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wish  作者: 優吏
3/18

作戦

 それからそのまま三人で作戦会議を開いた。

 その前にずっと自己紹介をしていなかったのを思い出して、やっと名前を伝え合う。

 ケイは高橋(たかはし)圭介(けいすけ)。隼人は本城(ほんじょう)隼人という名前で、二人とも幼なじみで二十歳だと言った。

 二人が同い年には見えなかった。確かにお互いタメ口で話していたけど…。

 ちょっと歳上の自分にもタメ口だったが、それは隼人のみだ。それよりケイが幼く見えるのが一番の原因だと思えた。

「ほら、やっぱりびっくりされてる」

 隼人がケイをからかっていた。

「うるさい」

 ケイが一喝したことでこの話はここで終わった。

 隼人は分かり易いほどさっさと本題に話しを戻す。もしかしたら、いざというときはケイの方が強いのかもしれない。

「作戦っつーか、簡単な話。俺たちがあの前で暴れるから、その隙に朔良が中に入るんだ。それだけ」

「ええっ?」

 隼人の大胆な発言に、朔良は思わず大きな声をあげた。二人が必死にそれを止める。

「うるせえ!」

「しっ!静かに」

 店内の視線がこちらに集中した。恥ずかしくなって、ごめんと声を(ひそ)めた。

「でもそんなに上手くいくかな?」

「あの人混み相手に、ちょっとやそっとの騒ぎじゃ無理だろうな。だからと言って入る前に捕まったら意味がない」

「だから夜にやるんだよ」

 ケイがそっと後に続けた。

「ふうん。夜に…ねえ………」

 でも、そんなに待てない。(はや)る気持ちを朔良は抑えた。

「大丈夫です。榊原さん」

「え?」

「きっと大丈夫です。間に合います」

 ケイを見ると彼は安心させるような笑顔を向けていた。

 異様に勘が鋭い。

 隼人が言った言葉が蘇る。こういうことか、と朔良は実感した。

「まあな。こういう立て籠りは長期戦になるだろうな。特に犯人側にしっかりとした狙いがあるから」

 ケイの言葉を聞いた隼人もその意味を読み取ったようだった。

 そのフォローにまわっている。中々良いコンビのようだ。

「分かった。ありがとう」

 朔良はとりあえず微笑してそう答えた。

 複雑な心境を必死に隠す。隠しても無駄かもしれない、とも思ったが。


   * * *


 それから打ち合わせは続き、一旦別れて再び夜に落ち合うことになった。

「いろいろ準備あるだろ?」

 と隼人が言っていたが。

(準備ねぇ)

 朔良は殺風景な自分の部屋の中で、腕を腰に当てて立ち尽くしていた。

 特に思い当たらない。

 朔良はただ崇史に会って伝えたいことがあるだけだ。それから止めたいと二人には語ったが……。

(止める…?)

 自分でも意外な想いだった。だが、一度口に出した言葉は言霊となって朔良を捉えて離さない。それは確かに心の根底に存在していた想い、だった。

 どこかで蓋をきつくして閉まったものが、ここへきて湧き上がっていく。

 これがパンドラの箱ではないことを祈る。

 いつもならこんな無謀なことはしない。恐怖と億劫で、きっと何もしない。

(でも………)

 今回、朔良には思うところがあった。

(志保…)

 今はもうどこにもいない自分の友人を想う。

(違う。ただの友達、じゃない…志保は)

 ケイには、ばれているのだろうか。そのことが内心気になっていた。

 ―――準備か…。

 もう一度改めて考慮した。しかし自分には、銃やら防弾チョッキなどというものは持っていないし、手に入らない。

 だからと言ってナイフや包丁なんて持っていく訳にもいかなかった。

 おそらくそういうことではないのだ。そんなもの持っていったところで、崇史を止められない。

 それどころか余計に流れが悪くなる可能性が高い。

 ―――必要なのは自分の覚悟。

 なんとなく、の気持ちではあらゆる面で負ける。

 ケイに少し見透かされたぐらいで動揺する、そんなブレた心では行動にも迷いが生じるのだ。

 それは最悪の結果を生み出すだろう。

(私は……本当は、何をしたいのかな…)

 朔良は残された時間でじっくり自分の心に問いかけた。


   * * *


 夜が深まり、朔良は約束した時間に合わせて待ち合わせ場所に向かった。

 時間は夜の十時。場所は交通規制された区間から、少し離れた場所にあるダーツバー。

 隼人が良く行く店らしい。

 行ってみると、そこは賑わう通りを一本外れた所で、暗がりの路地裏にあった。

(怪しい…)

 明らかに怪しくて、女性が1人で入るには勇気がいるビルだった。

 地下へ続く階段がある。朔良は迷わず下って行った。

 これまで充分迷った。今さら躊躇うつもりはない。

 それにすでに隼人と打ち合わせはしてある。ガラは悪いけど良い奴らだから、と無垢な笑顔で言っていた。

 彼を信じれば、の話しだが。なぜか猜疑心(さいぎしん)は最初から無かった。

 階段を下りきると、突き当たりの扉には手書きのスプレーで店の名がアルファベットで書かれてある。

(だーくきる…)

 朔良は首を傾げて扉をさっさと開いた。

 センスを疑う。深くは考えないようにしようと切実に思った。

 店内に入ると、そこは暗くどこか埃っぽい。

 一斉にその中にいた十五人くらいの視線を集めて、朔良は一瞬そのまま帰ろうかと本気で思う。

「朔良!」

 その中から隼人が声を掛けてくれたので、何とか思いとどまったのだが。

 隼人が朔良の元まで駆け寄ると、視線は朔良から外された。

 ほっとして改めて辺りを見直す。客層は皆、隼人のような格好をしており、三割が女性だった。

 大きめのショルダーバッグを肩に掛け、動きやすい格好を選んで、ダウンコートとジーンズで来ていた朔良は確実に浮いていた。

 全員が(たの)しそうな顔をしている。しかし誰もアルコールは飲んでいないようだった。

 ダーツは遠慮がちに奥の方に設けてあった。誰も今はやってる者がおらず、寂しい空間と化している。まるでおまけのようだな、と朔良は思った。()()()バーなのに。

「時間ぴったりだな」

 そんな思考をしているとは知らない隼人が、笑顔で迎えてくれた。

「うん。ケイくんは?」

「あいつはこういうとこ来ねえから」

「………だろうね」

「あ、てめえいま、偏見もったろ?」

 隼人のふてくされた顔に朔良は軽く笑った。

「そんなことないよ…それより…本題なんだけど」

「ああ」

 隼人は頷くと、カウンターの奥にいる店員らしき男の人のところまで、朔良を連れて行った。

 歳は朔良より少し上のようだ。

 客と同様の雰囲気を持っていたが、どこか落ち着いた感じがした。店員()()()と思うのは、制服などは特にないようで、明らかに私服と思われる黒いジャケットを着ていたからだった。インナーの白いシャツがよく映えていた。

一樹(かずき)さん。朔良です」

 隼人がその店員に自分を紹介した。

 そういえば隼人は最初から自分を呼び捨てだな、と朔良は今頃認識した。気にしなかったのは朔良も同じだが。

 その隼人が敬語を話すということは、この一樹という人をかなり尊敬しているのだろう。

「朔良、この人が鈴木(すずき)一樹さん。ここのマスターで」

 それから、と隼人は続けた。

「今回、協力してくれる人だ」


   * * *


 一樹とお互い挨拶を交わして、朔良と隼人は並んでカウンターに座った。

 昼間隼人が話した計画には、この一樹が必要不可欠だった。当然その時には、一樹が協力してくれるか否か分からない。しかし隼人には自信があったようだ。

 実際に朔良と別れたあと話をしたとき、一樹がそれを承諾したことを隼人は説明した。

「本当に良いんですか?」

 朔良は注文したカクテルを手にして改めて尋ねる。すると一樹は驚く新事実をさらりと言った。

「俺は、崇史や亮と友人だろ?」

「えっ!そうなんですか?」

 朔良が(きょう)(がく)の声をあげると、一樹は隼人をちらりと見た。

「言ってなかったのか?隼人」

「言ってなかったっけ?俺」

「聞いてません」

 思い切り冷たく言う朔良に、視線を逸らしてそうだっけ?と隼人は誤魔化していた。

「クラスメートだったんだ。今でも付き合いがあって、二人が何やら不穏な動きをしていたのは知っていた。だけど、こんな事態になるまで止められなかった。…崇史が、追い詰められているのには気づいていたのに」

 一樹は淡々と話していたが、時折見せる顔が辛そうに(ゆが)む。

「悔やんでいたところに、隼人の話がきたんだ。乗らない手はないだろ?」

 一樹はそこで朔良を見た。

「君は崇史を止めたいと言ったそうだね」

「はい」

 朔良にもう迷いは無かった。力強く頷く。

「それは笠原さんが関係してるのか?」

 そこで初めて志保の名が出た。

 隼人とケイとの会話では、なぜ朔良が崇史を止めたいのか…というところを突っ込んで訊いてこなかった。それはケイが何かを感じ取ったせいなのか、たまたまの流れなのか朔良には分からない。

「そうですよ。私は冬馬さんのこと、正直あまり知りません。だから私が動くのは志保のためだけなんです。こんなこと…志保が望んでいないって、私には分かりますから」

 そう、すべてはそういうことなのだ。

 一樹はきっぱりと言う朔良に優しく微笑みかけた。

「うん。充分な答えだ。安心して俺の仲間を貸すことが出来る」

「へ?」

 間抜けな声を出してしまった朔良に、隼人がとんでもないことを言った。

「ここにいるみんなで、あそこにいる警察の前で暴れるんだぜ」

「………それは、すごそうだね」

 目をキラキラとさせて語る隼人をよそに、朔良はそっとカクテルを飲んだ。

 どうなることやら。目がそう語っていた。

「俺も行くよ」

 後ろから声が聞こえて朔良と隼人は振り返る。

 そこには昼間と同じダッフルコートを着たケイが立っていた。

「ケイ!何で来たんだ?」

 真っ先に反応したのは隼人だった。立ち上がってケイに詰め寄る。

「気になって。俺だって何か出来ること無いかなって思ったんだ」

「馬鹿!親御さんがまた心配するぞ」

 ケイは親という言葉でピクリと反応したが、それには触れず素っ気なく答えた。

「大丈夫だよ。隼人だって行くんだろ?」

「俺とお前は違うだろ!」

 何故か隼人は真剣に止めたがっているようだ。確かにケイには危険なことは似合わない。

「そうやって隼人はすぐ差別するんだね」

「差別って…違うだろ?区別だ!」

「同じだよ。いつも偏見の目で見られること嫌がるくせに…、いま俺に対して言ってるの、それと同じだからな!」

「な………」

 一瞬だけ隼人が絶句した。

「何てこと言うんだ?俺は心配して言ってんだぞ!」

 しかし隼人は止まらない。

 突然始まった二人の喧嘩に、朔良は呆気にとられて見ていた。

 周りで飲んでいた皆も注目し出している。

「別に頼んでないよ!いつも隼人は過保護すぎるよ!」

「お前なあ!人の気も知らないで!」

「何だよ!榊原さん見つけたの俺だよ!」

「!」

 突然自分の名前が出てきてドキリとした。

「そういうことじゃねえだろ!」

「どういうことなんだよ!」

 まだ喧嘩を続けようとする二人に朔良はちらりと一樹を見る。別に止めるつもりはなさそうだ。

 それを確認すると、そっとため息をついて朔良も立ち上がった。

「とにかくダメだ。ケイはすぐ帰れ!」

「嫌だ!止めたかったら止めてみろよ」

 断固として突っぱねるケイにとうとう隼人は頭に血が登ったようだ。

「ケイ!」

 叫ぶのと同時に隼人は右腕を振り上げる。ケイは咄嗟に目をつむった。

 隼人の拳は容赦なくケイを捉える。

 バキッという鈍い音が店内に鳴り響いた。

「痛っ…」

「え?」

 小さく隼人は呟いて、目を見開いた。

 自分とケイの間に朔良がいたからだ。朔良は痛みに顔をしかめていた。

「榊原さん?」

 ケイも驚きの声を上げた。周りも一樹も、事の成り行きを静かに見つめていた。

 朔良は痛みにしばらく耐えると、顔を上げてまっすぐ隼人を見た。

「痛い」

 どこか恨めしげにそれだけ言う。隼人は見るからに戸惑っていた。

「な、何やってんだよお前」

「榊原さん、どうして…」

 ケイも訳が分からないようだ。

(こういうところは読めないのか…)

 すべてに勘が働くようではないようだ。それだけで少し安心してしまう。

「あのね、二人ともうるさいの。いまは時間が惜しいの。それで、やっぱり痛いのよ」

 そこでわざとらしく朔良は左頬を押さえた。痛いのは確かだったが、あまり深刻にならないように明るく言う。

 二人の事情なんて知らないから、口を挟むつもりは無かった。ケイが参加することが、良いことか悪いことかなんて分からない。おそらく一樹もそれで見守ったのだろう。

 しかし隼人は、いくら朔良に明るく言われても困惑していた。

 どう答えれば良いのか迷っているようだ。

「あれ?もしかして女を殴ったの初めて、とか?」

 朔良はつい、そんな隼人にからかうような声で言った。

「朔良…」

 隼人は苦しそうに顔を歪めた。朔良の想像する以上に、薬が効いてしまったようだ。

「榊原さん大丈夫?」

「大丈夫だよ」

 心配そうにいうケイに、苦笑気味に答える。

「朔良さん。冷やした方が良い」

 ずっと黙っていた一樹は、その間おしぼりを氷に冷やしていてくれたようで、それを渡してくれた。

「ありがとうございます」

 素直に受け取り、左頬にあてた。それを見届けると一樹は隼人に目を向ける。

「隼人。何か言うことあるだろう」

「あ、私が勝手に殴られただけだから」

 朔良は必死でおしぼりを持ってない方の手を横に降った。思いの外ダメージを受けている隼人に気を遣ったのだ。

 隼人はこちらを見ずに、何とか声を振り絞る。

「朔良……ごめん…………」

 朔良はふっと笑った。

「大丈夫だから」

 そしたらケイも口を開く。

「俺もすみません」

「いいえ」

 朔良が笑いかけると、ケイは安心した顔で隼人を見た。彼はどこか泣きそうな顔をしている、

「隼人も…ごめん、言いすぎた」

「いや俺こそ…ごめん…」

 仲直り成立。少々痛い犠牲をはらったが、これくらいなら安いものだ。朔良はおしぼりで冷やしながらそう思う。

 するとケイが悪戯っぽい笑いをした。

「でも、やっぱり俺も行くから」

 そこで朔良は目を丸くした。隼人が思いっきり嫌そうな顔をして、それが先ほどまでの表情から百八十度変化したからだ。

「お前なあ」

 がっくりと肩を落とした。ここで隼人の負けが決まったようだ。彼は()()になって叫ぶ。

「分かったよ!どうなっても知らないからな!」


   * * *


 約束の時間は刻々と近づいてきていた。

 Dark Killにいたメンバーは、一樹の号令で一度集まって三チームに別れた。

 朔良は一樹と行動を共にする。

 それを会わせると全部で四台の車と八台のバイクが用意された。もちろんすべてにナンバーは隠されている。

 所定の位置に向かって行く車内の中で、一樹は助手席に座る朔良を一瞥した。

 ギリギリまで頬は冷やした方が良いと言って、新しいおしぼりを渡した為、素直にまだおしぼりを当てている。右側から窺えた表情には、どこか緊張した面持ちをしていたが、その目に迷いや恐怖は無いようだ。

 先ほどは内心驚いた。椅子から立ち上がった時は、止めようとするのだろうと感づいた。

 試すように観察してしまったが、まさか朔良が殴られることを選択するとは思わなかった。

 店に来るような連中ならともかく…。

「朔良さん」

 一樹が朔良に声を掛けると朔良はこちらを向いて微笑んだ。唇の端が痛々しい。

「呼び捨てで良いですよ」

 とてもこれから警察に反抗するとは思えない笑顔だ。

 とはいえ、隼人は名前しか紹介しなかった。隼人の友人が呼んでいた名字を思い出す。

「じゃあ榊原」

「はい」

「なぜあんな無茶なことをしたんだ?」

「無茶?」

「隼人が殴ろうとしたのは分かっただろ」

 朔良はフロントガラス越しに正面を見据えたまま答えた。

「止めなくちゃと思ってはいたんですが…隼人くんが本気だったのは伝わってきたし、ケイくんも引かないなって(わか)ったので……的確な言葉が見つからなかったんです」

 そこで一旦言葉を切った。おしぼりの表面を丁寧に裏返している。

「そしたら隼人くんの腕が動いたのが見えて………あとは体が勝手に動きました。一発でその場が収まるだろうなとは思ったし…って、これ後付けですね」

 ははは、と軽く笑っている。

「危険だな」

 一樹はぼそりと呟いた。

「え?」

 小声すぎて聞き取れなかったらしい。

「何でもない」

 それだけ答えると一樹は車を停めた。

 すぐ先では警察の規制が行われている。停車したのは警察からは死角になる場所だった。

 ここはビルの裏口にあたる方向で、表よりは規制が甘いことは数時間前に確認済だ。最も、確認したのは信頼のおけるDark Killのメンバーなのだが。

「もうすぐですね」

 朔良が興奮気味に呟いた。

 彼女は勇敢だと一樹は思う。最初に隼人からこの話を持ちかけられた時は、正直どこの成り上がりが無謀なことを言っているのか、と思った。

 しかし実際に会ってみて驚いた。見た目で判断するべきでは無いとは思うが、彼女には(すさ)んでいるところは感じないし、とても修羅場を(くぐ)ってきたようには見えない。

 志保のため…と言った時の朔良の目を見て納得した。それだけ純真なのだ。

(だが………)

 朔良にはそれ故に危険なところがある。

 先ほどの件もそうだ。別に殴られなくても、他にもいくらでも隼人を止める手段はあっただろう。

 一樹の仕事は彼女を中に送り届けること。

 しかし本当に朔良を一人で向かわせても良いのだろうか?

 亮は何をしでかすか分からない奴だ。普段ならば、崇史がいれば無謀なことはしないが、その崇史が今は普通じゃない。今や亮より危険かもしれないのだ。

 ―――決行まであと三分…。

 おもむろに一樹は携帯電話を抜き出した。表の通りに待機しているはずの隼人を呼び出す。

「一樹さん?」

 朔良がこちらを見て首を傾いでいた。構わず隼人を待つ。

「はい。こちら隼人」

 隼人は緊張感たっぷりの声で応答した。

「隼人、今すぐこちらに来れないか?」

「ええっ?」

 突然の申し出に、想像通り隼人は驚きの声に変わった。

「友達と一緒にこっちに来るといい。裏口の方が安全………」

「了解!」

 ……だとは思わないか?と聞く予定にしていたのだが…。隼人はあっさり一言だけで携帯を切った。

 一樹は苦笑しながらため息をつくと、携帯をポケットに押し込んだ。

 朔良は突然の計画変更にきょとんとした顔で一樹を見ていた。

「一樹さん…もしかして…」

 そして朔良は何やら感づいたようだった。一樹は笑顔でそれに応じる。

「マジっすか?」

 彼女らしかぬ言葉であった。その心情は容易(たやす)く想像できた。呆れているのだろう。

 しかしそれ以上は何も言わなかった。だから一樹も沈黙して隼人を待つ。

 車内のデジタル時計が開始時刻を示した。23:00きっかり。

 一樹は車のエンジンを掛けて窓を開ける。朔良もシートベルトを外してショルダーバッグの紐を握りしめた。

 しばらくすると遠くが騒がしくなる。始まったのだ。それだけ確認して一樹は窓を閉めた。

 まだ隼人達は来ない。

 一樹も朔良も隼人達が来る(はず)の道と、車内のデジタル時計とを交互に見る。

 23:04になった時、朔良が先に見つけた。

「来た!」

 遅れて一樹も視線を移す。

 まずは隼人の走る姿が見えた。数歩後ろにケイの姿。ケイはかなり全力疾走しているのが見ただけで分かった。隼人がケイを気にしながらもまっすぐこちらに向かって来る。

 一樹がギアを入れてゆっくりと車を発進させた。隼人達に向かって進める。

「警察やマスコミは表に気をとられて向かい出したみたい!」

 すると朔良側から警察が規制を張る場所が見えたようで伝えてくれる。

 しかし全てでは無かった。手薄にはなっていたが、警備の為だろう、僅かに待機している。

「遅れてすんません!一樹さん」

 隼人が叫びながら後部座席のドアを開けた。

 車は半クラッチで徐行より遅い速度だったが、動いたままだった。

 一樹は警察の方に目を向けたまま冷静に判断する。

「大丈夫だ。間に合う」

 ケイも近づいてきた。隼人がドアを開けたまま右手を差し出す。ケイは迷うことなくその手を取った。手を掴んだ瞬間隼人が引っ張り上げる。二人は飛び込むように車内に入った。

「いてっ」

 勢い余った隼人が左内側のドアに頭をぶつけたようだ。

 思わず声を上げるのと、ケイが急いでドアを閉めるのと…一樹がアクセルを踏み込むのが、全て同時となった。

 車は悲鳴を上げて急発進する。

「舌噛むなよ!」

 一樹が叫ぶ。思わずそこにいる全員が歯をくいしばった。

 規制テープの先で警察がこちらの異変に気づき出す。警官が数十人警棒を横に振って、止まれと叫んでいるのが分かった。

 車は急には止まれない。迷わずそのまま車は突っ込む。

 止まる気がないと気づいた警官達は、左右に散り散りに逃げた。

 一樹は警官達のいる界隈を過ぎると、ようやく急ブレーキを踏む。車はまたしても悲鳴を上げて、減速しながらも裏口に正面からぶつかった。

 皆うずくまってその衝撃に耐えようとした。しかしその遥かに上を行く衝撃がきて、体は浮いた。

「くっ!」

「きゃっ!」

「いてえ!」

「わっ!」

 苦しい声がそれぞれから漏れる。車はエンストして止まった。

 そして止まるや否や朔良はドアを開けて、鞄を持ち車から出た。代わりにおしぼりが虚しく助手席に投げ置かれる。

 朔良は後ろも見ずに、車のおかげで窓ガラスが割れた扉から中に入った。そして一樹もそれに続く。

「隼人!運転頼む!」

 それだけ言い残して…。

「うええっ?」

 隼人が体勢を立て直しながら驚愕の声を上げた。

 しかし瞬時に理解して後部座席から運転席に飛び乗るのが一樹には見えた。

 満足そうに微笑むと、一樹は急いで朔良の後を追った。


   * * *


 一方、いきなり任された隼人は迷わずエンジンを掛け直し、ギアをバックに入れる。

「ケイ!掴まってろよ!」

 そう叫ぶとクラッチを離しながらアクセルを踏み込む。

 後ろでは警官がこちらに近づいてきていた。バックミラーと左右のドアミラーを酷使し、ギリギリの一歩()で急ブレーキを踏む。

 さすがの警官は、鍛えぬかれた運動神経で接触を免れている。

 隼人の直感は冴えていた。

 すぐにギアをセカンドに入れ、ハンドルを右にいっぱい切りながら、半クラッチでエンジンを噴かすように急発進した。

 しかし前には三人の警官と、その先には停車中のパトカー。

 そのギリギリでブレーキを踏みながら、素早くギアをバックに入れ直す。障害物や人でまわりきれないことは分かっていた。

 それから切り替えを二回、同じように勢いをつけて繰り返す。

 その間、何回か勇気ある警官に近寄られバンパーやフロントガラスを叩かれた。

 バンパーがひん曲がったのが見えたが、フロントガラスの強度は完璧だった。

 しかしエンソトでもしたら終わりだ。隼人の左足はクラッチを上手く使わなければならないという緊張で力が入っていた。

 そこに注意しながらもう一度切り替えをして、やっと車は元来た道へ進むことが出来た。

 抑えることは無理だと気づいた警官が離れだす。そしてパトカーに乗り込むのがバックミラーから見えた。

 ここでやっと隼人は遠慮無く速度を上げることが出来たのだ。

 この一連の流れは時間にしては短いものだったが、隼人にはひどく永く感じた。

「は、隼人…すごい…」

 それまで歯をくいしばって、硬くなったままだったケイがやっと口を開く。

「まだだ!」

 しかし隼人の表情はまだ緊迫していた。

 後ろからパトカーがサイレンを鳴らして追ってきていたのだ。

「うわっ!どうすんの?隼人!」

「逃げ切るしかねえだろ!」

 隼人は容赦なく赤信号を突っ切った。

「ひえぇぇっ!」

 青ざめながら叫ぶケイの声が夜の街に響き渡っていた。

 隼人の方は、しばらく運転に集中していて何も言葉を発する余裕が無かった。

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