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<箸休め> 師匠が家にやってきた!

 児童公園からの帰り道。真奈美の隣を歩いていた黒猫は、希らが交差点の角に消えるのを見送った後、やや唐突に切り出した。

「真奈美。一つ頼みがあるんだが、しばらくの間、お前さんの家で居候させてもらえないか」

「へ? 師匠が私の家に?」

 真奈美は驚いて足を止めた。

「うむ。昨日までは昔の知り合いに世話になっていたのだが、先週帰省した息子さんが極度の猫アレルギーらしくてね。これまで通り家に上がらせてもらうのは難しいということだ。そこで差し支えがなければ、今日から真奈美の家を拠点にさせてもらいたいのだが」

「うーん、どうだろう……。私は全然構わないんだけど、いかんせんおじいちゃんが何て言うか……。我が家の最終的な決定権はおじいちゃんにあると言ってもいいくらいだから」

「そこをなんとか説得することはできないのか?」

「方法は恐らく一つね。おじいちゃんに師匠を認めさせること。つまり、おじいちゃんとバトルして勝つ以外には無いと思う」

「なるほど。単純でいいな」

 すでに試験に受かったかのような気楽な口調で黒猫は言った。対して、真奈美の表情は険しい。

「言っとくけど、おじいちゃんはかなり強いわよ。気配を完璧に消せるし、死角からの攻撃も通用しないし、動体視力も抜群なんだから。いくら師匠でもてこずること間違いないわ」

 暗に「べ、別に師匠のこと心配してあげてるじゃないんだからね!」という気持ちを込めて危険を示唆したのだが、黒猫はどこ吹く風だ。眠そうに瞬きを繰り返し、欠伸までしている。

「さて、それはどうかな。真奈美のおじいさんが百戦錬磨の猛者であろうと、それが一対一の正式な勝負である限り、必ず俺が勝つ。これは誇張でもなんでも無く、すでに確定された結果だ」

「……すごい自信ね。どこから湧いてくるのか聞かせてもらいましょうか」

「それを調べてみるのも探偵修行の一環じゃないのか。すぐ当事者に答えを訊いていたのでは、いつまで経っても成長しないぞ」

「……そうね。ごめんなさい」

「気を落とす必要はない。まずは些細な疑問を見つけることから少しずつ前進して行けばいいさ。と言っても、俺たちは秘密裏に活動していたから、当時の資料が残っているかは分からないがね」

「俺たち……? 師匠の他にも誰か協力していたんですか?」

 真奈美の問いに、黒猫は遠くを見るように目を細めて頷いた。

「ああ、もう三年も前の話になる。当時は俺もまだやんちゃでね。この地区の猫を束ねては、他人の家にこっそり忍び込んで食料を漁る日々が続いていた。その住人の行動パターンと家の間取りを徹底的に調べ上げ、さらに忍び込む時間と場所もランダムに変えて同一犯の犯行に見えないように工夫した」

「……師匠。探偵やる前は泥棒だったのね……」

 真奈美は呆れてため息をつく。だが同時に、師匠ほどの頭脳があれば、どちら側にもなり得たのかもしれないなと納得もできた。

「最初に真奈美と会った時にも話したと思うが、俺たち野良猫はなんとか食べていくだけでも精一杯だったんだ。俺みたいに生まれた時から孤独に暮らしてきた者は、生きるための知恵と知識を身につけていたが、飼い猫は違う。ある日突然飼い主に捨てられ、途方に暮れていた奴を俺は何匹も見てきた。そのまま放っておいたら、近いうちに死んでしまうことも分かっていた。だから手を差し伸ばさずにはいられなかったんだ」

 淡々と語られる内容には、彼の現実に対する無常や非難といった感情が背後に見え隠れしているような気がした。

「そうした野良猫を束ね、俺がリーダーとなってみんなに指示と知恵を与えた。生きるために最低限必要な心得、チームワークの重要性などについて教えを説いた。本格的な泥棒生活が始まったのはそれからだ。さっきの方法で、主に“飼い猫を捨てた人間”の家から食料を奪った。作戦が成功した時には、それは大盛り上がりしたものだ。自分を捨てた相手に一矢報いることができたんだからな。――だが、人間たちも馬鹿ではなかったらしい。数週間経ったある日、被害者の一人がとある探偵事務所に駆け込んだ。現状を説明し、猫――つまり俺たちをとっちめてくれ、というような依頼をお願いしたらしいんだ。それからは結束する前より地獄だったよ……」

 心の内から重い吐息をもらして、黒猫は続ける。

「探偵事務所の連中は見たところ、四人だけのようだった。それも明らかに小学生のような少女も混じっていた」

「えっ!?」

「そこ。幼女と聞いた途端、瞳を輝かせるのはやめろ」

「……はい。黙ってます……」

「こほん。ともかく、人数は男二人に女二人。内、一人は小学生のような容貌をしていて、男二人についても時々学生服で通う姿を見かけることから学生ではないかと推測した。だから、まあ、なんだ。俺にしては珍しく高を括っていた、とでも言おうか。正直、趣味で探偵ごっこをしているだけの連中だと侮っていた。そしてそれが痛恨のミスであることに気付くまでそう遠くなかった……」

 しみじみと過去を懐かしむように……ではなく、二度と思い出したくないという風に身を震わせる。

「えっと……どういう人たちだったの?」

 師の胸中を推し量って、やや遠慮がちに真奈美は訊いた。

「まず男性陣だが、年上の方は常にローラブレードを装着して颯爽と登場するわ、厨二用語は飛び交うわ、で正直かなり引いたのを覚えている。だが、上には上がいるみたいでな。そいつより少し下の奴はもっと重症で、お前さんみたいな典型的なロリコンだった……」

「お、お前さんみたいなって何よ。失礼ね!」

「では訊くが、目の前に小学生の女の子がいたらどうする?」

「もちろん、写真撮影会をした後、思う存分抱きしめるに決まってるじゃない!」

「じゃあ同類で決まりだ。その男も例の少女相手に鼻の下を伸ばしていたからな。もっとも、少女の方は常にツンとしていて気にもかけてなかったみたいだが」

「…………」

 常にツンとしている小学生のような少女、と言えば一人心当たりがあるが、まさか同一人物ではないだろうと真奈美は心の中でツッコミを入れる。だが、続く

「少女の方は類い稀な情報処理能力の持ち主で、チームに不可欠なナビゲーター役はいつも彼女が行っていた。それもあってか、男性陣は彼女に敬意……と言うよりあれは畏怖だな、を表しているように見えた。反対に女同士では仲が悪いのか、チームの実質のまとめ役である女性とは対立が目立っていたがな」

 という説明で、真奈美は少女の正体がつい先日まで自分の身近にいた人物だと確信した。そうか、あの廣野先輩が……とまで考えた所で、それ以上のイメージブレイクを避けるため思考を中断する。一方、世間の狭さを知らない黒猫は最後の女性について語り出した。

「彼女……メンバーからは“所長”とか“クイーン”と呼ばれていたが、これがなかなかの曲者でな。仮にも探偵事務所を語るだけあって、観察力と洞察力は大したものだった。何せ、俺を初めて捕らえたのがあの女だったからな」

「嘘……師匠が捕まるなんて……」

 信じられない、と真奈美は首を振る。今までの経験から推測するに、師匠は明らかに相手の行動を予測した上で次の手を決めている。それも一手、二手というレベルではなく、十手先まで見通せる力を持っている。陽動作戦や人海戦術はこの黒猫の前では無意味なのだ。それなのに……。

「あの時の笑顔は今でも忘れられない。『見~つけた!』と口では軽く言っても、目は少しも笑っていなかった。……そう、まるで氷のような冷たさだった」

 当時を思い出したのか、黒猫の目つきが一層鋭さを増す。

「俺はすぐに施設に送られるものだと観念していたが、以外にも彼女は正式の勝負をしようと持ちかけてきた。それで自分に勝てたら、この件は見逃してやってもいいと」

「勝負? どんな?」

「――推理勝負だ。それもとびきり複雑で、今日俺が仕掛けた謎なんか遊びにもならないくらい高度な、ね」

「それって……」

 具体的にどういう、と訊こうとして真奈美はやめた。それを訊いた所で今の自分には解けないだろうし、何よりもう家の前だったからだ。

「おっと、ここか。続きはまた気が向いたら話してやろう」

 打って変わって平常の素顔に戻った黒猫は、まるで自分のテリトリーであるかのように堂々とした足取りで中に入って行った。置いてきぼりを食う形となった真奈美は、

「そっか……。師匠も色々苦労してきたんだ……」

 とそっと呟いて、その小さな背中を追いかけた。


 結果として、師の居候は認められた。

 玄関では案の定、祖父が大層ご立腹な様子で立ちふさがっていたが、

「ふん! この家の敷居を跨ぐ資格が欲しければ、まずこの儂を倒してからに……」

 最後まで言葉を発する前に決着がついていたのである。

「では、しばらくの間お世話になります」

 我が物顔でスタスタと廊下を歩いて行く黒猫を横目に、信じがたい表情で立ち尽くす祖父。その額には無数の新しい引っ掻き傷ができていた。まさに目にも留まらぬ電光石火の早業である。

「馬鹿な……。この儂が一瞬で負けるなどあり得ん……」

 敗因すらまともに分析する余裕の無い祖父は、壊れたレコードのようにひたすら「あり得ん、あり得ん……」と呪詛の如く呟いていた。真奈美はそんな祖父を刺激しないよう、そっとその場を離れた。


 祖父の石化が解けるまで数時間はかかるだろうと予測した真奈美は、先に夕飯を食べ、師を自室に案内することにした。――幾ばくかの不安を胸中に抱えながら。

「どうした、開けないのか?」

「真奈美の部屋」とプレートのあるドアの前で、黒猫は不思議そうに弟子を振り返る。一方、真奈美は師から顔を逸らし、もじもじしながら答えた。

「あの…えっと……もし中を見ても引かない?」

「……そんな酷いことになってるのか、お前さんの部屋は……」

 その答えだけで、この部屋全体がパンドラの箱になっていることを悟った黒猫は盛大に嘆息する。恐らく、真奈美の脳内をそのまま具現化したようなバラ色の空間が演出されているのだろう。ある意味、あの探偵事務所より恐ろしい場所なのかもしれない。

「し、師匠は居候させてもらう側なんだから、文句を言う権限はないはずよ!」

「分かった、分かった。見て見ぬ振りしてやるから、さっさと開けろ」

 弟子の必死な様子に、諦観にも似た心境で返答する黒猫。もう、どうにでもなれという感じである。

「じゃ、じゃあ、どうぞ……」

 真奈美はドアノブに手を掛け、異空間への扉を開放した。

「…………………なんだ、ここは」

 その中へ一歩足を踏み込んだ黒猫は、彼の想像を遙かに越える光景に絶句する。

 まず、壁という壁に希のポスターが張り巡らされている。人気のあるアイドルグループのポスターを部屋に飾る行為は、若い女性にありがちなことだと黒猫も認識してはいるが、それでもこの部屋には到底及ばないだろう。なにせ、四方の壁のみならず、天井にまで張られており、中にはわざわざカレンダーにしたものまで存在するのだから。恐らく、朝起きて真っ先に目に飛び込むのがそれらなのだろう。何故そこまでしなければならないのか疑問で仕方ないが、今は置いておくことにする。他にもツッコミ所が満載だからだ。

 次に勉強机。一見、シンプルで整理されているように思えるが、ある一点――希の1/8スケールフィギュアだけは見過ごせない。後で真奈美に訊いた所、

「ああ、あれはね。お父さんの友達にフィギュア制作会社に勤めている人がいたから、わざわざ特注で作ってもらったのよ。ちゃんとキャストオフ機能までついているんだから!」

 と自慢げに語ってくれたが、現実の人物を本人の許可なくフィギュア化した上、キャストオフ機能までつけて楽しむというのは犯罪ではないだろうか。師としては、弟子が実際に逮捕されないことを切に願うだけである。

 机からゴミ箱に目を移すと、そこには大量のレターセットが山を作っていた。もちろん読む気はさらさらないが、ちらっと見えた「希ちゃん」と「愛しています」という文脈から、弟子がすでに手遅れであることをまざまざと実感するのであった。

 この部屋でまともな箇所を探すのは困難だが、それでも比較的マシなのは本棚だろう。九割ほどは推理小説であり、国内/国外→作家ごと、あるいはシリーズごとにきちんと整理して並べられている。残りの一割は一般書物や参考書などが主だが、童話や絵本、そして「ラブレターの書き方」「想い人を確実に仕留める!」などは九分九厘希を対象に購入したものだろう。それらに紛れて、「希ちゃん観察日記(仮) 3冊目」「オペレーションウィンターヘブンwith希ちゃん」と書かれたキャンパスノードも見受けられる。

 黒猫は、だんだん眩暈がしてきた。

 今まで戦ってきたどんな強敵よりも、精神的にクるものがあった。真奈美はこんな部屋でよく過ごせるな……と思いつつ、よろけた拍子に偶然近くにあったMp3再生プレーヤーのボタンを踏んでしまった。途端――

「真奈美ちゃん、大好き!」

 可愛らしいソプラノボイスが大音量で響き渡った。

「……なんだ、これは」

 黒猫は弟子に冷たい目を向ける。真奈美はわざとらしく視線を外して答える。

「録音しておいた希ちゃんの声を、後で編集・合成して変換したものだけど」

「どこからその情熱は生まれるんだ……」

 本格的に頭痛が激しくなってきた時。

「真奈美―。そろそろお風呂に入りなさい」

 階下から母親の呼ぶ声が聞こえてきた。

「あ、はーい。じゃあ、私はお風呂に入ってくるから、師匠は適当にくつろいでいてね」

 この部屋のどこにくつろげる場所がある、とツッコミを返したかったのだが、居候の身として黙って頷くだけにとどめた。

 真奈美が着替えを持って出ていった後、黒猫はまだ検証の済んでないベッドに目を向けた。

「……とりあえず寝るか。さすがに疲れた……」

 ぴょん、とベッドに飛び乗り、いそいそと布団の中に潜り込む。――と、そこで再び呼吸が止まった。希と、いや正確には等身大抱き枕にプリントされているイラストと目が合ったからだ。

「…………」

 度重なるロリコン攻撃に当てられた黒猫はついに力尽きた。意識がブラックアウトする直前、この家を居候先に選んだことを深く後悔した。


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