Contact.3-3 変わる日常
不器用な姉をリビングに押し込め、台を使って一人で食器を洗い終えた頃、栄司と伊吹から示し合わせたように同じ返事が送られてきていた。内容は『今日の午後なら空いてる』というもの。あまり間が空くと決意が鈍ってしまいそうだったので早い方が有難いのは確かだけど、いくらなんでも早過ぎて心の準備が出来る気がしない。
『明日じゃダメなの?』
少しずらして貰いたくて送ったメール、どうやら同じ場所に居るらしく二人を代表して栄司が返事をくれる事になった。
『明日と明後日はメイリと伊吹に付き合わされてイベント行くから無理だな、
明々後日なら俺も伊吹も大丈夫』
台所に設置された日捲りカレンダーを見る、今日は八月十日……毎年この時期、東京で三日間開催される大きなイベントの一日目だった。同人誌即売会、簡単に言えば趣味でゲームや漫画、小説を製作している人達が自分の作品を持ち寄って頒布するという主旨のイベントで、姉と伊吹も好きなゲームサークルやメーカーが出展する新作を集めて毎年のように通っていたはずだ。
中学の頃は夏冬とつき合わされていた。性質上、その日を逃せば二度と手に入らない物も多いと、普段の冷静さを置き去りにして熱く語る伊吹にドン引きさせられた事を思い出す。大事な話ではあるが年に二度しかない楽しみを邪魔するのは気が引ける、かといって明々後日まで待つとまた決意が鈍ってしまうだろう。
ここは勢いに任せるのが得策かもしれない。
『じゃあ今日の十四時に駅前のミストドーナツで……いいかな?』
『了解、また後でな』
指定した場所と時間に承諾の返事を受け取って、そっと携帯を閉じた。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.03-3 『変わる日常』
リビングでは姉が夏休みスペシャルという名目で再放送されているアニメを見ていた。少しぶかぶかになってしまったエプロンで手を拭きながらダイニングから移動すると、僕に気付いた姉が小さく手を挙げた。
「お疲れさま……私も手伝うって言ったのに」
憮然とした表情を浮かべた姉に、前掛けのポケットから取り出した携帯に文章を打ち込んで見せ付ける。
『姉さんに任せるとお皿割るでしょうが』
「残念、一人暮らししはじめてから克服しましたー」
それは本当なのかと真剣に姉の顔を見詰めていると、少し泳がせた後に姉の方から眼をそらした。どうやら虚勢だったようだ。乾いた笑いを浮かべる姉をジト目で見ながらエプロンを外して壁にあるホックに掛けると、ソファーに座って一緒にアニメを見る。放送されているのは去年の春に公開された魔法少女物の劇場版のようだ。
『今日の十四時に待ち合わせした、栄司たちにちゃんと話す事にする』
「そう……」
携帯を使って自分の意思を伝えると、姉は優しく微笑んで頭を撫でてくる。何だか子供扱いされているようで複雑な気持ちはあるが、妙に落ち着いてしまうのはこの身体が小さいからだろうか。
「ちょっと待っててね」
何だろうと思い、立ち上がった姉が部屋を出るのを見送る、何やら手に布の塊を抱えた姉がリビングに戻ってきたのは部屋を出て僅か数分後だった。何故か無性に嫌な予感がする。
『それ、何?』
「私の小さい時の服よ、母さんに置いてある場所聞いてたの」
どうやら姉が子供の頃に着ていた服を引っ張り出してきたらしい。嫌な予感が膨れ上がっていくのを感じる。
『何のために?』
聞かずとも解っているが、万が一違う可能性に賭けて聞きただそうとする僕の行動はきっと間違っていない。久し振りの帰省で昔を懐かしんでアルバムを引っ張り出すように、小さな頃の服を見て懐かしむことだってあるだろう。今回だって恐らくそれに違いないのだ。
「いつまでもその格好って訳にも行かないし、
出掛けるついでに服を買うにしても、着て行く物は必要でしょ」
僕の完璧な推測は音を立てて崩れ去ったようだ、いつだって世界は優しくない。小さな希望はいとも容易く打ち砕かれて、目の前に並べられたのは小さな女の子が好んで着そうなデザインのワンピースやスカート、ブラウスばかり。よりにもよってこのチョイスなのは悪意なんだろうか。
「私が七歳の時のだけど……ちょっと大きいわね」
慄く僕の身体に服を当てながら、若干の哀れみを込めた目線を向けないで頂きたい。それ多分姉さんの発育が良かっただけだからと、抗議の意味も込めてそのギリギリで一七〇センチに届く長身を睨みつけるとまたしても可哀想なものを見る目を向けられた、屈辱だ。
「まぁ繋ぎだし我慢して、後はこれね」
姉が無造作にテーブルに置いた物に眼を向ける、素材はコットンだろうか、手触りの良く柔らかそうな薄い三角形の布が、ガラステーブルの上に堂々と鎮座していた。僕の記憶が確かならばこの物体の名称はショーツと呼ばれるもののはずだ。
「折角だから話し合いが終わったら一緒に買い物行きましょ、
今の日向の容姿で外に出ると目立ちすぎるから、今のうちに着替えて慣れておくように」
姉さんは冗談が好きだなぁ、乾いた笑いを浮かべる僕の頭を撫でた姉は、目線を合わせるようにしゃがみ微笑を浮かべる。
「一〇分経っても着替えて無かったら、力尽くだからね?」
悪魔のような言葉を残すと、固まる僕を残してリビングを出て行った。自由意志というものはどこにあるのだろうか、負い目は何処に消えたのだろうか、もうちょっとショックだったアピールしておくべきだったのだろうか、悔いても後の祭りだ。昨日のあれで遠慮がなくなりつつある姉は確実に有言を実行してのけるだろう。
おっかなびっくり純白のショーツを手に睨みつけるも、形状を変えたり消え去ってくれるような事はない。最大の敵であるこれがシンプル極まりない形状なのは唯一の良心と言ってもいいだろう。まさか友人への告白を目前にここまで巨大なハードルが立ちはだかるなど誰が予想し得たというのか。
自分の手で女物のパンツを身につけるのと、姉の手でパンツを履かされるのとどちらがマシかと聞かれて、後者と答える猛者はそう居ない。出来れば居て欲しくない。僕もまたツワモノの資格を持たない凡人として即断即決で前者と答える。あくまでも強制的な二択なら、と注釈をつける必要はあるが。
しかも誂えたかのように姉が選んだ衣服はスカートオンリー、ズボンを持っていなかった訳じゃないのは僕の記憶が証明しているので意図的なものだろう。僕は一体何を試されているのだろうか?
「あと五分よー」
扉の向こうから声が聞こえる、せめて着替えシーンは見ないようにしているのは武士の情なのかもしれないが、こっちからすればその程度の情など焼石に水でしかない。然らば介錯を仕られるのも読んで字の如く時間の問題だ。
時計を見る、秒針は僕を追い立てるように止まってくれない。扉の外で待ち受ける姉も止まってくれない。進むも地獄、戻るも地獄、ならばせめて前に倒れよう――僕は覚悟を決めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「似合ってるじゃない、すっごく可愛いわよ?」
「…………」
機嫌の良さそうな姉が、スカートの裾を抑えながら睨む僕の頭を撫でる。こっちの攻撃を全く意に介していないのは幾らなんでもずるすぎるだろうと主張したい。女性は良くこんな物を履いて外を出歩けるものだと改めて思う、ゲーム内で着せられた時も大分不安はあったが、現実と比べてしまえば可愛いものだ。
結局選んだのは黒線が縦に入ったストライプ柄のサマーブラウス、膝上くらいの丈がある白のスカート。他のは兎さんのワンポイントが付いていたり、必要以上にふりふりしていたりと厳しすぎた。それとトランクスを履き慣れた身としては、肌に張り付く下着はどうも落ち着かない。
「……はぁ、あんまり強要したくはなかったけど、
日向、このくらい強引にやらないと今の身体が小さな女の子だって自覚しないでしょうが、
自宅に篭りっぱなしならいいけど、男の時の感覚で無防備に動き回るとろくな事にならないわよ?」
抗議したい所だが、飛び出た正論に何も言い返せない。
「まだまだ問題は山積みなんだから、
いつ戻れるか解らない以上、出来るだけ今の身体に則した言動を心掛けなさい」
姉が言うにはスカートは周囲の目を意識する良い訓練になるという事で、無理矢理でも着せる必要があるという事だったが果たしてどこまで信用出来るだろうか。昔からお人形さん遊びが好きで、僕もまだ幼い頃に「日向が妹だったら可愛い格好させまくったのに」という本人曰く冗談を真顔で言われた事もある。
勿論僕だって馬鹿じゃない、外に出て行くならある程度は仕方ない事だというのも解っている。自分で言うと物凄い痛い子みたいで嫌なのだが、今の僕は男の子の格好をすると浮いてしまうくらいに"可愛い"のだ。幸いにも身体が小さすぎて欲情するような人間は少ないだろうが、居ない訳じゃない。
そんな状態で無防備に外を歩き回れば、そういった極一部の変態……メイリに言わせる所の変態を名乗るのもおこがましい畜生共の餌食となるのは避けられない。だからこそ無理矢理にでも自覚を促がす必要があったと、確かに理屈は解る。だがそこに姉の趣味が混在していないと言えるのだろうか。
「そういう訳だから、訓練も兼ねて説明が終わったらそのまま駅前のデパートでお買い物するわよ」
またしても疑惑の視線をはぐらかされた。テンションを上げるのは良いがそれについて問題は多い。
『僕あんまりお金ないんだけど』
無駄遣いしている訳ではないが、かといって決して多く手元に残している訳でもない。文脈から推測すれば買い物の目的は服だろうし、バイトをしていない僕の手持ちでは少しどころではなく厳しいものがある。
「その辺は大丈夫よ、お母さんから軍資金貰ったし私も出すつもりだから
お姉ちゃんにどーんと任せなさい!」
どうやら今朝のやり取りはこのための布石だったようだ、まぁ洋服とかは一番最初に出てくる問題だし真っ先に気がついてもおかしくはなかったけど、何故僕ではなく姉が取り仕切っているのだろうか。現在の見た目はともかく中身は高校生の男な訳で、僕自身にやらせても問題ないのに。
「あんたに一任したら男の子物で揃えるでしょうが……
それとも一人で女の子物の服やブラやショーツを買いに行けるの?」
一人で女性物の下着売り場に入る光景を想像しようとして即座にやめた。認めよう、僕が間違っていた事を……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
姉と連れ立って家を出たのは十三時半、ここから待ち合わせ場所までは徒歩で二〇分程かかる。一歩進む度にスカートの中身が見えるんじゃないかという不安と、これから栄司達に話さなければいけないという不安が重なり合って心境が複雑なんて生易しいものではなくなっている。せめてどっちか片方ならもう少し足取りも軽くなるのだけど。
僕がこうなるのを予想していたのか、姉はしっかりと横について逃げないように手を繋いでいる。意外と力が強く振り解くのはちょっと大変そうだ、外から見た僕達はちゃんと姉弟に見えているのだろうか。会釈しあって通り過ぎた親子連れの表情を伺うと、完全に微笑ましい姉妹を見るような目をしていた。
無意識に空いている手でスカートの裾を抑える僕の動作がよほど気になるのか、出会う人全てが僕達を見てほほえましげに笑っている、「見世物じゃねぇぇぇぇ」と大声で叫んでやりたい気持ちをぐっと堪えるも、良く考えたら叫びたくても声が出なかった。
駅前まで行くと流石に人が多い為か直視される事は減ったが、その分人の視線は集まってくる。僕は何でここを待ち合わせに選んだのだろうか。少しでも早く人目から逃れたくて姉の手を引っ張って目的の店へと入る。ミストドーナツは全国にチェーン展開するドーナツの専門店で、何故か中華風の麺類などの飲茶まで取り扱っている。
流石に昼のピークを過ぎた為か人はまばらだが、お茶とドーナツを楽しむ女性客の姿がちらほらと見受けられる。「いらっしゃいませー」という元気の良い店員の声をバックに店内を見回すと、壁際の席で向かい合ってノートを開いている見慣れた後ろ姿が見えた、緊張が走る。
「注文して持ってってあげるから、行って来なさい」
しり込みする僕の背中を、姉の手が優しく叩く。少しの間を置いて頷くと、携帯を握り締めて二人の座る席へと向かった。携帯を開いて近付いていくと、こちらに気付いた伊吹が僕の顔を何気なく見詰めて、次第にその眼を大きく見開いていく。気付いたのは有る意味では当然だろう、僕の姿はゲームと全く同じなのだから。
背中に浮かんだ汗が冷房の風で冷やされて少し冷たく感じるが、緊張で固まりそうな身体には逆に丁度いい発破だ。時間的にはほんの数秒、体感的には数百メートルに近い距離を越えてテーブルの前に辿り着く。硬直する伊吹に気付いた栄司がその視線を追うように僕を見て、全く同じようなリアクションで固まった。
動けない二人を尻目に携帯を持って『お待たせ』と一言だけのメールを送信する。送信のアニメーションが表示されて何秒経ったか、ついにほぼ同じタイミングでメールの着信を知らせる音が鳴り響き、それを切っ掛けにして解凍された二人が同じような動作で携帯を開き、表示された画面と僕を何度も交互に見る。
昼下がりのファーストフード店で行われていた無言の攻防は、栄司の手によってその均衡が破られることになる。
「まさか、日向、なのか?」
引き攣ったような乾いた声が漏れる。結びつけるのは簡単でも、納得し受け入れるのは容易ではない。それを体現するかのような動揺を見せる親友たちの姿に、昨日のヒステリックに叫ぶ母の姿が重なった。逃げ出しそうになる足を意思の力でその場に縫いとめ、震える身体を抑えながら頷く。逃げ出した所で状況は余計ややこしくなるだけだ。
「え、いや、でも、え、ええええ!?」
抑えきれず喉から漏れでてしまったような声に、店内に残っていた女性客の注目が集まる。外から見た僕達はどんな風に映っているのだろうか。
「騙している、という訳じゃなさそうだな」
伊吹は意外と冷静なようでゲームの姿と完全に瓜二つだと呟いてから、顎に手を当ててなにやら考え込みはじめる。対照的に栄司は事態を嚥下しそこねて喉につっかえたようで、口をパクパクさせながら僕と伊吹と携帯を見比べては「えええぇ……」と呟いている。
「私も保証するわよ」
続ける言葉を見失っていた僕をフォローするかのように、二人分のドーナツとドリンクが乗ったトレイを手にした姉がこちらにやってくる。
「大和姉!?」
「大和さん」
「二人ともお久し振り、日向の事、気にかけてくれていてありがとうね
少し長くなるだろうから、同席していい?」
どうやら姉が居ることは想定外だったようで、驚く二人に姉さんが畳み掛けた。未だ動揺が抜けきらない栄司が自分の分のトレイを持ち伊吹側に移動して、二対二で向かい合うような形になった。親友たちの視線に晒されて何もいえなくなった僕と、何て言えばいいのか解らずに押し黙る彼等の間に奇妙な沈黙が生まれる。
「……本当に、日向なのか?」
恐る恐る、確認するかのように尋ねる栄司にもう一度頷いた僕は、恐らく僕だけが知っている栄司のばらされたくない秘密を携帯を使って文章にすると、画面を彼に向けた。
『小学五年、水泳の授業の時に』
「オーケーわかった把握したお前は間違いなく日向だ!!」
流石というべきか全く反応できない速度で携帯を奪い取られた、他に筆記用具が無いから返してもらえないと色々と困るのだが。文章を消そうと躍起になる栄司、それを隣で見ていた伊吹が「間違いないようだな」と溜息を吐いた。どうやら巻き添えを恐れたらしい。
「はぁ……しかしまたなんでそんな面白い事に」
携帯を返しながらも物珍しそうに僕をじろじろと見てくる栄司を睨み返す、僕は全くちっとも面白くないのだが。どす黒い怒りをたっぷりと視線に絡ませ、返してもらったばかりの携帯を弄り僕の知りうる限りの情報をかいつまんで説明していく。
猫を助けたところから、階段から落ちて気付いたら家でこんな姿になっていた事。受け入れて貰えなかったらどうしようという不安で誰にも相談できずに居た事、少しでも長く時間を稼ぐ為、最低限外との関わりを持つ事で周囲を納得させようとゲームに没頭した事。
「……そうか、悪いがまだ現実味が無くて、大変だったなとしか言えない、
でも、日向の方から話してくれて嬉しかった……ありがとう」
過去を知っている為か猫の件で何だか微妙な空気になりかけたものの、全て話し終えたとき、拒絶される不安に震える僕を見ながら栄司が頭を下げた。驚く僕に向かって伊吹も同じように「ありがとう」と笑った。姿かたちが大きく変わった僕が、こんな荒唐無稽な話をしても、二人の態度はいつもと何も変わらなかった。
信じてくれた、受け入れてくれた。胸を痛め付けていた物が崩れて落ちていくような感覚、安堵のあまり涙が出てくる。
「もう、擦っちゃだめよ」
袖で拭おうと伸ばした腕を止めた姉が、ハンカチを差し出してくる。涙を拭く為に眼を覆って周囲が見えないのは幸いだった、僕を見詰める彼等の顔を覚えていたら、落ち着いたときにきっと恥ずかしくて倒れてしまうだろうから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「何か隠してるとは思っていたけど、まさかそんな事情だったとは……」
「俺としては逆に納得が行ったが」
大分安定し、ドーナツを頬張っている僕を見ていた栄司がふへーと息を吐く。これに意外な反応を返したのは伊吹だ。
『納得?』
「気になって色々調べたんだが、違法改造やバグで体格や性別の変更を行える事は確かだが、
そのままプレイ出来るってのは真っ赤な嘘、都市伝説みたいなものだったんだ」
気になって聞きだそうとする僕に伊吹から衝撃的な返事が来た。あんぐりと開けた口からドーナツの食べかすが僅かに零れ落ちる。
「やっぱり知らなかったか、EFは初の仮想現実って事で密にモニタリングされてるんだよ
現実に影響がありそうなバグや改造は即座に運営が察知して対応にやってくるから、維持は難しいって話だ」
え、でも僕が確認した時は確かにプレイできてるって……。
「運営が本格的な対応を始めたのが日向が始めた少し後だからな、
大方、大丈夫と判断してからはろくにチェックしなかったんだろう?」
図星だった、安心してからはゲームに浮かれてそういった動向を殆どチェックしていなかったのだ。詰めの甘さを露呈されたみたいで何だか居た堪れなく縮こまる。
「それにしても……それ、お前の趣味か?」
続いて質問を投げてきた栄司の視線を追うと、僕の服に向けられているのに気付く、酷い誤解だ。
『違う! 姉さんが男の子の格好すると逆に悪目立ちするから女の子の格好しとけって!』
かつてない速さで入力した文章を突きつけると、栄司は「だよな、良かった……」とあからさまに安心した様子で胸を撫で下ろした。あらぬ疑いにも程がある、こんな姿でも中身は一応思春期の男子なんだから気を使って頂きたい。
「いや、親友が小さな女の子になって、しかも可愛い格好するのに目覚めました!
何て言われたら俺は……笑いすぎて死んでしまうかもしれないからな」
等と言ってからかうように笑う栄司を見て、僕の気を紛らわせようとしている事に気付く。伊吹もわかっているのか苦笑しているし、姉さんも小さな頃から知っている為かやれやれとジェスチャーしている。全くこいつは、後で覚えてやがれ。
「それで、事件が起きた場所は神社だったな?」
『うん』
栄司を睨みつける僕の頬を突っつく姉を丁寧にスルーして、空気を変えようと伊吹が発した問い掛けに答える。
「一応俺の方でも神社に何か由来がないか調べておこう」
『ありがとう、でも自分の用事が優先でいいからね、
表に出れるようになったし、僕の方は自分で何とかしてみるから』
本来僕が自力でどうにかしなきゃいけない事で、頼ってしまうのは憚られる。受け入れてくれただけで十分だと決意を告げると、突然横からアイアンクローをされた。
「!!?」
「おーまーえーなー……」
そのまま脇に頭を抱えられてヘッドロックされる、いつの間にか隣に来ていた栄司の犯行だった。手加減されているのか痛くは無いが苦しいし微妙に汗臭い、助けて欲しいと手を伸ばしたものの、姉からは冷ややかな目線を、伊吹からは溜息を賜った。
「ちょっとくらい俺達を頼れよ……友達だろうが」
「――!」
呆れたような、それでも優しい声が聞こえる。
「まぁ、今のは日向が悪いわね」
どうやら、僕はまた間違えそうになっていたらしい。ちょっとだけ、甘えてもいいのだろうか。
「という訳だ、一応調べておくがあんまり期待はしないでくれよ?」
「俺も出来るだけ手伝うようにするからな」
僕を解放した栄司が、伊吹と一緒になって親指を立てるジェスチャーで任せろと言う。まるで何も考えず無邪気に遊んでいた小学生の頃を思い出すようで、胸の奥が暖かかった。
『ありがとう』
僕の言葉で空気が和む、何だか一気に肩の荷が下りた気分だった。心なしか姉さんや栄司達も安堵しているように見える。
「しっかし、そんな状況でゲームってお前」
静寂を打ち破るかのように席に戻った栄司が呆れたように笑う。
言いたい事は解る、僕自身も相当気が動転していたのだろう、今になって考えれば何をやってるんだと自分の行動に苦笑を禁じ得ない。結果として目論見は成功したので何がどう働くか解らないのが人生の面白い所だろうか。
「急に引き篭もりだした時、おばさんも凄く心配していたんだぞ、
俺たちも町で偶然会った時に何度もよろしくと頼まれたからな……
しっかり親孝行しておくといい」
胸にグサりと伊吹の言葉が突き刺さる、自責の念にやられてテーブルにつっぷする僕の髪を姉が執拗に梳いている。
『そう考えると、姉さんが予定より早く帰って来てくれたのは良かったのかもと思う
これ以上こじれる前に全部バレてくれて』
「こっちは心臓が止まるかと思ったわよ? 最初は誘拐って単語が脳裏を過ぎったし」
「家に帰ったら見知らぬ幼女、突然引き篭もり始めた弟……まぁ、下世話な想像しか出来ないよなぁ」
楽しそうに笑う栄司は、やはり心配をかけ続けた事を怒っているのだろうか、こいつが僕に対して怒った時は僕をからかう事でフラストレーションを発散しようとする、僕もある程度は弁えているから多少は甘受するが後でしっかり復讐しようと心に誓う。
膨れる僕と笑う栄司、それを見て苦笑する姉さんと伊吹……そんな構図で雑談を続けるうちに時間は過ぎて行き、久し振りの集まりは姉の言葉でお開きと相成った。
「そうだ、これから日向の服とか日用品買いに行かなきゃいけないんだけど、
どっちか暇なら荷物持ちとして付き合ってくれない? 夕飯はステーキ奢るわよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その誘いに乗ったのは栄司のみ、どうやら僕をからかうついでにステーキが食べれて一石二鳥という考えらしい。伊吹の方は明日の準備があるからと逃げるように帰って行った。店の前で伊吹と別れた僕達はそのまま近くのデパートに向かう。人の数はそれなりといった感じだろうか。
迷子にならないようにと、姉にしっかり繋がれた手を見て笑いを堪える栄司を蹴り飛ばしたい衝動を抑えながら、エスカレーターで目的のフロアへと上がっていく。
「さて、まずはここね」
姉に手を引かれたまま辿り着いたところは、男だった頃は間違っても近寄ろうとしなかった場所、それでも男として心惹かれる物が大量に鎮座されている禁断の地。そう、その場所の名前は……女性用下着売り場。
「~~~!!」
「あ、ちょっといいですか?」
僕が弱いのか姉が強いのか、繋がれた手は予想以上の力で持ってがっちりロックされていて、二度と逃がさないという意思がありありと伝わってくるかのようだった。声を聞きつけた女性店員がこちらに向かって来るのが見える。
「じゃあ、俺あっちのベンチで待ってるから!」
爽やかな笑顔で踵を反そうとした栄司に手を伸ばし服の裾を掴み、有りっ丈の力を込めて手繰り寄せた。置き去りにして一人で逃げようなんてふてぇ野郎だ。
「は、離せ馬鹿!?」
絶対に離してなるものかと重心を低くしてこちらに引っ張る、本気で力を入れれば簡単に引き剥がせるんだろうけどそれをしないのは世間体を考慮してか、この弱々しい外見が初めて役に立った。いや元を正せば全ての元凶な気がしなくもないのだが。
「何かお探しですか?」
「あんたたち何遊んでるのよ……」
怪訝そうな顔で引っ張り合う僕達を見た店員さんに苦笑で反した姉が、今度は僕と栄司を冷たい目で射抜いてくる。僕が悪いんじゃない、逃げようとしたこいつが悪い、敵前逃亡は銃殺刑だ。
「妹の下着を買いに来たんですけど、ちょっとサイズが解らなくて」
三人揃って手は離れたが微妙な緊張感が漂う、僕が逃げようとすれば姉が素早く捕まえるだろうし、僕だって栄司を逃がすつもりはない。
「解りました、こちらへどうぞ」
一瞬栄司をちら見した店員さんは、笑顔で僕の手を引いて試着室の中へ誘導する。背後をちらりと見ると、戸惑う僕の背中を押すように微笑んで手を振る姉が、逃げようとする栄司の襟首を掴んでいるのが見えた。
ナイスだ姉さん……!
「そのままで大丈夫ですから、ちょっと背筋を伸ばしていて下さいね」
店員さんがポケットからメジャーを出したのを鏡越しに見て、服を脱がなければいけないのかと怯えていると、何か察したのか店員さんが小さく微笑んでその必要は無いと肩を撫でた。
「両手を広げて……はい、失礼しますね」
正面から背中にかけて、メジャーを持った手を回すと、一度目は肋骨の下端あたり辺りで目盛りを重ね、次は胸の真ん中あたりで同じ動作をする。何で違う場所で二回測るのだろうと首を傾げる僕を尻目に、店員さんの手はするりと下がって今度はお腹、お尻と手早く測っていく。
微妙なくすぐったさと恥ずかしさで顔が熱くなる、多分真っ赤になっているんだろう僕の顔を見た店員さんが微笑ましい物を見るかのように笑顔を浮かべると「はい、もう大丈夫ですよ」と立ち上がって頭を撫でてきた。
何だろう、この意味の解らない敗北感は。
自分でも解らない感情に揺すられたまま試着室から出ると、観念した様に項垂れる栄司と姉が待ち構えていた。どうやら逃走には失敗したらしい、ざまぁみろ。
内心で栄司を嘲笑う僕を尻目に店員さんが姉と話し始めて、どうしようかと思っていると姉に肩を掴まれて僕も同席させられた。
「妹さんくらいの年齢ですと本格的なブラジャーは少し早いかと
こちらが小さい子向けの製品なんですが、インナーとブラの中間でしてデビューにはおすすめですよ
サイズはこの辺りが丁度良いかと」
そういって店員さんが差し出してくるのは白く清楚なタンクトップ状のインナーとパンツのセット。思わず直視してしまって顔が熱くなる。
「そうですねぇ……ありがとうございます、じゃあそれをセットでいくつかと、
後はショーツを何着か買っとこうか、デザインは自分で選びなさい」
姉の言葉を聞いた店員さんが微笑みを浮かべ、「家族以外の方が傍に居ると妹さんも恥ずかしいでしょうから」と気を利かせてカウンターに戻って行った。気遣いはありがたいが自分で選べといわれても……困った末に視線で助けを求めた栄司は我関せずと顔を逸らす。
「今のうちに自分で買えるようになっておかないと、
母さんや私が大人なデザインの買っちゃうわよ」
突然耳元で囁かれた声にひぃっと喉が引き攣る、声が出ないのが幸いだった。ちょっとスパルタ過ぎやしないだろうか、というか絶対楽しんでる、間違いなく楽しんでる。そういえば姉が声優の仕事を始めたのも、可愛い女の子を見たり着飾ったりするのが好きなのが高じて製作側に回った事がきっかけだった気がする。
今の僕は姉からすれば格好の獲物だろう、しかも今遊んでる高額機器をプレゼントしてくれたのに隠して逃げようとした負い目もある上に、衣類に関して金を出すのは母と姉だ、「家族は自分に尽くすのが当然」なんて傲慢になれない僕には勝てる要素が見当たらない。
「えげつねぇ……」
横からも乾いた声がする、姉のささやきを聞こえていたのだろう、ちらりと見た栄司の頬が引き攣っている。そう思うのなら助けてもらいたい、僕達は親友じゃなかったのだろうか。気まずそうにそっぽを向く彼は言外に姉に逆らいたくないと告げている。
「……この子の事は可愛くて仕方ないけど、
今後の生活もあるし、甘やかす気はないわよ?」
姉さんはほんとは猫可愛がりしたくて堪らないと良く解らないカミングアウトをしながらも、姉として女の子としての生活スタイルを教育しなきゃいけないと謎の使命感を燃やす。出来ればそっち方面でもちょっとばかり甘やかして貰いたかったりするのだけど。
「誤魔化し方見てれば解るでしょ、
この子ったら変な所で頑固になって周りが見えなくなるんだから、
放っておいたらいつまで経っても今の自分が女の子だって自覚持たずに行動するわよ?
そうなった時、多分真っ先に"被害"を被るのは栄司君だと思うんだけど」
どうやら心当たりがあったらしい栄司は僕の両肩にぽんと両手を置き、真面目な顔で「頑張ってくれ」と告げた。僕としても彼のギルド内で"ペド野郎"という称号を定着させた原因が自分であるという自覚があるので、強くは出れない。感情と折り合いをつけた僕は力強く頷いて栄司の手を掴み、携帯に打ち込んだ決意の文章を見せた。
『一緒に地獄に堕ちようぜ……?』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
言うだけ言った姉は下着の種類を指定して「セットから好きなの二着、あっちにあるワゴンのショーツから十着選んで買うこと、私は他に必要な物買って来るから」と僕にサイズを教えカードだけ預けて行ってしまった。残された僕達は先ほど店員さんが示した下着セットのうちシンプルかつ簡素な物を選んでレジで預かってもらいつつ、指定された場所にあるパンツに挑んでいた。
「これなんかいいんじゃないか?」
『喧嘩売ってんなら買うぞいくらだ』
投げやり気味に指先で摘まんで、後ろ側にデフォルメされた猫の顔がプリントされたパンツを渡そうとした栄司の手を叩く。
「というか物凄い居辛いから早く決めてくれよ! 健全な高校生男子の気持ちを考えろ!」
お前の方こそいきなり幼女にされた思春期の男子の気持ちを考えろ! 出来るだけシンプルなのを探して恐る恐る掘り返しても、出てくるのは変に大人っぽい感じだったり、逆にアニメキャラが印刷されていたりと自分で履くには辛すぎるのばかりなのだ、何とか見つけたのは白地に赤リボンのついた量産品らしき同じデザインの物を二つと、横ストライプ柄のが色違いで四つ、ノルマの十にはまだ四つも足りていない。
「もうこれでいいだろ、誰に見せるもんでもないんだから……
似合うと思うぞバックプリント、メイリ辺りが発狂しそうだ」
『その光景がありありと目に浮かぶから嫌なんだよ……』
嬌声を上げて抱きしめようとしてくるメイリを羽交い絞めにして抑えるミィの姿を幻視しながら下着の山を掘り返していると、段々自分の中で女性物の下着を触る事への抵抗がなくなってきているのを感じる。慣れとは恐ろしいものだ……あ、飾り気の無い水玉の発見。
「おわっ!? ちょ、俺に渡すな!」
視線でちょっと持っててと訴えながら、持ちきれなくなったパンツを何着か押し付けると、顔を真っ赤にして汚い物を触るかのように指先で持とうとする思春期男子の滑稽な姿が見えた。流石にそのまま所持しているのは辛かったのかその足でレジへと預けに行く栄司の背中を見ながら、残りの分を探す。
「妹さん、ほんと可愛いですねぇ」
「え、えぇ、まぁ……生意気で困りますけど」
派手すぎず可愛すぎないパステル調の柄な下着を三着見つけた僕がレジの方へと行くと、微笑ましげにこちらを見る店員さんと引き攣った笑みを浮かべて曖昧に肯定する栄司が何やら聞き捨てならない会話をしていた。待っていてくれた店員さんに頭を下げると、ちょっと背伸びして台の上に持ってきた下着を置く、これで全部だ。
「優しいお兄ちゃんで良かったね」
そんな事を言いながらレジを打つ店員さんに曖昧な笑みを返しながら栄司を見る、何がどうなっているのか説明を求めたい。
「……腹違いの妹の買い物に付き合ってやってる事になった……もうペド野郎呼ばわりは嫌だ」
どうやら苦肉の策で設定を作り必死で回避していたようだ、友人間でペド野郎が定着しつつあるのがよほど堪えているらしい。可哀想にと、嘲笑を視線に込めると逆に非難するような表情で「いや、お前のせいだからな?」と冷静に返されてしまった。
「まだ買い終わってなかったの?」
合計額が出るのを待っているうちに背後から姉の声が聞こえて振り返ると、少し大きめの紙袋を抱えた姉がこちらに向かってきていた。普通女性の買い物といえば時間がかかるものなのだが、姉はその定義には当てはまらず迅速に済ませる傾向がある。場合によっては僕の方が選ぶのに時間がかかってしまうくらいだ。
「それにしてもまたシンプルなのばかり選んだわね……あ、これも追加で」
遠目にレジの上で折りたたまれて行くパンツを見ながら、途中で引っ掴んだやたらふりふりとしたレースがついた水色の物と、柔らかいピンク色の下地を赤いリボンでラッピングしたようなデザインの下着セットをレジの上に置いた。サイズ的に間違いなく僕用のもの。
「かしこまりました、お支払いはカードで?」
「はい、日向パス」
姉さんは時間切れーとからかうように言いながら抗議しようと携帯を開く僕からカードを強引に回収して支払いを済ませてしまった。何と言うあざやかな手口か、僕が口を挟む暇もなく梱包は終わり、渡された紙袋を持たされた栄司が「やっと死地から抜け出せる」とあからさまにほっとしていた。
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またお越し下さいと丁寧に頭を下げる店員さんに見送られて、カードを弄ぶ姉に手を引かれながらまず靴売り場、次に子供服売り場を回る。靴はサイズの合う動きやすいスニーカーと女性用の……踵が低いサンダルのようなものを一足ずつ、服は僕の意思が反映される事は無く、姉の趣味でワンピースやサマードレスなどのスカート系を中心に買われてしまった。
いくら姉の買い物が早いと言っても量が違う、一段落する頃には僕と栄司がすっかりグロッキーとなっていた。とはいえ夕飯のステーキを聞けば動かざるを得なく、時間も食事に丁度良い頃合とあって多すぎた荷物をロッカーに預けた後は、最上階にあるステーキハウスへ一直線。
疲れていてもお腹は減るもの、普段はとても食べられない一人一枚の分厚いステーキに舌鼓を打ちながらも、食べきれなかった分を栄司に奪われ、自分の胃袋の小ささに悔しい思いをしたり。デザートのソルトアイスで機嫌を直したりと個人的に充実した時間をすごす事が出来た。
帰る頃にはすっかり日が傾き始めていて、荷物を家の中に置くと「それじゃまた」と家路に着く栄司を見送った後はそのままソファーに突っ伏した。久し振りに歩き回ったせいか眠い、心の重荷が取れた今ならぐっすりと眠れそうな気がする。
「ほら、お風呂入るわよ」
っと、そうだった、何時の間に沸かしておいてくれたのだろうか、正直に言えば疲労が大きくて凄く眠いので助かる。ふらつく足で脱衣所に入るとブラウスのボタンを外していく。服を脱ぐ途中、いきなり背後で扉の開く音がする。何事かと振り返ると薄着に着替えた姉が髪の毛を頭の後ろでくくり、タオルと何やら色々入った籠を抱えて入ってきた。
タオルを持ってきたくれたのかと思ったが、姉は腰に手を当てて僕を見下ろして出て行く気配はない。
「さて、昨日からずっと気になっていたんだけど……シャンプーは何使ってるの?」
笑顔で聞いてくる姉が発するプレッシャーはちょっと尋常じゃない。一体僕が何をしたというのだろうか……理不尽な圧力に晒されながら浴室のドアを開け、恐る恐る普段使っているトニック系の男性用シャンプーを指差す。視線で指の先を追った姉はあからさまに溜息を吐いた。
「やっぱりね、どうせリンスもしてないんでしょ? 髪の毛ぱさぱさになってるじゃない」
徐に伸ばされた手が僕の髪の毛を掬う、変化した当初は最初は絹糸のようだった髪は、良く見ると所々で絡み少しばかりぼさぼさになっている。どうやらそれがお気に召さないらしく、髪の具合を確かめる度に姉の表情がどんどん険しくなっていく。
「折角綺麗な髪の毛なのに、この杜撰な管理は女として許容しかねるわね
という訳だから、今からお風呂の入り方教える事にしました、直接洗ってあげるから覚えるように」
姉さんは僕が髪の手入れを怠っていた事がお気に召さなかったらしく、とんでもない事を言い出した。慌てて首を横に振って拒否の意を示すものの、暴走しているらしい姉はそんな事では止まらない。そもそも口頭で教えるだけじゃいけないのだろうか。
「口頭で言ってもどうせ見てないって適当にやるでしょうが」
……どうやら姉も読心術を身につけているらしい、我が姉ながら恐ろしい。だが顔を逸らしたのは失敗だったようだ、姉の手が僕の服を掴んだかと思いきや、あっという間にブラウスのボタンを外して剥ぎ取ってしまう。慌てて手を伸ばすがその瞬間にはスカートも一瞬で持って行かれる。
余りにも手早すぎる動きに動揺した僕は、最後の砦たる白い布切れへと手を伸ばすが、姉さんの動きは僕を容易く上回る。
「……やっぱり生えてないのね」
羞恥で顔が燃え上がりそうになりつつも、素早く両手で股間を隠して開けっ放しだった浴室へと逃げ込む、振り向き様に扉を閉めようと伸ばした手は、あの一瞬で僕の行動を読み切って行動したらしい姉に受け止められてしまう。
「はぁ、ほんとに……昔から嫌な事はあの手この手で逃げようとするんだから
デリケートな部分は手入れを怠ると荒れた時が辛いんだから、嫌なら一度で覚えなさい
ちゃんと出来るようにならなきゃ何回だってやるわよ?」
解りました、絶対にやりますから口頭で教えるだけにして下さい。言葉が出ないのがもどかしく、必死で首を振っても伝わらない。
「ッ!?」
背中にひんやりとした感触が触れて、一瞬びくりと身体を強張らせる、何事かと後ろを見ればいつの間にか浴室の壁が立ちはだかっていた。知らぬ間に壁際へと追い詰められていたらしい、唯一の脱出口は硬質な音を立ててその口を閉じ、目の前では蹂躙者がシャワーの湯加減を確かめ、籠に入っていたスポンジに半透明なボトルから出した乳白色の溶液を擦り付けていた。
追い詰められた鼠、まな板の上の鯉、そんな単語が脳裏を過ぎる。迫り来る危機への恐怖は巨大な樹に追い回された時や、強敵たる狼と戦った時とは比較にもならない。やはりゲームと現実は違うのだ、今の僕は武器も持たず抗う術を持たない。
姉が手にする、泡塗れのスポンジが今にも牙をむいて襲い掛かってこようとしているかのようだ、狼の眼前に据えられた兎はただ座してその牙にかかる瞬間を待つしかない、所詮は"ニセモノ"である僕の目の前に頼れる猟師は現れないだろう。
「痛くしないから安心しなさい」
――――変わり果てた自分を家族と友人に受け入れてもらったその日、僕は何かもう色々大切な物を失った。
お待たせしました、
取り合えず本編の追加です、後ほど挿絵が付いたりするかもしれません。




