Contact.ex3-0 プロローグ
あの日、僕の人生が文字通り一八〇度変わった事件からもうそろそろ一年が経つ。
最近ではおしゃれや肌や髪の手入れを覚えて、自分ではちょっとは女の子らしくなったかなと思ったりする。そういった生活に慣れる傍ら、来年入る仮想学校へ入学する準備として勉強をしなおしたりと少し忙しい日々を送っていた。
栄司たちは受験を控えてゲームへのログインが控えめに……なったりはしなかった。といっても別に勉強していないわけじゃない。
電子書籍をゲーム内に持ち込めば、実際の本のように手に持ちながら読むことができる。ノートなんかも手書きの文字を電子データとして保存できるため、その機能を活かしてゲーム内で積極的に勉強会が行われている。
この機能によって、ゲームにログインしていても遊んでるわけじゃなく、みんなで勉強しているのだという体裁がなりたつのである。僕の方も誰かと一緒に勉強していると、程よく息抜きが出来てありがたいので参加していた。
激動の夏が嘘だったかのように穏やかな毎日。
去年の事件ではたくさんの物を失った。だけど、きっと僕はそれ以上の物を手に入れた。
一度失った筈の世界は今手を伸ばす先に広がっている。かつては生きているだけだった毎日が、今は楽しく思えて仕方ない。だからかな、夏という季節が前よりも好きになれたような気がする。
もう一度迎えるこの季節は、今度は何を運んでくるのだろう。
胸をくすぐるこそばゆい期待と不安を引き連れて、今年も夏が訪れようとしていた。
□
七月も半ばの事だった。
例年通りに喧しい蝉の声を背景に歩く図書館の帰り道、道中にある駄菓子屋でアイスを見繕っているとポシェットの中に入れていた携帯が震えた。折角楽しみにしていたアイスを選んでいるのに、実に無粋なことだと画面を見て、僕の機嫌は見事に反転した。
通信用アプリを通じて送られたメッセージの送り主は栄司。それだけで心の持ちようが変わるのだから、我ながらチョロいものだと思う。
軽くなった足を動かし、やってくる兄弟らしき小学生たちとすれ違うようにしてアイスボックスを離れた。屋根の影に身を潜めて、上がりそうになる口角を気合で抑え付けながらメッセージを読む。
三年目を迎え、受験勉強で忙しい栄司は最近あまり構ってくれない。
変化が大きすぎる故に悩んでいた微妙な距離感がようやく縮まり、ようやくお互いの立ち位置がつかめてきた矢先の悲劇であった。とはいえ栄司の大事な将来に関わる事柄だけに文句も言えない。
と言ってもアプリを通じて一日に数回は話しているし、ゲーム内でも頻繁にあってはいるのだけどね。……人間の欲望は果てしないもの、話しに聞く恋する乙女の貪欲さを甘く見ていた。まさか身を持って知ることになろうとは、一年と少し前の僕は想像すらしていないだろう。
メッセージの内容は僕もしっかりと続けているVRMMO、エーテルフロンティアの話。ついさっき次のアップデートで追加される新マップと、そこを舞台に行われる大規模イベントの詳細が発表されたらしい。それにギルドでチームを組んで参加しようというお誘いだった。
僕のやることなんて生活習慣の改善と、来年入る電脳学園のために予習と復習をする程度。スケジュールとしては小学校中学年程度の緩々なものだ。せっかく遊べる機会に乗らないなんて手はない。
「おばちゃん、これ」
「はいよ、ピッてしてね」
ニコニコしてしまう顔を抑えきれないままアイスボックス前に戻ると、半世紀以上に渡って国民的な人気を維持し続けているソーダ味のアイスキャンデーを手に取った。店番のおばちゃんが差し出してきた端末にマネーカードをかざして支払いを済ませる。
さて、ゴミ箱は……っと。
「あの、ふくろ、すてたいから、ごみばこ、いい?」
「うえ!? あ、ごめん」
ゴミ箱前でぼうっとしていた少年にどいてもらい包装を捨てて、スキップしないように注意しながら家路についた。イベントの開催は三日後、今から楽しみにで仕方ない。
……そういえばあの少年、顔が赤かったけど大丈夫だろうか?
熱中症になってないといいんだけど。
□
エーテルフロンティアもサービス開始からはや一年目。記念すべき一周年目のアップデートの目玉は清涼な水のあふれる巨大な浮遊島群と、それを舞台にした大規模イベントだった。ユーザーも去年と比べて数倍に増え、サーバーの数も四つに増加しているからか随分と気合が入っているようだ。
運営はフットワークの軽さを活かしてアップデートを繰り返し、不満点や問題点も次々と解消させてきた。ユーザーからの評価は非常に高く、これからをかけてイベントに本気で取り組んでいる姿勢が伺える。
追加されるマップそのものを使った巨大な祝祭は、大きな神社などで行われる現実の大祭を想起させユーザーの期待を膨らませている。未だイメージキャラクターの座を維持している我が姉上様も、本番ではライブをするらしい。
マウスを動かし、予定されているイベントや新マップの詳細に目を通す。
スクリーンショットを見る限り、会場は祭りと言っても縁日ではなくカーニバルと言った雰囲気で作られているようだ。
メインとなるイベントはプレイヤー同士の闘技会とか、新規実装される超巨大モンスターの討伐とか。この辺はヘビーユーザー層向けだろう。
他にだれでも楽しめそうなのは、新マップに実装される水の遊園地だろうか。デザイナーや設計者が随分とはっちゃけたようで、現実では物理的に不可能なアトラクションを作りまくったらしい。
空中を通るウォータースライダーとか、ナイアガラ規模の滝からのフリーフォールとか。高速で泳ぐ水棲の騎獣を使ったボートレースとか……。ゲームだからこそできる、安全性を度外視したアトラクションが目白押しである。
あと気になる点といえば……雰囲気のためか公式では水着装備が推奨されていることだろうか。通常装備でも問題なさそうだけど、探検に際して水中でのデメリットはありそうだ。……水着かぁ。
ん、そういえば……。
脳裏をよぎった不安を解消するために、慌てて外部サイトの取引掲示板を確認する。売り買い掲示板の相場情報を見ると、案の定というべきか、いわゆる水着系アイテムの相場が急上昇していた。
公式側で用意されている既成品の装備というのは、レアドロップを除けば殆ど無い。ゲーム内部での市場を活性化させるという目的で抑制されており、流通している装備品の大多数がプレイヤーメイドの品なのである。
中でも水着なんてものは見た目の問題もあって、完全な趣味装備だ。いくらアバターとはいえ極端に露出度の高い服を着て歩きたがる人なんて、特殊な趣味の持ち主くらいしかいない。従って元々流通量が少なく、更には季節的な問題もあって新しく作る人もいなかった。
しかしここに来ての水中メインマップの実装である、需要が供給を大きく上回った結果、見ている間にもリアルタイムで相場が上がっていくのが見える。
夏のイベントを予見して水着の在庫を集めていた人は今頃うはうはだろうなぁ。
「うー」
悩む、実に悩む。水着は種類自体の特殊効果として水中でのデメリットを大きく軽減してくれる。高性能な水着があれば、探索においても大きなアドバンテージになるに違いない。
僕の手持ちは、以前ギルマスから譲り受けたやたら高性能な白いスクール水着だけ。
性能に関しては無駄に最前線装備レベルなのだけど、見た目が凄まじく不満なのだ。最近ではおしゃれに目覚めつつある身としては非常にいただけない。子供らしい見た目のものしか似合わないと言っても、もうちょっと可愛い物で着飾りたい欲求が出てくる。
そもそも、僕がスクール水着を着て喜ぶのはメイリとギルマスのような特殊趣味の人間くらいだろう。……いや、そもそも僕の水着姿で喜ぶような人種自体が特殊なのか。
だめだ、妙なことを考えたせいで変なダメージを負ってしまった。
ふらふらとベッドへ戻り、倒れ伏しつつベッドの守り神こと兎四郎を抱き寄せる。
うぅ、だけどみんな可愛い水着を選んでくるんだろうなぁ。栄司は別に何とも思わないとわかっていても、見せる以上は着飾りたいと思うあたり僕も随分と馴染んできたらしい。
……よし、決めた。まずは水着の確保をしよう。
兎四郎の長い身体を引きずってデスクへと舞い戻ると、ゲームにログインする準備を始める。
さぁ、戦闘準備だ!
やっちゃったぜ
ちょこちょこ文章修正中