行動開始
少し時間は遡る。
隼人は待ち合わせに指定したカフェでケイを待っていた。
昨日朔良とも行ったカフェで同じ席に座った。窓からビルが見える。
あの中で朔良が瀕死の状態かもしれない、と思うといてもたってもいられなかった。
ケイは少し遅れていた。苛立ちながらカフェラテを飲んだ。
ケイが時間かかるのは分かっていたことだ。それなのに落ち着かないのは、自分の未熟さ故のものだということは解っている。
(でも遅え!)
自然と貧乏ゆすりをしてしまう。すると隣の席に座っていた女子高生二人が明らかに引いていた。
何だよ、と隼人は睨み付ける。
「ヤンキー丸出しだよ隼人」
その時待ち焦がれた声が前から降ってきた。怯えていた女子高生から目線を外し、その声がした方を向く。
「遅い!」
方向転換しながら叫ぶと冷ややかな目線で、ケイがコーヒーを持って立っていた。
「これでも走ったんだけど」
言いながら隼人の前に座ると、確かに額に汗が滲んでいた。息も少し荒い。
「あ。ごめん」
すぐに隼人は反省した。泣きついたのは自分の方だったのだ。
「でも朔良が!」
また泣きそうな顔になってケイを見た。
「大丈夫だよ。まだ、大丈夫」
ケイはそれしか言わなかったが、隼人はほっと安堵の表情を見せた。
ケイはこういうとき嘘はつかない。長年の付き合いで解っていた。
「でもそろそろみたいだ」
意味深なことをケイは言う。
「そうなんだ」
隼人にはケイの言いたいことが、やはり長年の付き合いで分かってしまった。
それからカフェを出て、二人でビルに向かった。
相変わらず野次馬が多い。
昨日はここで朔良を見つけた。
―――それは偶然では無かった。
一ヶ月前に遭遇した彼女に再び話しかけたのは、ケイがずっと気にしていたからだ。最初は渋々着いて行った。
―――あの人の協力がしたいんだ。
ケイが、そう言うから。
最初は反対したけど、一度決めたら引き下がらないのがケイだ。
ビルのMIYOSHIがあるあたりを見上げながらケイが言った。
「決断したみたい…」
隼人もつられて見る。MIYOSHIには行ったことがないから、内部のイメージが湧かない。
窓の位置も多分あの辺りということのみ。それはニュースで見たから分かることだ。
「決断って…何を?」
ケイはすべてを話してくれない。大事なところを言うだけだ。
「本当の犯人を捕まえるつもりなんだって」
悲しげな顔をした。
ケイには……普通の人には無い力がある。そのせいで知らなくてもいいことが分かってしまうのだ。
昔からこの力のせいでケイは苦労してきていた。隼人にはその感覚は皆無だったが、近くで何度もそういう場面を見ていたのだ。
ケイがこうやって力を使って、お人好しに他人と関わるのをあまり快くは思わない。
(でも今回は許しちゃったからな…)
それに朔良のことは気になっている。
「もうすぐ俺たちの出番だ」
ケイは上の方を見ていたが、どこにも焦点は合っていないようだ。慣れたものを見る目で隼人は見守っていた。
「あ、榊原さん」
ふとケイの世界がこちら側に戻った。隼人も目線を追うと、窓際に女性が1人立っていた。
周りが騒然となった。マスコミがたくさんシャッターを押したり、カメラを向けている。
遠すぎてその女性が朔良だとは分からなかったが、ケイが言うので本当だろう。
「無事なんだな」
少なくとも立つぐらいは元気らしい。隼人はもっと朔良の健康状態を確認したくて、マスコミの望遠が立派なカメラを奪いたくなった。望遠鏡が欲しい。
「だから大丈夫だって」
ケイは窓際に視線を固定したまま笑って言った。
分かっている。ケイを疑っているわけではないのだ。
「俺たちの出番って?」
気になって隼人は訊いた。だがケイはまた意識を集中して、別の世界に行ってしまった。
それからしばらくすると朔良と思われる女性は窓から見えなくなった。
「あ……」
少しの変化でも心配になる。一体あの中で何が繰り広げられているのだろうか。隼人には知る術が無かった。
こういう時はケイに聞きたいのに、当の本人は反応しない。未だに集中力を尖らせて……力を使っているのだ。
結局隼人には何も映らなくなった窓を見つめることしか出来なかった。
(朔良……)
そして数十分間が経った。だが隼人にはそれが何時間にも感じた。こんなにただ待つことが辛いとは思わなかった。
すると、その気持ちを察したかのように隼人の携帯が鳴る。
「!」
すぐに相手を確認するとそれは一樹からだった。
驚いて思わずケイを見る。ケイもやっと隼人の顔を見ていて、力強く頷いた。
「協力、してあげて」
意味有りげなことを言う。隼人はだけどそれに頷き返して電話に出た。
「隼人、何も聞かずにこれから言うことをして欲しい」
一樹はどこか哀しそうな声でそう言った。無論、隼人はそのつもりだったが、初めて聞く彼の声に戸惑ってしまった。
しかしなぜか尋ねることが憚れたため、いつも通りに答えた。
「了解!」
* * *
沙織里は折り返しの連絡をとても迅速に掛けてきた。時間にして約十分後。
沙織里の直感通りvistaのマスターは貴尚の携帯番号を知っていた。
「なんかあんまり教えたくなさそうだったんだけど、頑張って聞き出したんだからね!」
頑張るんだよ!と沙織里が言っていた。朔良はわざと本来の意味に置き換えて聞いておくことにした。
「えーと…どうやってこの場所から出ようかな?」
次に立ちはだかった壁に対して朔良は独りごちた。
入ってきたところにはバリケードが完成している。その独り言を聞いた崇史は冷たく言い放った。
「ここで電話しろ。俺は電話の使用は認めたが、出ることは別だ」
意地悪だ、と朔良は頬を脹らませた。
「だから、電話だとはぐらかされる可能性が高いんです!」
「とりあえず居場所を掴め。話はそれからだろ」
仕方がない。朔良はつい先ほど知った十一桁の番号を呼び出した。
しかし何コールしても出ない。知らない番号からは電話を取らない主義だったらどうしよう。思わず嫌な考えがよぎる。
それでもしつこく待っていると、留守番電話に切り替わった。
(私からだと分かれば、出るはず…)
少々緊張しながらピーという発信音を聞いた。
「朔良です。もし時間があったら、会ってもらえませんか?」
それだけ言って切った。危険なのは分かるが、会わないと話しが進まない。
すると後方から痛いほどの視線を感じた。崇史が無言の怒りをこちらに向けて凄みを利かせていたのだ。勝手に会う約束をしようとしたので、怒っているようだ。
(こっちも危険!)
朔良の顔がひきつった。
「いや、つい…勢いで……」
そう言うしかなかった。何とか崇史に取り繕うと、朔良は鞄から充電器を取る為に窓から離れた。電池が足りない。
崇史が何と言おうと朔良はここから出て貴尚に会うつもりでいた。それには携帯は必須だ。途中でただの機械に成り下がってもらっては困る。
その動きは崇史に訝しく映ったようだった。
「今度は何だ?」
しかし朔良の突飛な行動には馴れてきたようで、その言葉に半ばため息が混じっていた。
「コンセント無いかな?」
充電器をちらつかせながら朔良は探し回る。
「じっとしてろ」
呆れ顔でそれだけ崇史は言う。とりあえず、追い込まれてすぐに銃口を向けることは無くなっていた。
良い傾向だ。安心したとき、朔良の携帯が鳴った。
見ると先ほど掛けた番号からだった。少し顔色を変えた朔良に、周りの皆は固唾を呑んで見守っていた。
「もしもし」
(束の間の安心だったわね)
そう皮肉に思いながらも慌てて朔良は携帯に出た。この繋がりを途絶えさせたら、後がない。
「やあ朔良ちゃん。びっくりしたよ」
いつもと同じような貴尚の声が聴こえた。
「すみません突然。人に、番号聞いて」
「ふうん。誰に教えたかな?」
貴尚は考え込んでいるようだった。それには答えず、朔良は本題を言う。
「あの、今日お暇ですか?出来ればお逢いしてお話したいことがあるんですが」
朔良の動機が速くなった。怖くて崇史の方を向けなかったが言ったもの勝ちだ。
貴尚は不審に思っていることだろう。避け続けられた朔良からの突然の連絡なのだから。貴尚の反応を僅かでも感じとるように、強く携帯電話を耳に当てた。
感覚を研ぎ澄ませるべき対象が二つある。とりあえず後ろからの攻撃は無いようだ。
しかしもう一方からは、とんでもない答えが返ってきた。
「ちょっと今、家で仕事してるんだ。だからうちに来てくれるなら、いいよ」
「!」
貴尚の家――。
朔良は躊躇した。自分の顔が強張るのが分かった。怖い、と心が拒否している。
出来ることなら密室ではないところが良かった。しかしこの機を逃すわけにはいかない。何より住所が分かることは、更に大きな進歩となる。
「分かりました。伺います」
すると貴尚は自宅の住所を教えてくれた。朔良は、メモるものがなく必死で頭に刻み込む。
分からなかったらまた掛けておいで、という貴尚の言葉を最後に電話は切れた。
最後まで立て籠りの話には触れなかった。
(ニュースでもやってるのに…)
怪しすぎる。
「どうなったんだ?」
事の成り行きをまず訊いてきたのは、崇史ではなく一樹からだった。
崇史には適当に返すことが出来るのに、一樹にはそれが出来なくなっていた。なぜだか自分では分からなかった。自然と心が苦しくなる。
一樹の望みを自分は叶えることが出来ない。それを感じて、とてもやるせなくなるのだ。
(それに…)
それに一樹といると弱くなる。勇気が、決心が鈍るような感覚に陥るのだ。
(どうして?)
複雑な気持ちを押し殺して、朔良は笑う。
「松野さんに会ってきます」
それしか答えられなかった。すると一樹には顔を背けられた。呆れられたのかもしれない。言うことを聞かない自分に怒っているかもしれない。
そう思うとズキリと自分の心が軋んだ気がした。
腕を組みながら続けて崇史が訊いてきた。
「どこで会うつもりだ?」
どうしよう、と朔良は迷った。言わずにここを出たい。
先ほどの崇史の冷ややかな笑みがここへきて思い出された。何かを、企んでいる気がした。
「とりあえずカフェで待ち合わせをしました。私が行かないと不審がって帰ってしまうでしょう。だから、行かせてください」
嘘をついて頭を下げた。崇史を欺くべきだと本能が訴えたのだ。そして一樹にも…。
朔良は頭を下げながら硬く目を閉じた。逃げたくて堪らない。二人の視線がそれぞれ、刺さるように痛かったから。
「……いいだろう。だが猶予は一日だけだ」
少し間が空いたあと、崇史は厳しい口調ではあったが肯定的なことを言った。
朔良には希望の光が見えた。一日あれば充分だ。
「ちゃんと戻ってこないと…みんなを見捨てたと見なす」
崇史はたとえ脅しでも殺すとは言わなくなっていた。
―――志保の望みが叶って行く。その手応えを、確かに朔良は感じた。
「分かりました」
とりあえず、帰り方は状況をみてから決めることにしよう。
「あと逐一報告すること。だが…」
ふと崇史の言葉が途切れた。どういう条件で報告させるか考えているのだろう。
「いいものあるよ」
その隣に亮が立ち、ぼそりと不気味に笑いながら言った。崇史の考えを読んだらしい。亮は自分の鞄を探って何やら崇史に差し出した。
「これ」
「なんだ?これ、時計?」
言葉少な目な友人と、差し出された物を交互に崇史は見つめる。
それはどうみても普通の腕時計だった。いや、少しダサい。
デジタル表示であるそれは、子供が持つようなデザインだった。
「だだの時計じゃない。盗聴器付き」
「ええ?」
亮の発言に皆が驚きの声を上げた。
(まさか…)
あれを自分に着けろと言うつもりなのだろうか?
朔良は拒否したかった。ファッション面だけではない。盗聴器なんて、とんでもない。プライバシーの侵害だ。
友人ながら崇史は亮が何を持って来ていたのか知らなかったようだ。興味深そうにまじまじと見ている。
「何者?」
近くで三吉が一樹に声を掛けているのが聞こえた。
「ああいうの、昔から好きなんだ」
一樹がため息混じりに答えている。崇史は盗聴器付き腕時計を受け取ると朔良に渡した。
「報告はいい。常にこれを着けていろ」
朔良は受け取ることを躊躇った。見てとれるほど嫌々な顔になっている。
「これは…ちょっと……きつい、かなー」
弱々しく拒絶する。
「これをしないと解放しない」
(やっぱりそうなるよね…)
仕方がなく朔良は手を伸ばした。
「絶対外さないこと。あと…ここのことを話したり、何か不審なことをしたら…」
「分かってます」
崇史の念押しに朔良はため息をつきながらも了承した。
(何とかしないと…)
考えるべきことが増えた。しかし投げ出すという意識は頭の隅にも無かった。
とにかくここから出ることが先決だ。
(あっと、その前に…)
ふと朔良の頭に妙案が浮かんだ。
「あと、貸して貰いたい物があるんですが」
朔良は恐縮しながらも、亮の鞄を見つめながら申し出た。素っ気なく崇史は聞き返す。
「なんだ?」
「あの、私でも使えるナイフ無いですか?出来れば隠し持てるくらいの」
「何する気だ?」
崇史は本心を探ろうと朔良を見ていた。
「ただちょっと……念のために…」
いきなり訪れた機会だ。準備も何もしていない。
ここへ来る時は不要な物だと思ったが、次はそうはいかなかった。貴尚が何をしてくるか想像がつかないのだ。
無論、護身用で他意は無い。それに亮なら持っているような気がした。
崇史はしばらく朔良を見ていたが、ため息をついて亮を見た。
「何かあるか?」
亮はつまらなそうに鞄を漁った。あくまでも崇史の為になるもの以外は出したくない、とでも言っているようだ。
分かりやすい…と皆が思っただろう。
案の定、亮はしっかり持ってきていたようで、折り畳み式のナイフを取り出す。
「これは?」
「いいんじゃないか」
崇史は亮から受け取ると何の迷いもなく朔良に渡した。
「いいんですか?」
何故か朔良が躊躇した。あまりにあっさり貸してくれたからだった。
「いらないならいい」
「い、いりますいります!ありがとうございます!」
慌てて受け取ると、コートのポケットにしまうために振り向く。
そのとき一樹と目が合ってしまった。目を逸らすようにして、朔良は鞄とコートの前にしゃがみ込んだ。
(見ないように…してたんだけどな…)
後方では崇史と亮がどうやって朔良を出すか話し合っている。
「朔良」
避けてしまう朔良を断ち切るかのように、一樹が呼び掛けた。びくりと全身が震えた。
一樹の顔を見れずに、意味もなく鞄の中の整理をし始める。
「はい…」
何とか一言、返事ができた。
いつの間に彼は、自分を下の名前で呼ぶようになったのだろうか。
他の誰が呼ぶより、それは心に響く。
(縛られてるみたい…)
それは捕えられて逃れられない感覚だった。朔良はそっと、自分の心臓の辺りを撫でる。
「もう分かったよ」
「え?」
言葉の意図が解らずつい一樹の方を見た。一樹は俯いていて表情が見えない。
「無駄なんだな…何を言っても…」
小さく本当に小さくポツリと呟いた。
「………」
「だったら俺がここから出してやる」
「え?」
突然、一樹が力強く言った。朔良には一樹の言わんとしていることが解らない。
「だけど、必ず無事に帰ってきてくれ。君が傷つくのだって、笠原さんは望んでいないはずだから」
「!」
朔良の鼻の奥がつんと痛んだ。泣きたい衝動が襲ってきて、必死で堪える。
(だめ…)
泣くのは駄目だ。
(志保…志保………!)
無意識に志保の名を心で叫んでいた。涙は最大の禁忌。最大の、裏切りなのだから。
「分かって、ますよ」
いつものように口元に笑みを作りたかったが、それは叶わなかった。不自然に顔が歪む。
一樹の言うことは明確に当たっていたから。
「ならばもう何も言わない」
「……………」
「ここから出よう」
そう言って一樹は、しゃがんでいる朔良に右手を差し出してきた。
どうして彼はこんなにも優しく、そしてこんなに切なそうにしているのだろう。
躊躇いがちに朔良も右手を伸ばした。
* * *
そして一樹の作戦は意外と単純だった。またDark Killの何人かを集めると言ってどこかに電話をし始めた。
会話からそれが隼人だとすぐに分かる。
崇史は一樹のやることに何も口を挟まない。他に良いアイデアが浮かばなかったからだろう。
「用意出来るか?」
数回後の電話で一樹は最終確認をした。
「そうか…頼む」
話が纏まったようで電話を切った。
朔良といえば、三吉からコンセントの場所を聞いて充電をしたり、個室で服を着替えたり、準備をしていた。
着替えるとき包帯が目に入った。
三吉から一樹が手当てをしてくれた、と教えて貰っていたため今更恥ずかしくなる。いくらお腹とはいえ、見られたのだ地肌を。
(そんな場合じゃなかったっていうのは分かってるけど……)
ため息をつきながら黒いスウェットシャツを着た。
お洒落よりも持ってきた中で一番傷口に負担をかけない服を選んだのだ。
(傷口が開かなければ良いんだけど…)
これ以上は血を流せない。貧血で倒れている場合ではないのだ。
着替えが終わってホールに戻ると、一樹の手配が終わっていた。戻ってきた朔良に三吉が声をかけてきた。
「朔良、痛み止とか救急箱にあるの何でも持っていって良いぞ」
三吉も心配をしてくれているのが分かる。
いつも、いつMIYOSHIに来ても三吉は自分を可愛がってくれる。もちろん志保や沙織里も、結花も分け隔てなく好意的に接してくれていた。
三吉もきっと辛いのだ。
朔良は素直にその好意を受け止めた。
「ありがとう、三吉さん」