Contact.4-1 肝試しへの誘い
栄司と伊吹に本当の事を話し、姉に蹂躙されてから数日が経ったある日の夜だった。パソコンをやっていると使っているメッセンジャーの通知音が聞こえて、珍しいなと思いながらタスクバーから自動で駐屯していたクライアントを呼び出し新着メッセージを見てみる。
といっても登録されているのは栄司と伊吹の二人だけな上に、普段は携帯を使っているので滅多に出番がなかったりする。我ながら酷く寂しい交友関係だと思いなおし、先日は友人達とイベントに行くなど青春を謳歌している二人に対して嫉妬という言葉が首をもたげはじめる。
そんな自分にわずかばかりの嫌悪感を感じながら開いた窓には栄司からのメッセージが映し出されている。
『なんか明日急に肝試しやる事になったんだが、日向もこないか?』
『肝試し?』
こいつは一体僕をどうしたいというのだろうかと、内心で首をかしげてしまった。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.04-1 『肝試しへの誘い』
詳しく聞いてみると、ギルマスを初めとした男性連中によって立案された身内用のイベントらしい。ユーベルから船で行けるマップにアンデッドが蔓延る≪幽鬼の谷≫と呼ばれるエリアと、≪背徳の古城≫と呼ばれるインスタントダンジョンが存在している。今回はそのダンジョンを六人ずつのパーティで攻略するという内容……普通の狩りと何が違うのだろうか。
『そうか、お前はまだ行ったことないんだったな』
素直に疑問をぶつけてみるとこんな答えが返って来る。ここ数日は姉に"女の子としての振舞い"を教育されていてろくにログインできて居なかったので、ユーベル近辺のマップもまだ回りきれてないのでそのマップにも行った事はない。レベルこそ一九と高めにはなったものの、皆とのレベル差は縮まっていないのでメイン狩場にはまだ付いていけないのだ。
『あそこのモンスターやたらリアルなんだよ、暴力表現規制どこいったってレベルの』
どことなく、文章からげんなりした様子が伝わってくる。グロさはないものの、死体特有の不気味さやダンジョン自体にお化け屋敷のようなギミックが仕掛けられていてプレイヤーを脅かしにかかっているそうで、肝試しスポットとしてカップルプレイヤーは勿論、女の子プレイヤーを連れて行き良いところを見せようという男達が後を絶たないらしい。
『それ以前にギルドイベントに僕が参加していいの?』
毎度思うのだが、いくら栄司との友達と行っても僕は未だギルド未所属のフリーで他のメンバーとの交流も殆ど無い。そんな人間が身内用のイベントに混ざっていたら良い顔しない人もいるんじゃなかろうか。
書き込み中を意味するアイコンが現われては消えてを繰り返し数分、妙に長い沈黙を経てやっと栄司の返答が届く。
『参加承諾とってこいって一部のギルメンから頼まれててな、土下座も辞さないそうだ』
どうしよう、凄く行きたく無くなって来た。
『いつもの様にメイリが「サンちゃんは私が守る!!」って鼻息荒くしてたから、変な事はさせないと思うが』
という事は女性陣は納得しているんだろうか、確かにリアルで心霊スポットに行くよりは健全かつ安全だろう。僕だってそういう催しが嫌いな訳じゃないし、姉さんや栄司達がイベントに出かけてよろしくやっている間、一人で黙々とレベル上げをしていたので交流と言うものに餓えていたのもある。
わずかばかりの思考を経て栄司に参加する旨を伝えると、会議中の窓があるからそっちに招待するけど大丈夫かという返答が来た。わざわざ普段使わないメッセンジャーで話しかけてきたのはそういう事情があったらしい。そちらも承諾すると、一瞬の間を置いて別の窓に召喚された。
『サンちゃんきたああああ!!』
第一声からやたらテンションが高いのはメイリだろう、何故かデフォルメされた猫のイラストをアイコンに使っている。会議に参加しているのはいつものメンバーに加えてギルマス、全部で七人ほど……ちょっと少ない。
『通話大丈夫か?』
『チャット参加でいいなら』
飛んできたオンライン通話を承諾すると明らかに七人より多い人間の声がスピーカーから溢れた。どうやら参加しているアドレスとは別に、横にも人が居て聞いていたようだ。肝試し以外にも色々イベントを企画していたようで、会話に時おり相槌を打ちながら聞く事に徹する。こういう雰囲気も悪くない、僕も普通に学校に通っていたら彼等みたいな青春を送っていたのだろうか。
なんてセンチメンタルに浸ろうとした所で、ぶかぶかの女子制服を着た自分の姿……もちろん今現在のを幻視して一気にテンションが下がってしまった。いやいや違うだろう、僕の姿はもっとこう…………。
――あれ? 僕は男だった時にどんな顔をしていたっけ?
「日向ーお風呂あがったよー、あと冷凍庫のアイス貰ってもいい?」
一瞬冷えかけた思考がドアのノックで引き戻される、どうやら先にお風呂に入っていた姉が上がった事を知らせにきたらしい。考えれば考えるだけドツボにはまっていきそうな気がするので強制中断はありがたい。ドアを開けて最近やたら無防備な姿を曝すようになって来た姉を見つけると、指でOKのサインを出して椅子に戻る。
『ごめん、ちょっとお風呂行ってくる』
『いってら』
『私も一緒に入るぅぅぅ!』
最近ゲーム内で会っていないせいか、やたら暴走気味なメイリの叫びを丁寧にスルーしながら、すっかり女の子らしくなってしまったタンスの中から下着やらパジャマやらを取り出し、胸に抱えてお風呂場へと向かう。
『俺も一緒に入るぅぅぅぅ!!』
『『いや、お前は絶対ダメだろ!』』
……背後でスピーカーから漏れ聞こえていた、変態の戯言は聞こえていない振りをして。
◆
姉の「わかってるでしょうね」と言いたげな視線を背中に受けながら浴室へ入る、あの日以降の入浴は三〇分くらいかかるようになってしまっている。今まで一〇分前後で済ませていた事を考えると随分かかるようになったと思う、丁寧に髪の毛を洗い、トリートメントを付けてから目の細かいスポンジを使って石鹸を泡立てて円を描くように……。
腕尽くで教え込まれた動きを追って手順を消化していく。僕はあまり嘘が得意じゃない、栄司達にも何か隠しているのはバレバレだった訳だし、姉に問い詰められたらごまかしきれない自信がある。もしもサボっていたらまた姉に行動を持って入浴方法を教えられることになるだろう。
あんな恥辱はもう沢山だ、何が悲しくてこの歳になって実の姉に身体を洗われなければいけないのか。それを考えればお風呂に入るにも『バレないようにしなきゃいけない』という制限がなくなっている事もあり、手間隙かけて身体を洗うのはさほど苦にならない。
湯船に浸かりしっかりと汗をかいて、熱さで少しぼうっとしながらお風呂から上がれば、待っているのは我が家の働き者なクーラーがせっせと拵えてくれた冷たい風。心地好さに深く息を吐きながら、乾いた喉を潤すために冷蔵庫を漁りに向かう。
「何話してたの?」
コップに注いだ牛乳を持ってテレビの音が漏れているリビングへ行くと、アイスを片手にスプーンを咥えた姉が声をかけてきた、どこまでかは解らないが聞こえていたようだ。僕はテーブルに常備してあるメモ用紙とペンを手元に引き寄せる。
『ゲーム内で肝試しするから来ないかって』
「……あぁ、もしかして古城? あそこの敵無駄にリアルよね」
姉も同じゲームをやっているので細かく説明しなくても通じてしまう、レベル差もあるが宣伝も兼ねて芸名と同じ『やまと』でプレイしている為、無闇に目立つ事を恐れて未だ一緒に遊んだ事は無いのだが。
『そんなにリアルなんだ』
思い描くのはゲーム内で戦った昆虫型モンスターの姿、苦手なプレイヤーも少なくないであろうそれを丁寧に作るような開発のことだ、アンデッドもさぞ作りこんであるに違いない。昔から微妙に怖がりではあるものの、ホラーには一応耐性があるのでちょっと楽しみになってきた。
「怖がって行けないプレイヤーも多いって話よ、私はギルドでダンジョンだけ適当に回って次のエリアに行っちゃったけど」
何気に廃人志向の姉は仕事の合間にゲームをやって最前線には及ばないまでも中堅上位をキープしている、色々な都合で業界人ギルドに所属していてイベント以外で野良はしていないという事だが、業界にもゲーマーな人間は数多く存在しているらしかった。
「ま、楽しんでいらっしゃい」
意味深な笑顔の姉に見送られ、喉を潤した僕が部屋に戻るとボイスチャットの方は既に終了に近付いているようだった。何人かが既に落ちており、残ったいつものメンバーが雑談している。
『ただいま』
『あ、おかえりサンちゃん!』
僕の帰還を知るなり明らかに声に喜色を滲ませたメイリがお風呂中に決まった事を説明してくれた。予定としては十七時頃から集合を始めて、十九時頃に肝試しをスタート、二十一時頃に終了し、食べ物や飲み物を持ち寄って開けた場所で消費アイテムとして存在する花火を使ってちょっとした花火大会を行うという事だった。
『本当は海も行きたかったけど、次のマップなんだよねー』
本当は昼間に海遊びも入れたかったという事だけど、すぐ行ける場所に無いので次のお楽しみになってしまったそうな。正直水着で人前に出るのにはまだ抵抗がありすぎるので助かったと内心で胸を撫で下ろす。このマップ構成にした開発にささやかな感謝を捧げつつ、僕も好きなお菓子や飲み物アイテムを町や露店で見繕っておこうと頭の中で計画をめぐらせた。
◆
ログインの準備を済ませて、ふと貰ったまま使っていなかったイベント会場限定配布のシリアルコードの存在を思い出す。本来は一人一つしかもらえないはずのものが何故か手元に二枚、お土産と称して姉が関係者から『家族の分』として奪い取ってきたらしい。
色々問題がある気はするものの、残念ながらそこまで清廉潔癖にはなれないので素直に特権に甘んじる事にして、公式サイトの機能ページからコードを入力、後はゲーム内で贈り物がメールに添付されて送られてくるはずだ。
シリアルコードのアイテムは一時間の間、取得経験値が上昇する【経験の秘薬】が一つ、一度立ち寄った事がある街に瞬時に移動できる【翼の魔石】が一〇個、背中に装備できるバックパックアイテム……見た目は八〇センチはありそうな大きさで蒼い瞳の、薄い桜色をした兎のぬいぐるみ型リュック【チェリーラビットバッグ】が一つ。
重要なのはこの兎リュック、出回った数量はかなりあるのだが参加者の分母が大きすぎてプレミアがついてしまい、ゲーム内では結構な高額で取引されている。流石に売る気は起きないので欲しがっている人が居たらもう一つはプレゼントするつもりだ。
早速ログインしてゲーム内のメーラーを開きプレゼントを受け取り実体化させてみる、腕の中に一抱えもある兎のぬいぐるみが出現した。男は勿論、女性ですらプレイヤーの平均年齢的に実用は辛いこのデザインも今の外見ならば暖かい眼を向けられずに使える。一応弁解しておくと見た目だけで使いたいと思ったわけじゃない、こういった特殊アイテムは重量軽減効果がある上に見た目よりずっと収納空間が大きいのだ、データ的に言えば同サイズのバックパックと比べて実に五割増しほどのアイテムを持ち歩ける。
通常の三倍の収納力を誇る『魔法の鞄』や、収納力は見た目通りだが重量ペナルティを全部打ち消してくれる『巨人のポケット』には劣るものの、バランスが良く手に入れやすいため中々に便利なアイテムと認識されている。
早速普段から使っていたバックパックからアイテムを移し替え、空になったバックをインベントリにしまって市場へ出掛ける。目的はただ一つ、明日のための買出しだ!
魔石を使って≪エスカ≫へ移動し、NPCの経営する市場からプレイヤーが立ち並ぶ露店通りを練り歩く。実際に使ってみて解ったが移動アイテムが便利すぎた、逆に言えば移動だけで考えると飛行船が不便すぎるだけな気もしてくるけど。因みにこの魔石は次回アップデートで追加される移動系アイテムの先行配布みたいなもので、実装後の入手も比較的簡単という事で惜しまず使っている。
「お、サンちゃんじゃないか、そのリュックを持ってるって事はイベント行ったのかい?」
食べ物や飲み物を買ってインベントリに詰め込みながら歩き、何か掘り出し物はないかと露店を冷やかしていると前方から声をかけられた。誰かと思ってそちらを見れば、今も愛用している槍を売ってくれたガッシュさんがこちらに向かって手を振っていた。そういえば彼が露店を出しているのはこの辺だった気もする。
『こんばんわ』
リュックについては大きな声でいえる事でもないので曖昧に笑って、品揃えを確かめることで誤魔化す。ちょっと見ない間に品物が大分増えているようで、いかにも実用性重視といった武器は勿論のこと、装飾にも拘りましたと言いたげに洗練されたデザインの剣や槍なんかも置かれている。
「今日は一人なのかい?」
『明日肝試しする事になって、その準備に』
「あぁ、って事はあの城か……頑張りなよ」
軽く言っただけで場所まで推測されるとかどんだけだよと内心で突っ込みながら、心配そうな顔をするガッシュさんの顔を見てちょっとだけ不安が生まれる。所詮ゲームだし大丈夫だよね……?
誤魔化すように視線を泳がせると、不意に店のやや目立つ場所に置かれていたマネキン型の衣装立て、そこに掛けられた防具が目に入る。黒と白のカラーリングで揃えられ、フリルをふんだんにあしらった所謂ゴシックロリータと呼ばれている物に近い形状のドレス、といってもスカート丈はかなり短く作られているように見える。そして極めつけと言わんばかりにマネキンの頭には黒い猫耳が鎮座していた。
これはまさかガッシュさんが作ったのだろうか……? 会った回数は少なくともまともな人だと信じていたのに彼は僕を裏切ったというのか。
「……」
「ん? あぁそれか、フィールドボスの落としたセットのレア装備らしくてなぁ、
知り合いに頼まれて店に出してるんだよ」
ガッシュさんの言葉に少し安心……出来なかった、このゲームのレア装備のデザイン偏り過ぎじゃないだろうか。それとも僕の眼前に立ちはだかる物だけが尖っているだけ? それはそれで作為的な物を感じて凄く嫌なんだが。
「欲しいのかい?」
値段を見てみると五百万と表示されている、性能は見た目に反してかなり良質で、僕の持っている姫衣には一歩及ばないものの十分に一等級と呼べるものだった。確かにデザイン的には姫衣よりはマシなので惹かれるものがあるけど、流石に高い。
『いえ……ちょっと気になっただけです』
いくら女の子の格好に慣れてきつつあると言っても、アレよりはマシってだけで流石にこれを着るだけの勇気は持ち合わせていない。だがしかし何故だろう、この背中にへばりつくような嫌な感覚は。
「はは、そうか。まぁ欲しいといわれても売約済みだから売れないんだけどな」
『売約済み?』
何故だろう、急に本能が『聞くな、聞くんじゃない』と警鐘を鳴らし始めた。バイタルに変化が起きている事を示す青いアイコンが視界の端に浮かぶ。これは平常時の心拍をモニタリングしているのでそれが変化している場合に表示されるアイコンだ。青は『問題ない程度の変化あり』、黄色は『注意が必要、要休憩』、赤は『危険領域の警告』を示していて、赤が1分以上続いた場合は強制遮断、その後もモニタリングで心拍の異常が一定期間解消されなかったり、あるいは停止してしまった場合は自動で救急へ連絡が行く仕組みになっている。
それはともかく、何故僕は不安で胸が痛んでいるのだろうか。僕には関係ない、関係ないはずなのだ。
「友人の可愛い女の子に是非着て欲しいって、威勢の良い嬢ちゃんが売約して行ったんだよ
随分元気の良い子でな、持ち主と話がついたんで明日引き取りに来る予定なんだよ、今は持ち主の意向で展示だけしてるんだ」
『ソウナンダー……』
威勢が良い女の子なんて捜せばいくらでもいるだろう、ゲーム人口とグラフィックスの精度を考えれば可愛い女の子なんてそれこそ大量に居る。つまり僕には一切関係がない出来事だったようだ。
「ところで、今日は何か買ってくかい?」
『じゃあ、スローイングナイフ十本ください……』
言い知れない不安を頭の中から追い出すかのようにガッシュさんの声に応じると、普段から使っている遠距離武器を頼んだ。どんどん魔法使いらしからぬ方向にそれているのはご愛嬌、まぁクラスチェンジさえすればパーティ需要も高まるし、噂ではアップデートで何かしらの魔法攻撃スキルが追加される予定だというし……あと少しの辛抱だ。
「ほい、十本で二〇〇〇リルな、エンチャンターも大変だよなぁ」
『ええ、まぁ……』
お金を渡している間も、妙な存在感を放つ黒猫のゴシックドレスは僕に向かって良く解らないプレッシャーを放ち続けていたのだった。
◆
ジュースは大瓶のを三種類、お菓子は大きな袋に入ったものを何種類か……花火もセットのものを準備した。戦闘用の札も神聖魔法系のを仕入れたし、悪霊系の使うバッドステータス対策に聖水もいくつか買ったし、今のところ思いつく限りでは十分なはずだ。
因みにダンジョンの情報を仕入れるのは栄司から禁止されてるのでそっちは調べていない、そっちの方が面白そうだからという不穏な理由で制限をかけられるのはあまり面白くはないが、彼の言いたいこともわからなくは無いので一応素直に従っている。
買出しを終えて、公園エリアのベンチに座って再現された星空を眺めながらインベントリの中身を再確認していると、栄司からのささやきが届いた。
『準備中か?』
『今買出し終わって確認してるとこ』
『そっか、こっちも終わって寝るまで狩りにいくんだが来るか?』
どうやら狩りのお誘いだったらしい、時計の針はまだ二一時半を指しており、最近夜の時間帯にも慣れて来た僕の就寝時間は午前零時頃になっているので寝るには少し早い。それにレベル二〇を目前にしてソロが地味に辛くなってくる時期でもあるので、こういった誘いは有り難い。
『うん、行く』
二つ返事で承諾した僕は、再び『翼の魔石』を使い≪ユーベル≫の港へと移動する。夜のフィールド狩りやダンジョンに潜っている人が多いのか今の時間は街の人気も少ない。新たな溜まり場となりつつある喫茶店まで行くと、既に参加するメンバーは揃っているようだ。
「何この可愛い生き物……」
僕を見るなり抱きつこうとしてきたいつも通りのメイリを筆頭にミィと栄司の三人、伊吹はまだ塾なので帰宅してから参加する事になっている。
「お前……なんか開き直ってないか?」
栄司がどこか哀れみを滲ませた口調で言った、目線は僕の背中に注がれている。何かと思って振り返れば背負ったまますっかり忘れていた兎リュック、自分でも落ち込むくらい似合っているであろう今の姿にメイリの持病が発症してしまったようだ。
そりゃあ家の中ではスカートやらワンピースやらの女の子ルック生活ですから、流石にあの尖ったデザインのレア装備は無理でも、うさちゃんリュック程度なら平気にもなりますよ。などと思わず心の中で変な丁寧語を使っていると、栄司が可哀想なものに向けるような目で僕を見ていた。
『そっとしておいて』
メイリの捕獲行動を避けながら打ち込んだ僕の返答を見て、栄司はそれ以上何も言わなかった。
『それで、どこ行くの?』
「サンちゃんってダンジョン行った事ないよね、だから練習も兼ねて一周だけ螺旋の塔行こうかって」
今更になって場所を聞きそびれていた事を思い出した僕に、捕まえられない事を悟って若干悔しそうな表情を浮かべたメイリが告げた行き先は、パーティ単位でサーバーに部屋を構築してプレイするタイプのマップ……インスタンスダンジョン、通称IDだった。
フィールドとの違いは、そのエリア内に自分と同じパーティメンバーしか居ない事。獲物の枯渇や横殴りなどの心配がない上、このゲームのIDは経験値効率も良い事もあって追い込みなどに使われている事も多い。ただし難易度は相応で、システム的に最大で六人までパーティを組めるのだが、最低でも三人は居ないとまともに敵を倒せないくらいに難しく、攻略にも時間がかかる。
そのため仲間や時間の都合が合わなかったり、街や広場で募集をかけて居合わせた人間だけで赴く通称"野良パーティ"が苦手な人などはフィールドでちまちまと敵を狩ったりして積極的に向かわない。フィールドにだってボスは居るしレアアイテムも狙えるのだから。
だから僕も未だにダンジョンには行った事が無かったりする。そもそもエンチャンターはそういった野良パーティからは弾かれる事も多い。
因みにメイリの挙げた螺旋の塔はユーベル近辺にいくつか浮島の一つに存在するダンジョンで、僕も数日前に参加したレースの時に外観だけ見た事がある。レベル二二から二十九までが推奨レベルで、クラスチェンジまでの追い込みに頻繁に使われている場所だ。
『あそこかぁ……初めてだけど大丈夫かな』
「ちゃんとサポートするから安心していいよー、
伊吹君が来るまでに出来るだけレベルあげようねー、後ですあまちゃんも合流するから」
どうやら、レース以来の再会となるすあまさんも僕のダンジョン行きに付き合ってくれるらしい。
「今回こそボスのレア装備を出してやるぅぅぅぅ!」
何やら月に向かって吼えるメイリ、微妙に嫌な予感がするのだが。確か巨大な虎型のモンスターだったはずだ、いくらなんでも狼の時のような事は早々起きないと思いたいが、万が一先鋭的なデザインのレアドロップが出たら嬉々として押し付けてくるのは目に見えている。
特に栄司は"僕の現状"を知ってからというもの、多少気遣ってはくれるがそういった方向で僕を弄る事が多くなってきた。多分黙っていた事や、ペド野郎呼ばわりされている事への意趣返しなんだろうが、便乗してゴリ押ししてくる獣が居る以上洒落にならない。
「まだ狙ってるのかよ、あれって確率一パーセントくらいだろ?」
いい加減諦めたらどうだと呆れ気味の栄司の言葉から察するにその装備目的で何度も通っているのだろう。それほど欲しがるって事は有用な装備に違いない、メイリの装備もかなり優秀みたいだけどそれを上回る装備とかどれだけ強力なんだろう。
「明日の"メインイベント"の為に何としても手に入れておきたいのよ!」
今一瞬背筋に凄まじい寒気が走ったんだけど、もしかしてリアルで風邪でも引いてしまったのだろうか。
「そうか……今日こそ出るといいな」
何故、栄司くんは僕をそんな憐れんだ眼で見ているのか、急に明日の集まり行きたくなくなってきたんだが。
「強く生きろ」
やめろ、何かを堪えるような表情で僕の肩を叩くんじゃない。明日一体何が起こるの? 僕は何をされるの?
「それじゃ、あんまり遅くならないうちに行こっかー!」
ミィは慄く僕の手を掴むと、離島へ向かう小船の発着場へと足を進める。
…………行きたくないんだが。
◆
僕達は捻れた水晶を眺めながら、目の前に聳え立つ巨大な塔の前に集まっていた。他にも挑戦する人達が端のほうで集まって待ち合わせをしていたり、野良パーティ募集の看板を立てていたりする。
いくつかある看板の中に『付与×』、つまりエンチャンターの参加は拒否しますっていう意味の表記を見つけて憂鬱になったりしながら、ふとダンジョン向けの準備やアイテムが必要なんじゃないかと思い立ち、擬似キーボードを打つ。
『ダンジョン用の準備してないんだけど大丈夫?』
「あぁ、ここはそんな難しいダンジョンじゃないし、俺ら全員二次職だから問題ないだろ」
言われて見れば、他のメンバーはもうレベル三〇を超えて転職している。栄司とメイリはナイトの上級職である『アークナイト』、ミィは『アークプリースト』、伊吹はウォーロックの上級職である『ハーミット』……どれも戦闘で便利だったり強力だったりするスキルを持っていて、自己戦闘力は皆無に等しいエンチャントマスターとは大違いのクラスだ。
因みにパーティ機能は過度の牽引は出来ないようになっているものの、レベル差に関してはかなり融通が利く。確かレベル差二〇までは少ないながらも経験値が入るはずだ。
栄司達はレベル三二で僕とは一四の差がある、経験値的には適正パーティ時の獲得経験値と比べて三分の一ほどまで下がるが、それでもソロ狩りの二倍以上効率が良いと言えば、エンチャンターのソロプレイがいかにマゾ仕様かをわかってもらえるだろう。
この辺になってくると一体一体がタフな代わりに経験値が多くなり、僕がせこせこと一体倒す合間に他のプレイヤーは五体くらい倒している。
そんな訳で僕みたいな純付与を好んでパーティに入れてくれる人間はとっても貴重なので、ダンジョンに入る機会を逃したくはないと不安を抱えてあえて飛び込んだ訳だった。
「取り敢えず軽く一周行って見るか」
パーティのリーダーである栄司が門に触れて少し経つと、『インスタンスダンジョン≪螺旋の塔≫が作成されました。直ちに入場しますか?』という確認ウィンドウが現れたので、承諾ボタンを押す。空間に波紋のような物が広がり。視界が暗転するように移り変わっていく。
移動した先にあったのは西洋のお屋敷を思い浮かばせる内装の巨大な円形フロア、端には周囲をぐるっと覆うように螺旋を描く階段があり、上を見れば上階の床と思わしき天井が見える。どうやらこのダンジョンは階段を登って上へと進んでいくタイプらしい。
「ま、見ての通り一本道で特に仕掛けやギミック的な難しさは無い、
その代わり戦闘は回避できないし、敵がちょっと厄介だから注意な」
栄司の言葉に頷くと槍を構えて軽く身体を慣らす、微妙に落ち着かないのは緊張しているせいだろう。
「基本的に頑張るのは俺ら前衛だし、失敗した所で責める奴なんかいないから気楽にな」
ぽんぽんと子ども扱いするように軽く頭を叩く栄司の手を、今はちょっと有り難いと感じてしまって少しばかり複雑だ。
「ペド野郎……!! なんであんたにばっかりサンちゃんがデレるのよ!」
「そういうのを改めたらお前にもデレてくれるんじゃないか?」
デレてねーし! 勝手に人をツンデレ扱いするな、そして段々あしらい方が上手くなっている栄司の言葉でメイリが悔しげに表情を歪ませる。あと当たり前のように頭を撫でるな噛み付くぞこの野郎。
「さて、んじゃ行きますか」
「サンちゃん、見ててね私の雄姿!」
『その前に付与かけるから集まって』
ずんずんと先へ行こうとするメイリを呼び止めて、全員の武器、防具に≪エンハンス≫……武器と防具の性能を向上させる付与術を掛ける。タイミングを合わせてミィのバフも重なり準備は完了、盾役の二人を前にして僕達は階段を登って行った。
聞いた限り≪螺旋の塔≫は全部で五階構成、一階ごとに戦闘が行われ三階に中ボス、五階にダンジョンボスが存在する。なれたパーティなら二〇分ほどでクリアできるそうで、ドロップもそこそこ美味しくいつも人で賑わっているというのが栄司の言だ。
敵が居るのは二階からなので戦闘は実質四フロアだけ行われる、二階に辿り着いた僕達を待ち受けていたのは木で出来たゴーレム……『螺旋木人』と名付けられているモンスターだった、隊列を組んだ奴らの数はざっと十体ほど、それが僕らを見付けるなり戦闘態勢を取り、じりじりと近付いてきた。
「サンちゃんはミィと一緒に離れた位置から援護ねっ!」
真っ先に飛び込んだメイリが盾を構えて気合を込めると、衝撃音と共に赤い波紋が広がって木人を弾き飛ばす。メイリは≪タウント≫スキルでヘイトを稼ぐと今度は一箇所に纏めるように部屋の隅へ誘導していく、その間に敵の反対側に栄司が回りこむと、剣を大きく振り被って木人の背中へとたたきつけた。
「うおらぁ!」
破砕音がして二体の木人が木っ端微塵になって吹っ飛ぶ、ドロップの獲得表示が出たところを見ると一撃で仕留められたのだろう。ぼーっと見ている場合ではないと、僕も攻撃用の魔法を封じたカードを起動して適当に援護を入れる。
木人達は一分経たずに全滅し、どこか腑に落ちない表情の僕に気付いたミィが苦笑する。
「まぁ、私達は適正よりレベル高いからねー」
解ってはいるけど、スリルとかそう言った物が足りない……!
そんな僕の哀愁などお構い無しに、三階で待ち受けていた捻れた水晶で出来た中型ゴーレムも、四階で出た信号機みたいな色合いをした三体のサーベルタイガーも特にすることなく倒してしまい、辿り着いた最上階。
『グルォォォォォォォォ!!』
今までのフロアより些か狭いこのエリアでは、二本の捻れた角を頭部から生やした巨大な虎、螺旋の塔の主『ラオフェン』が咆哮を上げていた。仲間達の雰囲気が先ほどまでの楽勝モードから少し変わる。
「ここはやばいのあるから気を付けろよ!」
飛び掛ってきた虎の鼻っ柱を盾で引っぱたいたメイリが素早く横を抜けて中央付近へボスを誘導する、栄司は後ろに回りこみながら両手剣を振り回して攻撃を加えている、もちろんボスのほうも黙ってやられてはおらず、回転しながら爪を振り回したり、メイリに噛み付こうとしてはいるが、栄司はバックステップやローリングで上手く範囲から逃れ、メイリは当然のように盾で攻撃を防ぎきる。
少し見ないうちに対ボスというか、ダンジョン用の連係が凄く達者になっている気がするのだが。レベル差があったりドタバタしていて仕方ないのは解っているが、置いてけぼりな疎外感でちょっと切ない。
「くるぞー! 壁に向かってダッシュ!」
そんな風に勝手に落ち込んでいたのが悪かったのだろうか、栄司の声に顔を上げると何故か全員が壁に向かって走っていた。
「サンちゃん早くこっち!!」
慌てて手を差し伸べるメイリを見て、背後から聞こえる轟音に眼を向けると蹲っていた虎の周りに緑色のオーラが渦を巻いていた。不意に狼の大技を思い出す、あれは確かにやばそうだ。
振り向いてメイリの手を取ろうと駆け出した瞬間、背後で爆音が響いて僕の身体が宙に浮き上がった。室内で竜巻とかやめて頂きたい、虎を中心にして発生した風の渦が周囲にある物を吸い寄せていく、どうやら壁際が安全圏らしく、服や髪を風に靡かせながら僕を見る三人と眼が合った。
『(´・ω・`)』
ゲームとはいえこんな文章打ち込む余裕が良くあったものだと自分でも思う、大口を開けた虎がドアップで目の前に現れた瞬間、僕の視界は暗転した。
◆
「貴様だけは絶対にゆるさああああああん!!」
いつにも増して気合の入ったメイリが盾と剣で猛然と虎に攻撃を仕掛けている、栄司はその様子に若干引きながらも確実に大技を打ち込んでダメージを稼いでいた。僕はというと虎に頭をばっくりと行かれついにゲーム開始後初となる戦闘不能を味わっていた。
死ぬと幽霊状態で肉体の半径二メートル以内まで動けるようになり、他のプレイヤーからは姿が見えなくなる。つまり今のメイリ達にはミィに抱えられて壁際までもって行かれた物言わぬ僕の身体しか見えていないはずだ。
「サンちゃん、蘇生するからちょっと待ってねー……≪リザレクション≫」
膝枕しながらスキル名を言うと、床に羽をモチーフにしたらしい魔法陣が浮かび上がり、緩やかで暖かい光が天上からゆっくりと降り注いでくる。
数秒ほどの待ち時間を経て僕の前に『復活スキルが使用されました、ここで復活しますか?』というウィンドウが出たので、一度ボスの様子を確かめてからボタンを押す、視界がゆっくりと移り変わり天井が目に入る、自分の身体を確認しながら起き上がるとミィが笑顔でこちらを見詰めていた。
「蹲ったらあの技が来るから、壁際に移動してねー」
『わかった』
そういいながら支援に戻るミィの背中を見ながら、僕も攻撃に参加しようとカードを取り出す、というかメイリの猛攻で既にボスのライフは三割を切っているため、出番自体がほぼ無さそうだ。
それにしても暇だ。エンチャンターがお断りされる理由も何となく解る気がする、基本的に付与したらそれで仕事終了なために邪魔にならない安全圏でぼんやりしているしかない。魔法カードも低価格帯のものでは殆どダメージが入らないし、役に立とうとするとコストが洒落にならない。
自分達が一生懸命敵と戦って忙しくしている中、暇そうにしているのが居たらそれは迷惑だろう。今のレベル帯だとまだ付与の恩恵は微妙な所だろうし、つくづく理解ある仲間で良かったと思う。
そんな風に思いながら目の前で咆哮を上げて倒れる虎を見て、何だか微妙に申し訳ない気持ちを抱くのだった。
「おつかれーっと」
「サンちゃーん! 大丈夫? 痛いところ無い!?」
『おつかれさま』
戻ってきた栄司を押し退けて抱きついてこようとしたメイリを素早く回避すると労いの言葉をかける。何だか僕がさぼっていたみたいで複雑な心境だ。
「でも実際、耐性防御あるとすっごい楽だったな」
「そうねぇ、細かい被弾を殆ど気にしなくて良くなるのは大きいわ」
僕の気持ちを知ってか知らずか栄司が口にした言葉にメイリが同意を示す。実際の所、自分で自分の付与術をちゃんと活用できた試しがないので実感が湧いて来ない。この際だから色々聞いてみるのも良いかも知れない。
『そんなに違うの?』
「あぁ、ダンジョンボスは軽い攻撃の中に避け難いのがいくつかあるんだよ、
だからヒーラーが忙しかったり、変な所で攻撃の手が緩んだりしがちなんだが……」
「そういうのは純粋な属性攻撃が多いから、
耐性があると自然回復でも十分なくらいにまでダメージ減るのよね」
小さい攻撃に対しても効果はそこまで大きいのかと感心する、基本的に耐性は防御力と別計算の割合でダメージを減らすから効果も大きいんだろう、属性付与も同じく弱点がある敵なら効果は大きいと言ったところか。足を引っ張るだけじゃなくちょっとでも役に立てたなら良かった。
「あ!」
僕が情報に耳を傾けていると、なにやら手元を動かしていたミィが突然声を上げた。何事かと振り返る僕達に向かってウィンドウを見せつける。
「良かったねメイリ、舞服出てたよー、サンちゃんのご利益かもねー」
「まじで!!?」
ウィンドウに表示されたアイテムの名前は『☆螺旋虎の舞服』というもの、情報を見る限りではランク五の装備で女性専用のものらしい。被り付くメイリに苦笑するミィだったが、栄司はどういう訳か気の毒そうに僕を見ている。
『何?』
「……サン、強く生きろ」
『ほんとに何!? 何なの!?』
いや、皆まで言われなくても大体想像はつく、想像がつくから現実から眼をそらしたいと思う僕は臆病者なのかもしれない。しかし現実で女性化という耐え難い現実に女装という苦難を突きつけられた挙句、逃げた先のゲームでも同じような悪夢が訪れつつあるこの状況、怯えて眼をそらさずにドンと構える事が出来る勇者がどれだけ居るというのか。
「じゃあ素材の方は分配しちゃうねー、装備はメイリに預けておくね」
「ふふ、ふふふふふ……早く明日にならないかなぁ……」
自分の分のドロップ品を受け取りながらも、僕は妖しい笑いを続けるメイリから眼を離せなかった。もしも目をそらしたら殺られる……そんな気がしたから。
お待たせして申し訳ない……!
諸事情でちょっと時間が取れなかったので今回は文章のみの更新です。




