Contact.7-4 伸ばされた手
イベントも打ち上げも終わった頃には、時計は既に日付変更線を超えていた。僕はログアウトしてすぐに眠りに就いてしまっていたようだ。トイレに行かずに眠ったせいか、尿意を覚えてまだ暗い内に目が覚めてしまった。
「…………」
あくびをしてふらつきながらベッドから這い出ると、覚束ない身体を引きずって転ばないように廊下に出てトイレを済ます。スッキリした所でトイレを出ると、ついでに少しだけ喉を潤しておこうと階段を降りる。
明かりをつけずにダイニングへ入り、冷蔵庫を開けて麦茶をコップに、舐める程度だけ注いで飲み干す。部屋に戻って二度寝しようと歩き出した所で庭から物音が聞こえた。
「?」
恐る恐る、リビングのカーテンを開いて庭を覗いてみる、暗がりの中で栄司が一人、木刀を素振りしているのが見えた。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.07-4 『伸ばされた手』
意味もなく玄関の傘立てに突っ込んである、昔父さんが出張先のおみやげで買って来た木刀を使っているんだろう。もしかして泊まってからも毎日ずっとやっていたのだろうか、全然気づかなかった。
「…………? うおぁっ!?」
なんとなく気になってカーテンの隙間から覗いていると、何故か僕を見付けた栄司が目を見開いて後退った。失礼な反応だ、文句を言ってやろうとガラス戸を開けて姿を完全に表す。
「ひ、日向か、驚かせないでくれ……」
驚かせるつもりはなかったというか、何で僕を見てビビるのかと、不満を込めて睨んでみる。視線に込められた意志に気づいたのか逆に睨み返された。
「夜中にカーテンの隙間から真っ白い子供がじっとこちらを見ている状況で、驚くなと?」
想像してみる……うん、確かに怖いので素直に謝る為に頭を下げる。栄司がタオルで汗を拭いてる間に、会話を成り立たせるためリビングのテーブルの上からメモ帳とペンを引っ張ってくる。
『邪魔しちゃった?』
「いや、寝付けなかったからちょっと身体動かしてただけだ、
木刀借りたけど大丈夫か?」
『うん、どうせかさ立てのこやしだし』
「そっか」
サンダルを脱いでリビングに上がった栄司は玄関にある元の傘立てに木刀を戻しに行き、ついでにタオルも洗濯機に放り込んでから戻ってきたようだ。
『眠れなかったの?』
なんとなく気になって、聞いてみようとすると栄司は微妙に困ったような顔をした。
「あー、いや……ちょっと夢見が悪くてな」
言葉を濁しているが、なんとなく栄司が思いつめているようにも見えた。こいつもこいつで自分で抱え込むんだから、僕のことを言えないだろうに。
『どんな夢?』
あえて踏み込んだ僕に対して渋い顔をしていた栄司だが、じっと目をそらさずに居ると観念したのか、ゆっくりと話し始めた。
「…………お前が、橋から落ちた時の夢だ」
「…………」
思わず、僕の方が目をそらしかけて、ダメだと自分に言い聞かせてとどまる。栄司はそこで一度話を区切ると、悩んだ末に言葉を続ける。たぶん、一度口にしはじめたら止まらなくなったんだろう、僕にだって覚えがある。
「ずっと、さ、悔しかったんだよ、俺だけ日向の為に何もしてやれてないって、
俺は、お前に助けられてばかりで、お前が困ってる時に何一つしてやれなかったって」
言葉が出ているのなら、きっと否定していたかもしれない。助けられていたのは僕の方だと。でも僕の口は開けども音は出ない、ただ静かに栄司の話を聴き続ける。
「今までも時々夢に見ていたんだ、
血の池みたいな赤い水の中に落ちて行く日向に手を伸ばして、でも届かなくて、
疲れ果てたみたいな顔をした日向が水の中へ沈んで行く……そこでいつも目が覚める」
……僕は、自分勝手だった。苦しんでいたのは自分だけじゃないって、母さんや姉さん達で解っていたのに、栄司も苦しんでいたのに気付くことも出来なかった。
「伊吹は自分の手であいつらを告発して報いを受けさせた、
でも俺にできることは少なかった、何もしてないようなもんだ。
本当に、悔しかった、歯がゆくて仕方なかった」
今だってつらそうに顔を歪めて拳を握り締める栄司に、慰める言葉ひとつかけることが出来ない。
「……なぁ、覚えてるか? 俺達が出会った時のこと」
『うん』
話の途中で不意に振られた話を受けて、僕は小さく頷いた。
◇
僕と栄司が出会ったのは、幼稚園の時だった。その頃の栄司は身体が小さくて色白で、良く悪ガキどもに女みたいに弱っちい奴っていじめられていたっけ。確か僕はそれが気に入らなくて、悪ガキに勝負を挑んで「僕が勝ったらお前らこいつに謝れ!」とか言いながらサッカーでぼろぼろにしてやって、無理矢理謝らせたんだっけ。
今考えると本当に後先考えてない行動だったと思う、だけど栄司は何に惹かれたのかそれからずっと僕の後をちょこちょこ付いて来るようになった。いつの間にかいつも一緒に遊ぶようになって、半ば子分みたいに扱っていたのに文句ひとつ言わずに、傲慢だった僕についてきてくれた。
身長を抜かされたのは小学校に入る頃、その頃には剣道を始めていたようで身体の成長と合わせてどんどん僕より体格も腕っ節も強くなり、いつの間にかスポーツでも勝てなくなっていた。それでも栄司はいつも僕と一緒に居て、誘われて剣道の見学に行った時に入門希望で来ていた伊吹と出会って、三人でずっとつるむようになった。
「俺がさ、剣道始めたのはお前に憧れたからなんだよ」
僕はきっと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているだろう。僕に憧れる要素なんてどこかにあるのだろうか、そもそも剣道とは全く関係がないし。
「俺よりほんのちょっとしか背が高くない日向がさ、
一回りは大きい悪ガキ相手に一歩もひるまずに向かっていって、
ほんとに勝っちまう姿を見て、憧れたんだ」
改めて言われると、武勇伝を語られるみたいですごく恥ずかしい。
「それからも、いじめられっこを助けるためにいじめっこをゲームで負かしてたよな、
挙句の果てによーしお前らこのまま友達になれーとか言って、無理矢理仲直りさせて、
無茶苦茶だなぁとは思ったけど、でもお陰で俺も皆も友達が沢山できてた」
黒歴史を暴露される気持ちがわかった、もう恥ずかしいからその話は終了してもらえないだろうか。
「お前みたいにはできなくても、
せめて弱いやつを守れるくらいには強くなりたいって、
イジメられてる奴の盾になってやれるくらいに、
強い人間になりたいって、ずっと頑張ってきた」
羞恥をこらえて覗きみると、俯いたまま喋る栄司の声が少し震えていた。
「なのに、俺はお前を守ってやれなかった、
ずっと自分が許せなかった、もっと早く気づいていれば、守ってやれたかもしれない、
俺がもっと聡ければ、お前の様子に気づけたかもしれない、
俺がもっと早く動ければ、お前の手を掴むことが出来たかもしれない……!
でも俺は、結局お前を助けることが出来なかった……」
胸が酷く締め付けられるような、そんな感覚だった。僕は、馬鹿だ。
「あの時の、お前の顔が目に焼き付いて離れないんだ、
絶望したような、諦めたような顔をして落ちていく日向の顔が、
それでも、そんな顔をしていても俺に向かって手を伸ばしてるのに、
俺はその手を掴んでやることすら出来なかった!!」
あの事件の時も、今のこの状況も、可哀想なのは自分だけだなんて、そんな風に考えていたかもしれない。苦しんでいるのは僕と家族だけだと思うなんて、何も考えていなかったようなものじゃないか。
「必死で出した手が空を切った感覚は今でも手に、頭にハッキリと残ってる、
いつもいつも、その感覚を思い出す度に俺を責めるんだ」
胸が痛い、視界が滲んで何も見えない。だけど謝ることも出来ない、謝ればきっと栄司はもっと怒る。
「ごめんな、日向、俺は大事な時に何もしてやれなかった、
お前は知らないだろうけど、俺は何度もお前に助けて貰っていたのに、
俺は、大事な時に、お前に何もしてやれなかった」
栄司の声に嗚咽が混じり始めた。
違う、それは違うよ、否定した言葉は何度口を、舌を動かしても意味のある音になってくれない。
『ちかう』
慌てるまま乱雑に書いた文字を栄司に見せる、何度も何度も同じ言葉を。
『ちがう ちがう』
「日向……」
『たくさんしてくれた まいにちあいにきてくれた
いつもいつもわらいかけてくれた こんなことがあったってはなしてくれた』
退院しても部屋にこもって外に出れなくなった僕に毎日のように会いに来てくれて、いつもいつも在り来りな話をしながら、今日はこんなことがあったって笑いかけてくれた。それはきっと入院中からずっと続けてきてくれたこと、漠然とした記憶の中に話しかけてくる二人の姿が残っている。
『そとへつれだしてくれた あそんでくれた』
久しぶりに外に出て、人を怖がる僕を栄司がずっと守ってくれていた。伊吹は気を紛らわそうと色んな話をして、いつだって楽しめるように計画を練ってくれていた。
『こんなすがたになったぼくをしんじてくれた うけいれてくれた
かわらないでいてくれた ともだちだっていってくれた』
変わり果てて、両親すら信じきれなかった僕を信じて受け入れてくれた。たとえ姉の後ろ盾があったとしても、彼らはそれを信じて僕と変わらずに友人として付き合ってくれた。メイリやミィ達に出会えたのだって栄司と伊吹が居たからだ。
『ぜんぶ えいじがずっとてをのばしててくれたからだよ
ぼくがこうやってまたわらったり みんなとあそべるのも
ぜんぶえいじといぶきのおかげなんだよ だからちがうよ』
きちんと伝えないといけない、遅れてしまったけどちゃんと手は届いていたって、だから僕はまたここまで上がって来ることができたんだって。
「日向……」
『えいじ、ありがとう ともだちでいてくれてありがとう
ぼくなんかをしんじてくれてありがとう まもってくれて ありがとう』
もう涙で紙が見えない、ちゃんと間違えずに書けているといいんだけど。
「……俺は、ちゃんと、お前を助けることが出来たかな」
確認するような言葉に、堪え切れずに栄司の胸にすがりついて何度も何度も首を縦に振る。声が出ないのがこんなにもどかしいなんて思わなかった。ちゃんと僕の声で、言葉で伝えられたらいいのに。だからその分、紙に書いた言葉を何度も心のなかで繰り返す。
栄司、ありがとう。
◇
…………あれ?
窓から差し込む光に目を覚ますと、僕の部屋のベッドの中だった、記憶を辿るが、リビングで栄司の胸で泣いていた時点で終わっている。頭を撫でられていた感触が覚えているから、泣き疲れて眠ってしまったのだろうか。うわぁ、かなり恥ずかしい。
自分の行動を思い返すと顔が熱くなる、兎四郎君に顔を埋めてベッドの中で一頻りゴロゴロした後、とりあえず携帯を手にとって伊吹にメールを送る。
『ありがとう』
送信してから暫くして携帯が震える、どうやら伊吹も起きていたらしい。
『なんだ、藪から棒に』
当然の反応かとくすりと笑いながら、返信を打つ。
『何でもない、沢山沢山ありがとうって伝えたかっただけ』
全部語るのは、昨日の今日ではちょっと恥ずかしい。そんな抽象的な文面を送るとまた暫くして伊吹らしい返事が返って来た。
『そうか、どういたしまして』
携帯を机の上にある充電器に戻して、少し固くなった身体をストレッチで解しながらベッドから降りる。伊吹のおかげでちょっとだけ落ち着いた、時計は午前の七時半くらいだ、朝ごはん……の前にちょっとシャワーを浴びたい。
タオルを持って階段を降りると栄司はまだ眠っているようだった、まだぼーっとする頭のまま浴室に入ってぬるめのシャワーで身体中の汗と涙の跡を洗い流す。軽く石鹸を手で伸ばして脇の下とか足の付根とか汗の溜まりやすい場所だけ軽く洗い、シャワーを止めた。
大分さっぱりして眠気も飛んだ、が、身体を拭いている最中に大変なことに気づいてしまった。着替え持ってきてない。
うーん、タオルだけ巻いて部屋にダッシュすれば大丈夫だろうか、いやでも栄司のラブコメ体質を考えるとバスルームを出た瞬間に栄司とばったりとか起こりかねない。かといってこのまま手を拱いていても状況は変わらない気もする。仕方ない、ここはスニーキングミッションで行こう。
静かに浴室の扉を開けて左右を確認するが、人の気配はない。栄司が起きてくる気配もないので、このまま静かに気配を消して階段へ素早く移動しよう、音を立てずに扉を閉めて階段へ向かって歩き出す。
「――!?」
突然、浴室と階段の間に位置する一階トイレのドアが開いて、びっくりして尻餅をついてしまった、当然ながらタオルがはらりと廊下に落ちる、慌てて拾い上げようと手を伸ばした矢先、トイレのドアが閉まって我が親友の眠そうな顔が現れた。
「ふあぁぁ……おはよう、シャワー浴び……て、た、の、ですか?」
じっくりと僕の足の先から頭をてっぺんまでを見ながら、何故か微妙に丁寧な言葉づかいで言う栄司を見ながら、僕は再び声にならない悲鳴をあげてシャワールームへ飛び込んだ。
「悪い、日向、わざとじゃない!」
わざとでたまるか! なんで昨日の今日でこれなんだ。僕の中の感動とか感傷とか色んな気持ちが台無しじゃないか、そのラブコメ体質を真剣に何とかしてほしい。そして今は取り敢えず服を取りに戻りたいからバスルームから離れて貰いたい。
◇
朝ごはんはトーストにトマトサラダ、スクランブルエッグとカリカリに焼いたベーコンで簡単に済ませる事にした。ご飯を炊いてから和食を作るには僕の気力が持たなかった。
「あーその、今朝は悪かった」
気にするなと首を横に振る。もういいから蒸し返さないでほしい、家に居る三日間で二回も素っ裸を見られるとかどういう確率なんだ、呪われてるとしか思えない。
「ま、まぁ、男同士だし、俺は気にしないからお前も――」
反射的にテーブルを両手で叩いて立ち上がり、栄司を睨む。流石に僕の反応が予想外だったのか栄司は驚いたように固まっている、だけど僕も自分の行動が予想外だった。凍りついた時間の中で沈黙だけが場を支配する。
「……いや、本当にすまなかった」
謝るのが勝ちと判断したのか、頭を下げる栄司に困惑したままの僕は怒りのモチベを保ち続ける事ができず、バツが悪くて横を向きながら椅子に腰を降ろす。バターを塗ったトーストを齧りながらちらちらと栄司を見る、何だかしょんぼりしてしまっているようだ。
何でこんなに心が乱されるのか……いや、なんとなく予想はついてる。素早く朝食の残りを平らげるとメモ帳を手繰り寄せて僕の推測する理由が正しいかどうか、確かめるために、一つお願いを書く。
『栄司、ちょっと抱っこして』
「は、何で……?」
あからさまに怪訝な顔をされて、ちょっと傷付いた。
『いいからちょっと抱っこして』
「あ、あぁ……別にいいけど」
心なしか自分で書いた文字が荒い気がする、いやきっと気のせいだろう。栄司の方も食べ終わったのか食器を端に寄せながら、軽く膝を叩いて僕を招き入れる。テーブルを回りこんで栄司の方へ行くと、抱き上げてもらいながら膝の上に座る。
「これでいいのか?」
頷くと、腕がお腹に回されて膝の上に固定される。ゲームの中と違って体温や触れ合う感触がダイレクトに伝わる。匂いもハッキリとわかって、なんかドキドキしてくる。
「何か顔赤いぞ、大丈夫か?」
強く頷く。
心臓が少しずつ鼓動を早めて、精神的には酷く落ち着くけど落ち着かないという不思議な心境。だけどお陰で分かった、ハッキリと自覚してしまった。本当はだいぶ前からそうだったのかもしれない。だけど出来る事なら知らないままで居たかった。
僕はたぶん、栄司のことが――――
次回、最終章
『夏のおわりに』
8月下旬公開予定、お楽しみに。




