異世界と女神2
「……えっ? 解決したんですか?」
女の口から発せられた言葉は自分が予想していたものとは大きく違っていた。言葉から読み取れる情報を自分なりに整理し、ひとつの結論に辿りついたわけだが、女の口から聞かされたのはなんとも肩透かしをくらう内容だった。
「だとすると、余計話が見えないんですが……」
「私が召喚した異世界人たちはそれはもう素晴らしい活躍を見せたわ。なにせあなたたちの世界にとってマイナスな人間――言わば無価値な人間ほどこちらの世界ではプラスに力が働くからね」
「そうなんですか?」
「そう。この世界とあなたたちのいる世界は表裏一体で、言わば背中合わせの状態で存在しているの。つまりあなたたちの世界にとって無駄で意味のない人間がこちらに来ると、それが反転してもの凄い力を得るってわけ」
「その……なんとなく仕組みはわかりましたが、僕の質問の答えになってません」
「まあ、聞きなさい。私はこの世界に十二人の人間を召喚することで邪神を打ち滅ぼすことに成功したの。それで世界は平和になって、後は以前と同じように調和を取り戻す。そう思ってたんだけど……」
途端に女の顔が暗くなり、下唇を噛んだ。それは自分の失策を嘆いているようでもあった。
「あいつら戦いが終わっても帰らないのよ! それどころか英雄扱いされて調子に乗っちゃって、この世界で好き勝手やってるの!」
「…………は?」
言っていることが支離滅裂だ。この女は自分が行ったことを責任転換して、あまつさえ正当化しようとしている。自業自得なのは誰の目から見ても明らかだ。それに僕と同じくこの世界に連れてこられた人間が十二人いるということにも驚いた。きっとその人たちもこの女の勝手な言い分に腹を立てたことだろう。
「あいつらのせいでこの世界のバランスはもうめちゃくちゃなのよ!」
「しかし、呼んだのがあなたなら強制的に帰せるんじゃないですか?」
「それは無理。だって私が彼らにこの世界で役目を終えるまで帰れないっていう制約をつけて、その代わりに役目を終えたら自分たちの好きなタイミングで帰れるっていうシステムにしちゃったから」
「なんでまたそんな面倒な……」
「バランスよ! 私は調和を司る女神だから、自由を奪った以上は対価としてそれなりの自由を与えないといけないのよ。だってほら、ゲームとかでもエンディング後の世界を自由に探索できるパートがあるでしょ。役目が終われば、はいさよならなんてあまりにも可哀相だと思ったのよ!」
カップ麺といいゲームを引き合いに出した発言といい、こんなに世俗にまみれた女神も珍しい。そしてあまりにも詰めが甘い。そんな一時しのぎの方策をすれば、後に破綻することは目に見えていたはずだ。この世界で起きたことなら少なくともこの世界の人間に力を与えて解決すべきだった。
「でもまさか全員が二年以上もこの世界に居座るなんて……悲劇よ!」
「僕はゲームをしないのでその例えはよくわかりませんが……つまりはその人たちが帰るように仕向けて欲しいということですね?」
「そう、正解!」
女が目を見開き、クイズ番組の司会者のように僕を指を差した。やっぱりこの人生理的に受け付けないな。さらに腕を伸ばしたときに長衣の袖の隙間から脇と胸の側部がちらっと見えたが、どうやら長衣の下は全裸らしい。どこの世界の女神も裸に布きれ一枚でないと駄目なルールでもあるのか?
「そもそも説得しただけで帰ってくれるものなら、とっくに帰ってるんじゃないですか?」
「ええ、何度か私自身が説得を試みたけど、結局駄目だったわ」
「女神のわりに意外とフットワーク軽いんですね……」
「でも私は話すことはできても人間に直接干渉することはできないの。だから同じ世界の住人のあなたに頼んでるんじゃない。彼らになんとか帰ってもらうよう説得するか、もしくは力ずくでねじ伏せて強制送還するか、とにかくやり方はあなたに一任するから、彼らを元の世界に送り返して欲しいのよ」
「僕も一介の高校生なんですが……」
「あなたさっきの話ちゃんと聞いてた? マイナスの存在はこちらではプラスになるのよ」
「そのマイナスの存在が僕だと言うんですか?」
「ええ、そうよ」
なにをもってマイナスだと言っているのかはわからないがあまりいい気はしない。自分の過去を鑑みるに僕は犯罪に手を染めたこともないし、人を傷つけた覚えもない。まさか風紀委員の仕事が人を不幸にしていたとでもいうのだろうか。確かに生徒たちに嫌な思いはさせたのかもしれないが、それは風紀を守るためであり、不快であっても不利益なことではないはずだ。
「あなたは今の自分の境遇に絶望してるでしょ? 人生に目標を見出せず、無駄に怠惰な日々を過ごしてるでしょ? たまに本気を出せば己の無力さを痛感するだけだし、なにをやってもうまくいかない。そんな風に思ってるでしょう? そんな鬱屈した精神や不幸な境遇がこの世界では大きな力になるのよ」
神の声なき声を聞けとはよく言ったものだ。実際、神を目の前にするとこんなにも喋るのか。いや目の前にいるのは女神だが、近所の噂好きのおばさんも顔負けの弁舌家である。しかし、そのあまりに酷い物言いに対して僕も反論せざるを得ない。
「僕は現状に満足しています」
「反論したい気持ちはわかるわ。だけど周囲に目を向けてみなさい。あなたの劣等感を刺激するものがたくさんあるはずよ。あなたと同じ年で成功している人だって大勢いるでしょう? あなたがどれほど努力しても上には上がいて、いずれ才能というものに気付かされる。人は例え個の存在だとしても他と比較したがる生き物だから」
「でもそれはあくまで他者の意見です。僕は自分で言うのもなんですが家庭環境も良いですし、学校の成績も上位で風紀委員としても教師から一定の評価を得ています。もちろん僕を育ててくれた両親のことも尊敬しています。なので現状に全く不満はありません」
この人はなにかを勘違いしているようだが、僕は今の生活になんの不満もなく、むしろ自分は幸せだとさえ感じている。それを他人の勝手な尺度で測られても迷惑だ。
僕が言い切ると女はきょとんとした顔で瞬きを繰り返した。
「いやいやいや、そんなわけないでしょ!」
「もし、今の僕になにかが足りないのであれば、次の目標に向かってまい進するだけです」
「えっ……なにその真面目さ………………ホントにそう思ってる? 現状に満足してるの?」
「はい、満足してます」
「うそでしょ、そんなはずは…………あれぇ?」
僕が強く頷くと女は一点を見つめて止まってしまった。まるでテストの問題がわからず用紙をずっと眺めているときのような顔だ。
「……っべ……違えた」
声は小さかったが確かに聞こえた。女は「やっべ間違えた」と言ったのだ。
「帰ります」
「ちょちょちょっと待って!」
立ち上がった僕を止めようと、女が近づき腕を伸ばす。冗談じゃない。僕は間違いでこの世界に連れてこられたのだ。ならばここに残る理由はない。僕は女の手を払いのけようと軽く手を払った、
「……っ!」
が、僕の手はまるで初めからそこになにも存在していなかったかのように抵抗なく女の腕をすり抜けた。この女には実体がない。本当に人ではないのだ。今起こった現象の気味悪さに背筋が凍りつく。
そんな僕の反応を受けてか、一転して女は真剣な表情でこちらを見る。その瞳は吸い込まれそうなほど美しく、そこには一点の曇りもない。
「これはあなたにしかできないことよ」
「それ嘘ですよね!」
かのように見えたが、女の心は淀みだらけだった。言うに事欠いてまだ自分の失態を誤魔化そうとしている。
「嘘じゃないわ。た、例えあなたの能力がしょぼかったとしてもきっとあなたならやり遂げられる」
「しょぼいってはっきり言ってるじゃないですか! 元の世界でプラスな人間がこちらに来ると一体どうなるんですか? 教えてください!」
「この世に完璧な人間なんていないわ。みんな生まれながらにしてマイナスの要素を持っているの。それでもあなたは限りなくその……プラスに近い人間だから、この世界の人間よりかはちょっと強い能力が使える程度だとは思うけど、と、とにかく頑張ってやるだけやってよ!」
「そんなの無茶苦茶だ! 僕を元の世界に戻してください!」
あれほど彼らが強大な力を持っていることを力説しといて、それに劣る僕を行かせるとはあまりにも身勝手すぎる。この女神は自分の無計画性を棚に上げて言いたい放題だ。いっそのこと十二人と結託して、この女神を倒したほうがこの世界にとって幸せなのではないだろうか。
「あなたに拒否権はないわ」
「どうしてですか!」
「この世界に呼び出されたとき、あなたにはすでに十二人を元の世界に戻すまで帰れないという制約がかけられているのよ」
「制約?」
「その指輪よ」
女神が僕の左手の人差し指にはまった指輪を指差す。
「それは束縛の指輪といって、定められた役目を終えない限り外せないようになってるの」
「今すぐ外してください」
「無理よ。その指輪の力は絶対で、異世界人以外は触ることもできないようになってるの。だから十二人の指輪を外せるのも当人同士か異世界人であるあなただけ。もちろんあなたは役目を終えるまで外せないのだけれど」
言われて僕は再び指輪に触れてみる。確かに感触はある。が、びくともしない。
「そんなの横暴だ。今すぐ取り消してください!」
「無理よ! もう色々と準備も整えちゃったし!」
「僕には関係のないことです!」
「あっ、そろそろ時間だから馬車から降ろすわ」
「いやっ、ちょっとま……っ!」
突如、馬車の後部全体が開き、凄まじい勢いで車内に風が吹いた。カップ麺の容器が飛び回り、一瞬にして僕の横を掠めて外に排出される。僕も持っていたカップ麺を手放してしまい、その際残っていたスープが手に飛び散った。思わず焦るが、スープはすでに冷めていて熱くはなかった。
それでも気が逸れてしまい僕は後ろに思いっきり引っ張られる形で体勢を崩した。瞬間的に足を伸ばし、なんとか踏ん張ることができたが、後部のその吸引力は凄まじいもので、つま先が床から剥がされて僕の上体はすぐさま浮き上がる。
「安心して! あなたには特別に助手をつけてあげるから。きっとうまくやれるわ!」
女はその影響を全く受けていないかのように悠々と車内の真ん中に立ち、話を締めくくるかのようにまくし立てる。このままなし崩し的に僕に難題を押し付ける気だ。突風で白い長衣がはためき、女の脚があらわになる。僕は目を開けることもままならない状態で、必死に歯を食いしばって耐えた。
「この世界の命運はあなたに託したわ!」
「…………」
「頼んだわよ!」
「……………………」
「頑張って!」
「………………………………」
「ちょ、ちょっと! いつまでいるのよ! 早く馬車から出なさいよ!」
あまりにも僕が耐え続けるのでついに女のほうが慌てだした。
「嫌だ……僕は家に帰りたいんだ。両親やみんながいる元へ……帰るんだ――おぶっ!」
だが女の着ていた白い長衣が僕の顔に衝突し、その衝撃で僕の身体はついに馬車の外へと投げ出された。
落ちる――っ。その瞬間僕は地面に落下する衝撃に備えて身を強張らせたが、どういうわけかいつまで経っても地面に到達しない。慌てて布を剥がし、周囲に目を向けるとそこには不可思議な光景が広がっていた。天地が逆になっていた。いや、暗闇の中、森だと思っていた木々は四方からどこからともなく生えていて、上も下もない状態だった。ただただ暗い闇とそこから生える木々の間の虚空を馬車は飛んでいたのだ。その馬車の姿も僕が落下するにつれて小さくなっていく。
そして木々の匂いが混じった風を肌で感じながら、僕はどこまでも深い闇へと落ちていった。