Contact.ex-2 [on]年に一度のお菓子の日
■ちょこれーとらぷそでぃ
緑豊かな公園の中、空に浮かぶクリーム色の雲から、淡いホワイトミルクアイスの雪が降っていた。艶のある小さなチョコのつぶが地面に出来ていたミルクの水たまりに落ちて、小さな白い飛沫をあげる。目の前に広がるメルヘンチックな雰囲気を眺めながら、片手で掴んでいた服の裾を引くと、隣に立つ相棒はげんなりとした表情をしつつ、肩を落とした。
「……見てるだけで胸焼けしそうなんだけど」
「が、まん」
顔をしかめて自分の胸を抑える栄司を頬をふくらませながら見上げ、体重をのせてこちらへ引っ張る。正直、身長が二回りどころか四、五回りは違う栄司がこれだけで動くはずもないのだが、彼は付き合ってくれるつもりらしく脚を動かした。そうして僕たちは、甘い雪の降る中へと身を乗り出したのだった。
☆
僕が女の子になってしまった日から、そろそろ半年が経とうとしている。戸籍に関する手続きやら、健康診断やら生活用品の入れ替えやらで慌ただしく日々は過ぎ、気付けばあっという間に年を越して、二月に入っていた。
二月といえば、お菓子会社の策謀により、男たちの勝者と敗者が格付けられる日があることで有名な時期。そう、クリスマスに次いで負け犬達の嫉妬と怨嗟が渦巻くあの日のことだ。
当然ながらゲーム内でも大きなイベントでもあるその日に向け、カップル用イベントが開催されることになっていた。具体的な内容はプレイヤー同士でペアを作り、指定されたチェックポイントを巡ってスタンプとチョコ菓子を集めるというもの。身も蓋もなく言えばペアでやるスタンプラリー。
ちなみに組む相手の性別は限定がないので、男同士や女同士で参加することも出来たりする。これは基本的に特別な事情を持っているプレイヤーを考慮したものらしい。とはいえ限定がないせいもあってか、イベントのために男同士で涙を隠しながらリア充はびこるエリアを闊歩することになった人たちもいる。そこまでしてこのイベントに参加する理由は何なのだろうと思わなくもないが、そこは個人の事情なので突っ込まないでおこう。
実際の所、大きなチョコレート色の傘をさして寄り添うように歩くカップル達に混じるのは勇気がいるなんてものじゃない。僕は幸い、脅迫する勢いで栄司の同行を勝ち取ったおかげで寂しい思いはせずに済んだけど、相合傘で歩くのはちょっと恥ずかしかったりもする。
「あっ、た」
「これで四つ目か?」
雨の中を進んでいくと、並べられた小さな台に複数のペアが集まっていた。どうやらこのエリアのチェックポイントのようだ。全部で八箇所あるうちやっと半分、一六時から始めて一時間少々なのでなかなか良いペースだ。
「うん、はん、ぶん」
「先は長いなぁ……」
並んで順番を待ち、カードにスタンプを押すと目の前にアイテム獲得ログが表示される。手に入ったのは『スノーアイスブラウニー』、粉砂糖が振りかけられた、ブラウニーに挟まれたチョコレートアイス。
「ちょっと休むか」
「ん」
適当に屋根のあるベンチに座り、暖かい飲み物を取り出して休憩がてら手に入ったお菓子を食べる事にした。包み紙を開くと、可愛らしい一口サイズのブラウニーサンドが現れる。思い切って口に含んで見ると、甘さが舌の上に溶けるように広がった。ミルクベースで作られているらしく、苦味はないがあまり甘くなく、素朴でやさしい上品な味だった。
「……半分食ってくれるか?」
「ん」
冷たくなった口の中をホットミルクで暖めていると、少し悩んだ後に包み紙で半分に折った栄司が片方を差し出してきた。すっかり甘いものが好きな子供口になってしまっているので、僕の方はお腹が許容する限り何個でも歓迎できる。まぁ、前から嫌いだったわけではないんだけど。
「おい、しい」
「美味いんだけどなぁ」
少し不満そうな栄司。朝からチョコ菓子三昧で、ここに来てメルヘン世界のお菓子の国みたいな場所で参ってしまっているのだろう。連れ回してる僕が言えた義理じゃないが、気持ちは痛いほど解る。この身体になる前だったらとてもじゃないが付き合いきれなかったと思うし。
貰ったブラウニーを舌の上に乗せ、冷たさと甘さを十分に楽しんだ後、熱いミルクで流し込む。それから食べ終えた包み紙をトラッシュに移動させて消去した。軽くお腹を撫でて、ゆっくりと冷たい空気を吸い込み吐き出す。お腹に溜まる感覚、肺が冷えるような感覚は現実世界と遜色が無い。吐いた息が白く濁って、空気に溶けて行った。
「ゲームも現実も、すっかり冬だなぁ」
「はる、まで、も、すぐ」
甘さの一切ない熱いお茶を啜っている栄司が、どこかホッとした表情で地面に降り積もるお菓子の雪を眺めていた。いつの間にか白い雪が鮮やかな翡翠色になっていて、手にとって舐めた女の子がミント味だとはしゃいでいる。
この姿になってからの一ヶ月は凄く長く感じたけど、いざ変化を受け入れる覚悟を決めてからは実にあっという間だった。数カ月で随分女の子らしくなれたとは思うけど、やっぱり男の子の考え方をしてしまう部分もあったりとそう簡単には行っていない。
何分と勝手が違いすぎて、姉や母から話を聞く度にちゃんと女の子をやれるのだろうかと不安になってしまう。尤も、今の時代は性別差に厳しくないのだから、無理に女の子らしくする必要もないんだけど。でもやっぱり、好きになってしまった以上は栄司に嫌がられない範囲で女の子やりたいとも思う。
ふと隣に座る栄司の横顔を見上げるように眺める。栄司は僕が告白してからというもの、微妙に距離を置こうとしているようで、前みたいな距離になるにはまだまだ遠い。伺うように見た顔色は、少しだけ疲れているように見えた。
「ごめ、ね」
「んー?」
不意に口から謝罪の言葉が漏れてしまった。落ち着いたつもりで居たけど、色んな意味で初めてのバレンタインデートでやはり浮かれていたらしい。男だった頃はチョコレートなんて姉と母からもらうだけ、しかも姉が配るためのチョコクッキーを作らされていた側であり、みんな一体何が楽しいのかと思っていた。
だけど好きな相手がいると、こんなに違うものかと自分でも吃驚する思いだ。そのせいで栄司を無理矢理引きずり回してしまった。
昔からそこまで甘いものが好きじゃなく、貰ったチョコを家族のおやつに提供していた栄司の事だ、いくら暇そうにしていたとはいえ甘味責めは辛かっただろうと思う。
「むり、やり、つき、あ、って……」
「あー……別に嫌々ってワケじゃないから気にすんな」
言い終わる前に、ぽんっと大きな手が頭に乗せられて、またすぐに離される。見た目のせいか栄司も僕に対する子供扱いが板についてきている。徐々に皆の中から昔の僕が消えていくようで切ないような寂しいような。でも"新しい僕"が認知されることで、思いが遂げられる確率が上がっているようで嬉しいような。
これが乙女心は複雑なのってやつなんだろうか。……なんか違う気がする。
「たまにはのんびり歩きまわるのも良いなって思ってたんだ」
「あまい、のは、や、だけど?」
「だなぁ……」
思い起こせば、みんなレベルアップや攻略に夢中でこうやってフィールドをゆっくり眺めて回ることはあまりしない。折角の仮想空間なんだからもっと楽しむべきなんだと、彼は言っているんだろう。ただ甘いものばかりで胸焼けがするのは仕方ないと、栄司が苦笑した。
「さて、人も増えてきたしそろそろ行くか」
「つぎ、は、あま、ない、い、ね」
「多分甘いんだろうなぁ」
空になったせいか、ミルクの入っていたコップが手の中で消える。法衣の裾についた雪を払って立ち上がると、はぐれないように手を取り合って入り口にあるポータルのところへと並んで歩く。
最近ではゆっくり風景を眺めながら移動できる飛行船の他に、一瞬でエリアを移動できるポータルが実装されている。飛行船では移動に時間がかかりすぎると結構な苦情がいったらしい。個人的にはポータルはどうにも味気なくて、空を眺めながら移動できる飛行船のほうが好きなんだけどね。
「次はどこだ?」
「えーっと……」
ポータルの操作パネルを操り、スタンプカードに載せられている次のエリアへと移動する。次はどうやら北の浮遊大陸地帯、ノースフロートにある、大きな教会が有名な街らしい。
◆
「ひっでぇ……」
「う、わ……」
教会で甘い雰囲気を醸し出すカップルたちに赤面したりしつつ、早くもチェックポイントは七箇所目。ここはチョコの雪の降っていた四番目と同じく、通常エリアに特設ステージが増設された形となっているようだ。元は溶岩のあふれる山岳地帯だったようで、今はすべての溶岩がチョコレートに変わっている。あまりにも強烈過ぎて、漂っている強烈な甘い匂いだけで胸焼けを起こしそうだ。
「頼む、陽向」
「ん」
言われなくても何が言いたいかはわかっている。とっとと済ませて最後のチェックポイントに移動しようというのだろう、正直僕もとっとと移動したい。整備された山道を他のカップルたちに紛れて登って行く。
「あ、サンちゃんだ!」
誰かに名前を呼ばれて顔を上げると、ミィとメイリが連れ立ってこちらに手を振っていた。女二人でペアになって巡っていたのだろう、男同士は色々と悲しいからという理由で多くないが、お菓子目当てに女性同士のペア参加は比較的多いみたいだ。だから、二人が居るのはさほど不思議ではないんだけど……ないんだけど。
「ふた、り、だ」
「お菓子巡りだよー、サンちゃんたちはデート?」
すべて言い切る前にミィによって茶化されてしまった、そこには有無を言わせない妙な迫力がある。相手は年頃の女の子だし、あまり触れないほうがいいのだろう。
「違うから、落ち着け」
「ぐるるるる……」
軽口に最も過敏に反応して唸るメイリから、距離を取りながら栄司が言う。とりあえず僕が迂闊に庇うとまた変な事態になりかねないので努めてあちらを無視する。
「お菓子は好きだけど、これはちょっとやりすぎだよねー」
そういってミィが苦笑をするところを見るに、甘いものが好きな女性から見てもこの地形はきついものがあるようだ。まぁいくらなんでもここまで行くとね。
「最初からここだけならまだしも、今まで散々チョコ責めだったからね」
ため息を吐くメイリはなんとか冷静になったようで、未だに栄司を睨みながら僕を抱きしめようと近づいてくる。するりと姿勢を低くして、伸ばされた腕をくぐり抜け、栄司の背中に隠れる。ちらりと顔を見ると、何やらまた悔しそうにしていた。
「私達はチェック終わったから、さっさと移動する予定だよー」
「サンちゃん達は?」
荒れる気配を察知したのかミィがメイリを抑えるように前に出た。どうやら二人共既にチェックは終わっているようだ。純粋にお菓子目当てな分、のんびりしてる僕達と比べても行動が速いのだろう。
「すぐ、いどう」
「流石にこの場所に長時間はきついわ」
とはいえ、こっちもここに長居する気は無い、長くいたがるのは物好きなというかチョコが好きすぎる人間くらいのものだろう。残念ながら僕達二人は該当していない。
「そっか、じゃあ次でラストだね、ごゆっくりねー」
「次もさっさとチェック終わらせて遊びにいきましょう、ね!」
「こんど、ね」
引き摺られていくメイリに手を振って見送る。僕たちはあえて次のエリアの情報は直前まで得ないようにしてるんだけど、あの反応からするに、彼女達は事前に調査しておくタイプなのだろう。少し楽しみなような不安なような。
「つぎ、は、どんな、だろ、ね」
「さぁ……?」
……どうやら栄司はあまり興味がないようだ。
◆
チェックポイントで配布されたホットチョコを、有難くバッグの中に封印しながら山を降りた。そしてポータルを使い、最後の雪山へと移動する。まさかチョコの溶岩の次はホワイトチョコの山かと戦々恐々としていた僕達だったが、幸いな事に辿り着いた先は普通の雪山だった。
「安心はしたけど、これのどこがバレンタイン?」
「どっち、かと、い、うと、くり、すます」
カップルの姿もまばらだし、あまりバレンタインっぽさ、すなわちお菓子要素はない。首を傾げながらも道なりに雪山を登って行く。いつぞやの森と違って道にあたる部分の雪は浅いため、歩けない自体にはなっていないものの、こうやって雪の中を歩いていると色々と思い出してしまう。あの時は意識してなかった分思う存分甘えられたなぁ。
「埋もれるなよ、探し辛いから」
「じゃ、て、つな、で」
この真っ白い髪は雪に紛れるとさぞ見つけ辛いだろう、冗談めかして笑う栄司に仕返しとばかりに笑いながら告げると、動揺した隙をついて手を取る。
「お前なぁ」
軽く睨みながらも、栄司は掴まれている手を振り解こうとはしない。流石に見た目は小さな女の子である僕にそんな仕打ちをするほど無体じゃない。なし崩しに手をつないだまま進む。暫くすると雪に煙る道の先に木造のロッジのようなものが見えた。
マップ上のクエストマーカーはあの小屋を指しているので、あそこがチェックポイントなのだろう。出入りする人の姿もちらほら見える。雪を払い落としてロッジの扉を開けると、何かの施設のロビーになっているようだった。
ロビーの隅にあるチェックポイントの台へ行き、順番を待ってスタンプを押すと、『ホワイトハートチョコ』と『雪景色の隠れ温泉入浴ペアチケット』というアイテムが手に入った。チョコは普通のお菓子で、チケットは説明文によるとこれはこの施設の入場券で、中は個別になっていてペアの相手とゆったりと雪景色を楽しめるらしい。
ここに来てまさかの混浴である、隣では栄司がうえーと言いたげな顔をしていた。というかこれ男性ペアにとっては嫌がらせに近いんじゃなかろうか、実際に隣を見ていると獲得したアイテムを確認しながら仲良く奥へ入るカップルを、暗い目で見ている男連中の姿がちらほらと見える。
「ど、する?」
「いや……」
チケットの期限は今日中だから使うとしたら今だけだ。個人的には全然構わないんだけどなー、と、ちらりと栄司を見上げて一緒に入りたいアピールをしてみる。……頬を掴んで引っ張りあげられた。
「……帰ろう」
「みず、ぎ、だし」
服の裾を引いて露骨なアピールをしてみる。互いに交わる視線に火花が散る。しばらく見つめ合っていると、周囲の「ロリコン?」と言いたげな冷たい視線と、「そのくらい付き合ってやれよ」と言いたげな暖かい視線が集まってくる。全方位からかけられる瞳の圧力に負けたのか、栄司は深い深い溜息をついた。
説明文によると専用の水着が貸し出されるから温水プールみたいなものだ、何も問題はないだろう。そう言い聞かせているのが傍目からでも解るかのようだ。
「少しだけなら」
「ん!」
頷いた以上はもう逃すつもりはない、大きく頷いて手を引き、入り口へと移動する。扉には縦に切れ込みが入った、おそらくカードを読み込むためのリーダーが備え付けられていた。アイテムリストからチケットを選択して使用すると、手の中にそれとピッタリ合うサイズのカードキーが出現した。
一人ずつカードを差し込んでみると、視界が暗転して次の瞬間には露天風呂の中にいた。お湯の色は透明で、湯気が視界を少し悪くしている。浴槽の隣にはテーブルが置かれていて、飲み物と軽食が用意されていた。アイテムログが更新されているので確認すると、レンタル水着というアイテムがインベントリに放り込まれたようだ。
「おぉ、すげぇ景色」
「ん」
そして目玉である温泉から見える景色は、粉雪がゆっくりとふる雪山だった。時間的にすっかり日は落ちていて、何故か明るい雪の向こうに雄大な星空が広がっている。雪の降る星空という現実ならありえないこの風景は、仮想世界ならではだろう。
早速、栄司に背中を向けてアイテムリストから水着を選択して装着してみる。身体を包み込むような光が弾けると、フリルのついた白いビキニが身体を覆っていた。……スクール水着を着ていた時とはちょっと違う方向で恥ずかしい。
「おさ、き!」
「うぉ!?」
恥ずかしさを誤魔化すために思い切りお湯に飛び込んでみる、お湯の温度は少し熱いくらいで、冷え込んだ空気の中では丁度良い。背後から声が聞こえたのはどうやら水しぶきが飛んでいったらしい。振り返ってみると、トランクスタイプの水着に着替えた栄司がお湯に入ってきているところだった。
「俺もいるんだから飛び込むなよな、飛沫が飛ぶだろ」
「ご、めん」
素直に謝ってからお湯の中に身体を沈めると、栄司は僕のいる側の丁度対面の縁に腰掛けていた。何だか距離を取られているようで嫌だな……。それとなく縁沿いに移動して、なんとか景色を眺めている栄司に気づかれることなく隣に辿り着いた。
さて、これからどうしようかな、などと考えたものの、何だか微妙に気まずい。不意に横を見ると、どうやらこっちに気付いた様子の栄司と目があってしまった。お互いにそれとなく反対側に視線を逸らす。
「綺麗だなぁ……」
「!」
横で聞こえた言葉に一瞬肩がビクッとなってしまった、景色の事だとは解っていてもこの距離で言われるとなんか変な気持ちになる。気を紛らわそうと満天の星空を見上げる。僕達のいる温泉はライトアップされているのに、見事な星空がよく見える。
「いっしょ、に、おん、せ、はい、の、ひ……」
話がしたくて紡いだ言葉は、ちょっと長すぎたようで言葉が詰まってしまう。口をぱくぱくと動かしても声が出なくなってしまった。膝を抱えてお湯の中に沈む。
「そうだなぁ、最後に行ったのは小六の時だっけか」
それでも栄司には伝わったようで、懐かしむような声が聴こえる。形は違えど、またこうやって一緒に温泉に入る時が来るとは思ってなかった、なくしかけたものが一つずつ手の中に戻ってきているようで、嬉しくなる。
「……また一緒に遊びに行こうぜ、現実でもゲームでも、色んな所にさ」
僕が何かを言うまでもなく大きな手が頭の上に乗せられた。思わず栄司の方を向いて何度も頷くと、ぺちりと顔を掴まれた。いきなりアイアンクローとは何をするのだろう。
「ただし、今は男と女だからな、ベタベタするなよ?」
一瞬だけその言葉の意味を理解しそこねて、瞳を瞬かせる。これは、あれかな、僕を女の子として認めてくれたってことなのかな。
「ぷぁっ……そ、ぇは、や、しょく、にゃい」
「お前な!」
回らない舌で必死に声を出しながら栄司ににぃっと笑いかけると、そのままお湯の中に押し込まれそうになった。するりと横を抜けて頭を鷲掴みしようとしてくる魔手から逃れる。栄司は一瞬腰を浮かしかけるものの、見た目を考慮したのか追いかけてくることはなかった。
しばらくお湯を挟んで反対側同士に腰掛けて睨み合っていると、何だか急にくだらなくなってどちらともなくと笑いが零れた。同じお湯に浸かってても、手をのばしても届かないこの位置、これがきっと今の僕と栄司の距離。
……大丈夫、もう焦らない。
好きな人が出来ると、こんなに世界がキラキラして見えるなんて思いもよらなかった。そのせいで随分と浮かれていたんだろう。実際に今も浮かれているには違いないけど、ただでさえハンデがあるのだから、焦りは禁物だってよくわかった。
だけどこのキラキラした世界をずっと……ううん、できるだけ長く見ていたい。だから、いつか自然な形で隣に居られるように、僕は諦めない。
吐いた白い息が雪と混じって消えていくのを見上げて、僕はお湯の中で小さく拳を握った。
◆
「デュエルだあああ!」
「混浴とかマジ許さん!!」
「だから嫌だったんだよおおぉぉぉ!!」
……翌日、ギルマスとメイリを始め一部の変態と、悪乗りした馬鹿共に追い掛け回される栄司を見ながら、ひょっとしたら一番の障害は周囲の環境なんじゃなかろうかという考えが過ったのは、きっと責任転嫁じゃないと思いたい。
せーふ! ぎりぎりせーふ!
※誤字修正1、報告ありがとうございます。
※誤字とか表現とか修正2




