Contact.3-1 傷痕
今回は導入部で短めです
また、内容に不愉快な感情を覚える部分がありますのでご注意下さい。
≪ユーベル≫の中央広場、ギルド会館の屋根に設置された大きなモニターにゲームの新しいプロモーションビデオが上映されていた。モニターの中で美しい空を縦横無尽に飛び回るキャラクターの背景には、先日発表されたばかりのイメージソングが奏でられている。このイメージソングに合わせて改めて製作された宣伝用の映像は、今週からテレビでも放送されるそうだ。
「おぉ、ヤマトさんの新曲完成してたんだ」
栄司とメイリに拠点に案内してもらっている最中、たまたま通りがかった所で上映中だった映像を見たメイリがぽつりと呟いた。軽快かつアップテンポな曲調は、正統派のファンタジーを目指しているというゲームの雰囲気にマッチしていると思う。
「そういや、好きだって言ってたな」
結局立ち止まって最後まで映像を見ていたメイリに栄司が声をかけた、彼女は力強く肯定すると『ヤマト』の歌手としての魅力や声優としての魅力を語りだす。ヤマトは高校時代に動画サイトに投稿していた歌がきっかけとなってデビューし、それ以来アニメやゲームの主題歌は勿論、声優としても活躍中の歌手の名前だ。
なんだかんだでオタク趣味の持ち主であるメイリは、デビュー当時からヤマトのファンだったようで、今でも出演する作品を追いかけているのだとか。生粋のゲーマーとして知られていて、現在も動画サイトに出演する際に他の声優さんと宣伝がてらゲームのプレイをしたり、濃いオタクトークを繰り広げているとか、彼女の魅力を語ってくれた。
話を聞きながら少しばかりむず痒い表情を浮かべる僕に気付いたのか、栄司が困ったように笑うのが見えた。メイリの教えてくれた情報は大体把握している。何しろ僕がゲームや漫画などの文化に興味を持つ切っ掛けとなった原因は誰あろうその『ヤマト』本人なのだから。
彼女の本名は『木崎 大和』という……血の繋がった僕の姉だ。
おんらいん☆こみゅにけーしょん
Contact.03-1 『傷痕』
拠点登録を済ませ、日が暮れるまでキッチリ狩りに付き合ってもらった後で現実へと帰還した、おかげでレベルは十四から十六に上がったのだが、この状況で遊び惚けるとか我ながら逃避にも程があると思う。
とはいえ明後日帰るといきなり言われた所で一体どうすればいいというのだろうか、悩んでいる間に朝日が昇り、良案は一つとして出ていなかったのだ。友達の家に避難するなんて本末転倒だし、メイリやミィに頼んで家に避難させて貰っても親友二人が納得しない。
何しろ彼等の中で僕は紛れも無い男であり、ネカマ状態を利用して彼女たちの家を聞き出し、あまつさえ泊まりに行くなんて聞けば漏れなく軽蔑してくれるだろうし、企みがバレた瞬間二人にそれを教えて本気で僕を怒る。
仮に成功した所でどこから漏れるか解らない、栄司達に伝われば追求されるだろうし、メイリ達からすれば僕はリアルとバーチャルで寸分違わぬ女の子、つまり芋づる式に僕の現状が露見する事になる。
かといって部屋に篭ったまま滞在する姉を一週間ごまかし続けるなんて無理だ。家事を放棄し食事や入浴を極限まで抑えれば何とかなるだろうけど、それをやれば心配した家族が踏み込んでくる。みんな僕の現状を納得して見守っている訳じゃなく、敢えて眼を瞑ってくれているだけなのだから。
家出をしようにも警察が放っておかないだろうし、運良く国家権力の手を逃れたとしても行く当ても無ければお金を稼ぐ手段も無い以上、辿り着くのは野垂れ死に。……いや、一つだけ大金を得る手段がなくもないが最終手段というか諸刃の剣というか、最後の最後の最後の最後まで取っておいた末に実行せずに終わるべきようなものだ。
完全な王手、詰み、年貢の納め時……。選択肢なんて一つしか残されていない。逃げ続けたツケをここで払わされる事になるというだけだ。
勇気を出して話せば楽になれるかもしれない、大切な人達に対して秘密を抱えているというのは酷く苦しいものだから。いつかは話さなければいけないのだから良い機会だと自分に言い聞かせても、心に引っかかる棘が背中を押そうとする勇気の邪魔をする。
別に姉の事が嫌いな訳じゃない、誤解を恐れずに言うならばむしろ好きな方に入る。ただ、過去にあった小さな傷跡がまるで茨のように僕の行く手を塞いでいるのだ。
★
最後に姉と顔を合わせたのはもう二年近く前の事になる。会わなくなった理由は僕の起こした自殺未遂騒ぎ、当時は歌手として絶賛売りだし中だった姉にとって、家族のスキャンダルは是が非でも避けたかったんだろう。隠れるようにやってきた事務所の人間に、兄弟は居ない事にするから姉と連絡を取らないようきつく言い含められたらしい。
"らしい"というのは、あの頃はずっと夢を見ていたような状態で、両親や友人が酷く怒っていた事や、姉がメールで長文の謝罪を送ってきた事をぼんやりと覚えていたくらいだ。医者によると心を守る為の防衛反応で感情がひどく鈍くなっていた事が原因らしい。
まぁ、正直に言えばありがたかった、もし正常な思考状態だったならば少なからず傷付いていたし、姉との関係ももっとぎこちなくなっていただろう。
自殺未遂――正確には少し違うのだが、記憶が曖昧なせいで僕自身も明確に違うと言い切れない――の原因は平たく言ってしまえばイジメだ。ターゲットになった理由なんて単純なもので、入学したばかりの頃に同じクラスで虐げられている子を放って置けず助けたところ、僕のほうに標的が移ってしまった、ただそれだけ。当然ながらやられっぱなしだった訳じゃない、最初の二年は直接やられたらきっちりとやり返し、遠まわしな嫌がらせは可能な限り回避したり受け流していた。
事態が変わったのは三年目、クラスの担任が主犯格の親と懇意にしている中年の男になってからだった。いつも通り全部跳ね返して居たある日の放課後、担任が「お前、矢島や川倉と仲良いんだってな?」と突然話しかけてきた、当然ながら「だからどうしたんですか?」と返した僕に、そいつは心底馬鹿にしたような顔で笑った。
「矢島は剣道部のエースで、川倉は学年トップ……
そんな奴等がお前みたいな不良と付き合いがあるなんて知れたら、どうなるだろうなぁ?」
扉の向こう側で勝ち誇った笑みを浮かべる主犯格と取り巻きの顔は、未だに心に焼きついて離れない。当時、栄司は最後のインターミドルに向けて調整中で、伊吹もかなり有名な進学校の受験に向けて勉強を頑張っている所。主犯の家はかなりの金持ちで父親が教育委員会のお偉いさん、圧力をかけて二人の邪魔をするくらいなら軽い物だったようだ。
どうやら余りにも平然としている上に反抗的なので、親の力を使ってでも僕を叩きのめしたかったようだった。自分の事なら大抵の事は耐え抜いてみせるが、友人を持ち出されては敵わない。それからは怒りで頭が沸騰しそうになりそうなのを抑えて、ただ耐えるだけの日々になった。
当時の事はやはり曖昧になっているが、ハッキリといえば思い出したくない事ばかりだ。
今にして思えば、もっと早く親なり友人なりに相談していれば違ったのかもしれない。だが姉は売り出し中で昼も夜もなく活動中、僕の両親もちょうど揃って仕事が忙しい時期で家に居る事が少なかったし、友人達は知れば絶対に顔を突っ込むし、そうなれば奴等は平然と二人にも嫌がらせをするだろう。
教師はみんな主犯格の言いなりで相談する事も出来ず、教育委員会は奴の親が務めている。ろくでもない社会の縮図と言う奴だ。ハッキリした証拠を残したくなかったのか、物理的な暴行だけは避けて居たので露見せずには済んでいたが、徹底した無視や悪戯書きと始めとした度重なる精神的な嫌がらせに少しずつ追い詰められていった。
そんな生活の中で唯一の救いがあったとすれば、春ごろに通学路の途中で見付けた野良猫の相手をしていた事だろうか。縞柄の毛皮をした人懐っこい子で、餌を持ってもいないのに手を伸ばすと頬を摺り寄せては甘えてきて、僕もこのまま懐かれたら家で飼えるように頼んでみようかと思うくらいには可愛がっていた。
そんな癒しもあって、クラスと教師が一丸となって行って来た嫌がらせには何とか耐える事ができていた。三年になってから半年くらいは、内心でくだらないと唾棄するくらいの余裕があったほどに。その均衡が崩れたのは十一月にしては随分と肌寒い日の朝だった。
迂闊にも程があった、通学路で猫の相手をしていたのを誰かに見られていた事に気が回っていなかった。机の上に置かれていた赤い液体が染みた袋、嫌な予感が胸をざわつかせる中、震える手で開けた袋には、真っ赤に染まった縞柄の毛皮が冷たくなって納まっていた。「あーあ、かわいそー」「ほんとだよねー」等と言いながらゲラゲラ笑う主犯格や取り巻きを見ながら、僕は何かが壊れた音を聞いた。
それから自分が一体何をしたのか記憶が完全に吹き飛んでいる。やっと我を取り戻した時には教室内はすっかり荒れ果て、周囲には倒れた机や椅子と、脚や腹を抑えながら呻く主犯格とその取り巻きが何人か倒れていて、隅の方では他の生徒が怯えた顔で抱き合っていた。
何故か痛む拳を見ながら立っていると、騒ぎを聞きつけてやってきた教師達に取り押さえられて生徒指導室へと連れて行かれた。そこでいつの間にか僕は『小動物を虐待して殺した自分を咎めた"何の罪もない同級生"に暴力を振るったとんでもない生徒』という事になっていて、何を言っても怒鳴り声で「嘘をつくな」と恫喝され、数人掛かりで徹底的に詰られた。
彼等からすれば教育委員会の偉いさんの息子さんがイジメを先導していた事実よりも、言う事を聞かない不良生徒が自分勝手に暴れたという形にした方が都合が良かったんだろう。かといって真実が暴かれるのも恐れたのか、警察沙汰にしなかった為に結果的に暫くの間は自宅謹慎する事になっていたそうだ。これは後で聞いた話。
それから疲れ果てて学校を出てからどこをどう歩いたのか、気付いた時には大きな川にかかる橋の手摺りに立ち、夕焼けで血のように赤く染まり、何故か酷く滲んで見える水面を覗き込んでいた。別に死のうと思っていた訳じゃないと思う、多分気の迷いと言う奴だったんだろう。
飛び降りる前に少しだけ冷静さを取り戻す事が出来た為、手摺りから降りようとした時……滲んだ視界の中に驚愕の顔で駆けて来る親友二人に気付いてしまった。一言で言い表せないような複雑な感情が胸中に渦巻き、動揺のあまり足を滑らせてしまった。
耳が痛くなるくらいに声を張り上げ、何かを叫ぶ栄司が伸ばす手を眺めながら、僕はそのまま冷たい水面へと落ちていった。
★
眼を覚ましてから聞いた話、すぐに救助してくれた二人のお陰で運良く助かった物の、肉体も精神もボロボロになっていた僕は心が壊れてしまっていたらしく、そのまま一ヶ月ほど入院していた。栄司が言うには入院中の僕は何を言っても何をやっても殆ど無反応で何度も泣きかけたらしい。
……実を言うと入院した前後の事は殆ど覚えていなかったりする。後で周囲から聞いた話や、薄ぼんやりと残っている記憶を掛け合わせて補間している状態で、何が合ってて何が間違ってるのかいまいち判断できない。伝えに来たという事務所の人の話も立ち会った他の人間から聞いた話で、かなり揉めていたという話しか聞いていない。
退院してからも暫くはその状態が続き、声が出ないという後遺症や多くのPTSDを引きずりながらも何とか人との文字での対話をこなせるようになっていた時には一年が経っていた、その頃には姉と普通にメールのやり取りを出来るようにはなっていたが、未だに直接顔を合わせていない。何度か機会はあったのだが、僕の方がどうしても精神的に一歩引いてしまっていたのだ。姉の職業上スキャンダルは拙いのだ、事務所の判断は仕方ない事だとは思うし、あの件について姉を責めるつもりは毛頭ない。というか心配や迷惑をかけてしまった僕が責められる立場だろう。
今回についてもそれは同様で、男が若返って女になったと知られれば、折角人気を得て軌道に乗り、順風満帆に活躍する姉にまた余計な迷惑をかけてしまうかもしれない、そう考えるとどうしても明かすのに躊躇を覚え……。
……いや、そうじゃない。一番怖いのは折角修復されつつあった家族の溝が、新たに深く刻まれてしまいそうな事。入院中は僕自身の心が酷く鈍っていたから少なくとも心の浅い部分では何とも無かったが、いま拒絶されたらまた折れてしまいそうな気がする。
――ピピー
考えが纏らず、結局トラウマを思い出しリビングのテーブルで突っ伏しながら憂鬱な気分に浸っていると、それを妨げるかのように壁にはめ込まれたパネルから電子音が響く。お風呂にお湯が入った事を知らせるアラームだ、母は今日は遅くなるそうだしさっさと自分の入浴を済ませてお風呂を洗おう。サッパリすれば少しは良い考えが浮かぶかもしれない。
脱衣所で手早く服を脱ぎ捨てて浴室のドアを開ける、手で湯加減を確かめてから椅子に座って目の前のコックを捻る。少し熱めのシャワーを浴びながら、いつも使っているシャンプーを手にとって髪の毛につけると、指を立てて頭皮を擦り泡立てる。適当に汚れを落としたところでサッと流し、横にある鏡を見ないようにしながら石鹸を泡立てて目の荒いタオルで肌を擦る。
最初はおっかなびっくりだった入浴も、今ではすっかりと慣れてしまった。とはいえ未だに打ちのめされそうになるので鏡は見れない。慣れてしまった事自体が一番ショックな出来事かもしれないが。
身体についた泡を流して、浅く張ったお湯の中で寝そべりながら肩まで浸かり、換気用の窓が映し出すオレンジに染まる外を見上げる。明日までは時間がないし、いつまでも逃げてはいられない。約三週間……もう充分時間を貰ったじゃないか。
まずはどう切り出そうか、僕が日向であると言う証拠はどうしよう。心構えだけでなく用意しておかなければいけないものはいくつもある。って、お風呂の中で全部考えていたらのぼせてしまいそうだ。切り上げて浴槽からあがり、掃除の為にお湯を抜きながら脱衣所で身体を拭くと、着替えのシャツとトランクスを身につける。
髪の毛はタオルである程度乾かしてからドライヤーを使えばいい、濡れた髪の毛がシャツに触れないように、タオルを肩に掛けて脱衣所を出る。一度部屋に戻る前に冷蔵庫からお茶のペットボトルを取って行こうと、ダイニングキッチンへ続くドアを開けた。
「あぁ日向、お風呂に入って……た……の?」
――どうしてこう、上手くいかないんだろう。
艶やかな黒髪を背中まで伸ばした長身の女性が椅子に座ってコップに注いだ牛乳を飲んでいた。日本人とは思えないほどスタイルの良い彼女は、僕の名前を呼びながら振り返って、眼を丸く見開いて固まる。一方で僕も彼女から見れば驚愕の顔をしているだろう。
帰ってくるのは明日のはずなのに、完全に油断しきっていた。おかげで頭の中が真っ白で用意していた台詞が何も出てこない。いやそもそも喋れないのだ、意思疎通したくても手元には紙も携帯もない。引き篭もって文明の利器に頼っていた為に手話なんて器用な真似は出来ないし、そもそも相手に伝わらなければ意味がない。
「えっと……君、誰?」
姉――木崎大和が、警戒を瞳に滲ませながら僕を見下ろして言った。よりにもよって、何で不意打ちでくるんだ……。
※二章の簡易修正、挿絵の正規版への差し替えを行いました(2012/12/22)
※目指せ、更新強化週間(努力目標)




