悲鳴
さあ、高校一年ラストを飾るに相応しい大事件の始まりです。
とあるうららかな春休みの午後。新しく浜下町の隣町にオープンしたテーマパーク、通称『絶叫スペシャルランド』。
宣伝文句は『当テーマパーク内のすべてのアトラクション・施設等には、お客様の胸を存分に躍らせる素敵な仕掛けを多数ご用意しております。現代の平坦かつ意味もなく繰り返される日常に飽き飽きしたお客様は、是非とも我がテーマパークまで足をお運びください。今まで体験したことのない新しいスリルと興奮、そして謎かけと恐怖が、お客様の退屈な日常を瞬時に吹き飛ばしてくれるでしょう』というもので、基から”テーマパークなんてどこでも似たようなものでしょう”という捻くれた偏見をもっていた私としては、最初、新聞広告の中に紛れ込んでいたチラシに特に目を向けることはしなかった。
これは、珍しく我が家に帰宅していたお父さんがあとになって教えてくれたことだけど、チラシにはオープン記念として簡単なセレモニーが東京の国際展示場で行われることと、同場所にて開催されるクイズ大会で優勝した者には『絶叫スペシャルランド』を春休みの間のみ何回でも無料で利用できる特別チケットなるものが与えられることが、でかでかと書かれていたそうだ。
そして私はもちろん、そのセレモニーにもクイズ大会にも参加しなかったけど、一体どういう運命のいたずらか、あのロリコン同好会会長である柴田君が、その特別チケットとやらを手に入れてきてしまったのだ。
これにはさすがの私もかなり驚いたわよ。だって、柴田君ってケンカとか肉体勝負とか……って、これだと悪印象を与えることになりかねないわね……とにかくスポーツのほうが得意というイメージがある。大きく盛り上がった筋肉、引き締まった肉体、周りの人を威圧する大声――典型的な体育会系の人間の特徴を備え持っている。そりゃ、インテリメガネをかけていたりオレンジジュースが大好物だったり、キュートなポイントも確かに存在するけれど、総合的に判断して、やっぱり柴田君には推理力や閃きが要求されるような頭脳勝負は似合わないような気がする。こう言ったら本人に怒られるかもしれないけどね(何気に成績面では私よりも上だったりするし……)。
だけど、柴田君が紛れもなくクイズ大会で優勝してしまったことは、なにより彼が差し出してくれた特別チケットが雄弁に物語っているわけで、しかもその直後、
「真奈美。もし春休み予定が開いていたら、その……お、俺と一緒に『絶叫スペシャルランド』に行かないか?」
と顔を真っ赤にして誘われたら、断るわけにはいかないじゃない。私自身はあまりテーマパークに興味はなかったけれど、タダで入れるというのなら乗らない手はない。
私は了承の意味を込めてうなずいた。途端、柴田君が
「ほ、本当にいいのか!? 真奈美!?」
と、身を乗り出すようにして確認してきたものだから、思わず後ろに一歩引いてしまう。
「う、うん。日頃から、柴田君たちロリコン同好会のお世話になっているし、せっかくの春休みだもの。一日くらい羽目を外して遊んだってバチは当たらないわよ」
「そ、そうだよな。いやあ、良かった……っ!」
柴田君はなぜか右手の拳を強く握りしめて、勝利の余韻みたいなものに浸りきっている。たかが遊園地に行くだけなのに、大げさすぎるほどオーバーリアクションだ。
そんなに『絶叫スペシャルランド』に行きたかったのかなあ。普段は仏頂面を崩さない柴田君が、これほど喜んでいるところを見ると、ひょっとしたら柴田君は絶叫系マニアなのかもしれない。
なるほど、絶叫系が苦手な人を誘っても、お互いの意見が割れるだけで当日楽しむことなんてできない。私はどちらかというと大丈夫な人間だから、柴田君が私を誘った理由もその辺が関係しているのでしょう。ただ、どうして私が絶叫系に強いと知っていたのか、という疑問が残るけど、ひとまず細かいことは置いておくとして。
私は改めて柴田君からもらった特別チケットに視線を落とす。表側は『特別ご招待! 春休み限定:無料スプリングパスポート』と凝った金色のフォントで大きく書かれている。背景には、おそらく『絶叫スペシャルランド』の中でも目玉に当たるアトラクションのイラストが数種類、そしてマスコットキャラたちがこちらに両手を広げて歓迎の意を示している。チケットをひっくり返すと、そこには利用規約というか使用上の注意点らしき文がいくつか書かれていた。それらを軽く流し読みしていく途中で、ひとつの文が目にとまった。
このパスポートは一枚につき三名様まで有効。
ということはつまり、希ちゃんも誘ってオーケーってことよね。いや、柴田君のチケットもあるから最高で六人までは大丈夫ということになるけれど、それだと返って動きづらくなるだろう。でもパレードの場所取りをしたり、アトラクションの座席が主に一列二人乗りであることを考えると、ベストなのは四人ってところかしらね。
私は早速、どこかの宗教信仰のように太陽に向けてガッツポーズを決めている柴田君に尋ねる。
「ねえ、このチケット一枚で三人まで有効になっているから、希ちゃんも誘っていいでしょ?」
「へ?」
なにか地雷でも踏んでしまったのか、爽やかスポーツマンの笑顔から、一瞬にして給料を減らされたサラリーマンのような表情になる柴田君。まるで人生失敗談を取り扱った番組にビフォー/アフターで採用されそうなくらいの変容だ。そんな変化を見せられてしまっては、こちらとしても罪悪感を覚えずにはいられない。
……私、おかしなこと言ったかな。柴田君はロリコン同好会の会長なんだし、希ちゃんが同行するのを認めてくれると思ってたんだけど……。
と、そこまで考えて私の脳にひらめくものがあった。
「分かった! 身長制限ね!」
「……は?」
「希ちゃんは背が低いから、絶叫系アトラクションに設けられている身長制限に引っかかってしまう恐れがある。そうでなくとも、あんなにちっちゃいんだもの。安全ベルトを締めたところで隙間から放り出される可能性も否定できないわ。そもそも、遊園地なんて大勢の人が集まる所に連れて行ったら、はぐれて迷子になってしまうかもしれない。そうならないように、この私がしっかり手を繋いでいてあげないと! ああ、でも万が一はぐれちゃったらどうしよう……。希ちゃんは可愛いし、純粋だし、ドジっ娘だし……変な人に誘拐されでもしたら……」
「いや、俺はお前と二人だけで行きたかっただけなんだが……って聞こえてねえな……」
隣でぶつぶつと不満そうに呟く柴田君は無視して、いざとなったら手首を繋げられるように手錠でも用意しておこうと危ない思考に没頭していくのだった。
さて、結局メンバーは私、希ちゃん、柴田君、参道君、鈴笠君、廣野先輩の六人になった。遊園地に行くにしてはかなり大所帯だ。
どのようにしてこのメンバーに決まったのか、その流れだけ簡単に書いておくわね。
まず、私が希ちゃんを誘ったところ、三月の中旬ならマジックの公演予定もなく大丈夫だという返事をもらった。ついでにあと三人までなら一緒に行けることを告げると、それなら、ということで希ちゃんは参道君と鈴笠君の名前を挙げた。去年の十月下旬に自分の歓迎会を開いてくれたことへのお礼をしたいらしい。
参加者の中には穂村さんと絵桐さん、それに宝生君と太谷さんもいたそうだけど、穂村さんと絵桐さんは二月中に転校してしまい、宝生君と太谷さんは二人だけでラブラブな春休みを過ごす予定だそうで、メンバーには加わっていない。まあ、あの二人は三組だけにとどまらず、私たち五組の教室にもバカップルとして伝わってきていたからある程度予想はできていたけれど、やっぱりちょっと羨ましいかな。
それにしても、絵桐さんたちはどうしてあんな半端な時期に転校してしまったんだろう。どうせなら一年生の課程がすべて終了するまでいればよかったのに。というか、学校側からしてもそうするように勧めるのが普通だろう。それなのに――ここが一番重要なポイントだと私は睨んでいるのだけれど――私たちに別れの挨拶もなしに転校してしまったことが不自然だ。
クラスが違うからというのもあるだろうけれど、穂村さんはともなく、絵桐さんは私と同じ学級委員長だった。委員会で頻繁に顔を合わせ、言葉を交わした仲である私にひとこともなく去っていくのはどうもおかしい。真面目で社交性のある絵桐さんの性格ならなおさらだ。なにか表には言えない深い事情でもあったのか、それとも……って、こんなに真剣に考えちゃってどうするんだか。
自分でもなんとなくは分かっている。
絵桐さんたちとは、いつか必ず再会できるってこと。
それは根拠のない確信という矛盾を孕んだものでしかないけれど、そうでなければ、黙って別れるような逃亡めいたやり方の説明がつかない。
……いや、本当は真実を知っていそうな人物に心当たりがないわけじゃない。
絵桐さんたちが転校したのとちょうど同じ時期、参道君が何日も学校を休んだ。もちろん、それだけで参道君と絵桐さんたちの間で何かがあったと決めつけるのは早計だ。単に、季節性インフルエンザにかかってドクターストップが出ていただけなのかもしれないし、実際いくつかのクラスでは学級閉鎖の措置が取られていた。けど、参道君の欠席にはもっと違う理由があるに違いないと断言できるだけの材料がある。
これは太谷さんから聞いた話だけれど、欠席中の参道君に体調を心配するメールを送ったところ、普段なら気配りが読み取れる返信をするはずの参道君が、そのときはやけに素っ気ない返事しか返してこなかったらしい。つまり極端に言ってしまえば、参道君は精神が不安定な状態に陥っていたのだろう。
参道君は探偵を目指していて、常に冷静沈着に物事を考えるように努めていた。事件に遭遇した回数も、私みたいな素人よりもずっと多いだろう。その参道君の気持ちが大きく揺れ動くほどの出来事……。
そしてもう一つ。この浜下町を二度も騒がした、稀代の怪盗セゾン。しかも、その二度ともがこの市でもっとも大きな美術館を狙ったものだった。
一度目は去年の春。まだ高校生活が始まって間もない頃に行われた、校外学習の日。美術館を見学した三組の生徒たちは、実際に怪盗セゾンの犯行予告状を目の当たりにしたと聞いているし、新聞の地方欄でも大きく取り上げられていたことを覚えている。このときは怪盗セゾンに美術館への侵入を許してしまったものの、獲物に指定されていた“天使の嘆き”という有名彫刻家の作品は死守することに成功。実質的な被害状況は、美術館内部のセキュリティシステムおよび電気系統の破壊のみにとどまった。
二度目の犯行は、一回目から大きく期間を置いた今年の二月。前回と同じく、怪盗セゾンは“天使の嘆き”を獲物として指定してきたが、これも偽物とすり替えておいたため、本物は無事だったらしい。しかし、警察は今回もセゾンの逃亡を許している。
つまり、怪盗セゾンなる人物は、侵入や窃盗後の脱出に関しては上手くやっているが、肝心の鑑賞眼が乏しいという、実に奇妙な性格の持ち主であることが読み取れる。セゾンが本当に怪盗を生業としているのなら、これはちょっと……いや、かなりおかしい。
まあ、セゾンの分析はさておき、注目すべきはこの事件が起きた時期だ。この事件の直後から参道君は学校を休み始め、数日後、絵桐さんたちの急な転校が決まった。
これがすべて偶然だろうか? 怪盗セゾンを巡る一連の事件に三人が関わっていないと言い切れるだろうか? もちろん、関わっていると言い切れるだけの根拠はない。けど、彼らの間にクラスメイト以上の深い繋がり、因縁のようなものがあった可能性も無視できない。
参道君は探偵。探偵は怪盗を捕まえる者。
もし、絵桐さんたちも怪盗を捕まえる立場であったとしたら、事態がややこしくなるはずがない。セゾンを取り逃がしてしまったのなら、今後も協力関係を続けていけばいいだけの話だ。しかし、現実はそうじゃない。参道君が情緒不安定になったのは、自分の責任でセゾンを取り逃がしてしまったから、で説明つくとしても、絵桐さんたちのほうは……。
セゾンの不自然な性格。急な転校。因縁。探偵と怪盗……。
まさか、絵桐さんたちが怪盗セゾンだったりして……って、さすがにこれは考えすぎか。世間を賑わすほどの怪盗が実は私たちのすぐ近くにいた、なんて小説じみたことがそうそうあるわけない。犬笛事件を解決してから、私は自分の周りに新しい謎を求めるようになってしまったのかもしれない。
やれやれ。まだ新米探偵にすぎない、というか一般人の域すら出ていない私が事件を欲するのも厚かましいか。これ以上、あれこれ考えるのは止めにしましょう。なにより、友達を疑うなんて、本人も相手も辛いだけだしね。
さてと。独白も終わったし、ここらで軌道修正しますか。
残る一人――廣野先輩がメンバーに加わった理由は至ってシンプルで、鈴笠君が誘ったからだ。全体の流れを矢印で復習すると、柴田君→私→希ちゃん→参道君+鈴笠君→廣野先輩の順番で決まったことになる。それにしても、廣野先輩を誘うときの鈴笠君はやけに意気込んでいるように見えた。もしかしたら、鈴笠君は廣野先輩のことが好きなのかもしれない。個人的には、なかなか面白そうなカップルだとは思うけれど。
「おい、真奈美。さっきからなに真剣に考え込んでいるんだ?」
すぐ近くから発せられた低くて渋い声に、私の意識は現実に引き戻される。顔を上げると、柴田君がいつもの仏頂面で直立していた。手には二種類のポップコーン。それぞれ、塩キャラメル味とクリームソーダ味のラベルが張られている。
思い出した。午前と午後をフルに使って、『絶叫スペシャルランド』の人気アトラクションをほぼすべて制覇した私たちは、“古代エリア”の一角で見つけた休憩施設で少し足を休めることにした。より正確に言うと、直前に乗ったフリーフォール系のアトラクションで重力感覚を狂わされ、足ががくがくしていた私を気遣って、柴田君がすぐ近くのベンチで休んでいこうと提案してくれたのだ。
ちょうど大きな広葉樹の真下に当たるベンチを確保してくれた柴田君は、
「少しの間、ここに座って休憩していろ」
と言い残して、ベンチから見て左斜め前方にある古風なお店へ入っていった。そのまましばらく帰ってこないからつい考え事をしちゃったけど、なるほどポップコーンを買いに行ってくれていたのね。なかなか気が利くじゃない。
「あ、ポップコーン買ってきてくれたんだ。柴田君だって疲れているはずなのに、なんだか申し訳ないわね」
「俺のことは気にするな。普段は部室にいることが多いが、これでも週に数回スポーツジムに通っているんだ。体力にはそれなりの自信がある。それに、この遊園地には元々俺のほうから誘ったんだ。これくらいのことでへばっているようじゃ、女は誘えないだろ」
真顔で「女」と言われて、私は急に頬が熱くなるのを感じた。春の気配が感じられるとはいえ、三月の空気はまだ若干肌寒い。ばくばくと早鐘のように鳴る動悸の原因が、寒気の中を長時間歩き回ったことからくる疲労だと考えられないこともないけれど、そのときの私は明らかに柴田君の言葉に動揺していたと思う。
だ、だって、普段の学校生活じゃ、私を女子だって見てくれる人そんなにいないし(いや、それが自業自得なのは理解しているのだけど……)、それに、“女”だけだと、ニュアンス的にすでに交際関係が成立しているように思えちゃうというかなんというか、その……。
赤くなった顔を見られたくなくて、思わず俯いてしまう。柴田君は、そんな私の頭を、ポップコーンが入った容器でポンと軽く叩いた。と同時に、頭上から降ってくる力強い響き。
「元気出せよ、真奈美。お前がしおらしいままだと、俺まで調子が狂う」
なっ! 今の台詞はちょっと聞き捨てならないわね!
「それって、女の子っぽいしおらしさは私には似合わないってこと!?」
「誰もそんなこと言ってないだろう。真奈美のことはよく知っているつもりだ」
……ふぅん。そこまで言うなら、試してあげようじゃないの。
「そう。例えば?」
「我がロリコン同好会の紅一点。子供、特に小学生くらいの女の子に興味があるが、世間体を気にするだけの思慮深さも一応備えている。……ただ、パートナーである希ちゃんが絡むと、周りが見えなくなってしまうことが多々あるがな」
「そ、そんなこと言われなくても分かっているわよ」
「落ち着け。別にそれが悪いとは言ってない。確かに少々突っ走ってしまう所はあるが、真奈美は希ちゃんを守るために、あの廣野姫幸に堂々と宣戦布告したんだからな。“百戦錬磨の女帝”と呼ばれた相手に自ら腕試しを挑むなんて、普通なら狂気の沙汰としか思えない。しかし真奈美は、俺でさえ威圧される廣野姫幸のプレッシャーをはね除けてみせたんだ。それは並大抵の度胸や勇気だけじゃ説明できないだろう」
「あ、あれは、つい勢いで……。今思い返すと、自分でも慎重さが足りなかったと反省して……」
「それに――」
反論する暇も無く、柴田君は強引に主張を重ねる。
「真奈美は五組の学級委員長だった。クラスのまとめ役。第二の担任。それなりの人望や支持が要求される役職をお前は見事にこなしていた。真奈美自身は気付いていなかったかもしれないが、お前はクラスの連中から好かれていたんだぞ。常に前を向いて歩いているような凛々しさ、そして他人を気遣う優しさがあるってな」
「それは……みんなの勝手なイメージだけなんじゃ……」
「いや、証拠はある。まだ最近のことだから覚えているだろう。去年の十二月に、時習館高校からほど近い住宅街で、特定の時間に飼い犬が一斉に吠え出すという騒ぎがあった。あれを密かに解決したのは真奈美だろう?」
ど、どうしてそのことを……。私も胡桃ちゃんも、真相は誰にも話していないはずなのに……。
戸惑いと困惑が顔に出たのだろう。柴田君は塩キャラメル味のポップコーンを私にくれると、自分もどっかりとベンチに腰を下ろした。そして、メロンソーダ味のポップコーンをひとつ、口の中に放り込んで話を続ける。
「そうか。やっぱり気付いてなかったんだな。あの住宅街の一角に俺の家があったことを」
えっ! うそ!? じゃあ、もしかして私……。
柴田君は視線だけで私の問いに頷いて見せた。
「そうだ。真奈美は一度、俺の家を訪れている。あのときはお袋が玄関に出たから、真奈美が気付かなかったのも無理はないが、俺のほうは確かにお前の声を聞いたんだ。まるで切羽詰まったような、あるいは一縷の希望を期待しているかのような……とにかくお前の必死さが、声を通して俺の部屋にまで伝わってきた。そのとき、俺は確信したよ。
あいつは――真奈美は他人のためにここまで必死になれる奴なんだな……って。
それからしばらくして、あの不可思議な現象はぴたりと止んだ。そう、何の前触れもなく突然に、だ。あの辺の住人は、何故急に犬が吠えなくなったのか、さぞかし疑問に思っただろう。だが、真奈美が俺の家を訪れて以来、お前の行動を気にかけていた俺はすぐに気付いたよ。
“お前が学校を休んだ翌日から、あの現象が起きなくなった”――とな」
それで話すべき事は全部だとでも言うように、柴田君はポップコーンに意識を戻す。私のほうには目を向けない。でも追求の姿勢を崩したわけでもない。自信に満ちた横顔は、まるで私の口から真相を話すのを待っているかのように感じられた。
私は空を見上げて、ふぅ~とため込んでいた息を吐く。
……参ったなぁ。私が事件を解決したことは誰にも知られないように振る舞ったつもりだったのに、よりによって柴田君にバレていたとは……。
「本当、見事な推理だったわよ、柴田君」
「誰かさんに影響されてな。俺もこの頃ミステリを読むようになっただけだ。もっとも、真奈美のように本気で探偵を目指す気はないけどな」
「うーん、柴田探偵っていうのも面白そうだけれどね。でもまあ、柴田君ってどちらかというと、現場を指揮する警部さんってイメージのほうが強いし」
「ほう。つまり俺には、証拠となる手掛かりを見落とす役を演じろと?」
「冗談よ、冗談。それに警部さんの中には、探偵顔負けの名推理を披露する人もいるのよ。警察と探偵の合併推理! なかなかロマンがあると思わない?」
「ロマンときたか。真奈美がその言葉を口にするのは、希ちゃんがらみのときだけだと思っていたが」
「ちょ、ちょっと、柴田君!」
「本気にするな。二割は冗談だ」
「八割は本気ってことじゃない!」
「……って、無闇に腕を振り上げるな! お前、今ポップコーン持ってるんだぞ!」
「あー、はいはい。ゴメンナサイ。ワスレテマシタ」
「片言で返すな!」
漫才みたいなやり取りが済んで、私たちはお互いに一息つく。日はさらに傾いてしまったけれど、空気はそれほど冷たくはない。ううん、柴田君が隣にいてくれるから温かく感じられるのだろう。
そう思うと、また顔が火照ってきた。だけど、さっきほど気まずくはない。
安心感を伴った沈黙。まるでお父さんのような、ずっしりとした存在感。口数は少ないけれど、メンバーを見守る我がロリコン同好会のリーダー。
柴田君、か……。うーん、悪くはない、かも……。
そんなことを考え始めたとき、突如、“それ”はまるで空間を引き裂くように響き渡った。
「きゃあああああああああああああ!!」
突然、鼓膜を刺激した甲高い叫び声に、私も柴田君も、そして周りの人たちも一瞬固まった。しかし、その後の対応は各々違っていた。
――悲鳴!?
もちろん、私と柴田君は、即座にベンチから立ち上がり悲鳴の聞こえた方へ走り出した。妙にざわつき始めた人の群れを強引に突っ切る形で、真っ赤な夕陽が支配する赤色のプラザへと急ぐ。走りながら、私は柴田君に問う。
「ね、ねえ! 希ちゃんたちは大丈夫かな?」
歩幅の関係で私よりもやや前を走っていた柴田君は、振り返らずに答えた。
「希ちゃんには参道がついているだろう! なにかあれば、携帯に連絡してくるはずだ」
と、まさにその直後。ジーパンのポケットに入れていた携帯が鳴った。
慌てて取り出してみると、メールが二通。それも同時刻に受信している。そして、メールの文面は……
僕たちも現場に向かっている。詳しいことはあとで直接話すが、これは例の連続強盗犯の仕業である可能性が高い! もし、犯人を見かけても余計な手出しはしないように! 参道潤
今、廣野先輩と悲鳴の聞こえたほうへ向かっている。先輩からの伝言だが、犯人は世間を賑わせている連続強盗犯のグループかもしれないとのこと。現場に先に到着しても、待機しているように! 鈴笠来也
「――だって、どうしよう、柴田君」
幾ばくかの不安を胸中に抱えながら問いかけた言葉に、柴田君は足を止めて振り返った。
「真奈美。――お前はどうしたいんだ?」
え? 私……私は――
「犯人を捕まえたい! 探偵として犯罪を見過ごすわけにはいかないもの!」
すると、柴田君は満足そうに薄く笑んだ。
「よし! それでこそ真奈美だ。じゃあ、急ぐぞ!」
「うん!」
こうして、私たちは『絶叫スペシャルランド強盗事件』に、自ら足を踏み入れることになった。高校一年のラストを飾るに相応しい大事件に……。