黒猫師匠は名探偵!?
ちょっと、ほんわり心が温まる話に仕上がっていると思います。
前半は真奈美の暴走っぷりを、後半は希ちゃんと、今回の主役の一人でもある黒猫との交流にスポットを当てて書いてみました。
彼女と黒猫のやり取りをどうぞお楽しみくださいませ。
「はあ……希ちゃん、今日も可愛いなぁ……」
太陽の光が校庭に優しく降り注ぐ、あるうららかな午後のこと。
一年五組の教室の窓際の席で、一人の少女が恍惚とした表情で一冊のノートを捲っていた。さらっとストレートにのばした黒髪。育ちの良さと、どこか気品すら感じさせる凛とした横顔。女子高生と言えば、アクセサリや化粧で自分を飾ってみたくなる年頃であるが、素の美しさでこのクラスの誰よりも秀でている彼女には、そんなもの無用の長物でしかない。せいぜい手首に御守り用のブレスレットをつけているくらいである。
清楚なお嬢様───容姿だけ見れば、これ以上彼女を的確に表現しうる言葉はないであろう。そんなお嬢様がか細く優美な指で、ノートを一ページ、一ページ丁寧に捲っていく。
ノートに注がれる視線はまさに恋人に向けられるそれそのもの。恋文でも思案しているのだろうか、頬を薄桃色に染めながらあれこれと呟いては、時折「きゃっ!」と可愛く悲鳴を上げ、両手で顔を隠したりしている。
思わず傍から応援してあげたくなるような、甘酸っぱい青春を謳歌する、とある少女の風景。
……のはずなのだが、彼女の口から頻繁に漏れ聞こえてくる”希ちゃん”という名前に疑問を抱く人も多いのではないだろうか。“ちゃん”というからには、相手の性別は女性なのだろうが、だとしたらマズイ問題が生じてしまうことになる。
そう。これはそんな危険な香りをも伴う、少女───佐倉真奈美と、不幸にも彼女にロックオンされてしまった朧月希の物語……。
「おはよ、真奈美ちゃん!」
十一月も下旬になり、太陽の日差しも迫る寒気に打ち負かされてしまう季節になってきた。その日も、凍えるような強風に体温が奪われるのを防ぐため、首にマフラーを巻き、コートに内がわにカイロを数個忍ばせて登校した。
ちなみに、私の家から学校までは軽く十キロほどの距離がある。途中、急勾配の坂が幾度となく襲いかかる難所が数多く存在する魔の道程だけあって、この辺の同級生はみんな最寄りの駅から電車を利用して登校しているけど、私はいつも自転車通いだ。
いかなる時でも訓練を怠るな、というのは合気道の有段者である私のおじいちゃんの台詞だけど、そんな難しいことは抜きにして、私は純粋に風を肌で感じるのが好きなの。緑の多い、この街の新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い込むと、昨日までの悩みごとが吹き飛んじゃうというか、「今日も一日頑張ろう!」と元気がもらえるような気がするんだ。
あ、もちろん雨の日や雪が降り積もった日は電車を利用するけどね。
自転車通いということで自然に登校時間もそれだけ長くかかってしまう私は、いつも七時には家を出る。で、学校に着くのは大体八時前くらい。
我がクラスは、朝のHRぎりぎりに教室に駆け込んでくる人が多いからか、教室に入るのは私が一番ってこともけっこうある(一番乗りじゃない日は、体育祭の朝練を除いて大抵テストがある日か、追試が行われる日だ。いずれにせよ、成績に振り回されるのが学生の悲しいトコロよね……)
でも、今日は珍しく私よりも早く教室に人がいたようだ。
ドアを開けた途端、響き渡ったソプラノの声に私の胸は、ドキンッ!と五オクターブくらい跳ね上がった。もう冬も間近に迫っているというのに、私の心は赤道直下の熱帯地域に負けないくらい熱く燃えていた。
お、落ち着くのよ、私……! 平常心を乱してはだめ! クラスメイトと会話するだけなのにこんなに取り乱していたら、おじいちゃんに怒られちゃう。
バクバク鳴っている鼓動を二木式腹式呼吸法でなんとか鎮め、持ち得る最高の笑顔を声の主に向けながら、
「おはよう、希ちゃん。今日はやけに来るのが早いのね」
「今日の日直、あたしだからね。これから日誌を取りに行かなくちゃいけないの」
眠気など微塵も感じさせない爽やかな笑顔で、希ちゃん───数週間前に我が学校に転校してきた女の子は言った。奇術を得意とする魔術師の家系に生まれ育った彼女は、朝早くからステージの準備や手品の練習に付き合わされていたこともあってか、早起きは慣れっこなのだそうだ。
「それは御苦労さま。日誌の置いてある場所、分かる?」
「うん。職員室のすぐ外にある棚だよね。この前、真奈美ちゃんが日直だったとき、あたしに教えてくれたじゃない」
「そ、そういえばそうだったわね。じゃあ、くれぐれも気を付けてね。この学校は段差が多いから足元には注意すること。それから上級生のクラスにはあまり近づかないほうがいいわ。あ、もちろん、知らない人について行っちゃだめよ! もし、そんな人がいたらすぐ私に言って。骨の髄までぶちのめしてやるから!」
「……真奈美ちゃん、職員室のある校舎って、この建物のすぐ隣だよ?」
希ちゃんの怪訝そうな顔に、ついヒートアップしていた私は、はっと我に返る。
や、やだ……なに意味不明なこと口走っているのかしら、私ってば。
あまりの恥ずかしさに希ちゃんから視線を逸らす。
でも、しょうがないじゃない! 希ちゃんはこんなに可愛いし、小さいし、それにちょっとドジっ娘な所もあるし、変な人に誘拐されそうでとっても心配なのよ!(だからお前が一番変だろうが!という外野の突っ込みはもはやBGMでしかない)
※今の真奈美の気持ちを理解してくれる人は、おそらく彼女と同種の人間だけだろう。幼女を溺愛する彼女は、さながら、これから初めてのおつかいに出かける我が子を心配する母親のような心境に至っていた。
ちなみに、希と同じく今日が日直だった潤は偶然そのとき五組の教室の前を通っていたのだが、外見は清楚なお嬢様であるはずの真奈美が、ヤのつく自由業の方々も裸足で逃げ出すような危機迫る表情で“骨の髄までぶちのめしてやるから!”という、にわかには信じがたい台詞を吐いたことに恐怖を感じ、その場から脱兎のごとく逃げ出した。
そのときの彼の顔には“どうして僕の周りにはおかしな人しかいないんだ!”と、魂の叫びが書かれていたという。
「じゃあ、取りに行ってくるね」
長いツインテールを左右に揺らしながら、元気にタッタッタッと廊下を駆けて行く希ちゃんの後ろ姿を見送ってから、私はようやく窓際の自分の席に腰を下ろした。そして鞄の中から、いつも肌身離さず持ち歩いている一冊のノートを取り出す。
外見は至ってシンプルなキャンパスノートなんだけど、中身は希ちゃんの日々の動向と、タイムスケジュールを綴ってある私の一生の宝物だ。
題して、『希ちゃん観察日記(仮)』! これを毎日書き始めてから、私の生活は以前よりもグンと充実したわ(でもそれに伴って、私たちを見る周りの視線がより一層生暖かいものになったのはなぜだろう)
※真奈美は知らなかったが、クラスの連中は彼女がすでに手遅れの域に到達していることに気付いていた。
”手遅れ”という言葉で勘違いされないよう改めて書いておくが、真奈美は同性愛者などでは断じてない。ただ、希に対して過剰な母性本能が働いてしまっただけなのだ。
希が登場してからというもの、真奈美に告白を試みた男子はその存在すら眼中に入れられことなくフラれ、一時期は数多くの憐れな男子が集って『打倒! 謎の転校生!』なる組合を形成していたが、転校生の正体が小学生のような小さくて可愛い女の子だと知るや否や、それは即座に『みんなで希ちゃんを守ろう!』というロリコン同好会に発展していったそうだ。
なんとも黒歴史の多い学校である。
私は『希ちゃん観察日記(仮)』をパラパラとめくり、筆箱からお気に入りの万年筆を取り出す。こういう記録みたいなものを綴るには、やっぱりシャーペンよりも万年筆よね!
本当は羽根ペンが良かったんだけど、ないものは仕方ない(もし、潤がそばにいたら、『それ航海日誌かなんかと勘違いしてない?』と即座に突っ込みを入れていただろう)
私はまだ真っ白なページを開き、さらさらと優雅に文字を書いていく。
十一月二十五日(木)晴れ
今日はついに希ちゃんの日直当番。朝早くから、あの天使のような笑顔が見られるなんて今日はツイてるわ! もう、毎日希ちゃんを当番にしてもいいくらいよ! だって、うちのクラスの男子は全然仕事しないんだもん。少しは希ちゃんの真面目さを見習ってほしいものだ。
さて、希ちゃんには色々口やかましく注意してしまったけど、ほんとに大丈夫かなあ……。上級生に絡まれたりしていなければいいけど……。なんたってうちの学校には廣野姫幸という恐ろしい先輩がいるって話だし、この前ロリコン同好会の副会長が『一年五組にとっても可愛い女の子が転校してきたらしい!』と、うっかり口を滑らせてしまったという噂もある。願わくば、その噂が廣野先輩の耳に入りませんように!
……ちょっと内容が暗い方向に傾きつつあるわね。この辺で軌道修正しましょう。
希ちゃんが日直になって一番困ることは、やっぱり授業前の黒板消しよね。あの小さな体じゃ、黒板の上のほうまで手が届かないんじゃないかしら……。ここは、学級委員長である私が手伝ってあげるべきよね。そうすれば、希ちゃんとたくさんお話できるもの!
最近少し意識が薄れつつあるけど、私と希ちゃんは大事なパートナー同士。かのホームズとワトソンよりも深い絆で結ばれている、まさに一心同体の関係だ。コミュニケーションは多いに越したことはない。
「あ、そういえば……」
事件と呼ぶにはあまりにも小さくて日常の範囲を出ない出来事だったけど、ついこの間の休日に不思議な体験をしたっけ。
私は記録を綴るのを一旦ストップし、ページを前へ前へと遡る。
「あった。これだ」
十一月二十一日(日)
───その日、私は師匠に出会ったんだ。
私たちの通う高校からほど近い場所に小さな児童公園がある。
公園全体の広さは、ちょうど学校の体育館と同じくらいだろう。
滑り台にブランコ、砂場や鉄棒といった定番の遊具に加え、公園の片隅には可愛らしいクジラの形をしたトイレがある(大きく開いたクジラの口がトイレの入り口になっているの。なかなか面白いでしょ?)
公園の周りはちょっとした林になっている。夏はセミの大合唱でにぎわうこの林も、この時期は葉がほとんど落ちてしまって、なんだか物寂しい空気に包まれていた。
その中でも一際目立つ、立派な大木───昔からこの地域の住人に“御神木”の名で知られている木の枝で、一匹の黒猫が退屈そうにあくびをしていた。と言っても、怠け者(あ、この場合は怠け猫になるのかな?)という雰囲気ではなく、探偵が己の頭脳を活用するに値する事件が起こらなくて暇を持て余している、といった感じに近かった。
猫は私のほうを見向きもせず、長いしっぽを枝から垂らして時折、ぶるっ!と体を震わせている。
と、その時。
公園のすぐ外の歩道から、ふんふん♪という可愛らしい鼻歌が聞こえてきた。ここからだと姿は見えないけど、その高いソプラノの響きから鼻歌の主が希ちゃんだと判断した私は、一目散にトイレの中に飛び込んで身を潜めた。
……いや、別に隠れる必要なんかないんだけど、何て言うか、その……気になっている子の前に出るのって少しためらっちゃうことあるじゃない。それよ、それ。
黒猫はそんな私の様子を「なにやってんだ、あの女は」と冷めた目で見ていた。
私は思わず、黒猫に向かって「しーっ!」と、人差し指を口元に当て、“私がここに隠れていることは黙っていて”というサインを送る(いま冷静に考えれば、猫がしゃべれるはずないんだけどね。そのときは、ちょっと自分でもパニックになっていたのよ)
とにもかくにも、猫は「はいよ」と片目をつぶってウインクしてくれた。
そうこうする内に、希ちゃんが公園に入ってきた。当然ながら、普段学校で見る制服姿ではなく、保温効果に優れている、もこもこしたあったかそうな服装だ。手袋とマフラーも着用していて、ほぼ顔しか外気に触れていないからか、ここからだとまるで小さなだるまさんが歩いているように見える。でも、そこがまた一段と可愛くてグッドだ。
近くのスーパーで買い物をした帰りなのだろうか、手にはそれなりの大きさに膨らんだ買い物袋を提げている。
希ちゃんは御神木で体を休めている黒猫を発見すると、
「あ、猫さんだ!」
と嬉しそうに口元をほころばせた。
くぅ……! なんて可愛いの! 今すぐ抱きしめたい!
今にも希ちゃんのもとへ飛び出していきそうな私を、黒猫が目ざとく見つけ、「おい! 気をしっかり持て!」と必死の静止をかける。
希ちゃんは、猫に触りたいのだろうか、買い物袋をその場に置くと、そろそろと忍び足で黒猫のほうへ近づいていく。
しばらく知らんぷりしていた黒猫は、突然なんの前触れも無く、ばっと、希ちゃんのほうを振り向いた。
しかし、
ぴた、という音さえ感じさせない見事な姿勢で、希ちゃんは無音の静止をやってのけた。
その顔は余裕の表情で満ち溢れている。まるで“あんたが振り向くことは予想できていたわ”とでも言いたげな、挑戦的な眼差しだ。
猫のほうも、彼女が只者ではないと悟ったのだろう。「ほお。なかなかやるじゃねえか」と表情を引き締めた。
「………………」
「………………」
猫と希ちゃんの息もつかせぬ睨みあいが、公園の空気をぴりぴりと震わせる。
二人(正確には一匹と一人だけど)からかなり離れたこの場所まで伝わってくる緊迫感に、私はごくりと固唾をのんだ。
やがて、猫がふいっとそっぽを向いた。
その期を逃さず、すかさず猫に向かってダッシュする希ちゃん。
ややフェイントを入れて、猫が振り向く。
しかし、またもや音も無く立ち止まる希ちゃん。ウインクを決める余裕まである。
猫の頬を汗が一筋流れた。
私は、子供の頃によく遊んだ“だるまさんが転んだ”の奥深さに身震いした。
あのときは、みんなで笑いながらやっていたけど、こんな高度な駆け引きが要求される遊びだったのね……。
「次で決めねえとまずいな……」
と、まるで土壇場に追い込まれた少年漫画の主人公のような台詞を言う黒猫。それに対して希ちゃんは、
「ふふん。どんな小細工を施しても無駄よ、黒猫さん♪」
と、あくまで不敵な笑みを浮かべたままだ。
しかし、私は見た。黒猫が、自身と希ちゃんを結ぶ直線上のある一点に勝機の鍵を見出したのを。
黒猫が、にやり、と笑う。
「来な、お穣ちゃん。どちらの頭脳が上か、白黒はっきりつけようや」
「望むところよ!」
再び、猫がふいっとそっぽを向く。その瞬間、弾かれたようにダッシュする希ちゃん。
希ちゃんが御神木まであと数歩の距離まで近づいたとき、猫は長いしっぽで枝にわずかに残っていた葉を払った。
ふわり、とまるでスローモーションのように落ちて行く葉っぱ。
それに一瞬、気を取られる希ちゃん。しかし、その刹那こそが勝負の分かれ目だった。
自身の足元を疎かにしていた彼女は、そこに“御神木の根っこがわずかに段差を形成している”のに気付けなかった。加えて、普段よりも歩きづらい格好をしていることもあり、まんまと段差に足をとられた希ちゃんは、
「きゃうっ!」
と盛大に転んだ。もちろん、それを見逃す黒猫ではなかった。
「フッ。勝負あったな」
真っ白に燃え尽きている彼女に、猫は超上から目線で(というか、木の枝にいるから当然なんだけど)高らかに勝利宣言をする。
「うぅ……ひっく……負けちゃったよ……」
ひっく、としゃくりをしながら泣きじゃくる希ちゃんの頭を、猫はしっぽで優しくなでる。
「だが、センスはかなり良かったぜ。もう少し強くなったら、また相手してやってもいいぜ」
「ほんと!」
目を輝かせる彼女に、黒猫は微笑んで見せた。
「あのね、黒猫さん。あたし、魔術師を目指しているの」
「魔術師?」
「うん。日本中……ううん、世界中にその名を轟かせる大魔術師。不可能なことさえ、いとも簡単にやってのける魔術師になるのがあたしの夢なの!」
猫は、一端の子供にしてはあまりに大きすぎる夢を語る彼女に最初は驚いたが、彼女の瞳に宿る光が本物であると悟ると、フッと笑って、
「小娘が、一丁前にでかい夢語りやがって。だが、おれはそういう奴好きだぜ。いまの社会───少子高齢化、就職氷河期、希望の持てない政治……子供は大人になるにつれて、自分の身の丈にあった夢しか考えられなくなる。いや、それはもはや夢でもなんでもない。遥か高みを目指すことを忘れた者の妥協でしかないんだ。そうした人間が集まって社会を作るから、社会全体として活気を失い、かつては誰もが持っていた童心も次第に磨り減っていく。でも、それは社会の構図としてはおかしい。もっと他者と競い合い、高みを目指して真摯にぶつかりあってこそ、その過程で自分にとって大切な何かを見つけられるんじゃねえか、とおれは思う。だから、子供に限らず、大人になっても、でかい夢を持ち続けるべきだ。叶わない、とハナから諦めている奴に運は巡ってこねえ。お穣ちゃんが歩もうとしている道のりは長く険しいものになるだろうが、絶対に途中で道を外すような真似するんじゃねえぞ」
「うん! あたし、精一杯頑張るよ! だから応援してね、黒猫さん!」
希ちゃんは心の底からの敬意を込めて、猫に頭を下げた。それから、ふと顔を上げると、
「あ、猫さん。その……ちょっと触ってもいい?」
と遠慮がちに訊いた。
猫は「勝手にしな」というふうに、目を閉じる。
希ちゃんは、ぱあっと顔を明るくすると、いそいそと手袋を脱ぎ、柔らかそうな毛並みに触れる。
「わあ! 猫さん、あったかいね!」
希ちゃんが優しく体をなでる度に、猫も気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
そうして、しばらく猫をなでていた希ちゃんは、ふとなにかを思いついた表情で服の内側からトランプを取り出した。
「そうだ、猫さん。あたしの魔術師としての腕前見てもらえないかな?」
それを聞いた猫の視線が鋭くなる。そして、犯人を追いつめる探偵のような灰色のオーラを全身から立ち昇らせる。
「それはおれとの勝負の第二ラウンドとみて差し支えないな?」
「うん。今度は絶対にあたしが勝ってみせるよ!」
猫は、すたっと枝から飛び降りて、希ちゃんの前にちょこんと座る。
彼女は猫に向かって優雅に一礼すると、カードを広げた。魔術師の卵だけあって、カードを操るのは得意なのだろう。希ちゃんが手を器用に動かすたびに、カードがまるで意志を持った生き物のように宙を舞い、その身を躍らせる。
猫は、その手元をじーっと見ていたが、やがて希ちゃんに近づくと服の袖を前脚で、はしっとはたいた。
「きゃうっ!」
途端に数枚のカードが袖からこぼれ、宙を舞っていたカードも地面に落ちる。
「手品の前から仕掛けを見破られるなんて、まだまだだな」
二度目の敗北を味わった彼女に、猫は冷たく言い放つ。
「うぅ……やっぱり、あたしはまだ半人前なんだね……」
しょんぼりする希ちゃんの頬に、猫は前脚でそっと触れる。
「そんなしょげるな。まだまだこれからじゃねえか。これからたくさん場数を踏んで、一人前になったらまたここに来な。おれはいつでも待っているからよ」
「……そうだよね。よーし、今夜は久々にパパと特訓しよう! 見てなさいよ、いつか猫さんを“ぎゃふん!”と言わせてやるんだから!」
「だれがそんな死語、口にするか」
しかしその言葉は、すでに公園の外へと駆けだしていった彼女には届かなかった。
猫はその小さな背中に向かって、
「大丈夫。お穣ちゃんならきっと世界一の魔術師になれると信じているぜ」
だれにも聞こえないくらい小さな声で、そっと呟いた。
希ちゃんの姿が完全に見えなくなると、猫は私の隠れているトイレに歩いてきた。
「あなた、とっても賢い猫なのね。びっくりしちゃった」
すると猫はフッと笑った。まるで“おれに分からないことはないよ”と言っているようだ。猫は私を見上げると、
「お前さん、あの子のパートナーなんだろ?」
と、迷いなく言った。
「どうしてそのことを……」
知っているの、と言いかけて止めた。灰色の脳細胞を持つ、この黒猫はなにもかもお見通しなんだ。
「───で、お前さんはどうしたいんだ?」
猫は試すように私を見る。私は、その視線を真正面からまっすぐ捉えて、
「希ちゃんに相応しい優秀なパートナーになりたい! もっと、もっと推理力をつけて、彼女を支えてあげたい!」
嘘偽りのない本心を伝えた。
「良い答えだ。なら、おれが直々にお前さんをびしばし鍛えてやろう」
「ほ、ほんと! あ、私は佐倉真奈美っていうの。よろしくね。猫さんの名前は?」
「……おれに名前はない。小さい頃、親に捨てられ、それ以来ずっと孤独だ」
「そっか……。うん、じゃあ、一緒に親猫を探してあげるよ」
「なに……?」
猫が驚いた表情で、ぴくん、と反応する。
「猫さんがあたしを鍛えてくれるお礼に、あたしは猫さんの親猫を探す。これぞ、ギブ・アンド・テイクね。そして、猫さんの親猫を見つけられたときには───」
「私は立派なパートナーに成長しているはずだ、と言いたいのか。面白い。その提案、乗ってやろう」
「良かった。では、師匠! これからよろしくお願いします」
「師匠……?」
「師と弟子なんだから、そう呼んでもいいでしょ?」
私は意味ありげに微笑む。
猫は、ふん!とそっぽを向いたが、まんざらではなさそうだった。
───こうして、真奈美は黒猫師匠の指導のもと、探偵修行に励むようになった。その中で真奈美は数多くの事件を解決することになるのだが、それはまた別の話である。
久しぶりに書いたら文字数が8500を越えてしまいましたよ(笑)
でも、こういう物語も大好きです。
これからも物語にちょくちょく黒猫師匠は登場すると思いますので、彼?もよろしくお願いします。
では。