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真奈美の謎解き

 辺りはすっかり暗くなっていた。この時間になると学生の姿は少なくなる。かと言って、会社帰りのサラリーマンらが寄るのはもう少し先だ。空きテーブルが目立つようになった店内で、真奈美はコーヒーカップの底をずっと見つめていた。涙はすでに止まっていた。心の内を晒した少女を彼らはどう受け取ったのか。三人は真奈美の気持ちの整理がつくまで、彼女に付き合った。優しい言葉をかけるでもなく、新しい推理の方向生を提示するでもなく。そう、ただ、じっと、そのときを待っていたのだ。――真奈美が彼らのリーダーとして動き出す、その瞬間を。

 やがて、彼女はおもむろに顔を上げると、三人をひたと見据えた。その瞳に、迷いは、ない。

「みんな、ごめんなさい。こんな時間まで付き合ってもらっちゃって。でも私はどうしても真相が知りたい。探偵として、謎を謎のままで終わらせるのは耐えられないの。だから――」

「分かってる。真奈美ちゃんが納得できるまで、とことん付き合うよ」

 その先を言う必要はない、と笑顔で応える希。来也も腕を組んで頷いた。

「潤も多分同じことを言ったと思うぜ。上手く表現できないけれど、今の佐倉さんはあいつと似た空気を感じるよ」

「ええ、そうね。彼と相対したときに感じた探偵特有の色。謎に挑みかかる瞳を、あなたも持っている。なら、私たちはそれに応えるだけ」

 珍しく感情を表に出し、清花も同意する。真奈美はふっと表情を和らげ、彼らに頭を下げた。ありがとう、と感謝を述べ、散らばったピースを盤面に並べる。

 タイムテーブル。作業員の位置。彼らの視認範囲。脚立。大雨。樹木。中庭の測量結果。赤外線センサ。鍵の付け替え。始業式のプログラム。控え室の裏口。

 これらから読み取れる事実は多くあった。しかし正解には至っていない。何故か。それは根本の発想が違うか、まだ見落としている点があるからではないだろうか。

 よく考えろ。今まで見てきた光景の中でおかしな点はなかっただろうか。正解へと至る伏線がどこかに隠されていなかっただろうか。

 真奈美は驚異的なスピードでパズルを組み立てていく。始業式当時の校内の風景が、具体的かつ精密に再現されていく。それはまるで神の視点から見た監視カメラのようだった。

 真奈美は具現化された時修舘高校の校門に立っていた。恐らく予鈴が鳴り終わった後なのだろう、門は固く閉ざされ、来る者を拒んでいた。高さは一メートル五十センチほど。大人であれば簡単に乗り越えられそうだ。だが――。

 真奈美の目が校門の上に設置された焦電型赤外線センサモジュールを捉える。あれが作動している限り、ここからの侵入は不可能と言っていいだろう。

 それだけ確認すると、真奈美は門を“すり抜けて”校内に入った。実体の無い、いわば霊的な存在である彼女は、障害物に関係なく自由に動き回れることができるのだ。

 次に向かったのは二年棟の昇降口である。クラス分けの掲示はまだ処分されておらず、粘着の弱まったテープの一部が剥がれ、ぱたぱたと風に煽られていた。耳を澄ますと、その音に混ざって遠くの方から生徒たちの話し声が聞こえてきた。時計を確認すると、八時三十五分を指している。なるほど、今は体育館に移動している最中なのだろう。戸川を先頭に、二年六組のクラスメイトらがぞろぞろ移動しているのが微かに見える。その中にはもちろん、真奈美自身もいた。だが、列を離れたり教室へ引き返す素振りをしている生徒は見当たらなかった。ということは、やはり封筒は始業式の最中に入れられたと思って間違いないだろう。

 全学が移動するまで待ってから、真奈美は中庭へ出てみた。まっすぐに伸びた舗装路と、左右に広がるぬかるんだ地面。そして点在する樹木。葉にはわずかに水滴が残っており、朝陽を反射して幻想的な景色を演出していた。真奈美はそのまま舗装路を歩き、例の樹木の横まで移動する。上には二年六組の窓。そのすぐ下の二組の窓は閉じられている。背後を振り返ると、三年棟一階を担当している作業員が目に映った。なるほど、彼に気付かれることなく、何らかの仕掛けを施すのはかなり難しいに違いない。となると、希が推理した脚立を利用する方法は否定してもいいだろう。

 最後にもう一度だけ各点の距離を算出した後、真奈美は二年棟に入った。途端に風の音は小さくなり、放課後に似た静けさが辺りを包み込んだ。違うのは一点だけ。廊下で照明点検を行っている作業員の存在だ。危なげなく脚立に腰掛け、熱心に仕事をこなしている。真奈美は彼の傍らを通り過ぎ、階段から二階へ上がった。そのまま二年六組の教室へ向かうつもりだったが、ふと気が変わって先に屋上を見ておくことにした。来也の言葉が本当に正しいかどうか、確認しておくためだ。

 清花の言った通り、屋上へは作業員に気付かれずに行けそうだった。だが、階段を上った先は固い扉で閉ざされている。扉の古さに対して、錠前は真新しい。いかにも最近取り付けたような感じだった。

 真奈美はそっとため息をつく。ここが通行不可能なのは一目瞭然だった。そうなると、必然的に清花の推理も否定されることになる。本当なら、職員室にあるキーボックスを開けて中を確認してみたいが、今の真奈美は物に触れられないのだ。あくまで、目だけで状況検分しなければならない。

 真奈美は引き返し、二階の廊下で作業している男の横を通り過ぎて、教室の前まで来た。触れないので分からないが、ドアに鍵はかかってないだろう。何より、ここは作業員の視界内だ。細工を施す余地は無いと見ていい。

 ドアをすり抜け、室内に入る。黒板、机の配置、教壇の上に置かれた照明点検の用紙。ざっと見回した所、真奈美らが体育館へ向かう前と変わっている点は特にないように思える。

「ふむ……。何か見落としているとしたら、ここだと思ったんだけど……」

 頭の片隅に奇妙な違和感を覚えながらも、真奈美は自分の席に近づく。他と比べても特徴の無い、至ってありふれた机と椅子。その横に掛けられた鞄も学校共通のものだ。しかし――

「あっ!」

 鞄につけてある“猫型のストラップ”は真奈美個人の所有物に他ならない。それはつまり、たとえ真奈美の席が分からなくても、ストラップの存在さえ知っていれば、位置を特定できることを意味する。となると、犯人はかなり限定される。ストラップは真奈美の退院祝いに希がくれたもので、学校には今日初めてつけてきたのだ。しかも、真奈美が到着したのは予鈴が鳴る直前で、あまり大勢の生徒には目撃されていない。ストラップの存在に気づけたのは、せいぜいクラスメイトか戸川、そして沙尾鳥くらいのものだろう。

「うーん、始業式のプログラムも併せて考えると、やっぱり戸川先生が怪しいのかなぁ……」

 どことなく釈然としないものを抱えながら呟く。これまでの検証は彼らの推理をなぞり書きしただけだ。これでは出口にたどり着けない。あと一つ、何か手掛かりでもあれば――。

「……あれ?」

 そこまで考えた時だった。まるで見えない引力が働いたかのように、視点がある一箇所に釘付けになった。同時に違和感の正体が“それ”であることを確信する。

 窓。

 間接的に密室を構成している重要な要素でありながらも、真奈美たちはただそれが“開いている”という事実にしか着目してこなかった。そう、確かに窓は開いている。しかし、真に検討すべき点はその“幅”だったのだ。

 ――黒板に近い側は二十センチほど開いている。

 いや、そうじゃない。

 ――黒板に近い側は二十センチ“しか”開いていない。

 と認識すべきだったのだ。人間の肩幅は最低でも四十センチくらいある。つまり、窓から侵入するにしても、一度通り抜けられるくらいまで開けなければならなかったはずだ。だが、窓枠を見る限り、それ以上スライドした形跡はなかった。

「なるほど、ね……」

 ここまで来れば、パズルのピースはほぼ揃った。後はそれが本当か確かめるだけだ。


「分かった」

 その一言で、三人の視線が真奈美に集中する。

「ほんと!? 真奈美ちゃん!」

 意気込んで身を乗り出す希を片手で制し、真奈美は対面の二人に言う。

「ええ。密室の謎も、犯人の正体も、そして“動機”についても筋の通る説明ができると思う。ただ、それをより確実にするために、もう一つだけ確かめたいことがあるの」

「確かめたいこと? なんだい、佐倉さん」

「これよ」

 携帯を取り出し、ギャラリーの中から最新の画像を三人に見せる。それは現場写真として昼間の内に撮影した樹木の写真だった。全体を撮影したものもあるが、真奈美が選んだのは根元周辺に焦点を当てた一枚だ。中央に幹が伸びており、その周辺に足跡の無い地面が映っている。

「この幹の根元付近を拡大して欲しいの。きっと、犯人の痕跡が残っているはずだから」

「ふーん。佐倉さんがそう断言するってことは、何かあるんだろうね。清花先輩、やってもらえますか」

「お安いご用よ。じゃあ、その写真をこのパソコンに転送してもらえるかしら」

 清花の指示通り、真奈美は画像データを転送する。それを受け取った清花は、範囲箇所の指定、拡大、ノイズの除去と、手際よく解析を進めていく。ものの数分としない内に、カタカタカタ、という音が止み、清花はモニタを真奈美の方へ向けながら処理の完了を告げた。

「はい。終わったわよ」

「ありがとうございます、清花先輩」

 礼を言い、早速モニタの解析映像を注視する。隣の希にも見えるよう、少し席の右端に寄った。そして――そこに“四つの小さな引っ掻き傷のような痕”がついているのを見て、真奈美は自分の推理が正しいことを確信した。


 *


 夜の帷に包まれた児童公園。唯一の光源と言えば、公園の隅に立てられた電灯のみで、その光さえも数日前からチカチカと不規則に明滅を繰り返している。夏はそれでもセミやカエルの鳴き声が聞こえるものだが、この時期はひっそりと静まりかえっている。ジョギングをする若者の足音も、スケボーの練習に明け暮れる不良たちの馬鹿笑いも、今は何も聞こえない。変化と言えば、遠くに見える信号機の色くらいだった。

 そんな闇の中でも、さらに一際深い黒が存在していた。ご神木の一点。もはや定位置と化した枝に常駐している黒猫である。眠っているからか、時々耳をピクッと動かす以外は微動だにしない。柔らかそうな毛並みが、呼吸に合わせてわずかに上下する。

 と、その時。ヒュウ……、と冷たい風が公園に流れ込んだ。空気の流動を感じ取った黒猫は、ややあって目を覚ました。暗闇の中に、二つの金色の瞳が露わになる。そして――その先には四つの影があった。その内の一人、長い黒髪の少女が一歩前に出て得意そうに胸を張った。

「約束通り、ちゃんと謎を解いてきたわよ、師匠。いや、“犯人さん”」

 真奈美は例の封筒を鞄から出して、黒猫の眼前に示した。

「これを私の机に入れたのは師匠よね?」

 迷いの無い、自信に満ちた瞳に、黒猫は弟子が一歩成長したことを実感する。大きく伸びをして体をほぐすと、

「ああ、そうだ。よく見破った、と褒めてやりたいが、いかんせん時間がかかり過ぎだな。この程度の謎、一端の探偵なら夕方までには解けて当たり前だ」

 容赦ない評価を下した。

「し、仕方ないでしょ! 私としてはこれでも精一杯考えた方なんだからね!」

低評価にショックを受けたのか、はたまた自分でも自覚しているのか、真奈美は頬を膨らまして抗議する。その様子に、背後の仲間たちが苦笑した。

「でも驚きだよ。まさか猫さんが犯人だったなんて」

「いや、そこは犯猫じゃないかしら。人じゃないもの」

「でもまあ、俺たちが加勢したのは事実だけど、最後は佐倉さんが自力で謎を解いたんです。どうか、彼女の謎解きを聞いてやってもらえませんか」

 来也の視線を受け、黒猫はこくりと頷いた。

「そうだな。順番に話してみろ。お前さんの言葉で。お前さんの推理を」

 師に促され、真奈美は一つ咳払いしてから、謎解きの常套句を用いて語り始めた。

「さて――」


「ほお。それで戸川という教師が怪しいと思ったのか」

「うん、最初はね。でもどう考えても密室を破る方法が浮かばなかったし、悪戯好きというだけじゃ動機が弱い。そこで一から考え直してみることにしたの。他に妙な点はなかったか、ってね。そこで気付いたのが、この“猫型ストラップ”と“窓の幅”だったの」

 二十センチしか隙間がないのを見て、真奈美は犯人が人ではなく、小さな動物なのではないかと考えた。そして発想を変えた途端、真っ先に頭に浮かんだのが黒猫師匠だったのだ。

「師匠が犯人だと仮定すると、様々な疑問が一気に氷解したのよね。まず、具体的な犯行方法。猫である師匠なら校門の隙間をくぐり抜けて校内に侵入することができる。猫は頭が通る幅さえあれば通り抜けることができるからね。窓についても同様。恐らく、門をくぐったのは予鈴が鳴った直後でしょう。そして二年棟の近くまで移動した」

 ちらっと師の表情を窺う。否定をしないってことは多分正しいのだろう。満月のような金色の瞳が、試すように真奈美をじっと見つめている。

「師匠はそこで作業員の話を“盗み聞きした”。猫の一番の武器である聴覚を使ってね。広い可聴域に加えて、音源特定誤差が0.5度なら容易いことでしょう。そうして各作業員の配置を知った師匠は、ひとまず私たちが体育館に移動するまで身を潜めた。そして始業式が始まった頃、再び行動を開始した」

 夜風が真奈美と黒猫の間を駆けていく。今この瞬間だけは、師弟関係でないことを表すかのように。

「中庭に出た師匠は舗装路を歩き、樹木の側まで移動した。そして舗装路の端から幹の根元に飛んだ後、今度は垂直にジャンプして枝まで上った。普段、ご神木の枝を寝床にしている師匠だもの、木登りならお手の物よね?」

「あ、じゃあ、例の引っ掻き傷はその時についたものだったんだね!」

 希の補足に、真奈美は首肯した。

「そうよ。調べた所、猫の跳躍力は水平で1~1.5m、垂直で2m近くまで飛べると書いてあったわ。並外れた運動神経を持つ師匠なら、そのくらい余裕の芸当だったでしょう」

 何と言っても、雪合戦では雪玉を尻尾で打つという神技まで披露していたくらいだ。体の柔軟性とバネは、猫の中でも抜群に違いない。

「さて、枝から教室に飛び移った師匠は、私の鞄についているストラップを頼りに席を探し当てた。あとは、口にくわえていた封筒を机の中に入れて引き返すだけ。帰りは樹木から飛び降りるだけでいいから、往路より時間はかからなかったでしょう。最後に校門をくぐり抜けて脱出完了ってわけ。――どう、合ってる?」

 真奈美は答案返却前の気分を味わいながら訊ねる。

「ああ、お前さんにしては上出来だ。確かに俺はその通りに行動したよ。だが、その動機まで検討がついているのか?」

「うん。師匠は――私の力を試したかったのよね?」

 真奈美の脳裏に今朝方のやり取りが蘇る。

 ――ところで、お前さん。部活はやっているのか。

 ――しかし放課後がフリーなら都合がいい。

 ――それを導き出すのはお前さん自身だ。俺の口からは教えられん。

 あの時は、その意味を深く考えはしなかった。けれど、今なら分かる。

「正解だ。俺はお前さんを一回り成長させたかった。だから、こんな手の込んだことをしたんだ。できれば一人で解いて欲しかったが、まあ仲間と協力しながら推理するのも一興だろう。――よく頑張ったな」

 その一言に自然と熱いものが込み上げてくる。

「でも、私……」

「俺がお前さんに聞きたいのは一つだけだ」

 弟子の弁明を遮り、黒猫は優しく問いかけた。

「“真奈美”。――推理は楽しかったか?」

 探偵を目指すためにもっとも大切な気持ち。長い年月で忘れがちになってしまう初心を師は口にした。真奈美は一瞬きょとんとしたが、すぐに最高の笑顔で答えた。

「もちろんよ!」

「なら大丈夫だ。真奈美は立派な探偵になれるだろう。そのために不可欠な仲間もこうして集まったことだしな」

「え? もしかして、師匠。私が誰かに助けを求めることまで分かってたの?」

「当然だ。そいつらが真奈美にとって信頼のおける人物であることもな。さあ、これからはびしばし鍛えていくぞ」

「これから……って」

 目を見張る四人に向かって、黒猫は高々と宣言した。

「今ここに、謎解き専門クラブ、通称『黒猫部』の設立を宣言する!」



 <おまけ>


「そういえば師匠。あの手紙ってどうやって書いたの? いくら何でもパソコンは使えないよね?」

「ああ、知り合いの女性に事前に頼んでいたんだ。真奈美たちが強盗事件を解決したと聞いて、いつでも黒猫部を始動できるようにな」

「……そのネーミング何とかならなかったの?」

「う、うるさい! 俺に物言う前にまずは推理力をつけろ!」

「は、はいっ! 頑張りますっ!」


 珍しく後書き。

 最初の事件が終わり、ようやく一区切りであるのと同時に、2年生編の本格的なスタートラインに立ちました。これからどんな難題がふっかけられるのか、作者の僕自身も非常に楽しみです。

 あと、個人的には「黒猫部」というネーミングは気に入っていたり(笑) シンプルで可愛らしいよね!

 では、次の事件でまたお会いしましょう。

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