Contact.1-3 氷雪の牙★
今回もちょっと長めです
まず、このゲームには一口で冷気耐性と言っても厳密には属性耐性と環境耐性と呼ばれる二種類に分かれている。属性耐性は該当する属性を伴った攻撃や状態異常に対する耐性で、環境耐性は極寒の地や灼熱の火山、果ては毒の沼など地形への耐性だ。だから冷気の属性耐性をどんなに上げても、環境耐性が低ければマイナス三〇℃設定のこの地域では地形ダメージを受ける事になるし、冷気によるペナルティも発生する。軽減されるため無意味という訳ではないのだが、やはり該当する種類の耐性と違って効力は高くない。
ヒートドリンクや防寒コートなどは環境耐性を大きく上げるものであり、属性耐性は微量にしか上がらない。対して僕の使える付与魔法では属性耐性を上げる事は出来ても、環境耐性までは上げられない。もっとレベルが上がればそういった魔法も使えるようになるのだけど、少なくとも今この状況では無理だ。
つまり、環境耐性を上げる手段がない現在、栄司の離脱までのカウントダウンは既に始まっているのだった。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.01-3 『氷雪の牙』
「いや、どうするよマジで」
焦った様子の栄司、タイムリミットは刻一刻と迫ってくる。回復魔法やその他を併用した所で時間稼ぎが精々、戦闘になどとてもじゃないが耐えられないだろう。最悪付与以上の仕事がない僕が、着ているコートを栄司に渡して早々に離脱すると言う手もあるが……。
「……一番合理的な選択は、サンのコートを栄司に渡す事だが」
やはり伊吹も同じ事を考えていたようだ、目が合うと申し訳無さそうな顔をする。
「サンちゃんにそんな事させたら、あんた達まとめてあの狼の餌にするわよ」
最も納得していない様子のメイリが今にも噛み付きそうな勢いで言った、僕は普通に有りな手段として考えているのだが、彼女の様子だと本気で仲間割れに発展しかねない。
「まぁそれ以前にそんな暇はくれなさそうだけどな」
眼前にゆっくりと迫ってくる狼が、問答すら許してくれそうに無かった。前の両足で強く雪を踏みしめた狼が、唸りながら姿勢を低くするとその毛皮から蒼炎が立ち上り槍の形を作り出す。
「メイリ! ブロッキング頼む!」
「言われるまでもなくっ!」
栄司の叫びにいち早く反応したメイリが盾を構えながら最前線に躍り出た。
『アオォォォン!!』
短い咆哮と共に蒼炎の槍が打ち出される、速度はそこまでではないようだが、どんな効果を持っているか解らない以上油断は出来ない。メイリはタイミングを合わせ、スキルの光を纏う盾を飛来した槍に叩き付ける。黄色い光が爆ぜるようなエフェクトと共にグラスを叩く甲高い音が響き、蒼い炎が弾かれ飛び散った。
「これは……」
飛び散った炎が当たった場所に半透明な氷の柱が出来上がっていくのが見える、見た目は炎の癖に攻撃は氷属性のようだ。さしずめ冷気の炎と言った所だろうか。狼は回避された事を確認すると動揺する様子も無くメイリへと踊りかかる。
突き出された前足が盾を打つと金属がぶつかるような高い音が響き、メイリが体勢を崩されて倒れそうになる。彼女は盾型だけあってかなり硬い上にブロッキングが巧く、同レベルならボスの大技でも無い限りはその場から動かされるような事すらない。それが普通の攻撃でこれだ、あの一撃はどれほどの威力を有しているというのか。
「くっ」
「メイリ!」
すぐさま振るわれた二撃目が盾を大きく弾き、胴ががら空きになったメイリに体当たりをしようと狼が踏み込む。しかし震える身体に鞭打って飛び出した栄司の攻撃によってそれは阻まれた。炎をまとった剣をまともに受けた狼は渋い顔をしながら一旦距離を取る。
「ありがと、助かったけど……さっきみたいな単発魔法はともかく、他は数発防ぐだけで精一杯ね」
栄司の背に守られて盾を構えなおしたメイリが苦虫を噛み潰したような表情でぼやく。このゲームはレベル制こそ取っているが、戦闘においてのウェイトはプレイヤースキルに置かれている。だから彼女のような盾型ならば、上手く攻撃を防げば遥かな格上相手にもダメージを貰わずに済む。
最も口で言うほど簡単な事でないのは先ほどの結果から解るだろう。メイリは何とか防いでいたにも関わらずダメージを貰ってしまっているようだった。
唯一の救いは人工知能の設定なのかこちらの戦力を見極めているのか、積極的に攻めて来る様子が無いことだ。ボスには強力な代わりに何か一つは隙や癖が設定されていると言う、そうやって制限されてなければ強すぎるからだ。例えば先ほど栄司達がカウンターで受けた冷気の風を、普通に連発されるだけでも僕たちは簡単に全滅するだろう。
「仕方ねぇ、居られる間は切り込み役を引き受ける、少しでも多く削ってくれ!」
栄司がカバンから即時にライフを回復できる青い宝石、ヒールストーンを取り出しながら叫ぶ。通常のポーションは使用するのに飲んだりかけたりする動作が必要な上に効果が出るまで少し時間がかかるのだが、、あれは念じるだけで即座に回復が発動するこういった強敵との戦闘で便利な代物だ。勿論常用できるほど安い物ではないので、ここぞという時に使われている。
「……了解、後は任せておきなさい」
「頼りにしてるぜ」
暫くの沈黙を持って、溜息混じりに頷くメイリに不敵に笑う栄司の姿は、どこか頼もしく見えた。
「その前に、少しばかり闘いやすくしておこう……≪ランドメイク・フレイム≫」
先ほどからずっと待機をしていた伊吹の詠唱がやっと終わって魔法が発動すると、狼を中心とした地面に巨大な円形魔法陣が現れて深紅に輝いた。地面から次々と炎が吹き上がり、雪を蒸発させながら狼に持続ダメージを与え始める。ウォーロックの使う賢術特有の、フィールドに特殊な地形を形成する事ができる魔法のようだ。
欠点は耐性が無いと味方もダメージを受けてしまうことだが、システム的に相殺された上で冷気の方が強いようで、炎が吹き荒れている癖に冷気の環境ダメージは減衰しつつも持続している。
「この状況で冷気ダメージってのもなんか腑に落ちないが、行って来るわ!」
炎を纏った剣を振り上げて、炎を避けながら突進する狼と正面からぶつかる。先に反応したのは狼、現れた氷の盾が剣を受けるが、炎属性の一撃は何とか氷を打ち砕き毛皮へと剣を届かせる、だが勢いを殺されたが故に有効打には程遠い。
栄司はそのまま身体を横に滑り込ませるように回転させて、スキルを乗せた二撃目を脇腹に叩き込む。わずかに身動ぎした狼が怒りの表情を浮かべながら大きく吼えた。すると毛皮から冷気の炎が吹き上がるが、回り込んでいたメイリのノックバックスキルによって強制的にキャンセルされる。見事な連係に分が悪いと見るや大きく後ろに飛び退くと、空中の姿勢から咆哮と共に冷気の衝撃波を放つ。
「ぐっ!?」
「きゃっ!?」
炎を大きく吹き飛ばしながら襲い来る冷気に、二人も堪らず両腕で身体を庇う。相変わらず厄介な反撃技だ、炎フィールドの減衰がかかっても一撃で前衛のライフを三割近く持っていく、牽制球にしては重過ぎる。ヒールを連打していたらあっという間にターゲットはプリーストに移ってパーティは壊滅するだろう。
『オォォォォォォン!!』
「どあああ!?」
「ちょっ、きゃぁぁ!!」
続けざまに放たれた咆哮、今度は阻止も間に合わない。再び青い炎が吹き上がると渦巻きを描くように周囲に広がっていき、一気に爆ぜた。伊吹によって作られていた炎の領域が掻き消され、再び雪で染まっていく。かなり離れた位置に居る僕のところまで届くような冷気の爆風を間近で受けてしまった二人は、いつの間にか僕らの眼前まで雪塗れで転がされてきていた。
『大丈夫?』
「だ、ダメージは大した事ないんだが……」
「強制ノックバック持ちとか……!!」
大した事無いと言っても見る限り二人のライフは残り三割を切っている。ミィさんからヒールが飛んできて多少回復はしたものの、うちのパーティのメインアタッカーが近付いて戦闘させて貰えないのは痛すぎる。伊吹の魔法は拘束や妨害に長けてはいるが威力はあまり高くない、ミィさんも一応攻撃魔法は持っているが、神聖属性は不死や悪魔型以外のモンスターには殆ど効果がない。僕に至っては論外で、街で仕入れた簡易攻撃魔法の札やスクロールがあるくらいで、まともなダメージソースにはなり得ない。
「ええい、こうなったら何度でも近付いてやる!!」
「盾ナイトの意地見せてやるわ!!」
立ち上がった栄司はヒールストーンを発動させると、次のを取り出しながら身構える狼へと突っ込んでいく。メイリもそれに続き、今度はミィの支援を受けながら、上手く反撃やノックバック技を潰して戦線を維持できているようだ。
「攻撃魔法を使って出来るだけ援護する、札は持ってきてるか?」
『ばっちり』
手短に答えると、インベントリから出した初級の炎魔法が封じられたトランプサイズのカードを見せる。基本的に攻撃力がない僕の狩りに無くてはならないもので、今回は雪のマップという事で念のために備蓄の炎系を有りっ丈持ってきていたのが唯一の幸いだった。
「両サイドから狙うぞ、俺は右に行く」
『うい』
ターゲットを分散する為にも二手に分かれて、雪を踏みしめて狼と戦闘している栄司達を見据える。撃墜王と呼ばれていたのは伊達ではないのだ。カードを三枚ほど指で挟み持つと封じ込められた魔法を始動させる。変換されて光の粒となったカードが手のひらの上で炎球へと変化する。サイズは野球ボール大、数はピッタリ三つ。
一つは身体に、一つは顔に、もう一つは栄司を狙って出された前足に。それぞれ狙って投げ付ける。それなりの速度で飛んで行った炎球は不意打ちの条件を満たし、身体に命中して小さな爆発を起こし、ほんのわずかにライフが削れた。だがそれで気取られてしまったのか回避行動を取られ、顔は鼻先を掠るだけに留まり、前足は完全に回避されてしまった。
だがそれでいい、回避行動を取った狼の身体を栄司の強打が襲い、怯んだ所に反対側の伊吹から放たれた炎の輪がぶつかって、手足に絡みついた赤熱する炎がその巨体を炙り続ける。僕も隙をついては大量にカードを使い炎球を呼び出して、離れた位置から狼の身体にぶつけていく。
一見優勢に見えるが、その実不利なのはこちら側だ。あちらにはまだ"狂奔"という恐ろしい物がまだ残っているし、少しでもこちらのリズムが崩れたら一気に崩壊してしまうだろう。本当に前衛二人は良くアレを抑えてくれている。
だが世の中そう上手くは行かないもので、時おり栄司から放たれていたヒールストーンの効果を示す青い光が出なくなった。焦る表情を見る限り弾切れのようだ、元々そんな大量に持ち歩くものではないのだから仕方ないが、まだ六割近く残っている状態でメイン火力の退場は洒落にならない。
長く持たせる方向から、出来うる限りダメージを与える方向にシフトしたようで今までより攻めが苛烈になった。僕たちもそれに合わせて少しでも隙を作り、栄司が連発する大技が当たるように事を運ぶ。
動きそうになる度に狼の鼻先に中級魔法の炎槍を当て怯ませ、技を撃とうとするとメイリと伊吹が強制ノックバック効果のあるスキルや魔法で動きを止める。何とか狼のライフは五割を切り、このまま押し続ければあるいはと誰もが思い始めた時だった。
『アオォォォォォォォォォォォォオン!!!』
突如として動きを止めた狼が、先ほどまで使っていた純粋な青ではなく、紫がかった炎を噴き上げながら天に向かって大きく吼えた。身体中からオーラのようなものがあふれ出し、瞳は赤く発光している。知っているものとは少しばかり違うが狂奔状態が発動した様子だった。ここからが本番だ。
「少しでもダメー」
狼が前足で地面と叩くと、爆発音と共に雪柱が上がり、何かを言いかけた栄司の姿がその中に消える。軽く上半身を持ち上げた狼がもう片方の手で先ほどより強く地面を叩く、再び狼を中心に無数の雪柱が上がる。既に嫌な予感しかしていない。
「全員防御体勢!!」
伊吹の叫びを聞くや否や既に発動させていたカードの魔法を全て狼に叩き込み、身を守るように丸くなって木の影に隠れる。隠れる直前、狼の巨体が空中で一回転しながらその太い前足で地面を叩こうとしているのが見えた。轟音が響き地面が揺れる。叩き付けられた大量の雪が木を軋ませる音を聞きながら、頭を抱え込んでひたすらに耐える。
時間にしては数十秒ほどだが、体感としては数分にも届きそうな爆風が収まったのを確認して戦場を確認する。栄司は離れた位置で雪の中に倒れて、頭上に二八八という数字が表示された丸い黒アイコンが表示されている。幸いな事にゲーム中では初見だが形状だけは知っている、戦闘不能アイコンだ。戦闘不能になったキャラは5分間その場で待機し、カウントダウンが終了すると街へと転送される。カウント中に復活アイテムを使えば蘇生も出来るが、生憎と貴重品らしくまだ誰も持って居ない。
『(´・ω・)これはひどい』
音声が主流である為に離れている時の連絡事項くらいでしか使われないパーティチャットに栄司の発言が流れる。戦闘不能になると音声チャットが使えないらしいのを思い出した。どうやらあれをまともに食らってしまったらしい。それでも奴のライフを大量に削ったのだから褒められて然るべきだろう。
『ナイスファイト』
「骨は、拾うわよ」
栄司とは少し離れた位置で盾に身を隠していたメイリがよろけつつ立ち上がる。ここから見えるライフは残り一割を切っているあたり、本当にギリギリで生き残ったようだ。直撃は受けなかったのが幸いしたようだが、それでもこのダメージは笑えない。
後衛組は大丈夫だろうかと伊吹とミィさんの安否を確認する、伊吹も距離と回避行動のおかげで直撃は免れたようで、離れた場所でふらつきながら立ち上がるのが見えた。ミィさんも同様で大分離れた位置で転がっていたのか、身体を起こしながら身体についた雪を払っていた。
一人としてライフが三割以上残ってる味方は居ない、僕自身もほぼ完全に回避したと思っていたが、余波だけでライフを二割ほど失っていた。あのまま油断していたらあの一発で全滅だった、本当に恐ろしい。
とりあえず安否を確認した所でそれぞれポーションを使ったりヒールをかけてもらったりして体力を回復させようとする。
「所で、奴はどこだ?」
そういえば見当たらない……そう思ったとき、何か酷く嫌な予感がして思い切り前に飛ぶ。何か鋭い物で引っかかれたような痛みの後、空中で身体が前に押し出された。勢いを殺す為に雪を転がる僕の視界に、雪を吹き飛ばしながら地面に降り立つ狼の姿が映った。
「サンちゃん!?」
雪にまぎれて樹の上にでも潜んでいたのだろうか、しかもわざわざ一番弱い僕を狙ってくるとは、狂奔状態のこいつは相当に狡猾らしい。僕は今ので一気に瀕死、一瞬でも反応が遅れていたら確実に落とされて居ただろう。転がる勢いを利用して起き上がるついでにカードを使用して炎の魔法をぶつける。追撃封じとせめてもの牽制と言う奴だ。しかし奴は軽く左に飛び退いて炎を避けてしまう。
「……っ、っ」
立ち上がろうとするがダメージが大きいせいか痛みを感じて動けない。酷いデジャビュを感じる光景だ。顔に怒りを貼り付けたメイリが僕を庇うように狼の前へと立ちはだかる。僕はまた足手纏いになってしまうのだろうか……。
「私のサンちゃんを傷物にして、ただで済むと思わないでよねこのワン公……」
『ひーるはいいから』
回復魔法を使おうとするミィさんを制してポーションを使ってライフを回復させる。これ以上ミィさんがヘイトを稼ぐのはまずい。じわじわと旋回するように距離を詰めてくる狼の姿を睨み付けながら、動ける程度まで回復した所で立ち上がる。僕は足手纏いになる為にエンチャンターになった訳じゃない。
とはいえ出来ることなんて限られている、ありったけのカード全てを取り出して次々と起動させていく。はっきり言ってコスパは最悪だが、折角みんなで頑張ってここまで削ったのだ、勝ちたいと思うのは当然だろう。
「……一分一秒でも長く持ちこたえるから、出来る限りの攻撃をお願い」
「解った、頼む」
『メイリ、頑張って』
メイリ達もそれは一緒のようで、時間稼ぎに徹するメイリにエールを贈る。
「ふふふ、サンちゃんの応援があれば竜のブレスにだって耐えて見せるわ!!」
「なんか本当に耐えそうで怖いね」
全くだ……伊吹やミィさんと共に苦笑する。でもお陰で少しばかり緊張が解れた気がする。
『がんばれ(`・ω・´)』
そしてお前は無駄に緊張感を削ぐなそこで寝てろ。
「突貫!!」
気合を入れなおしたメイリが盾を構えて狼へと突進していく。狼は突き出された剣を左に飛んで回避する、どうやらこちらのモードだと積極的に回避するようだ。メイリもこの辺は想定内なのか振り下ろされる前足を盾で受け流しながら肉薄し、何度も剣で切り付ける。時おり入るダメージはミィさんがヒール使い即座に回復する。
「メイリが倒れたら終わりだもん、ヘイト気にせずヒール連打でいくよー!」
ミィさんも覚悟を決めたようだ。僕も伊吹の攻撃魔法に合わせて作っておいた炎球をひたすらに投げ続ける。防御の上手いメイリは与えるダメージこそ低いが安定して引き付けてくれている。問題は先ほどの大技がまた来るかどうかだ、クールタイムは長そうだが僕達の攻撃力では時間がかかる以上、二発目が来る事を覚悟しておいた方がいいだろう。
時おり後衛を狙って飛んでくる冷気の炎を避けながら、戦闘は続く。均衡が崩れたのは奴のライフが残り三割を切ったあたりだった。奴が再び強く地面を打つ動作を始めたのを見て、二発目が始まったと思った僕達はそれぞれ素早く木の陰へと隠れる。しかしこれが罠だった。
「かはッ!?」
急に動きを変え、背中を向けて走るミィさんに突進してきた狼が大きく跳躍し、その背中へと前足を叩き付ける。一瞬の出来事で呆気に取られる僕らを前に、衝撃で地面にバウンドしたミィさんの身体をいくつもの青紫の炎槍が貫き、近くの樹へと縫いとめた。
「ミィ!!」
氷の中に閉じ込められたミィさんの頭上に程無くして戦闘不能アイコンが表示される。まさか大技をフェイントに使われるなんて予想だにしなかった。これで僕らはあのモーションを見たからといって迂闊に逃げる事も出来なくなってしまった。
『ごめん、やられちゃったー』
「あぁもう、何よ今の!」
メイリが悔しげに表情を歪めている。これでこちらの回復手段は一気に弱体化してしまい、僕の手札も残り少ない。どう考えても攻撃力不足だ。
「今までより被弾を抑えないと即全滅だな」
「はぁ……全く、やってやろうじゃないのよ!!」
ミィさんを仕留めて、次の獲物を物色する為に振り返った狼の鼻面にメイリの盾が叩きつけられる。ノックバックは効かないがそれなりのダメージは入ったようで、毛皮から立ち上る炎を飛ばしながら大きく顎を開き噛み付こうと首を伸ばす。だが簡単に捕まるメイリではない、致命的な攻撃を丁寧に避けながら確実に攻撃を積み重ねていく。
順調ではあるが、防御を意識している為か明らかに攻撃のペースが落ちてしまっている。僕の手持ちのカードも残りは初級が一〇枚、中級が六枚だけだ。後数秒もすれば打ちつくしてしまうだろう。伊吹の方もマナが残り少なくなっているようで、どんどん表情が渋くなって行く。
奴のライフは残り二割、しかしメイリのライフも三割を切っている。何か攻撃を一つでも貰えばそれで終わりだ。タイミングを計って初級のカードを全て起動し、最もダメージが入る頭を狙って当て続ける。それでも減るのは数ドットずつだ。
「ごめん、そろそろ、スタミナが限界ッ!」
前足の一撃を盾で防ぎ、投射された蒼炎の槍をステップで避けながらメイリが苦い声をあげる。耐久力とスタミナの高い盾型ナイトでも長時間動きっぱなしでは当然だろう、むしろここまで良く持った方だ。戦闘に集中していて気付かなかったが、栄司とミィさんも既に転送されていたのか姿が見えない。どのくらい経っているのだろう、緊張感で時間の感覚も薄れている。
「……日向、敵の残りライフはあと少しだが、あれと真っ向勝負出来ると思うか?」
『無理!』
そんなもの即答できるくらいには決まっている。接触した瞬間頭からバックリと行かれるか、氷漬けにされるか叩き潰されるか、選択肢は選り取りみどりでも結末は一緒だ。
『メイリ、何とか持ってくれ、一度引いて罠を張る』
「りょ、了解! サンちゃん死なせたら殺すからね! おらぁ!」
聞かれて対応されるかは解らないが、念のためだろう。パーティチャットで流された伊吹の提案にメイリが無茶振りを乗せて承諾の返事を返す。伊吹も苦笑いしつつ「努力しよう」とだけ言い残し、狼を睨み攻撃をしながらその場を後にする。背中を見せたらいつ襲われるか解らないせいで、雪の中を後ろ向きに歩く破目になった。
◆
何分が経っただろうか。メイリから戦闘不能になった連絡が来たのが少し前の事、時間を稼ぐ為にあれから随分と粘っていたらしい。僕は雪原の真ん中で仁王立ちしながら逃げてきた方向を睨んでいた。伊吹は僕の背後にある木の上で雪に紛れて隠れて魔法を詠唱しているはずだ。罠といってもシンプル極まりないものでしかないが、許された時間で出来るのはこの程度だった。
腕を組みながらひたすら寒さに耐えていると、吹雪の向こう側にどんどん大きくなる影が見えてきた。気を引き締める。僕の役目は餌だ、姿を表した狼に中級の炎槍を一発投げ付ける。飛び出した狼は急停止して、迎え撃った槍をまたしても左に飛んで避ける。
奴のライフは残り一割ほど、狼が僕をターゲットしている事を確認すると、勢い良く飛び掛ってくる奴に背を向けて走り出す。一歩、二歩、背後に迫る殺気のような物を感じる。追いつかれるのは想定内。先ほどミィさんにやった攻撃とアクションだ、飛び上がる準備の為に跳躍したタイミングに合わせ僕が左に飛び込むと、同時に伊吹の魔法が発動する。
「≪ランドメイク・クアグマイヤ≫」
外した狼の前足が雪ごと泥沼と化した地面を叩き、水が弾けるような音が響く。ある意味では賭けだったが何とか成功したようだ。この魔法は地形変化の欠点を最たる形で体現する魔法で、味方の足場まで封じてしまう為に前衛が居る状態だと使えなかったそうだ。しかも敵に効くかどうかも解らなかったのでは通常では選択肢にも入らない。
だが魔法使い二人が強烈な近接攻撃力を持つ敵を相手にするなら、決まりさえすればこれ以上最適な物はない。間髪入れず四発の槍を作り出し、後ろへと距離を取りながら顔面に叩き込む、僅かに削れるがまだ倒すには全然足りない。伊吹も木の上から飛び降りてありったけのマナで炎の輪を連射している。
まずい……。もがいていた狼の身体に触れていた泥から次第に凍り始めるのが見えた、無理矢理泥中から引き出された前足が凍って足場となった沼を踏みしめ、赤熱する炎輪を身につけたまま怒りの形相で泥の中から這い出してくる。想定どおりではあるが一瞬しか持たなかったようだ。
「これで最後か……≪フレイムリング≫!」
完全に沼から這い出す前に、伊吹が最後のマナを使って撃った炎輪が首に巻きつき狼の身体を焼く。しかしどれほどライフが減っても奴はもう意にも介していないのか、再び大きく前足を振り上げた。どうやらトドメは大技で刺す心積もりらしい。
「くそっ、このタイミングでかっ!!」
雪柱が上がるのを見て警戒しながら伊吹は狼を見たまま後退していく。僕もそれに続こうとして、雪に足を取られて背中から倒れこんでしまった。目線を狼の方へ向けると、二度目の雪柱が立ち上るのが見えた。もう回避は無理だろう、後は伊吹に任せよう。三度目の衝撃を覚悟して、初デスペナを迎えるために目を閉じる。
その刹那、衝撃に吹き飛ばされて雪の上を転がっていく。しかし不思議と痛みは少ない。いや、それ以前に誰かに抱きしめられているような感覚がある。動きが止まって恐る恐る目を開けると、僕を抱きしめながらボロボロになって目を閉じている伊吹の姿が目に入った。頭上には戦闘不能アイコン。
『俺もサンを庇ってエンドだ、
同じ全滅にしてもこのくらいはやっておかないとメイリに何を言われるか解らんからな』
『うぐぐ、ダメだったかぁ、だけどサンちゃんのために身体を張ったなら赦す!
サンちゃんも守ってあげられなくてごめんねぇぇぇぇぇ』
本当に守られてばかりだなぁ、どこか情けない気持ちで帰還する為に薄っすらと消えていった伊吹を見送り、来るであろう僕の番を待つ。庇ってもらったとは言え残りライフも瀕死の状態だ。しかし一向に最後の瞬間はやってこなかった、不思議に思って濛々と吹き上がる雪煙の中を目を凝らして見てみると、先ほどまで纏っていたオーラらしき物が消えた狼が立つのもやっとという風体で其処に居た。
時間が経ったせいで狂奔が切れたのだろうか、ダメージによる弱化の影響は大きいようだ。敵のライフは残り数ドット、手札は中級の炎槍が一枚。しかし先ほどまで与えていたダメージから見る限り、炎の槍では威力が足りない。瀕死弱化で弱るのは動きだけ、攻撃力は元のままだ。確実にこちらに近付いて来ている事を見ると僕にトドメを刺す気なのだろう。
だが、最近になって大技を覚えたのはメイリ達だけじゃない、今の僕には切り札が一つだけある。痛む身体を無理矢理起こして、鞘から剣を引き抜く。当然普通に振ったところで当たる筈も無い、仮に当たったところでエンチャントを含めてもダメージは通らないだろう。
もしかしたら勝てるかもしれないという気持ちが背中を押した、折角みんなでここまで追い詰めたのだ、最も戦力として乏しいのに護られて最後まで残った僕が、勝てる可能性があるのに諦める事は許されない。
最後のカードを口に咥えて、両手で剣を構えて狼を見据える、一歩、また一歩と鈍い足取りで近付いてくるが、その眼光の鋭さは変わって居ない。お互いの有効射程まではまだ遠い。緊張感が精神を支配して行き、音が遠くなった気がする。
慎重に位置を見極める、相手の射程と僕の射程はほぼ同じ。あと少し、カードの魔法を起動させる。
『アオォォォォォォオン!!』
互いの間合いの境界線に踏み込んだ瞬間、奴が咆哮をあげる。声に導かれるように出現したのは合計六本に及ぶ蒼炎の槍。一歩引いた位置で前衛の戦いを見てきたから解る、素直な軌道を描くこれを避けるのはそう難しくない、飛来してくる槍々のタイミングを計って転がるように横に飛ぶ。雪塗れになりながら即座に身体を起こすと、四本の脚で雪を蹴り僕へと迫る顎門が見えた。
そう、狙うべきはここ。左手を振るい出現させておいた炎の槍を投げ付ける。結果を見るよりも早く、先ほどの動作から繋げるように印を切って切り札を発動させた。
「――――――ッ!!」
そのまま地面を蹴り、身体ごと前のめりに倒れるかのごとく一点を狙って剣を突き出す。奴には回避可能な攻撃を左に飛んで避ける癖があった、空中で体勢を変えられないのは先ほどの沼作戦で解っている、後は奴の頭が来るであろう位置に向かって全体重を乗せて突きを放つだけ。
『……………グギャァァアァァァァォォン!!』
眉間に剣の切っ先を突き立てられた狼は驚愕の表情を浮かべている。剣の先端を中心に爆炎が巻き起こり、狼の上半身が炎で包まれると一気に残っていたライフゲージがそぎ落とされた。エンチャンターの中で最強の攻撃補正を得られる付与魔法、≪オーバーロード≫、その名の通り所有する付与術を多重に掛ける事で、装備品を実質的に数倍の性能にまで引き上げるとんでもないスキルだ。当然のように代償も大きく効果時間は僅か30秒、しかも使用後は確定でアイテムが完全破壊されてしまうという捨て身の一撃。
部位破損は武器や防具に設定された耐久度が0になる時などに起こる破損の事を示し、基本的には生産職の人に頼んだり鍛冶屋に持ち込んだりして修理する事で耐久を戻せば回復する。対して完全破壊は特定のアイテムやスキルを使用した時に発生する破損で、こちらの場合は壊れたアイテムはデータ的に完全に消滅してしまう。
事切れた狼の額から引き抜いた剣に皹が入り、粉々に砕けて光の粒子となって消えていく。なんだかんだでこのゲームを始めてからずっと付き合ってきた相棒でもある剣の最後を見送るのは、どこか寂しくも有る。でもまぁ最後にした活躍がこれなら剣としても文句は無いと思いたい。
まさかもう起き上がったりしないよなと見詰めていた狼の巨体がゆっくりと光に包まれるエフェクトの後に完全に消え去ると、眼前でくす玉が割れるエフェクトと共に≪おめでとう≫と英語で書かれた文章が表示された。
かくして、奇跡は起こった。
『サンちゃん、大丈夫ー?』
とにかく疲れた、激戦の後で随分と荒れ果てた雪の原に大の字で倒れこむ。ひんやりと冷たい感触を後頭部と頬に感じながら空を見上げると、いつの間にか雪は止んでいて、雲間には突き抜けるような青空が覗いていた。精神的な疲労感でこのまま眠りにつきたい気分だが、身体に鞭打ってチャットウィンドウに手を伸ばす。一体みんなはどんな反応をするだろうか。
『勝っちゃった』
◆
少し休憩してライフを回復させた後、重い身体を引き摺って待ち合わせした泉の前へと戻ってきた。移動に関してはあちこちで雪が剥げて地面が露出していたので最初の状態ほど辛くなかったが、広範囲に渡る戦闘の跡に改めて激戦だったと自覚する。
そういえば最初ほど寒さを感じない、不思議に思ってステータス画面の環境情報を確認してみるとマイナス三〇℃を誇っていた気温が〇℃、ギリギリ氷点下程度まで上昇していた。恐らくあの狼を倒した事で何かのフラグが開放された体なのだろうが、状況から考えてここに至るまでの色んなクエストをすっ飛ばしてしまっている事からなんとも言えない。
マイナス一℃で無ければ冷気ダメージは受けないので動き難かったぶかぶかのコートを外し、雪のベッドの上に寝転がる、今はこの冷たさが心地好い。遠くの方から声が聞こえてきた。
「さんちゃあああああん!! 大丈夫? 怪我は無いぃぃぃ!?」
雪を押し退ける勢いで突撃してきたメイリを転がりながら避ける。装備も身体も多少ボロボロにはなったがライフも平常時まで回復している、わかっている攻撃を避ける事くらいなら問題は無い。
『大丈夫』
「よかったぁぁぁ……」
顔面から雪に突っ込んだメイリが盛大に安堵の息を漏らしている。彼女が来た方向を見てみれば、少し遅れてコートを着込んだ栄司を先頭に伊吹達が向かって来ているのが見えた。軽く手を振る。
「おーしサン! 良くやった!」
テンションが上がっているのか、いきなりわしゃわしゃと頭を撫でる栄司を不服という言葉を視線に込めて睨みつける。
「まさか勝てるとはな」
「すごいよー! やったねサンちゃん!」
正直誰も勝てるとは思っていなかったのだろう、嬉しそうにしている。僕も少しは彼等の笑顔に貢献できたのだろうか、だとしたら……嬉しいかもしれない。
「……サンちゃん、お願いちょっとだけ抱きしめさせて、ちょっとでいいから、後生だから」
『なんで!? やだよ!』
突然メイリが真剣な顔で手を伸ばしてきた、当然ながら拒否したい僕はそれを避けながら抗議の文章を打つ。いきなり何だ。
「はいはい、気持ちは解るけど嫌がってるからやめようねー」
「うわぁぁぁん!」
本当に何だと言うのか、メイリがミィさんに襟首を掴まれて距離を離されていく。安全が確保されたことでほっと胸を撫で下ろす。今僕何かまずい事したと栄司と伊吹に顔を向けると、何故かまた苦笑されてしまった。
「いやまぁ、うん」
「取り合えず、あの狼は何かドロップしたか?」
どういう意味だと詰め寄ろうとしたら明らかに話題を逸らされてしまった。そういえば最終的に僕しか残っていなかったから全部のドロップが僕に来ているのか。このゲームでは敵を倒すとドロップしたアイテムが自動的にインベントリに格納されるようになっている。レアドロップを横取りされたりするなどのいざこざを回避する為に実装されているシステムだが、容量を超えると外に毀れ落ちるようになっているので、インベントリの空きには注意が必要だ。
確認してみると、先ほどの戦闘で大量にアイテムを使って減っていた内容量が再び満杯近くまで埋まっていた。分配の為に一つ一つ確認しながらチャットにアイテム名と個数を打ち込んでいく。
『氷狼の牙×5 氷狼の毛皮×17 氷河の宝石×6 氷の薔薇×2』
基本的には素材となるようなアイテムばかりのようだ。初ボスの素材アイテムなら結構な額で売れるはずだろうし、取り合えず赤字にはならないだろう。読み進めていくと名前の横に星マークのついたアイテムが見えた、これはまさか……。
「素材系ばかりか」
「ま、そんなもんだろ」
『☆氷狼の護符と☆氷狼の巫衣ってのが出てるよ』
「うぇ、マジか!?」
「それ本当!?」
星マークはレアアイテムの証、僕の発言を聞いた栄司が身を乗り出してくる、メイリとミィさんも目を輝かせて戻ってきた。ボスレアは確か百分の一くらいだったはずだ、とはいえボスは複数回のドロップ判定があるので実際は20体も倒せば一つは出るくらいの確率ではある。だが初ボス討伐でボスレアが二つも出るとは、明日の身の安全が怖いくらいの幸運だ。
「どんなの、どんなの?」
クリックで選択して情報を見てみる、どちらもランク五に相当する装備品だった。武器防具はそのレアリティや能力によって一〇段階でランク分けされており、店売りの防具は最高級品でもランク三、生産品はレベルが低い事や素材が希少な事もあって最先端の職人でも最高級素材を使ってランク四が限界。
唯一確認されている最高ランクは五でレベル二〇後半以上のイベントボスがドロップする特殊装備のみ、つまり僕は初手にしてとんでもない大当たりを引いたようだ。
護符は装飾アイテム。高い冷気の属性環境耐性を付与しつつ、感覚ステータスを二〇上げるという強力な効果を持つものだった。感覚は耳や目が良くなるステータスで、データ的には二〇で視力が一相当、音が聞こえる範囲が三〇メートルほど広がったはずだ。ゲームで一レベルごとに上げられるステータスは五なので実質四レベル分の効力を持っている事を考えても、かなり強力なアイテムだと思われる。
巫衣のほうは女性専用防具で分類はローブ、ランク三の重装鎧並に防御力が高く、冷気の属性環境耐性も非常に優れている。護符とセットで装備すれば冷気の攻撃は七割近く軽減できる上に、こういったレア特有のセット効果も発動するようだった。
『アクセサリとローブ、二つ同時に装備すると氷雪の焔っていうセット効果が発動するみたい』
現状判明されている最高レベルのイベントボス、螺旋の塔の『ラオフェン』という巨大な虎の落とすレアドロップにも同じようなセット効果があったはずだ。風虎セット一式を装備すると大嵐の牙という効果が発動し、ボスの使っていた風の魔法スキルの劣化版を使えるようになるというもの。
人数的にも少し惜しいが売って分配する形がいいだろうか。
「セット装備か……」
「んー、まぁ倒したのはサンだし、記念に二つとも渡してもいいと思うんだが、どうだ?」
『え!?』
栄司の発言に考えていた伊吹も少しの間を置いて頷いた。いやいや、僕がやったのは最後のトドメを刺しただけ、功績で言うなら他の四人だし、誰かが使うにしてもミィさんに渡すべきじゃないのか。
「賛成、サンちゃんの付与なかったらまず勝ててなかったし
レベル的にもそろそろ初期装備から更新する時期でしょ、丁度いいじゃない」
「多分攻撃系の魔法スキルだろうし、必要な人が使うべきだよねー」
メイリとミィさんも同調するように同意の言葉を口に出す。本当にそんな事してもらって良いのだろうかと戸惑っている僕の頭にぽんと大きな手が置かれた。
「いいよ、代わりに素材は皆で分配させてもらうから。それでも足りないと思うなら装備を使いこなして俺らを助けてくれよ」
ここまで言われて好意を無碍にするのは逆に失礼だろうか、諦めて頷く。少しばかり重い気持ちを受け取ってしまった気がするが、別に嫌な気はしない。みんなの顔を見回して、今言うべき言葉を文字に起こす。
『ありがとう』
◆
「ねぇねぇ、ちょっと着てみてよ!」
『……うん』
インベントリからアイテム化させた素材を僕以外のメンバーで分配している間、メイリが好奇心たっぷりにそんな事を言ってきた。不安要素としては女性専用と書かれていることだろうか、出来れば女性しか装備できないだけで変なデザインで無い事を祈りたいのだが。装備品一覧を出して恐る恐る二つを選択する。
出現した装備しますかと問う確認ウィンドウの『はい』ボタンを押して、完了を待つ。同時にコートも外れるようにしてある、気温も上がっているし冷気耐性も高いから問題ないだろう。キャスターローブが光に包まれて形状を変えると、入れ替わるように氷狼の巫衣が出現した。
「…………」
目の前ではメイリが変な顔で固まっていた、こちらを見た他の三人も同様で目を点にして固まっている。恐る恐る自分の身体を見下ろしてみる、上半身は真っ白な布で作られた羽織り状の衣が覆っている、襟やひらひらとした袖口には赤い糸でラインが縫いこまれており、長い袖が邪魔にならないように真っ赤なタスキがかけられている。
お腹の辺りには袴を止めるための深紅の帯がリボンのように大きな蝶々結びにされている、あえて形容するならば恐らく巫女服という奴なのだろう。
ただ一つの大きな違いはひたすらに丈が短かったのだ。短パンどころかホットパンツくらいしかないだろう。太腿から足袋に包まれた足先まで、白くほっそりとした脚が丸見えになっている。
それだけで、それだけで済んだならどれだけ良かっただろうか。頭の天辺とお尻あたり感じる謎の感覚。脚の隙間から背後に白い毛の塊がちらちらと動いているのが見える。恐る恐る触ってみれば、確かに触られた感覚が伝わってきた。
ふらふらと泉の前まで行き水面に姿を映す。確認するのは怖かったが、確認しないのもまた恐怖でしかなかった。水面に映るのは頭の上で真っ白な狼の耳をピンと立たせて、大きなふさふさの尻尾を揺らし愕然とした表情を浮かべる、ギリギリまで短くしたミニ袴の巫女服を着た少女の姿。
流れるような動作でキャスターローブに装備を換装すると物質化された巫女服を泉に向かって投げ捨てた。ぱちゃんと音を立てて水面に落ちた服がゆっくりと泉の中へ沈んでいく。
「え」
「……だあああああ!?」
あ。
心から湧き上がる羞恥心やらなにやらに耐えられず一連の蛮行をやり遂げた後でやっと冷静になった。冷えるのが少しばかり遅い、随分と感情がコントロールしにくくなっている、自分でも子供が気に入らないものを投げ捨てるかのような行動に愕然としてしまう。
「ばっかお前! 気に入らないなら売るなりすればいいだろ勿体無さ過ぎるだろバカ!
あぁもう取れねぇ!」
泉に身を乗り出して木の枝なんかを使って沈む巫女服を取ろうと躍起になっている栄司。今のは完全に僕が悪い、全くもって言うとおりだ、折角みんなの好意で貰った物を捨てるなんて暴挙、自分でも信じられないし申し訳なくて仕方ない。
「はっ!? さ、サンちゃん、今のはダメだよ!
サンちゃんに上げたものなんだからどう使おうと自由だけど、皆サンちゃんのためになればって渡したんだからね!?」
『はい』
取り合えず泉を背に正座してお説教を聞く、返す言葉もなければ言い訳も出来やしない。
「ぐっ……と、とにかく、もうこんな風に粗末にしちゃダメだよ?
サンちゃんは頭の良い子なんだから、これからはあげた人の気持ちもちゃんと考えようね?」
『はい』
何よりも申し訳なさと、自分が情けない気持ちが入り混じって視界が滲んできた
「ダメだこりゃ、完全に沈ん……?」
反省の最中、突如として不自然に止まった栄司の言葉と、口をあんぐりと開けたメイリ達の顔を不思議に思い釣られて背後を振り向く。そして僕まで口をあんぐりと開く事になってしまった。
そこには光り輝く羽衣を纏った女性が、水面に波紋を立たせながら立っていた。正しく女神と言うべきその風体の女性は右手には虹色に輝く豪華なローブを、左手には淡い青光を放つコートを手にしている。どこかで聞いたような登場シーンで現れた女性はその整った口元をゆっくりと開くと、またしてもどこかでどこかで聞いたような台詞を吐き出した。
「あなたが落としたのはこの≪虹竜の抱擁≫ですか? それともこの≪海嘯の法衣≫ですか?」
思わず首を左右に振ってしまう僕に対して、女神は優しく微笑みかける。
「あなたは正直な子ですね、そんな貴女にはこの≪氷狼の姫衣≫を差し上げましょう」
女神の手の中に現れたのは、更にデザインが可愛らしさと際どさの中間を目指しアレンジされた先ほどの巫女服。差し出した手のひらに乗せられた服は光になってインベントリへと格納される。状況に全く付いていけず、ただただ呆然とする僕らを置き去りにして、仕事を終えた女神は微笑みだけを残して泉の中へと還って行った。
「……え、なんだこれ」
僕に聞かれても困る。失った筈のレア装備が能力的にもデザイン的にもパワーアップして帰って来るとか冗談とか超展開とかそんなチャチなレベルじゃない。もっと恐ろしい何かだ。
振り返ってみんなの顔を見る。きっと僕はどこか納得の行かない顔をしている事だろう、彼等と同じように。
結果的に僕の凶行は無かった事になり、新素材が非常に高値で売れたおかげでみんなの装備も潤い、初めての遠征は大成功とも呼べる結果に終わったのだった。
◆
なーんて、本当にめでたしめでたしで終わればよかったのだけれど。
「はいサンちゃん、あーん」
幸せそうな表情のメイリの差し出した、ジェラートを乗せたスプーンが力なく開いた僕の口へと押し込まれる。口の中に広がる芳醇なマンゴーの風味が、ジェラートを後味の良い甘みに仕上げている。どんな時でも変わらず美味しいアイスの味が今は憎らしい。
「サンちゃん、美味しい?」
『うん』
「完全に目が死んどる……」
隣の席に座っていた栄司が哀れみを込めた目でそんな事をのたまった。僕は今、手に入れた狼耳を付けた状態でメイリの膝の上で抱っこされている。流石に手に入れたアレンジ巫女服は町中で着るには余りにも恥ずかしいので勘弁してもらったが、代わりに彼女の用意したと言うふりふりのエプロンドレスを着せられている。
例え補填が出来てもやらかした事実は消えない、当然のように帰還後も説教は続き、何か悪戯を思いついた表情の栄司が罰として「明日の昼から夕方までメイリに愛でられる刑」を提案してくれやがったのだ。反省を態度で示す為にも、罰を受ける事に否は無い僕が断れるはずもなく、メイリは周囲が引くくらいの勢いで大賛成。
かくして僕は東門にある行きつけの喫茶店にて、こんな格好をしてメイリの抱き人形となっているのだった。時おり外を歩くプレイヤーが僕をちらちらと見ては何か話していたりして、あまりの羞恥に軽く死にたくなる。
「罰としては十分過ぎる効果があったようだな」
『もうしません』
膝の上で抱きしめられながら打ったチャットは簡素なもの、長文を打つ気力はない。
「うへへー」
「今日のメイリはいつもより気持ちわるいねー」
だらしない顔でひたすらに頭や耳を撫で回すメイリも、パフェを突っつきながら毒を吐くミィさんも気にしない。
「あの子、やたらちっちゃいけど噂の使い魔か? プレイヤーじゃないよな」
「尻尾生えてるし使い魔だろ、可愛いなぁ、俺もほしいよ……」
「お前ロリコンかよ」
遠巻きに眺めてはきゃいきゃいとぬいぐるみを見る目を向けて男性プレイヤーの話し声も気にしない、気にしたら負けだ。今はただ心を無にする時なのだ、僕は貝になりたい。
「ねぇサンちゃん、甘ロリ系のお洋服って興味ある?」
『はんせいしてます、ゆるしてください』
感情に任せた蛮行の代償は、思ったよりも大きかった。
巫女服のお披露目はもう少々おまちください