Contact.1-1 白銀の森へ★
僕が紆余曲折の果てに『エーテルフロンティア』をプレイし始めてから1週間が経った。
初日の夜、母に久し振りに栄司達と思い切り遊べて楽しかった、とメールで報告したら、どことなく嬉しそうな文面の返事が返って来た。そういえば"あの時"から楽しいなんて口に出して言った事は一度も無かった気がする。というより暫くは心が酷く鈍って何も感じなくなっていたので、楽しさを感じるなんて事自体に無理があったのだが。
自然と出ていたその言葉で母は随分と安心したようで、『食事と睡眠だけきちんと取るようにするなら顔を出さなくてもいいから、やりすぎないように』と正式な引き篭もり許可が降りた。これで暫くは誤魔化す事が出来るだろう。残る不安は未だ元に戻る手かがりすら見つけられてない事だけだ。
空いた時間を利用して、ネットを調べたり図書館を見てまわったりしても、当然ながら目ぼしい情報は見付からない。視野を広げる為にも打ち明けて友人達に協力して貰った方が良いのは解る、しかし僕は未だその一歩を踏み出せずに居る。
もう少しだけ、もう少しだけと言い訳のように繰り返しながら、今日もゲームの世界へ逃避を続ける。あちらに居る限り僕は"ただのネカマプレイヤー"で、僕を知る人にとってあの姿は偽わり。知られさえしなければ男だった頃の僕の姿だけが真実だ。積み重なっていく嘘と偽りの重さから逃れるために、僕はぬるま湯の様な日々に没頭していく。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.01-1 『白銀の森へ』
一人で狩りをしていた僕に、栄司から一通のゲーム内メールが届いたのは、現実世界で去年の最高気温を上回ると言う、偉業を燦々たる夏の太陽が成し遂げた日の正午のこと。文章の内容は今日の午後に北方の浮遊大陸にある『白銀の森、≪クレセア≫』へ遠征するため、良かったら一緒に行かないかという旅行の誘いだった。
実は僕、ここまでソロでやっている。あの後で栄司達が入ってるギルドにも誘われはした。しかし彼等が所属してるのは伊吹の学友が作ったそれなりの大きさのギルドで、結構な人数が参加しているという話だった。少し悩んだもののまだ見知らぬ人と行動を共にするのは無理があった僕は断る事にしたのだ。
付き合いの長い親友が自分の知らないところで拡げていた交友範囲に、ほんの少しだけ胸がチクリと痛んだが、引き篭もっていた僕と違って彼等は学生生活を謳歌しているのだから、僕の知らない友人が居るのは当たり前のことだろう。ただ思わず拗ねたような態度で断ってしまったのだけが失敗だった。
それもあって気を使わせてしまったのか、ギルドが違うといっても僕らの間に交流が無い訳でもなく、普段はギルドメンバーと狩りをしている栄司達も、何かと時間を作っては僕に付き合ってくれているので本当に頭が上がらない。正直に言えば序盤のきつさにげんなりしていたので、申し訳ないと思いながらも甘えさせてもらっている。
なお、一番多く付き合ってくれるのがメイリならば、僕がギルド加入を断った事を最も残念がったのも彼女だったのは言うまでもないだろう。積極的に手伝いをしてくれる彼女への貸しが積み重なっていくのは恐ろしいが、彼女は言動はともかく実際は一線引いた位置に居てくれているので、実の所そこまで心配はしていない。
彼女の言う『愛でる』とは取り合えず可愛い格好させて抱っこして撫で撫でして甘やかしたい! といった部分が主のようなので、いつか借りを返す時は千歩くらい譲って抱っこまでならいいかなと思い始めている。それ以外は心が折れるので拒否させてもらうつもりだが。
この答えはメイリが栄司に「愛でるって具体的にどういう事するんだ?」という栄司からのダイレクトな質問に、僕の方をちらりと見てから主張した物なので信憑性は抜群だ。途中で明らかに言葉に詰まったり、妙に言い訳がましく慌てた様子だったのは僕の精神衛生も兼ねて記憶領域から抹消しておく。淑女を声高に主張する彼女が僕に向かって言った言葉を無視する事はあるまい。
そういえば、何故彼女が僕に執着するのかも疑問だったんだけど、その答えは実にシンプルだった。メイリの話によるとこのゲーム全体のアクティブ人数は公式発表で約十万人。その中に十三歳以下のプレイヤーは百人程しかいない。更に女の子となると僕を入れて(訂正は諦めた)十人も居ないらしい。因みに最年少は九歳の少年で、お父さんと一緒にプレイ中なんだそうな。
そして僕は体格的にダントツの最年少クラス。しかもアバターの完成度も桁外れに高く、彼女曰く「超希少、協定による絶対保護対象」なのだそうだ。協定ってなんだとか、人を絶滅動物みたく扱うのは勘弁してもらいたいとか、それ以前にどうやってその情報を調べたんだとか、突っ込みたい所があまりにも多すぎたが、藪から蛇を出して噛まれたくはないので深く考えるのは止めた。
今の僕の身長は一二〇センチ台、何度も言うが一二〇センチ台、正確に測ってないが一二〇センチ台で間違いないのだ。良く覚えておいて欲しい。そんな訳で客観的に見れば一桁年齢に見られてもおかしくない、どんなに盛った所で中学生が限度だろう。ここまで小さいと平均年齢十九、男性プレイヤーが七割を超えるというこのゲームにおいてはあまりにも目立ちすぎる。
さて、そんな僕が人の多いギルドに入ったらどうなるだろうか、まず間違いなくマスコット扱いされるし、メイリを筆頭にほぼ全員が小さな女の子として扱うだろう。見た目はこんな愉快な事になってしまっているが、僕は歴とした男だ。別に女装趣味もなければ女の子としてちやほやされたいなんて思った事は一度も無い。このネカマプレイだって不本意極まりないのだ。
普通の男にそんな扱いが耐えられるだろうか? 無理だ、少なくとも僕には想像するだけで心が軋む音がする。だからこそ僕は敢えてソロの道を選んだのだ。
◆
……話が随分とそれてしまった。そんな訳で僕はのんびりとした冒険者生活を送っている、惜しむらくは浮遊大陸世界なのに一度も初期地点の大陸から出ていない事だろう。折角だし栄司達と行くのなら特に断る理由もないのだが。
『メール見た、メンバーは誰がいるの?』
フレンドリストを確認すると、ちょうどログインしているようだったので、個人宛のささやきを送信する。何かやっているとすぐに返事を返す暇はないだろうから、返事までのラグを見計らってインベントリから携帯用のジュースを取り出して口にする。良く冷えたサイダーの炭酸が口の中でぷちぷちと弾けてくすぐったい。このゲーム最大の利点はカロリーや糖分を気にせず食事を取れる事だろうか、現実でのお腹は膨れないが少なくとも満足感は得られる。この食事仕様のお陰で洋菓子店や料理店は連日女性プレイヤーで大盛況らしい。
『今のところメンバーは俺とリバーとメイリのいつもの面子、後はミィだな。 ミィは知ってるよな?』
返事は僕がジュースを飲み終える前に返って来た。『ミィ』さんというのは彼等のギルド『グングニル』に所属する女性プリーストで、ウェーブのかかった桃髪の大人しそうな女の子だった、彼女とはあのウォーカー先生事件の翌日に、メイリの紹介で知り合いフレンド登録をしている。
あのメイリの友人という事で、最初こそ戦々恐々としていたが、話して見ると意外にも優しげな常識人で拍子抜けした。中々タイミングが合わずそれからは一度しか会っていないが、彼女なら大丈夫だろう。
『うん、ミィさんはフレ登録もしてるから
そのメンバーなら平気そうだし、僕も行こうかな』
少し悩んでから承諾の返事を返す。大半がいつもの面子なら精神的負担も少ない。ただ一つ気になる事がある。
『でもギルドのほうはいいの? 遠征とかって普通はギルドでするものだと思うんだけど』
そういえば、ギルドの方はいいのだろうか、普通こういった行事はギルド単位で行われるものだろう。抜け駆けみたいな事して大丈夫なんだろうか?
『ギルマスからは許可もらってる、
そもそもあそこは小さな島で観光地みたいなものらしいし、ギルドあげて行くような場所じゃないんだよ
外が暑過ぎるからゲーム内でくらいは涼もうって話になって、折角だしお前も誘って雪エリアに行こうと思ってな』
ブラウザを呼び出してwikiを確認すると、≪クレセア≫は初期地点の≪エスカ≫の北部にある小さな浮島で、常に雪が降っている寒冷地という事だった。針葉樹の森とその中にある泉しか存在せず、特に用事があっていくような場所ではないらしい。
『そういう事なら同行させて貰うよ、夏に雪で遊ぶってのも奇妙な話だけどね』
完全体感型のゲームならではだろう、家に居ながらにして雪国で遊べるとは夢にも思わなかった。いい時代になったものだと年寄りじみた感想を抱きながら、話を進める。
『あそこって基本人居ないらしいし、避暑には最適だろ』
『そうだね、じゃあ準備してターミナルで待ち合わせ?』
『あぁ、そうだな、昼飯済ませてから13時集合で大丈夫か?』
『おっけー、そのくらいに行くよ、また後で』
適当なところで会話を切り上げて、荷物整理がてら一度街に戻る事にする。時計の針はもうすぐ十二時を指そうとしていた、準備の時間は十分有りそうだ。僕は帰還の札という拠点登録した街に戻るためのアイテムを使い、安全な場所で一度ログアウトするのだった。
「…………ぅ」
ヘッドギアを外して深く息を吐く。別に身体が疲れている訳ではないのだが、ついこういう行動を取りたくなってしまうのは僕だけだろうか。窓を貫通して耳を責め立てる蝉の声が、外の気温の凄まじさを物語っているようで憂鬱な気持ちになる。某掲示板のスレッドではここ数日、冷房を付けずにプレイしていたらあまりの暑さにバイタルチェックに引っかかり強制ログアウトさせられたというレスを何度か目にした。
幸い僕の部屋は冷房を効かせているためそういった心配は無いが、これが無かったらと思うとゾッとしない。
「~~~」
ベッドの上で猫のように身体を伸ばしてから、ベッド脇のテーブルに置いてある昼食用に作って置いたおにぎりと、ペットボトルに入ったお茶を手に取る。我ながら自堕落な生活をしていると思うが、人目に付かない範囲で家事の分担はしっかりとやっているので勘弁してもらいたい。というか、そうしなければ色々と厄介な問題が発生しかねないからであるが。
「……」
前から慣れていた大きさに握ったはずが、随分と大きく感じるおにぎりに齧り付く。中身は塩昆布と明太子、運動してない身には少しばかり塩気がきつい気もする、でも他に丁度いい具がなかったんだから仕方ない。お茶で口の中に残る塩味を緩和しながらパソコンに向かうと、必要なアイテムをリストアップする為に『エーテルフロンティア』のwikiを開く。
……項目に書かれた内容は随分と少なかったが、中々に物騒な感じの情報が手に入った。まず必須なのが防寒コート、あれば助かるのが冷気耐性を強化するヒートドリンク、兎にも角にも冷気耐性をガチガチに固めるべしと言ったものだ。
「…………」
まるで極寒の地に向かうかのような必須とオススメアイテムを頭の中に叩き込みながら食事を終える。本当に大丈夫なのだろうか? その不安が解消される事はついに無かった。
◆
ターミナルタワー、始まりの街である≪エスカ≫の中央に鎮座する巨大な銀の塔は、各大陸を結ぶ飛行艇の中継点になっている大きな空港だ。天を貫くほどに巨大な塔には幾つもの門が備えられていて、そこから無数の飛行艇が発着している。
目的地である≪クレセア≫大陸へ向かう船が出るホームはここの第3層にあり、合流場所もそこのホームの予定だ。時間は十三時の五分前、少し早めに行動していたつもりだが、荷物を抱えた僕がホームに辿り着いた時には既に栄司達は到着していたようだった。
「あ、サンちゃんこっちこっち!」
「こんにちは、サンちゃん」
『こんにちわ、待たせちゃった?』
「ううん全然、今来た所だよ」
目敏くこちらに気付いて手を振るメイリに苦笑しながら、近付いて挨拶を交わす。基本的に栄司達以外には丁寧な言葉遣いをするようにしている。ゲームの仕様もあるし、取り合えず丁寧語を使っておけば男だと疑われる事はないという伊吹のアドバイスに従った形だ。それだけで大丈夫なのかとも思ったが、女性特有の話題についていけない事や一人称などは小学生にしか見られないだろうからさほど問題ないと言われて、少し凹んだ。
「こいつ、サンを待たせたくないって二〇分も前か……ナンデモナイデス」
≪クレセア≫側のホームには僕達以外居ないようだ、そんなに人気が無いんだろうか? などと周囲をチラ見していると栄司の声が聞こえた気がした。意識を外に向けていたので聞き取れなかったが、何と言ったのだろうか。
『ごめん聞き取れなかった、何て言ったの?』
「サンちゃんは気にしなくていいのよ」
聞きなおそうとはしたのだが、栄司を睨みながら妙なプレッシャーを発しているメイリに僕まで気圧されて何も聞けなかった。
『≪クレセア≫行きの便が間も無く運行を開始します、ご利用の方はお早めに御乗船下さい』
そうやってぐだぐだしている僕達の耳に落ち着いた女性の声でアナウンスが届く、続きは船の中でもいいだろうと、連れ立って渡板を使いホームに停泊していたクルーザーほどの大きさの小型飛行艇に乗り込む。隣の≪ユーベル≫行きのホームにはガレオン船をモチーフにしたような立派な飛行艇が泊まっているというのに、この差は何だろうか。
「……ちょっとした離島に行く為の移動専用の船と、船旅も視野に入れた港を利用する船との違いだろうな」
解説ありがとう伊吹、でも心を読むのは止めて下さい。そんなに考えてる事が顔に出るのだろうかと両手で顔をマッサージしていると、何故かメイリが握りこぶしを作って悶え始めたので取り合えず中止しておき、甲板の椅子に腰掛けて大人しく発進を待つ事にする。
「そういえば、何持ってきたんだそれ」
栄司が僕の持ってきていたバックパックに気付いて目敏く聞いてくる、別に隠すような物でもないので袋を開けて中身を見せた。防寒用の厚手の外套、冷気耐性の札、携帯用暖房器具……凡そ真夏には見たくないようなものばかり。ヒートドリンクは生産専用で、まだ作れる人間が居ない為か値が張って手が出なかった。
「見るだけで暑苦しい装備だな」
「まぁあそこは極寒だと言われているしな」
「え?」
げんなりした栄司と、納得したような伊吹。そして伊吹の反応に驚いたのは栄司の方だった。対照的な2人の反応に少しばかり嫌な予感が浮かんでくる。こいつまさか、下調べ殆どしてないんじゃなかろうか?
『wiki見たら寒い寒いって書いてあったから、念のため』
「時間あったんだから、軽く下調べくらいはしときなさいよ」
「まじで? いや、まぁそこまで酷くは無い、よな?」
僕に聞かれても困ってしまうのだが。行った事が無い以上、肯定も否定も出来ないのだ。不安に駆られる栄司を乗せたまま船はゆっくりと動き出してしまった。ここまできたら後は彼が凍え死なない事を祈るしかない。
ある程度の高さまでゆっくりと浮上しながらホームを出て行った船に随分とゆっくりとした移動方法なんだなぁと思っていると、コースに乗るや否や驚くほどの加速をはじめた。街の景色があっという間に流れて彼方へ行けば、甲板から真っ白な雲の海と地平線まで続く青い空が見渡せる。風を殆ど感じないのは結界を張ってあるという設定なのだろうか、船の前方に薄い魔法陣のような物が風を弾いているのが見えた。
『はやっ!?』
「初めて乗ると驚くよねぇ」
私も最初は驚いちゃったーと朗らかにミィさんが言うが、この小型船と言う見た目からすれば誰でも驚くだろう。実際は飛行機並の速さなのだ。
「この辺の大陸間なら移動は大体リアルで一〇分くらいだな、遊覧船ならもっとゆっくり飛んで廻るようだが」
伊吹の解説によると流石にその辺はある程度省略されているらしい。お陰で時間がかからず楽なのだが、折角の浮遊大陸を渡るのに一瞬で景色が流れてしまうのは少しばかり味気ない。その辺は運営も解っているのか、代わりに遊覧船などの観光に特化した移動手段なんかも用意されているそうだ、今度はそちらにも乗ってみたいなと思いを馳せる。
「いいよねぇ遊覧船での観光旅行、でもチケットがちょーっとお高いからまだ手がでないのよねぇ、
……よし、もうちょっと稼げるようになったら連れて行ってあげるから、一緒に行こうねサンちゃん」
『はい、僕も稼げるようになっておきます』
メイリも遊覧船には興味があるようだった、高いというのはいくら位なのか調べてみないといけないが、お金がたまったら皆でゲーム内旅行というのも有りかもしれない。金銭面という縛りが無い分だけ気軽に出来るのでいいかも。流石に裸は倫理的に問題があったようで温泉などは無いのが残念だが、ゲームならではの観光地が多く用意されているという事で、これからそちらの方面の遊び方も楽しみだ。
「……温泉がないのだけが残念だけど」
かすかに聞こえたメイリの呟きを聞いた僕が心の中で、彼女が口にした『温泉が無くて残念』と言う戯言を心の焼却炉に放り込んだのは言うまでも無い。
◆
暫く談笑しながら時間を潰していると、飛び立ってからさほど間も無く飛行艇が減速を始めた。周囲の気温が急激に下がっていくのを感じる、いつの間にか船を包む結界の外では粉雪が舞っているようで、青かった景色が灰色と白に染まっていた。
「……ていうか寒っ!?」
持って来ていた防寒用のコートをローブの上から羽織ると、両腕を擦って足踏みをする栄司を余所に甲板の縁から目的地である浮島を見下ろす。雪で白く化粧された針葉樹の森が一面に広がり、小さいと言っても島の向こう岸が見渡せない、天候が悪い事を考えてもそれなりの広さはありそうだ。しかもまだ近付いただけだというのに防寒具を着込んで感じるこの寒さ。
空に浮かぶ海や、雲の迷路、水晶の花園などの魅力的なラインナップが初期地点の周辺に並んでいる。わざわざお金を払ってまで真っ先にこの白銀の森に来たいなんて奇特な者は少ないだろう。そのせいで人でひしめく他のマップと違いマップ開拓は殆ど進んでいない。
確か開発コンセプトは『自分の足で広大なファンタジーの世界を歩き回り、物語のように新たな発見を楽しんでもらいたい』だったか、運営の遊び心を考えればこういった場所にこそ何かしらのイベントが設置されていると思うのだが、ガチ攻略勢は効率を求め先へ先へと進んで行ってしまっている。長年染みに付いた風習というか、癖というのは簡単には抜けないものらしい。
おかげで僕みたいなまったり組にも新たな発見のチャンスがあるので、一長一短と言うべきだろう。こういう遺跡発掘みたいな行動は割と好きだし、持ち込んだ道具が許す限りは調べて回ってみたいと思う。
やがて船が完全に静止しホームへと渡板がかけられる。ここの駅はやはりというべきか、ターミナルと比べると随分小さい。外観は凄まじくレトロな煉瓦造りだ。今でも極端な田舎にはまだ建物だけは残されているというが、僕は写真以外で見たことはない。
「しっかし、ほんとに寒いね……」
「……」
メイリの言葉に思わず頷く、別に氷の大地と言う訳でもブリザードが吹き荒れているという訳でもないのにこの寒さは少し異常ではなかろうか、思わず確認したステータス画面の環境表示では周辺の気温設定がマイナス30℃を示していて軽く慄く。
「あばばばば」
「栄司くん、大丈夫?」
冬を侮っていた栄司は見事に北国の洗礼に遭い、冷気の持続ダメージで青くなったライフゲージが徐々に削れて行っている。栄司の格好は何層も重ねた生地をコート状に仕立てた軽めの服で、露出面積は少ないのだがこの寒さの前では無力なようだ。そもそも冷気耐性がついてないのだからこの雪の中では無力だろう。
「下調べをちゃんとしないからだ」
「反省してます、反省してるから誰か助けてくれ!?」
そうは言っても重量的に防寒具は結構嵩張るのだ、このゲームのシステムインベントリはアバターの体格にレベルや筋力、体力、スキルの補正を加えて所持限界が決定し、その限界までならアイテムをデータ化して格納できる仕様を取っている。生憎とこの中で所持限界に余裕があるのは盾型前衛のメイリと速度型前衛の栄司だけ。他は全て貧弱な魔法系、僕に至っては重量超過でインベントリに入りきらない分をバックパックに詰めて運んできたのだから。
インベントリは所持限界までならデータ化して放り込んでおけるアイテム欄。重さを感じない、サイズは関係ない、手が塞がらないなど便利だがあまり所持量に余裕が無い。対してバックパックはアイテムをその形状のまま袋に詰めておけるアイテム欄だ。袋の大きさ以上のものは入らないし重量も感じるが、気合と根性でいくらでもアイテムを持ち運ぶ事が出来る。
普段はスクロールや札などの軽く嵩張らない物を入れるために使われるバックパックに、コートを詰め込んできた時点で僕のインベントリに全く余裕が無いのは解ってもらえると思う。伊吹とミィさんも似たようなものらしく、可哀想なものを見る目で首を横に振った。
となると、最後の希望はメイリへと託される事になるのだが……。
「サンちゃん寒くない? これ飲むと温まるよ」
僕の視線をどう解釈したのか、白い息を吐いて手渡してきたのは透明な一〇〇ミリリットルサイズの瓶に詰められた赤い液体、ヒートドリンクだった。消耗品とは言え出回ってる数が少ないから結構高いんだけど、貰ってもいいんだろうか? 後で身体で払えとか言われないだろうか。
『貰ってもいいの?』
「うん、サンちゃんが寒い思いしたら可哀想だと思って買ってきたものだから、あげるね」
そう言って微笑むメイリの顔はとても優しげだった。取り扱ってる露店を探すのも大変だったはずだし、計画を立てた時から少しでも快適に過ごせるようにと準備していたんだろう。メイリは言動は残念だが、色々と気にかけてくれるし優しい所もあるから嫌いになれない。
「メイリさーん、ここにも寒がってる子がいるんですけどー!」
「サンちゃんの分しか買って来てないわよ、
別にいいじゃない、ゲームなんだから風邪も引かないし、寒いからって何か減るもんでもなし」
まぁ、優しいのは小さな女の子限定のようだが。
「減ってるから! ライフがガンガン減ってるから!!」
人からの好意を右から左へ流すようで非常に気が引けるのだが、ここでぐだぐだしていても全員で寒い思いをするだけだろう。かといって今更戻ってまた飛行艇を使うというのも何と言うか、やる気を思い切り削がれる。それにこのまま僕が飲んだら不満を溜め込んだ栄司にネカマである事をばらされかねない。それは非常に厄介だ。
『メイリ、これエースにあげてもいい?』
「サン、お前……」
「うん、サンちゃんにあげたんだもの、どう使ってもいいよ」
なのでドリンクは今一番必要としてる人に渡すべきだろう、僕も一応持ってきているから無くても問題は無い。僕の提案を受けたメイリは意外にもすぐに納得してくれた。元から僕が渡すことを想定していたのかもしれない。という訳で震えている栄司にドリンクを手渡す。
「おぉ……心の友よ……!」
何故か感動した様子の栄司に抱きしめられそうになったので、バックステップで回避する。いつからこいつはガキ大将にクラスチェンジしたというのだろう、僕は暑苦しいリサイタルに付き合うつもりはない。攻撃を外した栄司は一瞬不服そうな顔をしたものの、気を取り直して一気にドリンクを飲み干す。
「あ、トマト味……。
……おぉ、すげぇ、本当に寒くなくなった」
その味は意外だった、てっきり唐辛子系の物だと思ってたのに。別にそれが理由で飲まなかった訳じゃないが、流石はプレイヤーの生産品、効果は抜群のようで、冷気による持続ダメージがなくなっているようだ。対地形ドリンクの効果は数時間ほど持つそうなので、これで暫くは平気だろう。
「エース、これでサンちゃんへの借りが一つ出来たわね」
「え、あっちになのか!?」
謎の策略は無視する事に決めて、先ほどから地図を出してにらめっこしていた伊吹組に混ざる。あちらは放っておいてもいいだろう。そういえば結果的にメイリを騙しているというのに、なんで僕は平然としていられるんだろう。こういうのは嫌いなはずなのに……いや、少し違うか、嘘をついている事に罪悪感は覚えてる。でも、あれ、僕、彼女を騙しているとは思ってない?
ぞわり、と肌を苛む冷気とは別の寒気が背筋を駆け登る。まさか身体に馴染んできたせいで、心のどこかで自分の現在の身体を受け入れて、肯定し始めているとかではないよな。
いつからだろうか、内心でネカマだという嘘をついている事に罪悪感を覚えつつも、彼女の少女に対する好意を受ける事に抵抗がなくなってきたのは。他人から好意を向けられるという心地好さに酔って、現状に慣れていってしまっていたのだろうか。
頭を振って考えをふるい落とす、全く嫌な想像だ。少女としての自分を肯定してしまったら、もう二度と元に戻れなくなるような気がする。メイリとの距離感はもう少し考える必要がありそうだ。
彼女の一種無私に近い好意という蜜は、今の僕には少しばかり甘過ぎる。震える身体を抱きしめると少しでも気を紛らわせる為に相談に参加しようとして、伊吹の袖を引っ張り自分も見せてくれとテキストを打とうとする。
「あぁ、まず泉を見に行こうって話してたんだが、他に何も見付かってないしな」
しかし当の伊吹は僕が袖を引くと、殆どタイムラグを置かず地図を僕に見せ赤い丸でマーキングされた場所を指差してくる。まさかとは思うが、本当に心を読んでるんじゃないだろうなこいつ。
「いや、別に読んでいない。 お前の性格を踏まえた上で表情と仕草を見れば大体解るだけだ」
「伊吹くん、よく解るね……」
「"今"は割と表情が出てるからな、"昔"よりかは解り易い」
読心術によってばれている可能性が無い事が判明してほっと胸を撫で下ろす。自分でも馬鹿げた想像だとは思うがここまで心を読まれたような対応をされると疑わざるを得ない。僕は超常現象の類がこの科学全盛の世の中にだって、確実に存在している事を良く知っているのだ。何を隠そう僕自身がその被害者である限り、そういった超能力の類を否定する気は全く起きない。
「そうなんだ、良く見れば私にもわかるかなぁ」
「?」
そんな事を考えていて、気付けばミィさんにじっと顔を見詰められていた。一体どうしたというのだろう、雪でもついてるのだろうか? 頬を拭って見てもコートの袖が厚いため濡れてるかどうかの確認も出来なかった、訳も解らず首を傾げる。
「……どうしよう、可愛いって事しか解らなかったよ」
「まぁ、慣れてなければそんなものかもな」
何だというのだ一体。
★2012年11月23日/誤字、表現の修正