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wish  作者: 優吏
14/18

真実

 朔良は貴尚に促され二階へと続く階段を登った。足首の捻挫を気取られないよう、しっかり踏みしめた。

 そして警戒心とナイフを手にしたまま、貴尚について行く。しかし貴尚にはまるでそれらが目に入らないかのように、気にせず背中を向けていた。

 無用心なのか、それとも朔良に刺す気など到底ないことを見抜いているのだろうか。恐らく後者だ。

 しかし大きな家だな、と改めて朔良は思った。装飾品などはなくシンプルな装いだがいくつも部屋がある。

(何でこんなとこに一人で住んでるんだろう?)

 先ほどのダイニングと比べると廊下や階段は異様なくらいに暗く感じた。もちろん電球は点いているし、通常の家だってそうなのだろうが、それを踏まえた上でそう感じたのだ。

 空気が暗いのかもしれない。朔良はケイなら何か分かるのかも、と漠然と思った。

 こんな広い家に一人でいるから彼はあんなに曲がった人間になったかもしれない。しかしだからと言って、同情するつもりはまったくない。

 朔良は前に意識を向き直す。すると丁度貴尚がひとつの部屋のドアを開けた。

 そこは一番奥の角部屋だった。促されて部屋の中を見た朔良は絶句した。

「ここ………」

 そこは洋間でたくさんの棚がひしめきあっていた。

 一見書斎にも見えたが、一番右の奥の机には怪しげなものが置いてあった。それはビーカーや試験管という理科室で見たことのある物から、まったく何に使うのか予想すら出来ない者までだった。

「ここで実験してるんだよ。君の言っていた会社はとっくに辞めているんだ」

 そこで貴尚は驚いている朔良の耳元でそっと囁いた。

「朔良ちゃんの言った通りだよ」

 薬がこの家にあるだろうと思ったが、まさか研究からここで行っているとは……予想外だった。

 朔良は貴尚の言葉にひと睨みして中に入る。そして遠慮なく物色した。

 入って気づいたが手前側には最新のモデルだと思われるパソコンが一台置いてあった。棚の中にはいろいろな固形の薬や液体の薬品があり、何やらアルファベットや数字などで分類されている。

 とりあえず種類が豊富なことだけは解った。

「で、志保には何を飲ませたの?」

 憎しみを込めて朔良は訊いた。自分には記憶を失わせるものだった。しかしそれでは()()()()()やり方は出来ないはずだ。

「とりあえず座りなよ。落ち着くためにね」

 貴尚はパソコン用の椅子を朔良のために引いた。 黒い本革で施されているそれは、背もたれが頭まで支えてくれる立派な物だった。

(また高そうな…)

 腹立たしく思いながらも朔良は腰かけた。先ほど下で自分が言った言葉をわざわざ引用しなくても良いではないか。

 朔良には怒りのポイントがたくさんあったようだ。

(当たり前だ!殺人犯なんだから)

 忘れてはならない事実だ。まだ本人はそこを認めていない。聞き出さなければならなかった。

 貴尚は研究材料が置いてある机用の椅子に座り足を組んだ。

「朔良ちゃん、ところで四次会のことはどこまで覚えるの?」

「え?」

 貴尚は眼鏡を賢そうに中指で押し上げて質問返しをしてきた。しかし朔良にはその意図が分からない。

「全部……思い出したはず………」

 つい考え込みながらそれが口に出ていた。

 四次会は三人で適当な、いや多少朔良の癪に障る会話をした。一時間も無かったはずだ。

 それから解散して朔良もタクシーで帰った…。

(その間にまだ何か…?)

 くらりとする頭を朔良は空いている右手で押さえた。ひじ掛けに体重を預けると自然と眉にしわが寄る。

「だったら朔良ちゃん、どうして泊まるはずだった志保ちゃんの家から帰ったの?」

「なんでそれを!」

 朔良ははっとした。その日泊まる予定だったことは貴尚の前では話していないはず。

 しかし何故だろう?朔良は確かに気になった。泊まる予定にしていたことは、今日思い出した事実の中にあった。初めて突きつけられた矛盾。

(この人が現れたから泊まる気が失せた?)

 いや、そんな感情は無かったはずだ。

(もっと別の……はっきりした理由が…)

 考えあぐねている間に貴尚が言葉を発した。

「それはね、朔良ちゃんが僕を付けてきたからだよ」

 何てことも無いように貴尚は穏やかに話す。朔良はただ目を瞠るだけだった。

「僕を警戒していた朔良ちゃんは、タクシーでこの家までついて来たんだ。だからここへは来たことがあるんだよ」

 そこで貴尚は立ち上がることなく、体だけを机の方に向けて近くにあった棚から一つの薬を出した。

「そのとき…全部思い出したらおいでって言って、これを飲ませたんだ」

 朔良は右手の甲で口元を覆った。

 あの日、二錠飲んだということになる。だから今回はいつもより思い出すのに時間が掛かったのだろうか。

「でも電話をくれた時は僕が住所を話しても何の反応もしなかった。まだすべてを思い出したわけじゃないって分かったんだ」

 貴尚はふふっと笑った。

「だから回りくどいやり方をしちゃってごめんね」

 朔良は怒りで全身が震えていた。

 まだその話を聞いても思い出せない。しかしそれは真実かもしれないと思った。すべてに納得がいくから。矛盾が消化されていったのだ。

「どうして?なんでそんなに私の記憶を(もてあそ)ぶのよ!!」

 耐えられず立ち上がって朔良は叫んだ。がしゃっとチェアの音が鳴ったがその声にかき消される。

 ナイフを握り締めている左手が汗ばんできていた。

 なぜ自分が標的にされなければならない?何をしたというのだ、この男に。とても赦せないし許せるものではない。

「最初にvistaで君たちの話を聞いたのがきっかけだった」

「え?」

「君たち二人に興味を持ったきっかけだよ。君たちはvistaで死について話していた。所々しか聞こえなかったけどね。そこから調べて君たちのことをいろいろ知った」

「調べた?」

 まさか…と朔良は気づいたことがあった。

 一時期だが、後を付けられたり無言電話が頻繁にあったことがある。

(ただのストーカーだと思って放っていたら、無くなったけど)

 放っておく朔良も朔良だったが、無視が一番の対処方法だと知っていたのだ。実際にしばらくして、それらは無くなった。今の今まで思い出さなかったほどに。

「あのときのストーカー?」

 朔良は思わず呟く。

「そうだね。全然朔良ちゃん怖がらないからつまらなかったよ」

 悪びれもせず貴尚は頷いた。どこまでも卑怯な男だ。朔良は睨み付けるその目に更に力を加えた。

 貴尚の口振りでは志保の元にも同じ被害があったということだ。

(知らなかった)

 悔しくて朔良は唇を噛み締めた。自分も確かに志保には言わなかった。

(言っていれば!)

 志保は怖かっただろうか。今頃襲う後悔はすべてが空虚に流れて行った。

「それで君たちの仲を壊したくなったんだ。朔良ちゃんに、死について会話したことを中心に記憶が消されるように改良を何度も重ねた」

 貴尚は静かに立ち上がった。

「さっき君は製薬会社の開発をしていたから簡単に作れたんだろう、って言ったけど……とんでもない」

 貴尚は言いながら、いろいろな薬品の中から液体のものを一つを選んで棚から取り出した。

 そして何かに移し変える音が少し聞こえた。朔良からはその背中しか見えない。

「苦労したんだよ。朔良ちゃんすぐに思い出しちゃうんだから」

「なんで…」

 また頭がくらりとした。貴尚の元に行き何をしているのか突き止めなければならない。しかし身体はいうことをきかず、立っていることしか選択肢がなかった。

「なんでそんなことまでして…」

「ぬるいこと言ってるからさ。誓いとか同志だとか」

 そこで一瞬貴尚が振り向いた。もう…その表情には笑みが消えていた。

「でも朔良ちゃんのことは本当に気に入ったんだよ。反応が面白いし何よりめげないから」

 しかしその口調にはあくまでも変化は無い。朔良には嫌な思考が彷彿と脳裏によぎっていた。

(何を考えてる?)

 貴尚は言いながら再び背中を見せた。

「私は貴方のことがずっと許せなかった。疑惑を持った日から…今も!!」

 そしてこのままあの背中にナイフを突きつけたい衝動に駆られた。それを必死に抑える。

 まだ肝心な志保のことを聞けていない。

 そんな朔良の気持ちに気づいているから、貴尚は余裕を見せているのだろう。そのことも、朔良が歯ぎしりをする要因のひとつだった。

(この人にも……)

 ふと、よぎりかけた気持ちに焦って内側でかぶりを振る。

(こんな気持ち持ったら負けだ)

 この人にも同じ苦しみを味あわせてやる…なんて。

「うん知ってるよ。だから良いんだ」

 そう言って貴尚は何やら火を付けたようだった。そしてすぐに振り向いた。

「ねえ、愛と憎しみってどっちが強いと思う?」

 言いながら朔良に近づいてくる。朔良は怖くなって震えた。先ほどから足が凍りついたように動かないのだ。こんな状況はまずい。 焦ってナイフを突きつける。

 だけど貴尚はそれに物()じせず、朔良の傍らまで来た。そして躊躇して動けずにいる朔良の耳元でそっと囁いたのだ。

「ここには他にも朔良ちゃんに試したい薬がいろいろあるんだよ。どれがいい?」

「!!」

 危険―――。

 朔良の頭にシグナルが激しく鳴った。

 vistaのマスターが言っていた言葉が今更ながら思いださせられた。

 ―――関わらない方がいい。

 ―――君は狂わさせられるだろう。

 条件反射で逃げようとしたが、それよりも早く貴尚は朔良の背中を強く押した。

 それは衝撃に耐えられない程で思わずその場に(ひざまず)く。

「志保ちゃんの最期を教えるから、まだ逃げないでね。朔良ちゃん」

 言いながら貴尚は机の上に視線を移した。

 それを追うとそこにはアロマの芳香器が置いてあった。その匂いを感じた時には遅く、朔良の体はみるみる内に自由が利かなくなってきた。

「な、に………」

 ねとりとまとまりつくような甘い匂い。

「効き目凄いあるね。もう麻痺しちゃった?この中に薬の成分が混ぜてあるんだよ」

(麻痺………?)

 まさにそんな感覚だった。四肢が痺れて力が入らない。自然と這いつくばることになってしまった。少ない自尊心が傷つけられた。

「な、んで…」

 しかし貴尚は自由に動いている。薬ではなくアロマのせいだと言うなら、貴尚は何故効かないのだろうか。

 朔良の疑問を読み取ったのかすんなりとその答えを言った。

「君が来ると知ってね、いろいろ準備したんだよ朔良ちゃん。僕は中和剤を飲んだから平気なんだ」

 言葉とは反比例して鮮やかな笑顔だった。

 朔良は必死に顔を上げて貴尚を睨み付けた。それぐらいしか反抗が出来なかった。

 貴尚は真っ向にそれを受け止めそして嘲笑った。

「君たちは死にたいと話していたよね。だから僕は手伝ってあげたんだよ」

「……ちがう…」

 汗をかきながらも朔良は何とか声を絞り出した。

「何が違うの?自殺願望、あったんでしょ」

「ち、がう…。それは……いま、じゃない」

 そう、違うのだ。自殺願望はいつか死ぬときには…という話しだったはずだ。

 貴尚が盗み聞きをしていたことは気づいていた。無論いつも後から気づくのだ。その時は気配を消すくせに、わざと朔良にだけ気づくように貴尚は足跡を残していた。

 しかしそれを中途半端に聞いていたのか、わざと意味を履き違えたのか朔良には分からなかった。

 この体が何とかならないか身悶えながらも、貴尚から視線は外さない。

 貴尚はそんな朔良を面白いものを見るように観察していた。そして傍らに跪くと、ずっと握り締めていたナイフを取り上げる。

「無駄だよ。君はずっとここで生活するんだ。僕と一緒にね」

「!」

 何てことを。朔良は怒り狂いながらも、更に体を動かしていた。足にはまだ力が入らないが腕は少し動かすことが可能だった。

「い、や、だ」

 しっかり睨みながら迷いの無い言葉で言った。すると貴尚は、朔良の身体を軽々と抱き抱えあっさりと先ほどまで座っていたパソコンチェアへ投げ落とした。

「ぐっ……」

 傷口に響いて痛みが走った。そして貴尚はたくさん有る中から一つの棚に向かうと、薬を一粒持ってきた。

「なかなか良い絵、なんだけどね。朔良ちゃんを常に麻痺させておくわけにもいかないから」

 貴尚はそう言うと跪いて目線を合わし、カプセルを朔良に飲ませようとした。何の薬かは分からなかったがろくな物ではないのは確かだ。

 朔良は必死で首を背ける。その時右手がコート越しに傷口を触った。

「!」

 あまりに必死で気づかなかったが傷口がいつの間にか開いていた。こんな時に…と一瞬絶望的な気分になる。

(でも…もしかしたら…)

 しかし朔良は瞬時に深く考え込んだ。その間にも貴尚は朔良の顎を触って、顔を貴尚の方に向けていた。

「もう一度…今度は失敗しないよ。今度は……すべてを忘れよう。それで僕とここで出逢いをやり直すんだ」

 朔良はその言葉に驚愕した。一部ではなくすべての記憶を失くさせるつもりなのだ。あまりにふざけた話ではないか。人の気持ちを弄ぶような貴尚に怒りが頂点に達した。

(なんてこと!)

 しかし構わず貴尚はカプセルを朔良の口元に持ってくる。朔良は意地でも口を開かないように、唇を噛み締める。

 すると貴尚は朔良の鼻を摘まんで息が出来ないようにしてきた。

 しばらく経って苦しくなっても、朔良には首を動かすことすら出来ない。硬く両目を閉じて顔を歪ませる。通常なら四肢をばたつかせているところだろうが、薬でそれさえ許されなかった。

「はっ…!はっ!」

 本能的に口を開いてしまった。死んでも離さないつもりでいたのに。 貴尚はそんな様子を見ると、自分でカプセルを加えて朔良の唇に口移しで入れようとしてきた。

 唇が触れた瞬間、おぞましさに全身の血の気が引く。

「くっ…」

 朔良から苦しみの声が漏れた。その隙をついて貴尚の舌にあったカプセルは、朔良の喉の奥まで押し込まれた。

「あっ…」

 気持ち的に舌を前に出し呑み込むことを免れようとする。するとそこまできて貴尚は油断したのか、普通にキスを楽しみだした。カプセルをわざと避けて舌を這うように動かす。

 朔良は抵抗する術がなくなされるがままになっていた。

 しかしその僅か下では間接的に拒絶するための行動をしていたのだ。必死で傷口を中心にその身を動かす。見えなくても血が滲んでいっているのが感触でわかった。

「うっ…」

 気を失いそうな激痛が生じた。汗が滲む。

 それでもカプセルを呑み込まないように気を付けながら傷口を刺激する。

(解ける!)

 徐々に痛覚から麻痺が解けていく。それは朔良の狙い通りだった。

 解放された両腕を突き出して、貴尚の体を思いっきり押した。だがそれは思ったよりも弱く、貴尚にはびくともしない。自由になりきれてはなかったのだ。

 しかし異変を感じたのだろう。貴尚はゆっくり朔良から離れた。

 朔良はそれと同時に焦りながら薬を吐き出した。床に溶けかかったカプセルが虚しく落ちる。

 そして袖で唇を拭った。―――気持ち悪い。

「まさか…動けるなんて…」

 貴尚は唖然としていた。とても珍しい表情だ。

 朔良はその隙をついて半身を起こす。痛みを堪えて、必死に机まで歩み寄るとアロマの火を消した。

 振り向くと貴尚はすでに立ち上がりいつもの表情を取り戻していた。朔良が火を消すことを()()()見送ったのだと気づいた。あまりに鈍い動きだったから、そうで無ければとっくに阻止されていただろう。

「素晴らしいよ朔良ちゃん。君は薬に良く効く体質のようだが、すぐに無効にする。ますます調べたくなったよ」

 朔良は唇を噛み締めた。どこまでこの男は自分を怒らせたら気がすむのだろう。

 今回は痛みで麻痺を解いただけだった。他のことは知らない。

 その傷口は思うより酷くコートの下から血が滴り落ちた。よく見ると、チェアや床にもその飛沫がある。

 朔良は明らかに血を流しすぎていた。息が荒々しくなり、やがて貧血で立っていられないほどの目眩が襲った。

「くっ!」

 またしても朔良は片膝をついて脇腹と頭を押さえた。

 冷静にそれを観察しながら貴尚が再び近づいてきたのが気配で分かった。

(ナイフは?)

 霞む目で唯一の武器を探した。

 それはチェアの横にあった。自分より貴尚の方が近い。

(そんな……)

 せっかく麻痺を解いたというのに、このままではやはり動けない。結局逃げられないのか。

「そういえば朔良ちゃんは怪我をしているんだったね」

 貴尚もまた屈んで目線を合わせてきた。無表情で何を考えているか読めない。

 やはり貴尚もニュースを見ていた。知っていて今まで触れなかったのだ。

「僕が助けてあげる」

 どういう意味か考える間もなく、貴尚は朔良をまたしても抱き抱えた。

「な…」

 そして再びチェアに座らせる。今度は優しく降ろして、そしてリクライニングを倒した。

「痛っ!」

 伸ばされた傷に耐えきれず声が漏れた。それにも動じず、黙々と貴尚はダウンコートのファスナーを下ろす。

「ちょっと!」

 慌てて朔良は起き上がろうとした。しかし痛みがすぐに襲って動けない。目だけで腹部を見ると、スウェットシャツだけでなくコートの内側にも血が染み込んでいた。

 構わず貴尚は、アンダー部分までスウェットを捲り上げた。

「こんな止血のやり方じゃ駄目だよ。朔良ちゃん」

「なに…」

「このまま放っといたら壊死するよ」

 言いながら近くにあったナイフで包帯を裂き出した。

「くっ」

 信用出来ない男にナイフで触れられるのはとても怖かった。思わず顔を背ける。

「安心していいよ。僕は朔良ちゃんを失いたくないからね」

 手を動かしながらそう言うと、丁寧にガーゼと包帯を取った。カッと朔良は頭に血がのぼった。

「志保なら良かったって言うの!?」

 視線を手元に落としたままさらりと貴尚は言い放った。

「いいよ。それで僕の望みが叶うなら」

 完璧に朔良は愕然とした。

(狂ってる………)

 改めてその言葉を痛感する。青ざめて貴尚の行動を見つめた。

 すると、立ち上がり棚から薬品を何やら選んで新しい包帯と共に戻ってきた。

 動けないのが、悔しかった…。

 力の入らないこの身をこれほど呪ったことは無い。

「あんたの望みって…?」

 もう敬語や丁寧語を使う気にもならない。それは怒りだけではなく、喋る度に痛みがそれを遮るのだ。

 両手に手当ての道具をもったまま貴尚は返した。

「朔良ちゃんを独り占めにすること」

 口調はいつものように寒い台詞だったがその顔に笑顔は無かった。そして貴尚はそのまま跪く。

「だったら他にも方法があったでしょう?やり方って言うか…」

 自分で言うのもおかしな話だったが、言わずにはおれなかった。

「無理だよ。だって朔良ちゃん彼氏つくらないんでしょ。いつ死んでもいいように」

「!」

 朔良は完全に言葉を失った。そしてそっと左手首の盗聴器をスウェットの上から見る。

(ばれていく…)

 志保と二人だけの秘密だったことが、次々と明るみになって行く。

「だから憎んでいたよね、彼氏を作った志保ちゃんを」

「それは違う!」

 即座に朔良は否定した。冗談でもそんな誤解は受けたくない。

「僕はね。朔良ちゃんのすべてを知りたくて、朔良ちゃんがよく行くお店に盗聴器を仕掛けたんだ」

 お前もか、という突っ込みをする余裕は朔良には無かった。ただ呆然と貴尚の話を聞いていた。「vistaはもちろんMIYOSHIや…河口くんのスナックにもね」

「………」

 貴尚は淡々と語っている。それに朔良は何も話す気力が無くなっていった。口を開くのが億劫になる。

「もっとも、森崎には勘づかれて何個か回収されたけど」

 話の流れから森崎というのはvistaのマスターだろう。

「それで言ったよね、スナックで死ねばいいって。ようやく本音をぶつけたんだなって思った。だからあの日にしたんだ」

「違う……」

 ポツリとそれだけ呟く。貴尚には聞こえなかったようだ。 傷口の周りを綺麗に何かで拭きながら、更に続けている。

「それまでいろんな薬を試していた。例えば催眠術に掛かり易くする薬を作って自殺させるとかね。でもどれも失敗に終わったよ」

 貴尚はそこで一旦言葉を切った。

「染みるけど我慢してね。ここには手術道具ないから」

 そう言うと、カタンという薬品のビンを床に置く音がした。朔良はどこか諦めに似た気持ちでそれを聞いていた。どうせ逃げられないのだ。

 そして薬品を染み込ませたガーゼが傷口に当てられた。

 瞬間、朔良の瞳孔が開いた。

「…っゃああああぁぁーっ!!」

 卒倒しそうな痛みが襲った。それは今までの非ではなかった。

 焼けるような痺れるような痛み。鈍痛が全身を襲い行き渡っていく。耐えきれず暴れだした。

 チェアから落ちないようにそれを貴尚が押さえつけている。必然的に薬品が密接して痛みが増した。

「ああああっ……!!」

 首を大きく左右に振った。痛覚が刺激されて目尻に涙が溜まる。

「いやあっ!」

 思わず蹴り出したどちらかの足が貴尚に当たった。実際には右足だったのだが、朔良にはそれすら認識出来ない。貴尚は怯むことは無かったが、勢いに押されて朔良から離れた。自然と薬品も離される。

「…っはあ…はぁ…はぁ……」

 朔良は左向きにくの字に曲がって残された痛みに耐えた。

「そんなに泣きたくないの?朔良ちゃん」

 そんな朔良に貴尚が冷静に声を掛ける。それに睨み付ける余裕も朔良には残されていなかった。

「所詮、言葉の上での約束……口先だけの誓い、なんだろう?重いのが嫌だと言いながら、結局君たちはお互いに重荷を与えている」

 朔良は硬く目を閉じ思わず左手首を握り締めた。

「君に、彼女は泣かないことを約束したまま死んだ。そして君は、未だに彼女に執着している」

 違うと否定したかった。しかし痛みが響いてそれをさせてくれない。

(本当に…それだけ………?)

 だんだん分からなくなってきていた。秘密だったはずなのに、一樹には目的を見抜かれた。崇史に仕方なくとは言え、自分の野望を話した。

 そしてケイにも…。ケイは、今の志保の声を聴いている。

 今の志保の気持ちは、以前のものとは変わってしまっている。それだけは分かってしまったから。

「朔良ちゃん、手当てを続けるよ」

 何も言わない朔良に貴尚はそう言った。しかしもう薬品は使わなかった。真新しいガーゼを傷口に当てて包帯を手にする。

「もう血は止まったよ」

 朔良の向きはそのままにして包帯を巻きながら何度か体を浮かせた。

 あれで止血出来るとは、一体何の薬品だったのだろうか。貴尚の開発した薬には間違いない。

「朔良ちゃん。僕は君を泣かせたい」

「え……?」

 朔良はこれには反応した。ちらりと貴尚を見ると手当てはいつの間にか終わっていた。

「でもなかなか強情だよね。だから僕も強情になっていっちゃった。でもね本当に志保ちゃんは自分から死んでいったんだよ。僕は手を貸しただけ」

「そんなはず…」

 無い、と言い切れないものが今はあった。

「だから志保ちゃんが死んだのは朔良ちゃんのせいだよ」

 薬品や汚れた包帯などを片づけながら貴尚が言う。どこかぼんやりした頭のまま朔良は言葉をこぼした。

「志保に呑ませた薬って、結局なに?」

 貴尚は机に薬品を直すと代わりに別の棚を引き出しを開ける。そして横を向いている朔良の目の前に、透明な小袋に三粒ほど入っている薬をちらつかせた。

「これだよ」

 勿体ぶって一旦言葉を切る。

「これはね、一生の内の一番悲しかった時を、再び思い出させる薬なんだ」

「え?」

 想像だにしなかった内容に、朔良は目を見開いた。

「最高傑作だよ。君に使った記憶をなくす薬の応用品でね。今がたとえどんなに幸せでも……哀しみが沸き起こる薬なんだ」

「非道い………」

 何て卑劣な物だろうか。では志保はそれを呑んだと言うのか。

 しかし朔良の反応はそこで終わった。それを見届けると貴尚は朔良を正面に向けさせた。両腕を掴み後ろに持っていきながら、チェアの上に貴尚の重みが乗ってくる。

「志保ちゃんの一番の悲しみって何だかわかる?」

 貴尚の顔が近くにあった。右膝は立て、左手でひじ掛けを持ちバランスを取っている。

 それでも朔良は抵抗をするどころか、遠くを見たままだった。

(志保のカナシミ…)

 そんなもの…。

「分からないよね?」

 汲み取るかのような貴尚の言葉が続いた。

「だって君たちは全然お互いのことを話してない。重いのが嫌だからって、上辺だけで会話して同志とか言ってるんだから」

 上辺の会話―――。

 果たして本当にそうだったのか否か、今の朔良には確認しようがなかった。

(私のしてきたことは…)

 朔良は混乱したまま天井の蛍光灯を見つめていた。

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