Contact.0-3 剣と魔法の世界へ
結局、あれから家族とも顔をあわせないまま一週間が過ぎた。母は何か言いたそうにしていたが、最終的には見守る事を選んでくれたようだった。その申し訳なさを誤魔化すように、文章だけでも話をしようとメッセージは頻繁に送るようにしている。
現状については夏休みが始まってからずっと、昼間は図書館に行ったり、神主さんのいない時間を狙って神社に向かったりと調べ回っていたのだが、あの子猫以上の情報を得る事は叶わなかった。正直に言ってしまえば手詰まりだ。
僅かばかりの希望だった、『時間経過で元に戻る』なんて事も起こるはずなく、僕は頭を抱えて携帯とにらめっこする破目になっていた。
『いつ頃参加できそうなんだ? あんまりレベル差が開くと一緒に行動出来なくなっちまうぞ』
誘われていた『エーテルフロンティア』と呼ばれるオンラインゲームの正式サービスが開始されて早四日、夏休みと同時にダイブした友人達はさぞ剣と魔法の世界を満喫しているのだろう。初日の興奮が極まったメールがその心境がありありと綴っていた。本来は僕も初日にダイブして『ゲームにはまって部屋から出てこない』という言い訳を作ろうとしていたのだが、起動しようとセッティングしているうちに重大な事実に気付いてしまったのだ。
そう……この世界初の完全体感型を謳うオンラインゲーム、『エーテルフロンティア』は性別や体格を変更できないのである。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.00-3 『剣と魔法の世界へ』
何でも安全性こそ確認されているものの、ゲームという長期的かつ長時間に渡る使用が想定される土壌において、性別や肉体的な感覚の大規模な変化がどの程度現実に影響を与えるのか、技術的に十分な安全マージンが取れていないというのが理由らしい。経過を見て将来的には解禁される予定だそうだが、事情からして時間経過が必須な以上、少なくとも今年中にそのアップデートが来る可能性は絶望的なほどに低い。
さて、ここで問題となるのはその確認方法、アカウント登録時の個人情報だけで判別するのなら、僕は男で登録しているので特に問題は発生しない。しかし情報によるとその判別方法は専用機器であるヘッドギアを利用して行われるようだった。全身撮影での計測やら、簡易なホルモン測定やら何やらで男女や体格を識別するそうで、どちらも誤魔化すのは不可能ではないが簡単ではない。
一抹の望みをかけて調べはしたが、各所で語られている判定を偽り誤魔化す方法は大半が眉唾レベルで試す気も起こらない。一応、現実にもそういった誤認識のバグも存在しているようで、流れが速すぎて追い切れてはいないが掲示板など時おり話題になっていた。これを意図的に再現とするとなれば、比較して現実的な所でも女性ホルモンや男性ホルモンを注射するとか、実行するにはハードルが高すぎる方法ばかり。そもそもどうやって手に入れるのか解らないし、その後のリスクを考えると怖くて無理だ。
そんなこんなで数日間悩んだものの結局打開策は思い浮かばず、『キャラ作成で悩んでる』、『体調が』と言い訳を繰り返していた。当然そんな中途半端な逃げ方をしていてはあっちもイライラしてくる、メールから微妙にその空気を感じてちょっと泣きそうになる。
いい加減引き伸ばしも限界に近付いてきているようだ。いっそ全部の交流を断ち切って部屋に閉じこもるという策が浮かびかけるが、僕が以前思いつめた末にやらかした"前科"を考えると友人達が堂々と踏み入る理由になってしまうだけだろう。
もちろん心配をかけたくないというのが理由の一番目には来ている、かといって現状を曝したくないという感情との折衷案が、顔を見せずに交流を保つという方法だった。ここでもっと良い方法を閃いたりする頭や、はっちゃけてしまえる豪胆さがあればとも思ってしまうが、無い物をねだっても仕方ない。
考え付いた当初はよいアイデア……だとは間違っても思っていなかったが、それでも何とかなる気がしていた。勢いというものは人をこうも惑わせるものなのだろうか、狸すら見付からないのでは皮算用も出来やしない。当てもなく山中を彷徨うしかないのだろうか。
『無理強いはしないけどよ、そんなに体調悪いならちゃんと言えよ? おばさん心配してたぞ』
ここで栄司の奴がメッセージで伝家の宝刀を繰り出してきた。母さんが見守る態勢を取ってくれたのは、友人との交流が途絶えてないからだ。例え引き篭もっても友達と遊んでいるという補正がある限り母も強く言ってはこないだろう、つまり彼等と遊んでいるという口実の為にもVRMMOへの参入は必須と言えるだろう。…………。
『おーい、いないのか? まさか倒れてるとかじゃないよな?』
それは我が事ならあんまりにもあんまりな思考だった。自己嫌悪でベッドにつっぷしている僕を責め立てるかのように震える携帯を手に取ると、同じく震える手で返信を打ち込む。
『大丈夫、ちょっと自己嫌悪で倒れてただけ』
『なんだそりゃ』
◆
かくして、今日が僕の運命の日となった。あれから答えに窮した僕はついに観念して今からログインできるから待っててと答えてしまったのだ。どちらにせよ引き伸ばし政策はとっくに限界を迎えていたし、逃れる手段がなくなってきている現状では踏み込まれる選択肢だけは回避しなければならない。
ではどうするのかというと、活路はすなわちバグにあり。バグを利用するのではない、バグが存在している事実を利用するのだ。ログインしたらなんかバグでこんな感じになっちゃっててさーあははー大作戦。どうだ、まるで秋頃の赤く色づき冬に備えた虫達に食い荒らされた木の葉のような完璧な作戦ではないか。
嗚呼、空しい。胸に去来する謎の感情を噛み締めながらヘッドギアを頭に被ると、バイザーを降ろしてベッドに横になる。体感型ゲームと呼ばれるものはやった事はあるが、立体視できる3Dゲームの領域を出ていなかった。果たして完全体感型というのは如何な物なのだろうか。
もう一人の友人が語るには、簡単に言ってしまえば限りなくリアルに近づけた夢を見る装置という事だ。難しい理論は説明されてもさっぱりだし、熱をもって語り始めると長いので適切にスルーしていた為あまり詳しくは覚えていない。パソコンにインストールしてあるソフトを起動して、マニュアルに従いログイン後にソフトを待機状態にし、ヘッドギアのスイッチを入れた。
一瞬の浮遊感の後に目の前が真っ暗に染まり、突如としてフラッシュを焚いたような光が目を焼いた。僅かな間を置いて目を開くとそこは青空の中に浮かぶ真っ白な祭壇のまん前だった。天秤を持った大理石の天使が穏かな笑みを浮かべてこちらを見ている。雲よりも高い位置にあるようで、下を見れば雲海が広がり、上を見れば空と宇宙の境目に宝石をちりばめた様な星々が輝いている。
軽く手足を動かしてみると、特に違和感なく動くようだ。少しばかり触覚が鈍い気もするが、リアルな夢みたいなものと考えれば納得もいく。痛みも大分緩和されていると聞くしその影響なんだろう。自分の身体の調子を確かめる僕の前に突然半透明のウィンドウが現れた。
『エーテルフロンティアへようこそ、これよりキャラクターの作製を開始します』
ついにゲームが始まったようだ。個人的には深刻な状況だというのに、どこかわくわくしてしまう男の子の性に苦笑を浮かべつつも、内心では助かったと安堵している。楽しむ事が出来ないゲームなど苦痛なだけでしかないのだから。
『キャラクターの外見データを使用しますか?』
このゲームでは外部ソフトにより、予め製作したモデリングデータを使用できるという特徴がある。最も性別体格制限のおかげで見た目くらいしか弄る事が出来ず、専門的な知識も必要としているので作りこんでいる人間は少ない……かと思いきやそうでもなく、ネカマ不可という環境が下半身に脳を持つ男性諸氏どころか、せめてゲームの中くらいではと美しさに憧れる女性たちまでも本気にさせてしまったようで、スレを見た限りでは開始前からソフトを弄り倒している人は多いようだった。
僕もまたちょっとした事情でリアルの顔を極力使いたくなかったので、予め用意しておいた地味なデータがあったりする。男アバターだし無理だろうなと思いつつも、一抹の期待を込めておっかなびっくり指を動かし、使用するを選択。パソコン内から外見データを引き出してみる。
『検出された性別データが違います、御指定のアバターは使用できません』
だがこのシステムときたら、空気を読まず仕事を遂行する気満々の様だった。どうしようか悩み、一旦ログアウトしてできるだけ大人しい外見を作ってから入りなおそうと、メニューを探し指を動かして。
『登録されているスキャンデータを使用しますか?』
「!?」
突然目の前に現れたウィンドウ、そこにあった『はい』ボタンをクリックしてしまった。我ながら酷すぎるミスだ。
『続いてキャラクターメイキングを行います、
まずはキャラクターの名前を決めて下さい。続いて初期職業とスキル、初期ボーナスを選択してください』
何とかして前の選択まで戻ろうと試行錯誤をするものの、一向に上手くいかない。ちゃんと説明書を読んでおくべきだったと今更後悔する。どうしようかと悩んだが、あまり時間をかけすぎると待ち惚けにされた栄司が怒るだろう。僕は他人の悪意や敵意が少しばかりトラウマになっている。平常時ならともかく今の状態で、友人から向けられる怒りに心が耐え切れる自信がない。
どうせ"現実"とはかけ離れた姿の女アバターな事には変わりないのだと、無理矢理自分を納得させてメイキングを進める事にした、本当に思うように行かないことばかりだ。名前は友人達に解り易いように他のネットゲームでも常用していた『Sun』にして、職業は予定通りに『エンチャンター』を選択し、スキルやボーナスも職業適性に沿った特化型で組んで行く。
wikiから得た情報によるとこのゲームには現在物理系4職と魔法系4職、生活系2職の計10職が存在するのだという。その中で物理は攻撃特化、万能型、遠距離型、探索型。魔法は攻撃特化、万能型、支援回復型、支援補助型のそれぞれ4タイプがある。エンチャンターはその中で支援補助型に相当していて、回復型の本人そのものを強化する神聖魔法に対して、装備品や道具自体を強化する付与術の使い手だ。
これがまた地味な上に戦闘能力が支援回復型であるプリーストにも劣るという仕様で、ソロがきついと評判。不人気の筆頭のような職だった。しかし決して使えないとか需要がないと言う訳ではなく、特化型の付与術師はその有用性と数の少なさから需要が供給を大きく上回っている状態。
これには折角の剣と魔法の世界なのだから、派手な魔法や剣術で暴れ回りたいというプレイヤーが多く、またキャラスロットが現在一つしかなく、追加される予定はあれどかなり先という事で自分から辛い職をやりたがる人間はいなかったのだ。
僕がこの職業に惹かれたのは栄司達の役に立ちたいからだった。誰かに必要とされるのは嬉しい事だ。例えゲームであってもそれは変わらない。むしろ遊びだからこそあまり気負わずそういった喜びだけを感受できるのだと思う。現実での僕は今足を引っ張る事しか出来ていないから、せめてこの仮想世界の中でくらいは、友人達の役に立ちたいと、この職業にする事に決めていた。
ログインする覚悟を決める前のやりとりで解った事は、栄司はバリバリの前衛剣士、もう一人の友人は万能型の魔法使いにしている事。既にギルドを作ってあるらしくプリーストも確保してあって、エンチャンターは僕を待っている状態だという事だ。散々参加するよーと言いながら引き伸ばしていた手前、そんな状況なら催促されて当然だと申し訳ない気持ちで一杯だった。そのお詫びも込めてレベルが追いついたら精一杯貢献したいと思う。
こんな事にさえなっていなければ、今頃は彼等と何も気負わず冒険していたのだと思うと少しばかりやりきれない。かといってあの子猫を助けようとした事は後悔していない、心の許容範囲を大きく逸脱する結果にはなってしまったけれど。
ボーナスである装備品一式を受け取り、まだ覚束ない手付きでメニューを開いて装着する。一瞬だけ光が身体を包むと、病院着のような格好だったのが、シンプルなコートタイプの落ち着いたブラウンのローブへと変化した。初心者用でもらえる装備の一つで男女共通の物らしく、下穿きはズボン型だったのは幸いだった。生地も綿の柔らかな感触が再現されているようで、手触りも良く着心地は悪くない。
武器の方は刃渡り六〇センチ程の細身の長剣、レイピアとスティレットの中間のような形状をしている。エンチャンターは原則として攻撃魔法を持たない為、これで戦えという事らしい。でも付与による強化は装備の元の数値に影響するらしいので、初期装備では微々たる物。そのうえ付与特化ならステータスも完全な魔法使い、ソロのマゾさたるや推して知るべしである。
装着を選択するとローブの腰にくくりつけた剣が現れた。誰も見ていないのを良い事に一度くるりと回ってみると、コートの裾がふわりと揺れた。驚くほど滑らかな動きで、これだけでもグラフィックの力の入れ具合が良く解る。試しに剣を抜いてみると結構な重さを感じる、この身体だと両手剣のように扱わないと逆に振り回されそうだ。
『以上でメイキングを終了します。これより"始まりの街"≪エスカ≫に転送させて頂きます。
≪エスカ≫ではNPCを通じてチュートリアルクエストを受ける事が可能です、是非ご利用下さい。
それでは、良い冒険を』
アナウンスが表示され、少しの間を置いて急に視界がブラックアウトする。慌てて周囲を確認すると右下にローディングを示すアイコンが点滅していた。基本的にはシームレスでサーバー移動の時だけはローディングが入ると説明書にあったが、ログインサーバーとプレイサーバーは別という事なのだろう。転送のわずかな時間、僕はあの場所で見た空を思い返していた。
◆
突き抜けるような青い空、それを切り裂くように空を飛び交う無数の帆船。俗称として飛行艇と呼ばれるそれが、無数のプロペラを回転させて、町の中央に聳える塔の上層部、発着場らしき場所から悠然と飛び立っていくのが見えた。
このゲームは冠するタイトル『エーテルフロンティア』の名の通り、蒼穹に浮かぶ無数の浮遊大陸を舞台にしている。その主な移動手段が飛竜や飛行艇などを利用した空の旅。
始まりの街≪エスカ≫は初期の転送地点にして飛行艇の街。いくつもの空港が存在していて、各地への連絡路として機能しているのだそうだ。イメージとしては中世から近世頃の西洋が近いだろう、紅い煉瓦屋根の建物が立ち並び、地面には扇状に切り分けられた石畳が規則正しく敷き詰められている。町の中央には石煉瓦で組み上げられた巨大な塔を模した空港が聳え立っていて、今もその発着場からいくつもの飛行艇が出入りしている。
威風堂々と帆を立てて大きな空へ旅立っていく船々を見上げて、胸にこみ上げる奇妙な感情を唇を噛み締める。今のご時世空を飛ぶ乗り物なんて珍しくもないし、もっと早く快適な旅が出来るようになっている。なのに何故、こんなにも胸が熱くなるのだろうか。
だから転送された状態のまま、暫くぼんやりと空を眺めていた僕が周囲の視線に気付くのに遅れたのは、必然といえるかもしれない。気付いた時には周囲に居るプレイヤーらしき人々の注目を浴びてしまっていた。珍しい物を見るものや、微笑ましく見守るような視線が入り乱れて身体を刺す。思えばゲームの機材は新品のハイエンドコンピューターが買えてしまうような値段がする、変化後の姿を元にしたこの身体の身長は目算でも一三〇に届いていない、顔つきもそのままなら十歳に見えれば良い方だろう。
今回の事が起こる直前に、背丈も夢の一七〇台に届き内心喜んでいた矢先のことだったので、さながら現実逃避のごとく考えないようにしていたのだが。ここにきてまたしても失態を冒していたのだ。自力で手に入れるにも、親が買うにしても十歳前後の子供に与えるには、このゲームは少々高すぎる。年齢を行った中で小柄なプレイヤーは多くとも、あからさまに小学生然とした子供、しかも女の子となればプレイヤー達の関心を集めて当然だ。
外に出るときは極力目立たない格好や男物を選んで、更には人気を徹底的に避けて行動していたからそれほど気にはなっていなかった。こんなにも大人数にハッキリと顔を見られたのは初めてかもしれない。何だか女装姿を目撃されているようで無性に恥ずかしくなり、熱くなった頬を隠すように顔を伏せて足早に広場を後にする。
どこもかしこも人だらけの広場を抜けて、暫く歩くとやっと人の少ない公園らしき場所に辿り着く。後方を確認するとわざわざ幼い女の子の後をつけて来るような不埒なプレイヤーは居ないようで、安堵する。
何だかどっと疲れてしまい、適当なベンチに腰掛けて空を見上げる。どこまでも青い空の果てに、大きな大陸らしきものが薄っすらと見えた。入ったばかりのこの世界はまだまだ広い、人も沢山居るだろう。出だしからこんな有様で、僕は無事にやっていけるのだろうか……。疑問に対する答えはまだ出そうにない。
そして、僕がログインした旨を栄司に伝えるのをすっかり忘れていた事に気付くのは、それから三〇分ほどしてからだった。
★2012年11月23日/誤字、表現の修正