ふと視界に入ったもの
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文学のつもりなのですが……どうなんでしょう? 正直自信がありませんが、しばしお付き合いお願いします。
嫌な物を見てしまった。そう、思ってしまった。
道路の端に横たわる猫の死体。
可哀そう、だとか、酷い、だとか、そういう思いよりもまず先に。
嫌な物、だと。
「……先輩、どうしたんですか?」
後輩の声に、どうやら放心していた私は我に返った。
「……ううん、何でもないよ」
「そうですか……?」
自分でも驚くくらい平たんな声だった。当然であるが、私の態度に納得できなかった彼女は先ほどまでの私の視線を追う。
「あ、猫だ。可哀そう……」
後輩の口から自然にこぼれたその言葉に自分の汚さを思い知らされた。そんな気がした。
今日を上の空で過ごしていた。
普段ならしないような失敗をいくつも重ね、友人に心配されるたびに慣れない作り笑顔を張り付けた。
今まで意識したことはなかったけど、私は自分で思っていた以上に繊細なのかもしれない。私にとって、朝の出来事はそれだけショックなことだった。
いったいいつからなのだろう。自分が命あった者を「物」として考えるようになってしまったのは。
一つしか歳の変わらない後輩と私は何が違うというのだろう。去年までの私なら、彼女と同じように『可哀そう』だと感じることができたのだろうか。
私は一人夕暮れの帰り道を歩きながら、この憂鬱を吐き出すかのように深くため息をついた。
あ……まだある。
朝も通ったこの道の同じ場所に、猫の死体が。
こういうのって誰が片付けるんだろう? 道行く人たちの多くは気付かずに、また気付いた人でもそのまま見ない振りをして通り過ぎる。その光景に自分の同類を見つけた気がして少し慰められて、けれど、それ以上の虚しさを感じて、私は少し足早にその場から遠ざかった。
「マヨネーズ買ってきて」
母のその言葉に私は着替える間もなく制服のままコンビニへと向かった。
その帰り道。世界は薄闇に包まれようとしていて、公園を通り過ぎようとしたときだった。
「……っく、ひっく」
子供の泣き声が聞こえたような気がした。実際に聞こえたわけではないと思う。大きな公園というわけではないが、私と子供の間に開いた距離はけっこうな距離だったのだから。おそらく先ほどの泣き声は、泣いている子供の姿を視界の端にとらえ、そちらに意識を向けた瞬間に脳内で補完したのだと思う。
見かけた以上は素通りするのも気分が悪い。そう思った私は、子供の腰掛ける木製のベンチまで近づき
「どうしたの?」
しゃがみ込んで子どもの視界に合わせてから声をかけた。
か細い声で――だから、先ほど聞こえたのはやはり幻聴だろう――泣いてうつむいていた子供は私の声にゆっくりと顔を上げた。
小学校一年ぐらいの男の子のようだった。大きな瞳は真っ赤に充血していて、いったいどれだけ泣いたのだろうか、目元は大きく腫れていた。顔のあちこちが泥で汚れていて、髪にまで少し付着している。
「あ、あのね、えっとね……」
「うん、大丈夫だから。落ち着いてゆっくり話して。ね?」
うまくしゃべれない様子の少年に、私はさっきコンビニで買ったミルクティーを手渡す。少年はそれを受け取り、一口二口と飲んでから深く呼吸をした。
「落ち着いた?」
「う、うん……」
少年はうつむきがちに視線をそらしながら答えた。やっぱり男の子、ということなんだろう。泣いていた顔を女である私に見られたくないんだと思う。私は微笑ましいものを見たような気がして、心が少し暖かくなった。
「あのね、みーこがいなくなっちゃったの」
けれど神様は意地悪だ。
「みーこって?」
手を差し伸べる振りをして、直前で手を引いてしまう。
「僕の猫なの」
猫。その単語に私は朝と夕暮れの光景を思い出す。
「ど、どんな猫なの?」
それは自然と私の態度をぎこちなくさせた。
「うんとね、真っ白な毛をしててね、とってもかわいいの」
そんな私の様子に気づかず少年は自慢そうに猫について語り、現状を思い出したのか、また少年はうつむいてしまった。
「今日はもう遅いから……」
私は少年に家に帰るように説得しながら、聞いたばかりの特徴と記憶の中の猫と照らし合わせようとしたけれど、はっきりとした確証は得られなかった。
少年の猫が私の見た猫でないことを祈りながら、私は走っていた。目的地に着くと猫の死体はまだあった。誰も片付けようともせずに放置されたそれに近づき、しゃがみ込む。
毛並みの色は……白ではなかった。いったいどんな無残な死に方をしたのだろう、猫は自身の血によって身体のほとんどを染め、けれどその合間に見える色は白ではなく灰色だった。
「よかった……」
思わずもれた安堵。
「いったい何がよかったんだよ」
それに反応した人がいた。
「命が一つ消えたんだぞ。なのに何でよかったなんて思えるんだよ」
私よりも背の高い彼は静かな口調で、悲しそうな瞳で私を見た。
「え?」
戸惑う私の横にしゃがみ込んだ彼は依然として悲しげな瞳のまま猫を見つめると、手を合わせて黙とうをした。
「その猫、あなたの?」
「違うよ」
彼は黙とうしたまま答えた。
「じゃあ、何で……?」
そこで私は何も言えなくなった。彼が黙とうをやめて、悲しげに私を見たから。その代わり、でもなんでもないけど
「……話、聞いてくれませんか?」
私は返事も待たずに朝の出来事を、自分の気持ちを話していた。
どうして知らない人にこんな話をしたのか、というと彼が私の知らない人だったからだろう。自分を知っている人に、友人や家族に話して幻滅されるのが怖かったから。
「それで君はどうしたい?」
話を聞いて彼は言った。
「……こんな自分を変えられたらいいです」
「だったら変えればいい」
彼は気軽に言った。
「そんな簡単にいくんですか?」
「いくさ。想いは何より力になる。だから望めばいい。後は何かきっかけでもあれば簡単に変わることなんてできるさ」
「……きっかけがなかったら?」
ずっと、この嫌な気持ちを抱えて生きるのだろうか。
「だったら俺が作ってやるよ」
彼はそう言って立ち上がった。
「この猫を埋める。それを手伝ってくれ」
それで嫌な自分も埋めちまえ。彼は私の前で初めて笑った。
それを見て、私は今日初めて心から笑うことができた、そんな気がした。
すごく微妙な作品になってしまいました。特別な何かが起こるような作品を書くつもりではなく、書きたかったことは一応書いたのですが、自分の中で文のつなぎ方だったり要所要所の表現がしっくり来なかったりしており、読んでくださった方には大変申し訳ない出来となっております(もともと面白い作品が書けるというわけでもありませんが)。
それでもここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。