Contact.ex3-2 水神の祝宴
危なかった、本当に危なかった。
V字の餌食になる寸前の僕を救ったのは、偶然にも通りがかったすあまさんだった。彼女はそのありあまる戦闘力を奮い、人形遊びに興じる魔女たちのサバトから僕を連れ出してくれたのだ。己の犠牲を厭わない献身的な姿勢、もしかしたらすあまさんは聖女だったのかもしれない。
すあまさん、ありがとう。影でおっぱいオバケとか呼んでてごめんなさい。
あなたの犠牲は忘れません。
□
とはいえ、めでたしめでたしでは終わらなかった。
通りすがりのすあまさんに猫姫さんとモケさんの相手を任せ、ミィとメイリは僕のコーディネートに精を出し始めたのだ。
「やっぱこっちのが良いかしら」
「うん、シンプルな方が似合うねー」
ミィが持ってきたのは少し大人びた感じのセパレート水着、メイリが持ってきたのは可愛らしい子供が好きそうな水着。最初は色を使いまくったものを着せられていたけど、三人揃って微妙に首を傾げる事になった。
なんというか、僕が全体的に白いせいで明るい色は自己主張しすぎるのだ。
照れながら意外と満更でもなさそうなすあまさんに、アダルティな水着を押し付ける猫耳ふたりとは違い、メイリたちは普通に"似合う水着"を探してくれているのが救いだった。
横目で見ながら、新しく渡された胸元にひまわりの飾りがついた、青地のセパレート水着を受け取り、試着用のアイコンを押して着替える。ゲームの仕様によって一瞬で着替えられるのでとてもありがたい。着替える行程がなくてスムーズに変えられるのもいい。
「こども、っぽい?」
「むしろ、子供らしいほうが魅力的だと思うよー」
鏡を覗き込み、腰についたフリルをつまんでみる。髪の毛を頭の左でサイドテールにしてまとめているせいもあって、何だかとても子供っぽい幼女の姿が映った。おろしたら大人っぽくなるかな。
「これはどうかな」
次にメイリから渡された水着を試着してみると、普通な感じだった。優しい色合いのオレンジ色の、丈の短いオーバーオールみたいな服が上着、その下にパステルオレンジのビキニで構成されているらしい。鏡に映るお腹の部分が楕円形に白くなっていて、なんだか熊みたいだ。……よく見たらお尻に丸いしっぽついてるし。
「はいこれ」
わくわくした様子で手渡されたのは、丸っこくてふんわりとした熊耳だった。ジト目でメイリを睨みながら試着する。小さい熊っ子が出来上がった。
全力で趣味に奔ってるよねこれ、メイリの。
「あはは、可愛いー!」
「うんうん」
何でどんどん子供っぽい方向へ走って行くの!
もうちょっとこう、中間的なアレがあるだろうに!
頬をふくらませながらふたりを威嚇しつつ、試着を解除して棚に触れてリストを出す。こういった店舗では陳列棚にはサンプルが飾られていて、手で触れることで試着用の水着を取り出せるシステムになっていた。コピーは着心地だけ確認したい人用で、店の敷地から出ると消えてしまうようになっている。
指先で商品リストをスクロールして、良さそうな水着を何着かコピーする。
「おー、サンちゃんやる気だねー」
外野の声を聞き流しながら、取り敢えず一着目を装備してみる。
黒いビキニ……露出多い上になんか胸元が寂しい、ダメか。
腰にたっぷりとしたフリルがついたパステルピンクのワンピース……あざとすぎる。
あちこちにリボンのついたビキニ……ゴテゴテしすぎ。
何着か試してみたものの、中々しっくり来るのがない。
「どれも可愛いのに!」
割となんでもいいらしいメイリは無視してミィに視線を向けてみる。ミィは少し悩んだ後に人の集まっている別の店舗の棚から、一着の水着を持ってきてくれた。ここらへんはフロア自体が共通の商店として処理されるので、フロア内の試着は割と融通が利くらしい。
イメージとしては間借りしたスペースを使って委託販売しているのが近いだろうか。
アダルティなのも違う店から持ってきた水着だったのかな、ここの陳列棚にはなかったし。
「これなんかどうかなぁ?」
「んー」
受け取った水着を装備してみる。まず目に入ったのはふんわりとしたフリルがついた丈の短い白のベビードール。薄く透ける生地の向こう側には、白地にピンクの桜模様が入ったワンピース水着のシルエットが見えた。
「いい……」
「思ったより良いねー」
透けているからかアダルティな雰囲気なのに、柔らかい造形と色合いで可愛らしくまとまっている。と、思う。
これ、結構いいかも。装備性能もランク4の平均的な能力値だった。前線マップ以外なら大体いける、プレイヤーメイドの水着としては十分すぎる性能だ。他のプレイヤーに買われない内に売約してしまおう。
「これに、した、みぃ、ありがと」
「どういたしましてー」
「悔しいけど私の負けね……」
「勝ち負けの問題じゃないと思うよー」
幸いにして他のプレイヤーは目をつけていなかったようで、スムーズに購入処理が済んだ。普段使いのローブに着替えて水着の着用を解除する。残念そうなメイリを尻目に、ミィにお礼を言った。
しかし、デザイン的にも性能的にも悪く無いと思うのに、売れ残ってたのが意外だ。
「かわいい、のに、うれない、のかな」
浮かんだ疑問を素直に口に出してみると、ミィが苦笑を浮かべた。
「私たちが着るとねー、ちょっとえっちくなりすぎちゃうんだよねー」
貸りていいかと問うミィに、まだインベントリにしまっていなかった水着を手渡す。流れるような動作で着用してみせてくれた。
「こんな感じー」
「なんかサキュバスみたいね」
……あぁ、よくわかった。
身体のラインがハッキリと出るワンピース水着の上に、シースルーのベビードールの組み合わせなのだ。ボディのメリハリがはっきりした大人の女性が着ると、少しばかり下品というか、変なコスプレみたくなってしまう。
ミィの使っているアバターも、現実の本人ほどでないもののスタイルが良い。メリハリの効いた身体を包む白の組み合わせは、見事にエッチなコスプレをしたお姉さんという雰囲気を作り出していた。
「こんなかんじ、サンちゃんならいけるかなーと思ったんだけど、正解だったねー」
「なる、ほど」
「サンちゃんが可愛すぎるから水着のエロさも浄化されたのね」
照れながら解除して普段着に戻るミィから、水着を受け取るとインベントリに収納する。どうやら色気の欠片もない、このお子様体型が功を奏した結果だったようだ。なおメイリの意味不明な言葉は捨て置く。
可愛いからってだれでも似合うとは限らない、おしゃれは奥が深いなぁ……。
「にゃ、そっちは終わりにゃ?」
その時、すあまさん弄りが終わったのか猫姫さんとモケさんが僕達の方へと近づいてくる。早めに決めてよかった、いじられずに済んだ。ぐったりしたすあまさんに心のなかで合掌しながら、両手を背中で結び、もう用事終わりましたよオーラを出してみる。
ほんとに出てるかはわからない。
「九割ちょっとはね」
「メインはねー、次は私達のだよー」
一体メイリの中で僕の水着選びはどれほどの比重を占めていたのだろう。いや、忘れよう。気にしたら負けだ。疲れ果てて背中が煤けているすあまさんの背中をぽんぽんと叩き、自分用の水着を選び出した猫姫さんたちを追いかける。
結局、全員無難な水着を選んだことに何となく腑に落ちないものを感じつつ、無事に水着選びは終了した。
□
あっという間に時は流れて、イベント当日がやってきた。
「こん、ちは」
「お、サンちゃんだ」
「こんー」
メンテナンス明けと同時にログインして、ギルドメンバーと合流する。学生組も久々に遊べることでテンション高く雑談している。挨拶を済ませて室内を見回すと、栄司と伊吹が話しているのが見えた。足取り軽く近づいていき、無防備な栄司に飛びつく。
「おわっ」
「……本気で幼児化してきてないか?」
「みため、そうお」
見た目相応の振る舞いを心がけてるだけだし。という僕の言葉を聞いた伊吹は可哀想なものを見る目を向けてきた。まったく失礼極まりない。
「段々慣れてきた事が悲しいやら切ないやら」
飛びつかれた栄司も、葛藤の末に今では適当に応対してくれるようになっている。退院直後は一線を引いていたのが嘘のようだ。ぐりんぐりんと頭をつかむように撫で回され、引き剥がされないようにしがみつく。
「みずぎで、ゆうわく、してやる、かくご」
「せめてもうちょっと育ってからやってくれ」
その言葉にはたっぷりとした呆れが含まれていたが、栄司の態度は変化した頃より遥かに軟化している。
姉さんとミィの言うとおりだった。諦めずに女の子的なアクションを見せ続けていた結果、うまく過去の僕と今の僕、男友達と女友達の認識の間にすぽっと収まれたらしい。
うざがられないラインもほぼ把握できた。矢島のおばさんから矢島家の味を教えてもらい、胃袋をつかむ作戦も順調だ。これからも頑張らねば。
「よーし、出遅れないうちに出発するぞー」
ソファに座ってイベントの詳細確認をしていたギルマスが声をあげた。
「メインである超大型ボスはレイド組んで参加、それ以外は自由行動な。
遅刻組や別行動組にも伝達してあるから、基本は現地集合でいこう。
というわけで、今日だけはリアルを忘れて楽しもう! ……今日、だけは!!」
なんかひどく疲れてそうなんだけど、大丈夫かなギルマス。追い詰められて変な犯罪犯さなければいいんだけど。
「サンちゃんの水着姿だけを楽しみに、期末を乗り切ったよ、俺」
必要事項を告げた後、褒めてと言いだけに僕を見るギルマス。残念ながら、提供先は最初から決まっているのだ。
「それ、えーす、せんよう」
「いらんわ」
……いつか絶対に欲しいって言わせてやるからなこのやろう、おぼえとけ。
□
エスカから高速艇で一〇分、短縮された空路を超えて僕たちがたどり着いたのは、新規実装されたばかりの水の聖域≪レメッカ≫。
このマップは大小多数の湧き水があふれる島々で構成されていて、上下左右に流れる水路が陽の光を反射して煌めいている。高所から落ちる水が飛沫をあげて僅かな霧を作り出し、景観を考慮してか空気もかなり綺麗な設定になっているようだ。
『水神の祝宴』と命名されたイベントはここで行われている。人でごった返す港から石畳の街路を進むと、派手すぎず地味でない飾り付けがされた水上の都が目に入った。湖に沈んだ遺跡を土台に街が作られているようで、水上に浮かぶ新しい街並みと水に沈む古い建物のコントラストが物悲しくも美しい。
公式で行われる時間限定イベントはまだ先のため、集まっているプレイヤーは思い思いに会場を回っているようだ。
「凄いなこれ」
「ファンタジーって感じだ……」
同行したギルドメンバーがつぶやくのが聞こえる。今までも幻想的な光景はいくつもあったけど、街として設定されたエリアは比較的普通だった。初期マップから続く街は、プレイヤーが滞在することを想定されているから現実に則した設計をされている……なんて噂もあったっけ。真実はわからないけど、見ていて綺麗だけど拠点にするのはちょっと大変そうに思える。
「どこいく?」
「そりゃあ水着美女がいるところでしょう」
ギルドの方針としては、連絡は取りつつ基本は別行動である。水着姿のアバター目当てなグループ、新ダンジョンに突入したがるグループ、遊園地や観光地を巡りたいグループ。それぞれ仲良い人が集まって方針を話し合っている。
「サンちゃん、滝見に行く? すごいんだってー」
「遊園地も面白そうね」
「先にダンジョン見に行かないか?」
「えー、今行くと重そうだよー」
僕はと言えば、当たり前のようにいつものメンバーで行動することになった。栄司、伊吹、ギルマス、メイリ、ミィ、すあまさんに僕を足した七人パーティ。地味に大所帯なのはギルマスとメイリが僕を取り合ったせいだ。面倒臭がった他のギルメン達にまとめられてしまったのである。
行く先は……主に遊園地派のメイリとダンジョン派のギルマスで意見が分かれているようだ。結構長引きそうかなぁ。僕としては滝を見ておきたいんだよね、目玉地形ってことだし。
意見くらいは言っておいたほうがいいだろうか。
「たき、いきたい」
割りこむようにしてつぶやいた一言に、意見をぶつけあっていたふたりが振り向いた。
「決まりね!」
「そうだな!」
「お前ら……」
ギルマスとメイリの意見が統一されたことで、無事に出発と相成った。呆れ顔の栄司や冷めた目の伊吹を物ともしないふたりは、きっと大物になると思う。
□
水神の大瀑布は、本当の上空に浮かぶ巨大浮島から流れ落ちる水が作り出す超巨大な滝である。設定上の滝幅は二〇〇〇メートル、落差は三〇〇メートルらしい。居住区を更に奥に進み、渓谷を抜けた先にある巨大な湖にとんでもない量の水が流れ落ちている。
打ち付けられた水が霧状になって、湖に沈む神殿らしき遺跡を彩っていた。しかし大きい、近づいたら落ちる水の余波だけで吹き飛ばされそうだ。
「ふわぁ」
リアルで海外旅行なんてしたことないから、荘厳な風景に見惚れてしまった。周囲にひしめく観光者から微笑ましく見られている事に気づいて、ちょっと頬が熱くなる。
「これは予想以上だねー、前に海外旅行で見たのよりすごいかもー」
「落差と水量は世界一の滝より大きいらしいからな、この迫力も頷ける」
というか、皆だってなんだかんだで見惚れているのに、僕だけ微笑ましい目を向けられるのは不公平じゃなかろうか。ただの自意識過剰? いやでも大量の視線は感じるし。
うあ、やばい。人の多さから意識を逸らせようとしてたのに、視線を意識したら心拍が。精神状態のフィードバックを受けてアバターの身体が震えだす。
「……人が居ないとこ行くか?」
視線から逃れるようにしがみついていた栄司から、気遣うような声が聞こえて我を取り戻した。気遣いはとっても嬉しい、でもそのセリフ、ちょっと危ない。
「何を意味深な発言してんだペド野郎」
「こいつが人混み苦手なの知ってるだろロリコン野郎」
ギルマスが絡みにいくものの、栄司の方もこの一年ですっかり慣れてしまったせいかさらりと流す。むしろ弄られすぎてキレたというか、開き直ったというかそんな雰囲気すら感じる。
「でも確かにちょっと人多いねー」
「滝は見れたし、遊園地……は人多そうね」
「狩場も多そうだし、後はダンジョン?
人数制限いくつだっけ、五人? それとも十人?」
気を使ってくれることが嬉しい反面、僕のせいで振り回して申し訳ない気持ちになってくる。
「十人だったはずだから、一度そっち行くかね」
「そだねー、サンちゃん歩けるー?」
「俺が持ってくから行こう、ちょっとやばそうだ」
栄司が身体を屈めて僕の脇の下に両手を差し込むと、そのままぐいっと持ち上げて肩に担いだ。いやこれ余計に視線集まってるんだけど。あ、でも密着してるせいか体温と匂いを感じてちょっと嬉しい。
「ちょっと! もうちょっと丁重に扱いなさいよ!」
「最近、こいつはもうこんなかんじでいいかなって思い始めてきた」
「……うん」
「それでいいのか、サン……」
伊吹、僕もね……取り敢えず構ってもらえたらいいかなって、最近はそう思い始めてきたんだよ。
あきれ果てた様子の伊吹から視線をそらした僕は、栄司の肩に揺られて新ダンジョンへと運ばれていくのであった。