vs. 百戦錬磨の女帝(後篇) ~Game Set!!~
今回は三部作?の中でも一番長いです。そして、前回、前々回よりもゲームの部分を意識して書きました。
それでは、学校全体を使った推理ゲームをごゆっくりお楽しみください。
我が高校の黒歴史に残る壮絶な雪合戦の翌日。昨晩遅くまで降り続いた雪は、昼になった今でも溶けることなく、校庭を白銀色に染めていた。あちこちに幾つかの足跡が目立つものの、太陽の光を反射してきらきらと輝く白の世界は、不思議と別世界のような静謐な冷たさと新鮮さが感じられた。
と言っても、ここは雪国じゃない。ずぶっ、と沈み込むような感覚もせいぜい踝よりやや上くらいまで。よく雪国の人が屋根の上に登って一生懸除雪している映像を見ることがあるけど、この地域でそこまで降り積もることは相当な異常気象が起こらない限り、まずないだろう(そのぶん、かまくらや巨大な雪像を作ることも無理だけどね……)
さて、ではどうして私たちが昼放課に校庭に集まっているのか説明するわね。
きっかけは三日前の昼休み。我がクラスに三年生の廣野先輩が突如現れ、私の希ちゃんにちょっかい出してきたことから始まる。みなさん知っての通り、私と希ちゃんはかのホームズとワトソンの名コンビさえも越える深い絆で結ばれている(一部の人たちからは何故か白い目で見られているけど、それは無視している)。その大切なパートナーを危機から守るのが私に与えられた役目だ。使命と言い換えてもいい。
結果、希ちゃんにいちゃもんつけるのはまず私を通してからにして欲しいということになり、その宣戦布告をしっかり受け止めた廣野先輩と私の三本勝負の火蓋が切って落とされた。で、この勝負、ほんとは秘密裏に行いたかったんだけど、うちのクラスメイトたちのガッツとノリの良さによって、噂は驚異的な速さで学校中に広まってしまった。
で、放送部部長の清永先輩や、ゲーム研究部部長の美里先輩らがこの勝負を仕切ることになったんだけど、回を増すごとにだんだん対決種目の規模が大きくなっている。具体的には、第一ゲームは普通の弾幕STG対決だったのに、第二ゲームでは近所の児童公園の敷地全体を利用した大規模な雪合戦が行われた。 しかも雪合戦に至っては個人対決ではなく、ロリコン同好会の皆さんやヤーさん方の飛び入り参加も認められたチーム戦で行われたというカオスっぷりだ。一体、第三ゲームはどれほど混沌と化すのか……想像するだけでも末恐ろしい。
さて、話を戻すわね。第三ゲームの招集がかかったのは朝のHRの直前。清永先輩が直々にうちのクラスを訪れ、昼放課に校庭に集まるように、と言い残していった。ちなみに我が高校の校庭は一般の体育の授業で使用するグラウンドと、野球部、陸上部などが主に使用する運動部専用のグラウンドが隣接しているため総面積はかなり広い。この時期、体育の授業でグラウンドを囲むようにして作られたマラソン用のコースを走らなければならないのだけど、考えただけで鬱になるほど広い。体育祭のときなんかは複数の競技が同時に行えてよかったけれど、クラスの応援のために、息つく暇も無くあっちこっち走らされた身にもなってほしい。
いま私の気が鉛のように重たいのも、そんなトラウマめいた過去があるからだった。このばかでかい校庭でどんなゲームをするつもりなのだろう……。
虚ろな目で朝礼台のほうに目を向けると、愛用のマイクを握りしめた清永先輩と、すっかり進行役兼審判役が板についてきた美里先輩が並んで立っている。あ、言い忘れていたけど、本日も野次馬は満員御礼です。
「さあさあ、一昨日から始まった姫幸選手と真奈美選手の壮絶な戦いも、いよいよ今日でラスト! 現時点での結果は両者とも一勝一敗であり、実力は完全に拮抗しています! これまで互いに持ち得るすべての力を出し切って迎えたこのファイナルゲーム! 最終的に勝利の女神が微笑むのは果たしてどちらなのか!? 両選手の矜持をかけたこの三本勝負、今その決着を見届ける目撃者となれ!」
相変わらず、かなり大げさな実況だ。実況に関する心構えはよく知らないけど、普通は冷静に場の雰囲気を伝えるものじゃないのだろうか(ここまで派手に騒いだら、近所の住人に訴えられそうで怖いんだけど……)。
だが、そんなことを悩んでいるのは私一人だけみたいだった。集まったギャラリーは「久々に面白いもんが見られそうだ」「受験勉強の息抜きにはちょうどいいな」などと勝手なことを言って騒いでいる。もう、ほんとにどうなっても知らないんだからね!
そんなギャラリーの反応に気をよくした清永先輩がさらに言葉を続けようとするのを、美里先輩が横からやんわりとマイクを奪って阻止する。さすが美里先輩。清永先輩の扱い方をよく心得ていらっしゃる。
こほん、と可愛らしく咳払いしてから美里先輩はよく響く声で話し始めた。
「では皆さん、一昨日、昨日と引き続き、今日も私からルール説明をさせていただきます。本来ならば、ファイナルゲームの対決種目決定権を与えられている朧月希さんからルールを説明していただくところですが、“諸々の事情”により希さんはこの場に来られないため、どうかご了承ください」
そういえばそうだった。第一、第二ゲームとも美里先輩が進行を取り仕切っていたから忘れていたけど、この第三ゲームの決定権は希ちゃんに委ねられていたんだっけ。
その希ちゃんはと言うと、午前最後の授業が終わった途端、急にお腹の具合が悪くなったとかで保健室で休むことになった。
つい数分前まで元気そうだったのに大丈夫かなあ……。でもまあ、ここで私があたふたすると、また前みたいな“勘違い”をしかねないので、その場は穂花に任せて私は大人しく校庭に出たのだった(徹夜で反省文を書くのはもうこりごりよ!)
でも一部の人たちはそう簡単に引き下がらなかった。
「ふざけんなよ! 俺たちは希ちゃんを一目見るために来たんだぜ!?」
「そうだそうだ。希ちゃんは俺らの心の清涼剤なんだよ!」
「うぉおおおお!! ロリ万歳!!」
好き勝手喚き立てる、いつものメンバーたち。美里先輩はにっこりと微笑みを浮かべたまま右手の指をパチンと鳴らした。すぐさま生徒会役員が駆け付け、ロリの良さが分からないお前らなんか爆発してしまえ、とかなんとか負け犬の遠吠えじみた叫びを上げるロリコンメンバーを首尾よく連行していく。
まったく恥ずかしいわね。少しは学習したらどうかしら。
お前もな、と柴田君が呟いたような気がしたけどスルーする。
「さて、では早速ファイナルゲームの説明と参ります。と言っても、その内容は至ってシンプルです。ずばり……」
みんなが、ごくり、と唾を呑む。
「校舎内……いえ、この高校の敷地内のどこかにいる朧月希さんを見つけ出して捕まえてください。先に彼女を捕らえられたほうを勝者とします」
……はい? まったく予想していなかった内容なだけに、思考が正常運転に戻るまでに十数秒要した。 えーと、いま美里先輩は、希ちゃんを発見して捕まえろ、と言ったんだよね? それって校舎全体を使った鬼ごっこってこと? いや、そもそも希ちゃんはさっき保健室に行って休んでいるはずであって、つまり保健室を抜け出したってこと?
ぐるんぐるん回転する思考に歯止めをかけたのは、廣野先輩の鋭い声だった。
「ちょっと美里さん。もう少し詳しく説明してもらえないかしら」
「詳しくもなにも今言った通りです。この昼放課、朧月希さんは校舎内のどこかに身を潜めています。その彼女を発見して取り押えたほうが勝ち、ということです。なんでも希さんは幼い頃、彼女の父親のもとで修業に励む弟子の方々と、かくれんぼや鬼ごっこをして遊ぶのが常だったそうで、今回のゲームはその延長だと言っていました。逃げ足にも相当自信があるようでしたので、お二人ともそれなりに覚悟して臨まれたほうがよろしいかと」
「で、でも希ちゃんはお腹の具合が悪くて保健室へ……」
「それはおそらく演技だと思います。ゲームの公平さを保つために、誰にも自分の居場所を悟られないように姿を消したのでしょう」
うーん、そうだったのかぁ……。でも仕方のないことだったとは言え、騙されたのはちょっとショック……。
「あ、それからもう一つ。校舎内にいる生徒や職員に、希さんを見かけなかったかと尋ねるのはアリとします。それらの手がかりを元に希さんの居場所を推理してみてください。これは言わば、“探偵”の素質が試される推理ゲームでもあるのです。ただし、あくまで情報を聞き出すだけに留めてください。他の人に希さんを捜すのを手伝ってもらうようなことをした場合は失格とします」
探偵の素質が試されると聞いて、私の瞳は輝きを取り戻す。なるほど、つまりこの勝負に勝てたとき、私は探偵への階段を一つ上ったことになるわけだ。
よし! やる気出てきた! 見ていてください、師匠。必ず廣野先輩よりも先に希ちゃんを見つけ出してみせます。
瞼の裏に、黒猫師匠の姿が浮かび上がる。師匠は相変わらずツンとそっぽを向いているけど、時おり、ぴくっ、と動く耳は、私の言葉を真摯に聞いてくれているように感じた。
───ふん。ま、やれるだけやってみな。お前さんも最初の頃に比べれば、多少は冷静に物事を考えられるようになっているはずだ。
師匠の激励の言葉に背中を押されるようにして、
「制限時間は昼放課終了まで。それでは、スタート!」
私は一年校舎棟へと走り出した。
Act1 一年校舎棟→保健室 12:23
さて、ここからの壮大な鬼ごっこ(あ、推理ゲームだったっけ)を始める前に、改めて我が高校の校舎や体育館等の配置を説明しておきましょう。
まず、私たちの高校はこの県ではそれなりに有名な進学校で、敷地面積は日本全国でも五本の指の中に入る。敷地内に入るための主な門は三つあり、それぞれ正門・東門・南門と呼ばれている。正門は東門のすぐそばに作られているから、実質、門は東と南に二か所あるだけであり、垣根の隙間をくぐり抜けるなどという不正行為をしない限り、北と西からは入れない。
で、ここからが敷地内の各校舎や設備の話になるんだけど。
まず、さっきまでいただだっ広いグラウンドは北側の敷地をめいっぱい独占している。正確に測ったことはないけど、大体総面積の三分の一くらい占めるんじゃないだろうか。その周りには防音効果を備えた林と、その林間を縫うようにして作られたマラソンコースが広がっている。
次に東側の描写に移るわね。東門を入るとすぐに生徒専用の自転車置き場と、一年~三年までの各校舎と職員室のある校舎(そうね、仮に事務棟と名付けましょうか)を繋ぐ渡り廊下がある。各学年の校舎棟には○年一組~八組までの八つのクラスとお手洗いがあるくらい。対して事務棟には、コピー室、放送室、会議室、生徒会室、図書室、保健室など、私たち生徒はそれほどお世話にならないような事務関係の教室がたくさんある(まあ、生徒会や図書委員会とか一部の組織に属している人はかなり利用しているんだろうけど)。
そんな感じで東門が主に“生徒のための門”であるのに対して、正門は“教職員と一般客のための門”ということになる。門を入ると、ヨーロッパあたりのお嬢様校を彷彿とさせるような広い芝生とその中央に設けられた凝った意匠の噴水。初めて訪れた人は、多分ここが日本であることを忘れるんじゃないかしら(だって、体験入学に来たときの私がそんな気持ちだったもの)。ちなみに南門から入るとすぐに噴水のある場所まで出ることができる。
その噴水を基準にしてすぐ近くに体育館(講堂って言わないところが、まだここが日本であることを感じさせられる)、西側にクラブ棟、プール、教職員専用の駐車場がある。このクラブ棟は主に運動部が使用するもので、文芸部・化学部・ゲーム研究部等の所謂文科系にカテゴライズされる部活やサークルはすべて旧校舎に部室を構えている(ロリコン同好会の部室や視聴覚室があるのもここね)。その旧校舎に隣接するように作られているのが実験棟で、ここには化学実験室、物理実験室など、あまり近寄りたくないトラウマ教室群が蔓延っている魔窟と化している。
で、これらの六つの校舎と体育館はそれぞれ複雑な渡り廊下で繋がっている。渡り廊下であって空中廊下ではないから勘違いしないでね。別の校舎に移動するとき、いちいち一階に降りなきゃいけないのがかなり面倒だ。あ、言い忘れていたけど、渡り廊下の中心部には私たち生徒の心のオアシス、購買がある(購買のおばちゃんの笑顔は、荒んだ心を癒してくれるような温かさに満ちている)。
さて、これで学校紹介は終わったかな。だいぶ長くなっちゃったから、最後にまとめておくわね。
北→グラウンド。
東→自転車置き場、各学年校舎棟、事務棟。
南→芝生、噴水、体育館。
西→クラブ棟、プール、教職員専用駐車場。
中心部→旧校舎、実験棟、購買。
※校舎棟・事務棟・旧校舎・実験棟・体育館は渡り廊下で繋がっている。
これで大体は分かったかな? それでは物語を再開するわね。
一年校舎棟に入ってすぐの下駄箱でスリッパに履き替えた私は、急いで五組の教室へと向かった。保健室まで希ちゃんに付き添っていた穂花なら何か知っているのではないかと思ったからだ。ほかのクラスメイトと楽しそうに話している穂花を強引に引っ張りだして事情を説明し、希ちゃんについて訊いてみた。
「確かに保健室までは希ちゃんと一緒だったわ。ええと、十二時二十分前くらいまでだったかしら。彼女を送り届けてからのことは私もよく知らないの。ごめんなさい。でも、保健の榊原先生ならなにか知っているかも」
「分かった。情報提供ありがとう、穂花。それじゃ、また後で」
「あ、あの、急いでいるようだったら私も捜すの手伝おうか?」
「気持ちはうれしいけど、それだとルール違反になっちゃうからね。それにこれは、私と廣野先輩の一対一の対決でもあるわけだし、私一人で頑張ってみるよ。あ、でも新しい情報が入ったら携帯に連絡してくれると有難いかな」
「うん、分かった。真奈美、頑張ってね」
穂花の励ましに親指をぐっと立てて見せる。それからすぐに教室を飛び出し、保健室へと向かった。
廣野先輩がどういう順番で捜索しているのかは分からないけど、その情報網の広さは未知数だ(なんせ、いざとなったら相手を脅してでも情報を聞き出す人だし……)。もたもたしていたら先に希ちゃんを見つけられてしまうかもしれない。というかむしろそっちの可能性のほうが高い。だけど、これは美里先輩が言っていたように“推理力”が試される。これまでのゲームもそうだったけど、“本質”を見抜けさえすれば勝てる可能性もまた充分にあるんだ。
ただ闇雲に捜し回るだけじゃ見つけられないだろう。希ちゃんが隠れそうな場所をピンポイントで当たっていかなくちゃ。
逸る気持ちを押し殺し、私は頭の中で学校の地図を広げる。その中で希ちゃんが絶対に行きそうにない所にバツ印をつけていく。
まず上級生のクラス、すなわち二年校舎棟と三年校舎棟は除外していいと思う。わざわざ人が多い所を隠れ場所に選ぶはずがないし、三年生である廣野先輩に見つかってしまう可能性が高いからだ。同様に私に発見される恐れがあるこの一年校舎棟も候補から外してしまっていいだろう。とにかく第一条件は、この昼休み中“人目につかない所”だ。
でもそれだけだと、まだ絞りきれない。もっと情報を集めないと。
保健室のドアをやや乱暴に開けて中に入ると、榊原先生(と穂花は言ってたっけ?)が回転する椅子に座ったまま顔だけ私のほうを振り向いた。ここには春の健康診断と身体測定のときにしか来ないから、私にとっては未知の領域に等しい。ほのかに薬品の匂いが漂う中を進んで、私は榊原先生に、つい数分前に保健室を訪れたはずの希ちゃんについて尋ねた。
「ああ、あのツインテールの可愛らしい子よね。あの子なら数分もしない内に具合が良くなったとかで出て行ったけれど。一応ちゃんと診察したかったのだけど、止める間もなく廊下に飛び出していったわね。一体なにがあったのやら……」
「あの、その子がどこに向かったのかは分かりませんか?」
「そうねぇ。廊下を東に向かって走っていったから、多分職員室じゃないかしら」
「ありがとうございます。失礼しました」
「いえいえ。でも同じことを二度も訊かれるなんて、よっぽど大事なことなの?」
「二度?」
「ええ。あなたが来る少し前に白衣の女の子がここを訪れてね。その希さんの居場所について質問してきたわ」
廣野先輩に先を越された!? 榊原先生の言ったことが本当なら、廣野先輩は校庭からまっすぐ保健室を目指したことになるけど、一体どこで希ちゃんの情報を……。
そこまで考えて気付いた。美里先輩がルール説明をしているときに、希ちゃんが保健室にいるはずだと主張したのは他ならぬ私じゃない。う、迂闊……こんな初歩的なことに気付かなかったなんて……。
でも、まだ大丈夫。一流の魔術師を目指す希ちゃんのことだもの、きっと自分の辿った道を悟られないようにフェイクの一つや二つ仕掛けているはず。いくら情報通の廣野先輩でもそう簡単には見つけられないだろう。
そう自分に言い聞かせて、私はひとまず職員室へと向かった。
Act2 職員室→購買 12:29
職員室に入ろうとしたまさにそのとき、入れ違いになる形で廣野先輩が出てきた。かなり行き詰った表情をしている。有益な情報を掴めなかったのだろうか。
「あら真奈美さん」
廣野先輩も私に気付いて挑戦的な眼差しを向けてくる。でもその金色の瞳には、普段の先輩のような威圧が感じられない。
「その様子だと大した情報を得られなかったのですか?」
「まあね。と言うか、曲がりなりにも対戦相手である私にストレートな質問をぶつけてくるなんて貴女も相当神経が図太いのね。ま、そういうのは嫌いじゃないから特別に教えちゃうけど」
廣野先輩は、ちょうど昼食中だった戸川先生や沙尾鳥先生を捕まえて色々訊いたらしい。けど、どちらも希ちゃんを見ていないという。職員室でないとすれば、二階にある生徒会室か図書室が怪しいが、今日のこの時間、どちらも学期末の反省会が開かれていて部外者は立ち入り禁止となっているはずだ。ってことは、職員室横の渡り廊下から別の場所へ……?
「どうやらそのようね。向かった先がどこなのかは分からないけど、人が多い購買は避けるでしょう。私はこれから三年校舎棟を経由してプール更衣室あたりを捜してみるつもりだけど」
プール更衣室といえば、敷地の最も西端で極端に人の気配がなくなる場所だ。隠れ場所としては打ってつけだろう。でも私の勘は、何故かその場所を否定しているような気がした。あの希ちゃんがそんな単純な解答を用意しているとは思えない。
「そうですか。でしたらここからは別行動ですね。私は購買へ行って情報を仕入れてこようと思っていますので」
「あら、そう。行ってもおそらく無駄足になるだけだと思うけど、貴女なりに何か考えがあってのことなんでしょう。せいぜい頑張ってみなさい」
そう言い残して、廣野先輩は三年校舎棟へと走って行った。
「無駄足なんかじゃありませんよ」
私は遠ざかっていく背中に反論する。だって、探偵の基本は“地道な聞き込み”なのだから。
私の考えに、師匠が小さく頷いたような気がした。
昼放課に入ってから十五分経ったとはいえ、購買は相変わらず多くの生徒でにぎわっていた。この大人数に対して一人一人に聞き込みをしたら、それだけで昼休みが終わってしまうだろう。ロスを少しでも小さくするために、有益な情報を持っていそうな人物に限定して調査することが必要だ。
もし希ちゃんがここを通ったと仮定したとしても、それはおそらく五分以上前のことだろう。列の最後尾にいる人はついさっき来たばかりだろうから、ここは最前列に並んでいる人から当たっていったほうが良さそうね。そう判断して最前列に目を凝らすと、その中に見知った人物の姿があった。
「絵桐さん!」
周りの話し声に負けないよう、私は声を張り上げて彼女の名前を呼んだ。絵桐さんはきょろきょろと周りに視線を巡らせた末、ようやく私に気がついたようだ。
「あ、佐倉さん。見ての通り、いま列に並んでいるから用事ならあとで……」
「希ちゃんを見かけなかった!?」
「へ?」
なんの説明も無しにいきなり危機迫る表情で質問されたら、そりゃ目を丸くするだろう。絵桐さんは普段のクールさはどこへ行ったのやら、一瞬ポカンと口を半開きにしていたが、もともと頭の回転が速いかだけあって、すぐに状況を理解したようだ。
「そういえば今日は決着の日……だったかしら。種目の内容は検討がつかないけど、希ちゃんの姿は見ていないわね。姫幸先輩ならついさっき旧校舎のほうへ歩いていくのを見かけたけど」
「え? 旧校舎?」
それはおかしい。廣野先輩は三年校舎棟から外回りでプール更衣室へ向かったはずだ。そのルートには購買も旧校舎も含まれていない。第一、つい数分前まで私と廣野先輩は職員室前で話をしていたのだ。あそこから一直線に購買に向かった私より先に、廣野先輩がここを通るなんてことは絶対にありえない。もし、そんな奇妙な現象が起きたとしたら、それはテレポートとかオカルトチックな話にまで議論が飛躍してしまう。
そこではたと気付いた。絵桐さんは、廣野先輩が“歩いていく”のを見かけたと言っていた。一刻を争うこの状況で、あの廣野先輩がのんびり歩くはずがない。つまり、絵桐さんが目撃した廣野先輩は偽者……そう、昨日の雪合戦において参道君が白衣を着ることで廣野先輩に扮したように、希ちゃんも同じ手段を使って絵桐さんの目を欺いた可能性が高い。希ちゃんと廣野先輩の背丈は同じくらいだし、不可能ではないはずだ。
「ねえ、絵桐さん。その人本当に廣野先輩だった?」
「え? そんなふうに訊かれると自信なくなっちゃうけど、でもあの後ろ姿は間違いなく姫幸先輩だと思う。背が低くて、白衣に金髪といったら姫幸先輩以外考えられないし……。うーん、でも妙な違和感があるのも事実なのよね……」
「違和感?」
「そうねぇ。敢えて挙げるとするなら、威圧的なオーラが感じられなかったというか……。まあ、それは私個人の感覚の問題だから根拠としては弱いんだけど、もっと決定的におかしな点が一か所あったような気がするのよ。でもそれが何なのか分からなくて……ああ、すぐそこまで答えが出かかっているのにもどかしい!」
絵桐さんは腕組みして、スリッパで地面をトントンしながら唸っている。絵桐さんがこれほど悩む場面は新鮮だったが、いまはそれどころじゃない。なんとかして、その“間違い探し”の解答を見つけないと。
後ろ姿で得られる情報は限られている。せいぜい相手のおおまかな身長、体格、服装、髪の色くらいだろう。白衣を着ていたのなら、大体膝下あたりまで身体的特徴は隠れてしまうから、目に見える部分といったら頭と……。
その瞬間、私の中に稲妻めいたものが奔った。ひょっとしてこれが、“謎はすべて解けた”というやつなのかもしれない。
私は興奮する気持ちを抑えて、絵桐さんに確認する。
「絵桐さん。その違和感って、ひょっとして───じゃない?」
すると絵桐さんは、両手をパンと打ち合わせて叫んだ。
「そう! それよ、私が感じた違和感の正体は! 佐倉さん、見てもいないのによく分かったわね」
やっぱり。だとしたら、次の目的地は決まった。
すなわち廣野先輩が向かった先───旧校舎だ。
Act3 旧校舎 12:38
放課後は部活動でにぎわう旧校舎も、昼休みにはほとんど人がいない。やや薄暗い校舎の中を、そろそろと忍び足に近い速度で慎重に歩く。ここは古い木造建築のため、少し体重をかけるだけでも廊下がぎしぎしと悲鳴を上げる。普段はみんなばたばた走り回っているせいでまったく意識しないけど、一人で歩いてみるとこれがけっこう恐怖心を煽る。廊下の影から死んでいる類の者が飛び出してきてもおかしくない。……や、ほんと冗談ではなく、笑えない。
スカートのポケットから携帯をそっと取り出して時刻を確認すると、目映いディスプレイに12:38という数字が浮かんだ。昼休みが終わるまであと二十分弱。それまでに希ちゃんを見つけられれば、私の勝ちだ。
少しの物音も聞き洩らさないよう、私はゆっくりと校舎内の教室を一つずつ確認していく。
視聴覚室。ロリコン同好会。ゲーム研究部。オタク文化研究部。文芸部。その他様々な文化系部室。
しかし、どこにも希ちゃんはいない。成果が上がらないまま、時間だけが過ぎていく。
その現状に、焦りばかりが募っていく。もはや時間の感覚が分からない。
いま何時?───でも、もう一度携帯の時計を確認するのが怖い。
まだ昼放課終了のチャイムは鳴ってないから大丈夫。───本当に?
あと数秒後にチャイムが鳴るかもしれないよ?
もう一人の私が、私の意識に反した囁きを繰り返す。その連鎖に押しつぶされてしまいそうで、自然と心拍数が上がり呼吸が乱れる。
希ちゃん、一体どこにいるの……? いるなら返事してよ……。
もしかして私の推理は外れだった? もう廣野先輩が先に見つけてしまったかもしれない……。
そのとき、閉ざされた負の思考回路に陥った私を救ったのは一通のメールだった。
[Date] 12/16 12:54 [From] 穂花
[Sub] 姫幸副部長はお手上げみたい [Temp]
[Main] あのね。さっき姫幸副部長がうちのクラスに来たんだけど、プール更衣室やクラブ棟には希ちゃんはいなかったみたい。姫幸副部長はこれから実験棟を捜してみるらしいけど、時間が時間なだけにかなり苦しいって言ってた。真奈美のほうはどう? もしまだ見つけられていなくても、時間ぎりぎりまで諦めちゃ駄目だよ。決して諦めないトコロが真奈美の長所なんだから。じゃあ、頑張ってね! 穂花
そのメールは私の中の悪魔を払拭してくれた。うん、ありがとう、穂花。私、最後まで自分を信じてみるよ。
携帯をポケットに突っ込み、一度大きく深呼吸する。大丈夫。あと五分もあるんだ。諦めるにはまだ早い。
私は頭の中で推理を再開する。
希ちゃんがこの旧校舎のどこかにいることは間違いないと思う。しかし、どの教室にも姿が見当たらなかったのも事実だ。ということはやっぱり別の場所……?
いや、違う。私が見つけられないのは、希ちゃんの気持ちになりきれていないからだ。
希ちゃんならどこを隠れ場所に選ぶだろう。───その解答が直接希ちゃんの居場所に結び付くはずなんだから。その、最も簡単で、最もシンプルな答えさえ分かれば……。
私はもう一度、一から考え直す。
そして、携帯の時計が12:57を示した頃、ようやく答えにたどり着いた。
Act4 屋上 12:59
階段を一段飛ばしで駆けあがって、旧校舎の屋上へと出る。ひゅう…と吹く冷たい寒風が私の頬を撫でていった。屋上は驚くほど殺風景だ。どこまでも平坦。視界を遮るものは無く、周りを見渡せばどこまでも蒼い空が広がっている。
いや、ただ一点。そこには黒い影があった。
ツインテールをなびかせ、空を背後に屹立する小さな人影。
「希ちゃん!」
私は思わず希ちゃんに駆け寄った。そして、その小さな体を思いきり抱きしめる。
「えへへ、見つかっちゃったか。あと一分遅かったら、あたしの勝ちだったのに」
「ふふ、残念だったわね。パートナーである私には何もかもお見通しなのよ」
もちろん強がりだ。内心では泣きたくなるほど、ほっとしていた。廣野先輩を出し抜いたことよりも、希ちゃんの温もりにもう一度触れられたことがなによりもうれしかった。
「でもよく分かったね。あたしがここにいるって」
「当然よ。だって、“魔術師”に最も相応しい場所、ロマンを感じられる場所といったら屋上しかないもの」
「なるほど。真奈美ちゃんも“魔術師の美学”を理解してきたようね。それでこそ、あたしのパートナーよ」
……本当は“魔術師の美学”とやらはさっぱり分からないんだけど、希ちゃんの笑顔を壊したくなかったので、私は最高の笑顔で頷いた。
「で、旧校舎の特定はどうやって?」
「希ちゃん、三十分ほど前、廣野先輩のふりをして購買を横切ったでしょ。それで気付いたの」
「え? あの変装完璧だと思ったのに見破られちゃったのかぁ……」
「白衣と金髪のカツラを用意するところまでは良かったわよ。でもね、オリジナルとの違いはもう一か所あるの。ずばり、そのスリッパ」
「スリッパ?」
「ええ。私たち一年生のスリッパの色は緑でしょ。でも三年生は“青”なのよ」
あっ! と希ちゃんが声を上げる。そう。私たちの学校ではスリッパの色が学年ごとで異なる。一年生は緑、二年生は赤、そして三年生は青なのだ。
「あ~あ、しくじっちゃったか。でも、ま、いっか」
吹っ切れたように大きく背伸びすると、希ちゃんは私の背後に向かって手を振りながら叫んだ。
「もういいですよー。清永先輩、美里先輩」
後ろを振り返ると、屋上の扉から清永先輩と美里先輩、それから廣野先輩が姿を現した。
「いやあ、お見事です! 我々二人は希さんと携帯で連絡を取り合っていたので彼女の位置は把握していましたが、まさか本当に聞き込みだけで見つけるとは驚きです!」
「おめでとう、真奈美さん! このファイナルゲームはあなたが勝者よ!」
惜しみなく賛辞を送ってくれる二人の間から、廣野先輩が一歩進み出る。そして私に手を差し出してきた。
「負けたわ。私の完敗よ。貴女の並外れた行動力と推理力、そして何より希ちゃんへの想いの強さを見せてもらったわ。大丈夫。貴女と希ちゃんなら、きっとこの先に待ち受ける数々の困難も乗り越えられるでしょう。───あなたたちは最高のパートナー同士よ」
少し意外だった。廣野先輩が自分以外の人をこんなに素直に褒めるなんて。
でも、私にはなんとなく分かる。きっと廣野先輩にも大切なパートナーがいるに違いない。決して切れることのない深い絆の意味を知っているからこそ、勝負に負けたにも関わらずこれほど穏やかに笑っていられるんだって。
私は、廣野先輩の手を強く握り返した。
「ありがとうございます、廣野先輩。でも、あの……本当に困ったときはまた助けてくださいますか?」
「……ま、まあ、私も鬼じゃないし、私の力が必要になったときはまたいつでも来なさい」
頬を赤くしつつ、小さく呟いた声は、昼休み終了を告げるチャイムの音にかき消されてしまった。でも廣野先輩の優しさは私たちにしっかり届いている。
そう。私と希ちゃんのパートナー関係はまだまだ始まったばかり。
だけど、この日交わした約束を決して忘れることはないだろう。
いつも。
いつまでも。
私たちは最高のパートナーであり続ける。
はい。これで長かった真奈美 vs 姫幸のバトルは終了となります。いま振り返ってみると、実に四万文字近く書いているんですよねー。最初は一万文字くらいで収まるだろうと思っていたのに、どうしてこうなった……。でもまあ、楽しんで書けたからおk。
この話のおかげで新キャラも色々増えたしね(笑)
ではでは。