ行くときの正装みたいなものだ」
「……ああっ、エプラアカデミーのローブみたいなものか」
「んっ? まあ、そのアカデミーに通うための服だ」
話は通じたようだが、オサナメの口からまた新たな単語が出てきてしまったので僕はアカデミーという言葉のニュアンスだけを受け取ると、とりあえず曖昧に頷いた。これは今後会話するにも骨が折れそうだ。逆にこちらが詳しく説明しようにもこの世界の常識を知らないためそれもままならない。それに彼の言葉にいちいち引っかかっていては会話自体が進まないので、もどかしい状況だが今はノイズを排除して、目的のために必要な知識だけを頭に入れることにしよう。
オサナメは僕の説明に納得したようでそれ以上は深く追求してこなかったが、その代わり僕の首元を見て言葉を漏らした。
「でも首の所がなんか苦しそうだな」
まさか異世界に来てまでその言葉を聞くとは思わなかった。不意に脳内で篠崎さんの声が再生される。
「……それは前にも言われた」
「なんだそりゃ?」
とはいえ、首元が苦しいのは事実だった。どうやらこちらの世界は気候が比較的温暖なようで、今は天気が良く日が照っている。道端の雑草も日の光を浴びて自己主張するように葉を精一杯伸ばしている。
服装を崩すのは己の信条に反するが、僕はその暑さに堪らず制服のホックを外した。しばらく学校には戻れそうもないし、服装の乱れを注意する人間もここにはいない。元々、そんな細かなことを注意する者はいなかったが。開放された途端、首元に涼しげな風が吹く。
そういえばあの後、学校はどうなったのだろうか。突然地面に消えた僕はどういう扱いにされたのだろう。教師や警察に事情を話して篠崎さんが変人扱いされてなければいいが。
「おっ、入り口が見えてきたな。もうすぐ街に着くぜ」
オサナメが指差した先を見ると、一際大きな門が構えていた。脇には詰め所のような建物があり、街を出入りする者を見張る役割を担っているようだ。
門の幅は馬車や荷車が通れるように広くなっており、見ると荷車に野菜を積んだ行商人のような人も存在していて、比較的開放された街のようでもある。
そう思っていたのも束の間。
「おい、そこのお前!」
甲冑を着た男が詰め所から出てきてこちらに近寄ってきた。腰には長い剣を携えており、物々しい雰囲気をかもし出している。
「レヴァノイトの衛兵だ。オレがなんとかするからあんたは黙ってて」
隣に立つオサナメが小声で言った。
衛兵はがちゃがちゃと物音を立てながら小走りで来ると値踏みするような目つきでしげしげと僕の全身を見てきた。遠目ではわからなかったが、衛兵の顔は思ってたよりも若く、僕と大して歳が変わらないように見える。
「見かけない格好だな。どこから来た?」
「ああ、オレたちはコーデクライツから来たんだ」
「そりゃまた……随分と遠いところから……」
衛兵の質問にオサナメがすかさず答えた。そのおかげで、僕に対する視線は緩和されたが、今だ警戒は解けていない。
「この街に来た目的はなんだ?」
「それが……コーデクライツは今、英雄のせいでめちゃくちゃになってて、オレたちはなんとかここまで逃げてきたんだよ」
「……俺も噂は聞いたことがある。確か英雄が暴れて城が半壊したとか」
「そうなんだよ! だからここまで来たんだ。レヴァノイトは安全だって聞いて」
「そりゃ安全といえば安全だが……うちも似たようなもんだからなぁ……」
そう言って衛兵は街のほうを一瞥した。僕はというと衛兵の呟いた内容が酷く気にかかった。
「こっちは長旅で疲れてんだからさぁ。早く宿に泊まりたいんだよ。頼むよぉ」
オサナメが子供らしさ全開で人懐っこく喋る。
「まあ、そういうことなら……」
子供にここまで言われてさすがに気が咎めたのか、衛兵は頷くと脇にそっとどいて道を開けた。
それを見てオサナメはパッと顔を輝かせると僕の手を引いた。
「ありがとう! 行こうぜ兄ちゃん」
「あ、ああ……」
いや待て。兄弟の設定は無理があるだろう。髪の色も違うし。しかもそれを聞いた瞬間、衛兵が訝しげな表情をしたのがわずかに見えた。許可した手前、衛兵はもうなにも言ってこないだろうが、最後にしこりのような疑念が脳裏に残ったに違いない。
それ以降、僕は見送る衛兵の顔を見ることができないまま街へと足を踏み入れた。