Contact.0-5 いざ、町の外へ
「えーっと、サンちゃん? こっちにきてお姉ちゃんとお話しない?」
朗らかな笑みを浮かべて僕のキャラクター名、『Sun』を呼ぶ少女、名前を『メイリ』、年齢は栄司達と同級なので僕と同い年、16歳の高校生という事だった。今は先ほどまで栄司を叩きのめそうとしていたのが嘘のような爽やかさを醸し出している。
何でも普段から淑女を公言して憚らない彼女は、栄司がこのゲームで数少ない幼女プレイヤーを泣かすような真似をしたと判断した瞬間、頭に血が昇って暴走してしまったらしい。誤解が解けると、栄司に対してすぐにちゃんと謝っていたので、突っ走り気味ではあるが悪い子ではないのだろう。
「あぁ、隠れてこっち伺う姿もかわいいにゃぁ……」
「……サン、大丈夫だ、こいつは実際に手を出すような真似はしない、多分」
「…………」
それのどこに大丈夫と言える根拠があるのだろうかと、酒場の隅にある柱に隠れて様子を伺いながら僕は思う。因みにログアウトボタンは割とすぐに見付かった、結局使い損ねたが。
「そ、そうだよ! 同意無しでは絶対に変な事しないから!」
「同意があったらすんのかよ……」
同意があったらするんかい……心のツッコミが栄司と被った、こういう時だけシンクロしても仕方ないというのに。彼女は恐らく悪人ではないが、少なくとも僕にとっては第一級の危険人物な事に変わりない。飢えた狼の眼前へと、自ら身を投げ出そうとする赤頭巾がどこにいるというのか。
まさか身内以外で初めて名前を知ったプレイヤーがこんな変態だったとは、VRMMOとは僕の想像を超えるほど恐ろしい世界だったようだ。
「何となく考えてる事は解るが、こいつは特殊な事例だからな」
伊吹がフォローをしてくるがそんな事は解っている、ロリコンが大勢居るなら僕は即座にこのゲームを引退する。しかし一発目にその特殊な事例を引き当てる時点で、不吉さを感じて止まないのだ。
「……」
とはいえ、このまま牽制しあっていてもらちが明かない。仕方なく心のデフコンのレベルを引き上げながら彼女との距離を近づける。目算でざっと一〇メートル、先ほどまで駆使されていた彼女の運動能力を考えればここが阻止臨界点。これ以上近付いたら僕の反応速度では襲い来る猛獣に対処できない。
「近くで見れば見るほど可愛いなぁ、何よこのアバターの完成度!
あぁもう撫でたい! 抱っこしたい! ほお擦りしたいぃぃぃ!」
突如として両手を頬に当ててくねくねと不思議な踊りを披露する彼女を前に、僕は正気度を吸い取られないようにと、阻止臨界点を三mほど延長した。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.00-5 『いざ、町の外へ』
「そういえば、サンちゃんの格好って魔法系だよね、どれにしたの?」
あの後は彼女も落ち着いたのか一定の距離を保ってくれたおかげで特に何事も無く、僕のレベル上げに付き合うと言い出したメイリさんを加えた4人で人波を突破し、無事にチュートリアルクエストを受ける事が出来た。そのまま東門からクエストの場所の平原に向かう為歩いている時の事、メイリさんが不意にそんな事を聞いてきた。
『エンチャンター、付与特化です』
「へー、珍しいね……」
手をかざして出したメニューからテキスト入力欄を引っ張り出し、文章を打ち込んで表示させると彼女は少し困ったような顔をした。別に付与特化エンチャンターは地雷職という訳ではないはずだが、何か彼女の顔を曇らせる要素があったのだろうか?
「メイリ、なんか急に元気がなくなったな」
僕とメイリさんの間に立つ栄司も同じ感想を抱いていたようで、どことなく元気のない彼女を心配しているようだ。メイリさんは一瞬だけ僕の顔色を伺うと、少し寂しそうに言った。
「いや、うん、確かにちょっと暴走しちゃったのは確かだけど……嫌われちゃったのかなぁって」
「?」
「そうかぁ? そこまで嫌ってないように見えるぞ、警戒はしてるけど」
僕は思わず首を傾げる、警戒こそしているが別に嫌っている訳ではないのだが、少し露骨に距離を取りすぎただろうか? 栄司も別に僕が彼女を嫌ってない事に気付いているのか頭に疑問符を浮かべていた。
「うん、いや、何と言うか、さっきから一言も口利いてくれないし……」
――――あぁ、なるほどそういう事か。彼女と出会ってから僕が一言も喋らずにチャットだけで発言している事が口を利くのも嫌という意思表示に見えたらしい。基本的にゲームは音声チャットが主流となっている。この辺も性別詐称プレイ、所謂ネカマが出来ない理由の一つであり、現状では音声も素の声のまま出てしまうので性別だけ弄ってもすぐバレてしまう。そんな事情もあって、テキストチャットをメインに使うようなプレイヤーはまず居ない。
「あぁ、違う違う、こいつは喋れないんだよ」
「へ?」
苦笑しながら栄司が言うと、メイリさんの目が丸く見開かれる。
『昔色々あって、心因性の失声症だとかで声が出なくなっちゃったんです
ゲーム内ならひょっとしたらーと思ったんですけど、やっぱり無理でした』
「え……あ、ご、ごめんね私、全然気付かなくて……」
補足するように僕が続けると、彼女の顔は拙い事をしたと言わんばかりに引き攣り、途端に申し訳ない顔で僕に頭を下げてきた。これについてはもう一年ほど前に『なってしまったものは仕方ない』と自分の中でケリを付けているので気にはならない。しかし他人からすると気にしてしまうだろう、うっかりしていた。
『気にしなくて大丈夫ですよ、
僕も栄司達以外と話すの久し振りだからうっかり伝えるの忘れてました
だからテキストオンリーで失礼します』
「う、うん……解った、よろしくね? ……それにしてもしっかりしてるなぁ」
納得してもらった所で新たな疑問が噴出する、彼女は僕を何歳だと思って相手しているのだろうか? なんか友達の妹さんポジションの扱いをされている気がしてならないのだが。念のため伝えておいた方がいいだろう。
『あと、僕これでも16ですから、同い年ですよ?』
「へぇ、そうなんだ意外と……ええええええええ!?」
東門前の広場にメイリさんの絶叫が響き渡り、またしても周囲の注目を浴びる事になってしまった。僕がこの世界で目立たずに過ごす事は無理だと言うのだろうか……。結局また説明に時間が取られる事になったのだが、最終的に元々驚くほど小柄だったと二人に口裏を合わせてもらう事になった。バグ利用者でネカマなんて情報が広がったらそれこそ取り返しが付かないほど悪目立ちしてしまうだろう。
身を守る為とは言え、また一つ積み重なった嘘の山に僕は人知れず溜息をつくのだった。
◆
東門の出来事から一〇分くらいは過ぎただろうか、僕は草原に寝転がって空を見上げていた。風の感触や匂いまで人工的に再現されているようで、頬をくすぐる風や、運ばれてくる草花の香りが本当に外に居るように錯覚させてくれる。こういった部分を作る為に何人ものプログラマーが必死で作業をしていたというのだから、頭が下がる思いだ。
あぁ、このまま昼寝でもしてしまおうかと目を閉じた。
「あぁっ!?」
「ッ!!?」
しかし横っ腹に体当たりをかましてきたリーフ色の半透明な兎型スライムに吹っ飛ばされて再び草の上を転がる、どうやら現実逃避はさせてくれないらしい。
―――そう、僕は今最初の平原でゲーム中最弱のモンスターに狩られているのだった。
東の草原に出るのはゼリットと呼ばれる、『エーテルフロンティア』内で最弱の位置にあるマスコット用モンスター。簡単に言ってしまえばデフォルメされた兎のような形状のスライム。見てる分には可愛いが、今の僕からすると間違っても可愛いとは思えない。
「あー……やっぱり無理そうか?」
最弱の名は伊達ではなく、少し離れた場所では剣士らしき少年が3体相手に大立ち回りしているし、別の場所では弓を持った少女が中々の命中率で離れた場所からゼリットを屠っている。どちらも初心者装備をしているし、間違ってもこいつらは強い敵ではないはずだ。
「~~~!!」
つまるところ原因はこちらのほうにある。プライドの破損を恐れずに表現するなら僕自身が弱すぎるのだ。まず一二〇センチ程の僕にとって、初期装備として貰った全長八〇センチほどの剣は大き過ぎる。筋力も足りてない上に剣の心得もない以上、振り上げるのですら一苦労。そして最弱と言えども魔物は魔物、そんなのろのろした動きで大人しく当たってくれるはずもなく、先ほどから隙をついては体当たりされている。
ダメージはそこまで大きくないし、体感する痛みも精々突き飛ばされたくらいでしかなく大した問題にはならないが、最弱モンスターに良い様に弄ばれる事による精神的ダメージは致命傷に近いものがあって、早くも心が折れてしまいそうになる。初クエストはこいつらを一〇体倒すと言う物なのにまだ一体も自力で倒せていない。
その上、草原をサッカーボールのように無様に転がされているのだ、泣かずに我慢しているだけ偉いと思う。かといってこの段階から栄司達の手を借りるのはあまりにも情けなさ過ぎる。せめて一体くらいは自力で倒したい。そう思って三人には見守るよう頼んでいたのだけど……。
「はぁ、見てられん、メイリも限界が近いし、いい加減助けに入るぞ?」
「サンちゃん!すぐ助けてあげるからね!」
あまりの惨状に業を煮やした伊吹がゴーサインを出してしまった。正直限界だったので助かるのだけど、色々と悔しさは隠し切れない。
そういえば結局彼女が僕を子ども扱いさせるのは直せなかった、折角口裏を合わせたのに二人が曖昧な頷き方をしたせいでそういう風に見せたい背伸びしちゃってる子と認識されてしまったようだった。流石に上手く行くとは思ってなかったが、たまには偶然成功しちゃったりしてもいいんじゃないだろうか。
「はぁぁぁぁ!!」
伊吹からのゴーサインを受けるとすぐに片手剣を構え、大型の盾を構えたメイリ(呼び捨てでいいと言われた)が突っ込んできて、突進の勢いのままに盾でゼリットを殴り飛ばした、途端に弾けて飛び散る様はどこか儚くて、ほのかにグロい。数分かけて散々僕を嬲った敵の最後だというのに、何故か同情が湧いてしまうのはあまりにも一方的な光景だからだろうか。
よく解らない感傷に浸る僕の視界の隅で、クエストの進行具合を示すウィンドウの文字が変化した。パーティを組んでいるおかげで彼女が倒したものも僕が倒したものと認識されたようだった。ただしレベル差のせいでモンスターの経験値自体は殆ど入っていない。
「大丈夫?」
「……」
立ち上がってこくりと頷くと、メイリは僕が自分でやるより早く膝やお尻についた草や埃を叩き落としてくれる。大気に舞い散って消えていく埃のエフェクトを見ながら、こんな細かい所まで凝っているのかと感心しきりだった。有志が数百人がかりで数年の開発期間を要したという話も納得の一言だ。
「振り回せないなら突きの方がいいかもね……リバー、バインド出来る?」
「問題なく」
「それじゃ私とエースが引っ張ってくるから、それをバインドして一匹ずつ倒していきましょう」
「了解っと……雛鳥に餌を運ぶ親鳥の気持ちってこんな感じなんかね」
テキパキと指示を出しはじめたメイリに従って、栄司は肩を竦めながら遠くの方へ歩いていく、伊吹は僕の隣で難解な文字で書かれた表紙の本を手に取る。動きを確認したメイリが盾を大きく振り上げると、急に盾が赤く輝いて――
「はぁっ!!」
ドンッっと叩き付けるような効果音と共に、赤い光の波紋が周囲に拡散する。範囲は彼女から数えて二〇歩分……十二メートルくらいだろうか。そこにいた数匹のゼリットが弾き飛ばされると同時に頭の上に怒りマークを出してこちらに向かってきた。……比喩ではなく本当に頭の少し上部分に白い噴き出しの中に書かれた赤の怒りマークが表示されている。
「ナイトの盾スキル、≪タウント≫よ」
メイリは飛び掛るゼリットを盾で器用にいなしながら、こちらにウィンクを飛ばしてくる。物理の万能選手であるナイトの中でも彼女は盾型なのだろう。よくよく見れば盾も堅牢そうな良い物を使っているようだった。もしかして結構レベル高いのでは……?
僕の疑問に答えが出る前に、今度は伊吹が本を開いてページの上に手をかざす。光の粒子が本から溢れて空中に幾何学的な紋様を画き出す。本から舞い落ちる光の波紋は美しく空間に融けて行き、また別の波紋を作る。その光景は正しくゲームの魔法を使い際に出てくるエフェクトそのもので、思わず見蕩れてしまった。
「それで、これがウォーロックの魔法だ……≪スパークウェブ≫!!」
紋様がまばゆい金色の光を放ったかと思えば、雷鳴をとどろかせて、無数の光線が複雑な軌道を描いて飛んで行く。怒りに我を忘れているモンスターはあまりにも速いそれに気づく間も無く打ち抜かれ、全身に雷光のようなエフェクトをまとってぶるぶると震え始めた。痺れているようで動く様子はない。
「さて、サンちゃんどうぞ?」
「……」
盾を地面に突き立てて微笑むメイリに向かって頷くと、僕は親鳥が運んできた餌を眼前に剣を振り上げる。恨みは……なくもないが、僕の経験値のためにどうか安らかに眠って欲しい。つぶらな瞳でこちらを見る姿に妙に罪悪感が刺激されつつ、僕はその剣を振り下ろしていった。
◆
メイリが敵を集めて、伊吹が固めて僕がトドメを刺す。いっそ清々しいまでの養殖戦法を始めて早くも10分。2人のお陰で受けてきたクエストを全て達成する事が出来ていた。僕一人だったらこのうちの1つですら達成は困難だったに違いない、というよりはゼリット達に転がされ今頃は復活地点の教会で不貞腐れていた可能性が高いか。
狩りも一段落つき、適当な木の陰に座りながらこれからのマゾすぎる道のりを思って軽く欝になっていると、メイリが遠くを見ながら不満そうな表情を作った。
「それにしても、あいつ一体どこまで行ってるのよ」
「そろそろ10分か? 草原の端までいける時間だぞ」
そういえば栄司はあれから一度も戻ってきていない、用事があって抜けるとかなら連絡は来ているはずだし、フレンドリストを確認すると確かにログインしていてこの草原に居るようだった。
『知り合いとあって話し込んじゃってるとか?』
「まぁ可能性はなくもな……い……が?」
比較的、可能性が高いものを挙げてみる。同意しかけた伊吹が固まり、次第に唖然と言うべき表情を作りだした。何だろうと思ってメイリと共にその方角を見てしまったが故に、僕達も彼と同じようなリアクションをする破目になってしまった。
草原の遥か彼方からこちらに向かって走ってくる栄司、それはいい。問題はその後ろだ。少なく見積もって一〇メートルはあるだろう大木が何故か二本の足……いや、根だろうか。それを器用に動かして走っていた。あれは初心者フィールドに居ていいモンスターじゃない。奴の名前は『フォレストウォーカー』その名のとおり森を徘徊する樹木型モンスター、その中でも特に強力なフィールドボスと呼ばれるもの。
僕がwikiで狩り場を調べている時に情報を見た事があるモンスターだった。それは初心者フィールド横にある≪深緑の森≫の初心者キラー。圧倒的なリーチと高い耐久力で持って、レベルも上がり装備が揃って脱初心者を果たしたプレイヤー達にこのゲームの厳しさを教え、戒めてくれるモンスター。プレイヤー達から畏怖とトラウマと僅かばかりの尊敬を込めてウォーカー先生と呼ばれている、そんな存在が其処に居た。
「「なんつーもん連れてきてんだ!?」」
2人の叫び声を聞きながら、某スレに貼られていたウォーカー先生の凄い所と言うコピペの一文を思い出す。『森から出れば安全だと思ったら草原の端まで追いかけてきた』……シームレスであるが故に、モンスターが隣接するフィールドに入り込める、連れて行けるという仕様が最悪の方向で発揮されているようだった。
逃げちゃダメなんだろうか、これ。
★2012年11月23日/誤字、表現の修正