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おんらいん こみゅにけーしょん  作者: とりまる ひよこ。
Contact.08 夏のおわりに

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Contact.8-3 縁日の夜に☆


「よしっ、と、苦しくない?」


 背中のほうで帯をきゅっとしめた母さんが、最後に浴衣の裾や襟を直しつつ訪ねてくる、苦しくもなくきつくもないちょうどいい感じだったので、顔を見て頷いておいた。母さんは満足そうに微笑みを浮かべて、今度は昨日買ったばかりの髪留めを使って髪の毛をアップで纏めてくれた。


 あまり複雑な物はほつれた時に自力で直せないので、あくまで簡単にやってもらっている。黒兎型巾着には自分のお小遣い入れから縁日用にお札を三枚ほど抜きだして入れてある。浴衣のお釣りの中からちょっとだけお小遣いも足して貰えて軍資金は潤沢だ。


「はい、出来た……ふふ、大和の時を思い出すわ」


 母はそういって僕を姿見の前に立たせた。磨かれた鏡面に映りこむのは、浴衣を身にまとった"僕"の姿。そう認識することに、いつからか抵抗はなくなっていた。


 笑顔を作ってみると、鏡に映った僕は少しだけ頬を赤らめて微笑む。自画自賛じゃないけれど、結構可愛いんじゃないだろうか、栄司は褒めてくれるかな。


「日向……うーん、皆から離れないように、遅くなり過ぎないようにね、

 帰りはちゃんと栄司くんか伊吹くんに送ってもらうのよ?」


 母さんも大分慣れて来たのか、僕への接し方が自然になっている。時々女として扱うべきか男として扱うべきか迷っている様子はあるけど、それは僕がまだハッキリしてないせいもあるんだろう。


 うんと頷き、玄関まで一緒に歩いて下駄を履く。からんころんと軽快な音を玄関に響かせて、母を振り返る。


「いってらっしゃい」


 僕はいってきます、と、口だけを動かして家を出た。



   おんらいん☆こみゅにけーしょん

        Contact.08-3 『縁日の夜に』



 やっぱり下駄は少しだけ歩きにくかった。足を痛めないようにいつもよりゆっくりと歩いて、待ち合わせ場所へ向かう。今日一緒に行くのはメイリとミィ、すあまさん。男性陣は栄司と伊吹、それと強引に参入してきたギルマス。彼は一体どこから嗅ぎつけたのか、まぁ別に一緒に行くことは嫌じゃないんだけど。


 そんな訳で僕を加えた七人で縁日を回る予定になっていた、少しばかり人数が多く思えるけど、現地では適度に散会して行動することになるしたぶん丁度いいだろう。


 夕方前の人がまばらな駅前、縁日に行くためか浴衣姿の人もちらほら見かける。待ち合わせをしたミスドまで辿り着くと、既に他のメンバーは揃っているようだった。


 待たせてしまっただろうか。手を振りながら近づく僕を見て栄司は一瞬だけ呆けたように瞳を見開いた。


「うん、やっぱり実際に着てると違うね、すっごい可愛い!」


「似合ってるよー!」


 近づいたところで浴衣姿のメイリに抱きしめられた、髪の毛が頬に触れてくすぐったい。しかし今一番気になる人物はメイリじゃない、その人物を捉えている視界の中、呆けていた栄司の脇をすあまさんが突いているのが見えた、少しだけムっとする気持ちが湧き上がる。


「ほら、栄司君も何か言ってあげたら?」


「あ、あぁ、似合ってるぞ?」


 再起動を果たした栄司の言葉、お世辞だと解っていても嬉しい気持ちは隠せそうになかった。にやけそうになる頬を気合で無表情に取り繕いながら、からんころんと栄司の傍まで行く。


「じゃあ、混まないうちに移動しようか?」


「栄司くんはしっかりエスコートしてあげるんだよー」


 手を伸ばして、栄司のTシャツの裾を指先で掴む。それに気付いたのか栄司は僕を見下ろして苦笑いをした。裾を掴んだまま連れ立って歩き始める。夕闇も間近に迫り、オレンジに染まった町並みを眺めていると、強い郷愁の念が沸き起こる。


挿絵(By みてみん)


 幼い頃から慣れ親しんだ町並み、別に離れていた訳でも見れなかった訳でもないのに、何だかとても懐かしい。


 何気なく見上げた先にある栄司の横顔も夕日で染まっていて、いつもより少し大人びて見えた。



 平間はそれなりに歴史のある神社だからか、縁日は毎年それなりの規模で行われている。境内だけじゃなく商店街の協力の元に周辺の道にも、ところ狭しと露店が立ち並ぶのだ。神社手前まで行くと日本特有の、人でごった返す祭りの風景が広がっている。


「じゃあ私達はギルマスとメイリを確保しておくから」


「栄司くんはサンちゃ……日向ちゃんのエスコートお願いねー?」


「……お?」


 階段の前までついたところで、すあまさんとミィが満面の笑みでそう宣言した。当然ながらメイリとギルマスは驚きの表情ですあまさんに食って掛かる。栄司は突然のことに反応しきれていないようだ。僕も嬉しいような余計なお世話なような、複雑だ。


「は!? いやまて、日向ちゃんをこの野獣と二人きりにするつもりか!」


「そうよ、何かあったらどうするのよ!」


 何かって何があるっていうんだ。すあまさんは呆れたように腰に手を当てて肩を落とし、浴衣の胸部をたゆんと揺らす。……浴衣着てても揺れるってどんだけなんだ。


「"何か"ってアンタ達じゃあるまいし……」


「いや、何かは無いが待ってくれ、

 せめてミィかメイリのどっちか居てくれよ、また誤解されかねないだろ!」


 もう手遅れになってしまっている気がするけど、栄司はまだ誤解を解こうと必死なようだ。


「大丈夫よ、そんな風に見るのはこいつらくらいだから」


「はいはい、お邪魔虫は退散しようねー」


 栄司が急に動いたために身体が離れそうになって、反射的に指先でつまんでいた裾を手のひらで握り込む。それで動きを止め、僕とすあまさん達を交互に見る栄司の見上げて居ると、やがて観念したように僕の頭に手を置いて一言、わかったと呟いた。

 

「あんた日向ちゃんに変なことしたらただじゃおかないわよ!」


「はいはい、話は署で聞くからねー」


 引きずられていく二人を呆れたように見送る。変態はいつまで経っても変わらないもんだなぁ、おかげで僕より変態どもに注目が向かって有難いけれども。


「……じゃあ俺も行くが、一応気をつけろよ?」


「解ってるよ」


 二人にしか解らない会話をすると早々に行ってしまった。いつもは僕だってその輪に混ざっていたのに、やっぱり疎外感を感じる。


「はぁ……行くか?」


 頷いて、寄り添うように歩き出す……試しに手を伸ばしてみたが、気付いているのか居ないのか、繋いではくれなかった。



 わたあめを受け取り、五百円玉を一つ差し出す。屋台のおじさんは毎度ありと営業用の笑みを浮かべて買い物を終えた僕たちを送り出し、次のお客への対応へ戻った。白いふわふわの綿を指先でちぎって口に運ぶ。


 舌の上で転がすと綿飴は一瞬で溶けて、砂糖のチープな甘さが口の中に広がる。たまに食べると雰囲気もあって凄く美味しく感じてしまうのが、このお菓子の不思議な所だ。一頻り楽しんだところで隣を歩く栄司に向かい、綿飴を持っていた手を突きだす。


「ん? あぁ」


 一瞬戸惑ったが意図を察したのか少し引きちぎって口へ運ぶと、苦笑を浮かべた。


「甘いな」


 うん、と頷く。小さい頃はこの大きな綿飴を三人で分けて食べたっけ。独り占めして残してしまうことも多かったから、そのくらいで丁度よかった。今の僕からしてもこの綿飴は……ちょっと多い。


 下手に口をつけて食べるとべとべとになりそうなので、歩きながら指でちぎって食べていく。そのせいで歩みは遅くなったけど隣人との距離は離れないので、栄司が合わせてくれたようだった。この頃は随分と気が利くようになってしまっていたみたいだ。


 不意に射的屋が目に入る。砂糖でべたつく方の手に綿飴を持ち替えて、綺麗な方で栄司の服を引っ張る。


「どうした?」


 こちらを見たのを確認して、子供が集まっている射的を指さした。途端に苦い顔をする。


「……やりすぎんなよ?」


 勿論だ。綿飴片手に二人連れ立って屋台の前まで行くと、見覚えのあるおじさんが栄司を見て露骨に警戒しはじめた。身を乗り出して左を見て右を見て、栄司の顔をずいっと見て、半分睨みながら口を開く。


「今年もあの坊主は来てねぇんだよな?」


「あ……えぇ、はい」


 どんだけ警戒されているのか、もう何年も前に一度だけ三千円で景品全部たたき落としただけだというのに随分な怯えっぷりだ。しかも欲しかったぬいぐるみ二つとお菓子をいくつか以外は全部返したし、そこまで警戒されるのはショックなんだけどな。


「そうか……そうだよな、見当たらねぇもんな……」


 確認してやっと安堵した様子のおじさんをみて、無性に悪戯心が湧いてきた。やりたいというアピールをするために会話中の栄司のシャツの裾を引っ張る、縁日が終わるまでに伸びきらないといいんだけど。


 こちらに気付いた栄司がほんとにやるのかよと言いたげな目で見てくる、そこに映るのはおじさんに対する同情と憐憫の感情。しかしながら出店の射的屋と客はライバル関係であり、彼等は工夫を凝らして落ちにくいように細工を施す。


 それをすり抜けて華麗に撃ち落とすのが、客の礼儀というものじゃないかと僕は思うのだ。長ったらしい持論を視線に込めてみれば、栄司は哀れみの視線をおじさんに向けながら言った。


「ちょっと、こいつが遊びたいみたいで、いいっすか?」


「お、おぉ、お嬢ちゃんがやりたいのか、子供は300円で五発な」


 営業スマイルを浮かべたおじさんに栄司がお金を渡すと、小さな受け皿に乗せられたコルク弾を五個渡される。それを台に置き、綿飴を預けてから並べられたライフルを背伸びして取ると、景品の山に向かい……栄司を振り返る。


「……?」


 首を傾げた栄司にどう伝えようか悩んでいるとおっちゃんが笑った。


「お嬢ちゃんじゃちょっと背が足りねぇか」


「あ、あぁ……」


 それで全てを察したようだ。奴の瞳はまるで空っぽのドッグフードの箱に顔を突っ込んで抜けなくなった犬を見るかのように哀れみが満ち溢れていた。


 失礼な表情をしながら近づいてきた栄司が、僕のヘソの少し下辺りに腕を回し抱き上げてくれる。密着感が増して胸がドキンと鳴った。湧き上がる雑念を掻き消すように頭を振ると、獲物に集中する。


 置かれているのはお菓子がいくつか、様々な人形やゲーム、大きな熊のぬいぐるみがひとつ。すぅっと小さく息を吸って片手を突き出して構えると、キャラメルの箱の上部の右端あたりをかすめるように発射する。


 コルク弾は狙い通りの位置にぶち当たり、キャラメルがぐらつく……が倒れない。


「惜しかったなぁ、お嬢ちゃん」


 腕は鈍っていないようだ、確信が取れたのでもう一発。今度はキャラメルの上端の真ん中、コルク弾一発で確実に倒せる位置に当てる。軽い音を立てて箱が吹っ飛び、地面に落ちた。周囲に居た人たちから微笑ましげな拍手が届く。


「す、凄いなお嬢ちゃん、これ景品な」


 落ちたキャラメルを受け取り、次の狙いを見定める。流石に熊のぬいぐるみは体積的に無理だ。やってやれないことはないけど、最低で一五発くらいは必要だろう。流石にそこまでやると可哀想だし何より荷物になるのでやめておく、他にも色々見て回りたいし。


 今回は――中段の端っこにちょこんと鎮座する小さな白猫のぬいぐるみを保護しようと思う。一目見てから気になってしょうがなかったのだ。


 ……とはいえ確実に落とすためには頭を狙わないといけなくて、猫のぬいぐるみの頭部に銃を向けるのはちょっと抵抗がある。可哀想だけど、ちょっとだけ我慢してもらおう。


 覚悟を決めて猫のぬいぐるみに照準を合わせる、まずは重心を確かめるために一射、下手に掠めると毛が擦り切れてしまうので普通に眉間あたりに当てる。勢い良くコルクがぶつかって、猫が大きく揺れて少し後ろにずれた。


「あー、良い線行ってたんだけどなぁ、惜しい!」


「はは……」


 おじさんの煽りを無視して次の射撃の準備に移る。もう一発、今度は先程より少しだけ上を狙って撃つ。狙い通りの位置に当たり、猫が大きく傾いて、そのままころんと地面に落ちた。


「う、嘘だろおい……」


 小細工なしなら簡単だ。固まっているおじさんに向かってぱんぱんと机を叩いて猫のぬいぐるみを持ってくるように催促する。やっと我に返ったらしいおじさんは慌てたようにぬいぐるみを持ってくると、受け取って頬ずりする僕を無視して栄司を睨みつけた。


「おい坊主! なんだこの嬢ちゃんは!

 まるであの射的荒らしの坊主みてぇじゃねーか!」


「はは、は……」


 目を逸らして乾いた笑いを浮かべていた栄司が僕をジロリと睨む、そのへんにしておけというアイコンタクトだ。僕も猫のぬいぐるみを保護できて満足したので残り一発で適当なキャラメルを一つ撃ち落とし、ゲームを終えた。たまにはこういうアナログなゲームも味があって良いものだなぁ。


「あっ! ……く、も、もう十分かい、お嬢ちゃん?」


 背後で箱が倒れる音を聞いて振り返ったおじさんが、頬を引きつらせながら聞いてくる。これ以上は勘弁してくれと表情が雄弁に物語っている。多分普通の子がやっているならもうちょっと余裕があったんだろうけど、栄司を見て連鎖的に僕の存在を感じ取っているのか一杯一杯みたいだ。


 栄司からも止められているし、このへんで止めておこうと思う。


「そ、そうかい……」


 頷くとあからさまにホッとした様子で胸をなでおろしたおじさんを横目で見つつ。付き合ってくれたお礼にキャラメルを一箱栄司に渡した。おじさんにはこちらこそありがとーとばかりに笑顔で手を振って、ぬいぐるみを抱きしめながらまた歩き始めた。


 次はどこへ行こうかな。



 射的の代金のお礼として焼きそばを奢り、たこ焼きはお金を出し合って半分ずつ食べて、僕達は祭りを満喫していた。辺りはすっかり暗くなって、提灯の灯りが幻想的に辺りを照らしている。はしゃいでいた僕は久しぶりにお祭を満喫した気持ちになっていた。


 だけどこの身体の体力は思ったよりも少なくて、お腹も一杯になったせいか歩くのが億劫になってしまっていた。


「体力ないなぁ」


 うるさい、と睨みつける。僕だって好き好んで……いや引きこもってたら体力なんて付くはずもないか。少しは運動しておくべきだったと反省しよう。


「ちょっと休むか?」


 同意を示したあと、並んで喧騒を離れると本社の階段に並んで腰掛ける。吹き抜ける風が火照った肌に心地よい。


「……久しぶりだよな」


 夜空を見上げながら、栄司が言った。最後に縁日に来たのは……確か小学校六年の時? もう四年近く経つのか。


「いつか、またこんな日が来るって信じてたよ」


 どこか嬉しそうな顔をしている彼になんとなく疑問を抱く。頻度は著しく減ったけど、僕が引きこもってから今までだって一緒に出掛けていたのだから。


「……俺と伊吹だけじゃなくてさ、

 お前が俺達以外と普通に話せる日が……って意味だよ」


 そういう意味でなら、確かにあの日以来初めてだ。時々嫌なこともあるけれど、好意全開で構ってくる彼女たちと話していて、いつの間にか他人と関わる恐怖が消え去っていたみたいだ……。そう考えると何だかんだで可愛がられるこの身体になった事は、決して悪いことばかりじゃないのかもしれない。


 この神社に住んでいた猫にそっくりな、白い毛並みに翡翠色の眼の猫のぬいぐるみを抱きしめる。正直に言えば恨んだこともあった、こんな目に合うのならあのまま死んでいれば良かったと思った事も、無かった訳じゃない。


 だけど今この結果だけを見るのなら、僕は多分……幸せなんだと思う。兎型の巾着袋から携帯を取り出して文字を打つ。


『喉渇いた』


「……は?」


 流石に突然過ぎたのか、栄司はきょとんとしたあと、ちょっと不服そうな顔をする。


「お前な、俺をパシリ扱いはどうなんだ」


『ジュース飲みたい』


 申し訳ないけど、強引に押させてもらう。暫く睨み合っていたがやがて栄司の方が折れて、しょうがないなとボヤきながら立ち上がる。


「ここに居ろよ?」


 僕のワガママを聞いて飲み物を買いに行ってくれた栄司の背中に、心のなかで謝罪の意を込めて手を合わせると、僕も立ち上がって気取られないように本社の裏手に移動した。




 ……どうしても寄っておきたい場所があって、誰かに近くに居て欲しくなかった。例え心のなかで思うだけであっても、傍に居られたらきちんと"報告"出来ない気がしたから。だから栄司には悪いけど、ちょっとの間だけ一人にさせてもらうことにしたのだ。


 変質者も捕まったって言うし、変な視線も感じなかった。だから少しくらいなら大丈夫だろう。


 わずかに届く、並べ吊るされた提灯の灯りだけを頼りに地面を探す、その石は最初に見た時と変わらないままそこにあった。石の目前まで行くと、土がつかないように浴衣の裾を脹脛と太ももで挟みこむようにしゃがみこんで、家からこっそりと紙に包んで持ってきていた煮干を数尾供える。


 ここは多分、僕が終わった場所で、僕が始まった場所……なんだと思う。伊吹の話してくれた伝承が本当だとしたら、猫が僕に新しい命をくれたのだから。だから眠っている猫を思い、石を見つめたまま心の中でぽつり、ぽつりと話しかけた。


――どうして、君は死んでしまったの? 僕のために身代わりになってくれたの?


 無事だったのなら、僕なんて気にせずにどこへなり行けば良かったのに。気にかけてはいたけど特別良くした覚えも優しくした覚えもないのだから。でも起きてしまった事は覆らないし、真実は深い霧の中だ。


――どうして、僕はこんな姿になってしまったの?


 一番聞きたかった事、伝承に則って考えるなら、あの子がメスで子供だったから、僕も小さな女の子になってしまったというのだろうか。科学者が聞いたら鼻で笑うか喜んで調べようと乗り出してくるか、どっちかだろう。


 帰ってこない質問の答えに、問いかけをやめる。解っていることだ、これは全て推測で、正しいかどうかどころか合ってるかどうかの判断すら、僕には出来ない。解っていることだ、もしも全てが本当だとしたならば、僕はこの子に返しきれない恩がある。


 でも……伊吹から話を聞いてから、自分でも不思議なくらい確信があった。きっとあの子が僕のことを助けてくれたんだと、全てのパズルのピースが噛み合ったような、そんな感覚。人に話せば妄想と言われるだろう、荒唐無稽なこの話を、だけど僕は信じていたかった。


 ぎゅっと、白猫のぬいぐるみを抱き上げる。


――もしも、君が僕を助けてくれたのなら。


 ずっと言いたかった事がある。


――ありがとう。


 姿形は変わってしまったけれど、君のお陰で僕は姉と仲直り出来た。親友たちとまた笑い合う事が出来た。変わっているけれど、優しい友達が出来た。辛いこともあったけれど、それ以上に楽しい毎日を過ごせた。


――だから、僕ね、決めたんだ。


 本当はずっと前からそれしか無いことは解っていた、でも認めたくなかった。過去の自分を捨て去ることで、自分が自分じゃなくなるようなそんな気がして。でも違ったんだよね、僕が僕である事は変わらないはずだから。


――君のくれた身体で、女の子として生きてみるよ。


 この子が、僕が生きることを望んでくれたなら、幸せになることが恩返しなんじゃないだろうか。女の子の幸せとか、男の子の幸せとか、僕にはまだちょっと解らない。だけど幸いなことに時間はまだまだ沢山ある。決めることが出来たばかりなのに、情けないとは思うけど……ちょっとずつでいいよね?


 ふわり、と暖かい風が吹いた。


 お供えした物を乗せていた紙が裏返り、煮干を隠す。かぶさった部分をどかしてみると、不思議な事に煮干は綺麗になくなっていた。風で転がったのかと周囲を探してみても、暗いせいか影も形も見つからない。


 もしかしたら、それは返事だったのかもしれない。


 不思議と得体のしれない現象に対する恐怖は無かった。そろそろ戻ろうと空っぽになった包み紙を手に立ち上がる、帰ったら母さんと父さんに伝えて手続きをお願いしよう。それから、……少しだけ甘えさせて貰おう。小さな頃に戻ったようなものなんだから、そのくらいは許してもらえるはずだ。


 そう思いながら紙を折り畳んで懐にしまっていると、ざりっと、背後で誰かが土を踏む音がした。没頭するあまり時間が経ちすぎていたみたいだ、栄司が迎えにきてしまったのだろう、悪いことをした……怒られないといいんだけど、無理かな。


 だけど、恐る恐る振り返った先にいたのは。


 ボサボサの髪を振り乱し、比較的整っていたであろう顔に狂気を貼り付けたまま、暗闇の中で三日月形に口を歪め、歯をむき出しにして笑う男の姿だった。その男には薄っすらとだが見覚えがあった、中学時代に僕に対する嫌がらせを先導していた男で首謀者の一人。


「やっぱり、てめぇ……木崎のクソ野郎の縁者だったのかよ」


 一歩、奴が近づいてくる。その動きで背後から灯りが一瞬差し込むと、奴の手元で何かがキラリと輝いた。ソレの形状が顕になった瞬間、背中に言いようのない悪寒が走る。あんなものを持って近づいてくる奴の目的なんて、想像したくもない。


――葛木(かつらぎ) 荒太(あらた)


 いつか僕を苦しめた元凶の男が今、凶器(ナイフ)を手にしてまた僕の前に立ちはだかっていた。

 

挿絵は一旦仮置き

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― 新着の感想 ―
この展開は王道だね。 人目のつかないところで、警戒心がなくなるヒロイン(笑)
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