失恋
「うわぁ~、俺はもう終わりだ~っ!」
「ハイハイ、さあ飲んで」
居酒屋のカウンターに突っ伏す俺を、後輩の一真は軽くいなして焼酎を注いだ。氷が多めで水は少なめ。長い付き合いだけあって、バランスはばっちりだった。
「あ、あとボンジリとレバ串と肉じゃがね」
「あいよ!」
カウンターごしに塩辛い頭の親父が威勢良く答える。
「大体、総務の女子なんて、我々には高嶺の花だって分かってたじゃないですか」
一真の言葉は的確で容赦ない。
「それでも可愛かったんだよう~。柳原さ~ん…」
分かってる。三十路男の失話恋なんか、誰だって聞きたくないだろう。けれど、1年越しの恋だったのだ。
「長い髪とか、小さくて柔らかそうな身体とか、うすくピンクのマニキュアを塗った爪とか!」
「ああ、彼女ナチュラル系でしたもんねぇ」
一真はうんうんと相槌を打つ。
「内線もすごく優しいしゃべり方で『古市さん、請求書の提出お願いします』ってなあ…」
思い出すとまた涙がこみあげてきた。
「ハイハイ、いいから飲んで忘れましょう。ね?」
「忘れられない~」
「ったく…、おっちゃん、生中追加!」
「へい!」
「一真ぁ、やっぱ設備なんて裏方はダメなのかなぁ…」
「まぁ、地味ですしねぇ。そもそも、我々の仕事なんて誰も把握してないでしょう」
ばっさり切り捨てられて、俺はひたすら項垂れるしかなかった。
俺や一真が勤める商業ビルの設備部は、主な仕事が熱源管理やその運営となっている。普段は三階の隅にある中央監視室でガスや空調、電気、水質等のモニタリングをしているが、地下のボイラー室やコージェネなんて、一般社員はどんなものか、と言うよりその存在さえ知らないだろう。制服だって地味な作業着系。他の社員の目に着くのは、せいぜい照明灯の交換くらいだ。
「不況のあおりで我々はどんどん営繕部と化してますしねぇ」
一真は肉じゃがをつつきながら、苦笑した。
以前は大抵業者に修理を依頼していたものが、会社の予算の関係で「できるものは自分達で」と修理が回ってくる様になったのだ。おかげでプールの排水詰まりから外周の植木の剪定、宴会が壊したテーブルの溶接まで面倒見ている次第。おかげで溶接やら養生やらやたら上達してしまった。まぁ、それは別に良いのだが。
「一真ぁ、俺ってダメな男かな。いいとこ全然ないのかなぁ」
「そんな事ないですよ。ボイラーブローとか丁寧で的確だし、冷水と冷温水のヘッダーバランスも絶妙!」
「そんなの、専門過ぎて一般女子のアピールにならねえだろうが!」
「じゃあ…背が高いから九尺の脚立でも音楽ホールの管球交換ができるとか…」
「背だけかよ!」
ちなみに脚立は尺で数える。一段1尺(約33センチ)だから、九尺だと2.7メートルと言ったところだ。とは言え、脚立は一番上には乗るのは禁止だから、俺の身長&手の長さを合わせて約4メートルまでは悠々届く計算。…本当にどうでもいいな。
「どう言って欲しいんですか!」
「俺が幸せになれるって言ってくれよ~」
一真は呆れて溜め息をつく。けれど、子供をあやすように言ってくれた。
「古市先輩はいい男です。きっと幸せになれますよ」
「…本当に?」
上目遣いで聞き返す。
「本当です」
「本当に本当?」
「ええい、くどいわ!」
後ろから背中をどつかれた。
一真が入れてくれた酎ハイを啜りながら、柳原さんに思いを馳せる。今、俺の隣にいるのが彼女ならいいのに。長い髪を揺らして笑ってくれてたら幸せなのに。いるのはでかくて眼鏡をかけて短い髪の一真だけ。
なあんて、こいつに聞かれたら畳まれそうな事を考えてたら、変なものが目に入った。
「…れ? お前ピアスなんかしてたっけ」
「…たまに。仕事中は外してますが」
薄い耳朶に小さく光る石が左右ひとつずつ。ピアスなんて今時珍しくもないが、こいつがそんな小洒落たもんつけてるとは思わなくて驚いた。えーと、俺より五つ下だから、今26だっけ?
「へ~~~」
「………」
「ほ~~~」
「………」
「ふ~ん」
「何ですか!」
「ちくしょう、パリっとしたかっこしやがって!」
「別にいいじゃないですか」
「あのなぁ、比較物件が良ければ俺の評価は下がるんだよ。お前、結構ほかの部署の女の子とも喋ってるだろう」
「それは…」
「それは何だよ!?」
「うちは厳ついおっさんばっかで話しかけにくいって言うから…」
それは本当だ。親方の五十になる課長を始め、総勢八名、全体的にごつい。固着したバルブの開閉や薬液の運搬など、必然的に力仕事は免れないから仕方ないのである。その中にあって、一真は比較的細いし若い。その一真さえ、軟水器用の塩袋30キロを、一人で持ち上げたりするのだが。女子が話しかけやすいのも分からなくはない。俺だって若手の部類に入るんだけどなー。
「ちくしょう、こざっぱりした格好しやがって」
完全に八つ当たりだった。後輩の癖に先輩よりもてるとは生意気じゃないか。
「悔しければ古市先輩も制服にアイロンかければいいじゃないでしょう!」
制服にアイロンなんかかけてたのか、こいつ。同じ制服でも印象がちがう訳だ。
「馬鹿野郎! 汚れるのが当然の裏方に、アイロンなんて必要あるか!」
「ハイハイ。いいから飲んで下さい」
酔っぱらい相手に付き合ってられないと言った風情で、一真は片手をヒラヒラふる。
「一真ぁ」
「何ですか?」
「慰めろ!」
「慰めてるじゃないですか」
「ちくしょー…」
「はいはい。古市先輩はイイ男ですよ」
「もっかい言って」
「…おっちゃん、生中追加!」
「一真ぁ…」
泣きの入った俺を横目に、一真は黙々と白和えをつついている。
それがその晩の最後の記憶で、あとはよく覚えていない。
………筈だった。