Contact.1-2 粉雪に潜むモノ★
≪クレセア≫駅の中で一通りの準備を終えた僕達は、ついに雪の降り積もる森の中へと歩みを進める事となった。時間は現実でもゲーム内でも昼なのだが、常に降り続ける粉雪のせいで薄暗く視界が悪い。流石に遭難できるほど広くはないし、街へ帰還するための転送アイテムも持ってきているのでその辺は心配していない。だが良く見えないというのはそれだけで、さながら手の届かない場所の痒みがごとく不快な気分を生み出す。
モンスターの存在が確認されていないと聞いてはいても、やはり自分の目で見なければ確証はもてない。警戒を胸に置き気を引き締めて、僕はまだ何者にも染められていない雪の原へと最初の足跡をつけるのだった。
積もったばかりで柔らかい雪は質感もリアルにさくりさくりと音を立て、白いキャンバスに靴底の模様を描き出す。初雪の降った朝に窓を見て、目を輝かせて飛び出していった子供の頃のように心が躍る。そんな時だった、調子に乗って軽い足取りで進んでいた僕の前に、予想だにしない強敵が現れたのは。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.01-2 『粉雪に潜むモノ』
「サンちゃーん!?」
「……大丈夫かおい」
最初は良かったのだ。駅周辺という事で雪も浅く、精々が足首に届かない高さだった。しかし駅から離れるに連れてだんだん雪が深くなってくる。この時点で不安に思うべきだったのだろう、だが雪に無駄にテンションが上がっていた僕は気付かずに進んでしまった。
結果としてステップで入り口にあたる木々の間を抜けたとき惨劇は起こった、そこはきっと段差になっていたのだろう。急激に深くなった雪に思い切り突っ込んだ僕は、積もりに積もった雪の中に太腿まで埋もれてしまったのだ。更に悲劇は続く、慌てて動こうとしても、雪と言うのは埋まってしまうと意外と自由が利かないのだ。剣を振り回す程度の腕力もない今の僕では当然、顔面から飛び込んでついには雪中に我が身を沈めることになった。
先ほどまで妙に上がっていたテンションは天然冷蔵庫の素晴らしい性能によってキンキンに冷やされ、その冷たさたるや家に戻ってこたつの中に引き篭もりたい気持ちにさせる。別にこたつになど入らなくてもログアウトして窓を開ければ、夏の太陽がじっくりと温めた天然サウナで待って迎えてくれたりするのだが、どうしてこうも両極端なのであろうか。
「あぁ、雪まみれになっちゃって……」
『(´・ω・`)』
体勢が悪かったせいで割と本気で動けなかったが、メイリが助け起こしてくれた事で事なきを得た。雪崩の恐怖を間接的に思い知った気分だった。ハンカチで髪や頬についた雪を拭われ、防寒コートを軽く払ってもらいながら、思わず落ち込んだ時の定番となっている顔文字でもって今の心境をみんなに伝える。
「ふむ、森の中が平坦な地形であるはずもないか
浅い所ではざっと二〇センチ、深いと六〇センチくらいはありそうだ
雪も細かくて柔らかい、慎重に歩いた方がいいな」
伊吹はいつの間にか長めの棒を手に、所々地面を突いて冷静に積雪量の分析を進めている。六〇センチって、僕の背丈じゃ一歩間違うと腰まで埋まるじゃないか。これではまともに歩けそうに無い。
「六〇センチ? 参ったわね」
「参ったなぁ」
メイリと栄司から視線を感じる。測られている、目測で上から下まで測られている。あまりにも無礼な視線をどうにかして意識しないようにしながら、何とか対抗策はないかと首を捻る。考える僕を僕らを他所に発案はミィさんの口から飛び出してきた。
「エースくんがおぶってあげたら?」
僕と栄司ことエースの目が合う。確かにこいつはこの中で一番背が高い一八〇センチ後半。メンバーの背は高さ順に言うと二番目が伊吹で一八〇手前だったはず、メイリが女性にしてはやや高い一六〇センチ半ばくらい、ミィさんは平均的な一五〇センチ後半と行ったところ。
まず体力的に魔法系の伊吹とミィさんは除外、背負えるだけの余力があるのはメイリと栄司。メイリでは身長的に僕を背中に雪中を行くのは無理があるだろう。したがってそれが最適な答えに思える。思えはするのだが。
「俺は別にかまわないけど」
「ちょっとミィ! 何で私じゃなくてこいつなのよ!」
『おんぶはちょっと恥ずかしいんですけど……』
問題はメイリの反発と僕のプライドくらいだろう。雪が深くてまともに歩けないから友人におぶってもらうというのは、何とも言えず情けない。だからといって他に妙案があるわけではないのだが。元からこの身体だったら素直に甘えられていたのかもしれないが、今は理性で解っていても何か別の所で納得がいかない。異なる理由で意見を共にする僕とメイリは必死で食い下がるものの……。
「だってメイリ、盾役なんだからモンスターが出たら真っ先にひきつけないとダメでしょ?
サンちゃんを背負ってたらすぐに動けないし、危ない思いさせちゃうかもしれないよ?」
「うぐっ……ぐぬぬぬぬぬ」
「それにサンちゃんも、栄司君の飲んだドリンクは一二〇分しか持たないんだよ、
悩んだりここで無理して時間をかけたら、効果が切れて一度戻らなきゃいけなくなっちゃうし
いざという時、私達はサンちゃんを守る為に動かなきゃいけないんだよ、
誰かに背負ってもらってたら、すぐに動けるし魔法だって使えるから、安全でしょ?」
『orz』
結局、筋道の通った正論をたたきつけられて、抵抗虚しく白旗を掲げる事となるのだった。
◆
「いい? サンちゃんに変な事したり、まかり間違って落として怪我なんかさせてみなさいよ?
リアルで乗り込んで"ツブす"から」
「お前どんだけだよ!?」
栄司の背中におぶさったまま雪の中を運搬される。そのまま背負われるにはコートがごわごわしすぎてしまう為、前をはだけさせて二人羽織りのように肩にかけている。彼はというと僕が落ちないようにしがみつかせた脚を持ち、ゆっくりと歩きながら前を行くメイリにプレッシャーをかけられていた。彼女は以前にお姫様を守る騎士に憧れてるみたいな事を言っていた記憶があるし、出番を取られて悔しいんだろう。そのお姫様が自分だと言う点だけは未だに納得が行っていない。
「サンちゃんはね、私達がこのゲームで見出した最大の希望で、夢を叶える鍵なの
だから悲願を達成する為に、私は騎士としてサンちゃんを必ず守り抜くって同志達に誓ったのよ」
「もうどこから突っ込んでいいのかわかんねーよ……」
握りこぶしを作ったメイリは、とても真剣な表情でそう言った。どこまでも真っ直ぐなその瞳には決して折れない信念のような物が垣間見える。僕には夢と呼べるようなもの、今なお貫き通すと誓える信念が果たして残っているのだろうか。自分の夢を持って、その為に一生懸命になれる彼女が何だかとても眩しくて、羨ましくて。嗚呼、そんな姿に触発されてしまったのだろうか、僕は胸の奥底から湧き上がって来る感情を抑えきれず、手をキーボードへ向かわせていた。
『りばー、こういうのって一斉摘発とかBANとか出来ないの?』
「別に犯罪や違反行為をしてるわけでもないからな、何かしてくる訳でも無し、放って置けば無害だろう
……気持ち悪いのさえ我慢すれば、だがな」
『メイリには勿論だが、これからはもっとリアルの情報を伏せるようにした方がいいぞ、
こんな事でそういった連中に恨みを買うのも面倒だろう?』
僕の質問に対して伊吹こと『りばー』は前半は口頭、後半は個人宛てのささやきで答えてくれた。まぁ彼女くらいしか接触を持ってくる相手はいないし、ゲーム内で僕を"僕"だと認識できるのは直接教えている栄司と伊吹くらいだろう。ひょっとしたら彼等から辿られる可能性はあるが、一応"ネカマは出来ない"事になっているのだ、大体が疑惑で止まるだろう。
そして、ネカマ不可縛りのせいで自分は男だと主張したところで信じてもらえるとは思えない。なので一応気をつけはするがそこまで心配はいらないと思っている。危険性が高いのはオフ会に呼ばれる事だが、この親友二人はその辺を察してくれるため、オフに出る予定も無ければ誘われる事もないだろう。
それ以前に僕が現実の姿を見られて一番困る相手は件の親友二人なのだが、取り敢えずはこうやって遊んで会話していれば強制的に乗り込まれる心配は少ない。僕が踏ん切りさえつければ一番重要で重大な事以外全ての問題がなくなるのだけど、それが出来れば苦労はないなと溜息ばかりが溢れてくる。
口から漏れた息が白く濁って大気に消えていくのを見送る。みんな精神的な体力を温存しようとしているのか、いつしか口数が少なくなっていた。静かな森の中で灰色の空から舞い落ちる粉雪が、冷たい風に吹かれて踊り、頬を冷やし髪に粉化粧していく。そんな風に空を見上げていたせいか、大きく動いた栄司に揺さぶられ背から落ちてしまいそうになり、慌ててしがみついた。
「おっと、大丈夫か?」
振り返ってこちらを見た栄司にこくりと頷く。雪の中を歩く為に脚を大きく動かす必要があるのは解るが、このままだと落ちてしまいそうだ。彼も僕が中途半端に身体を離しているとバランスが悪く動きにくそうなので、かなり恥ずかしいが手を回して抱きつくように身体を密着させる。小さくなってしまったのもあるのだろうが、こうしてみると随分と栄司の背中が大きく感じる。体温も感じるせいか暖かい、暖かいのだがリアルに再現されているだけの世界であっても、男同士でこれは気持ち悪いだろう、僕も正直あまり好ましい心境とは言えない。だがお互いの安全の為に少しばかり我慢してもらいたい。
「…………」
強く抱きついた時、何やら栄司がわずかに身動ぎした、ここから見える横顔は何か酷く微妙そうに歪んでいる。やっぱり気色悪かったのだろう、僕だって同じ事を男にされたらあまり良い気分にはならないと思う。申し訳なく感じつつ片手でチャットを打ち、移動可能な範囲で栄司にも見えるように表示位置を調整し、少し手前に半透明の噴き出しを出現させる。
『ごめん、落ちそうだったから、気持ち悪いと思うけど我慢して』
「あぁいや、大丈夫だ気にするな、
ただ出来ればあんまり身動ぎしないでくれると有難い、髪の毛がくすぐったいんだ」
どうやら髪の毛がぶつかってしまっていたようだ。見た目はともかく男に抱きつかれて、しかも髪の毛まで当てられてはさぞ不快だったろう。申し訳ない事をしてしまった。
片手でさっと髪をまとめて背中の方へ追いやっていると、急に動きが止まった。どうしたのかと僕も前を見ると、何故かメイリがジト目でこちらを……正確には栄司を睨みつけていた。一瞬目を離した隙に何かあったのだろうか?
「変態」
「お前にだけは言われたくねぇ!?」
僕の預かり知らないところで一体何が起こっているのだろうか。背後に居るミィさんと伊吹に目線で問い掛けても、苦笑いで返されるだけだった。
◆
雪の中を歩き続けること二〇分足らず、この島は本当に小さいようであっという間に目的地へと辿り着いてしまった。雪が無ければ恐らく一〇分もかかっていないだろう。僕も歩いていたら1時間はかかっていたと思われるのが悲しい所だ。
森の中心には木々が少なく開けた窪地があった、その中央にマイナス三〇℃という極寒の中でも、凍らずに水を湛え続けている透明な泉がある。その近くには根元を雪で覆われた森の木々と比べても一際大きな樹が聳え立っていて、何かしらのイベントを連想させる。
水面に触れた雪が淡い光になって水の中へ溶けて行く様は幻想的で、夜に見ればさぞかし美しい光景な事だろう。泉に近付くほどに積もっている雪が少なくなっていて、何かしらのイベントが仕込まれている事は間違いないはずだ。先駆者達も当然ながらそんな事はわかっており、物を投げ込んだり入ってみたりしたそうだが、どれもこれも不発。先に何かしらのイベントをこなすか、特殊なアイテムが必要なのではないかと言われている。
とはいえこの地では泉以外のフラグも発見できず、更にはこの寒さと行軍の辛さだ。準備にそれなりにお金もかかるし、積極的に調べようという人間が少ないのもあって探索は全くと言っていいほど進んでいない。現在は一部の物好きや、初期発見の一発逆転を狙う色んな意味での冒険家以外は近寄らない手付かずの場所となっている。
「これが泉か」
「この寒さで凍ってないとか、何かのイベントフラグにしか見えないわね」
伊吹とメイリは泉を覗き込んで感嘆した声をあげている。僕らは雪の降りしきる周囲の景色を見回して、これからここを調べるのかと少しげんなりしていた。こうも一面真っ白だと開始前から調べる気力がごっそりと削られていく。あまりにも雪で埋もれすぎていてどこから手をつけていいものか解らない。
「ふむ、手がかりもないからな、手分けして取り合えず調べてみるしかなさそうだ」
泉から目を離して近辺を確認していた伊吹が顎に手を当て、少し考える要素を見せながら口にした。
「もう調べつくされてるんじゃないのか?」
「現場百回とも言う、別の人間が調べれば何か違う発見があるかもしれない」
結局の所、総当りしかない訳だ。視点も違えば見えるものも違うというし、同じ所を100回調べてやっと解る事もある。条件が違う以上、先駆者が取り落とした発見を僕たちが見つけられる可能性は低いがゼロではない。未知の何かを探すというのは中々にワクワクする行動だ、雪のせいで冷え切っていたテンションに熱が戻り始めた。
「取り敢えずはこの泉を中心に周囲を調べよう、サンは雪の深い所に行かないように」
まぁ一瞬でそれに水を差される形にはなったが。
「サンちゃんは私たちから離れなければ、遊んでてもいいからね?」
優しい笑顔でメイリがかけてくる言葉は僕にとっての悔しさしか生み出さない。
何だろうか、この面倒を見られている感じは。優しさと気遣いという名の凶器が僕のプライドを削る音が聞こえる。僕としては調査に協力したいのだが小さい上にこの髪の色だ。迂闊に動いて雪に埋もれている所を、掘り返すために振るわれた武器でズバッと行かれてしまう可能性も無くは無い。
そんな事になれば僕は痛い思いをするしメイリはぶち切れるだろう。ここは大人しく雪の浅い部分を探索するのが最もベターな選択だろうか。
『了解』
方針が決まった所で短く返事をして栄司の背中から飛び降りる。地面に積もった雪がクッションとなり衝撃は殆ど無い。はだけていたコートを着直して身体を解して温めると、しゃがみこんで泉の周辺を手探りで探し回る。
「いい匂いだった?」
「うるせぇ!」
「?」
突然怒鳴り声が聞こえて振り返ると、つい先ほどは不機嫌そうだったメイリが栄司を見てにやにやと笑っている。状況的に恐らく僕に関する事でからかわれたか何かしたんだろう、髪の毛については気をつけていたのだが、他に変な事をしてしまっていたのだろうか?
「あぁいや、気にするな、気にしないでくれ頼むから」
僕の視線に気付いた栄司が酷く疲れた様子で言った。今後同じ事をしないためにも気になるのだが、とてもじゃないが聞ける空気ではない。仕方ないので探索に集中しよう、僕は泉の畔に座り込むと手近にある雪を掻き分け始めた。
◆
探索を開始してもう何分が経過しただろうか。
「…………何にもなぁぁぁぁぁぁい!!」
少し離れた位置から爆発音が聞こえる、どうやらあまりにも発見がなさ過ぎてメイリのフラストレーションが発火点に到達してしまったようだ。彼女の片手剣スキルが地面を抉り雪を広範囲に撒き散らす。明らかに何も考えずぶっ放したような行動だが、僕のほうには全く雪が届いてないあたりが彼女らしいと言えば彼女らしいのだろうか。
「ぶわっ!? お前いきなり何すんだ、冷たいだろうが!」
だが世の中には何故かそれで被害を被ってしまうポジションに居る人物がいる、中にはそれを指してラブコメ物の主人公などと形容する文化もあるほどには。例えばその人物は何か一つ優れた才能を持っているとか、本人は無頓着なくせに見た目が優良であるとか。人とは違う光る何かを持っている事が多いようだ。
僕の周囲にも、そんな主人公的な見た目と能力の奴が一人居る。つまりこれは必然の出来事だったに違いない。地味な見た目と散々揶揄された僕には一切関係ない。この場は彼に任せて僕は僕にできる事をするべきだろう。
「サンちゃん、上手だね~」
そして十個目の雪像を作り上げると、先ほどから僕の手元を見守っていたミィさんが感心したように言った。完成した雪象は亀の親子ならぬ兎の親子、大きな兎の上に乗った小さな2羽の兎がポイントだ。瞳を赤く出来なかったのだけが心残りである。
「お前達、探索する気ないだろう」
そうは言ってもな、眼鏡……。
「眼鏡が本体みたいに言いたげな顔をするな、まぁ半分以上の割合で遊びに来たんだから別にいいんだが」
僕に与えられた小さな翼で羽ばたける距離などたかが知れている。雪も浅いから一〇分もすれば一通りの探索を終えてしまったのだ。かといって深い所に行こうとすれば親鳥がすっ飛んできて巣へと連れ戻されてしまう。だから僕は涙を呑んでミィさんと共に雪像つくりに興じているのだった。
「というより、もうそろそろ出発して1時間半だ、栄司のドリンクが切れたら一旦戻るぞ」
「うん、そうだね」
『了解』
もうそんなに経っていたのかと異口同音で返事をし、残り二〇分であと何か一つ作ろうと手近な雪を掻き集める。
「そこだッ!」
「甘いっ!」
雪を固める僕の耳に爆ぜる音が幾度も届く。横目でちらりと見てみると栄司とメイリが剣を使って雪を飛ばしあっているのが見えた。あちらもすっかり雪合戦に夢中のようだ、飛び交っているのが雪玉ではなく雪飛沫というのが少しばかり物騒ではあるが、運動神経の良い彼等なら大丈夫だろう。
「あっ!?」
などと傍観を決め込んでいたのが悪かったのだろうか、突如として大量の雪が頭に降り注いできて雪塗れになる。コートの中にまで雪が入ってきて冷たい。こういうのは僕の仕事ではないというのに。どこのどいつだ、いいや犯人はお前だ。近付いてくる足音に向かって、持っていた雪玉を振り向きざまに投げ付ける。
「ぐあ、悪いサン、メイリが避けやがふぶっ!?」
僕の投射した雪玉は正確に栄司の顔へと飛んで行きその顔を雪で染めあげた、問答無用である。すぐさま補充した雪玉を手のひらでお手玉のように弄びながら、チャットを打ち込む。
『言い訳は聞きたくないな』
「……そうか、お前も参戦希望か!」
飛び込むように身を横に投げ出す、ドッジロールと呼ばれる避け方だ。僕の居た場所にただ手で掬い上げただけと思わしき雪塊がべしゃりと打ち付けられた。その程度の攻撃に当たるつもりはないのだよ。
「おぉ、サンちゃんやるねー! それじゃあ私も!」
参加表明をしたミィさんが投げた雪玉は、避けた僕に注目していた栄司の横っ面に叩きつけられた。容赦のない顔狙いだ、彼女もまたイケメンに憎しみを抱くような過去を持っているのだろうか。いや、僕は別に憎しみなんてないのだが。
「ぶふぁっ!? ミィもそっち側か!」
「そして私は言うまでもなく!!」
「のわぁ!」
間髪入れずに背後から雪飛沫が飛来する。栄司は僕への追撃を諦めて回避を選択した。距離が大きく開き僕の前へと割り込むようにメイリが飛び込んでくる。何と言う四面楚歌、何だか彼が哀れになってきた。
「く、伊吹! コンビネーションで行くぞ!」
「何ナチュラルにそっち側に引きこもうとしてるんだ」
三対一の構図に焦ったらしい栄司は伊吹に呼びかけるが、当然のように反応が鈍い。好きこのんで不利なほうに付きたがる奴も珍しいだろう。
「いいわよ、二人まとめてかかってきなさい!」
「女の子が三人と男の子が二人、チーム分けとしては妥当だよね~」
見た目的には確かに妥当なチーム配分だろう、でも僕は男だけどな! 等と声高に主張できればどれほどいいだろうか。ここでの僕はあくまでもネカマで、しかも身の安全の為にもバレてはいけないという縛りがある。ミィさんの言葉に同調しかできない現状が悲しくてたまらない。
「いや、こういうゲームだとそこの一番ちっこいのが最も厄介なんだがな……」
まぁ巻き込まれた形になった伊吹には可哀想だが、雪合戦なんてここ数年していないし、こんな機会でもなければもう出来ないだろう。伊吹も何だかんだ言いながら嫌ではないようで、楽しそうにしている。折角雪国に来たのに探索だけで帰るなんて味気なさ過ぎるではないか。
「行くぞ伊吹! 男の意地を見せてやれ!」
「お前は後で覚えていろ!」
かくして栄司の投げた雪玉を合図に戦争が始まった。設定気温がマイナス三〇℃でも余裕があるのは冷気環境に耐性のある装備をしていると寒さを感じ難くなるせいだろう。現実ではきっと凍えて動くどころではない事を考えてもゲーム様様である。
「せいや!!」
「うおっ!?」
こちらのメイン盾ことメイリは盾を振りぬく事で大量の雪を吹き飛ばすという、中々にえぐい事をしている。対する栄司も運動能力を活かして難なく回避。返す刃で剣の腹を使い雪を僕へと飛ばしてくる。真っ先に僕を倒すつもりのようだ。
しかし、甘い。
再びドッジロールをしながら手に持っていた二つの雪玉を栄司に向かって投げ付ける。一つは避けられたがそれはフェイント、避けるであろう位置を狙って投げておいた本命が綺麗に顔面へと直撃する。
「ぐふぇ」
「あんな格好でも日向だぞ、油断するな!」
肉体の違いもあり撃墜王の異名を誇っていた小学生の動きとまではいかないが、それでも狙撃力は決して今の栄司たちに劣るものではない。しかし流石は伊吹、目敏く体勢を立て直そうとする僕へと玉を投げ付けてくる、おかげで次弾が補充できず立ち往生する破目になった。
「狙撃力は相変らず恐ろしいが、回避が苦手なのも変わっていないようだな」
僕はどうしても最小限の動きで避けるという事ができない、避けるたびに身体が大きく動いてスタミナが削れて行く。牽制の中にも明らかに当てる動きの玉が混じっている為、避けるので精一杯で迂闊に逃げ出す事も出来ない。僕の思い通りには行かせてもらえないと言う事か。
「よし、伊吹! そのまま抑えていてくれ!」
「私の目の前でサンちゃんをやらせると思ってるの!?」
だがこちらも一人ではない、メイリが上手く栄司を牽制し動きを止めてくれるためこちらは伊吹にのみ注意を払っていればいい。それに対して伊吹はミィの事も警戒しなければならないのだ。情況は依然としてこちらが有利。
「させないよー!」
「くっ」
ミィさんの投げた雪玉のおかげで伊吹の攻撃が途切れる。その隙をついて僕は大きな樹の近くに降り積もった、雪の中に頭から飛び込んだ。今の小ささを活かしバリケードの中で補充用の雪を集める為だ。
「キタキツネかお前は!」
雪の向こうからツッコミが聞こえるが今は無視しておこう、位置を悟られない為に姿勢を低くし、ざくざくと雪を掘って奥へと進む。大量の雪も予め覚悟を決めていれば何とかならなくもないらしい。
掘り進めて少しして大樹へと辿り着く。根元周辺だけは調べる為に掘り返した為に雪がなくなっていて、周囲に雪の壁が出来上がっているので丁度良いバリケードになる事だろう。先ほどの位置関係を考えて、ここからなら栄司に対して不意打ちが出来るはず、ミィさんに足止めしてもらいながらメイリと共に手負いを倒すのだ、各個撃破は戦闘の基本。
さぁ雪を集めて攻撃だと、牽制しあいながらも僕を探している二人にバレないよう姿勢を出来るだけ低くして、手近な雪を引き寄せる。その時、不意に樹の根元の隙間に穴らしきものが目に入った。この樹は当然真っ先に調べていたものの何も見付からなかったのだが……。
『皆ちょっとストップ! なんか見つけた!』
雪の壁から顔を出すと飛んできた雪玉を回避しながら、フキダシを大きめに引き伸ばしてからチャットを流す。投げた体勢のまま止まった栄司を始め、全員の視線が集まる。
「サンちゃん、何見つけたの?」
取り合えず一時休戦には成功したらしい。矛を収めたメイリをはじめ、全員が僕のところへと集まってきた。僕はその場に伏せると、絡み合う樹の根の一部分を指差した。見下ろす形では解らないが、こうやって姿勢を低くして下から見上げるようにすると樹の中へ通じているかのような穴が開いているのが解る。
顔を見合わせたメイリと栄司は僕に倣って地面に顔をつけると、指差した場所を見て驚きの声を上げた。
「……おぉ、マジだ! ていうかこれは気付かないわ」
「普通、雪の地面に寝転がろうなんて思わないもんね……でもこれ、穴のサイズ小さすぎない?」
僕もそう思う。明らかに小さな動物か、精々でも小学校低学年の子供でないと入れない大きさだ。先駆者の考えた何か別のイベントやアイテムが必要というのはあながち間違いではなかったのだろう。ここだけ見つけても意味が無い。だが何という偶然か、今のこの場にはこんな姿に成り果ててしまった僕がいる。少しきついが頭を突っ込んで中を確認するくらいは出来そうだった。
『僕なら何とか入れると思う、覗いてくるから合図したら引っ張り出してくれる?』
「サンちゃん、大丈夫なの?」
メイリは心配してくれているようだが、明らかにプレイヤーが入る事を想定してない以上、入った瞬間モンスターにバックリとかは無いと信じたい。念のため中に生き物がいないかは先に確認するつもりだが。
『虎穴にいらずんば虎子をえず、取り合えずやってみる』
「う、うん……気をつけてね、怖かったらすぐ合図するんだよ?」
「本当に気を付けろよ?」
腰に佩びていた剣を鞘ごと抜いて、手ごと穴の中に突っ込んで内部を探る。時折何か小さな物に当たる感触はあるが、生き物らしき反応は見受けられない、これなら大丈夫だろう。インベントリから暗闇で使う淡光石と呼ばれる素材で作られる、振ることで暫く光る手のひらサイズの電灯、簡単に言えばケミカルライトのような物を取り出して手に持ちながら、穴の中へ上半身を進ませた。
正しく木の洞といった風情の空洞を淡い水色の光が照らし出す。大木といえど流石に狭い、腰から下が外に出ているがこれ以上進むのは無理があるだろう、多少の息苦しさを感じながら中を見回してみると、ちょうど目の前に鈍い銀色の古ぼけた鎖の破片が落ちていた。
手に取ってみると、どうやらイベントアイテムだったようで、入手の報告と共に情報ウィンドウが表示される。アイテム名は『氷狼の鎖片』で、この地に封印されている怪物を拘束する時に使われた鎖の破片だそうだ。……なんだか急に嫌な予感がしてきた。
引っ張ってもらおうとして合図を決めていなかった事を思い出し、取り合えず足を軽くじたばたと暴れさせるとすぐに力が加わり外へと引き摺り出された。やはり暖かくとも埃っぽい空気よりは、冷たくとも清涼な空気のほうが美味しい。全く変な所をリアルに作りこむものだ。
「サンちゃん大丈夫? 怖くなかった?」
「おかえり、何かあったのか?」
『うん、こんなのが』
どさくさに紛れて抱きしめようとしてきたメイリを手で制しながら大丈夫だと頷くと、手に入れたアイテムを表示されたウィンドウごと見せる。それが何かを確認した全員の顔が真剣なものへと変わった。
「これって……」
「イベントボスのフラグアイテムだよなぁ」
このゲームにはボスがいくつかの種類存在する、特定のフィールドで定期的にポップして周囲を徘徊する、ウォーカー先生を始めとするフィールドボス。ダンジョンなどの最下層の固定位置でプレイヤーを待ち受けるダンジョンボス。特定のイベントアイテムやクエストをこなす事で挑戦できるイベントボス。現状判明しているのはこの三種類。
どのボスも低確率ながら専用のレアアイテムが設定されているが、その中でも特にイベントボスの落とすものは取り分け強力に設定されているらしい。理由としては遭遇条件が厳しいからとか、挑戦回数が少なくなってしまうからだと言われている。当然ながらそういったボスレアは高額で取引されていて、初発見のイベントボスならそのフラグ情報だけでもとてつもない価値がある。
「流石にこの人数で未知のイベントボスは厳しいものがあるだろう、
サンがよければ、ギルマスにも情報を渡して準備を万端にしてから調べに来たいと思うんだが、いいか?」
伊吹の確認もそれを踏まえての物だろう、発見したのは僕だが関係の無いギルドメンバーに伝えてもいいかと問うている。僕は別にそういった事に拘る気はないし、下手に独占して要らぬ嫉妬や詮索を受けるのは嫌だから情報を流す事に否やは無い。これが友人達の利益に繋がるのならそうしてもらった方がいいだろう。
とはいえ、それじゃ済まない事も解っている。案外義理堅い彼等の事だ、発見者である僕を省いて行動するという事はない。必然的に一度は栄司達の所属するギルドの面々とここにこなくてはいけなくなるだろう。不特定多数と行動を共にするのは未だ怖いが、メイリや栄司達に間を持ってもらえるなら一度パーティを組むくらいなら大丈夫だろうか。
『うん、僕はそれでいいよ』
悩んだ末、自分に対して大丈夫だと言い聞かせながら結論を出して小さく頷いてみせる。
「そうか、助かる、それじゃあ一度街に……」
どこかホッとした様子の伊吹の提案に乗って、転移用アイテムを出そうとした時だった。
――――ォォォォォォォン
風の音だろうか? いいや、わかっている。いつの間にか緩やかに降っていた粉雪はまるで吹雪のように激しくなり、身体に打ち付けてくるようになっているのだ。流石にこれに何かのフラグを感じないほどゲームに慣れていない人間はここに居ない。
―――オォォォォォォォン
泉の先、吹雪によって作られた灰色のカーテンに、ぽつりと現れた小さな影があっという間に大きく、ハッキリと映り始めた。嗚呼、どうやらこの鎖は入手する事自体が何らかのフラグだったようだ。僕はこのゲームのボスに何か因縁でもあるのだろうか。
『アオォォォォォォン!!』
強風に煙る白雪を切り裂き、果たしてそれは顕現した。雪を踏みしめる足は逞しく、精悍な顔付きで獲物を見詰める瞳は鋭く、威風堂々と天に向かって咆哮を上げる姿はどこまでも雄々しい。
白銀の毛並に青白い光を燻らせて千切れた鎖を身に付けた、馬ほどの大きさの狼が其処に在った。
「これは、やばい、か?」
「サンちゃん、私の後ろに……ミィ、隙を見て転移して」
このゲームには相手の能力を確認する目安として、相手とのレベル差によって名前表示が色分けされる仕様がある。そして僕から見た奴の名前は赤で『グレイシャルロード』と表示されている。色が示す差は十五以上、僕の今のレベルが七だから奴は最低でも二十二以上という事だ。
「俺から見て橙、レベル30近くあるぞアイツ」
栄司も珍しく緊張しているようだった。彼のレベルは十六で、橙は十以上、一五未満のレベル差を示している。つまり奴のレベルは二十六から三十一の間。現在確認されているイベントボスの最高レベルが三十である事を考えると、今の僕らで普通に勝つのはまず不可能だろう。この中で耐えられそうなメイリに時間を稼いでもらって、その隙に順次転移するのが正解だ。
「……ここで大変悪いお知らせがあります、転移系、使えないみたいだよ」
「げ、まじか!?」
密かに集団転送用の魔法を用意していたのだろう、ミィさんが困った様子で呟く。中にはこういった妨害をするボス戦もあるとは聞いた事があるが、まさかこんなぐだぐだ状態で遭遇する事になるとは思わなかった。逃げ場をなくして動揺する僕達を見て、奴が哂ったように見えた。どうしよう、どうすればいいのか。
「はぁ、しょうがないわね……ま、簡単に諦めるのは元々性に合わないし」
「……だな、せめて一撃でかいの入れさせてもらわねーと気が済まねぇ」
焦る僕を余所目に、開き直りの早い前衛二人は覚悟を決めてしまったようだ。そんな二人を眺めて少し考えを改める、これはゲームなのだ、死ぬような思いはしても死ぬことはない。そう考えればゲームで初出現のイベントボス戦なんて早々体験できるものじゃないし、ならばせめてリベンジの為に少しでも多く情報を持ち帰ってやろう。あわよくば一矢報いるくらいはしたい。
「そういう事だな、足掻いてやろうじゃないか」
「いいね、何だかわくわくしてきたよ!」
メイン装備である本を取り出し、構えた伊吹が不敵に笑う。ミィさんもどこか楽しそうに杖を握り締めている。どうやら心は一つと言う奴らしい。折角ここまで出張ってきたんだ、精々あの狼には僕達の良い思い出になってもらうとしよう。
『オォォォォォォォォォン!!』
狼は戦闘準備を終えた僕達をぐるりと見回すと、弾む心を抑えきれないと言いたげに、大地を踏みしめ遠吠えを上げた。高らかに響くその声が、まるで僕達の反応を称えているかのように吹雪の中を木霊する。
「先手!」
「必勝ォ!」
遠吠えに導かれるように飛び出したメイリと栄司の剣が、風切り音と共に狼へと迫る。しかしそれは一瞬で現れた氷の盾に阻まれた。
「嘘っ!?」
「ちっ、魔法使えるのかよ!」
あれの防御力は馬鹿に出来ないくらいはあるようだ、決して軽くはないはずの攻撃を易々と受け止めて皹が入っている様子もない。二人が慌てて一歩引くと同時に氷の盾が砕けて散り、飛礫となって二人を襲う。どうやら攻防一体の魔法らしい、ミィさんの素早い回復魔法によってダメージは即座に回復されたものの魔法を使うためのマナも有限、実力差も大きい以上、消耗戦は不利にしかならないだろう。
「一旦下がれ! ≪フレイムチェイン≫!」
伊吹の声に弾かれるように二人が大きく距離を取ると、準備されていた魔法が発動し地面に描かれた赤い魔法陣から炎が伸びる。うねる炎が複雑に絡まりあい、鎖となって狼の身体を縛りつけた。これは流石に効果があるのか狼が苦しげに身動ぎをする。ライフゲージもじわじわと削れていくのが見てとれた。予想通り炎に弱いようで、弱点を突けばそれなりの効果はありそうだった。ならば僕がする事は一つだ。
≪エンチャント・フレイム≫
素早く手で印を切り、魔法を連続して発動させる、対象は栄司とメイリの持つ武器。紋様が剣に絡みつくと、刀身が薄っすらと橙色の光を帯びる。魔法スキルは基本として音声認識でショートカット発動できるように設定されている。伊吹が魔法の名前を叫ぶのはそのためだ。だが声の出せない僕はそれが出来ず、最初はわざわざスキル欄を呼び出してアイコンを選択して発動させるという手法をとっていた。
しかし対人戦の技術としてハンドサインでも魔法をショートカット発動させる事ができるのを知り、少しばかり覚えるのが大変だったが何とか素早い発動を物にする事が出来た。やはりこういう時に素早く魔法を使えるのと使えないのでは天地の違いがあると思う。
「ありがとサンちゃん!」
「うっし、もう一度だ!」
支援を受けた二人が気を取り直して切りかかる。狼はそれに気付いていても炎の鎖によって動きを封じられている為、対応する事ができない。二本の剣が炎を纏いながら白銀の毛皮に叩き付けられる。これには流石にダメージを貰ったようで狼が咆哮を上げた。だがレベル差は深刻でライフはわずかしか削れていない。
「くっ、そろそろ拘束も限界だ!」
「もう一発!」
「でかいのいくぞ!!」
「強化いくよー! ≪マイトフォース≫!」
二人は怯んだ隙を逃さずに距離を取って大きく構える、それぞれの最高威力のスキルを放つようだ。それに合わせてミィさんが音声ショートカットで攻撃強化の魔法を発動させる。ここに伊吹のクラスであるウォーロックが使う防御低下のデバフがあれば更にダメージを稼げるのだろうが、拘束で手一杯の彼にそれを言うのは無茶が過ぎるだろう。
ちょうどスキルの"溜め"も終わったようで、二人がつい先日覚えたばかりの大威力スキルが放たれる。
「はぁぁぁぁぁ!!」
「くらえやぁッ!!」
メイリの鋭い踏み込みから片手で打ち出される突きが、炎を纏って巨狼の身体に突き刺さる。間髪居れずに栄司が大きく飛び上がり落下速度が加わった強烈な一撃が、ぶつかると共に爆炎を巻き起こし、叫び声を上げる狼を雪の向こうへと吹き飛ばした。衝撃によって雪煙が上がり視界が塞がれてしまったが、ここで「やったか?」等と、違う意味で空気を読んだ言動をする人間はいないようだ。
それにしても、プリーストの強化と属性特効を重ねれば何とかそれなりのダメージは与える事が出来るようだ、相手の手札が見えない状態では何ともいえないが、ダメージが通る以上は時間をかければ倒せるかも知れない。この良い流れを維持する為にも、二人の防具に≪エンチャント・フロスト≫を使い冷気耐性を上げておく事にする。
このゲームでは初期クラスを選択し、全クラス共通と職業専用に用意された物の中から三種類までのアビリティを選ぶ事ができるようになっている。これらは次段階である二次職や三次職にクラスチェンジする時にしか変更できず、習得できるスキルやアーツに大きく影響してくる要素だ。
付与特化とはエンチャンターの中で専用に用意されたアビリティである『上級付与術』、『部位別付与』、『付与強化』の三つ全てを取った構成の事を指す。『上級付与』は七段階の昇順ランクで分けられた魔法スキルのうち、五段階までの魔法を取得するために必要なスキル。『部位別付与』は本来は一人のキャラに対して一種類しかかけられない付与魔法を、剣、防具にそれぞれかける事が出来るようになるスキル。『付与強化』はそのままで、全ての付与術の効力を強化するもの。
これによって武器と防具にそれぞれ強化や付与をかけられるという、とんでもなく強力かつ利便性の高いキャラが出来上がる。しかし当然ながら付与術に直接攻撃力を持つスキルは存在せず、共通スキルにある四段階までの攻撃魔法を習得できる『魔術』も覚える事が出来ないため、必然的に攻撃能力は皆無となってしまう。
そういった代償の割りに序盤は装備が弱く、更にはわざわざ弱点を突く必要がない敵も多いので、回復が出来るプリーストなどと違って特化していても付与の恩恵や需要はあまりなかったりする。しかも一番有用と言われている、装備に属性を与える≪エンチャント≫系列がランクで言う所の四段階目だと言う事も有り、ウィザードやウォーロックで『付与術』を取るだけで十分だといわれてしまって人口は非常に少ない。
だがこういった圧倒的な格上相手で、しかも弱点や攻撃の属性がハッキリしている相手なら、複数の部位毎に強力な付与をかけられるという付与特化としての力を大きく活かす事が出来る。
発動した僕の付与術によって紋様が二人の着ている身体防具に溶け込むと、薄く青い光を帯び始める。それから数瞬の間を置いて、冷気の風が巻き上がっていた雪煙を吹き飛ばしながら油断なく構えていたメイリと栄司を打ち付ける。
「うあっ!?」
「ぐっ!」
結果として付与の判断は正解だったようだ。攻撃対象は彼等だけだった為にこちらは無傷だったが、たったの一撃で二人のライフが半分近く持っていかれている。耐性を強化していなければ深刻なダメージを受けていた可能性が高い。
「二人ともすぐにヒールするから!」
ミィさんが前衛組を回復している間に、僕が後衛組にも冷気耐性を付与する。僕らは職業の関係で魔法に耐性があるが、物理前衛である栄司達とはライフの量が倍近く違う。そんな二人の強化された冷気耐性を抜いて、一発で半分も持ってく攻撃力の持ち主だ、まともに食らえば一撃で戦闘不能になる可能性もある。
煙が晴れて少し良くなった視界の先ではピンピンしている狼が、軽く身体を振るい毛についた炎を落としている。その姿を見る限り今のは反撃で撃った軽いジャブのようなものだろう。伊吹も同じ考えのようで、少し詠唱待機に時間のかかる魔法を発動させようと既に魔法陣を構築しはじめていた。
「出が速くて避け難い遠距離攻撃とか……まともにやってらんないわね」
「威力も笑えねぇ、ミィあんまり連打はするな、ターゲットがそっち行ったらやばい」
態勢を立て直す僕らに向かって堂々と歩いてくる狼は、先ほどのダメージをものともしていない。それはそうだろう、まだ八割以上もライフが残っているのだから、この程度で堪えるはずがない。だがその瞳には闘志のようなものが揺らめいていた。どうやら必死の攻撃は反って獣の中に燻る闘争本能に火をつけてしまったらしい。氷属性ならもっとクールに振舞って欲しいものなのだ、凍った心を溶かした結果として死闘を演じる事になった。そんな超展開など僕は望んでいない。
「……すまん、ちょっとまずい事になった」
「何……って、まさか」
これからが本番というところで、栄司が青褪めた顔で口にする言葉。その意味を噛み締める前に反射的行動でそちらを見れば、栄司のライフゲージが青色に染まり、徐々に減って行くのが見えた。平たく言ってしまえば、事態は最悪の方へと傾きはじめているようだった。
「ドリンクの効果、切れたみたいだ」
本当、このタイミングの悪さだけは勘弁してもらいたい。
★2012年11月23日/誤字、表現の修正