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wish  作者: 優吏
12/18

渇れない涙

 急ブレーキを掛けられた車は制御が効かなくなった。そのまま進み、左側のガードレールに突っ込んで何とか停車する。

「うっ」

 ケイが思わず呻いたが、隼人はすぐさま外に飛び出した。

 幸い後続車両はいなかった。朔良が倒れたと思われる位置まで走る。

「隼人!」

 ケイも着いてきたのが声で分かった。それに振り向く余裕もなく一心に走る。

 しかしその場に朔良はいなかった。少量だったが血痕が残っている。

「朔良!」

 辺りを見渡しながら走り出す。近くには公園があった。暗がりでよく見えない。いかにも怪しかった。

 隼人はそのまま公園に脇から入って行く。大きめな公園で、中は広かった。

「朔良あ!」

 辺りを見渡しながら何度も呼んだ。叫ぶと涙が溢れてくる。

「なんでだよ!なにしてんだよ!」

 悔しかった。ケイの……いや、自分達の想いが届かなかったから。拒絶された気持ちでいっぱいだった。

 そしてケイがどんな想いで語ったかも知っていたから……。信じられない朔良の行動に驚愕と怒りが混ざる。だけど、何より心配もしていた。

「待って!隼人!」

 それにケイが呼び止めた。これだけの距離を走るのにすでに息が上がっている。

「どうしよう!ケイ」

 隼人は複雑な気持ちに顔を歪めながらケイの元まで駆け寄った。息を整えながら、ケイは地面に目線を落とした。そして右側にゆっくり移していく。

 隼人もその視線を追っていった。よく見ると血痕が所々続いている。そして滑り台でそれは途切れた。タコのように何ヵ所も滑るところがある。

 その中には人が隠れられる場所があった。慌てながら隼人は動き出した。

「待って!」

 しかしそれをケイが腕を掴んで止める。怪訝な顔で隼人は振り向いた。

 早く行かないと手遅れになるかもしれない。もしそんなに怪我が酷くなくても、もたもたしていたら逃げられるかもしれない。

「俺のせいだ。上手く言えなくて…俺が彼女を追い詰めた!」

 俯きながらケイは両手で隼人の腕を掴む。

「そんなの…」

 ケイのせいじゃないと、言いたかった。しかし首を横に振ってケイは否定する。

「俺、うまく()()会話できなくて………だから榊原さん!」

 途中で、滑り台の方に向かって声を張り上げた。

「思う通りにやってみたらいいよ!」

 微動だにせずに叫ぶ。それに隼人は、信じられないものを見るような顔をした。

「でも忘れないでください!俺は…俺たちはいつだって助けるから!味方ですから!」

 それだけ言うと入って来た方へ踵を返す。腕を離され解放された隼人は、滑り台とケイを交互にみて―――ケイの後を追った。

「おい!良いのかよ!」

「あ!そうだ隼人。車までひとっ走り行って彼女の鞄、持ってきて」

 ケイはいきなり立ち止まり、返答とはまったく違う言葉を返す。

「はあ?」

 呆気にとられて変な声が出てしまった。

「あれ無いと困ると思うから」

「お前、ほんと…」

「良いから早く!」

 隼人に最後まで言わさずケイは促す。文句を言いたい気持ちを抑えて、隼人はまた駆け出した。

 その間いくつかの車が通りすぎ、何かあったのかとこちらを見て行った。大通りではなくて良かった。隼人は内心でそう呟く。

 しかしいつまでもここにいると、いつ警察に発見されるか分からない。

 車まで辿りつき隼人はエンジンをかけると、後ろを見ながら逆送させた。

 そのとき、ガードレールのへこみが目の端に映った。車の先端も無事ではなかったのだ。

(マサキさん、ごめんなさい)

 車の持ち主に申し訳ない気持ちになる。運転がもっと上手ければ、タイヤがロックされることもなくぶつからず停車できたはずだったんだ。

 しかし後悔は先に立ってはくれない。

(だから、朔良……)

 隼人は、滑り台の中でどんな想いで隠れているのか分からない彼女のことを想った。

(お前も先を見ろよ)

 いつまでも逝ってしまった者に囚われるな。

 隼人から見れば―――朔良も充分、普段の日常を取り戻せていない一人だった。

 車がケイの元まで着くと、ケイは急いで後部座席を開けた。

「ありがとう」

 そう言って公園に再び入る。隼人も車を降りそれに続いた。

 ケイは朔良の鞄を持ち、ゆっくり滑り台に近づく。しかしその前にあるベンチのところで止まって、鞄をベンチに置いた。

「鞄、ここに置いとくから。あんまり無茶したらダメだよ」

 まるで子供を諭すような口振りだった。

「気をつけて」

 そう言うとケイはその場から離れる。

 少し後ろで見ていた自分の前をも通りすぎて行く。一度もケイは振り返らなかった。

 だから隼人は、変わりに自分がしばらく滑り台の奥にいるだろう彼女を見ていた。しかしケイを信じて、やがて自分も公園を出た。

 また泣きそうになる。公園の外でケイが待っていて、隼人を見て口を開いた。

「泣き虫」

 隼人は乱暴に腕で目をこする。

「うるせえよ」

 それだけ返して運転席に戻る。ケイも助手席に乗り込んだ。

「本当に良かったのか?」

 エンジンを掛けながら呟くように訊いた。

「うん。彼女の行き先は分かってるし…このまま無理矢理拘束しても、榊原さんのためにはならないよ」

 ケイはシートベルトをし直す。それをちらりと確認して隼人はゆっくり発進させた。

「それに…」

 前方を見つめながらケイが続けた。

「思う通りにやればいいって、隼人が言ったんだよ」

 そうだ。自分がケイに言った台詞だった。後のフォローは自分がするから、と。

 だけど朔良は今まで会ったどの人とも反応が違っていた。ケイの力のことを話しても、大体は信じない人が多い。信じても、好奇や奇異な目で見られたり、畏怖の念を持たれるだけだ。悪いときには攻撃される。言葉だけで済まない時も過去にはあった。何も悪いことなんてしてないのに。

 朔良はだけどあっさり信じた。

「力のこと、怖がらなかったな、朔良」

 しばらく走ったあと信号で止まると、ぼそりと隼人が呟いた。

「怯えてたよ。ううん…彼女はずっと……最初から怯えてる。本音がばれることを」

 窓の外を眺めながらケイが応えた。だから表情は見えなかった。

 助けたいと思うのに、彼女はそれを望んでいない。それがとてももどかしく感じた。


   * * *


 冬の夜空は澄みきっている。天気が良い今夜はとても星が綺麗だった。

 滑り台の隙間から見える夜空を朔良はじっと見ていた。

 何度も無理をしすぎたせいで、傷口が開いている。幸い他は無事だった。いや、背中と左足首が痛い。骨折まではしていないだろうが、足首は捻挫をしていそうだ。

 痛み止は効き目がなくなり、頭痛を引き起こすほどの疼きが朔良を襲って立てなかった。

 しかし立ち上がれない理由が他にもあった。そして痛みの方も……傷よりも心のそれがより強かった。

 物心ついたときから、朔良は泣きそうになったとき、いつも上を向く。だから今もそうしていたのだ。

 隼人の叫び声とケイの言葉はすべて耳に…それから心にまで届いていた。二人の気配が消えても、しばらく動くことが出来ない程それは響いた。

(ごめんなさい…)

 謝罪の言葉だけで、いっぱいに埋め尽くされる。

(だけどこれだけは…)

 独りで目的を遂げることが朔良には重要だった。あのまま車にいたら、二人は絶対に着いてくると言って聞かなかっただろう。

 それに耐えられなかった、ということもあった。あれ以上ケイの話を聞くことが。

 彼の言う言葉はすべてが胸に突き刺さって……涙を堪えることが不可能になりそうだった。

 ―――どれくらいそうしていただろうか…。

 朔良は盗聴器を見た。正確には本来の仕様である時刻を確認したのだったが。犬だか熊だか分からないキャラクターが中央にいた。しかし針は正確に刻んでいる。それは確認済みだ。

(もうこんな時間…)

 時計は二十一時を大幅に過ぎたことを示した。どちらかといえば二十二時に近い。

 あまり遅くなるわけにはいかない。……いやもう充分に遅い。

 一人の男の家に訪れる時間では無いことは分かっていた。

(行かなきゃ!)

 しかし朔良は何とか気持ちを奮い起たせて、滑り台から出た。

 バッグがぽつんとベンチに置いてある。その中から、三吉から預かった救急セットを取り出した。

 滑り台まで戻り止血をしようとしたがやり方が分からない。とりあえず包帯はすでに血に染まっていたから、それを外した。ガーゼのようなもので傷口の上を覆う。そして圧迫させるように押し付け、強く新しい包帯を巻いた。

「うっ」

 痛みで呻き声が漏れる。汗が尋常ではないくらい噴き出していた。息も荒くなる。

 そして朔良は痛み止の薬を取り出した。どこまで効くのかは分からない。公園の蛇口まで行き薬を呑んだ。本当は眠くなるから呑みたくないのだが、仕方がない。

(よし!)

 気合いを入れて朔良は歩き出した。

 歩き出して分かったことがあった。この公園は貴尚の言った住所の近くだったのだ。

 まさかそこまでケイに分かるとでも言うのだろうか。

 彼は勘が鋭く、霊感がある。朔良の知っていることといえば、それだけだった。自分はあまりその手のことに詳しくない。

(志保の声が聴こえるって言ってたな…)

 そして自分と志保のことが分かると。……どういう意味だろうか。

(つまり志保が語ったっていうこと?)

 自分と志保の秘密を?

(どうして?志保……)

 自分の背後に志保がいるのかも知れない。朔良には振り向いても何も見えないが、そう思うと落ち着かないでいた。

 どうして志保が………?

 もしかしたらみんなが哀しんでいることに怒っているのだろうか。自分が本当に泣かないでいるのか、見守っているのだろうか。

 どちらにしても、自分の側にいるなら成仏できずにいるのではないか。朔良は知識が無い頭で、それが一番気にかかったのだ。

 志保の想いが分からない。今まではあんなにも分かり合っていたのに。志保が亡くなってしまってからも、自分が唯一の理解者だと思っていた。

 寂しくなった。結局、自分は独りなのか…。

 物心ついた頃から思っていたこと。それが普通とはズレていた、と気づいた時よりも今は孤独を感じた。

 だけど生前志保が自分に語ったことに、嘘はないはずだ。

 朔良は歩を進めるごとに顔を歪めた。今回は、あまり痛み止が効かない気がする。

 ゆっくり一歩づつ進んで、ようやく朔良は記憶に留めてあった住所の前に辿り着いた。

 貴尚の家はなかなか大きな一軒家だった。やはり志保のマンションとは、お世辞にも近いとは言えい。もしかしたら家族がいるかもしれない。朔良は少しほっとした。

 それから、家でする仕事とは何だろうと考えながら、インターホンを鳴らした。

「はい」

 出たのは貴尚だった。緊張した声で朔良は応えた。

「あ、朔良です」

「ちょっと待ってね」

 しばらくすると玄関の鍵を開けているような音がして、ドアが開いた。

 貴尚が現れて、つい朔良は睨み付けた。いつものように。

「やあ久しぶり」

 まったく動じずに貴尚は笑った。


   * * *


 貴尚は朔良をダイニングに上げると、紅茶を出してきた。とてもではないが、飲む気にはなれない。

 そして何と貴尚は一人でこの家に住んでいることを聞き、あんぐりと朔良は口を開けた。内装は豪華で、いかにもお金持ちの家という風だったからだ。

「仕事中だって聞きましたけど」

 何の仕事をしているのか気になった。高そうな長いソファに、ダウンコートも脱がずに居心地悪そうに朔良は座る。長居をするつもりは無かった。

「いや、今一段落ついたところだよ」

 貴尚は相変わらず優しい笑顔を向けた。白いシャツにジーンズという、いつもスーツの彼には意外な服装だった。確かに家でスーツを着ていたらその方が驚くが。

「嬉しいな。朔良ちゃんから連絡くれるとは思わなかったから」

「………」

 朔良は俯いていた。どう切り出そうか迷う。

「話しって何かな?」

 貴尚は何も言わない朔良に自分から促した。意を決して朔良は顔を上げる。

「すべて…思い出したんです。松野さん」

 貴尚の表情はまったく変わらなかった。それを見届けると決定的な言葉を言った。

「どうして、志保を殺したんですか?」

 この言葉にも、貴尚は一瞬ピクリと眉をひそめただけだった。それさえも芝居のように見える。

「何を言ってるの?朔良ちゃん」

「あの日…最後に会ったのは松野さんです」

「ああ。そうだね」

 これには、あっさりと貴尚は頷いた。

「でもそれだけで僕が殺した、とは言わないよね?」

「あの日の次の朝、私は自分の記憶が無くなってました。まずそれを、かなり不審に思いました。言うほどは飲んでいませんでしたから」

 朔良はまるで盗聴器の向こう側に説明するように、順序だてて話した。

「しかもその忘れ方は重要な部分から消えていました。ただの物忘れじゃないと確信したんです」

 貴尚は何も言わずに聞いていた。表情も柔らかい笑顔のままだった。これが消えるときが恐い、と朔良は思った。

「松野さん、二次会で私に何を飲ませたんですか?」

「何のことかな?」

「志保が抜けて、私がカウンターからトイレに行った時です」

 あの時一瞬だが貴尚は一人になった。

「あの後、私がカクテルを飲むと違和感を感じました。異物が入れられてあったんです。それを入れるチャンスがあったのは松野さんだけです」

「勘違いじゃない?」

 一瞬高尚の眼光が光ったように見えた。しかし眼鏡を押し上げながら、あくまでもシラを切っている。段々と朔良は苛立ちを覚えてきた。

「そんなこと…あるわけないじゃない」

 声が低くなったのが自分でも分かった。

「貴方はこれまでも同じことをした。私が記憶がなくなるのは決まって貴方と会った次の日なんですよ」

 そうなのだ。そしてそれは志保と二人であの会話をした日に限られていた。

 貴尚は何も言わず、向かいの一人用のソファから朔良の右隣に移ってきた。警戒心から朔良は左に寄る。

「だからさ、たまたまじゃない?」

 左肘を背もたれにつき足を組みながら、相変わらず貴尚は微笑んでいる。

 確かに状況証拠しか朔良には無かった。だから今まで言えなかったのだ。 朔良はぐっと言葉につまった。言うことをもっとちゃんと考えてくれば良かった。

「朔良ちゃん。そんなことよりせっかく会ったんだから、もっと楽しい話をしようよ」

 そう言うと貴尚は更に朔良に近づいた。それに更に左側に寄りながら、怒りを露にする。

「はぐらかさないで!だったらあの日、松野さんは志保の家が近くだと言った!でもここは全然違う場所じゃない!」

 最寄り駅さえ何個も離れている。

「どういうことですか!?」

「そんなこと言った?」

「言いました!」

「あれはそうだなあ…君にたまたま会ったから、何となくだよ。その場の流れで言っちゃうこと、君にもあるだろう?」

「そんなことでは誤魔化されません!貴方は最初から志保のマンションを知っていた!」

 朔良が叫ぶごとにその傷口が疼いた。だけど気づかれたくなかったから、朔良も気づかない振りをした。

「朔良ちゃん」

 貴尚が更ににじり寄る。完璧な笑顔というポーカーフェイスで。

 朔良は離れられなかった。すでにソファの端にその身を置いていたのだ。

「キスしてくれたら教えてあげる」

「っ!」

 その言葉に勢いよく朔良は立ち上がった。脇腹だけでなく、左足にも痛みが走ったが怒り心頭に発して叫ぶ。

「そんなことしなくても、教えてもらいます!」

 ふふっと貴尚は笑った。朔良の反応に本当に可笑しいようだった。

(完全に馬鹿にされてる!)

 朔良は握り拳を作った。掴み所のない貴尚に苛立つ。

 しかし、自分も同じことをして崇史を怒らせたのだ。立場が逆になっていた。こんなにムカつくことだったのか、と朔良は反省した。

(だけど…この人には悪意がある)

 確実に朔良の逆鱗に触れるポイントを突いてくる。

 貴尚は体勢を変えずに、冷ややかな笑みを浮かべて言った。

「そんなにうまい具合に忘れさせる物なんてあると思う?」

「私、聞いたんです。以前、製薬会社の研究開発されてたんですってね。そんな薬を造るのも簡単だったんじゃないですか?」

 そう、朔良だってこの一ヶ月間で調べたこともあったのだ。と言っても、これはvistaのマスターから聞いた話だった。

「ふうん。そんなこと、誰から聞いたの?」

 貴尚の顔色が僅かに変わった。口元の笑みはそのままに、眼鏡の奥の瞳が厳しく光る。

 そしてゆっくり立ち上がる。朔良は思わず後退った。

「それと僕の番号も誰から聞いたのかな?」

 少しずつ近づいてくる。怖い、と朔良は思った。崇史が怒りをぶつけてきた時とは、違った種類の恐怖だった。

「………知って、どうするんですか?」

 後退しながら、ちらりと後ろを見る。そこには窓があった。

 ―――最悪ここから逃げよう。朔良が逃走経路を確保したその一瞬の隙をついて、貴尚が一気に詰め寄ってきた。

「!」

 朔良の右手首を左手で掴み、右手は朔良の腰にまわされた。

(しまった!)

 朔良の顔が強張った。

「お仕置き、なんてどう?」

 身をよじって逃れようとするも、貴尚はそれを許さない。更にきつく抱き締められた。

「離してください」

 そう言いながら、落ち着けと朔良は自分自身に念じる。動揺を見せるのは悔しかった。だから真っ直ぐ貴尚を睨み付けた。

「教えてくれたら離してあげるよ、朔良ちゃん」

 貴尚は目を細めて冷笑している。交換条件の相手が、先ほどから間違いなくおかしい。

 そしてマスターと貴尚と、どちらが強いか少し考えた。

(そう言うことじゃないわ)

 分からなかった。だから朔良も条件を上乗せした。

「志保のこと、教えてくれたら教えてあげます」

 ニヤリと朔良も笑って見せる。この状況は明らかに朔良が不利だったが、虚勢を張った。

 すると面白そうに声をだして貴尚は笑った。

「やっぱり飽きないね朔良ちゃんは」

 笑いながら左手で朔良の頬に触れた。ぞくりと背筋が総毛立つ。

 そして頬から顎に、その手は移った。

「その話はキスしてからだよ」

 貴尚の顔が近づいてきた。朔良は不敵な笑みを見せながら、自由になった右手をポケットに忍ばせた。

 そして素早く貴尚の顔の前にナイフを突きつける。

「私だって何も無しでこんなところ来ません」

 わざとにっこり笑って朔良は言った。内心は気が気でなかったのだが。

「へえ」

 ナイフを見ても貴尚は驚かなかった。それどころか、やはり嬉しそうに笑う。

 ナイフを少しずつ前に出すと、ギリギリのところで貴尚は朔良を離した。

「仕方ないね。平行線のようだ…」

 貴尚はわざとらしく両手を軽く広げた。その動作一つ一つが朔良には(かん)に障った。

 しかし確かに話は平行線で進まない。何より貴尚には話す気がさらさら無いようだ。

(どうしたら…)

 朔良はvistaのマスターの話を思い出していた。

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