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とある記憶のアラカルト  作者: 月夜見幾望
絶叫スペシャルランド強盗事件
18/39

忍び寄る非日常

 ひとまずは日常パート。本格的に事件らしくなってくるのは次からですが、この話にも伏線は仕掛けてあります。

 そもそもの始まりから話し始めると、これまたずいぶんと長い物語になってしまうのだけど、今思い返してみれば、今回の強盗事件に関係するような伏線めいた出来事があっちこっちに散らばっていたことは確かだ。それらは、日常という何の変哲もないパズルの中に紛れ込んだピースに過ぎず、主体となる人物が注目しなければ永遠に埋没されたままになっていただろう。

 高校一年の終わり。今まで不思議な謎に遭遇してきた私でも、あの事件は「日常」の括りからは少し外れていたように思う。さながら夢のように輪郭があやふやで、でも強烈な印象として確かに刻み込まれた、許されざる犯罪行為の数々。

「あ、やっぱり大きく載っているなぁ。ま、地方のコンビニ強盗でさえ、下手すれば全国ニュースで放映されるようなご時世だし、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけど」

 波乱に富んだ強盗事件の翌日。

 疲れていたにも関わらず妙に寝付けなかった私は、少し早起きして、居間のソファーに寝転びながら朝刊に目を通していた。自分が関係している出来事が、翌日の新聞で取り上げられているか確認したくなるのは一般人に共通した性質だろう。ましてやそれが、連続強盗犯逮捕という一大スクープならなおさらだ。

 果たして記事には、昨日の夕方、日塔にっとう町に新しくオープンした大型テーマパーク『絶叫スペシャルランド』にて強盗事件が発生したこと、市内の高校生らの協力により無事犯人を逮捕したこと、犯人は名須川なすかわ市を中心に活動していた強盗グループの幹部であったこと、これらを受けてテーマパーク内のセキュリティ対策をより一層強化することなどが書かれていた。あれだけ混乱に満ちた大騒動だったのに、事実だけ抜き出してまとめると、案外大したことじゃなかったように思えて、少し寂しい気持ちになったけれど、終わってみればこれで良かったのだ。

 私は“あの日”のように、読んでいた新聞をテーブルの上に放ると、間に挟まっていたチラシがわずかにはみ出した。

「あ……」

 たったそれだけのありきたりな現象が、私の記憶を鮮明に刺激する。

 ――うん、話し始めるならやっぱりここからがいいだろう。

 あの日――一年最後の終業式の日から、私たちは事件の登場人物となっていたのだ。



 三学期終業式!

 私たちは一年生課程をすべて終了し、春休み明けから二年生に進級する。進級と書くと、単位欲しさに必死になって勉強した日々が脳裏に蘇り、私は不覚にも涙が出てきた。

 だって、一時期はほんとにヤバかったのよ。私が二学期期末でやらかしたことは前に書いたと思うけど、あれを乗り切ったからと言って安堵していた当時の自分が、今になって思うと末恐ろしい。そう、高校生活では一瞬の油断が命取りになるのよ。どういう意味か分からない人は、保健室のベッドを借りるかして授業を一回サボってみるといい。きっと次の授業では、先生が異国語を話す宇宙人のように見えるだろう。

 私の場合、学校を休んだのは例の犬笛事件を解決した日だけだったけど、それでも深い痛手を負ったことは事実だ。前もって穂花に、欠席した分のノートをあとで見せてもらいたいという内容のメールを送ってはいたけれど、授業の遅れを取り戻すのはそう簡単なことじゃなかった。特に、得意だと信じていた数学までもが崩れ始めたときには、さすがに青ざめたわよ。“時修舘に入ると、絶望の底に突き落とされる”なんて、これまでは根拠のない、まことしやかな噂だとしか思っていなかったけど、なるほどこれは納得だわ。

 普通の生徒ならまだいいだろう。多少成績が悪くても、親に怒られるくらいで済むかもしれない。しかし、我が佐倉家にはおじいちゃんがいる。あの恐怖の折檻が毎晩夢に出てくるくらい、私の精神は健常者と障害者の境界付近をさまよい歩いていた。

 でもこれで一安心。全教科、単位は無事取れていたし、留年という最悪の死亡フラグは回避できたことになる。

 ちらっと周りのクラスメイトの表情を窺う。見たところ、暗い縦線が入っている子はいない。みんな春休みを目の前にして浮かれている。駅前のカフェでお茶しようだの、古本屋で立ち読みしようだの、実は俺たち付き合っていましただの、騒がしいったらありゃしない。この一年を通して、沙尾鳥先生もだいぶ生徒の扱い方に慣れてきたようだけれど、このテンションの高さはさすがに制御しきれないみたいで、せっかくの大声も虚しくかき消されるだけだった。

 まったく、早く遊びたい気持ちは分かるけど、一年最後のHRくらいビシッと締めようって気はないのかしらね。

 教室に渦巻く熱気から少し離れた所で密かにため息をついていると、みんなの輪の中で一緒にはしゃいでいた希ちゃんが、トテトテと私に近づいてきた。

「ねえ、真奈美ちゃん。このクラスのメンバーで過ごす最後の思い出として、時修舘高校の近くにある焼き肉屋で打ち上げしないかって話が出てるんだけど、一緒に行かない?」

「打ち上げ?」

 その単語にぴくりと反応する私。

 原則として、時修舘高校では生徒だけの打ち上げを禁じられている。二十年ほど前、未成年であるにも関わらず、お酒に手を出して警察に補導された生徒がいたからだそうだ。まあ、その生徒らは日頃の生活態度からして最悪で、しょっちゅう問題を起こしてばっかりだったそうだから、罪の意識なんてこれっぽっちもなかっただろう。ただ、そのわずか数人のせいで打ち上げを禁止された当時の一般生徒たちからすれば、はたはた迷惑な出来事だったに違いない。

 時修舘高校が進学校として認められ校内に秩序が戻ってきてからは、校則もだいぶ緩くなり、生徒にとっても過ごしやすい高校生活になった。しかし、かなり昔から長いこと時修舘の歴史を見守ってきた一部の教師の中には、未だに懸念を拭えない人も少なくないという。

 そんな背景もあり、現在では教師に気付かれないようにこっそりと打ち上げを行うのが基本だ。もちろん、教師側もある程度は黙認してくれている部分もあるのだろうけど。

 しかしまぁ、よりにもよって担任の沙尾鳥先生がいる前で堂々と打ち上げ宣言をするかね普通。確かに沙尾鳥先生はまだ新米だから時修舘高校の暗黙のルールなんて知らないとは思うけど、それをまったく気にもしない姿勢はある意味清々しい。こりゃ、完全に暴走しているわね……。

 うちのクラスが暴走したらどうなるか。それは去年の文化祭や廣野先輩との対決で明白に示されており、つまりは私がなにを言おうと止まらない。激流に飲み込まれたカエルは、哀れにもそのまま流されるしかないのよ……。

 ま、でも今回は言い出しっぺさんが幹事をやるんだろうし、最後の思い出にみんなでワイワイ飲み食いするのもいいかもしれない。そうと決まれば、残る問題は具体的な日にちと集合時間だ。

 私は、輪の中心でみんなの意見をまとめていた小西こにし君に訊ねる。

「ちゃんと予約は取ってあるの?」

「安心しろ。すでに一年の全クラスの打ち上げ日時と時間、場所は確認済みだ。こうしてわざわざ一つの表にまとめてきたんだぜ。偉いだろ!」

 得意そうに言って、小西君は椅子にふんぞり返るけど、そんなものを沙尾鳥先生の目の前で堂々と見せびらかすんじゃありません!

「さすが小西! 純A型の血脈は伊達じゃないな!」

「どれどれ……。三組と七組はボーリング、一組はカラオケ、四組はBBQバーベキュー、八組は……サイクリング~? 相変わらず迷走してるな、あそこの学級委員長」

「『網焼き屋』(焼き肉屋さんの名前ね)を使う予定なのは、俺たちのほかに二組と六組の連中か。って、あれ? 六組と時間帯が被ってんじゃねぇか」

「あそこは二クラス分、収容できる広さがあるから問題ないだろう。あんまり春休みの真ん中あたりに設定すると、みんな何かしら先約が入ってるんじゃないかという危惧からだ。諦めてくれ」

 確かに、三月中旬には柴田君たちと『絶叫スペシャルランド』に行く予定が入っているし、その配慮はありがたい。というか、どこのクラスも考えることは一緒なのね……。

「さて、ほかに質問のある奴はいるかー?」

 そんな私の心境を知らず、小西君は議題を進めていく。すると、山之内やまのうちさんが「はい!」と、元気よく手を挙げた。女子の中でも特に恋愛方面に関心が強い、内面も外面も積極的な子だ。にっこりという擬態語は、まさに彼女のためにあるんじゃないかと思うほど笑顔の似合う女の子でもある。

「六組と一緒に打ち上げするのは賛成だけど、うまい具合に隣同士の部屋を確保できるの?」

 ……なるほどね。私はそれだけで、言外に漂う真の意図を見抜くことができた。

 山之内さんには現在付き合っている彼氏がいる。確か、六組の越智おち君という子で、去年の夏に野球部の一年レギュラーとして県大会で活躍していた姿が記憶に残っている。山之内さんが聞きたいのはつまり、越智君と楽しくおしゃべりできるかどうかの確認だろう。これも青春なのかしらね。

 対して小西君は、にやりと笑って答えた。

「その点については抜かりない。ちょうどその時間は、二組の島田しまだ遠藤えんどうがバイトのシフトに入っている。あの二人には前もって事情を説明してあるし、うまいことスペースを確保してくれているだろう」

 すでに手を回していたとは……一体なにが小西君をそこまで突き動かすのだろう。

 呆れ果てる私とは対照的に、クラスメイトたちの熱は膨らみ続ける一方だ。

「よくやった小西! 以前の打ち上げでは下手に騒いで、隣の部屋にいたおっさんたちに文句言われたからな。でも、これなら心置きなく宴会を開けるぜ!」

 こらこら。宴会は酒食がメインでしょ。私たちはまだ高校生でしょうに。まあ、島田君と遠藤君が接待役を引き受けてくれるなら、お酒は持ってこないと思うけどね。そもそも、あの店、ソフトドリンクバーが設けられていたはずだし。

「ほかに質問はないな。それじゃあ、今日の夕方六時に現地集合ってことで。それまでは各々適当に暇をつぶしてくれ。もちろん、一度家に帰って私服に着替えてくるのもアリだ。だが、あそこは焼き肉の臭いが充満しているからな。お気に入りの服に臭いをつけたくない奴は、制服のままで来ることを奨める。では、解散!」

 一応、学級委員長の任期はすでに終わっているけど、これにはさすがにストップをかけない訳にはいかなかった。

「ちょ、ちょっと待って! まだHRが終わってないわよ!」

「あ、そうだった。悪い、悪い。今夜の計画のことで頭がいっぱいだったぜ」

 まったくもう! 肝心な所で締まらないんだから!

 急いで席に戻るクラスメイトたちを睥睨しつつ、そういえば『網焼き屋』にお子様ディナーみたいなものあったかしら、と、あくまで希ちゃんの胃の小ささを心配する私だった。


「そういえば、真奈美ちゃんの家にお邪魔するのって何気に初めてだよね」

 学校からの帰り道。私は自転車を手で押しながら、希ちゃんと一緒に坂を下っていた。大きな幹線道路からひとつ隣にずれた道で、交通量はそれほど多くなく比較的静かだ。信号もないため、朝夕は自転車通学の時修生がよく利用する。

 六時までまだ大分時間があるということで、「あたしの家に来ない?」と希ちゃんは提案してくれたけど、私は丁重に断った。希ちゃんは気軽に「家」と称するが、実際はロンドンの高級住宅街にでも建っていそうな豪邸だ。一般市民にとっては、なんとも近寄りがたい場所なのである。この前、接待してくれた執事さんは優しそうな感じの人だったけど、またおじいちゃんが押しかけてくるようなことがあったら、さすがに迷惑だろうし。

 あれこれと迷った末、私は希ちゃんにこう提案した。

「じゃあさ。良かったら私の家に来ない? 平日の午後なら、お母さんもおじいちゃんも出かけていないから」

 そう、一番の問題はそこなのだ。あの血気盛んなおじいちゃんと希ちゃんを会わせるのは論外だし、お母さんには一度『希ちゃん観察日記(仮)』と『オペレーションウィンターヘブン with 希ちゃん』の存在がばれている。結局あの二冊のノートは返してもらえたけど、当の希ちゃん本人を家に招いたら、今度こそ確実に白い目で見られるだろう。

「あぁ、お母さんは真奈美をそんな子に育てた覚えはないのに……。仕方ない、またおじいちゃんに矯正してもらいましょう」

 と、いずれにせよ折檻フラグが待っているに違いない。それだけは何としてでも避けなければ!

 大丈夫。お母さんの行動パターンは脳内のデータベースにインプットしてある。通常、平日は午後二時まで仕事。それから職場の同僚の人たちと遅めのランチを食べ、浜下商店街で軽く買い物を済ませてから、家に帰ってくるのが大体四時半~五時くらいだ。それまでに家を出れば気付かれない……はず。

 お母さんの推理力なら、わずかな痕跡からでも希ちゃんを家に招いたことがばれてしまう恐れがあるから万全の注意を払う必要がある。温かい飲み物やお菓子を出すにしても、あくまでコップは一人分にし、私は我慢したほうがいいだろう。盆も使わないほうが自然だ。

 私が脳内シミュレーションを何回も繰り返しているとは知らず、希ちゃんはいつもの無邪気な微笑みを浮かべたまま言った。

「前から真奈美ちゃんのお家って気になっていたから、すごく楽しみ! きっと、推理小説がたくさん置いてあるんだろうねー」

「そうねぇ。本棚は大部分がミステリだけど、童話もそれなりに持っているわよ。あと、希ちゃんに読み聞かせるための絵本が数冊」

「……あたし、絵本は大昔に卒業したよ?」

 ウソ!? 絵本を読まない希ちゃんなんて希ちゃんじゃないわ! 私の中の希ちゃんは、よく病院の待合室なんかに置いてある児童向けの絵本や間違い探しに夢中になっているイメージがあったのに、そんな夢を壊すようなこと言わないで!

「じゃ、じゃあ、オレンジジュースは好きよね?」

 希ちゃんは、なぜ急に絵本からオレンジジュースに話題が飛んだのか分からないといった表情を見せつつも、こくりと頷いた。

「うん。大好きだよ!」

「良かった~。そうよ、希ちゃんはそうでなきゃダメなのよ」

「“そう”って?」

「え? ううん、なんでもない。こっちの話だから気にしないで」

「でも、すごく重要そうな印象を受けたけど……」

 当たり前じゃない! 希ちゃんが清く正しいロリっ娘として生きていくために必要な確認事項だもの。

 そんなやり取りをしていると、数台のパトカーがけたたましくサイレンを鳴らして私たちを追い抜いていった。ファンファンという独特の音が次第に遠ざかっていく。

 まだ耳に残るドップラー効果の余韻に被さるように、希ちゃんが口を開いた。

「なにか事件でもあったのかな?」

「さあ……。でも、あっちはにしき町の方角よね。ってことは――なるほど……」

「え? 真奈美ちゃん、なにか分かったの?」

「あ、うん。現場のおおよその位置はね。おそらく、錦町に入ってすぐのショッピングモールだと思う。この名須川市にある各警察署の管轄区域は少し複雑でね、浜下警察署が浜下町だけを管轄にするわけじゃないの。確か、錦町の一部――もちろん、浜下町に近い側だけど――も含まれていたはずよ。で、もし錦町の中心部で事件が起きたとしたら、それは隣の錦警察署の管轄になるはずよね。だけど、実際は浜下警察署が動いている。ということは、現場は錦町に入ってすぐの場所ってことになる」

「へえ、すごーい! 真奈美ちゃん、名探偵みたい!」

 希ちゃんがきらきらと瞳を輝かせて私を見る。……そんな純真な瞳で見つめられると、「実は黒猫師匠から『探偵を志すなら、この地域の各警察署の管轄区域くらい知っとけ』とアドバイスもらいました」なんて言えなくなっちゃうじゃない。早速役に立ったことは確かだけど。

「でも最近物騒だよね。あたしもパパから夜遅くまで遊ぶのは止めなさいって言われているし……」

「え? じゃあ、今夜の打ち上げもダメってこと?」

「ううん。終わったら園宮に迎えに来てもらうから平気。真奈美ちゃんも家まで送ってあげられると思うけど、どうする?」

「私は穂花と一緒に帰るつもりだから大丈夫よ。それに……」

「それに?」

「ううん、なんでもない」

 それに――なんだか妙な胸騒ぎがするのだ。

 近いうちに、私たちの日常を脅かすような事件に巻き込まれてしまう……と。


「あら、希ちゃんいらっしゃい。いつも真奈美と仲良くしてくれてありがとね。今日はゆっくりしていってね」

「お邪魔します! いえ、こちらこそ真奈美ちゃんにはお世話になっています」

 お母さんと希ちゃんが笑顔で会話している間、私は玄関の前で石像のように突っ立っていた。

 なんで……どうしてお母さんが家にいるのよ!? 私のシミュレーションが正しければ、お母さんはまだ仕事のはずなのに……。

 お母さんは希ちゃんを居間に通したあと、顔面蒼白でフリーズしている私を見てにやりと笑った。まるで獲物を目前にしたふかを想起させる笑みだ(鱶のイメージが湧かない人は、ドSの表情を思い浮かべてもらえればいい)。

「確証はなかったけど、念のため早めに帰ってきておいて正解だったわ。真奈美と希ちゃんを二人きりにしちゃったら、真奈美が何しでかすか予想できないもの」

「た、確かにノートには色々書いちゃったけど、別に本気で希ちゃんをどうこうしようなんて思ってないわよ!」

「ほんとに? 神様に誓って言える?」

「神様だろうが仏様だろうが、誓ってあげようじゃないの!」

「そう。じゃあ――」

 お母さんは一歩私に詰め寄ると、私の目をのぞき込むようにして低く呟いた。

「おじいちゃんに誓って言える?」

 その艶美で囁くような甘い声色に、全身の毛が総毛立つ。自分でも、がたがたと体が震えているのがはっきりと分かる。

 私はごくりと唾を飲み込むと、肺の奥から声を絞り出すようにして答えた。

「い、言えます…………多分」

 お母さんは満足そうに頷くと、ポケットに忍ばせていたテープレコーダーを止めた。唖然とする私を余所に、お母さんは上機嫌で居間へと戻っていく。

「というわけで、しっかり録音させてもらったから♪ もし約束を破るような真似をしたら、明日の朝陽は拝めないと思いなさい」

 いつの時代の脅し文句よ、それ! って、それよりも。

「待ってよ、お母さん! どうして私が希ちゃんを連れて帰ってくることがわかったの?」

 打ち上げが開かれると決まったのは今日の午前中だし、それはお母さんに漏れてないはず。そして、それまでの暇つぶしとして希ちゃんを家に招いたのも私の勝手な判断だ。この一連の流れにおいて、お母さんに伝わり得る要素は何一つないはずなのに……。

 お母さんはくるりと振り返ると、

「今日のお昼にメールを送ったのに、真奈美からの返信がなかったからよ。普段ならすぐ返信をくれるはずの真奈美が今日に限ってそれをしないということは、考えられる可能性は二通り。なんらかの理由で携帯を操作できない状態にあったか、もしくはメールに気付かなかったか。

 前者の考えはすぐに捨てたわ。メールを送った時間は十二時より少し前。その頃、真奈美はまだ学校にいたはずだから。さすがの真奈美も、一年最後の終業式の日に学校サボってまで犬と戯れるなんてことしないだろうし」

「な、何でそんなことまで知ってるの!?」

 もうやだ! 何なのよ、この底なしの推理力は!?

「真奈美の制服を洗濯したときに気付いたんだけど、わずかに犬の毛が付着していたのよ。それも、この近所じゃ見かけない犬種のね。ま、それだけなら別に流してもよかったんだけど、一月十二日に真奈美が学校を休んだ決定的な証拠が残されていたのよ。――ゴミ袋の中にね」

 ぎくっ!

 私の頬を冷たい汗が流れる。お母さんは、そんな私の反応を楽しむかのように続ける。

「そう、あれは収集日の前日だったかしら。ゴミの分別をしていたら、消費期限が一月十三日の午前四時に設定された菓子パンの袋が出てきたのよ。おそらく、十二日の朝にコンビニで買ったものでしょう。もし、もっと遅い時間に買ったのだとしたら、消費期限は十三日の午後一時になっているはずだから。

 さて、ここで疑問が出てくるわね。真奈美は毎日お弁当を用意していくのに、どうしてわざわざコンビニの菓子パンなんて買ったのかしら。学校には購買もあるというのに」

「…………」

 私は答えられない。でも確かに、あの日はコンビニで菓子パンを買った。

 犬笛事件の犯人を捕まえるために、ずっと住宅街で張り込む必要があったからだ。そして張り込むなら、立ったままでも手軽に食べられるものの方がいい。まさか、住宅街のど真ん中で堂々と弁当を広げるわけにもいかないだろう。

 けど――私はわずかな希望にすがって反論を試みる。

「それはお母さんの憶測じゃない。私が十二日の朝にコンビニで菓子パンを買ったのは認める。だけど、それだけで学校を休んだ証拠にはならないわ。もっと、確かな証拠を――」

「あら、証拠なら今、真奈美の鞄の中に入っているじゃない」

「へ?」

「今日、通知表もらったでしょう。あれには欠席日数もきちんと記されているわ。もちろん、月ごとに、ね」

「…………」

 私は、がくっとその場にくずれた。お母さんは相変わらず冷たい目で私を見下ろしている。何回目だろう、このシチュエーション……。

「ま、学校を休んだ理由はあとでじっくり聞かせてもらうとして、希ちゃんの話に戻るけど、あれこそ確証のないただの推測よ。真奈美はメールに気付かなかった。言い換えるなら、ほかのことに夢中だった。で、真奈美が夢中になるものとして真っ先に挙げられるのが希ちゃんというわけ」

 ……ほんと、お母さんには敵わないわね。まあ、メールに気付かなかった本当の理由は、我がクラスメイトの打ち上げ暴走に気を取られていたからだけど。

「さ、いつまでも希ちゃんを待たせちゃ申し訳ないわ。真奈美もさっさと手を洗って居間へ来なさい。季節限定のおいしいケーキを買ってきてあるからね」


「う~ん、おいしい~!」

 希ちゃんはとても幸せそうな表情で苺ケーキを口に運んでいる。ロリコンキラーのお母さんの監視がなければ、デジカメで撮影して部屋に飾りたいくらいだ。ケーキの隣にはお母さん特製のダージリンティー。わざわざ英国式のゴールデンルールに則って、丁寧に入れられた一品だ。

 ちなみに紅茶のおいしい入れ方には大きくわけて七手順あるらしいんだけど、ここで詳しく紹介しても仕方ないだろう。ただ、そのときのお母さんはいつになく真剣な表情で、五円玉や温度計やポットやティーコゼーを操っている。時々、タンニンがどうたらこうたら、ジャンピングがなんたらかんたら、ベストドロップが云々かんぬん、と呟いてもいる。その様子は、知らない人が見たら、まるで危ないマッドサイエンティストのように映ることだろう(私からすれば、たかが紅茶を入れるのに、何でそんなリング上で行われる格闘技みたいな名前が関係してくるのか理解できない)。

 でもまあ、おいしいことは確かだし、私はそこまで英国の文化について意見を述べるつもりはない。紅茶で重要な香り・色・味の三つとも文句なしならそれでいいのだ。

「真奈美ちゃんのお母さんって、料理上手なんですね! こんなにおいしい紅茶を飲んだのは初めてです!」

「そう、気に入ってもらえたのなら嬉しいわ。おかわりもあるから、必要なら言ってちょうだいね」

 お母さんは聖母様のような微笑みを浮かべているけど、騙されちゃダメよ、希ちゃん。本性は娘を苛めるのが大好きな超ドSなんだから! ……さすがに口に出しては言えないけど。

「あら、希ちゃん。頬にクリームがついてるわよ」

 お母さんはさりげなく希ちゃんにおしぼりを渡すけど、全然わかってなあああい! そこは「もう、希ちゃんったらお行儀が悪いんだから♪」と言いながら、口の周りを拭いてあげるのが正道ってもんでしょうがっ! ……さすがに声に出しては言えないけど。

 そんな楽しい?午後のひとときが過ぎ、六時から開かれた打ち上げも大いに賑わった。具体的にどう賑わったのかについては、あまりにカオスすぎるのでここでは書かない。それでも唯一特筆すべきことがあるとすれば、私の隣に座った柴田君が妙に落ち着きなくそわそわしていたくらい。

 一体なんだったのかなぁ。『絶叫スペシャルランド』の特別チケットをもらったときも様子が変だったけど。

 午後八時に打ち上げが終わり、二次会とかやらない?と相変わらずテンションの高い同級生たちの笑い声を聞きながら、私たちは『網焼き屋』の外に出た。

 ――このまま何事もなく一日が過ぎるのだろうと、疑いもせずに。

「……何かあったのかしら?」

 六時に集合したときには見かけなかった警察官が、やけに物々しい様子で『網焼き屋』の駐車場を取り囲んでいた。野次馬の喧騒は遠く、なんだか風景がぼんやりとして見える。

 誰にともなく呟いた疑問は風に流され、ただパトカーの赤いランプだけが、辺りを非日常色に染めていた……。


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