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初めての涙

「ふーん、なるほど。侵入経路にドアも窓も使えない開放的な密室、か。確かに不思議な話だね。うん、面白そうだ」

 ホットレモンティーを一口啜りながら、来也は興味深そうに言った。その隣では、佐々波清花が無表情でキーボードに指を走らせている。

 ここは時修舘高校からほど近い距離に位置する喫茶店だ。あの後、いくら考えても一向に妙案が浮かばなかった二人は、携帯で来也と潤に助けを求めた。しかし最も頼りになる潤とは連絡がつかず、半ば諦めかけていた時に来也が清花を伴って現れたのだった。

「えっと……どうして清花先輩が鈴笠君と?」

「廣野姫幸から頼まれたのよ。もしあの子たちが困っていたら、私の代わりに力になってあげて欲しいって。彼女、まだ新しい環境に慣れてないらしいから」

「あ、そっか。姫幸ちゃん、都内の大学に進学したって言ってたもんね」

 希が少し寂しそうに呟く。

「そう落ち込むことないよ、希ちゃん。同じ関東圏なんだし、先輩の都合がつけば、いつでも会いに行けるさ。さし当たっては五月の学祭かな。また時期になったらメールするって言ってたよ」

「ほんと! よかったぁ!」

 手を叩いて無邪気に喜ぶ希。一方、清花は浮かない顔だ。

「しかし何故でしょう。廣野姫幸にとって大学の講義は退屈なだけではないでしょうか。わざわざ一から勉強し直すメリットがあるとは思えません」

「いいや、逆だよ、佐々波先輩。すでに最先端の知識まで身についている先輩なら、出席数だけ確保すれば楽に単位は取れる。出席さえ取らない授業なら、期末だけ出れば十分だろう。そうすれば、かなりの時間を作ることができる。先輩は、その時間を利用してある調べ物をしたいと言ってたよ。それが何なのかまでは教えてくれなかったけど、大学は文献の数も豊富だし、PCサークルには良いパソコンが揃っている。研究室に配属されれば、かなり高度な数値解析ソフトやプログラミング環境を使用することだってできるんだ。先輩にとっては、まさに打ってつけの場所だよ」

「へぇ。廣野先輩、ちゃんと自分のやりたいことが決まってるんだ。すごいなぁ……」

 思わず、ため息が漏れる。それはもちろん、将来の像がまだ見えない自分と比較して、だ。

 希は父親を越える魔術師になりたいという夢がある。来也と清花の夢は知らないが、二人とも並外れたパソコンスキルを持っている。対して、真奈美は至って平凡だ。特に優れた長所もないし、潤みたいに探偵事務所に通っているわけでもない。今までは、その差を特に意識することはなかった。劣等感も、将来の不安も、自分に対する疑問も感じることはなかった。しかし季節が巡る毎に、一人また一人と大人になっていく。大学に進学する者もいれば、社会に出る者もいる。それが必ずしも自分で決めた道だとは限らないだろう。けれど真奈美は誰かに用意してもらった道を歩くことだけは願い下げだった。例え、探偵が世間に受け入れられない存在だったとしても……。

「どうしたの、真奈美ちゃん。突然黙り込むなんて真奈美ちゃんらしくないよ?」

 希の指摘に、はっと我に返る。

「あ、ごめんね。ちょっと考え事しちゃってた」

 真奈美は慌てて顔の前で両手を振る。その様子を見て勘違いしたのだろう、向かい側に座っていた来也がニヤニヤしながら言った。

「佐倉さんが考え事ねぇ。良からぬ事じゃなきゃいいけど」

「ちょ、ちょっと。それどういう意味よ!」

「分かるわよ、佐倉真奈美さん。私も同志だもの。ロリって萌えるわよね」

「無表情で言われると怖いんですけど!」

「ちなみにこれが個人的希ちゃんベストショットよ」

「ぐはっ!」

 恐らく朧月家のセキュリティを破って撮影したのだろう。パソコンには、クマのぬいぐるみを抱いてスヤスヤ眠る天使がクローズアップされていた。

「ちょっと! 勝手に撮らないでよ! 犯罪だよ!」

 本人の訴えも虚しく、リアルに鼻血を垂らしながら接近する真奈美。

「ああ、希ちゃん……。☆△?!◇■」

「佐倉さんの日本語が危ない」

「それ以上美優ちゃんに近づかないで。穢れるから」

「みんな、あたしを無視しないでよ!」

 さすがに涙目になり始めたので、真奈美も大人しく席に戻る。

「さて、佐倉さんも本調子に戻ったみたいだし、そろそろ聞かせてもらおうかな。その不思議な密室事件とやらを」


「うーん、そうだな。まず、佐倉さんたちがまとめた疑問について俺の意見を聞いてもらおうかな」

 メモ帳の該当箇所をシャーペンでコツコツ叩きながら、来也は話し始めた。

「一つ目。“犯人は校内の人間か、そうでないか”に関してだけど、俺は外部犯の可能性はないと思う」

「どうして? 学校関係者には全員アリバイがあるのよ。普通に考えたら、外部犯の説が有力じゃないかしら」

「いや、実は外部犯の仕業だと考える方が難しいんだ。と言うのも、HR開始の予鈴が鳴った時点で校門がすべて閉じられるからなんだ」

「え、そうなの? 今までそんなことあったかなぁ……」

 真奈美は懸命に思い出そうとしたが、やはり門が閉まっている光景は記憶になかった。隣で希も唸る。

「うーん、なかったと思うよ。あたしも初めて聞いたし」

「二人が知らないのも無理ないさ。門が閉められるようになったのは今日からだからね。ほら、先月学校の近くで強盗事件が発生しただろ? 犯人は俺たちが捕まえたけど、学校側には警備を強化するようにPTAから強い要望があったらしい。実は、今日行われた照明器具の点検もそこを発端としていてね。近いうちに、足音などに反応するセンサを用いたライトに変えようという提案も出されているんだ」

「ま、時修舘の古風な雰囲気を損ねるのではないかという慎重な意見もあるけどね」

 清花が横から補足する。

「なるほどね。でもそれがどうして外部犯の否定に繋がるの? 校門なんてそれほど高くないし、乗り越えるのも難しくないわよ」

「そこが重要なポイントだよ、佐倉さん」

 来也はシャーペンの先を真奈美に向ける。

「確かに校門の高さなんてたかが知れている。特に踏み場なんかなくても簡単に越えられるだろう。けれど、学校側がこの春休み中にある仕掛けを施していたのさ」

「仕掛け? どのような?」

「赤外線センサだよ」

 悪戯っぽい笑みで来也は答えた。セキュリティに精通しているだけあって、この手の話題には特に饒舌になるようだ。

「正確には焦電型赤外線センサモジュール。俗に人体検知センサと呼ばれている代物だ。主に防犯アラームに広く使われているのはこいつだね。人から発生する赤外線を焦電センサが受信する仕組みになっている。俺も回路図を調べてみたけど、窓材には不必要な外来光をカットし、人間が放射する9~10μmの赤外線だけを受光する7μmカットオンフィルタが使われている。振動ノイズや温度変動によるノイズ信号はキャンセルさせるから、人体検知精度はかなり高いはずだ。それを校門の上に取り付けたってことは――」

「物理的に外部犯が校内に侵入するのは不可能ってことだね」

 結論を希が引き継いだ。

「そういうこと。まあ、校門自体に十センチほどの隙間はあるが、ここを通り抜けるのはいくらなんでも無理だろう」

 真奈美も頷いた。

「じゃあ、犯人は校内の人間ってことね。でもアリバイを崩す方法が見つからないのよね……」

「いや、それについても仮説くらいは立てられるよ」

「「ほんと!?」」

 二人の驚愕がきれいに重なる。希に至ってはオレンジシュースに咽せたらしく、ケホケホ可愛らしく咳をしていた。

「ああ。しかしそれを説明する前に、まずはこれを見てくれないか」

 来也が目で合図すると、清花が再びパソコンの画面を見せてくれる。そこには希の寝顔……ではなく、番号が振られた表のようなものが映し出されていた。

「今年度の時修舘高校始業式のプログラムよ」


 始業式

  ①開式の言葉(司会:教頭)

  ②校長の話

   ・学級担任、学年担当発表

  ③校歌斉唱

  ④閉式の言葉

  ⑤連絡事項(司会:教務担任)

   ・生徒指導主任の話

   ・教務主任の話

   ・その他


「これを見て何か気付くことはないかい?」

 来也に促されても、真奈美にはごくありふれたプログラムにしか映らない。希も首を傾げている。

「じゃあ、ヒント。佐倉さんたちは、“始業式の最中は誰も席を立たなかった”ということを前提に推理しているけど、実際は違う。プログラムを見ての通り、校長、生徒指導主任、教務主任の三人は壇上に立っているわけだ」

「それはそうだけど……扉から出て行った人はいなかったわよ?」

「佐倉さんが言っているのは、生徒が通常利用する前後の扉のことだろう。しかし体育館には裏口が存在するんだ。“舞台袖の控え室に、ね”」

「あっ!」

 それは真奈美にも心当たりがあった。以前、演劇部の友人が教えてくれたのだ。機材や大道具を搬入する際に控え室の入口を利用することがある、と。もっとも事前に顧問の許可がいるらしく、主に文化祭前後に使用されるだけらしいが。

「控え室からなら誰にも気付かれずにこっそり外へ出ることが可能だ。鍵も内側からは簡単に開けられるしね」

「となると、かなり犯人が絞れてくるわね。控え室から外へ出て、私の机に封筒を入れた後、また裏口から体育館に戻ったってことでしょう」

「そう。そして佐倉さんの席を知っている人物となれば一人しかいない」

「あっ、分かった! 戸川先生だね!」

 希がパンッと手を叩いた。

大正解ビンゴだよ、希ちゃん」

 来也も得意そうに片目をつぶって解説を加える。

「生徒指導主任の戸川先生なら犯行のチャンスがあっただろう。今朝教室に入ってきた時にテンションが高かったのも、犯行前で気分が高揚していたと考えられる。何と言っても先生は悪戯が大好きだしね」

 本当に困った人だよ、と来也は苦笑する。真奈美はよく知らないが、秘密裏に行われた希の歓迎会に一枚噛んでいたこともあるらしい。生徒のウケはともかく、相当な曲者であることは間違いないみたいだ。

「じゃあ、残る問題は教室に侵入した方法ね」

 真奈美はようやく事件の核心を口にした。考えれば考えるほど深まる密室の謎。ドアも窓も駄目なら、果たしてどうやって侵入できたというのだろうか……。

「うーん、そこまでは俺もちょっと……」

 ここまで華麗に謎を解いてきた来也も、今度ばかりはお手上げのようだった。こんな時に潤でもいればなぁ、と呟く彼の隣で、ひらすらパソコンを操作していた清花が無表情のまま口を開いた。

「その方法なら考えられないこともない」

「!?」

 全員の視線が清花に集中する。しかし彼女は表情を崩さず、倦怠そうに瞼をやや上げて続けた。

「結論から言うと、犯人は窓から侵入したのよ。ただし、樹木を使わずにね」

「樹木を使わずに……って、そんなことできるの?」

「じゃあ、こう考えてみて。“もし窓の外に樹木がなかったとしたら”、あなたならどうやって侵入する?」

 深い茶色の瞳に見つめられ、真奈美は一瞬ドキリとする。それが同性でも、あまりに魅力的だったからだ。

「え、えーと、上からロープを使って降りるとか……あっ」

「そう。それが普通の考えよね。でも窓の外に誂え向きの樹木があるのを見て、あなたたちは“どうやって樹木を利用したか”という固定観念に囚われてしまった。そのせいで単純な解答を見落としてしまったのよ」

「でも清花ちゃん。屋上には鍵がかかっていたと思うけど」

「っ!」

 希に「清花ちゃん」と名前で呼ばれたことに激しく動揺しつつも、努めて平静を保とうとする清花。しかし真奈美は、彼女が「くっ……なんて破壊力……!」と小さく呟いたのを聞き逃さなかった。

「ええ、そうね。でもあの時間、職員室には誰もいなかった。鍵は自由に取れるし、屋上へ行くだけなら廊下を横切る必要もない。校舎は二階建てだから、割と短いロープを用意するだけで済む点も大きい。犯行時間もそれほどかからなかったでしょうね」

「なるほど……。その方法なら樹木の葉がカーテンになって、三年棟を担当していた作業員にも気付かれにくいかも。流石、清花先輩ね」

 真奈美は羨望の眼差しを清花に送る。しかし澄ました表情に変化はない。どうやら廣野先輩と違ってツンデレではないようだ、とずれた分析をしていると、

「残念だけど、清花先輩の説は成り立たないよ」

 来也がばっさりと案を斬った。

「どういうことなの、鈴笠君」

 真奈美が訊ねると、来也はいつになく真剣な顔で語り出した。

「幸か不幸か、またもや学校側の対応が関係してくるんだ。例の警備強化の件でね。校門に赤外線センサを取り付けたのはすでに話したけど、それ以外にもう一つ春休み中に行ったことがあるんだ。それが“鍵の付け替え”だよ」

「鍵の付け替え?」

「そう。主にクラブ棟や特別教室なんかを対象に、最新式のロックシステムに変更したんだ。古い鍵穴だとピッキングで開けられるし、合鍵を作られる可能性も否定できないからね。そこでセキュリティ業界で有名な警備会社の出番ってわけさ。防犯の弱い箇所を一新し、新しい鍵に付け替えたんだ。もちろん、屋上もね」

「けど……新しい鍵も職員室に置いてあるんじゃないの?」

「よく使う教室だけは、ね。さっきも言ったように、万が一合鍵を作られる場合を想定して、頻繁に利用しない教室や屋上の鍵は警備会社に預けているんだよ。だから、犯人が屋上に出ることは不可能なんだ」

「嘘……じゃあ、本当に打つ手がないじゃない……」

 真奈美の呟きは重苦しい空気となって四人にのしかかった。これまで散々ぶち当たってきた不可能の壁。今度こそ突破できると信じていた道は、しかしことごとく行き止まりで。その度に謎をより複雑な迷宮へと作り替えていく。もはや出口なんか無いのではないか、と思うほどに。

「悔しい……」

 気持ちを一度声に出すと、もう止まらなかった。

「悔しい、悔しい! あとちょっとなのに! もう少しですべての謎が解けそうなのに! どうして何も思いつかないのよ……!」

「真奈美ちゃん……」

「私はずっと探偵に憧れていた。小さい頃からの夢で、毎日のように推理小説を漁っていた。どんな難事件も自分なら解決できると豪語する姿が格好よくて、素敵で、大好きで。最近ではそういう話は見かけなくなっちゃったけど、黒猫師匠や参道君のような人物は私の希望だった。頑張れば、いつか私もすごい探偵になれるかもしれない!……ってね。でも実際は単に思いつきを口にする程度しかできない。こんなちっぽけな謎さえ解けない。それが、とても、悔しく、て……」

 それが嘘偽りの無い本心で。純粋に強い憧れを抱いていたからこそ。

 ――この日、真奈美は初めて涙をこぼした。


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