宣戦布告
そう。突如、”それ”は何の前触れもなく響き渡った。
空間を裂くような甲高い悲鳴。
それだけなら、絶叫系アトラクションを数多く有するこのテーマパークではむしろ日常茶飯事なのだろうけど、その悲鳴だけはどこか異質な響きを含んでいるように感じられた。
私と柴田君は、お互いに顔を見合わせて頷くと、すぐさま音源の方角へ走り出した。
血のように赤く染まったプラザ。アトラクションを構成する無数の鉄骨が、その影をまるで紋様のように地面に落としていた。
人の数は昼間と比べて圧倒的に増えている。おそらく、夜に行われるスペシャルパレードの場所取りをするためだろう。係員のお姉さんが、「ショー開始一時間前からの場所取りはご遠慮ください」と必死に叫んでいるのが聞こえた。
もはや壁としか思えない人の多さに辟易しながらも、私たちは先へ先へと急ぐ。
どうしてかって?
うーん、それを説明するには少し時間を戻さないといけないわね。
実は、さ……。
午前中に一通りめぼしいアトラクションを制覇した私たちは、一度みんなと合流して一緒にお昼を食べることにした。お昼、と言っても、実際は二時近くだったけれどね。十二時前後は混むだろうと予想して、少し時間をずらしたってわけ。
「おーっす。そっちは回れたか?」
「ん、まあまあかな。適当に数カ所巡って、あとは休憩してたよ。さすがに連続で乗ると酔っちゃうからね」
「希ちゃん! 会いたかったぁ~。もう離さないかr――」
「わぁ、姫幸ちゃん、そのポップコーンどこで売ってたの?」
「これ? 『アンダーグラウンド』っていう乗り物のすぐ近くよ。一つ食べてみる?」
「いいの? ありがとう! 姫幸ちゃん、大好き!」
「…………」
「お前は無言の殺気を放つのをやめろ」
柴田君が冷たい目を向けてくる。
そ、そうよね。希ちゃんはお菓子につられているだけ。なら私も常に持ち歩くようにしていれば万事オーケーってわけよ。
私が希ちゃん攻略作戦に一つ項目を加えていると、
「おーい、佐倉さん。早くしないとおいていくよー」
レストランの入口で鈴笠君が私を呼んでいた。やばっ、もうみんな中に入っちゃったみたい。
私は急いでレストランの中へ駆け込んだ。
「うわぁ~、広っ!」
とりあえず、注文カウンターへと続く列に並んでから、私は店内を見回してみた。
全体の広さは学校の体育館の何倍もあるだろう。アトラクションだけで施設のほとんどを占めるこの絶叫スペシャルランドでは、レストラン・土産物屋は敷地面積の関係から必然的に縦方向へ伸びていくしかない。ちょっとしたデパート並の階数を持つこのレストランは、一階がファーストフード、二階が和食、三階が中華……というふうにフロア別にジャンル分けされているのだけど、建物の中央部分は五階までの吹き抜けになっていて開放的な空間を演出している。しかもその天井には大きなシャンデリアまでついているのよ。これってすごくない?
ほかにも、緊急の避難場所として使える収容スペースがあったり、天気の良い日は外に設けられたテラスで食べることもできる。空調設備も整っていて、まさに文句なしって感じ。
「じゃあ、僕たちは先に席を取っておくから」
「うん、よろしく~」
先に会計を済ませた男性陣が、列を器用に抜けて奥へと歩いて行った。次は私の番。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「ええと、ヘルシーバーガーセットと、季節限定スーベニアプレートを一つ。あ、飲み物はコーラで」
「かしこまりました。――お連れ様はどうなさいますか?」
お連れ様?
私はすぐ背後を振り返る。そして、ようやく理解した。
希ちゃんは言わずもがなとして、廣野先輩も背はかなり低い。おまけに今日はポップコーンをもぐもぐと口に運んでいて威圧感ゼロだ。カウンターのお姉さんからすれば、私は小学生の女の子二人を引率する保護者的ポジションにしか見えないのだろう。
「あ、えっと、ちょっと待ってください」
私は二人に向き直る。廣野先輩がポップコーンを大量に口に含んだまま、うきゅ? といった表情で見上げてくる。えっと、なんて説明すればいいのかな……。
「どうしたの、真奈美ちゃん」
希ちゃんも純真な瞳で見上げてくる。はふぅ~、可愛い……って、いやいや今はそんなことを考えている場合じゃなかったわ。
「二人とも注文は何にするの? 面倒だから、私がまとめて払ってあげようと思って」
「あら、気が利くじゃない。私はミラクルサンドのL。あとコーヒーもお願いしようかしら」
「あたしは――」
「お子様セットでしょ。ドリンクはオレンジジュースでいいわよね」
「よくないよ! 勝手に決めないでよ!」
ぷくぅ~っと頬を膨らませる希ちゃん。その状態で廣野先輩の横に並ばれると、昔流行った、顔芸で相手を笑わせる遊びが思い起こされて、なんだか微笑ましい気分になる。
「でもほら。今お子様ランチを頼むと、もれなくクマさんのぬいぐるみが貰えるらしいわよ」
「じゃあ、それにするー」
あっさりと態度を変える希ちゃんに、廣野先輩があきれた目を向ける。その内変な人に誘拐されても知らないわよ、と言っているように見えたのは多分気のせいだろう。
私? もちろん、ちょっと年下の女の子が好きなだけの一般人よ(外野から何か聞こえてきたけど無視!)。
ともあれ、三人分の品を受け取った私は、トレイを傾けないように慎重に列から離れた。
えーっと、参道君たちは……。
「おーい、真奈美。こっちだ」
声のするほうへ目を向けると、一番窓際の席で柴田君が大きく手を振っていた。どうやら荷物を利用して、六人分の席を確保してくれていたみたい。
「あら、まだ食べ始めてなかったの? 先に食べていてくれてもよかったのに」
「いえ、そういう所のマナーはきちっと守りたいのでね。それにみんなで食べたほうが美味しいと言うじゃないですか」
「ま、それもそうねぇ♪」
楽しそうに答えて、廣野先輩は鈴笠君の隣に座った。私と希ちゃんも、それぞれ空いている席に座る。ちなみにテーブルの形は円ではなく、横に長い長方形。そのため、三人ずつ向かい合う形になるんだけど、まるで小中学校の頃に戻ったようで自然と懐かしい気持ちが込み上げてくる。給食、けっこう好きだったのよね。
みんなも同じことを考えていたのか、誰とはなしに全員で手を合わせて「いただきます!」をした。
それからは、午前中に回ったアトラクションの報告と、参道君に渡していたデジカメのチェック。ピンぼけやブレがないか、一枚一枚丁寧に確認していく。
そして数分後。すべての写真を検証し終えて一言。
「写りはいいけど、枚数が足りないわ!」
と文句を言ったら、
「隠し撮りスキルを持つ佐倉さんと一緒にしないでくれ」
と返された。
まったく、だらしないわね。そんなスキル持ってなくたって、希ちゃんの笑顔は自然とカメラを構えてしまうだけの魅力があるというのに。
「そりゃ、お前だけだ」
柴田君まで冷静にツッコミを入れてくる。
し、失礼ね! みんなして私を残念な子扱いして!
何か言い返してやろう、と口を開きかけたそのとき、
「あれ? 姫幸先輩、そのコーヒーカップの裏側に何か文字が書いてあるように見えるんですが……」
参道君が少し身を乗り出しながら、廣野先輩のコーヒーカップを指し示した。
「え?」
中身をすべて飲み干した先輩は、怪訝そうな表情でカップをひっくり返した。そして、その目が大きく見開かれる。
「これは……」
「何て書いてあるんですか、先輩」
ひょい、と横から覗き見ようとする鈴笠君を手で制止、廣野先輩は無造作にカップを置いた。その唇が妖しい笑みを形作る。
「さぁ? 少なくとも、私のファンではあるみたいだけれどね」
ファン? 廣野先輩の?
学内で先輩のファンって誰かいたかな。どちらかと言うと、全校生徒に畏れられていると思うんだけど。
「学内の線は薄いよ、佐倉さん。姫幸先輩はもう卒業しているんだ。生徒の誰かの仕業だとしたら、こんな手の込んだことをしなくても卒業前にいくらでもチャンスがあったはずだ。そもそも、僕たちが今日絶叫スペシャルランドへ来ることを知っている人は、太谷さんと宝生以外いないはずだし」
そっか。そうだよね。
でもだとしたら、一体誰が……。
「姫幸先輩。隠さずに教えてください。僕らだって、微力ながら先輩の役に立ちたいんです」
参道君が真剣な表情で先輩を見据える。
「うーん、潤ちゃんに迫られちゃ断れない、か。ま、別に隠すほどのものでもないしね。ほら、これよ」
先輩がカップを裏返して文字を見せてくれる。そこにはたった一行。
また会えてうれしいよ、火喰い栗鼠
ぞくり、と背中を悪寒が走った。
うまく言えないけど、何か危険なものが迫っているときに感じる、妙な胸騒ぎが全身を駆け巡った。
これは、何……?
「火喰い栗鼠って、確か先輩が中学生だった頃の……」
「そう。自分の限界が知りたくて、ただ闇雲に走っていた時代に付けられた、昔のあだ名。今ではもう捨て去ったつもりだったけれど、これを書いた誰かさんは私の過去を覚えていてくれたみたいね。随分と熱心なことじゃない」
「そういう問題じゃありませんよ。仮に姫幸先輩の過去を知っている人がいたとして、偶然このテーマパークで再会した。ここまでは、あり得ないことではないと思います。だけど、それならなぜ先輩に直接声をかけないのですか。わざわざコーヒーカップの裏にメッセージを残すなんて普通じゃ考えられません。これほど深い、いや、異常なまでの執着心を買うような出来事が過去にない限りは」
「参道の意見はもっともだな。書いた奴の意図までは読み取れないが、”廣野姫幸”ではなく、敢えて”火喰い栗鼠”と書いた所に、狙いが隠されていると俺も思う」
二人から指摘されても、廣野先輩は思案顔を崩さない。
「うーん、それはわかるんだけどね。火喰い栗鼠と呼ばれていた時代は、あらゆる企業・団体にちょっかいかけていたから、ぶっちゃけ、これだけだと絞り込めないのよ。ハッキングやセキュリティアタックなんて、私たちにしてみれば当たり前だし。ねぇ、来也君」
「ちょ、そこで俺を巻き込まないでくださいよ」
「と言うか、違法行為をさらっと肯定しないでください。でも、確かに情報が少なすぎる、か……。この文字に別のメッセージが隠されていれば話は変わるんだけど……佐倉さんは何か思いつかない?」
急に話を振られ、私は思わず姿勢を正す。
「そ、そうね。あくまで可能性の話だけど、例の強盗グループの仕業ってことは考えられないかな」
「「強盗グループ!?」」
うわ、びっくりした!
適当に答えただけなんだけど、意外にも廣野先輩と鈴笠君は顔を見合わせて頷き合う。ひょっとして、心当たりがあるとか……?
「いや、確証はないんだ。でもついさっき先輩と強盗グループについて話したばかりだったから」
「どういうことなんだ、鈴笠」
「そうねぇ。せっかくだから潤ちゃんたちにも教えておこうかしら。実は――」
「なるほど……。と言うことは、その強盗グループの中に姫幸先輩と同等の実力を持つハッカーがいるかもしれないということですね?」
「そう。このメッセージの主が彼、もしくは彼女かは断定できないけれど、私をライバル視していてもおかしくないわ。むしろ、そう考えるとしっくりくるような気さえする。私とこの人は昔どこかで接触していて、そのときは多分私が勝ったのね。負けた相手は私に追いつくために、いえ、追い越すためにこの数年間でさらにハッキングの腕を磨いた。そして今度は向こうから宣戦布告を仕掛けてきた。――とまあ、ざっとこんな所かしら」
「じゃあ、このメッセージは火喰い栗鼠へのリベンジということか。確かに筋は通っているが……」
柴田君が難しい顔で唸る。
「一つ疑問があるとしたら、なぜ彼、あるいは彼女は強盗グループの一味になったのか。別に犯罪組織に足を踏み入れる必要性はどこにもないだろうに」
「いや、それならいくつか考えられる」
参道君の反論に、みんなが注目する。
「まず、みんなも疑問に感じたことがあるんじゃないかな。これまで強盗グループが行ってきた犯行は秘匿性がまるでない。一流の大企業を狙ったり、わざわざ交通量の多い大通りで盗みを犯したり、まるで世間の目を自分たちに集めようとしているみたいじゃないか」
「あ、それなら私も思った!」
家族会議でまさに私自身が発言した内容だ。やっぱり、参道君も気がついていたんだ。
「四件の盗みを成功させた強盗グループの犯行は、ついには全国ニュースにも取り上げられるようになった。これこそが奴らの狙いなんじゃないかと思うんだ」
「つまり、有名になることで私の目に留まると思ったわけ?」
「そう。そして姫幸先輩の性格からして、独自の調査を始めるとも予想していただろう。現場が僕らの高校のすぐ近くなら尚更、ね」
「ふーん。なかなか利口じゃない。私はまんまと掌で踊らされていたというわけか……」
廣野先輩が悔しそうに口元をゆがめる。
なんか、すごい話になってきちゃったな……。
「あと、実際に犯罪組織に足を踏み入れることによって、内部の実態・システムをより詳しく知ることができるだろう。表面上は従順な部下を装っているけど、実体は諜報活動をしているとも考えられる。もちろん、いつ組織が壊滅してもいいように、自分だけは逃げ場を作っておいた上でね」
「……それは、あくまで仮定の話なんだろ? 潤」
鈴笠君が震える声で問う。
いつしか、周りの空気が重苦しいものに変わっていた。
敵の強大さに今ひとつ実感が湧かない。でも、そいつは確実に私たちを狙っているんだ……。
「もちろん、ただの憶測に過ぎない。でも、強盗グループの動きには今まで以上に警戒する必要があると思う。とりあえず、ここはすぐに出たほうがいいだろう」
「どうしてだ、参道」
「カップの裏側に文字が書かれていたからさ。一つ確認しておきたいんだけど、そのカップは佐倉さんがカウンターで受け取ってから誰も触ってないんだよね?」
「うん、そうだけど……。あっ!」
「そういうこと。カップに文字を書き込めるタイミングは、佐倉さんに渡る直前しかあり得ない。つまり、あのときカウンターにいた人の中に強盗グループの一人が紛れ込んでいた可能性が高い。もしかしたら、今も監視されているかも」
「ちょ、だったらこんなのんびりしている場合じゃないだろ! 早いとこ外に出ようぜ!」
鈴笠君に続いて、みんな続々と荷物をまとめる。
あ、そうだ。希ちゃん起こさなきゃ。
「希ちゃん、起きて。もう出かけるよ」
私は希ちゃんの肩を軽く揺する。
「う~ん、むにゅむにゅ~……。すぅー、すぅー……」
駄目だ、ぐっすり寝ちゃってる……。
学校でも度々あるけど、希ちゃん、お腹いっぱいになると眠っちゃうのよね……。まあ、あんなシリアスな話を聞かれなかっただけ良かったのかもしれないけど。
仕方ない。私がおぶってあげようじゃないの。
「変なことするなよ」
柴田君がしっかり釘を刺してくる。
う、うるさいわね。わかってるわよ。
手荷物は柴田君に預かってもらい、私は希ちゃんをおぶって外に出た。
「で、これからどうするんだ、潤」
全員揃ったのを確認して、鈴笠君は切り出した。
「うーん、とりあえず午前中のペアでもう一度テーマパークを回ろう。ただし、なにか異変が起きたときは、下手に動かないで、まずはみんなに連絡すること」
「どうしてだ。全員固まっていた方が相手も手を出しにくいだろ」
「それだと、“返り討ちができないだろ”」
『!?』
全員が息を呑む。
今、なんて……。
「潤ちゃん。それって、わざと相手を誘うってことかしら。だったら私は賛同しかねるわ。私はともかく、みんなを危険に巻き込むなんて――」
「僕は探偵だ。目の前の犯罪を見過ごすわけにはいかないよ。それに決めたんだ。もっと強くなろうって。“あいつら”に負けないくらい、すごい探偵になってやるってね」
燃えるような瞳で、参道君は決意を口にした。
怖気付いている様子はまったくない。むしろ頼もしささえ感じる。
そうか……。うん、そうだよね!
探偵が犯罪を怖がってちゃ本末転倒じゃないの。
常に強気で、私にかかれば解けない謎はない! と断言しちゃうくらい自信過剰で。
でもそんな姿に惹かれ、憧れを抱いた。なら、するべきことは一つよね。
「私も……私も強盗を捕まえたい! 参道君に協力するわ!」
「俺も手伝うよ。ちょうど先輩と開発していた新しい製品も試してみたいし」
「来也君、あれ持ってきてたの!? まあ、私も予備のタブレットPCを持参しているから、人のこと言えないけど」
「俺も異論はない。参道の指示に従おう」
不安もある。恐怖もある。
けれど、それを乗り越えられるほどの強い団結力がある。
こうなったら、やれるだけやってやろうじゃないの!
「ありがとう。詳しい指示はまた後で伝える。ひとまずは各自テーマパークを満喫してくれ」
『了解!』
赤く染まったプラザを走り抜ける。
メールによると、みんなも現場へ向かっているらしい。
――いよいよね……。
私は携帯をより強く握りしめた。
あたかもそれが仲間との絆であるかのように。