ニュース
「大変!朔良!大変だよ!」
この世の終わりとでも言うかのように、青ざめた顔で沙織里は叫んでいた。いや、実際には携帯電話から通した声のみの情報だったが、おそらくそんな表情をしているのだろう。
朔良には容易に想像出来た。長い付き合いだ。沙織里とは原田沙織里といって、大学から一緒によく遊んだ親友だった。
「二日酔いで会社に遅刻したとか?」
朔良は一番ありがちな沙織里の大変なことを予想してみた。沙織里とは飲み仲間でもあり、今でもよく一緒に飲む。
しかし沙織里はすぐに返してこない。もう少し深刻な話しだな、と朔良は気づいた。
「テレビ見てないの?」
沙織里から案の定恨めしげな声が聞こえてくる。
「テレビ?」
まったく予測しなかった単語に、朔良は小首を傾げた。
そしてテレビにまつわる沙織里の大変なことを考えようとした。
直後、それを制するかのように沙織里がまた叫ぶ。つい、携帯を耳から離した。
「何でも良いからテレビ!テレビつけて見て!」
「いま外なんだよね」
右手に携帯、そして乳白色のコートのポケットに左手を突っ込みながら、朔良は歩いていた。
今日は祝日で今は昼間だ。この前の雪の日とは同じ季節だと考えられないほど温かい。
朔良は陽気な気候に誘われて、一人でブラブラとショッピングを楽しんでいたのだ。給料日前で、ほとんどウィンドウショッピングになってしまっているのが悲しいところだが。
そんな呑気な温度差に苛々しているのだろう。沙織里は容赦が無かった。
「ワンセグでも電気屋でも良いから!早くテレビ見る!」
ブツリと通話が一方的に途切れた。ご丁寧にワンセグを使うように気を使ってくれたらしい。
朔良はため息をついて辺りを見渡した。
ちょうど道を挟んで向かい側のカフェに目が止まった。普段なら通り過ぎてしまいそうな小さな店。休憩がてらそのカフェに入ることにした。
中に入っても少し寂しい客数だった。奥に二人用の小さいテーブルを見つけて、そこに腰を落ち着かせると、メニューの一番初めに書いてあったコーヒーを注文する。
夢中で店をまわり気づかなかったが、足はかなり疲れていたようだ。パンパンに張った脚を思いきり伸ばした。
ああそうだ、と声には出さずに呟き携帯を開く。ワンセグを起動させた。
沙織里はテレビ、と何回言っただろうか。その間に何が大変か言えたのではないか。朔良は少々不満そうに映像が映し出されるのを待った。
頬杖をつきながら、何チャンネルに合わせたら良いんだろう、と思う。しかし映像が移るとその疑問は消えた。
緊急ニュースという文字が右上の辺りに出ていたのだ。恐らくこの時間帯ならワイドショーや情報番組が多いから、どこの局もこのニュースを伝えているのだろう。
朔良は水を飲みながら、しばらくその内容を見つめた。もちろん音声は消している。いくら空いてる店内でもマナーは大事だ。静かなこの場では逆に目立つだろう。
しかしそれで充分だった。画面のテロップから、どうやら銃を持って犯人が立てこもりをしているということが分かった。
深刻そうな表情をさせたアナウンサーが二人、何やら喋っている。
徐々に見入っていたそのとき、注文したコーヒーが置かれた。口に運ぶものが水からコーヒーに変わる。朔良はブラック派だったので、視線を外す時間が省かれた。
画面の中では二人のアナウンサーから、その現場だと思われる映像に切り替わった。
「っ…!」
朔良はその場所に思わず目を瞠った。
あまりの驚きに、コーヒーを口から噴き出してしまいそうな衝動が襲う。必死にそれと戦い、喉に押し込めることに成功した。
「こほ!けほっ!」
しかし防ぎきれなかった僅かな量が気管に入る。慌てて紙ナプキンで口を覆った。鼻にまでダメージがある。
「な………」
痛みを感じながらも、やっと落ち着くとニュースを見直した。遠慮がちに音量を少し上げる。
『犯人達は未だ人質を取り、立て籠っています。銃声が一発聞こえた、という近隣住民の情報を先ほどお伝えしましたが、その後、動きは見られません』
生中継というテロップと共に映し出されたその建物は、朔良のよく知る場所だった。
その前でスーツを着た男性が一人、実況中継している。
そこは朔良が沙織里とよく行っている、ダイニングバーが入っているビルだったのだ。
しばらくするとスタジオに移り、そして次に犯人の顔写真が二枚並べて映し出された。
「え、えー…」
つい変な声が出た。
『犯人は黒江亮容疑者と冬馬崇史容疑者、どちらも二十七歳です。………』
まだアナウンサーの情報は続いていたが、朔良の耳までは届かなかった。その写真の一人を穴が空くほど見つめる。
一人…知っている顔、だったのだ。
しばらくニュースを見ると朔良はチャンネルを変える。やはりどこの局もこのニュースで持ちきりだった。それを実際に確認するとワンセグを閉じて、慌ててコーヒーを飲み干し店を出た。
あまりに静かで電話をするのも気を遣う。それに、これからするだろう会話の内容も聞かれたくなかった。
外に出るとすぐに着信履歴の一番上を呼び出す。
沙織里は待っていたようで、コールもしない内にいきなり叫んだ。
「朔良!見た?」
「…見たよ、びっくりだねえ。コーヒー噴くかと思った」
歩きながらも、朔良はやはりどこか呑気な声を出した。
「なに悠長なこと言ってんの?あの冬馬さんがまさかこんなことを…」
それに反して沙織里はショックを受けているようだ。途中から不自然に言葉が途切れる。
そう、二人の共通の知り合いである冬馬崇史が犯人の一人だったのだ。
「多分志保のことだよね。冬馬さんが警察に要求してること」
「え?そんな情報あった?」
沙織里の言葉に朔良は歩きながら訊いた。
「まだ公表されてないみたいだけど、俊くんが言ってたの。冬馬さん昨日、警察の不満が溜まってて、店で酔って暴れていたって」
俊とは河口俊と言って、二人の飲み仲間の一人だ。 最近は特に沙織里と仲が良い。
「志保のことで?」
志保も飲み仲間だった一人だ。
笠原志保は、半月前にその短い人生を終えてしまった。朔良や沙織里と同い年だった。
あのダイニングバーで知り合い、仲良くなった友人。彼女は自分のマンションからその身を投げたのだ。遺書などは見つかってない。だが警察は事件性がなく、自殺だと判断してしまった。
まだこの話しになると、そこに黒い影がよぎる。沙織里は落ちた声で教えてくれた。
「そう。志保のこと、警察は自殺で片づけたでしょう?だから凄く荒れてたみたい。絶対ちゃんと捜査させてやるって」
崇史は志保と婚約していた。そう、もうすぐ結婚する予定だったのだ。日取りも決まっていた。
そんな時に自殺なんてあり得ないと、よく飲みの席で崇史は不満を漏らしている。朔良もその光景は目にしたことがあった。崇史の丸くなった背中が思い出される。
「じゃあやっぱり、いま立てこもってるのってMIYOSHI?」
MIYOSHIはその飲み仲間が集まるダイニングバーの名前だ。先ほどのビルの六階にある。
「うん。一度、帰って行ったって俊くんが言ってたから…多分、閉店間際にまた来たんだろうね」
なるほど。朔良は心の中だけで納得した。
追い詰められていた崇史は、それから仲間を引き連れて戻って来たのか。どこからか銃なんてものを手に入れて。
「本当にどうしちゃったんだろう。あんなに優しい人だったのに………あんな人と一緒にいるから、抑えられなかったのかなあ?」
「一緒にいる犯人、知ってる人?」
心配そうな沙織里の口から出た言葉に、朔良はふと疑問を投げ掛ける。
駅前まで歩いてきていた朔良は、ベンチを見つけると注意深く眼を動かした。最近新しくできたベンチで、汚れは見つからない。それを確認すると、携帯を耳にしたまま腰掛ける。
「本当にニュース見たの?」
「見たけど…あんまり音声だしてなかったから」
沙織里から出た不満気な声に、軽く笑って朔良は誤魔化した。電話の向こうでため息が聞こえる。
「黒江亮って人、暴力団にいるんだって。ニュースで言ってたよ。なんでそんな人と知り合いなんだろう」
「ふうん。それで銃なんて手に入っちゃったんだ」
「どうしよう朔良!あの中に三吉さんいるんだよね?他にも最後までいたお客さんも残されてるみたいだし。知ってる人、他にもいるかも」
沙織里は泣きそうな声になった。
三吉というのは言わずと知れたMIYOSHIの店長だ。不思議な魅力を持った人だった。笑顔がいつも爽やかで、なにより、万人に好かれているのが雰囲気からにじみ出ていた。
同じ空間にいるとそれは伝染するようで、MIYOSHIはそのおかげで常連客が多かった。最初はもちろん、知らないお客同士だったのが気づいたら仲良くなっていく。そういう仲間が何人か朔良達にもいたのだ。
「どうしようって…どうにも出来ないでしょう。警察いっぱいいて入れないし、なんたって銃あるし?冬馬さんがこれ以上アホなことしないように祈るだけじゃん?」
どこか間延びした口調で朔良はぼやく。
「朔良って意外と冷たいんだね。知らなかったよ」
低い声でそう言うとまた沙織里から通話を切った。怒らせてしまったようだ。
(…私は、知ってたよ……)
朔良は一息吐くと、携帯をバッグにしまってベンチから立ち上がった。
癖の一貫で数回汚れを気にしてお尻をはたく。乳白色のコートでは、もし汚れがあったとしてもそれでは落ちなかっただろうが。
温かいと言ってもまだ冬だ。風が吹き抜けるとその身は反射的に震えた。コートの胸元を手で抑えながら、朔良の足は目的地を持って動き出した。
せっかく外にいることだし、現場まで行ってみようと思ったのだ。朔良は行き慣れた道を歩く。
そして辿り着くと、そこは先ほどニュースで見た光景とほぼ同じだった。違ったのは、想像したよりも警察やマスコミ、そして野次馬がたくさんいたことだ。
「すご…」
あまりの人に、つい本音が口からこぼれた。
これでは本当に近づけない。何より規制が張られていているようだ。人混みをかき分けたところで、警察が睨みを利かせているため入れない。
MIYOSHIのあるビルは十五階建てで交差点の角に建っている。今はこの道に車が一台も通れないようにされていた。
朔良はどこかに隙がないかビルの周りを移動してみた。
携帯をもう一度取り出しワンセグに繋げる。今度は音量を大きくした。携帯のスピーカー部分を耳に当てて、画面を見ずに音声だけで情報を得ようとする。
目線はまっすぐ前を見ていた。足は止めないままだ。
その中では亮と崇史の生い立ちを簡単に紹介していた。二人はなんと同じ高校の友達だとアナウンサーが伝えた。
(ああ。それで…)
妙に腑に落ちた。本当にマスコミの情報は早い。一日も経たずにかなりのことを調べているようだ。現在進行形で。
これでは志保のことまで繋がってしまうだろう。そう朔良が思った時だった。不自然な流れで二人の紹介のVTRが止まり、スタジオに移された事が音声のみでも分かった。
『只今、新しい情報が入りました』
つい朔良は足を止め、画面に見入る。
『冬馬崇史容疑者には結婚を約束した恋人がいたということが分かりました。先月、その女性が謎の死を遂げてしまったということです。その為、冬馬容疑者は最近荒れた生活をしていた、という証言が得られました……』
―――やっぱりか。朔良はげんなりした。
まだ志保の名前までは言わなかったが、いずれ写真付きで紹介されるのだろう。そしてアナウンサーは、警察への要求内容も新情報として発表した。沙織里が語った予想と、相違は無かった。
―――志保の件の再捜査。
見たこともないコメンテーターが崇史の心情を語っていた。マスコミが食いつきそうなネタだ。
嫌気がさして携帯をしまうと、朔良は再び周囲を観察しながら歩き出した。
やはりどこも人だらけだ。警察の規制も完璧だった。中に入ること以前に、近づくことさえ出来ない。沙織里に投げやりに答えた割に、だんだんと必死になってきている自分に気づいた。
―――どうやって、中に入ろうか。
僅かに眼光が鋭くなる。
「入りたいんですか?」
中は確かに気になる。
「入りたいなら力貸してやってもいいけど」
いや、入ったところで力もない自分に出来ることなんてあるのだろうか。
「あの…」
「おい…無視かよ」
考え込みながら歩くのに集中しすぎた為か、朔良は声を掛けられた事に数秒気づくのが遅れた。
「ん?」
咄嗟に立ち止まり、朔良は振り返る。
「おっと!いきなり止まるなよ」
「うわっ!」
そこには男の子が二人。目標が突如止まった為に、慌てて動きを制止しなければならなくなっていた。
前に、金髪のガラの悪そうな男の子。その後ろには、止まりきれず金髪の子の背中に鼻をぶつけていた少年。
「あっ」
そこには一ヶ月前、雪の降った日に見たことのあった顔が二つ、並んでいた。
「よ!久しぶり!」
金髪が手を上げて、まるで友人に対する挨拶のように言った。するとダッフルコートの少年が鼻を押さえて隣を睨む。
「軽すぎるよ隼人」
「良いだろ、別に。ケイは大人しすぎ」
な?と金髪の隼人は朔良に笑いかけた。
「いやいや、な?って言われても…」
知らないし。
朔良は苦笑してぼそっと呟いた。
「良いからお茶しよ、お茶。ここ寒い」
隼人は朔良右腕を掴んで強引に歩き出した。
確かに、ロック系な黒い革のジャケットを着ているだけで薄着だった。じゃらじゃらと無駄につけすぎているアクセサリーがうるさい。
「ちょっと!」
慌てて怒りの声を発したのは、ケイの方だった。隼人の左手は朔良を掴んでいたが、右手はケイの腕を捕えていたからだ。
「いきなり失礼だろ!隼人!」
「良いだろ?どうせこんなところじゃ話も出来ないし」
「私はいいよ」
あっさり朔良は頷く。あんぐりと隼人越しにケイが口を開けたのを見逃さなかった。
普段だったらナンパみたいなものは毛嫌いするのだが、不思議と隼人に嫌な感じがしなかった。何より先ほどの言葉が気になる。中に入りたいなら力を貸してくれるらしい。
そして近くにあった某有名なチェーン店のカフェに入った。先ほど入った所とは比べ物にならないくらい、そこは賑わっていた。席を先に確保しないと座れない状況だ。
「俺、カフェラテ」
幸運にも一番奥の窓際の席を見つけると、隼人は陣取りながらそう言うと席に座った。そのまま動かないつもりのようだ。
必然的に彼がそこに留まり、朔良とケイがレジに並ぶことになった。なかなかマイペースなようだ。
「すみません。隼人が強引で……」
ケイは俯きながら小声で謝る。
「気にしないで」
朔良が笑いかけるとケイはホッとした顔をした。
「確かにかなりびっくりしたけど」
「あああ。ごめんなさい」
わざとため息をついてみたら、慌ててケイは再び謝る。
「ふふ。良いって」
意地悪な心で少し遊んでしまった。ケイは隼人とは正反対なタイプのようだ。
「私も聞きたいこと、あったし」
え?とケイが聞き返す前にレジの順番がまわってきた。
朔良はアイスティにした。さすがにコーヒーを一気飲みした後に、再びコーヒーを飲む気はしなかったのだ。
ケイはコーヒーと、隼人の分のカフェラテを買っていた。ケイが奢るのだろうか。どうでも良いことを考えながら、ケイの注文したものが揃うのを待つ。
「ごめんなさい」
遅れてきた彼はまた謝った。つい朔良は口に出す。
「それ癖?」
「え?」
「謝っちゃうの」
「あ…」
ばつが悪そうに、ケイは目線を逸らしてしまった。朔良は空気を切り換えるように微笑む。
「行こっか」
「あ……はい」
ケイも何とか笑っていた。何事も無かったように朔良は隼人のいるテーブルに向かう。ケイがそれに続く形となったため、その後の表情は分からない。
「悪いな、サンキュ」
ケイからカフェラテを受け取る隼人の前に朔良は座った。ケイは隼人の横に腰を落ち着かせる。
カフェラテを一気に半分まで飲むと隼人がまず口を開いた。
「で?」
一瞬、間が空く。
「いやいやいや…それ、私のセリフだと思うんだけど」
アイスティをかけ混ぜながら、朔良は苦笑して言った。
「ああ、そっか。ケイ!」
隼人はケイに話をするように促した。自分じゃないのかと、朔良は少々突っ込みたくなる。
ケイが緊張した面持ちで話し出した。
「あの…すみません、突然。この間もいきなり話しかけちゃって…。俺何かほっとけなくて……って余計なお世話でしたよね、すみません」
やはりケイは謝罪から入った。話の内容も要領を得ない。
だが朔良は口を挟まずじっくり聞いていた。きっと、何かを言ったら彼は更に焦ってしまうだろう。
「それでさっきも見かけて…、すごく入りたそうにしてたから、何とか中に入れてあげられたらと思って」
見て判るくらい、そんなに入りたそうにしてただろうか。
「こいつ勘が異様に鋭いから」
隼人が助け船をだした。
勘が鋭い…。
なるほど。
それで朔良の気持ちを読み取っていたのか。
あの日も?
どこまで読み取ったのかは不明だが。
「ふうん」
朔良はアイスティのストローを吸いながら相槌だけ打った。
「それだけ?」
不満そうに隼人が頬杖をついた。
「うん。いまいち良く分かんないや」
「何がですか?」
今度はケイが訊いた。
「うーん」
なぜか朔良の方が唸る。
何か気になるのだが、どこを追及するべきか迷ったのだ。 釈然としない。そういう言葉が一番ピッタリなのだけは分かった。
「まあいいや。じゃあ私をあの中に入れてくれるっていう手を教えて」
朔良は右手を顔の横でグーとパーを作り、にぎにぎさせて言った。それを見て隼人が嫌な顔をする。
「単純だな」
少しだけカチンときたが、朔良はそう?とだけ返した。
「納得すんの早えもん」
隼人はそう言いながら窓の外を見た。朔良もつられて目線を移す。
この場所からは例のビルが見える。
「あの中に入ったら、何がしたいですか?」
ケイは朔良を見て訊いた。
何気なくケイを見返すと、ケイは真剣な目をしていた。先ほどのすぐに謝ってしまう気弱な彼はそこにはいなかった。
朔良はドキリとした。何かを見抜かれているんじゃないか、と思わせる視線だったから。その気持ちを隠して、もう一度窓の外のビルを見た。
分からない…と答えるつもりで口を開く。
だが、次に出た言葉には自分自身でも思わず驚いた。
「うーん。…冬馬さんを止めたい、かな?」