楽しみましょ♪ ―潤と希ちゃん―
いよいよデート開始!
数々の絶叫マシンが跋扈するこのテーマパークで、果たして彼らは無事生還できるのでしょうか!?(ヲイ
「いぃ? 希ちゃんを危険な目に遭わせたら承知しないんだからね!」
いくら特別招待券があるとは言っても、昨今の強盗事件のこともあり手荷物検査は素通りできないらしく、僕たちは大人しく入園ゲートへと続く列の最後尾に並んだ。ゲートの手前には警備員が数十人単位で配置されている。そういえば、数日前の新聞に警備員バイトのチラシが挟まっていたっけ。新しくオープンしたばかりで世間の注目度も高いというのに、警備を一般人に任せてもいいのだろうか……。まあ、こういうテーマパークでは普通園内に私服の警備員を何百人も配置しているから、多分平気だとは思うけれど。
「あと、写真を撮るときは希ちゃん以外の人を極力排除するように。手ぶれ補正は自動にされるけど、万が一ピンぼけしていたら怒るわよ」
しかし前の人たち相当気合い入っているなあ。手にしている紙袋から察するに、僕たちが待ち合わせ場所に指定したあの土産物屋で買い物したのだろうけど、すでに紙袋がはち切れんばかりに膨らんでいる。入園前からこんなに買い込むなんて普通じゃちょっと考えられない。けれど、逆に閉園間際では客が殺到して目当ての商品が買えなくなる恐れがある。なるほど、絶叫マニアは先に買い物を済ませておき、園内では人がいなくなるぎりぎりまでアトラクションを堪能するのが賢い遊び方なんだろうな。
「トイレの位置はマップで必ずチェックしておくのよ。女子トイレは特に行列ができやすいから、くれぐれも気をつけるように。混んでいたらほかの場所を当たってみるのも一つの手ね。その間、参道君は女子トイレの前で待機。希ちゃんが出てくるまで一歩もそこを動くんじゃないわよ」
「それは無理」
ついに我慢できなくなって、僕はツッコミを返す。
並び始めてからかれこれ二十分以上、佐倉さんはずっとこの調子で“希ちゃんとデートするときの注意点百箇条”なるものを延々と語っている。と言うか、すでに百を軽く越えて二百に届きそうになっている。前半は辛抱強く聞いていた僕でも、後半はほとんどスルー状態だった。大体、僕は希ちゃんの世話係でも保護者でもないのだ。それなのに、いつの間にか僕の手に超高性能カメラを押し付けられているのは一体どういうことだろうか。この理不尽さに抵抗するべく、僕は反論の矢を放つ。
「あのねぇ。希ちゃんだって一応高校生なんだから、別にそこまで気をつけなくても――」
「まったく、参道君は甘いわね。人は見た目が九割なのよ。希ちゃんはどう見たって小学生にしか映らない。これの意味する所は言わなくても分かるわよね?」
別に分かりたくもなかったけど、佐倉さんの目が真剣なので仕方なく答える。
「体が小さいからはぐれやすいってこと?」
「変な人に誘拐されちゃうかもしれないってことよ!」
「…………」
僕は黙って頭を押さえる。いくらなんでも、こんなに大勢の人がいる場所で無理やり小さな女の子を連れ去ろうとしたら周りが不審がると思うんだけど。
そう主張すると、佐倉さんはさらに語調を強めて言った。
「参道君には希ちゃんの純情さが全然分かっていないわ。希ちゃんは、オレンジジュースを奢ってあげようと言われたら、たとえ知らない人でもトテトテついて行っちゃうような子なの。そのままスーツケースに入れられて拉致される場合を考えるだけで鳥肌が立つわ」
はっきり言おう。絶対そんなことにはならないと思う。
「本当は敵に塩を送る真似なんてしたくないんだけど、これも全部希ちゃんを守るため。まったく、感謝しなさいよね」
なにをどう感謝すればいいのだろうか。あと、いつの間に僕は敵と認識されていたんだ?
途中から会話についていけなくなったので、僕は諦めて了承の意を示した。すると佐倉さんは、「うんうん、素直でよろしい」と満足そうに頷いて、ようやく静かになってくれた。
ふむ、今度から佐倉さんを相手にするときは、下手に抵抗を試みるよりも素早く同意することにしよう。そのほうが圧倒的に拘束時間短縮に繋がるはずだ。
こうして佐倉さんのあしらい方を学んだ僕は、また一つ賢くなったのだった。
「じゃあ、正午にこのエントランスホールで落ち合うということでいいかな?」
女性警備員による手荷物検査も無事終わり、僕たちはようやく『絶叫スペシャルランド』の入園ゲートをくぐった。腕時計で確認すると、開園時間からすでに三十分が経過し、時刻は九時半を指している。人気のテーマパークでは朝一が最も大事という鉄則があるだけに、この三十分のロスは大きい。おそらく、どのアトラクションもすでに混雑しているだろうけど、とにかく急ぐに越したことはない。
「ああ。とりあえず午前中は各ペアでアトラクションを乗り回って、お昼を食べながらそれぞれオススメのマシンを報告し合うというのはどうだろう」
「それがいいわね。聞いた話じゃ、このテーマパーク内の絶叫マシンの数は五十を超えるみたいだから。とてもじゃないけど全部乗ってみる暇はないわ」
「五十!? あたし、なんだかすごくドキドキしてきちゃった……」
「(そういえば聞いたことがあるわ。人間は危機的状況で誰かと行動を共にすると、その相手に好意を抱きやすくなるって。こ、これは、ひょっとして、希ちゃんが参道君に……)」
「おい、真奈美!? 急に顔色悪くなったが、大丈夫か!?」
「べ、別に平気よ。気にしないで(前向きに考えるのよ、私! それにいざとなったら、全力で二人のデートを邪魔すればいいだけ。ふふふ……)」
「なんか真奈美ちゃんの目が怖いよ……」
「……なあ、潤。とにかく背後には常に気を配るようにしろよ」
「あ、うん……。そのほうがいいみたいだね……」
「大丈夫よ~。潤ちゃんは私が守ってあげるから♪」
「先輩。所構わず抱きつく癖、いい加減止めてください」
「(そうよ! 参道君と廣野先輩が結ばれれば万事オッケーじゃない。問題は廣野先輩が時修舘高校を卒業してしまったことだけど、そこをなんとかするのがフラグ仕掛け人である私の役目よね!)」
「おお? 今度は一転して燃え始めたぞ」
「相変わらず、真奈美の思考はよく分からんな……」
「さあ、みんな何ボサっとしてるの! さっさと行動して、一つでも多くのコースターに乗れるように頑張るのよ!」
『おー!』
佐倉さんの熱意に押され、僕たちは声を揃えて拳を振り上げた。
「潤君、今日はよろしくね!」
「あ、うん。僕のほうこそよろしく……」
そんなわけで早速希ちゃんと園内を見て回ることになったのだが……、いきなり「ねえ潤君。手繋ごう!」はいかがなものか。や、希ちゃんは無邪気に提案しているだけであって、別に他意はないのだろう。僕も女性(どうしても年下の女の子にしか見えないけど、一応同い年ということで女性とする)の頼みを断るほど器量の狭い人間ではない。結果として、「うん。じゃあ繋ごうか」とあっさり手を繋いだはいいものの、周囲のひそひそ声がやたら気になるのだ。例を挙げると、
「ねえ、見て見てあの子たち。とっても可愛くない?」
「ほんと~。仲良く手まで繋いじゃって、なんだか微笑ましいわね」
「あたし、声かけてみよっかなー。写真撮ってあげましょうかって」
「止めときなよ。まだ小学生みたいだし、いきなり声かけたらびっくりしちゃうって」
「なによそれ。あたしの顔が怖いって言うの?」
「うん。ちょっと化粧が濃い感じはするわよね」
「ふ、ふーんだ。未だ彼氏のいない千草には最近の化粧スタイルが分からないのよ」
「いいわよ、別に。私にはしーちゃんがいるから♪」
「うぅ~……このロリコンめっ! そういえば、なんで紫苑ちゃん連れて来なかったの?」
「しーちゃん小さいから、ジェットコースターの身長制限に引っかかるんじゃないかと思って……というのは嘘で、本当は自動車教習所に通っているから無理に誘えなかったのよ」
「なんだ、残念……。一度会ってみたかったのに~」
「大学祭のときに、また声かけてみるわ」
という具合だ。僕も希ちゃんも背が低いためか、どうやら小学生カップルだと思われているらしい。希ちゃんは気にしてないようだけど、僕は「可愛い」とか「微笑ましい」とか言われる度に、すごく複雑な気持ちになるのだった。かといって手を振りほどいたら希ちゃんが悲しむだろうし、男としてなんだか負けたような気がするので、デートとはこういうものなのだ!と割り切ることにする。やけくそ感が強い気がしないでもないけど、大切なのは、希ちゃんの笑顔でありジェットコースターなのだ。
というわけで、周りのロリ好きショタ好きは放っておき、最初のジェットコースター乗り場へと向かう。
「わあ、大きい……」
パンフレットを頼りに向かった先は、『レジェンド』という名前の急加速型ハイスピードコースター。通常のジェットコースターでは、まず坂を上り、ファーストドロップ後の速度を利用して走る場合が多いけど、『レジェンド』はプラットフォームからの急発進をウリとしている。
この種のマシンは世界でも数多く作られていて、日本では富士急ハイランドの『ドドンパ』が加速度において世界第一位の座に輝いている。これがどれほど凄いかと言うと、スタートしてからわずか1.8秒で時速172kmにも達するのだ。それはもう風圧で顔の筋肉が引きつるとかいうレベルではなく、ほとんど殺人マシンに近いのではないだろうか。もし、その速度でレール上をふらふら飛んでいる羽虫にぶつかったりしたら、まるで弾丸に撃ち抜かれるかのような痛みが体中に突き刺さるはずであり、乗客はコースターを楽しむどころではないからだ。
一方、『レジェンド』はそこまで殺人的な加速はしないらしいが、最高速度は『ドドンパ』を大きく上回り、なんと時速208kmにまで達するとのこと。これは、アラブ首長国連邦の『フォーミュラ・ロッサ』(時速240km)、ドイツの『リングレーサー』(時速217km)に次いで、世界第三位の速度であり、日本の絶叫マシンの中ではもちろんトップだ。事実、こうして待っている間も、時折プラットフォームからドーンッ!と絨毯爆撃のような轟音が聞こえてくる。パンフレットには、“当コースターには、リニアモーターよりも強力な加速を生み出すことのできる圧縮空気方式を採用しており、その衝撃波は力士を吹き飛ばせるほど強烈です!”と書かれているが、じゃあプラットフォーム付近で順番待ちしている人たちはどうするのか、と冷静にツッコミたくなるのが僕の性だ。
体重の軽そうな希ちゃんは園外まで吹っ飛ばされるんじゃなかろうか。もしそうなったら、最悪佐倉さんに絞め殺されかねない。
「あとちょっとだね。あたし、去年まで身長制限に引っかかっちゃって、大人向けのジェットコースターに乗れなかったから、すごく楽しみなんだー」
刻一刻と死刑台が近づいているというのに、希ちゃんは無邪気に笑う。しかし中学生で身長制限に引っかかるって、どれだけ小さかったんだ、希ちゃん。
その後、プラットフォーム手前の段差で希ちゃんがこけそうになったことや、そのとき思わず希ちゃんを全身で抱き止めてしまったことは敢えて書かない。その手のシチュエーションが大好きな読者の妄想にお任せする。ただ一つだけ、「きゃあああ! 可愛い~!」という歓声が四方八方から飛んできたことのみ記しておく。
さて、そんな嬉しい?アクシデントから数分後。体の芯から揺さぶるような爆音を響かせる『レジェンド』が、ついに僕たちの目の前に姿を現した。車体はごく一般的な列車型。少しでも空気抵抗を減らすために胴体が流線形になっているが、それ以外はハーネス(安全バー)も普通だし、少し拍子抜けだ。
むしろ普通でないのはプラットフォームの構造だろう。モノレールの駅などで時々見かけるが、乗客が誤ってレールに落ちるのを防ぐために、普段はレールとフォームが壁で仕切られていることがある。この壁には一定間隔で自動開閉ドアが取り付けられており、列車が到着したときのみ開くようになっている。
『レジェンド』のフォームはこれと似たような構造をとっているため、急発進時の衝撃波がこちらまで届かないのだ。
なるほど。松本氏も乗客の安全は一応考えているらしいが、ここまで急加速に拘る理由が僕には分からなかった。
「希ちゃん、怖くない?」
さっきから無言で固まっている希ちゃんに声をかける。乗る直前になって気分が悪くなる人は珍しくない。そのための非常口もフォームの横に設けられている。もし無理そうなら、潔く列から離れた方が心と体に負担をかけなくて済むだろう。
しかし、希ちゃんの顔色はブルーというよりも、むしろほんのり赤く染まっていた。心なしか、意図的に僕と視線を合わせないようにしているような気もする。
「ええと……希ちゃん?」
「あ、あのっ……!」
「はい!?」
急に大声を出されて、僕のほうがびくっとする。
「その……さっきはあたしが転ぶのを止めてくれてありがとう。なんていうか、抱き止められたとき、ちょっと胸がドキドキしちゃった。潤君って意外と力あるんだね!」
「あ、うん……。別にいいよ、お礼なんて。ほとんど条件反射みたいなものだったからさ」
「でも、とても懐かしい感じだったよ。虎季お兄様に抱き止められた時と同じような、優しくて柔らかい温もりだった」
「え? 希ちゃん、虎季さんと知り合いなの!?」
「うん。と言っても、あたしが小さい頃によく一緒に遊んでもらっていただけだよ。虎季お兄様、あたしのパパに気に入られていたから」
意外だ。虎季さんは確か七代目怪盗セゾンだったはず。現在は穂村たちと一緒に行方をくらませているけど、まさか過去に希ちゃんと接点があったとは……。世界とは案外狭いものなのかもしれない。
「あ、ほら、次あたしたちの番だよ!」
おっと。いついかなる時でも脳を働かせるのが探偵の性とは言え、まずは『レジェンド』を堪能することが優先だ。
自動ドアが開き、ぐったりしている前の乗客と入れ替わる形でシートに腰掛ける。目の前の安全バーを握ろうとしたとき、希ちゃんが僕の右手を強く握りしめてきた。
「え?」
隣を見ると、発車前からもう目をつぶっている希ちゃんの横顔が間近にあった。そのまま視線を下げると、希ちゃんの左手が僕の右手をがっしり掴んでいる。
え、いや、あの、両手で安全バーを掴んでいないと危険だと思うのですが……。
そんな僕の不安は希ちゃんには届かず、
「それでは皆様、逝ってらっしゃい!」
世界第三位の速度を誇る急加速型コースター『レジェンド』は、爆音と衝撃波を辺りにまき散らした。
「きゃああああああああああ!!!」
あまりの急加速に背後に置き去りにされていく絶叫の渦。ごおおおう!と強引に空気の壁を突き破り、その風圧で頬の筋肉がびりびり引っ張られる。そのままレールはほぼ垂直に天へと上っていく。銀河鉄道の発車ってこんな感じなのだろうか、と一瞬頭をよぎった時には、もう車両は天から地へと落ちていた。その際、坂の頂上でマイナスGが働き、体が上空に放り出されそうになったが、あまり記憶に残っていない。とにかく今は飛び降り自殺する人の気持ちへと変化している。
「おおおおおお!!」
地面すれすれで再び向きを変えたコースターは、そのまま大きく半月ターン。時速200kmオーバーで上空を滑空するのは最高に気持ちがいい。なんだかジェットエンジンを搭載した鳥になったような気分だ。
と、だんだん思考が滅茶苦茶になってきた所でトンネルへ。通常、エレメントとしてのトンネルは比較的短いものが多く、猛スピードで疾走するコースターでは、突入と脱出がほぼ同時に感じることが多い。しかし『レジェンド』では、地下を掘り下げてまで距離の長いトンネルを作ったらしく、僕たちはしばらくの間、真っ暗闇の中を右に左に上に下に振り回され続けた。
「…………」
ここまで来ると、叫んでいる乗客はほとんどいない。もしかしたら本当に気を失っている人も数人いるかもしれない。
ようやくトンネルを抜けたコースターは、再び空へ飛翔し、ぐるん、と大きく大回転した。――観覧車の中心で。
こちらを好奇な目で見ている観覧車の乗客と一瞬目が合ったが、もちろん笑い返す余裕などあろうはずもない。
来世は何に生まれてこようか……と、もはや思考が三途の川を渡りそうになった頃、ガガガガガ、と急ブレーキがかかり、『レジェンド』は咆哮を終えた。
「い、生きてる……?」
最初に出てきた乗客の感想が、この数分間の悪夢を全て物語っていると言っていいだろう。気持ちが良かったのは最初のレイブンターンだけで、そのほかは地獄だった。チキンと言われようがなんだろうが、次からは絶対ソフトなコースターを選ぶようにしよう……。
「お、終わった?」
コースターが速度を落としたからだろう。それまでぎゅっと目を閉じていた希ちゃんが、ゆっくりと瞼を開く。その瞳にはうっすらと涙がたまっているけど、酔っている感じはなさそうだった。
「うん、終わったよ。よく耐えたね、希ちゃん」
「えへへ。潤君がずっと手を握っていてくれたから平気だったんだよ」
そういえば、今も繋ぎっぱなしだったことをすっかり忘れていた。
「あ、ごめん。もう離してもいいよね」
「うん……」
しゅん、と希ちゃんの表情が沈む。
そっと手を離すと、そこにはただ冷たい空気が残っただけだった。
うーむ。右手がなんだかスカスカする。
『レジェンド』を後にし、次なる絶叫マシンへと向かう間、僕は妙な違和感に取り付かれていた。当然だ。みんなと別れてからさっきまで、ずっと希ちゃんと手を繋いでいたのだから。それが喪失した途端、急に右手が冷たくなったように感じたのだった。
「ねえ、希ちゃん」
「? なに、潤君」
「やっぱり手繋ごうか」
「うん!」
少し落ち込み気味だった希ちゃんの顔が、ぱあっと輝いた。その、ほわっとした笑顔に、周りの空気まで和むようだ。
うん、やっぱりこっちの方がいいかも。
こうして、さらなるスリルを求めて歩く僕たちの影は、再び一つになったのだった。