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とある記憶のアラカルト  作者: 月夜見幾望
絶叫スペシャルランド強盗事件
29/39

vs. 強盗犯

 動いた! と認識した瞬間、私はすっと目を閉じた。

 相手は空手の元インターハイ経験者を倒すレベルだ。パワーもスピードも私より数倍勝っているに違いない。

 そんな相手に対して、こちらが闇雲に突っ込んでいった所で無駄だ。

 私の動きを目で追うことも予測することも容易い敵に対しては、視認に頼った戦い方は通用しない。相手の呼吸を読み、その力を利用する体捌きが求められる。

 そうでしょ? 黒猫師匠、おじいちゃん。

 ごう! という空気を裂く音が、右斜め四十八度付近から聞こえる。

 師匠やおじいちゃんと違って殺気を隠そうともしない。

 ……なんだ、大したことないじゃない。

「首を狙った上段蹴り」

「なっ!?」

 どんなに速く、どんなに重い技でも、あらかじめ攻撃線を予測できていれば回避は可能だ。

 少し首を傾けただけで蹴りを躱し、そのまま相手の死角に素早く踏み込む。

 入身。相手の動きを円く捌き同方向へ受け流す「転換」と並んで、合気道の基本となる体捌きだ。

「あんたが前に戦ったのは打撃メインの空手だったかもしれないけど、私が得意なのは受け身・返し技を主軸とする合気道。その違いをとことん教えてあげる」

 側背に入身した私は、即座に男の右足を払い、相手の重心移動を利用して投げ飛ばした。

「ぐっ!」

 ドシン、と床に叩きつけられた男は低い呻き声を上げる。

 うわぁ、痛そ~。まあ、ここマットも畳もないから仕方ないんだけどね。

「真奈美ちゃん、すごぉい! とっても強いんだね!」

 希ちゃんがステージの上で飛び跳ねながら拍手してくれる。

 そ、それほどでもないわよ。……あ、でも待って。ここでいいとこ見せたら、希ちゃんの好感度が一気に急上昇するんじゃないかしら。ど、どうしよう。もしそうなって、最終的に希ちゃんの専属ボディーガード兼マネージャーに選ばれでもしたら……。

「佐倉真奈美さん。貴女さえよろしければ、今日から私どもの家で暮らしませんか?」

 執事の……ええと、園宮さんだっけ? が、学校の校門でそう切り出してくるの。そして私は少し考えた後、頬を染めながら、

「そ、それは希ちゃんと同じ部屋で寝るということでしょうか?」

 と聞き返すの。で、園宮さんはにっこりと笑いながら、

「もちろんでございますとも」

 と頷いて……きゃあああああああ!!(妄想☆爆走)

「お楽しみの所悪いが、まだ試合は終わっちゃいねぇぜ」

 へ?

 いつの間に起き上がっていたのだろう、目の前には腰を深く落として正拳突きの構えを取っている男がいた。

 やばっ!

 咄嗟に後ろへ飛んでダメージを減らそうとしたんだけど――

「やはりな。お前は合気道の型にハマり過ぎててつまらねぇぜ」

 男は一気に間合いを詰めてくると、空中で体の転換ができない私の心臓部に手を当てた。

 なに? と思った瞬間、

「真奈美ちゃん!」

 私は口から大量の血を吐いて、観客席の端まで吹っ飛ばされていた。



『まずい! 避けろ!』

 通信機の向こうで鈴笠の絶叫が響き渡った。

 絶叫スペシャルランドの南東、『リバース・ラビリンス』の裏手。広い逆さま迷宮の正規ルートを少し外れた位置にある、スタッフ用出入り口を守っている最中のことだった。

「どうしたんだ、鈴笠!? 希ちゃんたちに何かあったのか!?」

 直線距離ではこちらの方が近いのだが、なにぶん入り組んだ迷宮の中にあるため、実際には佐倉さんたちの方が早く強盗犯と対面することになるだろう。ひょっとしたら、もう交戦が始まっているかもしれない。

 その確認の意味も込めての問いだったのだが、返ってきたのは予想を遙かに裏切るものだった。

『もしかしたら……佐倉さんが、やられた、かも……』

 ……え? 嘘、だろ……?

「なんだと!? どういうことだ、それは!? ちゃんと説明しやがれ!」

「おい、柴田! 落ち着けって!」

「黙ってろ、参道! あの真奈美が……あいつが簡単にやられるワケないだろうが!」

 激昂を抑えきれず、通信機に向かって怒鳴り散らす柴田。

 無理もない。柴田にとって佐倉さんは、今までずっと思い続けてきた相手なのだから。

 受け入れたら崩れてしまいそうで。ただ否定することしかできなくて。

 そんな脆い姿が、僕の記憶を遠い過去へ引き戻す。

 まるで人形のように生気がなく。風が吹く度に音もなく揺れる幼馴染み。

 その細い首にはロープがかけられ、彼女はただ虚ろな瞳で集まった人々を高みから見下ろしていた。

 花音……。どうして死んじゃったんだよ……!

『……ちゃん。ちょっと潤ちゃん! 聞こえてるの?』

「え?」

 姫幸先輩の呼び掛けで、ふと我に返る。どうやら感傷に浸りすぎていたらしい。

『え? じゃないわよ。こういうときは潤ちゃんがしっかりしなくちゃどうするの』

 先輩にしては珍しく、少し怒気を孕んだ口調で言った。

「す、すみません。それで、佐倉さんはどのようにやられたのですか」

 ゴーグルに備わっているビデオカメラ機能で、鈴笠と先輩は、佐倉さんとまったく同じ視線で状況の推移を見ていたはずだ。なら、特定箇所だけスローモーションで再生すれば――

『それが、佐倉さんのカメラには技の接触点が映ってなくてね。二人から少し離れていた希ちゃんの映像を基に判断するしかないんだけど、あの技はおそらく発勁はっけいね。日本では一般に寸勁すんけいと呼ばれることが多いけど、元は中国武術における力の発し方の一つで、相手の至近距離からほとんど動かずに爆発的なパワーを叩き込むことができる大技……。熟練者が使えば、今みたいに相手を吹き飛ばすほどの衝撃を与えることが可能よ』

 呼吸法、重心移動、地球の重力、身体内部の操作、意識のコントロール……。

 それらを複合的に用いて、最小動作で最大の打撃を打ち込むことを目的とする。

 いくら防御態勢を取った所で、全身が受けるダメージの大きさは普通の比ではない。

 ましてやそれを心臓部に食らったとしたら……。

『そう……最悪、死に至ることもあり得るわ』

 自身も武術に精通している姫幸先輩だからこそ。

 まるで氷のように冷たい声で。一切の誤魔化しもなく。

 ――絶望的な現実を僕たちに告げた。



 まるで暗い海の底にいるように体が重かった。

 どこを見ても真っ暗で。そこに自分という存在がいる意味さえ、曖昧になってしまうような場所。

 例えるなら、そうね。一昔前のハード機でバグ技をやろうとしたら、途端に画面が暗転して主人公だけが取り残されてしまったような感じ? よくある、“石の中にいる”状態みたいな。

 あれ、けっこう致命的なのよね。下手したら今までのセーブデータ全部消えるかもしれないし、そうでなくてもリセットしなければ再開できない。

 今の私がまさにそんな感じ。体の内部がぼろぼろで、立ち上がろうという気力さえ残っていない。仮に続きから始められたとしても、目の前には今のレベルでは到底勝ち目のないラスボスがいる。要するに“詰んだ”って状況だ。

 ――本当にそう?

 え? 誰?

 ――そもそも真奈美ちゃんはゲームオーバーにすらなってないじゃない。パーティの仲間がまだ残っているんだからさ。あたしもそうだし、潤君や姫幸ちゃんたちも、みんな真奈美ちゃんの側にいる。声も届く。


 だからほら、もう一度目を開けてごらん。

 そこにはあなたが最も大切に思っている子が待っているはずだから。


「希、ちゃん……」

 肺の奥から絞り出すように、とある少女の名前を口にする。

 長いツインテールと円らな瞳。お菓子とオレンジジュースが大好きで、ちょっぴり気が強い所も可愛い女の子。私の、大事なパートナー。

「真奈美ちゃん! よかったぁ、気がついたんだね!」

 視界いっぱいに広がる希ちゃんの顔。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃだけど、今までで一番嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 もし私が万全の状態だったら、即座に連射モードでシャッターを切っていたわね。

「もう! 目を覚ますなり、いつもと変わらないんだから! そんなこと考えてる場合じゃないでしょ!」

 涙を拭きつつ、プンスカ怒る希ちゃんが可愛すぎるのですが、どうしたらいいですか、師匠。

『まったくだ。お前もロリコン同好会メンバーなら、希ちゃんを泣かすような真似すんじゃねぇよ。……本気で心配かけさせやがって、馬鹿野郎……!』

 柴田君……。

 ……うん、ごめんね。そして、ありがとう。

 礼はいいから、帰ったら反省文書きやがれ! というお叱りに続いて、廣野先輩と鈴笠君の呆れ声が重なる。

『あれを受けてすぐ意識回復するなんて、相当タフね、貴女……。武術の心得がある私ですら畏怖せざるを得ないわ』

『妄想が膨らむほど、おじいさんに厳しく折檻されていたと聞きますからね。打たれ強さに関してはかなり鍛えられていたのでしょう』

 ちょ、ちょっと、その言い方はひどくない?

 私だって別に好きで合気道やってるわけじゃないんだからね!

『ま、まあ、とりあえず無事でよかったよ。それより佐倉さん。まだ戦えそう?』

 う、うん、なんとか。

 おじいちゃんの攻撃よりは重かったけど、一発だけならぎりぎり持ちこたえられる威力だったかな。逆に考えれば、それ以上の打撃はもう来ないはずだから、私にもまだ勝機は充分にあると見ていい。

 え、どういうことかって?

 それは簡単な物理で説明できるのよ。

 ある物体に力を加えようとすると、作用点で必ず作用・反作用の法則が働く。つまり、私が受けたのと同じだけの衝撃が、相手にも返っているはずだ。

 腕にダメージが蓄積した状態で仮に発勁を放ったとしても、一発目よりは威力が出ないに違いない。

 ……まあ、今のは希望的観測を含んだ一般論だから、油断はできないんだけどね。

 私は観客席に手をつきながらゆっくりと立ち上がる。

 まだかなり痛みが残っているけど、とりあえず足も手も動く。関節も正常に機能している。

「いやはや、あれを受けてまだ立ち上がれる力があるとは。さすがの俺もびっくりだよ。――だが愚かだったな。そのまま倒れていればこれ以上痛い思いをすることもなかっただろうに」

 まるで、相手を叩き潰すことが最高の楽しみだと言わんばかりに。

 まるで、相手を壊すことしかできない自分を呪うかのように。

 狂った笑い声を上げながら、強盗犯は一歩一歩近づいてくる。

 ――しかし、私と男を結ぶ直線上に割り込む、小さな影があった。

「させないよ」

 満月を背に、闇に溶け込んだ魔術師は不敵に笑う。

 偶然か、はたまた必然か。

 さっきまで凪いでいた風が再び強まり、彼女の長いツインテールを左右に揺らした。

「そんなこと、あたしがさせない。あたしが真奈美ちゃんを守るって決めたから」

「希ちゃん……」

 その頼もしい後ろ姿に、私は思わずみとれる。

 だが、男の方は逆に興ざめしたような顔つきになった。

「しかしな、お嬢ちゃん。言っちゃ悪いが、その細い腕じゃ俺を止めることなんて無理だと思うぜ? 喧嘩慣れしているようにも見えねぇし」

「そんなこと――やってみなきゃわからないよ!」

 男の眼光に怯むことなく、希ちゃんは真っ直ぐ突っ込んでいく。

 まったくの徒手空拳で。

「やれやれ……。しょうがねぇな。先にお嬢ちゃんから相手してやるか」

 完全に希ちゃんのことをただの子供だと侮っているのか、男は特に構えることなく迎え撃った。

 ――それが大誤算になろうとは知りもせずに。

 男と希ちゃんがまさに交錯しようとした瞬間――。

 ポンッ!というポップコーンが爆ぜるような音と共に、深い煙幕が男を包んだ。

「なに!?」

 狼狽した声を上げる男に向かって、希ちゃんは続け様に数十枚のカードを放つ。

 風や空気抵抗で不規則に軌道変化を繰り返すカードの束は、まるで動きの読めない竜巻のようだった。しかし、カード自体に殺傷能力があるわけでもない。

「ガキが。こんな虚仮威しで……」

 煙幕とカードを振り払った男が、希ちゃんに迫る。

 だが――

「ふふ。チェックメイトよ。強盗犯さん♪」

 最後の仕上げとばかりに、希ちゃんは何か液体のようなものを飛ばした。



『バアアアンッ!!』

 と、耳を聾するほどの爆発音が空気を揺るがした。

 まるで花火の打ち上げ音を間近で聞いたかのような大音量に、僕はたまらず通信機を耳から取り外す。

「なんだ、今の爆発は!? 希ちゃんは一体何をしたんだ?」

 こちらも通信機を取り外しながら柴田が聞いてくるが、はっきり言って僕にもわからない。

 希ちゃんが爆発物を持ってなかったことは確かだ。午前、午後ともに僕が一緒に行動していたのだから間違いない。となると、常温における気体の性質や化学反応を利用したと考えるのが自然だろう。

『ふーん、なかなかやるじゃない、あの子。金属ナトリウムを水と反応させるなんて』

 姫幸先輩が感心したように呟く。

 ああ、なるほど。と僕も心の中で納得する。

 金属ナトリウム片を水に入れると、発生した水素ガスに火がついて炎が出る。これはナトリウムの融点が98℃とかなり低く、かつ発熱反応であるため、反応熱で溶解したナトリウムが細粒化すると、反応面積が急激に増加し、爆発するという仕組みだ。

 1995年には、原子炉からのナトリウム漏洩による火災事故も起きているし、少量でもちょっとした火柱や爆発を発生させることは充分可能だろう。

『しかし、流石ですね、先輩。一発でタネを見破るとは』

『ふふ、まーね♪ これでも化学部に所属していたのよ。むしろ、あれくらいなら見抜けて当然でなきゃね』

 そういえば、姫幸先輩は化学部書記を兼務されてましたね……。ほんと、無駄にハイスペックなんだよなぁ、先輩は。

『潤ちゃ~ん。今、すごく失礼なこと考えてなーい?』

 通信機から鋭い殺意が飛んでくる。

 いえいえ、とんでもありません! って言うか、何でわかったんですか!?

『潤ちゃんは思っていることが顔に出るからわかるのよ』

 うっ……。僕って、そんなにわかりやすいのかなぁ。

 ――って、それよりも。

「ですが、先輩。金属ナトリウムと水の反応による爆発って、一瞬で収まりますよね? 強盗犯を怯ませることはできても、状況が好転するとは限らないのでは」

『潤ちゃんの言う通りよ。さっきの爆発で犯人に深い痛手を与えられたのは確かだけど、それでもようやく佐倉さんと互角って所ね。希ちゃんのサポートも二度目は通用しないし、勝負は完全に拮抗している。でも、このままじゃ……』

 そう。このままでは持久戦、精神の消耗戦になってしまう。

 体力の観点から見れば、どう考えても強盗犯の方に軍配が上がる。それを引っくり返すほどの奇策がなければ、佐倉さんたちが先に力尽きてしまうことは明らかだ。

 でも……。

 でも、そんな上手い策なんてあるわけが……。

「諦めるのはまだ早いぞ、参道」

 え、柴田?

「俺は参道のように詳しいことはわからんのだが、“この方法なら”一瞬だけ犯人の隙をつくることができるかもしれん」

「何か思いついたのか?」

 僕は期待を込めた口調で聞く。

「ああ。真奈美たちが戦っている場所は確かショーアーケードだったよな。ショーアーケードって言うのはつまり、数時間ごとに簡単なショーやダンスを披露するための舞台のことで、もちろん夜の公演もある。なら、そこには当然スポットライトがたくさんあるはずだ」

 ははあ、なるほど。

 僕にも読めたよ。柴田の考えついたアイデアが。

 一言にまとめるなら、光学分野における“絞り”を応用した簡単なトリックだろう。

 絞りとは通過する光の量を調整するために用いられる遮蔽物、もしくは孔のことで、人の眼球では虹彩がこれと同じ働きをする。これによって網膜で受ける光の量が許容範囲内に調整され、網膜を保護するとともに視覚機能を補完している。

 虹彩は通常明るい場所では絞られて小さな孔となり、暗い場所では逆に開かれて大きな孔となるが、その反応速度が速くないため、人間は即時に順応することができない。暗所から急に明るい場所に出ると眩しくて目蓋を開けられなかったり、逆に明るい場所から暗所に移動すると周囲がよく見えなかったりするのはこのためだ。

「すべてのスポットライトを一斉に犯人へ集中させれば、しばらくは目が眩んで動きをかなり制限させられるはず。その後は真奈美と希ちゃんが上手くやってくれるように祈るしかないわけだが……」

「いや、試す価値は充分あると思うよ。鈴笠」

『ああ、やってみる。先輩は佐倉さんと希ちゃんへの伝達をお願いできますか』

『任せてちょうだい』

 すべてのタイミング次第。

 勝機を掴み取れる、最後のチャンス――。



 ごう! と男の蹴りが耳元を掠める。

 だいぶ男の動きに目が慣れてきたとは言え、ダメージの蓄積したこの体じゃ、もう一発受けただけで致命傷になる。

 急所を突いてくるような攻撃は無理せず受け流し、比較的浅い攻撃を入身と転換で捌いた後、反撃に転じる。

 無力化と反攻。

 その無限とも思える連鎖はすでに百を超えている。

「くっ……はぁ……」

 呼吸が荒くなる。体中が酸素を求めて軋みを上げる。

 鉛のように重い手足は、とうに限界に達していた。

 対して、男は息一つ乱していない。それどころか、攻撃を繰り出すタイミングを完全に私の呼吸に合わせている。

「はぁ……はぁ……」

 ぬるり、と汗が全身から噴き出す。

 それでも休むわけにはいかない。休ませてはくれない。

「真奈美ちゃん……!」

 すぐ背後では、希ちゃんが悔しそうに唇を噛みしめている。

 でも、動こうとはしない。なぜなら、男の本当の狙いは私ではなく、希ちゃんだからだ。

 男にとって、パワーバランスがほぼ互角な私よりも、非力な希ちゃんを相手にしたほうがよほど与し易いのは事実だろう。

 そして、もしこの状況で、希ちゃんが私を助けるために動いたらどうするか。

 即座にターゲットを希ちゃんに変更し、私がそれを阻止する瞬間に生まれる隙を狙ってくるに違いない。

“だから、ごめんね、希ちゃん。辛いだろうけど、今は動かないで……!”

 言葉を発する余裕さえない私は、思いだけでそれを伝える。

 けど、ほんと……もう、無理…かも……。

 なお勢いが衰えない連続攻撃に、諦めて膝を突きそうになったとき。

『――――』

 通信機から、その指示は聞こえてきた。

 え? 男を舞台上に誘導しろ……?

 もはや仲間の声すら判別できなくなった耳で、かろうじて聞き取れた、それだけの台詞。

 意味を考えるだけの余裕はない。

 そんな体力も気力も残っていない。

 でも――それでも、最後まで仲間を信じ続けることはできる。

「……了解」

 通信機に向かって短く応答し、私は最後の力をふりしぼって地面を蹴った。



『よし! 誘導成功! すごいよ、佐倉さん!』

『こっちも制御システムの侵入に成功したわ。後はタイミングを合わせるだけよ』

 鈴笠と先輩の、興奮と緊張が入り交じった声が響く。

 ――チャンスは一度きり。この一瞬にすべてを賭ける。

「カウントいきますよ。5…4…3…2…1……」

 ゼロ、と言い終えるのと同時に。

 柴田があらん限りの大声で、通信機を通して叫んだ。



『顎を狙え、真奈美いいいぃいいいぃぃいいい!!!!』

 ステージ上の照明がパッと点いた瞬間、柴田君の絶叫が耳を貫いた。

「くそっ! 何も見えねぇ!」

 いくつものスポットライトを浴び、男が目を押さえて立ち止まる。

 それだけで作戦を理解した私は、本能だけで駆け出していた。

 男との距離が詰まる。

 胴体はがら空き状態。

 まだ視界が回復しないのか、ガードされる気配もない。

「いっけえええぇえええええぇぇええええええぇええぇぇえええ!!!」

 柴田君を信じ、顎を狙って蹴りを放つ。

「ぐっ!」

 直撃を受けた男は、そのまま数歩後退した後、バタン! と床に伸びてしまった。

 もしかして……終わった、の?

「やったああああああああ!! 真奈美ちゃんが勝ったあああああああ!」

 あう……。希ちゃん、抱きついてくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと痛いよう……。

『よくやった真奈美! やっぱり、お前は最高の女だ!』

 ちょ、ちょっと、柴田君。そんなに褒められると、少し照れるんだけど。

『ほんとに……ほんとによく頑張ったわね。見直したわよ、佐倉さん』

『あれ、先輩。目の端にうっすらと涙がたまってますが、ひょっとして感動系に弱いんですか?』

『う、うるさい! まるで私が無感情のような人間みたいに言わないでくれる?』

 ふふ。廣野先輩って、ちょっと赤くなる所が可愛いのよね。

 本人に言ったら怒られそうだけど。

『お疲れ様、佐倉さん。僕たちは応援することしかできなかったけど、ともあれ無事でよかったよ』

 ううん、そんなことないよ。

 参道君たちが裏で必死に作戦を考えてくれたから勝てたんだ。

 だからこれは、私たちみんなの勝利だよ。

「ね、ねぇ、真奈美ちゃん。あたしも少しは魔術師っぽくなったかな?」

 希ちゃんが少しモジモジしながら、上目遣いで聞いてくる。

 きゃああああああ! 可愛い! これはもう、お持ち帰り確定ね! 希ちゃん可愛いよ希ちゃん!

 ――と叫びたいのを必死で押し殺し、

「もちろんよ! とっても格好良かった!」

 微かに動く右手で、希ちゃんの頭を優しく撫でた。


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